2010 12月

12月31日 (金)

はる 3477
 いよいよ今年も終わりです。大晦日。今日は久しぶりに寒いです。

 午前中は描きかけの100号の絵に手を入れる。まぁそこそこのグレードは出てきたかな。

更新時間 : 14:52:26

12月30日 (木)

はる 3476
 パソコンなどを使っていると、最初は何でもかんでもフォルダのなかに保存してゆく。まぁあとで整理すればいいやと先延ばしにする。そうするとあっという間に色んなファイルがやたらと増えて、どこに何があるのか分からなくなってしまう。 其のファイルが何を記録したのかそれさえも分からなくなる。情報はそこにあるのだけれど、全く使えない状態だな。

更新時間 : 14:45:17

12月29日 (水)

はる 3475
 今年も後二日になった。今日は台所のレンジ周りや窓の掃除をした。どちらかと言えば「ほこりで死ぬことはない」というタイプなので、掃除は得意ではない。アトリエの床は仕事が終われば簡単に拭いたりするけれど、大体が細々したものが床に置きっぱなしなので、混沌としている。

 昨日来年早々に二年ほど青年海外協力隊で日本を離れる教え子が挨拶にきた。色んな世間話をしながらたまたま現代美術の話になった。この間から考えていたことの続きのようなことだけれど、少し書いてみよう。

 絵画を色と形にどんどん分解してゆくところまでは話をした。本当は絵画なら絵画、音楽なら音楽を、そのままの形で堪能すればいいのだけれど、どうしてあえて分解してゆくのだろう。そこのところを質問されて答えに困った。

 そうだなぁ、例えば子供の頃に目覚まし時計やおもちゃを分解したことはないだろうか。物を理解するというのは、ものごとを理解するうえで一番初めに取り掛かることではないかな。

 例えば遺伝子そのものは昔から知られていた。ところがその遺伝子がどういった形で遺伝に関係してゆくのか、遺伝子そのものは何でできているのか、遺伝子のどの部分がどんな情報をもっているのか・・、そのことは遺伝子そのものをもっと小さい構成要素まで分解しなければ分からなかったはずだな。

 例えば、この世界を構成している要素は何かということで、昔から色々考えられてきた。一番分かりやすいのは目で直接見ることができる、木とか水とか火とか土などだな。ところが科学が進んでくると、水は酸素と水素で出来ているんだということがわかってくる、やがて水素分子は原子核と一個の電子でできているということになり、さらに原子は・・・と続いてゆく。今の時点でというだけで、さらに科学が進めばもっと細かく分けてゆくことができるかもしれない。結局こういうことができる。今の科学的な理解で分解できるまでということだな。

 コンピュータの出現で事態は急変した。分解解析能力が飛躍的に向上した。しかし、はたしてそれが絵画を理解したということになるのかどうか、少々苦しくなってきた。

 ところで、物事を分解解析した理由は何だったということだな。突き詰めてゆけば、全てのものを等価値に置いて自分の意思で自由に使う権利が欲しかったのかな。

 ところで今流行のインスタレーション(設置芸術)などを、どう理解するかというと、これは昨日しゃべりながら気がついたことなんだけれど、これは時間をも分解して自由したものかもしれないな。


 

更新時間 : 23:23:58

12月28日 (火)

はる 3474
 イノうえ・ナおひさのイバラード日記」より勝手引用
http://megezo.ddo.jp/inoue/tackynote.cgi?action=view&year=2010&month=12&day=28&no=1054#1
・・・・・・・・・・・・・・
 略・・
僕も以前は、とくに若い頃は
「作品だけ見てもらえればいい、説明は必要ない」と思っていた。
しかし作者からの説明は、言葉の表向きの意味よりも、
その語り口、話の持って行きよう、言葉の選び方、目の付け方が面白い。
そういうもので作者の心の作り方が見えてくる気がする。
作品の見方も、なお深まる気がする。
・・略


更新時間 : 23:09:41

12月27日 (月)

はる 3473
 いつの間にか還暦も近いこんな年になってしまったけれど、自分の中じゃまだまだという気がしている。いや、まだ入り口に差し掛かったばかりだという気がしてならない。そう、けっして冗談ではなくて、まだほとんど何も見えていない状態で、これで終わってしまったんじゃ、長々とやってきた意味がない。これから面白くなってくるように思うんだな。本当に。

 昨日の「才能は贈り物」というのもなかなか名言だな。英語の「gift」の意味が「天賦の才能」の意味もあるということなので、確かに天から与えられたもので、自分の努力で勝ち取った能力ではないのかもしれない。

 しかし、この間から書いていることと共通することかもしれないが、才能があって努力しないで、何でもすらすら出来てしまうものは、案外長続きしない。なかなか上手く行かなくてちょっとばかり努力して、何とかかじりついている人に、天は少しだけご褒美をくれるものだ。それが「味わい」とか「雰囲気」になるのかな。天賦の才能がない凡人はそこまでやらなければ一人前にはなれない。

 昨日の文章で「そうだそうだ」と思ったのは、いい作品ができた時は自分が描いたものじゃない気がするってことだな。自分が持っているもので「こんなものが描けるはずがない」といつも思うんだな。

 言い訳なんだけれど、こう集中して一心不乱に絵を描くということも一つの「あちらの世界」に行く方法だけれど、方法はそれだけじゃないような気がするんだな。例えば裸婦のクロッキーなどをしている時、頭の中は空っぽで一瞬「狐がついている」状態になる。そんな時に引いた線は常では真似ができない「いい線」が引かれている。あっ「いまいい線が引けてる」と思うともうだめなんだ。気持ちがこちらに戻っているからね。

 もう一つはぶらぶらアトリエで遊んでいて、本読んだり、時々ちらちら絵を観てるわけだ。色んな絵をちょこっとずつてをいれている。決して一つの絵に集中することはない。そんな時にぽっといい絵が描けていたりする。後から気付くんだけどね。「これいいじゃん」みたいに。

 思うに「自分の手の内だけで描いたもの」というのはまぁ安心できるし、破綻もないほどほどの出来だと思うんだな。だけど本当にいいものというのは「自分が描いたものじゃない」誰かが私を通して描かせたもののようなきがする。まぁこんな描き方なので良かったり悪かったり色々だな。


更新時間 : 23:01:56

12月26日 (日)

はる 3472
内田樹の研究室より勝手引用
http://blog.tatsuru.com/2010/12/26_1356.php
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前略・・
才能はある種の贈り物である。
それに対する反対給付義務は、その贈り物のもたらした利益を別の誰かに向けて、いかなる対価も求めない純粋贈与として差し出すことによってしか果たされない。
けれども実に多くの「才能ある若者」たちは、返礼義務を怠ってしまう。
「自分の才能が自分にもたらした利益はすべて自分の私有財産である。誰ともこれをシェアする必要を私は認めない」という利己的な構えを「危険だ」というふうに思う人はしだいに稀な存在になりつつある。
でも、ほんとうに危険なのである。
中略・・
スランプというのは「私たちにできるはずがないのに、軽々とできていたこと」ができなくなることを言うのである。
「できるから、できる」ことと、「できるはずがないのに、できる」ことはまるで別のことである。
「できるはずのないことが、自分にはできる(だから、この能力は私物ではない)」と自覚しえたものだけが、次の贈与サイクルの創始者になることができる。
自分は世のため人のために何をなしうるか、という問いを切実に引き受けるものだけが、才能の枯渇をまぬかれることができる。
「自分は世のため人のために何をなしうるか」という問いは、自分の才能の成り立ちと機能についての徹底的な省察を要求するからである。
自分が成し遂げたことのうち、「これだけは自分が創造したものだ」「これは誰にも依存しないオリジナルだ」と言いうるようなものは、ほとんど一つもないことを思い知らせてくれるからである。
後略・・

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更新時間 : 22:16:47

12月25日 (土)

はる 3471
 クリスマスです。この日はクリスチャンであろうとなかろうと、多くの日本人が節操なく浮かれていることでしょう。ご多分に漏れず私なんかもウキウキ楽しんだ方です。

 昔はケーキなど大っぴらに食べられるのはこの時だけで、今から考えるとイチゴが乗っていたり、チョコレートがのっていたり、生クリームがたっぷり、そういったデコレーションも珍しかったのかもしれないな。アイスクリームのケーキなども始めて食ったのは遠い昔のクリスマスイブじゃなかったかな。

 今は反対に生クリームがのったケーキは出来るだけ控えるそんな年になったということだな。そのことがそんなに楽しいことではなくなったというのは若干寂しいことではある。

 クリスマスの最初の想い出は、日曜学校で下町の大きな教会に出掛けたことだ。サンタの格好したおじいさんがいたことにもびっくりしたけれど、何よりも天井が高い真っ暗な空間に音楽と共に中に入ってゆくことが、今までかつて経験したことがない大きなカルチャーショックだった。今考えるとどこにでもある下町の小さな教会だったのじゃないかと思うのだけれど、そういった経験は長い人生でそうあるものではない。

 私の人生でこの日曜学校というのがとても重要な位置をしめているな。当時の日本の文化的な状況を考慮して考えなくてはならないのだけれど、まだテレビもなく唯一ラジオが極普通の家庭では重要な娯楽であったころの話ですよ。ラジオからは今で言うポップスなどはあまりかからないわけだ。親父はよく浪花節を聞いていた。

 テーブルなどというハイカラなものはなく、長い食卓に全員が正座して並んで飯を食ったものだ。冬の暖房は火鉢一つだったきがする。そでも不満はなにもなかった。

 そんな普段の生活の中で、時に出掛ける日曜学校の家庭はふかふかのカーペットが敷いてあり、ガススーブがあって異様に暖かだった。近所のガキどもはおやつほしさに三々五々集まってはだべっていたように思う。それでも其の家では邪魔者扱いにはされなかった。

 前にも書いたけれどそこでもらうラファエロのカードがカラーだったな。色がついているそういった写真は当時貴重だったきがするな。いまじゃなんでもないけど・・。

 異国趣味というのではない。知らないみたこともない世界というのは豊かで途方もなく魅力に満ちているんだな。日曜学校というのはそんな世界を見せてくれる小さな窓だったんだな。

更新時間 : 23:58:10

12月24日 (金)

はる 3470
 クリスマス・イブです。楽しんでますか?

更新時間 : 21:30:31

12月23日 (木)

はる 3469
 こうやってパソコンの前に座って何やら一日の反省なり出来事を振り返る時というのはけっこう幸せな時間かもしれない。

 随分昔そうだなぁ、日記そのものは中学生の頃からつけていた。多分時々だったろうけれど、小さな手帳でカレンダーのつきのものに日々の事などを簡単につけていた。それが意識的に日記として付け始めたのは高校生になって自我が出てきた頃だろうか。何冊も日記帳は更新されたけれど、ある時に全て処分してしまった。

 意外に読み直すことなどなくてね。これはその時々にものを考える道具でしかない。後に残ったものはカスでしかないね。私の場合はっきりしている、それは読む人を意識していないので作品ではない。

 ツイッターをやらないのか?と言われることが時々ある。やった事がないのでいい悪いは全く分からないのだけれど、二三日前のある人のブログにツイッターについての面白い考察が書かれていた。

 ツイッターというのは今までにないかった全く新しい身体的メディアだというのだな。ブログなどと同じようにパソコンや携帯を使って自己表現するのだけれど、決定的に違うのは「リアルタイムな身体的表現が多い」ということだ。どういうことかといえば例えば「寒い」とか「眠い」とか「腹減った」とかそういった記事が決定的に多いらしい。

 人が日々生きている時の意思決定の多くはそういったことで、寒いから一枚よけいに着るとか眠いから寝るとか、そんなことが日々刻々と繰り返されているわけだ。だから短時間にショートなメッセージというのはそんな表現が多くなってしまうのだろう。

 ブログの場合、こうやって椅子に座って、さて今日は何を書こうかなと一日を回顧的に振り返って思索にふけるようなところがあって、ここでは寒いとか腹減ったとか、何か食べに行くなどというのは思索のうちには入らないわけだ。

 と言うわけで私は多分ツイッターはやらないのじゃないかと思う。将来的にはわかりませんがね。あぁ眠いなぁ・・。

更新時間 : 21:47:35

12月22日 (水)

はる 3468
 街中の新しいテナントどうすればいいなかな・・。と全くの無関係な私でも考える。どうすれば利用客が喜んで二度三度訪れるそんな楽しい場所になるだろうかと。誰に頼まれたわけもなく、また多分だれも意見など聞いてはくれないのだろうけれどね。

 こんな話をどこからか聞いた。出店するお店が集まらなかった。だから何だか寄せ集めのようなちゃちな模擬店のような店しか出来なかったらしい。それも出店すれば半年くらいは助成金が出るから、別に商売として売り上げが上がらなくてもいいらしい。それで半年過ぎればさっさと出てゆくわけだ。

 マンションの不動産やを思い出した。田舎の土地持ちに不動産やさんが土地活用の話を持ちかける。「お宅の土地空いてるじゃ活用しませんか、マンション建てて家賃収入で老後は安泰ですよ」で土地を担保に借金させてマンションを建てる。最初は不動産やさんの息のかかったお客さんが店子になって家賃収入が入る。ところが名目だけの住民だからどんどん引越ししてしまう。家賃収入が入らなくて借金ばかりが増えて、やがて土地も権利も何もかも失うというよく出来たはなし。

 今までも街中には空きビルがいくらもあった。旧西武デパートの「県民プラザ」ダイエーが入っていた「市営のあるじゃん」誰も借り手がなくて、苦肉の策ですべて公の施設になっていた。それが分かっているにもかかわらず巨大な資金をかけてまた空きビルを作るその驚くほどの無策ぶりにあきれる。勝算があって昔のビルを壊して新しいビルを建てたのじゃないのか。ほんの一時の場ふさぎ、言い逃れだけのために何百億もの税金を投入したのか。なぜもっと真剣に努力しないのか、テナントが入らないのなら、なんとしても入るように考えないのか。アイデァを出さないのか。不思議だな、あなたたちのやっていることは。

 こんままじゃ、街中に新築の空きビルが一つ増えただけになってしまうだろう。



更新時間 : 00:13:50

12月21日 (火)

はる 3467
 鳴り物入りでオープンした中心街のテナントビルだったが、早くも年内に撤退するお店が出てきて、結論としてこんなものじゃ中心街の活性化は無理だということが分かった・・とか何とか県の関係者が語ったと新聞に出ていた。

 いまさら何を語っても遅きに過ぎないけれど、いつも思うのだがお役人は他人事でしかない。もちろん個々の人は一生懸命やっているのだろう。与えられた範囲でできるだけのことをするというのは人間の本能に近いものがある。けっして手抜きだとは言わないのだけれど、やっぱりどこかが他人事なんだな。どこか例えばそれで失敗しても仕事を失うわけでもないし、給料が減らされるわけでもない。そう思うとどこか腰がひけている。戦う前から結果は分かっていた。誰も責任をとらないし、評価もされない、そんな仕事は遣り甲斐もない。

 文句を言うだけじゃだれでも出来る。だったらどうするのがいいのか?自分だったらどうするのか、どうあってほしいのかを少し書いてみる。

 どこもかしこも駐車場ばかりで歯が抜けたような街中には何の魅力もない。人が町に集まるのは買い物や用事をするだけに集まるのではない。例えばお洒落して街中を歩いても誰も見てくれなきゃお洒落した甲斐がない。ショッピングしたりウィンドショッピングをしている自分の姿を誰かに見て欲しいのだな。またそんな人を眺めていたい。お祭りのような雑踏がほしい。


更新時間 : 22:07:50

12月20日 (月)

はる 3466
 健康で絵を描いていられるのは後20年ぐらいかな。もちろん絵は死ぬまで続けてはいけるだろうけれど、活発に問題意識をもって制作してゆけるのはあと10年ぐらいかもしれない。そう考えると有効期限が迫っている。



更新時間 : 22:10:57

12月19日 (日)

はる 3465
 先日隣駅が著名な建築家の設計で建てかえられたというので、ついでがあったので寄ってみた。何しろ今をときめく世界的な建築家なのでただただそれだけで田舎者は恐れ入ってしまう。これでもかという場違いの建物で田舎がよけいに際立ってしまった。道路も満足に出来ていないのに建物だけ世界的なものを持ってきてもちぐはぐだろう。

 地産地消が今の流行なのに形だけ世界で活躍する建築家に頼んでもそこが世界的に有名になるわけでもない。もっと言うなら本当ならそこを利用する地元の建築やさんに頼んだ方が、どう使えばいいかよく分かると思うな。多分世界的な建築家は利便性など全く考えていない。

 北口の開発もどうなっているのだろう。一向に進んでいない。何年か前に国体があって其の時に昔のぼろい駅舎じゃ恥ずかしいということで今の駅ビルになった。北口もその頃にきれいにした記憶がある。大きなケヤキを何本も植えて最近はけっこういい感じになっていた。

 ところが再開発なのか知らないけれど、あっという間にケヤキはどこかに移されて跡形もない。樹ってそんなに簡単に植え替えるものなの?百年二百年その場にあるから御神木にもなるわけで、人の都合で簡単に植え替えちゃだめだろう。芝居の書割じゃないんだからなぁ。

 それこそ百年ぐらいのスタンスでグランドデザイン決めて、将来どんな町にしたいかそんなコンセプトをもってやらないといくらお金かけてもまた引っこ抜いてお終いだ。スクラップあんどビルドばかりを繰り返して町中はどんどん安っぽくなるばかりだ。

 住んでいる人が楽しくなるような、住んでいない人も住みたくなるような町を作らなきゃ、町はどんどん寂れてゆく。どうしてもまだ肩書きやブランド、都会的なものに憧れているんだな。だから「世界的」な肩書きにやられてしまう。そのことが「貧しい」ということに気がつかないのだ。世界的が貧しいのではなく、そこだけに価値を見出してしまう見識のなさが貧しいのだ。

 田舎はいなかでいい。其のところにプライドをもつべきだな。


更新時間 : 23:39:51

12月18日 (土)

はる 3464
 今日は教室の忘年会。といっても街中で集まってみんなでホテルのレストランでランチを食べただけ。まぁ私がお酒を飲まないということもあるのか、アルコールがないのであまり普通の忘年会らしくはない。それでもワイワイと面白かった。10人足らずのメンバーだけれど、ちょうどこのくらいが適当かもしれないな。

 「平均律6」
 あまり考えてもいなかったのだが、印象派以降の絵画は解体する方向へと進んでいったように思う。「色と形」「リズムとハーモニー」それぞれを純粋に一つの要素として考え始めるとバラバラに解体される。その後さらに進んでピカソなどの立体派によってバラバラになった要素を自分のルールでもって再構成されるようになる。ここまで来るとモチーフの描写から離れて物は形のきっかけに過ぎなくなってくる。

 その後何をしたかと言えば、道具とか材料まで問われることになる。少し前に祖先返りのように絵の具の組成や材料が注目され、キャンバスを手作りしたり下地から作ったりするのが流行ったのは偶然ではない。色んな学校でも急に材料や組成の講義が増えたりした。全く面白いものだ。

 結局やっていることは音楽で言うところの純粋な音(平均律)による作曲を目指していたようにも考えられないか。



更新時間 : 00:20:35

12月17日 (金)

はる 3463
 パス

更新時間 : 23:37:54

12月16日 (木)

はる 3462
 自分の絵を描いている時「絵を描いている」という意識はあまりないなぁ。どちらかと言えば思索している、考えているといった方が近いかもしれない。クロッキーなどをしている時の方が遥かに「絵を描いている」と実感する。この間新聞小説の挿絵の仕事をやらしてもらったけれど、このときは絵を描いている気がした。ということは物を描写したり、写している状態の方が絵を描いているようだ。

 あぁ今日もまた眠くなってしまった。すんません、また明日。


更新時間 : 00:19:25

12月15日 (水)

はる 3461
 シャメを撮る暇がなかった。それもいいかなとも思う。昔のブログはテキストだけだった。いつの間にか写真が入るのが当たり前になってきたけれど、たまには文字だけもいいかな。

 平均律の話も尻切れとんぼになってしまた。結局何が書きたくてこんな話をはじめたのだろうか、いつも大体こうやって書きながら考える癖があるので、トータル番号も後から振り返ってつける事になる。だから話の結論もあいまいで終わりも明確でない。興が乗れば今回のように何日にもわたって考えることもあるし、眠くなってそのままになることも多い。誤字や脱字も気がつけば後から直しますが、気がつかない場合そのまま放ってあります。そればかりを気にししぎると筆が止まってしまいます。ちゃらんぽらんということで笑って許してくださいな。

 結局どこまで話を進めたのかな。「絵ではないもの」というところまでか。

 私の絵をみて抽象画をイメージする人はいないだろうな。しかし、絵の描き方そのものはほとんど具象的なものはなにもない。たまたま最後には何かしら具体的なものが描かれているので、具象画というふうになってはいるけれど、コンセプトそのものは現代絵画と同じなんだな。まあ、いつものことだけれど、今生きている我々が描いた絵はみんな「現代美術」には違いはないのだけれどね。

更新時間 : 23:45:11

12月14日 (火)

resonanceより勝手引用
http://resonance-1111.tumblr.com/post/2301560017#note-container
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描いている途中で「これはちゃんと着地するのか」と不安に思っていたところが面白かった。「創造」というのは必ず、不安な状態が通過点としてある。拡散していく思考と収束していく思考をせめぎあわせている。これは非常に普遍的な話だ。大抵は、その不安に耐え切れず、すぐに思考を収束させてしまいがちだ。それを、そう簡単には収束させないであえて拡散させ、最後は収束させる。
「子供」であり続けるための方法論 (茂木健一郎の「超一流の仕事脳」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
(Reblogged from milkcocoa)

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はる 3460
 疲れた。


更新時間 : 21:26:21

12月13日 (月)

はる 3459
 今日は冷たい雨が朝から降ってる。にもかかわらず今日は野暮用で車で松本まで出掛ける。途中松本市内はみぞれになったので、用事が済み次第あたふたと帰路についた。雪になると非常にやっかいなことになるのでね。よって何も見ず聞かず話さずただの運転手に徹する。無事家に着いたらくたびれてコタツで寝てしまった。そんな一日もある。

 日曜日は恒例のクロッキー会だった。今年はわりとまめに出席できた。用事がない限り必ず出席するようにしている。この会ももう20年ぐらいやっているのじゃないだろうか。市内じゃ草分け的な存在になった。創立メンバーは二人だけになった。最初は会場も色んな場所をジプシーのように転々としていた。いまではほとんど同じ会場がとれる。営利目的ではなく、有志が会費を出して運営しているので料金が安く済んでいるのが長く続いている理由かもしれない。

 人物を描くのは面白い。何年やってもうまくならないから続けられるのではないかな。デッサンの上手い人は最初っから上手い。特に訓練したわけでもないのに天才的に上手い人がいる。とても適わないな。けれど上手い人はすぐに飽きて描かなくなってしまうんだな。それで下手な人が残ると言うわけだ。いまさら人物がうまく描きたいというのも奇妙な話かもしれないが、手前味噌だが下手な人が長くやることで身につけた(技術)線というのはこれはこれで魅力があるんだな。兎と亀ではないが結局は愚図でのろまで長く続けたほうが勝ちというわけだ。
 
 自分が描いている絵とこのクロッキーはほとんど関係ないようにおもうけれどどうなんだろう。多少関係しているのだろうか。物を見えたように再現しているわけでもないし、頭うかんだ空想を表現しているわけでもない。漫画家や挿絵やイラストレーターのように物が説明できる絵がかけるわけでもない。

 私の絵は外見は絵のように見える。けれど、普通の意味の絵ではない気がするな。うまく説明できないけれど。よくわからん。


更新時間 : 23:37:05

12月12日 (日)

はる 3458
 今日は裸婦クロッキー12/12

更新時間 : 22:50:13

12月11日 (土)

はる 3457
 平均律5
 上の楽譜はバッハの「音楽の捧げもの」のメインテーマのフレーズです。フーガの手法なのでこのフレーズが色んな形や楽器でくりかえされる。昔小学学校の音楽の授業でやった輪唱をおもいだす。時に音が重なって美しいハーモニーを奏でる。

 ちなみに上の楽譜で繰り返して出てくる音を削除してゆくとB♭の音だけがありませんが、後は11個全ての音がこの短いフレーズの中に出てきます。

 難しいと思っていた現代音楽もこんなところに原点があるわけで、分かってしまえば何と言うこともないと思った。



更新時間 : 23:16:43

12月10日 (金)

はる 3456
 平均律4
 NHK・FMの日曜午後6時から「現代の音楽」という、50年以上続いている番組がある。民放なら一ヶ月続けばいいような視聴率だとおもうのだが、そこは親方日の丸のいいところで延々と誰が聞いているのか分からん番組を続けていける。

 学校や図書館、美術館、博物館、病院などもそうだけれど、はっきりいってもともと利益を当てにして運営するものではないでしょ。そんなところに何でもかんでも利益率とか効率ばかりを持ち込めば、まともに人を育てることなどできないね。郵政ののろまな融通の利かない対応はすこぶる腹が立つけれど、効率ばかり優先して何もない田舎の郵便局さえなくなってしまうのは困る。

 で、そのNHKがあるからこういった現代音楽の作曲家も一応全国区で自分の曲が流れる恩恵を受けるわけで、もしこの番組がなければ一生ラジオから自作の曲が流れることがなかっただろう。役に立たないものは必要ないものか?といえば効率からいえばそうなんだけれど、もっと長い目で見ればそうではないことがよく分かる。

 この間、国際的な教育到達度テストの結果が発表されていた。韓国や台湾、上海などがほとんどの分野で上位をしめ、かつて日本はほとんどの分野で上位を占めていたのが、今や凋落の一途で今回はやや持ち直したという講評だった。

 国の勢いだけを見ると、確かに日本はかつての勢いはない。あらゆる分野でアジアの新興勢力に脅かされて、ほぼ守りの体制しか取れないような情けない状態だ。

 国といった大きな話でなく、個人的な話で考えてみても、例えば若い頃、何が何でもとがんばれる時がある。目標が単純で見えやすい場合「欲しがりません勝までは」とハングリーな状態で叱咤激励、ケツをたたくのは簡単なんだな・・・・。

 話が横道にそれたので、もどす。

 NHK・FMの日曜午後6時から「現代の音楽」という、50年以上続いている番組がある。ここでずっと使われていたテーマ曲は何処か不思議なメロディーで耳に残っていた。現代音楽の番組の顔であるから、多分どこか現存の有名な作家の作品で私が知らないだけなんだろうなと推測していた。

 ある時にそれがバッハの「音楽の捧げ物」であることを知った。現代音楽の番組の顔が実は西欧音楽の古典バッハの作品だったというのは実に面白い話だ。それにもっと驚くべきことはこの作品は例の平均律の12音階で出来ているということだ。それこそ結局は一回りしてバッハに戻ってくる。深遠なバッハの音楽を聴くのである。
 

更新時間 : 22:38:26

12月9日 (木)

はる 3455
 平均律3
 私が平均律というタイトルの絵を描いたのは1990年で91年の国展に出品している。この絵は今から考えると油彩画の私の代表作ということになるのだろうか。その後美術館に収蔵された。

 当時平均律が何であるのかその深いところを理解してタイトルをつけたわけではない。バッハの平均律クラヴィーア曲が頭にあったことは確かだけれど、この「へいきんりつ」という言葉の響きが絵のタイトルにぴったりする気がしたからにすぎない。

 生半可な理解で間違っているかもしれませんが書きます。

 一オクターブを半音ずつ区切ってゆくと全部で12音になります。その全ての調子で作曲されたのが上の平均律クラヴィーア曲だそうです。だから長調、単調あわせて24曲になります。

 そういった楽理的な話も興味がありますが、私はどちらかと言えば全ての音、調子を網羅したというところに興味を持ちます。無論世界にはもっと色々な音があって、この平均律でカバーできない音楽の方が多いのだそうだが、とりあえず西欧音楽の上では一種の宇宙をあらわしているように思える。そのことに非常に共感を覚えるし興味がある。実際にその音楽は破綻がなく見事な調和を感じさせます。

 ところで西欧のクラッシク音楽は○○短調という形で表されます。ポップスで言えばキーということになるのでしょうか。絶対音感がある人にはわかりやすいのですが、我々のような凡人にはどれも同じに聴こえます。

 で、そういった調子を無視して作曲を始めたのが印象派の作曲家たちで、よく知られているのがドビッシーとかラヴェルです。彼らの音楽は音そのものが生きていて自由にきらきらと輝いている印象派の絵画のようですね。「月の光」とか「水の戯れ」など美しいです。

 その後、12音全てを同等にすべてを同じように使うという作曲理論をうち立てたのが、現代音楽の作曲家のシェーンベルクだ。だから彼の音楽には主題やテーマがほとんど感じられない。ドビッシーやラベルにはあった非常に情緒的な部分はきっぱりと取り落とされている。だから私などにはとっつきにくく難しい感じがするのだな。

 ところで、絵画の話に戻ると、印象派の画家たちが注目したのは色だった。光は虹の七色で出来ている。だから絵画も七色で描いて網膜上で合成すれば色はにごらないですむという訳だ。点描はよく観察すれば昔から多くの作家によってなされているのだけれど、特に色を分解して描いたのが印象派の画家たちだ。

 そこまで来ると色そのもの、それぞれの色が独立した関係で「絵画はある秩序でまとめられた色と形の集積だ」という抽象絵画の入り口は近い。冷たい抽象のモンドリアン、熱い抽象のカンデンスキーということになっている。

 さて、ここまで来て上の音楽の話と下の絵画の話が奇妙な類似点があることに気付く。音と色の違いはあるけれど、どちらも何かから自立する方向、源泉へと進んでいるように思えるところだ。

 

 

 

更新時間 : 22:45:00

12月8日 (水)

はる 3454
 平均律2 
 私が絵を本腰を入れて勉強し始めた80年代頃は、ちょうどバブルが始まりつつある時で、戦後の何も分からずしゃにむに欧米の真似をしていたど根性のハングリー精神から、少しは余裕ができ、自信もついて、ゆけゆけどんどんで大きく膨らみ始めた頃だ。いろんな意味で「自分たちの立ち位置」を確認する時代でもあった。

 美術大学なんかでも、今までほとんど省みられなかった材料や組成、修復みたいなものが割りと注目され始めた頃で、私の学んでいた学校でも、当時修復の第一人者である「油彩画の技術」の翻訳者、黒江光彦さんなどが来て講義をしていた。

 ある種の祖先返りだと思うのだけれど、時代というのはおかしなもので、今までもそこに注目していた人は居たんだろうけれど、全く注目されなかった。ところが時が来ると一気にスポットを浴びて花形の仕事になったりする。

 そこから多くのスターが出た。フレスコの絹谷幸二とか材料、修復の歌田圭介、テンペラの田口安男、有本利夫などもそこに入るかな。

更新時間 : 14:02:50

12月7日 (火)

はる 3453
平均律1
 油彩画を始めたきっかけは何だったのだろう。よくは覚えていないけれど、小学校か中学生の頃、風景写生で樹を描いた。普通の水彩絵の具を油彩画のように盛り上げて描いたらたまたまいい評価を得た。そうか油彩画というのは盛り上げて描くものなんだと納得した。

 兄貴との共同の勉強部屋に何点かの油彩画のカラー写真が飾ってあった。今から考えるとセザンヌの形のゆがんだ壷と器の絵と糸杉のゴッホだった。

 西欧文化に対する憧れはほとんど恋する乙女のようであり、舶来物のお菓子やおもちゃは垂涎のまとであり、当然絵画といえば油絵だった。

 絵を描き始めた頃、油彩画は独学であり、指南役はありとあらゆる美術雑誌と美術画集だった。そこでも最初に買ったのはセザンヌとゴッホだったな。

 美術雑誌「アトリエ」は、毎月買えないまでも必ず立ち読みをした。そこには一枚の絵がどのように描かれたのか、要領よく写真入で細かく掲載されていた。当時かなり有名な作家もそこに製作過程を掲載していて、今でもよく覚えているのは、国画会のスーパースターであったSさんが堂々と真似するならどうぞと言わんばかりに惜しげもなくご自分の手法を晒しているのに驚いて歓喜したものだ。さっそくそれを真似して何枚か仕上げたけれど、当然亜流にもならない似ても似つかない代物だった。

 技法というのは真似するものだし、真似されないのは魅力がないからで、そんな技法が一般化することはない。油彩画の技術はそれはもう西欧の有史以来の伝統があるわけで、とてもにわかに始めてもかなうものではない。ところが我々の先駆者は西欧に追いつき追い越すために血のにじむような努力をした。恵まれた者は実際に西欧に出掛けて、師匠について万巻の書を読んで研究した。それは美術だけではない黎明期の日本のどこでも見られた光景だったろう。

 そこには西欧の錬金術師やまがまがしい魔法使いと見間違えるような技術と技法が書かれている。我々にとって研究するとはそうやって万巻の書を読むこと、書物に書かれたことを忠実に再現して習得すること、そんな風にインプットされてしまった。そこにはオリジナルな独創がない。

 今日の新聞に今年度のノーベル化学賞の根岸英一さんの話が出ていた。独創的な研究、だれもやっていない大ヒットばかりを狙ってもだめだ。小さなヒットの繰り返しがやがて大きな独創的なアイディアに結びつくと言うふうなことが書かれていた。たぶんそれは今流行っている注目されている分野をやっても無理だとおもうんだな、もうすでに注目されている研究は多分手遅れなんだ。前ばかり見るのではなく一歩前に戻って考えることじゃないかな。そうすれば新しい糸口が見えてくるのだろう。

 新しいこと、誰もやってやっていない独創的なものということばかりに囚われていると、いっこうに新しいものは出てこない。なぜならそれは今の延長上にあることだからだな。いってみれば誰でもが遅かれ早かれ考え付くことだからだ。たての物を横にするといったバリエーションでしかない。

 本当の独創というのは元に戻った源泉から問い直すことからしか出てこないと思う。

 では絵画にとって源泉とは何かということだな。絵画を分解すれば、物質的には描く物と描かれるものにわけられる。絵の具ではない、描くものなんだな。キャンバスでも紙でも布でもない。ただの描かれる物だ。

 そしてその描くものは色の粉で粉末のまま使うのか、練った状態なのか、染料のような液体なのか、定着するのは水性の糊か油性の糊か膠なのか漆なのか合成樹脂なのか、それによって表現の技術が変ってくる。

 描かれる物については、紙なのか、布なのか、木なのか石なのか、漆喰なのか岩なのか、まぁキャンバスと言うのは実はものすごく特殊なものだったんだと気付く。

 そうやって自由に選択できるようにしておいて、あえて何を選ぶのかということだな。自分にとって何が一番手ごろで身近にあって有効かということだな。そして大事なことはこのことはどこにも書かれいないということだ。どこかに「・・の方法」というものがない。なぜなら技法そのものが今始めてあなたが作った、選択したものだからだな。


更新時間 : 14:02:07

12月6日 (月)

 はる 3452
つれづれに・・結論もありません。

 あるブログをよんでいたらこんな意味のことが書かれていた。
「人は必ず死ぬから、芸術や哲学や科学があるのだと思います。とくに人生に意味を見出したいために絵や音楽や文学が生まれるのです。」

 この間の続きのような話だけれど、言葉をもった人は思索を始める、でその結果知ったことは人は必ず死ぬということだ。いずれはこの世から跡形もなく消えてしまう。こうやって今考えていること自体が偶然であるし、長い宇宙の歴史から考えても奇跡みたいなものだ。

 個々人が生きることに本当は意味などないのだ。我々全体が一つの種として生きて生命をつなげて行くということには意味はあるかもしれないが、性格や趣味や思考が全く違う個人がそれぞれに生きているということに意味などない。

 我々がこの世に生まれ出てきた時から二年半ぐらいの記憶はない。ただ生きているというのはそんな感じかもしれないな。記憶や知識が上手くつながっていない状態。まさに混沌だな。

 ちょっと脱線するけれど、中国の荘子の話の中にこんなのがあった。
「のっぺらぼうの薄ぼんやりした「混沌」という神様がいた。周りの神様がこれじゃかわいそうだというので、「混沌」に目、鼻、口、耳という七つの穴をあけてやったら、翌朝「混沌」は死んでしまった」知らない方がよかったのか、知ってそれで死んでしまってもその方がよかったのか。



更新時間 : 00:42:56

12月5日 (日)

はる 3451
 ちょうどこのぐらいの寒さが身が引き締まる感じがして好ましい。これ以上でも以下でも快さの範ちゅうからもれる。夕暮れは考えていたよりも早くやってきて、夕暮れの光はあめ色でこれもまた美しいなと思う。

 夕暮れ時はいつも寂しいのだけれど、晩秋から初冬にかけては色々な思いが巡って尚いっそうその感が強い。陽が完全に落ちてしまう前に何かしなきゃといつも追いかけられる気がする。

 子供の頃は日が暮れるまで外で遊んでいて、夕焼けは自分のものだと思っていたね。道々小石をけりながらよく帰ったものだ。当時は日が暮れたら家族がみんな集まって飯を食うということに何の疑いもなかった。外食などほとんどしなっかたし、今で言うファミレスのような食堂もなかったね。

 閑話休題
 甲府の個展の後片付けも終わったので、久しぶりに仕事を始めた。来年春の団体展に出品する作品に手を入れる。どうしても大きくなきゃならないという気持ちが作品の密度を薄いものにする気がする。個展で発表する小品とは本質的に違うものである。いいか悪いかの問題ではなく。

 

更新時間 : 21:11:17

12月4日 (土)

はる 3450
 つまらん。

更新時間 : 23:16:34

12月3日 (金)

はる 3449
 私の親父は59歳で亡くなった。そのまた親父、私からいえば父方の祖父さんも59で亡くなった。と言うことで私たち兄弟は59歳を戦々恐々でそれぞれ迎えたのだ。そして末っ子の私が来年四月に59を迎えることになった。

 最後の残った私が無事に59歳をクリアーすれば我が家に伝統的にある「のろわれた59歳の自縛」から逃れられることになるのだ。さてどうなるのやら。今のところは迷惑な兆候はないから、たぶんクリアーされるのだろう。

 それにしても私が想像していた59歳と、今の私の年齢の実感とは驚くほど差がある。昔の30歳はかなり大人であった。もうすでに押しも押されぬ貫禄があって、そればかりではなく分別も責任も充分感じられた。

 59歳にもなれば、定年間近ということもあるし、人生一つやり終えた満足感とか、充実感がそこはかとなく漂っていて、隠居して老後は孫の面倒でもみて悠々と暮らしてゆく。そんなイメージなんだが、おいおい今の私はまるでガキじゃん。

 仕事などまるで切りがついてはいないし、私がまともな勤めもしていないので、社会的な責任感もまるでなってない。

 これから20年経って、もういつこの世からいなくなってしまってもおかしくない年になっても、内容はほとんど変らないように思う。

更新時間 : 23:53:20

12月2日 (木)

はる 3448
 最近よく考えるのが、今を中心に10年前、20年前は何をしていたのかということだな。そこからこれから10年、20年先を予想する。まぁその通りには絶対にならないのだけれどね。

 10年前と言えば2000年だな。48歳。この年私は大きな手術をした。もう長くは生きられないかも・・という切ない気持ちを味わった。まぁしかし、人間なんていい加減なもので、過ぎてしまえばほとんど忘れてしまっている。


更新時間 : 22:38:35

12月1日 (水)

はる 3447
 師走です。

更新時間 : 22:53:33