2008 7月
7月31日 (木)

はる 2600
 帰って来ました。

更新時間 : 23:00:48

7月30日 (水)

はる 2599
 今日はお墓参り。暑い中を義理の兄貴と親父の墓参りに出かけた。

 個展にあわせて帰省していた兄弟が一人減り二人減りで、いよいよ私たちだけになってしまった。祭りの後の寂しさがしみじみ感じられる。

 いよいよ明日は帰ります。一週間留守にした庭木は大丈夫だろうか?バジルとルッコラは友達に預かってもらった。

 それじゃ又あした。

更新時間 : 22:06:02

7月29日 (火)

はる 2598
 個展楽日
 今日は最終日。ところが昨日の続きで天気が不安定な様子。時々雨が降ると予報ではいっていた。

 朝のテレビ小説なるものを久しぶりに見た。健康そうなヒロインがいつものようにでてくる。役者というのも面白そうな仕事だな。

 表現ということを考えると、いつも同じことに思い至る。たとえば「幸福」といった課題を与えられたとしよう。その場合、その人間がどういった幸福感を持っているかということが問われる。

 一通りのありふれた表現ならだれでも考えられるけれど、できるだけオリジナルな「幸福観」の表現を求められる。人に伝えようと考えた場合、どうすれば解ってもらえるのか、そんなことを具体的に考えなければならない。

 そういったときに役者なら今まで生きてきた人生観みたいなものが自然に出てくるわけで、裸に近い生身の自分というのが自然に出てくるのだろう。

 とそこまで考えると、あぁこれも絵を描くことと同じなんだな。恥かき行為なんだなと思い至った。

更新時間 : 22:17:20

7月28日 (月)

はる 2597
 個展5日目
 今日は午後二時ごろから真っ暗になって雷がなりヒョウが降ってきた。どえらい天変地異がおきそうな感じ。まもなく熱帯のようなスコール。近くで雷が落ちて電車も止まったようだ。

 無論こうなってしまえばお客さんは期待できないわけで、画廊の中で好きなグールドのゴールドベルク協奏曲を聴いて過ごした。やぶれかぶれなところもあるあるけれど、まぁ嫌いではない。都会のど真ん中で日常ではない時間を過ごす。どんなところにもどんな時にも少しばかりの楽しみはある。

 明日午後4時に終了です。

更新時間 : 21:44:53

7月27日 (日)

はる 2596
 個展4日目
 今日も夏日でしたね。全く暑い。

 日曜ということで結構たくさんの人出がありました。ところが、ほぼ30分ぐらいの間に多くの人が集中したしたために、てんやわんやの混雑ぶりでした。対応がごて後手にまわってしまってすみませんでした。

 今日は最後に高校の一年の担任だった先生が来てくれまして、まぁ感激でしたね。当時はとてもいい生徒ではありませんでしたが、覚えていて来てくれるわけですから有難い話です。今でも現役で教壇にたたれているそうですから、頭が下がりますね。

 後二日です。未だの人はお早くおねがいします。疲れてきました。

更新時間 : 22:36:37

7月26日 (土)

はる 2595
 個展3日目
 今日も暑い1日だった。実は昨日は日記を書く時間が無かったので、これは翌朝に書いている。まぁどうでもいいことなんだけれどね。

 お客さんの流れというのは不思議なもので、来るときにはどっどとかたまって来る。順番にならして来てくれればゆっくり対応できるのになぁ・・といつも思う。今日もそんなシーンが何度かあった。

更新時間 : 07:37:02

7月25日 (金)

はる 2594
 個展2日目
 午前中は昨日の疲れが残っていて、体調が今ひとつだった。午後からは盛り返す。それにしたがってお客さんもわりと途切れなくやってきた。

 せっかく個展を開いてもお客さんが来なければ全く無意味。くたびれもうけ。どうしても小さな会場だと作家とマンツーマンになるケースが多いので、気後れするようだ。

 無論買ってもらいという気持ちは山ほどあるけれど、これは絶対に無理に勧めることはない。こんなに暑いさなか、見て貰えるだけで有難いわけで、そこのところははっきりしておきたい。

 反対に作家と話をする、質問をする、いじめるぐらいの気持ちで来て欲しい。それが直接会場に来る面白さだと思う。

 誠心誠意対応します。是非見に来てください。ではでは。

更新時間 : 21:29:12

7月24日 (木)

はる 2593
 個展1日目
 オープンした。昨日は高校の同級生とのみに行く。私は飲めないのでウーロン茶で最後まで付き合う。帰りはタクシーで帰る。団塊の世代のサラリーマンはタフですな。ごちそうさん。

更新時間 : 08:25:32

7月23日 (水)

はる 2592
 個展前夜
 今日は1日お休み。飾り付けが終わって1日休みがあるというのも気が抜ける。その日に飾りつけをしたほうがいいかもしれんな。まぁ疲れがとれるというメリットはあるけれどね。

 というわけで明日からオープンです。みなさんよろしく。

更新時間 : 22:24:53

7月22日 (火)

はる 2591
 個展前前日飾りつけ
 今日は飾りつけ。いつもの相棒は熱を出して撃沈。私と画廊のオーナーとでぼちぼちとやる。今年で何度目かな、まぁもうかなり慣れているので、そう時間は食わない。

 出来るだけ変化が付くように、尚且つトータルなイメージを壊したくない。絵の展示はけっこう難しいと思う。素人の展示はすぐに分る。明らかに何も考えられていない。

 絵そのものも勿論大切なんだけれど、個展の場合会場の演出というのも大事な要素だと考える。いい絵も置かれた環境が悪ければへなちょこに見える。

 キャプション(題名)をどこに貼り付けるのか、そんなことも大事だとおもうなぁ。しっかり読んでもらいたいと思うなら、読みやすい位置にはるべきだ。腰をかがめてしゃがみこんだ姿勢を強制するような位置は意図的なら別だけれど、普通はxだ。

 高さは一応目線より少し下辺りが中心になるようにする。大人の女の人がみて見やすい高さがいいように思う。大体床下から135cmぐらいかな。あまり高いと安っぽくみえる。

 照明も大事だな。私は全体的に薄暗いくらいのほうが好きだ。でスポットで部分的に絵を照らす。

 絵がよければ小ざかしいことはしないほうがいいという考えもあるけれど。私は見せ方も含めて作品だと考えている。自分が持っているもの全て、あるものないもの全てが作品だ。出し惜しみはしないつもりだ。なんでもかんでも見てください。そう、これだけの人間です。

更新時間 : 21:17:42

7月21日 (月)

はる 2590
 今年は東京まわりで神戸に行くことにした。時間的には少し遠回りになるのだけれど、便利という点では数倍うまみがある。

 例の「のろいの身延線」で静岡経由でゆくとなると、本数が極端にすくなくなる。それに、ひかりとかこだましかここには止まらない。そして結局神戸には止まらない新大阪どまりだったりする。

 少しの料金の差なら東京にでて「のぞみ」で一発で新神戸まで行ったほうが結局ははやかったりするのだな。それにやっぱり華のお江戸を経由して旅に出るのは楽しかったりする。

 ローカルはローカルなりのひなびたよさはあるけれど、これから頑張って仕事をするという景気付けの気分にはならないなぁ・・。

 明日は午後から搬入です。んじゃまた。

更新時間 : 22:12:45

7月20日 (日)

はる 2589
 いよいよ明日早くに出発します。というわけでまた更新がシャメだけになるかもしれません。出来るだけ臨場感のある報告をしたいと思っています。

 機会があるなら個展会場までお越しください。私は連日会場に詰めている予定です。

  榎並和春個展

 〜永遠のかけら 3〜

2008 7/24(木)〜7/29(火)

神戸・ギャラリー ルポール
神戸市中央区加納町4-6-4
078-332-3751



更新時間 : 18:05:18

7月19日 (土)

はる 2588
「存在の理由2」
 前にもどこかで書いたけれど、私がここに存在するということとこの宇宙が存在するというとは同じ原理で成り立っている。物事は全て部分が全体の一部を表していて、その部分をみることで反対に全体を推測することができる。

 何だか小難しいことを書いているようだが、ようするに私の中にこの宇宙の創生から消滅までのプログラムが気が付かないけれど記憶されているということなんだな。それを解き明かす事ができれば「我々はどこから来てどこにゆくのか?」という答えがはっきりとわかるように思う。

 さて、細胞のなかの記憶装置としてDNAが今最重要課題で解き明かされようとしているけれど、もっとも重要なこの「宇宙のなぞ」の遺伝子は我々の脳細胞のなかにあるのではないかと考えている。

 はっきりいって宇宙の広さと時間も我々の脳細胞のなかにあるのじゃないかと思っている。ただこれは単純な私の空想でしかないので公にすると笑われるでしょうね。しかし、近い将来この謎が解き明かされる時がくるように思う。

 さて、それでいずれ消えてしまうであろう我々をどういった理由で誰がこの世に使わしたのかということだな。続く

更新時間 : 22:36:33

7月18日 (金)

はる 2587
 今日は眼科にかかった。個展の前に一応定期の検診を入れた。どうも眼の調子が悪い気がする。まぁこれは目が悪くなってはこまるなぁという不安から来ている神経症的なものかもしれない。

 手が一本なくなってもいい。足が無くなってもいい。体が半分自由がきかなくなってもまだ絵は描けるだろう。けれど目が見えなくなったらお手上げだ。まぁそうなったらそんな歌を唄うだけなんだけれどねぇ・・、まだまだ未練がある。

 明日神戸の荷物を取りに来る。連休があるので少し余裕を持って発送することにした。私自身は月曜日にたつ予定。また一週間ほど留守になる。

 ということで又明日。

更新時間 : 23:48:00

7月17日 (木)

はる 2586
 今日は暑かった。午前中定期検診。又明日。

更新時間 : 23:21:00

7月16日 (水)

はる 2585
 だいたいね、生物がこうやって生きているということ自体が不自然というのか、異常な状態だ。エコだエコと叫びながら人がこうやって生きている事自体、環境に対して悪い訳で、究極的には生物などいない方が環境のためにはいいわけだ。

 他の生物が何億年もかかって蓄積して二酸化炭素をここ百年ぐらいでばら撒いているのだから、どうやっても地球はおかしくなる。

 それにしても宇宙全体から見れば何てこと無い訳で、例え人類が滅亡しようが、どうなろうが宇宙には何の変化も無い。相変わらずそのまま又何億年も存在するのだ。

 生物というのは地球からみればカビや細菌みたいなもので、繁殖しすぎるとやがては自ら発生させた毒で消滅してゆく運命にある。今はその過渡期にあるように思うなぁ、寄生生物の運命と言うのはガンにしても同じようだけれど、母体と共存共栄している間は平和だけれど、やがては食い尽くして母体が死ぬと寄生生物も死ぬ。

 いいたかったことはこんな事ではない。

 偶然かもしれないけれど、地球上に生物が発生した。ゴミみたいな単細胞生物から始まって、何億年もかかってこうやって意志をもった人類が生まれたわけだ。

 あらゆる生物が遺伝子の方舟として今現在を生きている。今ある命は次の命を生むただそれだけのためにあるわけだ。オスとメズがあって有性生殖するのは、もしもの時に一通りの遺伝子しか持ち合わせていなければ全滅する可能性が高いからだ。色んなバージョンを作ることによって99%の生物が死んでも1%生き残れば再生が可能だからだ。

 そうやって今ある生物は過酷な環境の変化に対応して生き残ってきた。たぶんこれからも。例え極悪な環境になったとしてもそういった環境に対応した生物が生まれ変化して生き残って行くのだろう。

 個々の「人生の意味」などそこには存在しない。あるのはただ次の世代にバトンをつなぐ、それだけの意味しかない。

 けれどもと私は考える。本当にそれだけなのかなぁ。物事には必ず原因があって結果がある。何の理由もなく突然結果だけ現れると言うような事はないのだな。何かしらの意志が働いているのではないかと思うのは自然なことのように思う。

更新時間 : 20:21:14

7月15日 (火)

はる 2584
 オツカレーライス

更新時間 : 21:13:28

7月14日 (月)

はる 2583
 今日は神戸行きのチケットを買った。いよいよ個展が近い。個展前の作家の心境はどんなものか時々聞かれるけれど、私に関していえば楽しみなだけだ。大体展覧会が始まってしまえばもうどうしようも無い訳で、ただただお客さんが来るのを待つだけだ。

 神戸を離れてもう35年もたつけれど、地元といえば神戸というイメージがある。正確にいえば神戸で生まれたわけではない。親父の仕事の関係で兵庫県内をあちこち転勤したらしい。生まれは淡路の洲本らしい。生まれてすぐに兵庫県の三田の方に引っ越した。私がうろ覚えで記憶があるのは、その後の三木の県の宿舎からだ。それでもまだ三歳にもなってなかったらしい。

 その後神戸の垂水の方に引っ越した。幼稚園は垂水幼稚園。そこらあたりからのイメージは強烈に残っている。この間、たまたま東京の展覧会で同じ垂水幼稚園の卒園者と一緒になってビックリした。で、その後の事を聞いてまたビックリで同じ高校の先輩だった。考えてみれば不思議な事じゃないのだけれど、驚いたな。

 こうやって思い出すと懐かしさがこみ上げてくる。楽しみだなぁ。

更新時間 : 23:27:21

7月13日 (日)

はる 2582
 Tさんへ
「・・ある意味他の人と違ったのは自分を見つめる目を養ったことだと思います。これはとても大きい財産だとおもいますね。これは古くなる事がありません。

 ただ単に風景や人物を描写するのではなく、「私にとって絵を描く意味」をいつも問い掛ける、そのことが他の作品との違いになったように思います。

 百人百色、どんな色でもいいのですが、それを追い求める姿勢が他を寄せ付けない強さだと思います。

 自分には嘘はつけません。正直であること、自分自身であることが一番強いんですね。

 そんな事を感じました」


更新時間 : 22:27:51

7月12日 (土)

はる 2581
 今日は暑かった。いよいよ夏になって来ましたね。

 昨日洗濯機が壊れた。これだけ暑くなって洗濯できないのは困る。仕方が無ので例の家電の量販店に行く。こういった家電はどんどん新しくなって、見れば欲しくなるので必要以外に行かない事にしている。

 洗濯機一つにしても全くピンキリで、何でこんなに値段が違うのか分からない。要は洗濯と脱水ができれば事足りるのじゃないか、あとは乾燥とか色々あるけれど、これだけエコだエコだといわれているご時世で、わざわざエネルギーをかける必要などない。

 まぁこれは私の内なる声で大っぴらに声を出して発言したもではない。まぁ適当なところで手を打ってもらった。何とか無理を言って遅くても今日中に届けてもらうことにする。そういう訳で今日の予定は全てキャンセルとなった。

 明日はこの間の公募展の授賞式。そのあと総会やら懇親会などがあって忙しい。

 個展が近づいて来た。ニ三日前にDMを出したけれど、まだつかない人は手違いでもれてしまったのかもしれない。連絡いただければ送ります。ンじゃまた。

 

更新時間 : 22:25:17

7月11日 (金)

はる 2580
 洗濯機が壊れた。ぁぁまた無駄な出費だ。

更新時間 : 23:48:05

7月10日 (木)

はる 2579
 前に書いたことがある骨董やの親父が昨日亡くなった。20年も前から「もう死ぬ、もう死ぬ」と言ってた割には長生きしたと思うのだが、つい一ヶ月ほど前に偶然街で出会って夫婦で昼飯をご馳走になったのが最後になった。見かけは骨董屋の親父そのもので、慇懃で偏屈な親父だったけれど、ふところの深い魅力のある人だった。もう会えないと思うと、何だか少し寂しいねぇ・・。合掌

 いつも思うのだけれど、こういった日記はなかなか難しい所がある。私は本名を晒しているので探ろうと思えば個人を特定できる。まぁ作家の宿命というのか、こういった媒体は広報活動の一種だと考えているので諦めてはいる。

 けれど、わたしの家族とか周りの知り合いは預かりしらないことで、知らないうちに自分に関係したことが書かれているというのは嫌かもしれない。現に私のかみさんは自分のことは書かないでくれと釘を刺されている。だからまぁ、書くことは自分の事ばかりになってしまうのだが、それでもどこかで嫌な思いをしている人がいるかもしれない。

 まぁ今のところそれによる弊害というのもないのだけれど、将来的にこれからもないという保障は無い。

 私は表現者として言動には気をつけているつもりですが、まぁ気になった場合すぐに訂正しますので何かしらのコメントを下さいな。よろしく。

更新時間 : 22:34:45

7月9日 (水)

はる 2578
 人生は何があるか分からないから面白い。今、極普通に暮していると思っているアナタ、そうあなたのことです。毎日を何気なく無駄に暮していませんか?

 そうビッビドの生きましょう。何も怖がる事はありません。「不安」や「恐れ」は貴方が自分でこしらえた幻想です。「ない」ものを「ある」ように恐れていませんか。

 「捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」これが人生の極意です。

更新時間 : 20:38:31

7月8日 (火)

はる 2577
 時々私のHPなどをみて見知らぬ人からコメントが来る。私自身、HPを立ち上げてからもうすぐ10年目にはいるけれど、ほとんど他の人の掲示板などにコメントを書いたことがない。

 最初はメールアドレスも晒していたわけだから、毎日百も二百もメールがきたら返事を書くだけでも大変だなどと、幸せにも取り越し苦労していたけれど、ほとんど心配するほど書き込みはないものだ。

 巷に何万も何百万もあるHPのなかでたまたま私のページにたどり着いて、なおかつメッセージを残してくれる奇特な人はどういった人なのか関心がある。

 どういった経路で私のHPにたどり着いたかということも関心があるけれど、私自身が他のページに行く方法は検索エンジンからたどって行く場合が多いな。

 私のページに少なくとも毎日一件以上の確率で「裸婦デッサン」で検索して訪問してくる。まぁ絵じゃない画像を期待して来る人もいるだろうけれど、純粋にクロッキーをみに来る人も多いだろうな。

 まぁ何でここを見つけてくれてもよくて、できれば何度でも訪れてくれるリピーターになってくれるとありがたい。

 一番訪問者が多いのはやっぱりブログで、ここはほぼ毎日更新されているのでその理由はわかる。意外にトップページが多いのは、まじめにトップページにリンクを貼ってくれているひとが多いんだなぁと推測する。

 後はほぼどのページも4,5人だな。

 バックナンバーは数が多すぎて読む気にならないのか、意外に少ない。ギャラリーに続いて私のページの目玉商品だと思うのだが、そう思っているのは私だけか。

更新時間 : 18:20:22

7月7日 (月)

はる 2576
 人にものを教わった場合、どうしてもその師匠の癖と言うのかある種のかたよりが出てくるようにように思う。全く偏向しない教育などというものがありえるのかどうか分かりません。

 勿論教える事がその師匠の押し売りになることが一番気をつけなくてはならないことなんだけれど、ややもするとやんわりと押し付けになっているのではないかと危惧するところもある。

 理想をいえば生徒が持っている能力を最大限引き出すというのが師匠の役目であって、ほんの少しも似たところがあってはいけないと言う事になるのだろうかねぇ・・。

 人は勿論全ての人が違う訳で、生きてきた環境も経験も全く異なるわけだから、同じように指導しても同じようには育たない。まぁそれがその人の個性ということになるのかな。

 造形の原理みたいなものがあって、それはなかなか口では言えないものだ。色んな作家がいて、それぞれが独自の方法で自分なりの造形の原理を掴む。それは百人の作家がいれば百通りあるもので、千差万別、全くそれを探す事が作家になる道といってもいいかもしれない。

 ここに一つの点を打つ事がこの場合必要だということは千の言葉を使っても充分には伝えられないだろう。そのことを確実に伝えられるのは実際にそこに一つの点を打つことでしか教えられない。

 まぁ難しいねぇ・・。あくまでも必要最低限の点を打つ、そのことに教える事の醍醐味があるのかもしれないなぁ。

更新時間 : 21:06:02

7月6日 (日)

はる 2575
 絵を教えるのは難しい。まぁ本来絵は教えられるものではないし、教わるものでないのかもしれない。まぁ芸というものは「生き方」であるわけだから、どんなに教わったとしても「人生をかけなければ」あまり意味が無い。技術は教える事はできるのだが、技術というのも表現と一体になっているもので技術だけ切り離して考えるものでもない。

 じゃ例えば実際に教室で指導する場合どうすればいいのかということだな。ものを見て描写するといった場合、ある程度は見方とか表現の方法というのがあるわけだから、そういった技術を教える事は案外に簡単なことだ。普通のカルチャー教室ではそこまでだ。

 ものの描写から離れて、表現という段階にはいってきた場合、それぞれが自分の深いところまで降りて行かねばならない。我々が出来るのはそういったことのきっかけを作るとか助言をするといったことだろうか。

 でまぁ、師匠が言ったことが右から左に理解できるようじゃ最初ッから習う必要が無い訳で、描けるという事は見えるということだからね。

 芸事の信義はやはり「守・破・離」だと思うな。最初は師匠について習う訳だ。一生懸命分かろうが分かるまいが真似をする。それでそれが出来るようになると師匠のものを破る。やがて自分のものをみつけて離れる。というふうにね。
 

更新時間 : 00:25:00

7月5日 (土)

はる 2574
 「こうあるべきだ」というのではなかなか人は動かない。「それが面白い」から動くのだな。多くの公共の施設なり団体というものは大体において「こうあるべきだ」という理念で成り立っている。確かにそれを最初に立ち上げた人たちにとっては、意気に感じる仕事だったのだろう、けれどあとに続く人たちにとっては魂の抜けた面白みの無い義務でしかない。

 多くの場合面白くない仕事を任された場合とる対応は、出来るだけサボる、手を抜く、ごまかす、逃げる、責任転嫁する。ありとあらゆる悪癖が蔓延する。人は元来善なるものを愛する動物だとおもうのだが、「退屈」は全てのものを駆逐する。悪魔に心を売り渡してしまうようだ。

 国はその国民に合わせた政府しか持てないそうだ。このことの意味は大きい。確かに一部の人の理想だけでは成り立たない訳で、いずれはその大衆レベルの政府を持つことになる。そう考える我々が今もっている政府は今の我々のレベルを表しているわけで、天につばすれば自分に返って来るようなものだ。

 最近我が県立美術館が「みんな大好きアンパンマン」と題した企画展を開催する事になった。独立行政法人となってどうしてもお客さんを取り込まなくては成らなくなった苦肉の策だとはおもうのだが、難しい所に来ていると思う。

 結局こういった公共の施設というものも、その県民の共通の意識があってこそ維持できるものなんだろう。けっして美術館だけの問題ではないわけで、はっきり言ってしまえば我々県民の文化意識のレベルが問われているんだと思う。本当に来館者が多くなると言う事だけが「いい」ことなのかどうか。まぁ今までがその来館者数を誇っていた美術館だからそこにこだわりを持つのは分かるのだけれどね。

 公立美術館とは何なのかもう一度考えなくてはならないじきにきているのではないだろうか。


 

更新時間 : 22:00:34

7月4日 (金)

はる 2573
 九月に新聞小説の挿絵だけの展覧会をやる事が決まったことは書いた気がする。今日早々とDMが仕上がって届いた。

 DMが出来上がってから気がついたのだけれど、これって作者の承諾が必要なのかどうか、絵の展覧会だから小説とは直接関係ないといえばそうなんだけれど、正確な事はわからない。

 まぁ例えば宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」なんかの挿絵を描いたとして、原文そのものは勿論著作権があるから展示はできないと思うけれど、そこから勝手にイメージした絵は私のものでしょう。

 ということに気がついて急に不安になって直接作家に電話する事にした。どういった話になったとしても、一応仁義として筋を通してあれば問題ないかなと思ったからだ。

 まぁ承諾を得るというかたちだと、ダメだということになると面倒なので、一応お知らせという形をとったけれど、これでよかったのかしらねぇ。

更新時間 : 23:31:54

7月3日 (木)

はる 2572
 わが県立美術館で夏休み特別企画「みんな大好きアンパンマンやなせたかしの世界」展を開催すると案内が来た。ほぉいよいよ来ましたね。まぁどこかでジブリの展覧会をやるのであれば日本が誇るアニメーションの展覧会を企画してもおかしくないかな。夏休みだし、多くの子供達がやってくるでしょう。

 私は行きませんが。

 まぁ安易に批判することは止めましょう。当事者も苦肉の選択だったにちがいありませんからね。今までの「ミレーの美術館」からの大いなる飛躍となるか、凋落となるか少し様子を見ましょう。

 大学とかこういった研究機関とか施設はどういった方針が理想的なあり方なんだろう。最近公共の病院などもこういった地方都市では大きな赤字をかかえて、民間ならばとっくに潰れてしまっていてもおかしくないようなありさまだ。

 夕張なんかもそうだったけれど、地方に行けば町そのものが立ち行かなくなって色んなところで悲鳴が聞こえる。

 東京などの一部の都市部の施設や、名の売れた団体だけが何となく成り立ってはいるのだけれど、それも単に気分的な雰囲気やまぼろしのようなものだ。まことにあやふやなものだ。

 こんな事が言えないかな。非営利の施設というものは、こういった施設を持つだけの公共の理解というのが育っていないと維持できないということじゃないかな。どんなに高級な高尚な施設や道具でもそれを利用したり興味をもってくれる人がいなければ宝の持ち腐れだということだ。

 

更新時間 : 22:30:09

7月2日 (水)

はる 2571
 少し眼がおかしい。もともと飛蚊症があるのだけれど、最近やや増えた気がする。眼科には定期にかかっている。なぜなら目が見えなくなるというのが一番恐れていることだからだ。

 でもまぁそうなったらそうなったで諦めるしかない気もするけれどね。そんなことまで考えて憂鬱になってもねぇ。

 人生50年ではないけれど、どんな機械でも50年も休み無くはたらけば、どこか故障がおきてくるわけで、まぁ実質の対応年数は60年ぐらいのものだろう。それ以後は付録、余生みたいなものだ。生きているだけ丸儲けの世界だな。いつまでも健康で長生きしようと思うこと自体が間違っているのじゃないかな。どこか調子悪くて普通なんだよ。

 例えばね、高度に医療が進化してみんなが90歳や100歳を越えて生きてしまったら、世の中おかしくなってしまうだろう。カマキリなんか子供産んだらオスは食べられてしまう訳で、鮭なんかも産卵したら親としての役目は終った訳だ。人間だけが役目が終ったにも関わらず長生きする。

 何だかわからんようになった。眠たいのでまた。
 

更新時間 : 00:41:26

7月1日 (火)

はる 2570
 七月になりました。
 今日は一日出稼ぎ仕事。

更新時間 : 21:09:49