1.古いパネルにプリント模様の生地をボンドで貼り付ける。下地がでこぼこしているので、生地を水に下して硬い刷毛でたたきつけて、密着させる。
2.壁土を塗りこむ。布、土、ボンドが何重にも重なって強靭なマチエールをつくっている。
 ふと日本古来の漆器を思い出す。木地に布をまいてさらに漆を幾重にも塗って行くことで、日常使いにも対応できる強いベースを作ることができる。素材は違うけれど、やや似ているような気もする。
 素材は異なるけれど、西欧のイコンの制作過程もやや似ている。大きな一枚板に布、ニカワ、白亜と交互に塗りこめて行く。
 今手に入れることができる材料で作るというのが「現代美術」ということだと思うのだが、どうだろう。
3.ベンガラを塗りこんで、さらに金泥を塗る。布の赤と絵の具の金が錦のようで美しい。しかしこのままでは仕事は進まないので、壊しにかかる。
4.ベンガラ+墨をたらし込む。墨が溜まる所と流れる所がむらになって面白い。
5.薄い緑の土製絵の具をかける。三原色の青の絵の具はあまり使うことがない。主調色は土の色(褐色)なので、ポイントとして反対色の緑を少し入れる。
 美しい割合というものがどういったものかよくわからないけれど、西欧では1:1.618の黄金比が美しいとされる。四分六ぐらいか。私の感覚では七三ぐらいが好きだな。
6.実際にここで何をしたのかおぼえていない。何かの形を見つけ出そうとしたようだが失敗している。
7.で、あきらめて黄土を塗りこめた。ほとんど何もない状態にまで還元されてしまった。壊す時は大胆に。さてどうなるのか?
8.またベンガラ+墨をたらし込む。黒と黄色のバランスが美しい。
9.実際にはここに至るまでにもう一度赤に還元されている。面倒なので省いた。基本的には気に入ったものが出てくるまで、納得するまで何回も繰り返す。そろそろ何かが見えてこないか?
10.ここで最初に笛を吹く男が画面に出てくる。この男を中心に何人かの人物が出てきた。分かりますか?
 音楽は好きなテーマでここまでに何回も絵にして来た。ピエロとか曲芸師、楽師、芸人、行者、乞食、そういった人間に自分の姿を投影する。何のために、誰の為に、絵を描くのか?
 
 
11.バックを白い壁土で塗りこめる。物の形は白黒のシルエットが一番分かりやすく、強い。大体こんな感じで行くことになった。
12.「暗」とか「闇」という漢字にも「音」という字が入っている。何故か不思議に思ったことはありませんか。
 何かの気配というものは、音とともに降りてくる。目を閉じて、耳をすますことで感じるものらしい。闇はその前提となる。
 
 「かぜのおとづれ」という一昨年(04)のテーマが思い浮かぶ。
13.中心の人物を描きこむ。胡粉(白)にすることで周りとの区別をつける。画面の下の部分をどうするか?
14.部分を描きこめばそこそこ描写はできるだろう。けれど、描きこむことで逃げてしまうものも多い。どこにもない自分だけの顔とか、形、絵、ができればいい。
 上手いは飽きる。徹底して下手くそでいい。下手でいい絵が描けないものか。
 昨年(05)のテーマ「有為の奥山、今日越えて、浅き夢みず、酔いもせず」
 「あるがまま、なすがまま」で生きたい。
15.画面を閉める。結界をはることで、終わりにした。
16.完成とする。全体 部分1 部分2 部分3

「美術の窓」2006 7月号国画展評
榎並和春「かぜのおとづれ」
長い事風雨に晒されたかのような、ゴツゴツとした触覚的な絵肌の奥から,笛を吹く男の姿や帽子を被った旅人らしき男、あるいはピエロのような姿が浮かび上がってくる。ベージュ系の温かい色調に,強いノスタルジーが喚起される。画家の心と語り合う、内界の住人達なのかもしれない。また、旅芸人の一行のような、孤独と哀愁も伝わってくる。真ん中の男が横笛を吹いているけれども、眺めていると、風の吹く音の背後から、尺八の音色のようなものが聞こえてくる。そういった日本的な響きがあるのも、この作品の特徴であり魅力だとおもう。-本文より
06 「かぜのおとづれ」F130