2008 6月
6月30日 (月)

はる 2569
 今日で六月も終わり。

更新時間 : 19:34:56

6月29日 (日)

はる 2568
  日曜美術館で画家・「野見山暁治」をやっていたので観る。絵を描く人は知らない人はいないぐらい有名な作家なんだけれど、一般のひとは知らないだろうなぁ。

 学校を卒業してさて、自分はどんな絵を描いてゆこうかと思ったときに気になった作家の一人だ。ちょうど「アトリエ誌」が彼の特集をしていたこともあるけれど、具象絵画と抽象の狭間のような仕事で、単に物の描写に飽き足りないものを感じていた私はすぐさま真似をした覚えがある。

 彼の最も印象に残っている言葉は「何が描きたいのか分からないから描いている」という禅問答のような話だ。今日のインタビューでも同じような事を語っていたけれど、まぁそれが一生続けていかれれば幸せな絵描きと言えるでしょう。

 今回原宿?に新しい地下鉄の駅ができたそうで、それにあわせて彼の作品をステンドグラスにした工程を放送していたけれど、彼のインタビューも良かったけれどこの作品のタイトルがまた良かった。

「いつかまたあえる」

 長生きして気がついたら周りに誰も知り合いがいなくなった。一人抜けまた一人抜けと本当に消えてゆくんだなと思った。寂しいということでもないのだけれど、人そのものよりもその気配みたいなものを描きたいと言ってたな。ものはいつか消える。そしてまた「いつかまたあえる」そんなことかな。



更新時間 : 22:32:57

6月28日 (土)

はる 2567
 我々の子供の頃は日本全体が貧乏だったので、親の育て方うんぬんというより子供は自然に育った。親からの干渉が少なかったということかな。まぁそれが良かったのかどうか、そのかわり自分が親になった時にやたらと干渉するダメ親になったようだな。

 今回のアキバの容疑者やサカキバラなどの親も私と同じ年頃だ。ちょうどね学生紛争が一段落して、結局何にも変わることなく、大いなる権力に全てつぶされてしまった。で、「無気力、無責任、無感動」などと揶揄された頃だな。

 閑話休題

 大阪の学生だった頃は、ほとんどアルバイトで食べていた。元々実家が神戸だったもので通えない距離ではなかったから、下宿するのは反対されていた。だから数人で一つの部屋を借りて私は管理人としてそこに住まわせてもらっていた。

 だから常に何かしらのアルバイトをしていた。色んなバイトをしたな。ガソリンスタンドの店員、八百屋のした働き、ダイエーでも働いたことがある、変わったところでは灘の酒の一升瓶の入るケースを作るところ、ビルの掃除、証券会社、運送業、洋服の製造業、ジャズ喫茶の店員などなど。

 でまぁバイトで可愛がられる方法なども自然に身につく。どこでも通用すると思うんだけれど、結局自分で仕事を見つけて動ける奴が好まれる。バイトだから言われる事だけやるという輩はどこにいってもダメなんじゃないかな。サボれるだけさぼるという奴もいたけれどね。

 色んなオーナーにも会ったけれど、いいこと言う人もいたな。「バイトもいいけれど学生のうちしかできないこととやれ」とか、「ちゃんとしっかりした技術があれば、お金はなんとでもなる」とか。

 アルバイトで学んだ事は多いけれど、結局バイトではだめだということだな。替わりはいくらでもいるし、何かあれば簡単にくびになってしまう。働いてもはたらいても食べて寝れば終わりだ。

更新時間 : 22:27:26

6月27日 (金)

はる 2566
 グッドウィルやパソナにしても出てきた頃は時代の先端をゆくカッコいい企業の一つだった。それがあっという間に凋落してしまった。まぁ考えてみれば分かりそうなものだ。

 斡旋業というのは古くて新しい仕事でね、時代小説などでも口入屋などとして浪人の仕事の斡旋などをやっている。親父は因業な輩でよくよく嫌われている。なぜなら要するにピンはね業だからだ。

 日雇い労働者のことをニコヨンなどという。子供の頃はまだニコヨンのおっさんという言葉が普通に通用してたな。普通は単純な肉体労働者のことを指していたけれど、正規の就職をしていない下働きの日雇い労働者のことを、やや見下してニコヨンとかヨイトマケのおっさん、おばはんといっていた気がする。

 想像すると、季節労働者とか住所不定のからだ一つで渡り歩いているような単純肉体労働者は食べてゆくためには、そういった宿泊施設のあるハンバはありがたいわけで、食って寝るただそれだけで当座は充分だったわけだ。

 神戸の造船所でアルバイトしていた時もこれは高校生だったけれどね、本来はやってはいけないんだけれど、朝早くどこかに並んで待っていると、親方に呼ばれて何人かが仕事にありついた。夕方造船所から出るときに現金が支払われるシステムで、若い我々にはありがたかった。

 仕事の内容は、ドックに入った小山のようにでかい船の底に潜ってボロ布で油を吸い取るといった誰もやりたがらないような汚れしごとだったな。初めてだったから結構面白かったし、お金もよかったように思う。

 ここで大事なことは、こういった仕事というのは無保険だし、何の保障も無い。一日一日の手間賃が払われるのだけれど、まぁ若いうち健康なうちは何の問題もない。雇う側も正規の社員を雇うより都合がいいわけだ。嫌ならいくらでも替わりがあるからね。

 短期の契約社員などというのは都合のいいニコヨンと同じだな。使い捨て、いくらでも替わりがいる。企業にとってはまことにありがたい、願ってもない雇用形態だ。ニートとかワーキングプアまどと騒いでいるけれど、そんなものは最初っから分かっていたことだ。今頃気付くのはお坊ちゃま過ぎるね。

 と言ってもこのシステムを大手を振って導入したのは世の政治家でありトップの方だから、責任は大きいなぁ。だまくらかしに手をかしたんだからな。

更新時間 : 23:31:03

6月26日 (木)

はる 2565
 今日はグループ展の当番で一日美術館にいた。平日に美術館にいてもあまり人はこない。もっとも最近は休日でも似たりよったりかな。絵を描いている人は別にして、ほとんどの人がこういった表現されたものに何も期待していないのを感じる。

 まぁ例えば明治や大正時代なら裸婦が描かれただけで大きなセンセーションを呼んだ。新聞や雑誌で面白おかしく書かれたたりしたわけだ。今絵でそういった話題になることもない。見る人もほとんど素通りだな。無視されている・・そんな感じかな。あってもなくてもいい、別に卑下しているわけでもないのだけれど、ちょっと寂しいねぇ。

 自分達も悪いのだけれどね。世の中の人に声をかけるのを怠っているようなところがある。それに私達だけがアートをやっているんだ、高尚な事をやっているんだといった態度が匂うからなぁ・・。普通の人の生活感から離れてしまっているのかな。

 「魂の仕事」ってきれいな言葉で好きなんだけれど、昔大江健三郎がどこかで語っていたからそれを盗んだんだけれど、世の中全体がこう「魂の仕事」にたいなものに敬意を払わなくなったのかな。

 まぁ格好だけだったのか知れないけれど、例えばヒッピー全盛の頃はフォークなんかもそうだったけれど、東洋の哲人への憧れとか、思想家への尊敬とか、そういった雰囲気があったように思う。それがね、かっこよく思えたんだよなぁ。いまでもそんなものを多少ひきずってはいるのだけれどね。

 なんだか取りとめも無い話だ。また。

更新時間 : 21:44:19

6月25日 (水)

はる 2564
        2008 個展に寄せて         
「永遠のかけら3」神戸     榎並和春

 「自分探し」はもう言いふるされた言葉だ。けれど、何かを「表現」しようとした場合、いつでもそこに戻って来る。何をやっても自分というのは出てくるのだけれど、それを意識するか、しないかは大きな違いがある。

 先日テレビを観ていたら車のCMでこんな事を言っていた。「今の貴方は選んできたあなたの総体だ」、なるほどそう考えると納得がいくことがある。

 絵を描く面白さは、ぶっつけ本番の真剣勝負だと思っている。自分の心の中に浮かんだものが何なのか、具体的になってくるまで自分でもわからない。
  
 もうすでに分かっていることを描いても面白くない。それよりも私は何故それに引っかかりを感じたのか、その「想い」の中味を知りたい。それを選んだ自分を知りたいと思うのだ。

 今年もそんなことを考えながら「永遠のかけら」を拾い集めてみました。ご高覧、ご批評よろしくお願い致します。

       榎並和春個展
      〜永遠のかけら3〜
   2008 7/24(木)〜7/29(火)
     ギャラリー ルポール 
神戸市中央区加納町4-6-4 電話078-332-3751
                     


更新時間 : 23:03:18

6月24日 (火)

はる 2563
 疲れた。

更新時間 : 23:29:35

6月23日 (月)

はる 2562
 ここの公募展があってその準備で少し忙しい。どこの団体も高齢化が進んで、若手が入ってこない。そのうちに老人倶楽部のようになるのじゃないかなどと危惧する。それに絵を描く人は女性ばかりでオジサンは何してるんだろう?

 この間博物館に出かけた話は書いたけれど、そこに来た団体はお年よりばかりだった。まぁ昼真っから自由に歩けるのは年寄りとオバサンしかいないのだろうけれどね。まぁそれはそうなんだけれど、お酒飲んでねほろ酔いで見物するところじゃないからねぇ・・。

 どうも我々は鑑賞するのが上手くないと思う。小さい頃からそういった教育を受けていない。まぁ興味がある人は別に放っておいてもいいわけだ。問題は興味が無い人にどう振り向かせるか?ということなんだろうけれど、これがまぁ至難のわざだね。

 格好はジジババだけど、やってること言ってることは子供と変わらんね。恥ずかしくないか。格好がひねてる分始末が悪い。好きにならなくとも、興味がもてなくとも、少なく敬意を持って接する必要がある。誰かが真心を持って作った物にはそれなりの意味がある、価値がある。それが分からないようなら、来るべきではない。

更新時間 : 23:31:15

6月22日 (日)

はる 2561
 「小国寡民」と「地産地消」というのがこれからの地方が考えておくべきテーマのように思う。人口が減って色々な所に弊害が起きてきてはいるけれど、まぁ今までが多すぎたわけでこれからがある意味適性なのではないかね。

 生産性とか利便性とかそういったことをだけを生きる指針にしてしまうと、これからはどうしても国力が落ちるし、右肩上がりの張ったりは通用しなくなるかもしれない。けれどねぇ、いつまでも成長しつづけるという発想自体がおかしいわけで、いつかは後ろを振り返らなければならに時が来る。

 人にの人間に例えれば、子供時代があって青年期がある。やがて成長が止まってより成熟した大人に成ってゆくわけだ。いつまでも昔の成長を期待してもそりゃ無理と言うものだ。

 少子化や団塊の世代のリタイヤ、老年化は、もう何年も前から分かっていたことで、予想外のできごとではない。何を今さらおたおたしているんだと思う。国全体が斜陽化しているのはもう明らかに否めないわけで、その現実をしっかり受け止めて、対処を考えるべきだろう。

 これはねぇ、明らかに自分の問題と同じでね、国や地方のはなしをしているろうにみえるけれど、実際は私自身の話なんだな。老いてきた場合のこれからの自分の生き方と同じだな。

更新時間 : 22:26:57

6月21日 (土)

はる 2560
 今日はスクエア展の搬入。忙しかった。

更新時間 : 23:53:45

6月20日 (金)

はる 2559
 子供の頃「明石の三吉」という、今から考えると乞食だったのか、浮浪者だったのかよくわからないけれど、確かに歩き方も奇妙だったし、まともに人と会話しているのも聞いたことが無い、そんな奇妙な男がいた。

 不思議な事に彼は多くの人に可愛がられていて、何か芸をするわけでもないのに、家々をまわって残り物をもらったり、着る物をもらったりして何とか暮しているようだった。

 彼の歩く姿がヒョコヒョコと面白かったので、子供たちが囃したてて真似をして歩いても、本人はまるで気にするようすも無く、かえってまわりの大人たちにたしなめられたりして、面白くなかった。

 昨日の木食さんなどを見ていると、この国にはそういったある種の行者というのか、漂泊者みたいなもの、弱いもの、傷ついた者を暖かく見守るというのか、いずれは自分たちも向かうであろう旅の先人と見ているようなところがあったのではないかなぁ。深いところではある種の無常感であり、貧しかったけれどそういった者を許容するゆとりがあったのだろう。

 能率とか効率だけを考えた、非常に高度な隙の無い社会ではどこかで人は疲れてしまうのではないかと思う。例えば人生の目的とか、意義とか、意味とかを真剣に考えればかんがえるほど、答えのない問いかけであり、誰もその欠けを埋める事は出来ないだろう。

 まだ書ききれていないなぁ。
 

更新時間 : 23:57:17

6月19日 (木)

はる 2558

 朝起きて少し川沿いを歩く。昨日と違って比較的に過ごしやすい天気だった。いつも通る公園にはホームレスのアベックが所在無さげにタバコを吹かしたりしている。何となく監察されているようで歩きづらい。

 朝飯を用意する。ほとんど朝はパンと紅茶、温野菜とサラダと果物。サラダはトマトと自家製のルッコラとバジルに塩とオリーブオイルだけ。これが結構はまる。かみさんは風呂の湯をつかって洗濯仕事。

 メールをチェックして、仕事にかかる。今日は午前中は神戸のDMが昨日仕上がってきたので、雑誌社や新聞社に送りつける文章を考える。基本的には「永遠のかけら」の延長上にあるのだけれど、ほとんど変えてしまった。とりあえず10部ほど印刷してDMを同封して完了。取り上げてくれるかどうかは運任せ。

 昼からは県立博物館の「木食白道展」を観に行く。前回の円空を見落としたので、これは見逃せない。県立博物館に行った事ありますか?ほとんど人がいません。広い空間に子供だましのようなオモチャが展示されていて、常設はなんだか鑑賞に耐えないしろものだ。

 木食白道はよかった。ここの企画はいつもいいものをする。県内の道祖神や知らなかったこういった木食さんなどをやる。県立美術館が「ミレーの美術館」とかいって舶来志向なのに対して、こちらは土俗的なテーマが多い。まぁ上手く棲み分けているのかもしれないね。

 木食修行というのは五穀と塩をたって、木の根や草の根などを食べて全国行脚するお坊さんらしい。木食の言葉は知っていたけれど、木を刻む修行をするひとを木食というのだとばかり思っていた。今から250年も前の話だからね。凄すぎる。

 小さなポケットに入るくらいの仏さんがよかった。西欧にも手にもって歩く手持ちイコンみたいなものがあるけれど、人は何かしら心の拠り所としてこういった触覚を満足させるものが安心する。こんど作ってみようかな。

 午後四時に散髪の予約を取る。長くなりすぎたので、少し切る。本屋によって例によって美術書を立ち読みする。美術手帳は私にはもうついて行けない。あんなんでいいのか!誰が欲しがるの?ちょっとオカシクナイ?

 絵は描かなかった。

更新時間 : 23:11:16

6月18日 (水)

はる 2557
 今日もお休み。

更新時間 : 00:00:57

6月17日 (火)

はる 2556
 今日はお休み。

更新時間 : 22:13:25

6月16日 (月)

はる 2555
 何かまとまったことを書きたいのだけれど、上手い言葉がみつからない。適当に頭に浮かんだ事を書く。

 日本は他の先進国に比べて自殺者が異様に多いそうだ。まぁ文化的な違いがあるので一概にはいえないけれど、最近の出来事をみていると、どこかこう危うい感じがするのは私だけではないだろう。

 頑丈そうに見えるけれど、人の心はなかなかデリケートで危うい。特に最近の事件なんかを見ていると、日本人は何処にいこうとしているのかなぁ・・と思う。まぁそれは我々だけではないのかもしれないけれどねぇ。

 動物のように明日という概念や、自分という認識が曖昧なら、それはそれでそこそこ幸せだったろう。人は人になったがために心にポカリと穴があいてしまった。それを何で埋めるか、一生懸命だ。

 一番最初は親がそれを埋めてくれた。愛情いっぱいに育てられたなら、当分の間欠けを意識する事も無い。ところがねぇそれも絶対じゃないんだなぁ、どこかで親を超えちゃうからね。はやいか遅いかはあるけれど、いずれは自分で探さなくちゃならない。生まれたときから神が側にいる家系なら、極自然にそれがその部分を埋めてくれるのだろうけれど、今の日本じゃ形骸化した神さんがいるだけだからなぁ。尚むつかしい。

 こんなことを書くつもりじゃなかった。

 「私を見て」

 子供と接していると、いつも思う。こいつらはわがままだ。教師が疲れていようが、気分が悪かろうが、基本的に関係ない。とにかく「私のことを、私だけを見て」といっている。特に問題がある子はみえ易いけれど、問題は流してしまいがちな普通に目立たない子なんだな。

 結局大人になっても変わらない。「私を見て」と叫んでいる。それって何なんだろう。見られることで自分を確認しているのかな。たった一人でもいい、私を見て!見て!見て!と叫んでいる。

 まぁそれって虫のいい話だけれどねぇ。反対に言えばあんたは誰かを見ているかい?全てのものを捧げたかい?と聞きたくなる。水泳の息継ぎのように全部はいてしまえば、自然に入ってくるように思うけどなぁ・・。これも教えごとじゃないけどね。

 「だれでもよかった」

 自分が社会で同じような扱いを受けていた。取替えの聞く、変わり映えのない不特定の私。匿名性といえば今風だけれど、誰とでも交換可能の人材というのは、個人というものが消える。皮肉にも今回の事件で、交換不可能な個人となった。

更新時間 : 20:54:52

6月15日 (日)

はる 2554
 昔北海道にスーパーカブで10日ほどかけて行ったことが有る。もう40年も前の話だ。当時イージーライダーが流行っていて、まぁ格好はダサいけれど、それを真似したものだ。集団でツーリングを楽しんだのではなく、一人でとろとろ時速30キロぐらいで流してゆくわけだから、カッコいいアウトローではないわな。

 荷台に寝袋や生活道具を積んで駅の構内や、公園で野宿しながらの旅だったので、何日かすればほとんどホームレス状態になる。今でもそうなのかな、当時は夏休みになるとそうやって一人旅を続ける若者がいて、そういった連中と集まって情報交換するのも楽しかった。

 どこかに風来坊というのか、流れ者というのか、乞食とか漂泊者の生き方に憧れているようなところがあって、そういった意味ではガキの頃からませていたのかもしれん。

 自分の中じゃ「旅」と「旅行」ははっきりと区別していて、期間を決め帰って行く場所があるのが「旅行」で、行き当たりばったりで野垂れ死にするかもしれないのが「旅」だとしていた。実際はまぁ夏休みが終われば学生に戻ってゆくのだけれど、気分的には風来坊であった。

 旭川の駅で野宿していて、朝起きたら財布がポケットから抜き取られていた。幸いな事に幾ばくかのお金は他の場所に入れてあったので、当分生活する分には困らないだろう。警察に行けばお金を借りることも出来たんだろうけれど、それじゃ旅をしている臨場感がない。何処かでアルバイトを探す必要があるのだけれど、田舎じゃむつかしい。で、急きょサッポロまで戻る事にした。

 途中でゴルフ場があったので、飛び込みで事情を話して住み込みで働かせてくれと頼んだけれど、同情はしてくれたけれど雇ってはくれなかった。住所不定のホームレス状態だからむりもない。

 昔から大きな駅では手配しによく声をかけられた。「兄ちゃんええ仕事あんでぇ」「仕事せえへんか」ってね。というわけで札幌の駅あたりでウロウロしていたら、同じような仲間がいて、北大の学生寮のような所を紹介してもらった。ただでは飯は食えなかったけれど、すごく安い値段で飯が食えた。寝床も雑魚寝だったけれど、野宿よりは快適だったな。

 そのうちに仲間が仕事を見つけて来てくれた。住み込みで今で言う派遣の土方だわな。朝一番でどこそこに何人といわれてトラックに乗って出かける。何か売られていく奴隷みたいだなぁ・・。

 場所はどこか良くわからんけれど、札幌からさほど遠い所じゃないところに、バラックが建っていて、年老いたおっさんや私と同じような学生くずれのような兄ちゃんも何人かいた。

 飯は充分食えたし、寝床もフロも毎日あったので、生活環境は抜群に良くなった。まぁ途中で風邪をひいて二日ほど寝込んでしまったけれど、それでも10日ぐらい働いただろうか。いくらの給料をもらったのかおぼえていないけれど、それで兎に角ぎりぎりで北海道から帰ることができたんだな。カブはナンバーを外して捨ててきた、ごめんなさい。

更新時間 : 01:09:39

6月14日 (土)

はる 2553
 インディージョーンズを観て来た。まぁまぁかな。


更新時間 : 00:13:06

6月13日 (金)

はる 2552
 「だれでもよかった」というのはこのところよく聞くフレーズだ。

 自分を中心に考えて、親がいて兄弟がいて親戚がいて友達がいる。そういった関係から他人とは違う自分というのが認識される。人は誰しも他者との関係で自分の存在を確認してゆく。その元になるのが、最初の親(擬似的であっても)との関係だろう。

 「だれでもよかった」という言葉の裏には「だれでもないわたし」という空虚なひびきが感じられる。

対ひとに向かって「だれでもよかった」といっているようだけれど、本当は人との違いを認識できない自分のことを言っているんだな。「だれでもない」ということを自分に言っている。

 もう少し考えてみたい。

更新時間 : 01:29:17

6月12日 (木)

はる 2551
 小説のなかの人物の話だけれど、作者以上に深い人物は描ききれないというふうなことが書かれていた。まぁそうだなぁ、どんなに破天荒な魅力的な人物を描いたとしても、それは作者の想像した空間を飛び出すことはないわけで、孫悟空のごとく仏さんの手のひらの上だったということだ。

 多くの人物を個性的に描き分けたとしても、結局それぞれの人物は作家の違う面という訳で、どれだけ多くの引出しを持っているかということが、作家の力量ということになる。

 誰でも一人は描ける、まぁたった一人の登場人物であったとしても鑑賞に耐える作品を描くことができるのも小説の面白いところで、作品のスケールの大きさがその質を分ける訳ではない。

 それはそっくり絵画にもいえる事で、作者が見えないものものは描きようがない。モチーフに何を選んだのかから始まって、それで何を描こうとしたのか、すべて作者の手の内がにじみ出てくる。何も考えなかったということも作者の手の内だ。だから本当に怖い。馬鹿がばれる。まぁこの際、馬鹿も芸のうちと居直るしかない。

 居直りといえばこんなこともある。作家というのは寡黙な方がそれらしく見える。かってな空想なんだけれど、芸術家は常人では計り切れない世界観を持っていて、だから寡黙なんだとね。

 まぁそれはとても便利な空想なのであえてそれを否定するのは得策ではないのだけれどね。反対に私ごときはえせの芸人なのかもしれないけれどね。私から言わせれば、語れないような世界観など無いに等しい。仮に自分が表現者だというならば、どんな道具を使っても、言葉を使っても、それを語ることが出来なければ人には何も伝わらないのじゃないかな。無論絵でしか表現できないことも有るけれどね。

 アイディアもイメージも技法やあるかないかのテクニックも、あるものみんな出してしまう。語ってしまう、みせてしまう。それで残るのが本物だろう。それで飽きられたら、枯れてしまったら、それまでだ。そこまでだ。自分本来の姿を晒してしまう。それが一番強いように思うんだけれど、どうだろうか?

更新時間 : 23:12:27

6月11日 (水)

はる 2550
 そんなことはない。嫌な事件が起きました。ここであまり社会的な事件を書くことは無いのですが、秋葉の事件はすごくショッキングな事件だったので、書きましょうか。

 夜間の生徒を相手にしていると、彼らは今まで学校の教師からまともに相手をしてもらってこなかったのだろうと想像がつく。まぁ生徒自身にもちろん原因があって、5分も机に座っていられないようなクソガキなら、もうここにいなくていいよ、他の生徒のじゃまになるからね、と言う気持はわかる。

 面倒だけど、少し話を聞いてやると子犬が尻尾を振るように近づいてくる。期待しすぎると手をかまれてしまうんだけれどね。私ぐらいのいい加減な付き合いがいいのか、相手してもらえるのが嬉しいのか、妙に大人しい。けれどこいつは少し前には警察を相手に大立ち回りした小僧なんだな。内緒だけどね。

 「私のことを見て欲しい」これだけなんだろう。他の事はどうでもいいんだ。立派な親でなくても、尊敬できる親でなくとも、偉い親でなくとも、自分の事を見ていてくれればそれで全ては上手くいったんだろう。親への復しゅうか。何とも居たたまれない事件だな。

更新時間 : 00:31:06

6月10日 (火)

はる 2549
粘菌の話4
 神は自分に似せて人を創ったという物語があるけれど、姿かたちではなく、こういった思考をする頭脳というのは似ているのかもしれないなぁ。

 考えてみればこの宇宙の始まりから終わりまでの物語のかけらがこの頭脳のなかに存在するわけだから、宇宙の遺伝子としての役割もあるのかもしれない。

 人の存在というのは考えてみれば不思議なものだ。まぁいずれ人類はこの世から無くなって行くんだろう。まぁ気候が変わったりオゾン層が破れたりして、やがては生物そのものも存在できない環境になるかもしれない。いや遠い将来必ずそんな時が来る。

 そうなった時に、この地球上にたまたま人類がいただけなのかな。何か少し違うのじゃないかな。確かなことはいえないのだけれどね。

更新時間 : 00:56:41

6月9日 (月)

はる 2548
 粘菌の話3
 まぁよく分からないんだけれど。森羅万象全ての事が原因があって結果がある。何かこう全く偶然に、たまたま出来てしまったというふうなことは無いんだよね。

 と考えると、生命が生まれたというのにも何かしらの役割というのか、意義というのか、使命というのか、があるように思うんだな。それで無ければこうやって思考する人がうまれた理由がない。

 まぁここからは全く幼稚な作り事なんだけれど、例えば人類が生まれなかったら、この宇宙の存在そのものをこうやって考える人もいなかったわけだ。そうするとビッグバンから始まってやがてはこの世界は終末を迎えて終わってしまう。悲しくも嬉しくも無いただ単に事実があるだけだ。

 本当はそれで終わるはずだったんだな。終わったらどうなるか?といえば、また新たな宇宙が始まってそしてやがては終わる。世界というのはそんな事の繰り返しでできているんだな。何回も今の宇宙が始まる前もそんな事を繰り返してきたんだと思う。

 で、ちょっと飽きたんだな。誰かに考えてもらいたかったんだな。「大いなるもの」の存在をどこかで考えて欲しかったんだ。だとすれば、「思考する生命」が生まれた理由がわかる。納得がいく。

更新時間 : 00:57:12

6月8日 (日)

はる 2547
 粘菌の話2

 単細胞生物というのか多細胞の植物なんかでもそうだけれど、長い時間を短縮してみれば明らかに動物的な動き方をしている。葡萄のツルなどを監察すると確かに何かしらの意志をもって巻きついているように見える。

 単細胞の粘菌の話に戻れば、例えば一つ一つは何の意志も志向ももたない。何も意志をもたないものをいくらたくさん集めても、普通単に数が多くなるだけなんだけれど、不思議な事に粘菌に限ってどこからか何かしらの志向?意志?が生まれる。

 生命発生のメカニズムはいまだ解明されていないけれど、たぶんこう大地や大気に含まれていた様々な元素が雨になって海に注ぎ、岩のくぼみみたいな所によどんで、次第に濃厚なジュースのようになって溜まってゆく。今分かっているのはそこまでだ。

 そこから有機的な生命が生まれるのには何かが必要なんだな。今考えられているのは他の天体から何かしらの生命体の情報が飛んできた。とかある種の奇跡が起こったとか。ここのところは普通では考えられない飛躍がなければ生命は生まれない。

 今こうやって書きはじめて、私は何故この部分に引っかかりを感じるのかなぁ・・と考えた。生命の発生なんかにそれ程興味があるわけでもない。

 私という人間が何故存在するのか、というのが根本的な問いかけなんだな。まぁ私自身は大した意味も無くただ単に存在するだけなんだろうけれど、人類というのか、生命そのものが何の理由があって生まれたのかなぁ・・と。この宇宙が存在することと何かしら深くリンクしているわけでしょう?

 生命が生まれなかったとしても、この宇宙は始まってそれで終末にむかって進んでいるわけだ。この際始まりは時間と空間の始まりであり終わりは時間も空間も終わる訳だから、今生きている時間の感覚ではない。想像すれば過去に戻れば限りなく0に近づいてゆくし、未来は無限大にのびてゆく。それゆえに見かけ上は時間や空間は永遠に見える。

 そんなんかで、一瞬なりともここに存在した、存在するということは何かしら意味有ることなんだろう。意志というのか意識というのか、「おおいなるもの」の何かしらのメッセージのように思えてならない。それが何なのか具体的には分からないのだけれどね。

 もう少し考えたい。

更新時間 : 00:57:50

6月7日 (土)

はる 2546
 今日はパス。

更新時間 : 22:06:35

6月6日 (金)

はる 2545
 個展の時に音楽を流すのはいつからだったか、確かにはおぼえていない。作家によってはBGMなどかえって邪魔だと考えている人もいるだろう。個展は作品が全てでそれ以外は何も必要ない、そう考えるひとがいてもそれは間違いではないし、そちらの方が正統なような気もする。

 音楽も照明にしても有る意味まやかしだ、作品本来の姿を見せるべきだと言われれば、そんなふうにも思う。作品に力があれば、例えばタイトルさえ必要ないのではないか、作品が全てを語っている。そういえばそうなんだけれどね・・。

 そういった意味ではまるで説得力がない。絵だけじゃ物足りないから、タイトルにも凝るし、勿論照明や音楽は大事な個展の要素だと思っている。個展に際して長々とメッセージも考えるし、できたら会場で一人一人に説明したいぐらいだ。全部ひっくるめて表現だと考えている、邪道だといわれればそうかも知れないけれどねぇ・・。

 絵にしても音楽にしてもそうなんだけれど、飾られて聴かれてなんぼだと思うんだな。普通の生活の場で日常で使ってもらう、楽しんでもらう、それで作品も生きてくるように思う。美術館やギャラリーで飾って鑑賞する、それも一つの見方ではあるけれど、私はそれぞれの家にもって帰って貰って、お家の壁に掛けて楽しんでもらいたい、四季折々の花や風景と一緒に楽しんでもらいたいんだな。それが下世話といわれればそうかもしれない、通俗といわれればたぶんそうなんだろう。そういった見せ方も作品だと思うんだな。

 音楽からインスピレーションをもらって絵にする場合も多い。この「バラーダ・望郷」は天満敦子さんの演奏で日本では有名になった。機会があればどこかで聴いてみて欲しいのだけれど、ジプシー音楽のように深々とした哀愁があって一度きいたら忘れない旋律だ。これにまつわるエピソードも面白い。



更新時間 : 23:55:34

6月5日 (木)

はる 2544
 東京で個展を最初にやったのが1988年だから、もう随分と前の話だ。今も余裕はないけれど、当時は本当に暮してゆくのがやっとの状態だった。一度や二度個展を開催してもどうってことない。それよりも気がかりなのは、ここで今個展をやっても明日につながって行くのだろうか?という不安の方大きい。

 学校の先生という安定した仕事も放り出して、絵描きの生活を始めたのはいいのだけれど、この先どうなってゆくのだろうかという不安は消えるものではない。まだ一枚の絵も他人に売ったことも無いはなたれ小僧が、今日から絵描きでございます、といったところで誰も相手にしてくれるわけがない。

 しかし、当時の事を考えれば、もう選択はそれしかなかったので悲壮感みたいなものはあまり無かった。反対に色々迷っていた時期の方が辛かったように思う。そうやって踏ん切りをつけた状態は返ってサバサバしていたように思うな。やるしかないのだから。

 兎に角、手当たり次第にコンクールに出品した。50までに何らかの全国区で通用するタイトルが欲しかった。当時バブルの始まりで全国で色々なコンクールが雨後の筍のように開催されていて、なかなか華々しい活気を見せていた。

 それと平行して、銀座で毎年個展を開催するというのを義務にしていた。なぜなら、どうしても団体展で受賞して名前を売ってゆくというのと、小作品を売ってゆくというのが同じ仕事のように思われなかったからだ。まぁ理想を言えば、団体展で大きな賞をもらって名前も売って画商が付いてというのが、一種のサクセストーリーなんだろうけれど、自分にはあてはまらない気がしていた。

 だから最初っから、一年分の作品を展示する小さな画廊と決めていた。大きい作品を一点とあとは小品を展示する。個展のために無理して駆け込みで描くのではなく、一年分淡々と仕事してそれを展示して観て貰う。それで毎年展開できれば御の字だ。とそう考えていた。そしてそれが一回も休まずに(イタリアから帰国した年以外)続けてこられたのは、ラッキーだったのだろう。

 今年もまた神戸・甲府・東京で個展を開催します。よろしくおねがいします。

更新時間 : 22:34:00

6月4日 (水)

はる 2543
 今日もサボります。

更新時間 : 19:53:14

6月3日 (火)

はる 2542
 今日は出稼ぎ仕事。でお休みします。

更新時間 : 20:54:21

6月2日 (月)

はる 2541
 まったく生物という奴は良く出来ている。いったい誰が考えたののかねぇ。というのは単細胞生物の粘菌の話なんだけれど、この粘菌という奴は植物でもあるし動物的でもあるんだな。普通はよくある菌類などと同じように胞子を飛ばして子孫を増やすんだけれど、ある危機的な状況になると単体がある一定の数集合して多細胞のようになって、ナメクジのように移動を始めるらしい。それが考えてみると、どこにも脳細胞のような思考する部分なんて無い訳だから、どこで誰がどのようにしてその指令をだしているのか、まだ良くわからないらしい。

 この粘菌というのはあの知の巨人である南方熊楠が何年も熱中して調べたたおしたらしいけれど、まぁ最近のように効率のいいコンピュータや海外の情報などほとんど入らなかったんだから、それだけを考えてもまったくすごい人だ。かなりの変人だったらしいけれどね。

 で、最近はこの粘菌のような生物として一番シンプルな細胞が、生物の進化の過程でどうやって生まれてきたのか調べるのに注目されているらしい。たとえばさっきの話のどうやって危機的な状況を判断するのか?みたいなことからコンピュータでシミレーションして仮想の生物をつくることができるそうだ。怖いと言うのかおもしろいというのか、もうコンピュータの中では案外生物発生のメカニズムまで分かっているのかもしれないねぇ。

 で、人間の脳も一つ一つは簡単なシナプスの結合体なわけだから、似ているといえば似ている。ところがそのシナプスの結合が何万とつながってくると有る次点で「思考」を始める訳だ。それがいつでどこからというのが分かればまぁこれもまた怖くて面白い。

 で、これもまた似ているのだけれど、コンピュータ同士が結合して大きなネットワークをつくってゆくと、それはあるときから「思考」をはじめるのじゃないかと思うんだな。昔「2001年宇宙の旅」に「HAL]という思考するコンピュータが出てきたけれど、まんざら遠い世界じゃないきがするな。たぶんそうなると、人類は終りが近い。

 とかなんとか・・。またあした。


更新時間 : 23:22:31

6月1日 (日)

はる 2540
 エネルギー危機がもうそこまで来てる。かといって今私が何かが出来るか?といわれればまぁ消極的な省エネぐらいしか思いつかない。たぶん、もう今までのように使いたいだけつかってというような時代じゃなくなるように思う。

 昨日ニュースで遠洋漁業はもうオイルが高くて出来ないというようなことを言っていた。だから当然まぐろなんかは庶民は食べられなくなるだろう。漁業にしても農業にしても第一次産業はこの国では絶えてしまうのじゃないかね。別に危機感をあおるつもりもないのだけれどね。

 最近の若者は海外旅行にも行かず貯金するようになったとか聞いた。まぁ何事も行過ぎたらリバウンドがあるもので、ある意味こうやってオイルがどんどん高くなるというのが一番省エネ意識を喚起するように思う。禍転じて福となればいいのだがね。

 エネルギーにしろ、食料にしろ、ある意味生きるための根幹に関わる事で、首根っこを押さえられているわけで、「もうあんたところには売ってやらん」と言われたら、明日からでも生活が立ち行かなくなるわけで、人は平和な時はいい顔をしているけれど、いざとなったら他人のことなどかまってられなくなる。

 オイルや食料はまさに生き死にの問題なのである。

 この国の舵取りをしている官僚さん達は、ほとんどそんなところを見ていない。自分たちの天下り先の心配だけで、何とか任期中に事件や不祥事を起こさないように、ただただそれだけを考えているのみだ。政治家に至ってはもっと無能かもしれない。いや有能な人もいるのだろうけれど、この国のシステム上力が発揮できないようになっている。

 そうこうしているうちにどんどん危機的な状況は進んでいって、今やもうお手上げの状態だ。いずれオイルはなくなることは百年も前から分かっていることだ。食料にしても自給率がこれだけ落ちてしまったら、じーさんばーさん農業をやっていたらいずれ後継者はいなくなるとことは分かっていることだ。

 何の手も打たず、あぁそれそれと指をくわえて唄っているだけでいいのかな。かといって何の名案も浮かばないのだけれど、まぁとりあえず全てのことに「地産地消」の意識が必要だと思うな。これがこれからのキーワードになるのじゃないか。

 老子のユートピアの話のなかに「小国寡民」というのがある。国は小さい方がよくて、民は少ない方がいい。自分たちで出来る事はできるだけ自分たちでやって、遠くには出かけない。まぁそんなことは今の世の中できっこないのだけれど、ある意味本当にこれからの生き方を、日本の行く方向を示唆しているように思うけどな。

 以下に転載しときます。

小国寡民(かみん)、什伯(じゅうはく)の

器ありて用いることなからしむ。

民をして死を重んじて遠く徒(うつ)らざら

しむ。

舟輿(しゅうよ)ありといえども、これに乗

る所なく、甲兵ありといえども、これを陳

(つら)ぬる所なし。

人をしてまた縄を結びてこれを用いる。

その食を甘しとし、その服を美とし、その居

に安んじ、その俗を楽しましむ。

隣国相望み、鶏犬の声相聞こえて、民老死に

至るまで、相往来せず。



更新時間 : 22:57:42