2008 4月

4月30日 (水)

はる 2509
 今日は久しぶりのパートタイムジョブ。また明日は東京泊です。懇親会の様子をシャメできればしましょう。ここからはお祭りです。

更新時間 : 21:11:21

4月29日 (火)

はる 2508
 今日はいい天気でしたね。布団を干して、ちょっとアトリエの掃除をする。窓を開けて誰かのピアノソナタを聴きながら遅い昼ご飯を食べた。

 台所の窓から川べりの大きな栗の木が見える。午後からの風にあおられて大きくかしいでいる。それにしてもこの季節の午後の光は美しい。いつも子供の頃のことを思い出す。

 幸福や不幸といった大きな動きのある生活ではなかった。そうだな、格好よく言えば、小津安二郎の映画のワンシーンのような淡々とした日常だった。けれど、どこかに後ろめたいような陰があるんだな。ぴったりとした言葉が見つからない。

 誰でもそうなんだと思っていた。物心ついた頃の最初の感情は「不安」だ。それも具体的な何かがあって不安になるのではない。どことなくいつも心の置き場の無いような不安感、焦燥感これが私の最初の感覚だ。

 この「不安神経症」的な感覚は多分に家系的なものがあるようにおもうのだけれど、自分と親との関係や兄弟との関係も影響しているように思う。まぁそれを何とか解消したいというのが私の絵を描く大きな動機になっている。

 考えるのが面倒になった。また明日。

更新時間 : 20:09:42

4月28日 (月)

はる 2507
 このあいだからの懸案事項であった例の雑誌の記事の校正原稿が上がってきた。原稿を書くのは勿論素人だから、編集者の自由に変更されても文句の言える立場にはないのだけれど、まぁこんなものなのかなぁというのが実感だ。

 例えば取材を受けて相手の記者が原稿を書く、写真を撮った場合著作権は記者側にあるわけだ。けれど今回のように全くこちらが全て記事も書いて写真も撮っているわけだから、権利は私にあるのじゃないかなぁなどと生意気にも思うのだな。

 無名な作家が記事に載せてもらえるだけありがたく思え的な態度が見え隠れして、ちょっとムッと来る所もある。今回はまぁ原稿料を請求することはしないけれど、いずれカタキをとれる作家になりたいものだ。

 多分ボツになる事はないのでここで雑誌の名前を明かしておこう。「美術の窓6月号(5/20発売)」の「技法講座」だ。顔写真からここではお馴染みのアトリエの風景や制作過程、材料や道具などなど4ページにわたって掲載の予定だ。

 これを見ると、もうすでにひとかどの作家のように書かれているけれど、実は以下の文章がカットされている。それを含んで見て欲しい。

「色も形も無い「場」を作ることから始める。これといった具体的なものではなく、ゴロンとした何かが描ければよい。下手も未熟も失敗も含めて、全て丸ごと絵の中に閉じ込めたい。それが今現在の私だと思う。いまだ手探り状態で、失敗も多く技法として確立したものではない。カタチだけ真似てもあまり意味が無い。それぞれが、自分なりの方法を見つけてほしい。」


更新時間 : 00:04:49

4月27日 (日)

はる 2506
 今日は一日骨休め。ということでまた明日。

更新時間 : 20:19:52

4月26日 (土)

はる 2505
 やっと少し暇になって、午前中ゆっくり時間をかけてゆっくりと今開催中の春陽会や光風会を観ることができました。

 光風会は私も随分と昔に出品していた会なので知り合いも多く楽しむ事ができた。感想は、そうだなぁ絵を描くことの原点というのか、真面目にこつこつ仕事をすることの大切さみたいなものを感じた。どうも最近は私なんかはそうだけれど、簡単に効果だけを狙った作品作りに成っているのではないかと反省しきりだ。

 審査から開放されて、大きな会場で午前中ゆったりとオーソドックスな作品が観れたのは収穫だった。やっぱり絵を観るのは楽しい。

 午後から会議などすこし仕事があって、夕方銀座の会のグループ展のオープニングに出かける。まだ一般の作家の発表会だけれど、今年最高賞をとった作家もいて、お祝いもかねて沢山の会員が駆けつけていた。こういった時期が一番楽しいのかなぁなんて思った。

 で、午後八時のあずさに乗って帰って来ました。

 

更新時間 : 22:53:09

4月25日 (金)

はる 2504
  東京泊4日目

 今日で大体のめぼしがついた。一般出品者の賞から会員・準会員の推薦まで、こうやって昨年まで選ばれていたんだと思うと、まぁ大変な激戦をくぐり抜けてきたんだなぁというのが実感だ。

 最近はこうやって詰めて働いてきたこともなかったので、一日根をつめて働くと、頭が真っ白になって、思考力が途切れてしまう。それにしてもみんなタフだな。

 明日は比較的楽な仕事になるらしい。いったん帰宅してまた5/1のオープンには来る予定だ。展覧会は始まってしまえば終わったみたいなものだな。あとはオープニングパーティなど楽しいことが待っている。



更新時間 : 20:51:16

4月23日 (水)

はる 2503
 今日は審査一日目。疲れた。

更新時間 : 23:29:12

4月22日 (火)

はる 2502
 今日は東京泊まり。

更新時間 : 23:27:46

4月21日 (月)

はる 2501
 何だか忙しい。明日はパートの仕事。午後から東京に出掛ける。今回は土曜日まで帰れません。国展の審査やその事前の準備のために多くのスタッフが泊り込みで当たります。特に私など一年生は色々予習が必要なようだ。

 まぁ考えてみればこういった地方の団体でも公募して審査、陳列して表彰式や色んな行事を運営してゆくのは大変なんだから、まして全国規模になると、更に推して知るべしだな。今までおんぶに抱っこで、ただ乗っかっているだけで良かったのは楽チンだった。誰かが地下で動いていたということだ。

 絵描きにとってこういった集団は必要か?と聞かれればまぁはっきりと答える事はできないね。人それぞれでしょう。絵描きは個展が全てといってしまえば、こういった団体展は必要ないし、力自慢は大作でと思っているなら団体展はいい場だと思う。

 個展派でも町の画廊ではなく、デパート中心で発表している作家は団体展に出品していない人が多いな。そこがデパート派と団体展派の違う所だ。デパート派はどちらかと言えば現実路線で、売れる作品を中心に発表する。団体展派はどちらかと言えば町の貸し画廊で大作を中心に発表する。売れないと言う事に自負があるようだ。変だけれどね・・。

 売れないフォークシンガーとメジャーデビューした歌手みたいなものか。どちらもお互いを気にはしてるけれど相容れないみたいな感じかな。

 私はどっちつかずだな。マイナーでもメジャーでもないといった宙ぶらりんが心地いいように思う。まぁ言い方によれば優柔不断で日和見と言う事になるのだろうか。どちらの気持も分かってしまうからねぇ。

 売れる事は悪い事じゃないと思うんだ。売れると言う事は認められた、少なくとも買った人に値段分だけは認めてくれたということだからな。そういった人が多ければ多いほど必要としている人がいるということだからね。まぁだからといってタレント作家のようなのも嫌だけれどね・・。ひいきの引き倒しもこまりものだけれど、それもまぁ本物であればいつかは認めてもらえるだろう。

 売る事を考えない大作は、仲間内で自分の位置を確認しているような所がある。収集家に認めてもらうのも嬉しいけれど、絵を描いている仲間や専門家にも認めてもらいたいんだな。まぁそこには色々な人間臭い思惑が入り込んで、素直に認められない所もあるのだけれどね。

 どっちつかずというより全ての人に観て欲しいんだな。できるだけ多くの人を巻き込みたい、素人も玄人も、絵描きも、評論家も、自分の周りの関係のある人全てを巻き込めれば、それはそれで楽しいのじゃないかな。

更新時間 : 21:47:25

4月20日 (日)

はる 2500
 おぉ、カウントが2500だよ。凄くないかい。今の調子でゆけば3000番は来年の秋過ぎだな。

 今日は朝からクロッキーに出かけた。いつも最初の何点かはまるで描けない。腕がまるで動かない。で、思い切ってスケッチブックにでたらめに落書きする。真っ黒になるほどいたずら描きしてやっと少しまともな線がひけるようになる。

 夜はチェロのレッスン。ということで一日趣味の日だった。

更新時間 : 23:43:48

4月19日 (土)

はる 2499
 午後に国画の絵を取りに来た。130号が二点と100号のドローイングが一点。まぁこれから毎年これだけの作品がそろえられるかどうか分からないけれど、とりあえず今年は間に合った。

 そのうち一点の製作過程がたぶんある雑誌に載る予定だ。最近はサボりぎみだったけれど、以前はかなり克明に途中経過を記録していた。ブログに載せるという目的があったことも関係しているけれど、自分でも作品がどういう経過でそこに至ったのか記録したいという気があったのだ。

 というのは最初っから計画通りに進んでゆく絵ではないのでどう変化して行くのか興味があったんだろうね。ということで今回はそれをそのまま利用させてもらう事にした。今回の作品も途中で挫折して計画を変更しているところがある。そういった臨場感が面白いのじゃないかな。まぁこれも決定したらここでお知らせします。

 しかし、技法講座という名目だけれど、私に語れるだけの技法があるのかどうか疑問だ。未だに手探りで失敗の連続だし、これでいいと思ったことも無い。一回一回手順は変わって行くし、仕上がりも変わっているように思う。人は常に動いているものであるから、今現在の自分というのであればそれでいいのかかもしれない。

 よくここでも書くのだけれど、私はこれこれを表現したとイメージを描いて行くタイプの作家ではない。普通絵描きと言うのは何かしら描きたいイメージがあってそれを表現してゆくというのが本来なんだろうけれど、そういった意味では私は絵描きではない。

 自分の心の中に浮かんだものが何なのか具体的になってくるまで自分でもわからないのだ。反対に言えばそれが何なのか知るために絵を描いていると言った方が当たっている気がする。いつのまにかそんなふうに描いてゆくことになった。

 先日テレビを観ていたら車のコマーシャルでこんなふうな事を言っていた。「今の貴方は選んできたあなたの総体だ」言葉は少し違うかもしれないけれど、このことをはっきり自覚している人は少ない。

 帽子一つ、着るもの一つにその人なりが出てくる。それを選んだならそれを選んだ自分と言うのがいるのだ。それの総体が今の私と言う事になる。どうでもいい、何でもいいも、一つの選択だ。

 もうすでに分かっていることを描いても面白くない。実際の風景や花より美しいものは描けないしかく技術も無い。それを描くひとは他にいくらでもいるだろう。それよりも私は何故その風景に引っかかりを感じたのか、その心の中味を知りたい。それを選んだ自分を知りたいと思うのだ。

 そんなことを考えながら絵を描いている。

 

更新時間 : 23:09:00

4月18日 (金)

はる 2498
 今日は雨の中130号の額を倉庫から出してきて、びしょびしょになりながら車につけて自宅まで運んだ。明日赤帽さんが作品を取りに来るという約束なので仕方ない。

 自宅のアトリエは狭くていろいろな作業をするのに不自由なんだけれど、まぁ仕方ない。ここのものをあちらに、あちらのものをこちらに移動しながら額つけをした。それだけで充分疲れる。

 少し前はそんなに気にならなかったことだが、筋力がなくなって重いものを移動するのが苦痛になって来た。それにどうしたものか、自由にならないことが無性に腹立たしくなるのだ。これはやっぱり歳とって短気になって来たということかな。本性がでてきたということか。気をつけなければ怪我をする。

 さて、これで今年の前半は終了となる。昨年までは色々気をもんだ団体展だったけれど、今年からは一転ただのお祭りになった。嬉しいような寂しいような気持だな。

更新時間 : 23:37:37

4月17日 (木)

はる 2497
 新学期が始まって久しぶりに憂鬱になる。まぁ昔よりは随分とましにはなったけれど、人前に立つことが苦痛なんだな。目立ちたがりやのくせに人前が苦手なところがある。

 まぁいいや。と投げやりになる。

更新時間 : 20:36:03

4月16日 (水)

はる 2496
 今日、昨日は今学期初仕事。ぐったり。

更新時間 : 22:16:14

4月15日 (火)

はる 2495
 今日はお休み、また明日。

更新時間 : 22:34:46

4月14日 (月)

はる 2494
 技法書といえば我々の頃は雑誌「アトリエ」だった。いまでも時々みかけるけれど、内容は美大受験生相手の受験雑誌のようだ。本屋さんに行けば画集よりそういった技法書の方に目が行った。

 各大学の実技実習の様子や、製作過程が載っていて食い入るように見たのをよくおぼえている。時々有名な画家の制作風景や雑感が綴られていて、有名な作家の生の声が聞けたようで嬉しかった。

 まぁあの頃は何でも真似をして吸収していたころで、新しい「アトリエ」が出れば、次の日はそれと同じような絵を描いた。作家の生き方や考え方がその絵の描き方に出てくるものなのだが、そんなのはおかまいなしで、カタチだけ真似して吸収したつもりでいた。

 カタチやスタイルはいくらでも真似はできる。材料と道具さえあれば同じような絵は描けるのだ。けれどそれは結局物真似、借り物であって、化けの皮はすぐにはがれてしまう。

 作家の秘密はそんな所にはないよ。たぶん作家はそう思っているだろう。姿かたちなどいくらでも真似してください。亜流が増えれば増えるほど私の株は上がるんだ。なぜなら誰も私自身にはなれないからねと。

 作家が10人いればスタイルは10色ある。それは全て作家自身だからだ。結局自分を見つめるしか方法はないんだなぁ・・。そんなことに今頃気がついた。遅すぎ・・。

 ということで、また明日。

更新時間 : 20:56:53

4月13日 (日)

はる 2493
 今週から学校が始まる。一ヵ月半、長い休みだったな。新しい一年生をまた一から仕込まなければならないのが、やっかいだ。一昨年あたりから親子二代親父が教わったって奴がでてきたから、まぁこれからどんどんそういった二世組が増えてくるかもしれない。

 来週は国画の搬入になって審査や色々な仕事で四五日泊り込みになる。全国から絵描きが集まってお祭り騒ぎにになるわけで、まぁそれはそれでけっこう初めてなので楽しみではある。新学期のごたごたの最中なのでなかなか休めないのだけれど、まぁ仕方ない無理して休んでしまう。

 みんなボランティアで手弁当でやるわけだから、なんだろうねぇ楽しくなきゃだれもやらない。私もせっかくだから楽しみたい。

 ということで、また明日。

更新時間 : 23:45:55

4月12日 (土)

はる 2492
 ランダムに思いついたことを。

 色も形も無い「場」を作ることから始める。これといった具体的なものではなく、ゴロンとした何かが描ければよい。下手も未熟も失敗も含めて、全て丸ごと絵の中に閉じ込めたい。それが今現在の私だと思う。いまだ手探り状態で技法として確立したものではない。

 普遍的な色と形を見つけたいので、使う色数は少ない。基本的な色は三原色と白と黒、若干の自家製の土製絵の具を使用するのみ。壁土を塗ったあとカーマインジェッソを塗り、さらにその上に自家製の黄土を塗った。何故最初に赤を塗るのかといえば一番根源的な生命の色だからだ。

 芸能のルーツは旅芸人のような流れ者にある。「あちらの世界」と「こちらの世界」を行き来できる芸能者は客人(まろうど)でもあった。そんな旅芸人と自分の姿をダブらせる。

 基本的な技法はアクリルエマルジョンを使ったミクストメディアです。この技法のいい所は親水性のものなら布、紙、木、土、などありとあらゆるものが材料となるところです。現代絵画というものがどういった領域なのか分かりませんが、今現在手に入る身近なものを使って表現する絵画というのであれば、まさに現代の絵画ということができるようにおもいます。

更新時間 : 19:59:11

4月11日 (金)

はる 2491
 昨日は誕生日だった。この年になればそう特別な日でもないのだけれど、もう56回もこの季節をくぐったんだなぁと思うと、少しは感慨ぶかいものがあるかな。

 技法講座の原稿を書いているのだけれど、見本にもらった原稿がとても立派なもので、自分のものが貧弱にみえて悲しくなる。例えば私はパレットなどほとんど使わない。ほとんど紙の皿か発泡スチロールのラーメン丼のような安物の道具だ。乾かないようにその絵皿を入れておくふたつきの入れ物は酢だこが入っていた容器だ。これは写真に撮れないな・・。

 片手が取れた鍋はちょうどいい筆洗いのバケツ代わりになっている。数えてみると台所の要らなくなった道具のなんと多い事か。綿布と書かれているのは実は近くの小学校のバザーでゲットしてきたシーツだったりする。着古したジーンズやTシャツはちょどいいハギレとなる。

 配合も実にアバウトだ。何をどのように混ぜたかなど一心に描いている時は考えていない。そこらにある汚れた水でもかまわずに使ってしまう。いちいち考えていては何かが逃げてしまうからだ。いや単に面倒だからに違いない。

 でもしかし、本当はそれを誇りにしているところがあるんだな。うりはそんなところじゃないんだよってことかな。高級な物など何も使っていない。それでも本物の詩が唄えればいいのじゃないかな。

 なんてね、ちょっと言ってみたい。

 

更新時間 : 23:39:29

4月10日 (木)

はる 2490
 今日は私の56回目の誕生日でした。ちょっとお祝いで出かけてました。ということで今日は失礼します。
 

更新時間 : 00:08:12

4月9日 (水)

はる 2489
 今日はお休み

更新時間 : 22:58:30

4月8日 (火)

はる 2488
 雑誌の記事の依頼があって、ニ三日そのことのばかりにかかわりあっている。記事の内容は今ここでは話せませんが、日ごろ日記などで、自分の考えている事を言葉にすることには慣れているはずなんだけれど、あらためて確認してみるといいかげんだな。

 まぁ例えばうえの文章などでも、はっきり言って公のものには載せられない訳で、そうやってあらたまってしまうと、一行もかけなくなってしまう。また言葉がうまく続かない。タメ口ならかんたんなんだけれどねぇ・・。

 でもまぁ、最近はわりと写真のようなリアルな絵肌の絵が多くなっているので、案外私のようなゴテゴテのマチエールの絵が比較として参考作品で取り上げられるのかもしれんな。

 また詳しく決まったらお知らせします。

更新時間 : 20:00:39

4月7日 (月)

はる 2487
 この間同い年の現役のばりばりサラリーマンの男の人と話をする機会があって、世間話をしたのだけれど、宇宙人と話をしている感じがあった。まぁそれはお互い様かもしれないけれど。

 私の絵に限ったことではないのかもしれないが、絵が分かるというのか、その心情が理解できるという人は少し心にかげを持った人が多い。反対に言えば、前を向いて一心不乱に仕事だけをしている人にとって、私の絵など理解できない方が幸せであるように思うな。

 どういうことかといえば、自分の人生に何の疑いもなく、一点の曇りもなく、清く正しく、真実一路に生きている人にとっては、ふり返ることはタブーなんじゃないかな。後退する事は負けを意味する。ちょっと違うな。

 勝ちとか負けじゃなくてね。

 朝さわやかに起きて、さぁ今日も一生懸命はたらくぞ〜。今日も元気だ朝飯が上手い。まぁ会社にいって適当に同僚と冗談言って、時間がきたら、ちょっといっぱい飲んで帰宅。つまらん馬鹿なテレビを観て風呂は言って寝る。今の生活をふり返る必要もないのだな。

 まぁ本当はそれで人生まっとうできれば、それでいいようにおもうのだけれど、例えば病気になったり、事故に遭ったり、リストラされたり、離婚したり・・そんな事から立ち止まって考えた時に、少しは私たちの生き方が見えてくる。共感するところがあったりするんだな。

 例えば、誰でもが避けられないのが、年を取る事。こればっかりは誰もが避けられない。やがては静に終わりのときを迎える。死というのは生の反対ではない。死と生は同時に存在する。我々は生きながら少しずつ死んでいるのだな。気がつかないほど、少しずつね。

 我々の仕事は、そんなことに「めざめたひと」に慰めや勇気を持ってもらう仕事じゃないかな。自分を含めてね。そんな風に思った。少し傲慢かな・・。


更新時間 : 21:34:58

4月6日 (日)

はる 2486
 今日は町内会の花見でした。近場に桜の美しい公園がありまして、そこに集まって酒飲んでカラオケをやっていました。こういうところでは演歌ですね。シャンソンや流行の歌をやっても場違いな感じがしますね。

 午後からは前からの懸案事項であった事務所の改装と掃除にでかけた。場所がら安い物件はそれなりの物しかなくて、それなりの物件は自ら手を汚すしかないわけだ。

 というわけで、50過ぎたおじさんたちが集まってペンキぬりをしました。疲れました。

更新時間 : 21:20:57

4月5日 (土)

はる 2485
 特に人物を描いているつもりもありませんが、画家が描いたものは全て自画像だとするなら、人物画といえるかもしれません。

 風は姿が見えません。人は梢を揺らす様子や音を聞いてその存在を知ります。絵や音楽や文学も、この風の音に似ています。直接見えない自分というものを「こころのざわめき」で見せくれます。

 自分の中にあるものが何なのか、自分とは何なのかを探るために、道具として言葉や絵を使っています。まだまだ先は遠く旅の途中です。

更新時間 : 22:41:13

4月4日 (金)

はる 2484
 昨日夜にある雑誌社から電話があって、6月号の人物画の特集に作品の制作過程を載せないかという打診があった。まぁ言えば多くの人が知っている美術雑誌なので、これはある種のチャンスなのかなと思うのだけれどね。

 よくある載せませんか?今回は特別30万で?という話ではないことは確かなんだけれどね。そういった上手い話にはどうも素直に喜べない体質がついてしまった。

 ところで、こういった記事で特集と言っても、月刊誌なんかは時間の余裕がないね。六月号といっても発売は5/20で記事は当然一ヶ月前には出来ていなければならない。そうすると4/20が締め切りということになる。

 約二週間しかないんだな。そんなものでそれなりのそこそこの作品を仕上げる自信は、はっきり言ってない。で、今これを断ってしまえば次の機会はまた、随分と遅くなる訳で、まぁチャンスには前髪しかないというやつかな・・と思ったりした。

 で、途中経過は今までも取ってある作品もあるわけだから、それを利用してもいいかと打診したら、それでもOKということだったので、一応お受けした。

 ちょうど今年の国画に出品する大作の途中経過があるので、これだけ大きい作品の途中経過はなかなか見れないのじゃないかな。それにこの作品はちょうど発売日から名古屋、大阪と巡回するので、本物をみるきかいもあるわけだから、さらに面白いように思う。

 採用になるかどうかわからないけれど、一応報告しておきます。正式に決まったらきっちり書きます。

更新時間 : 22:10:39

4月3日 (木)

はる 2483
 今日はお休み

更新時間 : 00:08:33

4月2日 (水)

はる 2482
 絵を発表し始めた頃ある画商さんから言われた事は、マニアックな絵はファンが付きやすいと。

 確かにデパートの絵のように「きれい、細かい、分かりやすい」絵とか、一般の画商さんが付きやすい絵というのは、ほかで見たことが無い技法とか、奇奇怪怪なグロテスクのものだったり、エロチックなものだったりするね。まぁ最近では流行のオタッキーなフィギアだったりね。どこにでもあるような、目立たない、オリジナリティのないようなものは世の中で認められるのはなかなか難しいだろう。

 けどねぇ、私は思うんだ。珍しいものとか、他と違うものというのは、分かりやすいし印象にも残る。芸というのはそういった突然変異的なものを受け入れる要素があるし、そうやって芸の世界は肥えてきたんだな。しかし、ながい目で見ればそれはやっぱり異端で下手物ということになるのではないだろうか。

 


更新時間 : 22:24:39

4月1日 (火)

はる 2481
 四月になりましたね。

どうも暫定税がキャンセルになってガソリンなんかが値下がりするそうだ。慌てふためいてバタバタしているのはとてもこっけいに思える。確かに一円でも安いほうへという気持は私にも勿論あるんだけれど、一日待ってガソリンを入れるというようなことはしたくない。五十歩百歩じゃないか。

 暫定税でいらない所に土建屋と組んで道路を作ったり、予算の消化のためにどうでもいいような道路工事をやるのは反対だけれど、今この税金を他の分野にまわせばもっと活用されるのじゃないかななんて思う。

 一度廃しされた税を又復活すると言うのは並大抵なことじゃないのだから、なんか民衆の人気取りみたいなことで廃止になるのは納得いかないなぁ。今10円安くなるからもろ手を上げて賛成だというのは、あまりにも現金すぎる気がする。

 例えばその税金を将来必ず訪れてくるエネルギー危機に備えて、新しいエネルギーの開発につぎ込むとか、新しい蓄電池の開発にむけるとか、そういった10年、20年先の人たちのためのプロジェクトに投資するとか、色々できると思うんだけれどね。

 どうだろう、今日は眠い。


更新時間 : 21:30:44