2009 1月
1月31日 (土)

はる 2783
 グループ「TAO]展の打ち上げがつつじヶ崎温泉であった。少し早めに行って先に温泉につかる。私が指導しているといっても実際は私が一番年下という奇妙な上下関係で、長老は80幾つかの爺さまです。とても「先生でございます」などとおこがましくて言えない。

 十や二十歳の若者なら何とか誤魔化せても、私何かより多くの人生経験のある大人を言いくるめるのは難しい。何とか取り繕ってもいずれは化けの皮がはがれる訳で、まぁ自分の地で行くしか方法はない。でもまぁ、そこがこういった芸事の面白いところかもしれない。

 
 

更新時間 : 21:15:04

1月30日 (金)

はる 2782
 ものを考えることは楽しいことだ。昔入院した時に本を読むよりノートに何か書いていることのほうが楽しかったし、時間がつぶれた。ものを考えるのは紙と鉛筆一本あればできることで、退屈しないで上手に生きてゆく方法は案外これしかないなどと思う。

 昨日の話の続きのようなことだけれど、ものを考えているのは人間だけなんだろうか?口を利いた動物はいないのでそこのところは確かなことはいえない。人に飼われているペットなどは感情があるように見えるけれど、案外飼い主の感情移入にすぎないようにも思う。

 眠くなった。

更新時間 : 23:22:42

1月29日 (木)

はる 2781
 「画家の仕事」
 神戸を出てからかれこれ40年になる。ここのところほぼ隔年に神戸で個展を開催しているので、街で偶然お目にかかった人もいるかもしれない。「神戸の文化人」ということでお話をいただいたのですが、神戸出身という点ではそうなのですが、文化人なのかどうか若干疑わしいところもある。
 私が画家になりたいと思ったのは、普通の人より遅くて二十歳を過ぎてからだ。画家になりたいというハッキリした夢を持っていたのでもなく、ただ漠然と絵を描いて行ければなぁと考えていただけで、いまでいうニートのはしりのようなものだ。
 画家というのは不思議な職業で、ただ絵を売ることだけが仕事かといえばそうでもない。「詩人」というのが職業でないように「画家」というのもそれに近いニアンスを含んでいるように思う。だから、今でも自分は画家ですとはっきり言えないところがある。ただ絵を描く職業であるなら、イラストレーターとか漫画家とかそういった仕事もある。絵を描くことが好きだというならそういった選択もあるだろう。
 人が動物から「にんげん」になった時に、神さまから考える「知恵」をもらった。そのかわりに「不安」といういらない物までもらってしまった。この「知恵」と「不安」は表裏一体のもので分ける事ができない代物だ。故に人間である限り抱えて行かなければならないものだ。
 「思索家」とか「散歩家」とか「表現家」とかそんな言葉が気に入っている。自分がなぜここにいるのか、人とは何なのかを絵を描くことで考えてゆくのが、私の仕事のように思っている。

更新時間 : 00:50:19

1月28日 (水)

はる 2780
 帰りました。

更新時間 : 20:09:18

1月27日 (火)

はる 2779
 個展楽日
 そうだあなぁ、個展が終わるといつも少し寂しい。デパートの売り場はその期間だけ、一つの共同体となっている。誰が展覧会をするのか、現場のスタッフはほとんど関知しない、というのか関知できる立場にはない。まぁいってみれば誰がやっても自分の給料には関係のないことなんだな。

 けれどたった一週間だけれど、その期間だけ共同戦線をはる。私ひとりの力では何もできないし、やっていても面白くない。たった一週間でも面白く楽しくやりたいものだ。

 学生時代から実に多くのバイトをしてきた。そのことで学んだことは多いけれど、何だろう、人からの命令で動くのではなく、自分の考えで動くといったことかな。やらされて動くのは面白くない。

 個展は自分の仕事だけど、売るとか見せるとかそんなことばかり考えてやっていると、一週間の仕事は面白くない。苦痛になる。できたら展覧会を楽しみたい。スタッフと一緒になって一つの見世物を作るんだといったことだろうか。

 まぁそうやって動いて、一応それなりにかかわって来たことが今日で終ってしまう。そこら辺りがさみしさを感じるゆえんだろうか。

更新時間 : 22:55:57

1月26日 (月)

はる 2778
 個展6日目
 明日で最後です。六時までですのでお間違えの無いように。

更新時間 : 21:58:51

1月25日 (日)

はる 2777
 個展5日目
 今回は世の中の荒波をまともに受けている。けっこうがっくり来ていた。考えるとどんどんと落ち込んできて、その場にいたたまれなくなる。自分が否定されたような気になるものだ。

 親父さんに言われたことで目が覚めた。「暇だったとしても、暇だったということを悟られてはいけない。たった一人のお客さんでも百人のお客さんでも同じだ。当人にとってはそれがすべてなのだから精一杯の応対をする、それが礼儀だ」

 まだまだ私はおこちゃまだね。気分がすぐに態度に出てしまう。まぁなれてないから仕方ないのだけれど、それでは会場の雰囲気を壊してしまう。いないほうがましということになるな。

 会場にいる以上スタッフと同じで、お客さんを接客しなければならない。少なくとも邪魔をして雰囲気を壊してはいけない。

更新時間 : 21:32:26

1月24日 (土)

はる 2776
 個展4日目
 「まれびと」さんの感想・承諾をとって転載

「 寝袋持参・泊り込みで現場指導へ行った明けの帰り、大阪に立ち寄って、阪急梅田の百貨店で個展を開いているはるさんの絵に会いに行った。古代の地層のような洞窟の暗がりの濡れた岩盤のようなキャンバスに、鉱物の来歴を物語るために湧き出て来たかのようなさまざまな人物たちがいた。縄文のビーナスのような太った女もいれば、一輪車の上の危ういバランスを保っている道化師もいる。楽器を奏でる孤独な漂泊者もあれば、眠っているようなインカの少女たちのミイラもある。いちばん大きなキャンバスの中央には、染みのような放射能で焼きついたヒトガタのような妙に背の高い人物が浮き出ている。画家はさいしょ、ここにはマリア様を描いたのだと教えてくれた。けれど明確なマリア像がしっくりとこなかったので削り落としていった。するとこんなふうになった。ある老人の客は仏様だと言った。画家は天を見上げる男性だと言う。わたしにはどう眺めてもうつむいた優しげな女性にしか見えない。つまり、ひとはきっと、作品の中にじぶんの心のかたちを見つけるのだ。はるさんの絵の描き方は一風変わっている。キャンバスの上に粗布や絵の具や木片や襤褸切れなどを塗りこめて、それらを削り、また塗りこみ、また削り、その果てしない繰り返し(格闘)のうちにキャンバスの中からやがて何かの形らしいものがぼんやりと見えてくる。まるでハレの日にいずこより訪れるまろうど(客人)のようだ。世界にはそのようにしか得ることのできないものがある。じぶんを削り落としていきながら、最後には、受け取るための手を差し出すだけでいい。気がつけば、それは手のひらに、乗っている。はるさんの絵は、自転車を颯爽と乗り回す人物も、楽器を抱いた楽師も、互いに寄り添う人物も、樹や白壁や窓、緑や真紅や金色の顔料さえも、すべては祈りのかたちなのだと思う。祈る、その始原の場所をさがしているもとめている絵だ。「こたえてください」のタイトルも画題も、それを端的に顕している。ひとは画家の絵を見つめながら、知らぬうちにじぶんの祈りのかたちを探し始めて、ときにもがく。その日、わたしはついに祈りのかたちを見つけられなかった。夜、家に帰ってからネットで見つけたガザの空爆で死んだ子どもたちのむごたらしい写真を子に見せた。子は思わず顔をそむけた。彼女には大きな負担だったかも知れない。それでもわたしは堰を切ったダムの水のように、風呂の中で、布団の中で、子に、ユダヤ人の歴史からアウシュビッツの惨劇、そしてイスラエルの建国、パレスチナの長くいまだ終わることのない絶望の風景を深夜の11時まで喋りつづけ、日頃就寝が遅いことを気に病んでいる彼女の母親にひどく叱られた。どうしたらいいの? と訊いてくる子にわたしは、どうしたらいいか分らない、としか答えられなかった。「こたえてください」とは、天に唾するようなものだ。それでもひとは祈る。所詮、祈りつづける」

 ありがとう。


更新時間 : 23:07:48

1月23日 (金)

はる 2775
 個展3日目
 やっと少し調子が出てきた。でも疲れた。

更新時間 : 21:53:39

1月22日 (木)

はる 2774
 個展2日目
 全く調子が悪い。書き気になれない。

更新時間 : 22:20:55

1月21日 (水)

はる 2773
 個展1日目
 どうも前回より調子が良くない。まぁ前回は初めてということもあって、ご祝儀相場だったけれど、今回は二回目でこれが実力かもしれないな。でもまぁプロだからこのままというわけにはいかない。きっちりと結果を出さなければ次は無い。というのかこのままでは困るのは明日からの生活だ。

 明日から気合いを入れてがんばるぞ!

更新時間 : 22:01:35

1月20日 (火)

はる 2772
 今日は搬入でした。まんず疲れました。ということでまた明日から始まります。お時間のある方は是非どうぞ。

更新時間 : 22:09:59

1月19日 (月)

はる 2771
 デパートが大衆の憧れの場所だった時期はもう終わりかもしれない。郊外型の大型のショッピングセンターは地方に行けば今でも主流でますます大型化して、大駐車場を完備して地元の商店街を閑古鳥の鳴くシャッター街にしながら増え続けている。

 昔ながらの繁華街の店主は、老いぼれて新しく事業を起こすつもりもない。年金もらって暮らす、最後の締めくくりに向かっている。二世三世はすでにサラリーマンになっているか、どこか他の郊外に住んでいて、街中の事には権利以外に興味はない。無論新しく商売を始める元気もやる気もない。かくして街中は寂れる一方だ。

 私の住んでいる町にも昔ながらの老舗の百貨店が一つある。県内ではここが唯一のデパートで贈り物にはここの包装紙が有効らしい。ところがまぁどこでもそうかもしれないが、どこか田舎くさい鄙びた感じはいなめない。若い人は東京に出て買い物をする。そのほうがはるかに楽しいからなぁ。地元で買い物をするメリットというのか意義がまるでない。

 街は地元の人が楽しく集うところであればいいと思う。買い物をしてもそれを着て歩く場所がなければ面白くないし、何よりも観客が欲しい。小さな一本の通りでいいと思う。車を通行禁止にして、お客は町を散策するためにやってくる。オシャレなお店があってウィンドウショッピングできてカフェがあり、居酒屋がある。花屋があったり、骨董屋やギャラリーなど専門店があり映画館がある、夜になってもそこだけは人が集まって灯りが消えない。

 街をもう一度人の集まる魅力のある場にしなければならないと思う。観光客相手に商売をしようというのではなく、自分たち住んでいる大人が二度三度いきたい、楽しかったという街にしなければ、街は活性化しないように思うな。そのためには家でDVDを寝転んで観るよりも映画館で観たほうが楽しかった、良かったと思えるような演出が欲しい。街に出てもファミレスかコンビにかスタバしかないような寂しい街にはでかけたくないものなぁ。

更新時間 : 20:22:27

1月18日 (日)

はる 2770
 今日は出先にいます。

これは明石大橋を真下から撮った写真だ。写真になると実際の迫力は全く伝わらないけれど、人が造ったものではダムとかそんなものに匹敵するするものではないかな。最初見るとその大きさに圧倒される。よくこんなものが造れたものだ。

 この場所は私が子供のころに良く遊んだ場所で、魚を釣ったり泳いだりした所だ。今はその面影も無い。鄙びた神戸の町外れが一躍脚光を浴びるスターになった。もどかしいようなさびしいような奇妙な感覚だな。

 駅を降りると潮の香りがした。海を見ると明日の天気の予想ができた。そんな懐かしい風景はもうない。そのかわりに世界的にも有名な夢の架け橋がある。私にとってはどうでもいいことだけれどね。


更新時間 : 21:26:00

1月17日 (土)

はる 2769
 今日は法事。その後、久しぶりに親父の墓参り。寒いだろうな・・。

更新時間 : 09:51:32

1月16日 (金)

はる2768
 昨日東京で昼飯にそばを食っていたら、歯が欠けた。それもかなり大きくね。そのまま痛くも無いので放っおいても問題は無いかもしれないが、痛くなると嫌なので、応急処置で歯医者さんに見てもらう。午前中実家の近くの歯医者さんに出かける。

 神戸といえどかなりと戸外は寒い。風邪気味なのでこれ以上おもくしないようにしなければ。明日は法事。そのあとみんなでお墓参り。その後食事をしてホテルに泊まる。だから更新は出来ないかもな。


更新時間 : 14:00:24

1月15日 (木)

はる 2767
 東京周りで京都まで来る。途中東京大丸で知り合いのの阪本トクロウさんの個展を観る。京都で途中下車、お寺の一つでも参って帰ろうかと思ったが、あまりにも寒いので挫折、そのまま駅でお茶を飲んで新快速で神戸まで行く。

 少し風邪気味だな。今日は温かくして早めに休むことにした。おやすみなさい。

更新時間 : 21:21:35

1月14日 (水)

はる 2766
 また明日から旅に出ます。今回は結構長い二週間ぐらいの予定です。前半は家族の色々。親父の33回忌の法事。その後兄貴の還暦のお祝い。ごたごたとあって、真打は私の個展というわけだ。実は反対で、私が個展で帰省するに合わせて、兄弟が行事を組んだだけなんだけれどね。それでもまぁ楽しみなことには変わりはない。

 デパートで個展を開催することに最初は結構ちゅうちょがあった。いまでも完全に抜け切れたわけではないけれど、大阪で一回、東京で一回やってみて、これもまた一つのやり方かなと思っている。

 デパートの場合一般の画廊と違うのは明らかに商品であるという点だ。どんなにいい展覧会でも売れなければ次はないわけで、作家を長い目で見て育てるなどという悠長なことは期待できない。だから明らかに売れそうな、誰が見ても分かるそんな絵が展示される。

 私の絵がそういった範疇に入っているかどうか、判断は私にはできないのだけれど、確かにいえることは商品ということだけ考えれば私なんかより確実に売れる作家はごまんといるわけで、なぜ私がここにいるのかという存在理由をしっかり考えておかねばならない。

 

更新時間 : 17:53:35

1月13日 (火)

はる 2765
 今日はパス

更新時間 : 22:57:00

1月12日 (月)

はる 2764
 小津安二郎監督の映画などを観ていると、典型的な戦後の平凡なサラリーマンの生活みたいなものが描かれている。丸い食卓があって奥さんは着物のうえに白い割烹着などを着て、親父は浴衣や冬は丹前などを着て、「うん」とか「あぁ」しか言わずに威張っている。

 家は戦後の安普請だけれど、小さな庭があって庭には物干しの棒が二本立っている。夕方には豆腐やが自転車に乗って「トーフィ〜」とラッパを鳴らしながら去って行く。西岸良平の「三丁目の夕陽」の世界だな。まぁ色々問題はあったにせよ、それが一つの「幸せのかたち」だった。

 日本の企業の雇用の形態は昔の殿様と家来の封建制に似ている。一度職につくとそこに骨をうづめるつもりで「滅私奉公」するように強要する。藩をでて浪人になってしまえば再び仕官する事は物凄く難しく、大方は家族ともども藩から拝領している家屋敷からでなければならなかった。後は悲惨な末路が待っている。

 まぁその代わり、一度家人になれば、あらゆる面で優遇されているし、よほどの不始末をおかさない限り、親方様は家来を守ってくれた。そこにある種の契約というのか、絶対服従を強制するかわりに死ぬまでの家族の生活全ての安堵を約束するといった、暗黙の了解があったように思う。だから兎に角「我慢する」「堪忍する」というのが滞りなく人生を過ごす家訓であったわけだ。

 戦後アメリカ型の雇用形態が入ってきて、週払いや実力主義で働いただけ支払われる給料システムがやたらカッコよくみえた。フレキシブルで自分の与えられた仕事だけきっちりやれば、「お付き合い」だの「根回し」だの訳のわからない「残業」だのやらなくてもいい、すっきりした雇用形態が日本型のドロドロした泥沼型仕事よりどれだけ魅力に富んで見えたことか。その裏に隠されている厳しい現実を知るまではね。

 派遣型労働形態が出来た頃は、一般にはもろ手を上げて賛成の雰囲気だった。今さら日本型の終身雇用なんて古臭い。これからはスッキリはっきりのアメリカ型の雇用形態に全てが移行して行くだろう、といった雰囲気だったな。企業側でも使い捨ての安い労働力を確保できるわけだから、大いに賛成だった。でなければ人材派遣会社があれだけもてはやされて急成長するわけがない。

 少し前にも書いたけれど、能力主義(速い、安い、便利)というのは一見自由で平等で民主的にみえる。当然当たり前のこんこんちきに思える。しかし、出来る人はいい、でも能力のない人間はどうするのか、能率の悪いひとはどうするんだ。不便な場所のお店は寂れても仕方ないのか。安ければ自国の農業を衰退させても外国から食料を調達するのか。etc・・

 もう一つは、若いということは何も経験がないということで、出来上がった社会に入る事には誰でもやなものだ。だから一見人当たりのいい、楽で便利で簡単そうな雇用形態を選ぶ。

 社会にはどうしても必要な誰でもが嫌がるような仕事がある。いわゆる3Kの仕事であったり、単純な肉体労働など、何の経験も必要とされず、その代わり何年やっても何のキャリアにもならない、そんな日替わりで充分で、取り替えのきく無味無臭の仕事がある。

 若い時はそれでも充分だと思っていた。それ以上望む事もないきがしていたけれど、年を経るにしたがって段々に辛くなる。どれだけキャリアを積んでもだれからも評価されないような仕事は、芯から嫌になってくる。そこにいてもいなくてもいいような、存在が消えてしまった、まさに透明人間になる。仕事が人を作る。そのことを充分に考えるチャンスを与えるべきだ。

 新しい雇用形態を考えなければならない時に来ている。もう滅私奉公の昔には戻れない。かといって今のままではやがて社会は内から腐ってくる。出来る人はほどほどに、出来ない人は一生懸命にといった、「遅くて、高くて、不便」がカッコいいスローな社会を考えなければならないのかもしれない。

 

更新時間 : 22:11:56

1月11日 (日)

はる 2763
今日はパス

更新時間 : 19:40:52

1月10日 (土)

はる 2762
 就職するかしないか、と考えたのは二十歳前後の頃からだ。反対に言えば、なぜ皆何の疑いもなく就職活動をやって、やりたくもない仕事をして行くのか、仕事というものは何なのかもっとよく考えてからでもいいのじゃないかなどと思った。

 まぁ青臭いといえばそうだし、社会的にそういったモラトリアムが認められる余裕があったからだろうけれど、そのかわり仕事については良く考えた。企業というのが利潤を追求するというのが大命題であるならば、その社員もそれに従わなくてはならないわけで、そういったバリバリの企業戦士のようにもなれそうにもなかったしな。

 公務員になって理想をいうなら「全体の奉仕者」になるというほうがまだましな気もしていた。けれど仕事としてどうも今ひとつ魅力に欠けるなぁというのが本音だ。突き詰めると職人か百姓しかないんだな。後まぁなれるなら芸能の人というわけだけど、これは職業といえるのかどうか??。

 就職したくないというよりしたい仕事が見つからなかったと言う方が当たっているかな。かたちは今の子供達と同じように、ニートには違いないけれど、仕事について考え続けていたことは間違いない。

 でもまぁ、ほとんどの人がそれ以前に働かなきゃ食って行けないわけで、四の五の言ってないで与えられたことをやれ!というのもよく大人たちに言われたものだ。その仕事が合っているのかどうかなど、10年20年やってみて言えることだ、とね。

 これは、そっくり今の絵のテーマ「自分とは何者か」につながっている訳で、未だにその答えは出ていない。今は居直ってそれを考え続けることが仕事だなどと言っているが、宿題を先延ばしにしている小学生と変わりはない。

 絵を描くことが好きか?合っているのか?と聞かれるとこれもまた分からないなぁ。ここまで来てしまったからとりあえずはやっているけれど、本当はこうやってもの思いにふけって思索している時が一番好きなのかもしれない。

 まぁ何のためにもならん独り言みたいなものだ。

更新時間 : 09:42:49

1月9日 (金)

はる 2761
 松岡正剛の「白川静」を読んだ。帯には白川静の初の入門書と書かれている。今さらながら白川静はおもしろい人だ。氏の漢字の話の中には絵のテーマになる事やヒントが山のように隠れている。何年か前の「かぜのおとづれ」のテーマも実は氏の「風」からヒントを得ている。

 「訪れる」とは実は「音を連れてくる」から来た言葉だというのが、なんとも衝撃的な示唆だった。目に見えないものは音で感ずるしかない。風は見えないけれど、風が連れてくる音でその存在を知るというのだ。

 漢字の中には古代の人の心の有り様が隠されている。漢字は単にアルファベットなどのような記号ではない。その中に古代の人が何を感じ、何を欲していたのかというのが見える。で、それは古代の人だけのことなのかといえば、実は今の私たちのも共通する普遍的な人の心の有り様が見えるのだ。ここのところが実に興味深い。

 言葉というものは単にものを説明するだけのためにあるのではない。こうであったらいいなとか、このことは避けたいとか、嫌だなというふうに、人の思う形が言葉となって生まれてくる。「言霊」というけれど、「ことば」にはそういった人の想いが必ずついてくるものだ。

 人が動物でなくなった時に一番感じたのは「恐い」という感覚だと思う。暗い森には何かがいて、すきあらば我々に襲い掛かろうとしている。知らない事、見たこともないこと、予測のつかないことは、恐怖だったのだ。その恐怖や不安の感情を如何にして克服するかというのが、言葉の始まりのような気がする。まず人智を超えた大いなるものがいた。そしてそれらに祈ったり、占ったり、呪ったりすることで、とりあえずの安穏を得たのではないかな。

 色々衝撃的な言葉が語られているけれど、例えば私のペンネームであるところの「あそぶ」(遊)という字がどうやって生まれたかというのもなかなか示唆に富んでいる。

 元々の「あそぶ」とはまぁ夢中になってわれを忘れることをいうのだが、そういった忘我の状態を「神がかっている」「神が降りてきている」と考えた。

 漢字の「遊」という字と多少なりとも意味がずれてはいるのだが、「遊」のもとの意味は「方」(旗)を持った「子」(人)が歩いている形からきている。何故旗を持っているかと言えば、昔の人にとって自分の住んでいる場所から離れることは魔物が住んでいる異界に行く事であって、恐かった。故に自分たちの民族の守り神が降りて来易いと考えた旗をもって歩いた。

 事ほど左様にすべからくに「かみがいた」ということなんだな。まぁそれほど不安で恐ろしかったという裏返しではあるのだけれどね。まぁ「罰があたる」とか「お天道様が観ている」とかそういった「おおいなるもの」の存在を身近に感じられない現代の人は案外不幸なような気がする。

更新時間 : 18:07:21

1月8日 (木)

はる 2760
 特にどこにも不調はないのだが、二ヶ月に一度は病院の定期検診を受ける。これは検診というよりビタミンB12の補充に行ってるといったほうが当たっている。鉄分とかある種のビタミンは胃がないと吸収されにくいとかで、直接注射で体の中に入れる。まぁ他に特別薬を飲んでる訳でもないので、大きな病気をしたわりには予後がいいようだ。ありがたいことに。今日は午前中その定期検診だった。

更新時間 : 17:15:39

1月7日 (水)

はる 2759
 100号を含めて梱包をする。額装をして梱包するのはけっこう面倒な作業だ。特に100号クラスになるとダンボールもかなり大きなもので、普通のホームセンターでは売られていない。随分昔、コンクールに出品した時に業者さんに頼んで返却されてきたのも取っておいた。もう何度も行ったり来たりしているのでボロボロになってしまったけれどね。

 小さな額は画材店にオーダーした時にダンボールに入れて、そのまま運搬できる状態で送ってもらう事にしている。そうすれば一つ一つの箱も傷まなくてすむ。細かい事だけれど、こういった箱は化粧箱としてオーダーしたものでけっこう値のはるものだ。

 工芸品なんかは特にそうだけれど、箱がけっこう大切な要素になる。作家直筆のサインがあるかどうか、などなど・・。作品そのものとは関係のないことだけれど、ある種の見せ方、様式、価値の変換の仕方ではないかと思う。

 額も選ぶのが面倒になるほど色々ある。額によって作品の見え方はうんと変わってくる。ぴったりと合った額はその作品の価値を何倍にも見せてくれる。ただ私の今の作風の場合、額まで一緒に描いているようなものなので、出来るだけシンプルなボックス型がいいと思っている。色々考えなくていい分楽だな。

 本当は少し手を加えた方がいいのだけれどね。

 閑話休題
 臨時雇用と言えば私なんかももう30年近くそんな感じで、毎年3月に管理職から来年もやりますか?などと聞かれる。ここでやりませんと言えばそれで契約はおしまいという、実にあさりしたものだ。毎年履歴書と免許書の写しを提出するたびに、あぁ俺は臨時採用なんだと気付かされる。

 非常勤講師という仕事は、外から見れば普通の教員と大して違いはないようにみえるけれど、実は全く違う仕事だと思う。職業とはいえない、身分的には学校の先生だけれど、これほど不安定で何の保障もない、使い捨ての仕事はないだろう。保険も勿論失業保険も年金も健康保険さえない。二ヶ月に及ぶ長い夏休みや、春休みは当然賃金は支払われない。

 試験になれば当然授業はない、そういった学校行事で授業がつぶれた場合も休業補償などされない。生徒のために残って補習しても当然時給はつかない。

 だけど、そのことで文句を言った事もない。なぜならそれを承知で請け負っているからだ。非常勤講師というのはそういった仕事なんだ。だから病気をした時の多少の準備も必要だし、働けなくなったらどうするのか、ある程度の覚悟が必要だ。そういった心づもりもなく、ただ単にその日暮らししているのは、羨ましいけれど無謀だな。責任は自分にある。政府が何とかしてくれるとか、周りの温情にすがっているのはお門違いだ。

 何とかしろと圧力団体のように抗議している姿は同じ風来坊として恥ずかしい。もっと根性くくらんかい、とそう思うのだ。

 

更新時間 : 23:38:23

1月6日 (火)

はる 2758
 Iさんへ
 「聖書を読んだわけではないのですが、こういった話になるとあることを思い出します。一片のパンしかなくてそれを今皆で分けてしまった。明日のパンはどうするのか弟子がキリストに尋ねた。「明日の事は思い煩うな、今日一日の事はそれだけで充分だ」

 どうしても明日のパンの事ばかり考えて今日一日を充分に楽しめない自分いる。命を預けてしまう。それは美の神へのささげものなのかもしれないけれど、そうしないと本物にはなれないのかもしれませんね」


更新時間 : 18:39:37

1月5日 (月)

はる 2757
 仲代達也が新聞で面白い事言っていた。役者というのは万年失業中なんだ。その芝居ごと雇われて、終ったら失業状態になる。失業保険もないし、年金もない、病気になっても何の保障もない」。彼のクラスになってもそうなんだ。だからまぁそれが普通であって、特別な事ではない。うろたえるなとね。やりたい事やるということはそういうことなんだ。それだけの覚悟があるかどうかということだろう。

 役者に限らないけれど、芸人などという奴は河原者、風来坊、元を正せばどう観てもまともじゃない。歌舞伎俳優など今じゃ名門などと言っているがね、よくよく調べてみれば士農工商の枠外に存在した流れ者でしかない。世間からはみ出せばはみ出すほど歌舞伎者として一流となった。

 庭師や石工、生け花やお茶もそうかもしれない。芸事のルーツは全て流れ者だ。だから面白いのだな。

更新時間 : 19:32:43

1月4日 (日)

はる 2756
 ぼちぼちと仕事をはじめる。次の個展の額装から取り掛かる。これがけっこう面倒だ。今回もやっぱり30点ほど用意する。銀座の様子を参考に少し作戦を変える。といっても今さら作品を描きかえるわけにも行かないからね。まぁやるしかないということで・・。

 どうしても地元意識というのがあるきがするね。もうすでに関西で過ごした年月を大幅に越えているにも関わらず、生まれたのが関西だということだけで、人の見る目が違う気がする。同じ釜のめし的な、同郷意識がある。私の方にあるのか、相手方にあるのか、その両方なのかね。

 例えば私がここでどれほど活動したとしても、地元の作家ということにはならない。まぁそれが悔しいということではないので、勘違いしないで欲しいのだけれど、たぶんゆかりの作家にはなるけれど出身の作家にはならない。まぁもっともっとメジャーになれば放っておいても関係を持ちたがるものだろうけれど。

 まぁいいか。

更新時間 : 21:07:38

1月3日 (土)

はる 2755
 年々正月らしさが感じられなくなる。正月が楽しかったのは小学生の頃までかな。絵に描いたように独楽をまわして、凧揚げをして遊んでいた。低学年の頃はテレビもなかったしね。そんなことして過ごすしかなかった。

 住宅事情が悪かったのか、暖房設備も充分でなかったので、随分と寒かった。なんせ家には火鉢ぐらいしかなかったからな、寒いはずだよ。

 据え置きのラジオがあってね。もちろんスイッチを入れるとすぐには音の出ない真空管だった。大きさは小さな洗濯機ぐらいあった。天井部分が開くようになっていてレコードがかけられるようになっていた。家にあったレコードで覚えているのは誰が唄ったのか、五木の子守唄だった。家族がそろってミヤコ蝶々とナントユウジの「夫婦善哉」なんか聴いていた。休みの日は浪曲の放送なんかがあって親父が良く聞いていた。午後10時になると「ミオツクシの鐘」をあいずに電灯を消して寝るといった生活だった。

 まぁそれでも今よりおめでたい感じはあったな。

更新時間 : 23:56:09

1月2日 (金)

はる 2754
 不況の嵐でリストラにあっているサラリーマンなんかも多いかもしれないなぁ。日本はまぁ昔から終身雇用制が長くて、一度就職してしまうと衣食住すべての面倒をみてもらうかわりに、おやかた様には絶対服従みたいな、一種の小さな封建体制のような雇用形態を取っていた。もちろんそういった主従関係は悪い面も多いけれど、慣れてしまえば,安心とか安泰とか安住とか安堵とか得られやすいのかもしれない。

 会社の規模が「・・商店」クラスの大きさの商いならそれでも成り立つんだろうな。人には色んな能力があるのだけれど、まるっきりお荷物な人材でも、小さい商店ではそれなりの仕事が与えられて生きて行けたのだろう。

 何時の間にかね、効率が全て、能力が全てということになったら、どうしてもそういった社会からあぶれてしまう人が出てくるわな。社会というのは色んな人がいて成り立っている。病気の人もいるし、今生まれた人から明日にも死ぬかもしれない人がいる。身体的にハンディを持っている人もいれば、喧嘩っ早い人もいれば、能力がまるでない人もいる。

 役に立つ、便利だ、効率がいい、有能だ、という何だろう、一方的価値だけで世の中が判断されると、どうしても半分のひとはあぶれてくるだろうな。えい、もいどうでもいいや、とやけになる気持ちも良くわかる。

 例えば反対を考えれば、役に立たない、不便だ、非効率、無能だということになるな。落語の世界はよく出来ていて、今言ったそのままな熊さん八っあんが知恵者のご隠居さんとのやり取りで、どうにかこうにか生きている。究極的なスローライフって訳だな。

 リストラされた人に臨時の職をなんてやっているけれど、これはねぇ上から目線の発想のような気がするな。そんなものじゃ本質的な解決にはならんのじゃないかね。まぁ一時凌ぎにはなるけれど。

 結局ねぇ今の社会から必要ないといわれているのだから、とっととそんな社会からドロップアウトしてしまえばいいのだ。まだ一人前に有能なサラリーマンの幻影を担いでるから生きてゆけないなんて思う。

 田舎がある人は田舎に帰って小さな畑でも田圃でも耕せばいい。晴耕雨読、自分ひとりぐらいなんとか生きてゆけるだろう。それもダメなら根性決めて、お経の一つもおぼえての漂泊の旅にでる。日本はまだそういった行者には優しい所があって、一宿一飯恵んでくれる人もいるだろう。喜捨すれば浮かぶ瀬もある。やがては我々全てが同じ道を行く事になる。

 そんな夢を見た。

更新時間 : 20:16:47

1月1日 (木)

はる 2753
 2009年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

更新時間 : 18:53:38