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絵描きのぼやき

1月31日 (木)

はる 6483
 今日は午後から確定申告の手続きに出かける。昨日四苦八苦してまとめたものだ。年に一度だけれど何となく嫌なものだ。こう人の懐具合を見透かされるようで嫌なのかな。

 確定申告に行くようになったのは仕事辞めてフリーになってからだから、もう35ねんもやっていることなんだけれど自己申告というのは今までやったことがない。いつも無料相談会のお世話になっている。やろうと思えばネットで出来るんだ。年金暮らしになった皆さんどうしているんだろうか。

 ここ10年ぐらいは画家として申告している。

更新時間 : 22:39:38

1月30日 (水)

はる 6482
 今日は一日一昨年の領収書の整理をする。一年に一回領収書の山に埋もれる。面倒だけれどこれをやらないと色んなところでもっと面倒なことになる。会社勤めならこんなことは事務方がやってくれるのだが、フリーランスはこんなことも自分やらなくてはならない。

 フリーで生きるための方法というサイトで書いてあったことだが、自分で収支の管理ができるというのも何番目かにあった。いったい自分の年間の収入がいくらで、どのくらい使っているのか、ぎりぎり切り詰めてどれだけで一年間必要なのか、それは是非とも必要なことだ。まるで無計画に生きているようだが、ある意味勤め人よりしっかり自己管理していかないとどこかで破たんする。

 この歳になると、必要経費は最低ですむ。ただ医療費が最近多くなってきたな。

更新時間 : 22:42:06

1月29日 (火)

はる 6481
 ぱす

更新時間 : 21:36:48

1月28日 (月)

はる 6480
 道具 コヒノアールという芯鉛筆6B 10Bの鉛筆とホールダー 練ゴム ・・・・・ こういうのも教え事でもない気がするなぁ。最初の取っ掛かりはある程度決め事のようなことはあるけれど、やっていくうちにどんどん自分なりの方法を試しながら見つけてゆく。またそうでなければ飽きてしまうだろうな。いくらやってもたどり着かないのは本画も素描も同じことだ。私のやり方は私の方法であって、一般的ではない。10人いれば10通りのやりかたが有るように思う。 筆圧は物凄く強い。鉛筆で刻み込むように描く。最初はやたらめったらに線を引く。そんな中から正しいと思われる線を一本見つけ出す。見つかればいいし、見つからなければ見つかるまでせんを引く。不器用なやり方ですが、小奇麗になってくると壊したくなります。あくまで気分よくやることだ。

更新時間 : 20:35:10

1月27日 (日)

はる 6479
 今日は久しぶりに裸婦クロッキーにでかけた。

更新時間 : 22:52:01

1月26日 (土)

はる 6478
 あるブログを読んでいて面白い事が書かれていた。一つの作品にどのくらいの時間がかかるか?という質問をうけることが私なんかもよくある。質問した人はこれだけ凝ったマチエール?の作品なんだから相当時間がかかったんだろな。それに芸術作品なんだからそれを生み出すにはそれなりの苦労があって時間もかかるのじゃないか、そんな答えを期待しているのだと思う。良く解釈すれば。

 しかし、実際のところはどうなんなんだろう。いい作品というのは時間ではないのだな。いい作品は何の苦労もなくすんなりできることが多い。反対に良くない作品はこねくり回してよけいにだめにしてしまうという事が多い。正直なはなし、出来る時は一時間あればできる。出来ない時は3年かかってもできない。そんなもんなんだな。むろん100号何ていう大きさは一時間ではできませんがね。

 結局作品の出来不出来は時間ではないということだな。

 最初に戻って、そういった質問にはこう答える。「一点一点描いている訳ではないので、全部で100点ぐらいを一年かけて描きます」と答える。これだと多くの人が納得するようだ。まんざら嘘でもない。

更新時間 : 22:48:10

1月25日 (金)

はる 6477
 パス

更新時間 : 23:16:07

1月24日 (木)

はる 6476
 たぶんあと20年から長くても25年ぐらいの間で私はいなくなる。まぁ明日かもしれんけどな。で、それまでにやり残したことはないのか、これはやりたかったという事はないのかと考えると、すぐには思いつかないな。もともとそんなに大志を抱いて生きてこなかったので、今更という感じもするな。よく言えば悔いはない。

 考えてみると20代の頃が一番しんどかった。絵を描いて生きて行くと決めたのはいいのだけれど、それがどういう事なのか具体的に言えば絵は売れて行くものなのか、絵描きという仕事は職業として成り立つのか、まだ一枚の絵も売ったことがない人間が絵を描いて生きて行こうと決めたわけだから、無謀と言えばこれほど無謀な事はない。正規の仕事には着かないと決めた。でなければ絵に人生をかけたことにはならない思ったからだな。

 その頃友人に言われたことが耳に残っている「絵などに関わっていると人生を棒にふるよ」確かに的を得た忠告だった。今考えると私の人生はもう取り返しのつかないところまで来ている。とても成功したとはいえないだろうな。その人から見ればやっぱり人生棒に振ったやろうというになるのかもしれん。でもまぁそいつも大したことやっていなくて早々と死んじまったからどっこいどっこいだろう。

 そうだな、今考えた。死ぬまでに京都に何年か住みたいな。できるかな。

更新時間 : 23:29:57

1月23日 (水)

はる 6475
 春の京都・ギャラリー洛のDMが出来ました。

更新時間 : 22:06:31

1月22日 (火)

はる 6474
 いざよい」と読む理由・由来は?
なぜ「十六夜」と書いて「いざよい」と読むのか?その理由・由来については、 十五夜と比較した月の動きが関係している。

十六夜の月は、前日である十五夜の月と比べると約50分ほど遅れて出てくる。その様子がまるで月が姿を見せることを躊躇している・ためらっているように感じられることから、ためらう意味の動詞「猶予う(いざよう)」が読みに当てられたようだ。

「不知夜月」の漢字をあてて「いざよいづき」とも読ませる。

更新時間 : 21:41:18

1月21日 (月)

はる 6473
 大きな病気をしてから大きく変わったことは朝飯をちゃんととることだ。朝飯は散歩から帰って大体一時間くらいかけてつくる。メニューはほとんど毎日変わらない。基本的には雑穀の雑炊だ。出汁は昆布に煮干しと椎茸でとる。最初は面倒であったが慣れるとそれ以外には考えられなくなるから不思議だ。後は適当にきのこが有れば入れる。冬場は大根、ニンジンなど。野菜は茹でることが多い。小松菜や、ほうれん草、ブロッコリーなど、茹で野菜にするとかなりの量が摂取できる。後生の野菜サラダも人参のスライスを常備作り置きしてあるので簡単に作ることが出来る。お茶は最近は薬草茶をブレンドすることが多い。これだけ食べればほとんどおなかいっぱいになる。

更新時間 : 22:45:14

1月20日 (日)

はる 6472
 私はずっとフリーで生きてきたから例えば会社をくびになるとか、左遷させられるといった恐怖がない。反対に云えばいつもいつも食べて行けなくという恐ろしさはあるように思う。それは常にそうだから、そんなに切実ではない。実際フリーで仕事をしている人間はそこのところはシビアに持っていると思うんだな。寄らば大樹の影と何とか寄生している人たちとはそこが根本的に違う。

 例えば日本の公教育というのは良くも悪くもこの国を支える人々を育てようとしている訳だ。公のお金を使っているわけだから、当然そうだと思う。誰も反社会的な人間を育てるために公のお金を使うのは良とは考えないわな。そう考えると例えば戦争が起きたり侵略されたりしたら、この国を守るために戦わなくてはならないとなるでしょう。しごく当然の理屈のように思われる。

 しかし、こうは考えられないか。人はどう生きてもいい。自分の幸せのためには。そういった自由な人々の集合体が国なんだと。国はそういった個人を規制することなく援助するするのが役目なんだと考える。理想的にはね。そう考える国の教育というのが根本的に変わるきがするな。まず個人の幸せとは何か、そんなことを考える人を育てることが公教育なんだというふうにね。規制して囲って縛って奴隷のように、兵隊のように国民を飼いならそうとすることに強烈に反発を感じるのだ。


更新時間 : 22:35:15

1月19日 (土)

はる 6471
 今日は県立図書館で「人生フルーツ」という映画を観た。建築家の旦那さんと仲良く暮らす日々映像化したものだ。途中旦那さんが実際に亡くなってしまうのでちょっとうるっと来た。まぁ90歳になるわけだから、仕方ないと言えばそうなんだけどね。自分達もいずれいなくなってしまう。いやそんなことを描いた映画ではないよ。

 元々は高度成長期に宅地の開発を任されたデベローッパーだったわけだ。要するに当時いろんなところで開発された山を削ってマッチ箱のようなコンクリートの団地を作る側にいたわけだ。ところが彼はそういった無機質の住宅というものに違和感を感じていたわけだな。だから少なくとも周りに雑木林をつくったりして周りの環境を調えたかったんだな。しかし、当時はそんな共通認識はなかなか取れなかったんだな。

 自宅の周りに里山のような雑木林をつくってその中に棲むスタイルを提唱したんだな。当時まだ幼木だった木が30年たって大木に育って、四季折々の花や木の実や果物が自分たちの生活を豊かにしていく。気になった言葉「住宅は宝石箱のようでなくてはならない」

 昨日の話の続きのようだけれど、生きる方法は色々あっていいんだと思うだな。例えばさ、大学生が三年になるともう就活を考えて会社まわりなどを始めるわけだ。髪を切ってスーツをあつらえてね。レールに乗って生きないと乗り遅れるみたいにね。それが普通になると、それ以外は考えられなくなってしまう。それ以外は落ちこぼれになってしまう。

 まぁ日本の教育自体がそういったふうに一斉教育を良しとするところがあるよな。異端は認めない。皆と一緒が一番いい。いろいろ考えるな。みたいなね。そんな教育をしておいて、さぁ自分たちの意見を言え、好きに生きていいのだといわれても、土台無理な話だ。政治の話はタブーになってしまう。お上には逆らえない。逆らうと食って行けない、そんな空気が出来上がってしまう。

 本当はさ、極端な話、就職なんてしなくても生きて行けるんだ。仕事は自分で考えて何でもやればいい。雇ってもらわないとという発想がもう違うと思う。自分で起業すればいい。住むところも自分で作ればいい。穴掘って掘立小屋でも建てればいいじゃない。いっそ自由だ。

 人生はフルーツってそういう事言っている気がした。

更新時間 : 22:41:49

1月18日 (金)

はる 6470
 今の場所に引っ越してきて25年ほど過ぎた。元々古い中古住宅を自分で改装したものだが、当時は遊びながら好きなように改装することに本当に寝食を忘れて没頭した。何の技術もなかったので見よう見真似でそれらしくやっただけのことだ。けれども、棲家というものは本来そんなもんだろう。地震が起きたらとか台風が来たらとか、もちろん色々あるのだろうけれど、どんなに備えても壊れる時は壊れる。水に漬かればそれまでだ。

 風呂に入ってきます。

更新時間 : 23:16:22

1月17日 (木)

はる 6469

更新時間 : 22:09:43

1月16日 (水)

はる 6468
 仮のタイトルを「花」にしたけれど、もう少し考えるつもり。これはS100というとんでもなくデカいサイズ(162x162cm)のパネルに赤い花一輪しか描かれていない。普通はもたない大きさだな。ものすごい冒険なんだけれど、なんとかこれで行きたい。もう少し眺めてみてだめなら壊してしまうだろう。

 花を描こうとは思っていなかった。ところがやっているうちに大きな花一輪が見えてきた。中から出てきたものだ。このサイズで花一輪描けたらたらおもしろいだろうなぁと思った。大きな茫洋とした、そんな花がかけたらいいなと思った。

 「菩薩」かな。仏になる前の一歩手前の仏さん。


更新時間 : 00:02:53

1月15日 (火)

はる 6467
 今住んでるところはわりと古い町で、周りは年寄りばかりだ。私たち夫婦が若い部類に入るのだから推して知るべしだな。最近は子供たちが帰ってきて親と一緒に住むという事も少なくて、ほとんどが老夫婦か一人暮らしの老人ということになる。それもここ最近は一人二人と亡くなって空き家になるばかりだ。昔はそこそこ灯りがついていたのが、どんどん過疎化して夜になると無人の家々はとんでもなく寂しい風景だな。通り道が暗くて、それもさみしい。

 全国的にみてもここは空き家率が高いらしい。少子化、高齢化これはここだけのはなしではない。何か魅力的な政策や夢を語るようなイベントでもない限りこのまま終わってしまうのではないかと危惧する。まぁ悪い事ばかりではないと思うのだけれどね。一時しのぎのイベントに頼るのもなさけないはなしだ。

 我が町の知事選が始まった。候補者のインタヴューを観たけれど、どの人も魅力ないな。全国で注目されているらしいけど、情けないような候補者ばかりだ。政治家として一番大事な魅力に欠ける。この人たちの中から選ばなきゃならないのは不幸だな。

更新時間 : 23:03:12

1月14日 (月)

はる 6466
 古い挿絵を新聞記事からスキャンして取りました。新聞小説の挿絵は初めての経験だったので面白かった。今から考えると作品をコピーして取って置けばよかったと後悔している。原画はもう一枚しか残っていない。

 挿絵の場合物語はもうすでにある。だからある意味でひとつ楽なところがあるように思うな。いつもなら自分で物語を絵の中から考えなければならない訳だからね。新しい経験は必ず新しい発想を生むきっかけとなる。もう25年も前の事だった。

更新時間 : 20:45:25

1月13日 (日)

はる 6465
 昨日の唯一手元にある挿絵の原画
 当時はまだパソコンを使っていなかったので、資料が新聞の切り抜きしか残っていない。そうだなコピーして持っていればよかったな。

更新時間 : 23:20:45

1月12日 (土)

はる 6464
 ぱす

更新時間 : 22:26:38

1月11日 (金)

はる 6463
 昨日と今日にかけてこんなことがあった。発端は一通のメールから。「新聞に掲載された絵についてお尋ねしたことがあります。連絡ください」という内容だった。新聞に掲載された絵という漠然としたはなしなので、ひょっとするといつもの詐欺のような話なのではかと、無視しようかどうか少し考えた。まったく少しばかり新聞に名前が載ったり公募展に入選したりすると、絵に群がるように電話がかかってくる。世の中はあの手この手で人を騙そうとしていると、お爺さんは疑心案義になるのだな。

 まぁ用心してメールで内容の確認をする。「いつの新聞のどの新聞のどんな記事ですか」というメールを送った。解答は「15年ほど前の山梨日日新聞に掲載された文学賞の受賞作の挿絵の話です」何だか分かったような分からん話。満更詐欺でもないようなので、直接電話することにした。原稿はもう他人に渡っているものあるし、ほとんどは文学館の所有になっている。手元にはオリジナルは一点だけ隠し持っているけどね。

 というわけで、電話した。まぁ要するに私の挿絵が欲しいとかそういう話ではなくてね。その著者のプロフィールの紹介のためにちょっと使わせてほしいということらしい。何だかスケベ根性で大いに期待したのは大きな間違いだった。まぁそれでもそうやって著作権のことで作家に直接承諾を得ようというスタンスは凄いな。だまって使ってしまっても分からんけどな。

 まだちょっとオープンできないけど、近いうちにテレビで放映されるかもしれんということだ。決まったらまたここに書きますよ。

更新時間 : 22:14:56

1月10日 (木)

はる 6462
2018「思いがけぬ邂逅」F6部分 No2153 混成技法
未発表
・・・・・・・・・・
一行の詩のためには、
 あまたの都市、
 あまたの人々、
 あまたの書物を見なければならぬ。
 あまたの禽獣を知らねばならぬ。
 空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、
 朝開く小さな草花のうなだれた羞らい(はじらい)を究 めねばならぬ。
 まだ知らぬ国々の道、

 思いがけぬ邂逅。

 遠くから近づいて来るのが見える別離。――
 まだその意味がつかねずに残されている少年の日の思い出。
 喜びをわざわざもたらしてくれたのに、
 それがよくわからぬため、
 むごく心を悲しませてしまった両親のこと……。
 さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる
 少年時代の病気。
 静かなしんしんとした部屋で過ごした一日。
 海べりの朝。
 海そのものの姿
 あすこの海、
 ここの海。
 空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の  夜々。
 それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。
 いや、ただすべてを思い出すだけなら、
 実はまだなんでもないのだ。
 一夜一夜が、
 少しも前の夜に似ぬ夜毎のねやの営み。
 産婦のさけぶ叫び。
 白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、
 ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。
 詩人はそれを思い出にもたねばならぬ。
 死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、
 開け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で
 死人のお通夜もしなければならぬ。
 しかも、こうした追憶を持つだけなら。
 一向なんの足しにもならぬのだ。
 追憶が多くなれば、
 次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。
 そして、
 再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。
 思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。
 追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、
 名まえのわからぬものとなり、
 もはや僕ら自身と区別することができなくなって、
 初めてふとした偶然に、
 一編の詩の最初の言葉は、
 それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れてくるのだ。
 
            リルケ「マルテの手記」より

更新時間 : 23:41:40

1月9日 (水)

はる 6461
 もう今年は九日過ぎてしまった。今年で67になる。本当にそんな歳なの?と聞きたくなるけど、どうやら本当らしい。立派な爺さんだ。何でもないところでつまずいたり、ころんだりするからな。やや足しこしに老化が来ているのだろう。

 大それた野望などもうすでに遠い所になってしまった。できたら時代を代表するような一流の表現者になりたかったのだけれど、もうたぶんお呼びじゃないだろうな。どう考えてもピカソやセザンヌにはなれんだろう。あたりまえだけどな。でも志はそう思っていた訳だから何ともおめでたい話だ。ざっと今までの作品を眺めて、どう贔屓目に見てもどこかで観たことのある一介の作家にすぎない。

 一年かけて制作した作品を旅芸人よろしくドサマワリして売り歩く。それを生業にしている訳だからまぁそんなもんかもしれん。

 さて、もう少しがんばるかな。

更新時間 : 23:42:45

1月8日 (火)

はる 6460
 昨日の朝日新聞の全面広告。潮目が変わるか?一人の生活者として空気を読まない日常感覚です。小さな一言がやがて大きな波になって行くのです。どうどうと言っていいのです。


更新時間 : 21:34:06

1月7日 (月)

はる 6459
 昨年知り合いの会社が不渡りをだして倒産した。小さな会社で従業員は家族だけの会社ともいえないような小さな町の会社だ。それでも一つの会社が倒産すればそれなりの社会的なペナルティが課せられる。まぁそれが当然と言えば当然だけどな。住んでいる家を抵当に取られてそこから出て行かなくてはならなくなった。親父はもう少しボケが始まったようで、奥さんが走り回っている様子が手に取れて何だかかわいそうで見て居られない。長年会社をやっていればいい時もあるし、悪い時もあるだろう。けれど何もよりによってこの歳になっての倒産は本当に酷だ。社会的な信頼も、自身のプライドも何もかも失ってしまって腑抜けのようになってしまった親父さんを見るのはとてもつらいな。

 何でこんなことを書こうと思ったかというと、あの震災で国家的な犯罪を犯した大企業が何のお咎めもなくのうのうと未だに営業しているという事実だ。予測できなかったとかなんとか適当な事ほざいているけれど、そんなものは関係ない。事実国土の何割か人が住めない地域を作りだし、そのために未だに難民、流民生活をせざるを得ない人々を作ってしまった責任はあの企業と国は負わねばならない。いや、責任などという甘ちょろいもんじゃすまされない。それが法治国家の当然あるべき姿だろう。それがうやむやにされるような国はもうすでに破たんしている。どこかオカシイ。そう思わないか。

更新時間 : 22:06:18

1月6日 (日)

はる 6458
何でそんなに個展をやるのか、という質問を受けたので何となく答えてみようかと思います。まずそうだな、どんなふうに生きて行こうかと考えた。絵を描いてゆくそれは大前提としてある。けれど正業を持たない限り収入は全く関係のないアルバイトか、カルチャーの講師や非常勤しか稼ぐ方法はない。まぁそれでも生きて行ければそれでもいいのだけれど、それでは絵描きとは言えないわな。いいなぁと思ったのはメジャーデビュー前のロックバンドやアマチュアバンドだ。最近のミュージシャンはメジャーデビューさえするつもりはないようだ。自分でCDを作ってそれを引っ提げて定期的に呼んでくれる地方のライブハウスなどでコンサートをやって自分のCDを売ったりしている。その方がメジャーデビューするより効率がいいそうだ。メジャーになるつもりがないなら、そういった生業も可能だなと思った。まぁ一か所で完売できるような実力と知名度があればそんなにたくさん個展をやる必要もないのだけれど、私にはこういったドサマワリの旅芸人のような暮らしの方が似合っているなと思った次第。

メモ ユーミンコード
https://www.ufret.jp/song.php?data=1733

更新時間 : 23:07:18

1月5日 (土)

はる 6457
 今日は三井君と深沢で麻雀をした。

更新時間 : 23:41:34

1月4日 (金)

はる 6456
 一見公平に見えてその実不公平だというのはよくある政治のテクニックだな。例えば今の自民党議員の数。今の状態をみれば国民の三分の二が支持しているように見える。が実際は国民の数パーセントに過ぎない。で、彼らは国民の信託を受けたと法螺吹きまくる。ありえんけれど、議会制民主主義いうもんは多数決で決まりよんねんな。だからどんどん手前たちのいいように法律かえてしまいよんねん。改憲反対や。大反対や。

 しかし、何でわざわざ国土を汚すの?高レベル放射能廃棄物って原発のウンコでしょ。もともとトイレがない状態で稼働すれば国土全体が汚染されてゆくのは分かっていたはずだよね。あえてなぜ国土を汚すことを前提にするのかがわからない。あれだけの事故を起こしておいてそれでもまだ止められないってどんだけ馬鹿なの。国を動かしている人たちは高学歴のエリートでしょ。なぜ簡単な算数が理解できないのでしょ。あんたらもう辞めなさい。辞職しなさい。そこら辺の小学生に替わってもらいなさい。


更新時間 : 21:12:12

1月3日 (木)

はる 6455
奴隷にも自由がある、何も考えなくいいという自由だ。主人の言うなりに従ってさえいれば、寝るところと食うことには困らない。しかし、そこに安住してしまうとどんな無理難題も理不尽も不条理にも何も感じなくなってしまう。反対に自由だ人権を主張することが、自分たちの立ち位置を脅かすものに見えてしまう。今の社会をみているとそんなふうに思える。飼いならされた自由は真の自由ではない。自由は身を捨てる覚悟で勝ち取ってゆくものだ。一人一人が自尊独立して連帯することが権力を持つものにとって一番恐ろしいことなのだな。今こそ反戦歌を唄うべきだ。

更新時間 : 20:59:24

1月2日 (水)

はる 6454
 正月も子供頃が楽しかったな。特に何もなかったけれど、親父がいて家族全員が勢ぞろいしてあらたまって「おめでとうございます」とお屠蘇をいただく。百円ぐらいのお年玉もらって、それだけだったけど正月っていいなと思った。絵に描いたように子供たちは刈り取った田んぼで凧揚げをしていて、コマを回して遊んでいた。これは今時では絶対にありえない風景だな。貧しかったけどな、日本全体がそうだったから、特に貧乏がつらいなんて思わなかった。

 今はどうなんだろう。正月も普通の休日とかわらんな。というのかほとんど毎日が休日のようだからな。まぁ生涯現役で仕事しているというだけだ。個展をやって画廊に来てくれるお客さんと話をするのが一番面白いかな。

 明日から少し仕事始めよう。本年もよろしく。

更新時間 : 22:51:17

1月1日 (火)

はる 6453
 明けましておめでとうございます。本年もこのブログともどもよろしくお願いいたします。

 年末まで個展をやっていたせいか、風邪をひいてしまいましてちょっと臥せっておりました。少し前にお知らせしましたように、ここ二年連続で喪中でございました。かといって喪中のお知らせもしませんでしたが、自分の中では喪中扱いでした。それでいっそのこと年賀状を昨年からやめてしまいました。そんなことで、色んなところに不義理を致しておりますが、よろしくお願いいたします。活動のご報告は年がら年中出しておりますので、それで何となく元気でやっているのだとご推察下さいませ。

 2019年も四か所で個展を計画しております。なにとぞお近くの会場でお会いできることを切に願っております。今年もよろしくお付き合いのほどを!

更新時間 : 21:25:07

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