オリーブと葡萄の丘より
その二 (7〜13)
7 ナルニ街角 1 '95/7/29
 私たちの住んでいた村から、車で十分ほどの所に、ナルニという中世の城下町がある。

  町は丘というより山の頂上付近にあり、ローマから電車で来ると、川を挟んだ向こう側に まるで岸壁の先端にしがみつくように、この町が形成されているのがよく分かる。

 イタリ アの城下町がほとんどそうであるように、周囲は堂々とした城壁で囲まれていて、街に入 るにはまず城門をくぐらなければならない。五百年前の城門は狭く車一台がやっと通 れる くらいだ。

 視界は急に開け、永い間に磨耗してしまった石畳をガタガタと走っていくと、 町の中心地、ガリバルディ広場にでる。広場には古い噴水があり、多くの人が三々五々集 ってはお喋りに興じている。イタリア人はとにかく話好きだ。

 古い石造りの市庁舎の前で、毎年五月に時代祭りが催される。街角にはかがり火が焚か れ、建物は心憎いばかりの照明が当てられ、立体的な造形をなお一層強調する。

 玩具の兵 隊のような騎士が柄の長いトランペットでファンファーレを奏でると、マリアさまの絵を 先頭に王女や騎士の行列が始まり、雰囲気を益々盛り上げる。ここの教会で聴いたグレゴ リオ聖歌のコーラスは一生忘れないだろう。



8 ポンテ・アウグスト(ナルニ) '95/7/31
 田舎暮らしには車が必需品だ。ちょっと下町までの買い物も車がなければ不可能だ。か といって新車を買うほどの余裕もない。

 中古車の具合のいいものをと、利夫さんに頼んで おいたが、イタリアの場合、日本のような車検制度がなく、乗れるだけ乗ってそれでお終 い。修理不良でトラブルがあっても、それはすべて自分の責任で、自己管理が原則だ。

 そ れ故調子の良い中古車というものがあまりない。なんとか八方手を尽くしたがだめだった マリアが心配して「なんとかなる、それがイタリアだ」と妙な慰め方をしてくれた。

 なんとかなるものだ。ローマに住む利夫さんの姉が新しい車を買った。そのためいまま で乗っていた車がマリアにまわり、マリアの車が私にまわってきた。フィアットのチンク エチェント(500という意味)。時々この車に乗っていたし、こんな可愛い車がいいな と思っていたので大喜び。ただしこの車、一度火を噴いたことがあるらしい。
 
 自分の車ができてから、毎日のようにカピトーネの丘やナルニまでスケッチに出かけた この崩れた橋はナルニの町に行く途中にある、二千年ほど前のアウグスト帝が造った橋だ ルーブル美術館にコローが描いた、同じ橋の絵がある。



9 ナルニの街角 2 '95/8/2
 日本にいれば、様々な情報が入ってくる。いいか悪いか別問題として、かなり影響され る。そういった情報から全く切り離されて、なにも考えずに、風景と対峙して筆を動かし ていると、絵を描くことが好きだったのだと改めて感じた。

 町には観光客もいないし、もちろん日本人などいない。私がその日何処で絵を描いてい たか、家に帰るとマリアが知っているということがよくあった。誰かが見かけて彼女に連 絡したのだろう。

 目立つ存在であることは嫌な面も多い。最初町中を一人で歩くのが憂鬱 だった。日本にいる外人が視線を感じて辛いと聞いたことがあるが、分かる気がする。そ れもしだいに慣れては来るのだが。

 石畳の階段に座って描いていると、何故か近所の猫や犬が集まって来た。同類のものを 感じたのか、不思議なものを感じたのか、聞いてみたこともないのだが。

 昼食時になると処からとなく教会の鐘が聞こえて来る、家の主人がスクーターでパタパ タ帰って来る。ラジオからはパバロッティーの歌声。誰かがそれに合わせて口ずさむ。隣 の家では大声で夫婦喧嘩。猫がミャーと鳴く。急いで片づけて家路についた。



10 サン・ジェローラモ城(ナルニ) '95/8/3
 キリスト教に於ける聖人の存在は、異文化の我々にはよく理解できないのだが、ある意 味で守護神のような存在で、一神教であるところのキリスト教に於いても、人はもう少し 身近な存在の神を、欲しがるようだ。

 イタリア人によくある名前で、フランチェスコやフ ランチェスカ、パウロやパウラ、マルコなどはすべてこれらの聖人から貰っている。

 このサン・ジェローラモが宗教上の聖人かどうか、調べてもいないが、例えば恵比寿さ んが商売の神であるように、何らかの聖人であることは間違いない。鐘楼の上の十字架を 見て、てっきり教会だと思っていたが、この文章を書くに当たってナルニの地図を見ると カステッロ(城)となっていた。よく調べてみるものだ。

 聖人伝説ではアッシジの聖フランチェスコがよく知られているが、この物語は日本に居 たときから気になっていた、と言うよりこの旅を計画したのもある意味で、アッシジのジ ョットの壁画を見たかったからと言ってもいい。

 ただイタリアに来て感じることは有名な 美術館や教会も、もちろん素晴らしいが、ほとんど無名の町や村にも、驚くような壁画や 彫刻が無数にあることだ。むしろそういった発見の方が楽しかった。



11 ナルニの街角 3 '95/8/4
 車が手に入ってからは、サンドイッチを作ってもらったり、近くのピザ屋で立ち食いし たりで、午後もスケッチに出ることが多くなった。特にこの冬、ナルニでスケッチばかり を集めた個展を密かに計画していたので、なんとか実現させるために、できるだけ多くの 作品を描きためる必要があった。

 ピザを買うことも最初はなかなか出来なかった。とにかくイタリアの場合、日本のよう に便利なコンビニなどない、主流はやはり個人商店だ。

 パンはパン屋、肉は肉屋で買うの だ。自動販売機さえほとんどない。ということは必ず人と話をしなければ、物が買えない ようになっている、それが当然の事だけど。

 ところがコンビニ、ファーストフード、ファ ミリーレストランにしてもマニュアル化された言葉があるだけで、会話はない。物を持っ てきてレジに並べれば、ピッピッでお終いだ。一言もしゃべらないで済む。このままいけ ば人は益々要らなくなるだろう。

 人が人間らしさを失ってしまったら、何のための効率や 利便性なんだろう。日本はいったい何処へ行こうとしているのだろうか。そんなことが気 になりだした。



12 ナルニの街角 4 '95/8/26
 このアーチをくぐって行くと、小学校前の道につながる。たぶん何百年も変わらないこ の街角の風景は、子供たちの親もそして又その親も見た風景なんだろう。

 変わらない事は 変わる事より難しい。町のあちこちで修復がなされている。たとえ石造りの建物にしても ほっておけば、やがて崩壊していく。自然なままに見えて、実は精一杯の努力をしている 。

 その根底を成しているものは、本当にいいものはいつまでたってもいいものである、と いう自国の文化に対する絶対の自信と誇りである。それらの事は、そこで生活する人にも 言えて、子供たちと年寄りが広場や公園で同じ場を共有し、お喋りに興じている。老人は 自分の人生に自信と誇りを持ち、若者たちはその姿に将来の自分を見る。

 町は人がいてそこで生活し、学校や美術館があり、人々が集まるカフェやバー、公園や 広場があってそれらが有機的にバランスよく配置されていて、子供も若者も年寄りも隔て なく楽しく生きていけるのが理想だと思う。十年経ったら全く町が変わってしまった、と いうような大きな理想のない町づくりは、永い目でみればとんでもない無駄 だと思う。

 古 ぼけた一本のアーチのある通りを見ながら、そんなことを考えた。



13 ナルニの街角 5 '95/9/27
 八月三十一日から長い旅に出掛けた。まず利夫さんたちとサルデニア島に二週間のバカ ンス、その後イギリスに渡り九月二十五日に帰国。又以前の生活に戻った。

 ガリバルディー広場から市庁舎と反対の道を行くと、急な坂道になる。狭くくねった石 畳を息を切らせて登って行く。視界がどんどん開けてドゥオモ(聖堂)がやや下に見えて 来る。要塞状の岩山に張りつくような家のつくりは、何処も似たようなものだが、何故か 懐かしい気がする。

 子供がいろんな形をした積木を釣り合いを考え、積み上げたような、 一つ一つはばらばらで、一寸油断すれば脆くも崩れてしまいそうでありながら、微妙なバ ランスを保って成り立っている。懐かしさはその統一感から来るものだろう。

 九月になってもまだまだ日差しは強く、日向に出ると自然に汗ばんで来るが、手前の家 の日陰になっている所に座り込んで描いていると、下から吹き上げて来る風は冷気を含ん でいて心地好い。

 昼時前だが下町の馴染みのピザ屋で買って来た、マルゲリータ(トマト とモッツァレラチーズ)を頬張り軽く腹ごしらえをする。そして最後のアクセントを付け そろそろ光の様子が変わって来たので終わりとする。
 
その12345
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