2010 1月
1月31日 (日)

はる 3145
 無事終了

更新時間 : 21:33:27

1月30日 (土)

はる 3144
 個展4日目
 無事終了

更新時間 : 21:34:34

1月29日 (金)

はる 3143
 個展3日目
 個展も三日目になると大体その回の様子が見えてくる。体も疲れがたまって中だるみ気味でピークだな。ちょっとソファーに座ると一瞬眠ってしまっている自分に驚く。

 明日とあさってが今回の山場かな、なんとか楽しく乗り越えたい。お待ちしています。


更新時間 : 22:10:30

1月28日 (木)

はる 3142
 個展2日目

更新時間 : 22:09:01

1月27日 (水)

はる 3141
 個展1日目
 個展オープンしました。前回との違いは、前回はまぁ突然の話で、個展までそう期日がなかったこともあって、今までにかきためた自信のある作品を展示したということもあって、そこそこのグレードを保つことができたと自負している。ところが今回はその後二年の作品を展示するということで、作品のグレードを保つのが難しいなぁと心配していた。

 まぁどうであったかは自分では判断できないんのだが、まぁまずまずの作品をそろえることができたのじゃないかな。まぁそれぞれが感想を送ってくれればうれしい。なお、送ってもらった感想は本文に転載しますので、転載されたくないという方はそのことを明示しといてください。

 すんません。眠たいです。

更新時間 : 21:22:17

1月26日 (火)

はる 3140
  搬入、飾り付けが終わりました。8時を過ぎてしまいました。大きな広い会場なので、これをいっぱいにするのはかなり力のある作家でもなかなか難しい仕事だ。うまくいったかどうか、お客さんの反応を見ないことには何もいえない。まぁ明日ふたを開けてどうでるか、楽しみなところではある。

 今デパートは全体的に大きな曲がり角に来ている。戦後すぐ物が少なくて唯一デパートだけがその名の通り百貨をそろえてそれなりの対応でお客さんに満足を売っていた。土曜日に学校が終わってデパートで食事して屋上の遊園地で遊ぶのが楽しみだった頃、デパートは夢の楽園だった。

 ところが今はどうだろう。どこでも同じようなものが、それもデパートより安い値段で買えるわけで、デパートは海外のブランドのテナントが入る植民地のようになってしまった。デパートで買い物をする楽しさはもう昔のものになってしまったのかな。デパートはただの空っぽの箱だものなぁ・・。このまま何の手立ても打たなければ、ここ10年のうちに百貨店は消えるかもしれないな。日航が倒産するのだから何があってもおかしくないか。

 デパートの一部を貸してもらって個展をやっている側から言えば、まぁミミズのたわごとのようなものだけれど、何かしら感じることを言う義務もあるかなと思う。

 総合的な生活のプラン、これからの生き方の方向、それに夢みたいなものをブランドとして売っているわけだから、単に商品が安いとか売れるとかそういったことでない総合的な文化を演出して買ってもらうべきだと思う。

 画廊で言うならば、デパートの画廊は街の画廊ではできないような、総合的な演出をして、生活の中でどうアートと向き合うかみたいなことを考えて提案してゆくべきだと思う。具体的にはどうやればいいのかよくはわからないのだけれど、ある種お客さんを啓蒙しながら、教育しながら売ってゆくというような方法が考えられないだろうかね。

 まぁそんなことを考えながら、明日からの長い一週間を考える私であった。


更新時間 : 23:40:24

1月25日 (月)

はる 3139
 税金の申告に出かけた。まだ本格的な申告の時期ではないので、結構すいていた。

 もう何年にもなるのだが、定職を持たなくなるとこういった税金の申告や、年金や健康保険の手続きなども自分でやらなければならない。厄介なのは健康診断などで、学校や職場に属していると何気なく済んでいるこういったものが、年が新しくなるとどっどっと押し寄せてくる。やらないならやらなくても当分の間は何事もおきないのだが、やがて知らないうちに不利益をこうむることになる。これは「就職しないで生きるためのスキル」の大事な一つであろう。

 自由業というのか、私のように何か物を作って売って食べているような人間にも当然申告用紙が来る。最初は大いに戸惑った。なぜなら申告するほどの収入がないからで、こんなもので生活している人間など信用してもらえないのではないか?という危惧だ。税理士はそんな個人的なことには興味はないらしい。それで生活できるかどうか?そんなプライバシーに関することには踏み込んでこないので安心していい。

 申告するようになってやったことは、とにかく何でも領収書を取っておくことだ。特に我々のように職住一体になっているような職業は、これは仕事、これは生活と分けることが難しい。細かいことは聞かれたら答えればいいので、とにかく何でもかんでも領収書を取っておく。そうやると意外に経費ってかかるものだということが分かる。

 閑話休題
 帰りに年賀郵便の切手シート交換にまわる。例年5枚ほどシートが当たるのだけれど、今年は初めて3等が当たった。で、何だかカタログのようなものの中から一つ選ぶ。それはそれでいい。ところがその手続きたるや延々と時間がかっかって遅々として進まない。で上司みたいな人が出てきて何やらやっている。それでもまだ終わらない。本局だったので、私のほかに色んな手続きに来ている人がいるにもかかわらず、こんなどうでもいいような仕事に二人もかかわりあってそれでも終わらないのだ。もういいです、要らないですと言いたくなった。郵便業務はつぶした方がいいかもしれないな。

 明日から私はまた一週間ほど出稼ぎに出かけます。できるだけ更新するつもりですが、またシャメだけになるかもしれません。あしからず。

更新時間 : 20:59:01

1月24日 (日)

はる 3138
  今日は裸婦クロッキーの日だった。上の写真は右側が私が描いている椅子と鉛筆三本に練りゴムとスケッチブックです。たったこれだけの道具で一日遊べます。スケッチブックも色々なサイズがありますが、私はほぼ毎回同じサイズで、標準的なクロッキーブックですね。色々持ってゆくのが面倒なので、随分前からこのスタイルに落ち着きました。

 小さい頃から絵が好きだったですか?と時々聞かれる。もう何回ともなく書いたけれど、絵を描くことが特に好きだったわけではない。それに特に上手だったという記憶もない。ただ小学校の図画専科の先生が私の絵や工作をやたらとほめてくれたという記憶がある。傲慢にも専科の先生には分かってもらえると思い込んでいた。そう考えると学校の先生の存在はかなり大きいものだ。

 学年が変わってその先生が転出して専科の先生がいなくなって担任の先生が図画を教えるようになって急にやる気がうせた。当時でも漫画をいとも簡単にすらすらと描ける奴がいたな。鉄腕アトムとか鉄人28号とか、何も見ないで、短い鉛筆をクリクリまわしてまるで手品のように描いていた。まぁ子供心にこいつらにはかなわないといつもおもっていた。ところが美術で絵を描くということになると、彼らはその才能が出てこない。あれほど自由自在に鉛筆を走らせていた彼らが、何も描けないのだ。

 子供心に不思議におもったのだが、どこがどのように違うのか今でもよくは説明できないのだけれど、明らかに違う領域なんだと思う。今でも漫画とかイラストのようなものは全く描けない。

 設計図とか地図とか2次元空間を説明図のように描ける能力というのは特殊な能力のように思うな。これは漫画とかイラスト、写真を使ったモチーフとか、そういった場合に都合がいい。

更新時間 : 22:14:50

1月23日 (土)

はる 3137
 あるブログを読んでいたら次のようなことが書かれていた。以下無断引用します。

「・・略・・たとえば、絵を描く人がいるとしますと、純粋に絵を描くのを楽しむ心と、それを人に売って暮らそう、という心は違うものだということです。

絵がうまくなる、よくなる、というのは無限の道のりです。そこで、この絵はどうしたら売れるかな、と考えるのは邪念でしかありません。

・・略・・山にいれば、聖人であり、修行者ですけれども、山を降りてしまえば俗人です。そして、山で学んだことを高く売りつければ山師です。山にいて真理を求め続けることは誰も利さない行為です。

 しかし、十分に機が熟さないうちに、半端な知識を売りに山から降りてきたらただの商売人です。どれくらいのものを持ったところで降りてきてしまうかで、器や志が見えてしまいます・・略・・

 あらゆる教祖というものは、中途で山を降りてきた人たちだと思えば間違いないのです」

 まぁ、絵を売るというのはある種後ろめたいところがあるのは否めないなぁ。中途半端な、宗教者の教義を聴かされているようで、片腹痛いと想っている人も多いかもしれんな。

 まぁ言い訳をさせてもらえば、私は宗教者ではないし、悟った人間になりたいとも思ってはいない。まず悟れることもないだろう。

 表現者などというものは最終的な覚醒者になってしまえば、悩むこともなくなってしまうわけで、そこに人間としての面白みもなくなってしまうわけだ。我々の仕事はあちらの世界とこちらの世界の境界にいる。行ったりきたり自由に渡り歩けることが、現代の表現者としての仕事ではないかな。

 まぁ山師、詐欺師といえばその通りかもしれん。本来芸人というのはまともに生きてゆけないそんなどこか欠陥のある人間が、最後の最後に残された生きてゆくための方便のようなきもするな。

 原点は、命がけで、身をさらして、生きてゆくことで辛うじて許される河原ものでしょう。

更新時間 : 23:31:51

1月22日 (金)

はる 3136-2
  この間スローフードの集まりがあって、その時はそんなに気にしなかったのだが、帰ってきてから少し気になったことがある。まぁ今の時代の構造不況みたいな話かな・・。

 蒸気機関の産業革命があっていろんなものが手工業から機械化された。やがては電気がそれに替わって飛躍的に効率がよくなった。そして戦後はパソコンがでてきて、さらに無駄を省くオフィスのオートメーション化がすすんだ。それはそれで、人類が目指してきた結果ではあるんだな。

 じゃあ、こうやって効率よく無駄を省いて最適化を勧めて行って、最終的に何を目指しているのかといえば、まぁ昔の漫画のように、人はただ単に寝転がってテレビでも観ているそんな状態を考えていたのじゃないかな。今実際に昔に比べて多くの仕事がなくなっている。それは人類が良かれとおもってやってきたことが、反対に今首をしめている感じだな。

 自動販売機ひとつでもそうだ。便利だけれど全国のタバコ屋をほとんどすべてつぶしてしまった。タバコ屋の看板娘は歌だけの話になってしまった。仕事を誰でもできる簡単なマニュアル化したために、確かに効率はよくなったけれど、仕事に創造性、工夫というのがなくなった。パートタイムはいかに仕事をしないかに知恵を絞る。

 ごく一部の優れた頭脳労働とすごく単純な労働だけになってしまった。これは多くの人間、特に若い人には気の毒だ。魅力ある仕事がない。

 多分これからは、仕事を与えられるのではなく、新しく作って行く必要があるだろう。昔はよかった的な、過去に戻ることはできない。いつの時代も前に進むしかないのだな。


更新時間 : 21:42:02

1月21日 (木)

はる 3136
 今回の個展は今までの延長上にはあるのだけれど、少し演出を変えた。それは松屋の会場がひろいということがある。あの会場にただ絵を並べただけでは、来ていただいたお客さんがすっと見てそのまま何の感慨もなく帰ってしまうのではないかと思ったからだ。

 それとこんなことを示唆されたことが大きい。会場が大きい、それを埋めるのが大変だというけれど、確かにそうなんだけれど、あの会場を無料で一週間貸してもらった。自由に使っていいといわれた。そう考えたら、これほど恵まれたことはないのではないか。

 生活の中のアートを提案すると考えたならば、私の日常生活を含めた生き方を紹介するといった展示にすれば、作家の紹介にもなるし、より深く作家を知ることで共感してもらえるのではないか。と言われたこと。

 それから、こんなことがある。自分の絵にはある種の通俗性がある。まぁそれは自分で言うのもおかしいのだけれど、それが一種の魅力といえば言い過ぎか。嫌いな人にはそれが鼻持ちならない俗っぽさになるのかもしれないけれどね。

 で、思ったのは、私の絵は美術館でありがたく鑑賞する絵ではない。どちらかといえば日常的な空間で、生活の中で楽しんでもらえたら、それはそれで存在意義があるのではないか。そんな風に思ったこと。

 けれど、まぁそこそこに有名な作家であればこんな工夫をする必要はないのかもしれない。もっと絵に圧倒的な存在感があればこんな小細工をする必要はないのかもしれませんがねぇ・・。まぁこれだけの人間でしかない。

 というわけで、今回は見てのお楽しみですが、最後の壁一面はほとんど日常生活の写真と、この一年間のブログからの抜粋です。これはまぁ冒険といえば冒険だな。

更新時間 : 23:53:02

1月20日 (水)

はる 3135
 今日は一日仕事。来週の今頃は松屋の個展が始まっている。いつもは意気揚々、まな板の鯉状態で楽しむだけという雰囲気なんだけれど、今回はなんとなくプレッシャーを感じる。なんとなく憂鬱だな。

 

更新時間 : 19:56:19

1月19日 (火)

はる 3134
 今日はパス

更新時間 : 22:39:56

1月18日 (月)

はる 3133
 二三日前の水道の検針のときに漏水の疑いがあるとメモがあった。そういえば先月と比べて五千円も高かった。普通何も特別なことをしない限り水道料がそれだけあっぷすることはない。

 でメーターを調べてみると、パイロットメーターがわずかにゆっくりと回っている。人間とは不思議なもので、分からない時は一ヶ月も放っておいても全く気にならなかったのが、知ってしまうとそのままというわけにはいかず、朝飯、昼飯、晩飯とお風呂の時にはバブルを開ける。それ以外は閉めておかなければという脅迫観念にとらわれる。一日や二日放っておいてもあまり変わりはないのだがね。

 で、水道局に連絡すると、漏水検査官なるものが出張で無料で回っているということだった。というわけで今日午後から彼らが来るということで待っていた。まぁこれがなかなか来ない。待って待って五時近くになってやっときた。

 漏水の検査というのはどうやってやるのかご存知か?これまたこんな時代に超アナログなんだけれど、聴診器の金属棒のようになったもので「音を聞く」んだな。何場所か蛇口のある場所にその棒の先をあてて、その音の強弱で判断するのだな。

 聞かせてもらったけれど、水が流れている音がする。そして、確かに場所によって音がちがうのだな。昔インデアンが地下水のありかを知るのに確か地面に耳を当てて聞いていたような気がするけれど、今回確かにその一番大きな音がしたところが漏水していた。

 まぁそんなことで、今日は一日水道待ちの日でした。

更新時間 : 19:30:58

1月17日 (日)

はる 3132
 今日はパス

更新時間 : 22:10:11

1月16日 (土)

はる 3131
 吉田秀和の「セザンヌ物語」を読み始めた。どこかのブログを読んでいたらこの本の話が出てきて、あれ!あれほどセザンヌのことを気にしていたはずなのに、それから吉田の爺さんの話もよく書く割にはこの本のことはまったく認知していなかった。そうなんだ、吉田の爺さんがセザンヌについて書いていたのじゃ読まずにはおれない。文庫本になっているので簡単に手に入れることができた。

 なかなか難しい本で、まず最初と最後のあとがきから読んだ。まぁこれはセザンヌに興味があるか、絵を書いたことがある、絵に興味がある人しか面白くないだろうなと推察する。絵を描かない吉田の爺さんがここまでよく考察できたなぁと妙なところに感心する。一芸に秀でたものはすべてのことにつながって行くものなんだなと思った。中身のことはまた読み終わったら書きましょう。

 あとがきのところでパドバのスクロヴェーニの礼拝堂のジョットの壁画のことが書かれていた。感動的なのでそのまま引用する。

「パドヴァにあるクスロヴェーニのチャペルの内部をほとんど全面的に塗りつぶし、壁という壁に、いくつもの描き続けられたジョットのフレスコ画は、その一つ一つの絵のすばらしさだけでなく、その全体において、私にひとつの強大な真実を啓示した。
 それは、「すべては絵画として描かれることができる」あるいは「人間は天地を貫いて目に見えるものはもちろん、目に見えない精神心的出来事でさえ、すべて、絵に描くことができる」ということである。・・・・略・・
 建物全体を覆ったジョットの絵は、それでひとつの天地をつくり出し、その色と形だけでできた天地は、建物の内と外にある天地と全く等価の天地だった。そこには音楽さえあった。・・略」 吉田秀和「セザンヌ物語」より



更新時間 : 21:36:30

1月15日 (金)

はる 3130
 パソコンは今のところ調子よく動いている。ただひとつ問題があって、リメイクした業者が提携したウィルス制御のソフトが時々必要ないCMをポップアップで立ち上げる。これが目ざわりといえばそうだな。しばらく我慢すれば消えるのだけれど、何だか安っぽい宣伝でがっかりする。これを消す方法はあるのかしらん。

 しかし、パソコンも色々だけれど、我々のような素人が使う分にはこれで充分で、他に色々入っているソフトもすべて捨ててしまっても問題ないように思うな。ありがたいことに昔使っていたソフトがそっくりそのまま使える。このことはここだけの話。

 さて、大きな絵を描かねば。

 

更新時間 : 23:56:10

1月14日 (木)

はる 3129
 第4回道(TAO)展が始まった。今日は搬入その他で疲れました。自分の展覧会よりもつかれるかもしれませんね。


更新時間 : 22:44:14

1月13日 (水)

はる 3128
 また日常が始まって、さまざまな雑用が私を追い立てる。そんな中昨日らい右目に少しの痛みがあって、午後になると白目が赤く充血してきた。今朝になって違和感があって鏡を見ると白目の部分がゼリー状に盛り上がっていた。まぁ午後になって次第に落ち着いて来たんだけれど、目は商売道具ということもあって、怖いのでいつも見てもらっている眼科に行くことにした。

 結果的には特になんでもない炎症ということだったけれど、何だかね最近は目の異常を感じることが多くなった。パソコンとか暗いところで本を読む機会が多いので、これまたよくないのかもしれないな。

 私の絵は細かい絵ではないので絵を描くことで目が疲れるなどと言うことはほとんどない。そんなことを考えると私の絵はオブジェに近いのかもしれないね。

 そうそう、面白いことを書いている作家がいた。絵描きを分類しているのだけれど、

1、売り絵の作家。昔から絵は建築と結びついて工房制作が当たり前であって、今のように芸術家などと言うものは存在しなかった。職人仕事であって、そもそも絵画の発生はそんなところから来ている。売り絵を描かないなどという作家は絵描きではない。

2、趣味的な作家。絵を売ることににもそれほど熱心でもないし、かといって芸術について革新的な発想をするわけでもない。けれども何だか一番偉そうにしている作家。

3、学問や研究として絵を描いている作家。セザンヌやクレー、モンドリアン、やカンデンスキーなどが入るらしい。これもよく分かる。

4、詐欺的な作家。名前だけ先行して、そんな気分だけを売って詐欺的にお金儲けする作家。

 最後に書いていたけれど、本物はこの全てを持っているような作家だそうだ。それも納得する。

 

更新時間 : 20:54:57

1月12日 (火)

はる 3127
 バブル全盛だったころの話。リゾート法なるものができて北海道の原野にでっかい完全冷暖房のでっかいホテルを中心に、夏はゴルフができたり、プールで遊んだりできる。もちろん冬場はスキーにスケート、温泉にボーリング、遊ぶことなら何でもござれの一大レジャーランドをぶち上げた会社があった。会社なのか法人なのか、流行の半官半民の第三セクターだったのか定かではない。とにかく全国各地にそれに類したような施設がぼこぼこと建っていた。

 今では笑い話のようだが、当時は真剣にそれがこれからの「レジャー」のスタイルだと真剣に考えられていた。

 あっという間に夢はしぼんでしまった。何が間違っていたのか、今なら少し分かる気がする。我々日本人にはそんな風に豪快に遊ぶ習慣がない。遊べないといってもいいのかな。レジャーランドは一度行けば二度目はもう行かない。遊ばせてもらう施設はやたらに疲れるだけだ。

 本当の遊びは「創造する」ところにある。木一本でも、鉛筆一本でもあれば十分に楽しめるのだ。

 勘違いすることが多いのだけれど、レクレーションとは「暇つぶし」ではないのだな。「新たに気持ちを作り直す」といったもっと積極的な意味がある。どうも我々の娯楽というイメージには仕事の合間の「暇つぶし」の感覚があるのだけれど、そうではない気がするなぁ・・。

 地域の活性化みたいなことを考えると、大きな力、例えば国とか地方の自治体などを絡めて考える、どうしても頭でっかちというのか、お題目は立派だけど、内容伴っていない場合が多い。お役人さんとは目線が違うのでねぇ、どうやってもうまくは行かない。大きな企業に資本を出してもらう話もないではないけれど、またぞろハウステンボスの二番煎じじゃなと危惧する。

 反対に地方の親方さんを頼みにしても自分の利益の確保に躍起になっているだけで、大きなビジョンが描けない。どちらもどちらだな。もっと大きなビジョン少なくとも20年30年先のここを想像して計画を立てられる大物がいないものかなぁ・・とは常づね感じることだ。

 本当はね、人材こそ地産地消で地元の人間が主体的に計画して実行してゆくべきなんだな。大きくやる必要はない。小さくても自分たちが抱えきれるくらいのところから出発すべきなんだろうなとは思うのだ。

 ある種の理想郷がここにはあるんだけどな。うまく活用できないでいるのが歯がゆい。

 

更新時間 : 22:58:22

1月11日 (月)

はる 3127
 今日はパス


更新時間 : 22:13:19

1月10日 (日)

はる 3126
 午前中ちょっと野暮用があり、そのまま勝沼のぶどうの丘美術館まで出かけた。同じ県内の美術団体に属して最近はよくご一緒する小口精一さんの個展を見る。この会場はかなり広くて150号などというばかでかい絵も何点か飾ることができる。もう少し交通の便がよければ利用する作家も多いかもしれないな。

 小口さんの個展は残念ながら今日が最終日で、インフォメーションしてもあまり意味がないのでやめておきます。一ヶ月という長期の展覧会でお疲れになったでしょう。ご苦労様でした。

 午後からは自分の絵の額装にかかる。まだもう少し描きたい絵もあるのだが、小品はほとんど仕上がっている。最近の私が使っている額は後ろからネジでちめるタイプなので、これがけっこう手間取る。慣れないと失敗する可能性も高い。単純な作業なので根気さえあればやがては終わる。こんな仕事ばかりなら楽ではある。

 ここのところ、神戸に帰省していたときも含めて、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいる。この作品を映像化するのを最後まで許可しなかったそうだが、そうかなり淡々と当時の戦争についてかかれている。読み方によれば右翼が喜びそうなことも書かれているので、ちょうちょしたのかもしれない。

 面白いというのか興味を持ったのは、当時の軍閥のトップの山県にしても海軍の東郷、陸軍の乃木にしても薩長から出ているわけで、それ以外はほとんど外様大名みたいなもので軍の大事な要職にはつけないようになっている。それが軍という戦争屋でさえそうなのであるから、あとは推して知るべし。誰が適任で能力があるからという人事ではなく、トップが薩摩なら参謀は長州にするといった、根回しというのかまさに官僚的な割り振り方をするわけだ。学閥、門閥、地域閥などなど、この閥というやつは、どこにでもはびこって集団そのものをだめにしてしまう。

 さてまた明日。


更新時間 : 22:22:02

1月9日 (土)

はる 3125
 やっとほとんどの設定を移し変えた。取り説がないので、細かいことはネットで調べながらやるので、案外時間がかかった。

 例えばネットにつなげるのに私はケーブルネットを使っているのだけれど、普通に電話線につなげればいいという設定ではないわけだ。ケーブルというのは考え方でいえば契約者がすべて大きな一つのグループになるわけで、そのための小さな機械(ランカード)が必要になる。そんなこともよく知らなかったのだが、今回調べてみて分かったことだ。

 で、調べているうちに最近のPCにはもうすでに内蔵しているということがどこかに書いてあった。さてさて、私の新しいpcはどうなのか?調べてみる必要がある。

 調べていくうちになんとこのpcの詳しい説明書が会社のHPにアップされていることが分かった。まぁ考えてみればあたりまえなんだけれど、これはありがたかった。で、ランカードは内蔵されているらしいということが分かったわけだ。ここまでで何日かっかっている。

 こうやって手探りで設定してゆくことは、だんだんに自分だけのpcになってゆくようでなかなか面白いことではあった。個展前の大事な時間でありながら、というのかだからこそこんなことで息抜きをしているのかもしれんな。
 

 

更新時間 : 20:48:56

1月8日 (金)

はる 3124
 学校へ新学期の準備。

更新時間 : 01:23:02

1月7日 (木)

はる 3123
  新しいpcより始めての更新。やっとネットにつながりました。今日は午後から一日中パソコンとにらめっこ。ネットの設定をしたり、メールの設定。最後にHPの設定など。前に設定したときのことなど忘れてしまっているので、思い出しながらぼちぼちやりました。一応これで設定は終了です。後はこまごましたものを移動することですね。これもまた面倒だ。
2010/01/07

更新時間 : 23:06:15

1月6日 (水)

はる 3122
 ただし、壁の飾りを作っているつもりは無いし、またそれを期待されてもいない。飾りならもっと上手い人もいるしね、飾り職人は江戸の花形職業だ。かんざしやら根付なんか今の技術じゃとうてい作れないものばかりだ。だからといってね、それを何とか国宝とかいって保護してしまったら、死んだも同然。檻に入れられたライオンみたいなものだ。珍しがってありがたがられるけれど、生きてはいない。

 今の生活の中で、実際に使われるもの、必要とされるものでなければ本当の力にはならない。観光客やどこか遠くの縁もゆかりも無い人にありがたがられても、あんまりうれしくないねぇ。

 地産地消が言われて最近はコンビにの弁当までそんなキャッチフレーズで売られるようになったけれど、本当はね、そこに住んでいる人達や、きけば顔のわかる人たち相手に、物を作ったり調理したり、売ったり買ったりするのが、本来の姿かもしれないな。

 話が違う方向に来てしまったね。というわけで、また。


更新時間 : 22:00:15

1月5日 (火)

はる 3121
 正月も今日で五日。いつのまにか過ぎてしまった。神戸で帰る頃になって少しアクシデントがあり、今はまだ言えませんがすったもんだの末、帰ってきたのでした。

 まぁ帰る郷があるのは楽しいことですね。こうやってすでに郷にいた頃より遥かに長い時間外にいるにもかかわらず、故郷というのはいつまでも帰る場所というのか、帰れる場所であるわけだ。何もしないのだけれどね。

 帰ってからバタバタと色んな用事が押し寄せてきて、まだ日常に帰れていない。ひょっとするとこのまま個展になだれ込んでしまうのかもしれないな。松屋の会場が大きいのでどうやって埋めるのか、来てくれた人をどうすれば飽きさせないで楽しんでもらえるか、そんなことを考えている。

 私の場合、画家というより、こうやって色々日常的にあーでもない、こーでもないと考えて、試行錯誤、思考錯誤かな?しながら思索して行くというような人間だと思うんだな。まぁそれが好きだ。楽しいということが大前提なんだけれどね。会場がデパートだから、何となく売り線なのかなぁ・・と思われるけれど、まぁ根底的には売れなきゃ話にはならないのだけれどね。ただ作品だけだだだーだ・・と並べて、一丁あがりという風にはしたくない。

 反対に会場がデパートだから、ごく普通の日常的な生活の中で、どうしてもこれだけは欲しいもの、それが食べ物であっても、着る物であっても、寝具やカーテンやその他の雑貨であっても、トータルに考えて「生活の中のアート」みたいなものを提案できるのじゃないかなと考えている。

 それは純粋な「芸術」ではない。という人もいるかもしれない。まぁそれはそれでいいでしょう。美術館や博物館、有名な公共の建物の中にすました顔して鎮座しているのだけが尊いと考える人たちも割に多いことは多い。

 アートというのが何なのか?という定義にもなってくると思うのだけれどね。まぁ私などは今の生活の中で「欲しい」と思うものを描いたり作ったりしているわけだから、たかが知れている。

更新時間 : 23:02:01

1月4日 (月)

はる 3120
 正月も四日過ぎました。今日から仕事始めです。

更新時間 : 23:52:02

1月3日 (日)

はる 3119
 帰ってきました。

更新時間 : 20:59:28

1月2日 (土)

はる 3118
 今日はお墓参り。いい天気だった。

更新時間 : 20:58:41

1月1日 (金)

はる 3117
 明けましておめでとう御座います。本年も宜しくお願いいたします。


更新時間 : 09:50:12