1 丘からの眺め(カピトーネ村) '95/4/21 |
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アムステルグムダ経由でローマ・ダビンチ空港に着いたのは四月十八日の深夜だった これから一年間お世話になる利夫さんとは、一面識もなく、電話で到着の時刻を告げただけ だった。不安な面持ちで空港のロービーで待っていると、「ヨッ」と言う陽気な言葉と共に 利夫さんが現れた。それまでの不安と疲れが一度に吹き飛んでしまった。
ローマから車で一時間半ほど走った所にカピトーネ村がある.。地理的に言えばローマとアッシジの中間点になる。
カピトーネ村は高原の村だ、見渡す限りになだらかな丘が続き、薄黄緑色の牧草とオリ ーブの苔むした緑と葡萄畑の濃い緑が美しい階調をつくっている。煉瓦色の屋根と乾いた 薄い薄土色の壁、黒い糸杉ときらきらと光るポプラ、始めて見るイタリアの田舎の美しい風景 に言葉を失うほど感動した。
利夫さん家の裏道をとろとろと下って行った所に、向かいの丘が眺められるこの場所があ
る。隣の家が遥か彼方に見えるこの風景は私のお気に入りのところだ。
滞在中、愛犬ロビ ンと毎日散歩した道でもある。
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2 オリーブ畑と大きな樹(カピトーネ村) '95/5/5 |
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初めの一ヵ月ほどは車がなかったので、家の周りを歩くしかなかった。天気が良ければ
いつも午前中はスケッチに出かけた。
五月といっても朝夕はかなり肌寒くリビングの暖炉 には火が入っていた。それでも陽が登れば、イタリアの輝くような太陽が照りつけ汗ばむ
こともあった。
いつものようにスケッチの道具を持って家を出た。ロビンが後を追って来 るが、無視すると隣の家の近くで諦めて帰る。ここからは一人だ。何処でもすべて絵に
なるのだが、それなりに構図を考えなくてはならない。うろうろして時間を取られる、い
つもそんなことで焦ってしまう。午後になると光の様子が変わるからだ
。隣の家の畑から の場所に決める。遠くに農家と家畜小屋が見えるこの場所は、いつも下町へ行く時に通
る 道で、丁度午前の最後の光が大きな樹に濃い影を作らせていて、それとまだ充分新芽の出
ていないオリーブの樹の薄く霞のかかったような枝とのコントラストが面 白く、いつか絵
にしてやろうと思っていた。
良く見ると薄黄緑色の牧草の中に点々と羊が草を食んでいる のが分かる。ゆっくりと実にゆっくりと彼らは移動していて、気がつくと視界から消えて
いた。
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3 スペッコ・ディ・サンフランチェスコ '95/5/28 |
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利夫さんと息子のタロー君と私たち夫婦で、午後から近くの古い教会に出かけた。
途中 に天然の湧き水が出る所があり、水道水の飲めないイタリアでは、飲み水は買うかこうい
う水を取りに行くしかない。地元の人で水道水を平気で飲む人もいるがカルシュウムが多
くシャワーの目も簡単に詰まってしまう。毒ではないと思うが、その様子を見るとちょっ
と飲めない。
奥さんのマリアは妊娠八ヵ月で(私たちはここに来るまで知らなかったのだ
が)今そういった事に神経質で、利夫さんはせっせと水汲み父さんをやっている。
イタリアには数多くのフランチェスコ派の教会があるが、ここは教会というより山の修 行場と言った方が合っている。訪れる人もほとんどなく、一人か二人の修行僧がいるのみ だった。
鬱蒼とした森の中に入って行くと、ひょっこり開けた空間があり、そこにこの聖 堂がある。何の飾り気もなく、薄暗いお堂の中はただ祈りのためだけの空間で、父からの 財産は着ている服さえ必要ないと父に返したフランチェスコの理想が、観光客の多いアッ シジなどよりも生きていると思われた。
観光で来て待たしている人がいるとゆっくり描け ないのだが、気にしながら急いでペンを走らせる。
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4 アメリアの街並み '95/6/15 |
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カピトーネの村からさらに車で十五分ほど行った小高い丘の上に、典型的な城下町が築 かれている。
イタリアは基本的に中世からのこういった都市国家の集合体で、未だに強い
郷土愛で結ばれている。言葉も地方独特の方言が用いられ、丘一つ越えれば通
じないとい うことがあるそうだ。アメリアもそういった城下町の一つで、観光地図にはけっしてのっ
ていない町の一つだ。
こうした丘に築かれた町は、遠くから眺めるにはまさに要塞のようで美しいものだが、
いざ町中に入ってみると急な坂道のうえ、窓の少ない建物の壁ばかりで巨大迷路のような
歩きづらさだ。
中世の人達は戦に備えて案外それを意識していたのだろうか。それにして も百年経った石造りの町というのは、自然の風化も含めて風格のようなものが具わって、
新しい近代的なオフィスビルにはない魅力がある。
それに加えてイタリア人には独特の空 間作りの才能もあって、何処をとってもなかなかお洒落だ。
この町の頂上には教会があり、ちょっとした広場になっている。ここからの眺めは忘れ
がたく、何回か登った。
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5 シエナの聖堂 '95/6/15 |
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小さな旅に出た。フィレンツェからバスに乗って、きれいに舗装された道を軽快に走っ て行く。一時間ほどでその昔フィレンツェと権力を争ったこともある古都シエナに着く。
バスを下りて右手の方に大きなフランチェスコ派の教会があり、そのまま石畳は町の中 心の方まで続いている。一方教会の向こう側は谷底のような急な坂道で、やがて小さな森 になる。
そこからだんだん積木を積み上げる様に、煤けた煉瓦色の建物が空に向かって重 なりあって延びて行く、やがてその力は大きなドームに集められ、中央の尖塔から天にむ かって解き放たれるように出来ている。
この場所から見る聖堂は正面 のゴシック様式の派 手な装飾もなく、鳥の翼を広げたような横に長い構造がよく分かる。その中心に建つ鐘楼
は白と黒の大理石を交互に使った、チェスの盤のような構造で印象深い。
これを描いた場所は教会の裏側で、日陰で涼しく、はじめのうちは調子良かったのだが 思わぬ時間がかかり、次第に日が射し、暑くて困ったのを思い出した。
それにしてもシエナの町はしっとりと落ち着いた町で、ローマやフィレンツェが観光地 化しすぎて不満に思う人も、必ず満足する魅力ある町だ。
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6 オリーブの古木 '95/7/20 |
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カーサ・キムラ(キムラ家)には今のところ二三十本のオリーブの木と三百リットルほ どの自家製ワインが採れる葡萄の木がある。利夫さんは将来、もっと増やしたいと思って いるようだが、彼の仕事(旅行会社の添乗員)の関係上、家を空けることが多く、差し当 たり家で一年間に消費する量に留めている。
利夫さんたちがここに引っ越して来るまでは、この家はほとんど家畜小屋であった。今
リビングになっている一階は牛小屋だったらしい、もちろんトイレも風呂も水道もなかっ
た。だから住むにあたっては、オリジナルの壁を残して全面的に手を入れたようだ。ゆっ
くり楽しみながら自分の家を作って行く、これがイタリア式改築法だ。
このオリーブの古木はキムラ家のテラスの横にあって、倒れかけながらも健気に毎年新
芽をふき実を付ける。愛猫のシロはこの腰の曲がった大きな幹を、自分の爪研ぎ場とし、
根元の部分は夏場のロビンの寝床となる。この頃はまだ黄緑色の小さな粒であったオリー
ブの実が、晩秋の収穫の頃になると濃い紫色に変わる。葡萄狩りと合わせて収穫の秋が楽
しみだ。 |
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