オリーブと葡萄の丘より
その三 (14〜19)
14 アメリアの丘 '95/9/30
 カピトーネ村に着いた次の日、利夫さんに一番最初に連れて行ってもらったのが、アメ リアだった。

 車で十五分といっても、なだらかに広がる牧草地をかなりのスピードでとば して行くのだから、隣町までの距離がわかる。黒々とした森を抜けると、目の前が急に明 るくなり、夕陽を背にしたアメリアの丘が現れた。第一印象が余りにも強く、それから何 回か訪れたが、なかなか絵にする気になれないでいた。

 九月の半ばにサルデニアの旅から帰って来てから、この地方の緑豊かで、何処までも続 くやさしい丘の風景に、愛着を感じた。

 おなじイタリア国内でもサルデニア島は異文化の 国だ。一言でいえばスペインの荒れた岩山のイメージだ。電車で旅をしたが、延々と続く 何もない大地、地平線に沈む夕陽を初めて見た。過酷な風土は旅人である私たちをも寡黙 にさせた。一方海岸線は高級リゾート地で結構華やいでいるのだが、その強烈なコントラ ストがまた、この地方の厳しい風土を浮かび上がらせていた。

 その後、友達が来たこともあってアメリアの街に出掛けた。新たな目でこの丘の街を見 た時に、第一印象を越えた感動があり、絵にしたくなった。



15 カピトーネ村の教会 '95/10/5
 私たちの住んでいた村は詳しく言えば、ウンブリア州・テルニ県・ナルニ市・カピトー ネ村になる。

 全部で三十戸あるかどうかの村の中心がこの集落で、これがおらが村の教会 である。キムラ家はさらにここから車で十分ほど下った所にある。

 この村にも小さいながら郵便局があって、ほとんど毎日スクーターに乗った、人の良さ そうなおじさんがやって来る。外国にいると日本からの手紙が結構楽しみのひとつで、こ の郵便局のおじさんにはずいぶんとお世話になった。

 出発に先立ち、冬物の荷物を船便で 送ったのが、三ヵ月ほどで着いたが、すべて郵便局止めなので、狭い部屋が私たちの大き なダンボール箱でいっぱいになった。原型を留めないぐらい変形をしていたが、何よりも 無事着いたことに感謝した。

 村には若い人も案外多く、結婚式などもこの教会であげる。イタリア人は日本人以上に 身内を大事にし、多くの場合同じ家か近所に住んでいる。村が過疎化せずに、子供から大 人、老人まで共存している形は、うらやましくもあり、ある意味で人が生きていく環境の 理想的な形ではないかと思う。



16 ナルニ表通りの家並み '95/10/7
 ガリバルディ広場を突っ切って、そのまま道なりに行くと、絶壁の上に大きく張り出し たテラス状のこの場所に到る。ドゥオモの鐘楼の見えるこの場所は、安定した単純な三角 形の構図で、山の頂にあるという不安定さを感じさせない。

 テラスからの眺めは素晴らしく、何回かここで休んだ。ローマから電車で来るときに見 上げる絶壁は、たぶんこの辺りだ。それにしても車社会の現代でさえ、この町までの、曲 がりくねった急勾配の道に、かなりの時間を要する。

 車のなかった昔、どうやってこんな 石造りの町を造りえたのだろうか。水のないこんな不便な山の頂に、どういった理由で町 を築いたのだろうか。単に眺めが素晴らしいといった理由でもないだろうに。一説による とマラリアなどの疫病を避けて山に登ったと言われているが、真偽は分からない。

 いずれにしてもこのウンブリア州やトスカーナ州はほとんどが丘陵の町で、利夫さんと 一緒にドライブにでると、突然こういった丘の町が現れて、びっくりする。

 イタリアが無 数の都市国家(コムーネ)の集合体であることがよくわかる。地元のサッカーチームに熱 狂するのは、昔ながらの郷土愛が強いためだ。



17 バス通りの家(葡萄狩り1) '95/10/10
 十月の中頃その日は天気も上々、近所の人達も手伝いに来て総勢十人ぐらいで葡萄狩り が始まった。

 この地方では葡萄は棚にしないで、普通の木のように縦に延ばす、だから人 は歩きながら葡萄狩りができると言う訳だ。てんでにカゴとはさみを持ち、手当たり次第 に狩り取って行く、後には何も残さない。たちまちの内にカゴは一杯になり、後ろのトラ クターの荷台に放り込む。ワイワイとしゃべりながら、愉みながら、段々に荷台も一杯に なって行く。

 午前中でキムラ家の仕事はほぼ終了、午後からは隣のジュゼッペ爺さんの畑 をやることになっている。その時は知らなかったが、ここからが本番みたいなもので、午 後からの仕事は大変な量だった。

 昼食後、今日は昼寝も省略、農家にとって収穫は一年の総まとめ、一番の歓びなので疲 れもしらない様子。みんなトラクターに鈴なりに乗って、高原の丘を駆け降りて行く。

 ジ ュセッペ爺さんの家は葡萄だけの専業農家ではないが、キムラ家とは比べ物にならない量 だった。くたくたにはなったけれど、こうやって近所の人達と一緒になって汗を流し、同 じ歓びを味わえたのは、なによりもの収穫だった。



18 カーサ・キムラ(葡萄狩り2)
 ワイン作りは初めてだったので、興味深かった。大きなミキサーに取りたての葡萄を、 なんでもかんでも構わずぶち込むと、ジュースになって太いホースで納屋の樽まで運ばれ る。

 昔は足で踏んでいたそうだ。葡萄の皮やいろんな物がごった煮状態のジュースを見れ ば、それがとてもあの透明で芳醇なワインになるとは思えない。二三日で発酵し始めてブ クブクと炭酸ガスを出すようになる。意外に簡単にワインなんて出来るものだ。

 一週間ほ どほって置いて不純物を取り除きジュースだけを専用の樽に移す、後はじっくり発酵させ て糖がアルコールになるのを待つ。

 この時の搾る器械が骨董品で、古い納屋の僅かな光を 頼りに器械を回していると、錬金術師もさもありなんと思われた。自分で作ったワインは 格別で、アルコールに弱い私だが、このワインだけは楽しめた。

 後日談。

 自分たちで手掛けたワインとオリーブオイルを一本づつ持って帰って来た。ワ インはビン詰めにしてコルクの栓もした。さらに最後の仕上げとしてオリジナルのラベル が欲しく、このラベルをゴム版画で作ってみた。出来ばえは上々、手造りのラベルを貼っ た唯一のワインは、人生最高の時に開けるとにしよう。

 サルーテ!
(乾杯)


19 サン・カシアーノ教会(ナルニ) '95/10/25
 ナルニは観光地ではないけれど、名所をあげろと言われたら、まず思いつくのは、ポン テ・アウグストであり、次にこのサン・カシアーノ教会だろう。

 ナルニの町と対峙する丘 の斜面の、深い森の中に静かに、優しく、気品をもって建っている、その孤高の姿は、そ れ自体高僧の雰囲気さえある。あまりにも清らかで整い過ぎていたために、今まで絵にで きずにいた。やはり美人は難しい。

 できれば個展をやりたいと利夫さんやマリアに話をしていたが、それがやや具体的にな って来た。カーサ・キムラを改装する時にお世話になった建築家のブルーノさんは、美術 にも造詣が深く、また町の実力者でもあった。

 話がとんとん拍子に進んで、いよいよ会場 を決めるため、市の文化部の職員と会うところまでこぎつけた。色々と会場を紹介しても らったが、結局市の劇場二階のロビーを借りることにした。

 会場と日時が決まった。十二月十六日から二十三日まで、クリスマス・イブの前日まで である。忙しくなりそうだ。異国での初めてのクリスマスは、きっと忘れがたい思い出に なるだろう。
 
その12345
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