オリーブと葡萄の丘より
その四 (20〜25)
20 カピトーネ村・晩秋 '95/11/3
 秋も深まって来ると、冷たい雨がよく降る。緑一色だった丘もしだいに色づき始る。紅 葉する樹はほとんどなく、秋の光を浴びて輝くような黄色から、立ち枯れたように葉を付 けたまま栗色に変色しているものまで、美しい黄色のバリエーションだ。

 キムラ家の敷地内の畑から、今は廃屋になっている隣の家を見た風景がこの絵で、何枚 か描いた中で一番好きなものの一つだ。旅をしながらのスケッチは、時間的なものも含め て難しく、ゆっくり腰を落ち着けて近場の風景を丁寧に描いてみたくなった。

 絵を描き始めた頃は、よく自転車に乗って風景スケッチに出かけたものだが、この頃は アトリエ制作が多くなり、ほとんど実際の風景を見て描くということがなくなっていた。

 イメージを脹らませ、まだ誰も見たことがないものを創りだす。それはそれで面 白い事な のだが、どうしても自分の手の内だけで繰り返していると、自家中毒に似て麻痺してくる ところがあり、最近はややマンネリ化してきたかなと思われた。

 新しい刺激を得ることはなかなか難しい。そんな折、原点にかえって色々な物を見、そ の場でスケッチする、こういう機会を得られたことは有り難い。



21 葡萄畑への道(カピトーネ村) '95/12/4
 晩秋から初冬にかけての頃、カピトーネ村は「飴色の村」になる。この絵の場所は前に ジュゼッペ爺さんの家の葡萄狩りを手伝った時に目をつけていた場所で、この道を下って 行くと、急斜面の広々とした葡萄畑になる。

 秋の陽の逆光を浴びて、黄金色に輝く木々の 梢と、黒々とした不揃いの杭の対比が面白く、時間を忘れてスケッチした。夏場は八時頃 まで空は明るいのだが、その分冬場の日暮れがやけに早い、午後からの仕事は太陽との競 争になる。急速に杭の影が延びて来て困ったのを思い出した。

 十二月に入ると気の早い家では、クリスマスの飾りつけを始める。クリスマス・ツリー は個人の家は別にしてあまり見かけなかったが、代わりにプレゼンピオという、キリスト 誕生の情景をえがいた模型を、あちこちで見かけた。

 テレビの番組なんかでも、どこそこ のプレゼンピオが素晴らしいとさかんに報道していた。

 町にでても驚くほどの飾りつけは なく、大きな星を型どったイルミネーションが通りの中央にぶら下がっている程度だった イタリアのことだからさぞかし派手な飾りつけをするのだろうと期待したが、カトリック の正統派は思いのほか厳かだった。



22 ジュゼッペ爺さんの家(カピトーネ村) '95/12/6
 この家は爺さんたち夫婦が若い頃住んでいた家で、今は家畜小屋兼作業小屋として使っ ている。

 ジュゼッペ爺さんの家は典型的なイタリアの農家で、毎日食べるパンやピザも自 分の家の石窯で焼く、生ハム、サラミ、オリーブオイルそしてワイン、ほとんどが自家製 だ。自分で作った物を自分で食べるということに、彼は自信と誇りを持っていて、「俺が 他で作った物を食べると思うかネ」と得意げに話していた。

 爺さんの家では度々夕食を御馳走になった。イールダ婆さんは何の偏見もなく私たちを 迎え入れてくれ、何かと気を使ってもらった。日本に帰る時に「いつ戻ってくるのか」と 何回もきかれて困った。

 爺さんは山で猟もする。ウサギやキジ、時にはイノシシ。ある日 「カズハル、今日は何の肉か」と尋ねられて、一瞬手が止まったが、それがヤマアラシと 聞かされて喉がつまったのを思いだした。

 ジュゼッペ爺さんとイールダ婆さんは、何年か前に結婚五十周年記念の大々的な行事を 済ませている。それでも今だに一日五十回はキスをするのだと笑っていた。何時までも仲 のよい秘訣のようだ。



23 個展ポスター
 個展のオープニングにはマリアたちが、とても食べきれないほどのケーキやクッキーを 焼いてくれた。

 数は少ないけれど、知り合ったすべての人が駆けつけて来てくれた。利夫 さんとポスターを張りにいけば、「あの男なら知ってるよ、町で絵を描いているのを見か けた」と言う人もいた。

 ちょうど隣の会場でナルニの古い写真展をやっていたことも幸い して、町の人達も思いの他来てくれた。来た人は一点づつ、丁寧に作品を見て、帰り際に 何か一言かけて署名して行く。こんな習慣からも、この国の絵画に対する感心の高さや、 物を作る者に対する尊敬の念がよく分かる。

 イタリア人は絵画や写真を見たり飾ったりするのが好きだ。それは物理的な要因、例え ば、広い壁と小さい窓という構造も関係すると思うのだが、どんな田舎家に行っても、そ のためのスペースがあり、工夫を凝らした装飾がなされている。町のショーウィンドのデ スプレイを見れば、この国の人達の、高いデザインセンスが理解できる。

 日本家屋にもかつて、「床の間」いった装飾の空間があったが、いつの間にか洋風の建 物ばかりになって、四季折々に絵や花を飾るという習慣も忘れられつつある。豊かな暮ら しは、自国の永い伝統や文化を否定するところからは生まれないと思うのだが。



24 静かな冬の日(カピトーネ村) '95/12/30
 それにしてもクリスマスのキムラ家は大忙しだった。総勢十五人以上の来客の接待と、 それに合わせて食事を用意するマリアは大変だったろう。

 長いテーブルにずらりと並んだ 食器類はなかなか壮観だった。年一度、一族郎党が集まって楽しく食事する、こんな光景 からもイタリア人の身内の絆の強さを感じる。

 個展が終わり、クリスマスも終わった。比較的に静かな年の瀬だ。残すところ二ヶ月あ まり、祭りの後の寂しさが、しみじみとこみ上げて来た。

 カーサ・キムラからジュゼッペ爺さんの家に行く途中の道が、この絵のテーマだ。夏の 頃、道の両側は、ひまわり畑で遙か彼方の空の淵まで眩い黄色だった。

 舗装されててない 砂利道は雨が降れば川となり、後に大きな水たまりを残す。そう言えば子供の頃、雨が降 ればそこら中水たまりばかりだった。傘の柄で水たまりをつないで、遊んだりした遠い記 憶がある。

 それほど遠い昔でもない気がするが、いつの間にか道はすべて舗装され、水た まりも消えた。遠い思い出はいつまでも美しく、いいことばかりではなかったが、一抹の 寂しさを覚えるのは、私だけか。



25 冬枯れた丘(カピトーネ村) '96/1/12
 ミラノからブレーシアの小さな旅に出た。北へ向かう列車の窓からの風景は、白一色の 雪景色だった。

 ブレーシアには手塚さん夫婦が、私たちが来るのを待っていてくれた。手 塚さんは海外生活二十年を越すベテランだ。

 あいにくの雪で缶詰状態だったが、天井の高 い古い宮廷のような家には度肝を抜かれた。ブレーシアは文化的にもドイツに影響を受け 整然としていかにも寒い地方を感じさせた。

 イタリア国内でも北と南では、国民性がかな り違う、よく言われるラテン的な底抜けに明るく陽気で、ちょっとルーズでそれでも憎め ない、イタリアのイメージは南の地方で、北の人達にはとにもかくにも、今のイタリアの 経済全般を担っているという自負がある。放蕩息子と孝行息子ほどの差だろうか。

 カピトーネ村に帰ってきて、久ぶりに丘を眺めた。天気のせいもあるのだが、すっかり 様子も変わり、どことなく憂鬱で寂しい冬枯れの風情。暮れから少し体調を崩していたこ とも加えて、気分的に落ち込んでいる。

 風景に四季があるように人の気持ちにも変化があ る。牧草は一足早く春を見つけて、うっすらと黄緑色に萌えて来た。落ち込んでばかりい ないで、新たな活動を開始しよう。



 
その12345
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