2008 1月
1月31日
(木)
はる 2421 大きな個展が終わって少しボーッとしている。何やかやと片付けなければならない雑用が山ほどあるのだけれど、これもまた滞っている。 個展を中心に活動している作家にとって、来てくれたお客さんの管理というのがとても大事だ。これが要するに自分のファンになってくれる可能性のある顧客になるわけだから、あだやおろそかにはできない。 買ってくれたとかそうではなかったというのは、長い目でみればたいしたことではなくて、如何に長く自分の絵を観てくれているのかというのが、一番大事なことだろう。最初はほとんど義理や付き合いで来てくれるのだが、そんなものは最初の一回か二回までのことで、それからは本当に観たい人だけやってくる。だから怖いのだな。 まぁこれで一区切りかもしれないな。これからどうなってゆくのか、自分自身楽しみにしている。 更新時間 : 23:48:00
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1月30日 (水)
はる 2420 今日はお休み。 更新時間 : 23:17:45
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1月29日
(火)
はる 2419 今回の個展はある意味で私の集大成的な展覧会だった。ここ数年の作品の中でこれだと思う作品を集めたわけだから、へたくそながらも、そこそこ鑑賞に堪える作品をそろえることができたように思う。 会場の広さも並べる前は恐怖に感じていたけれど、いざ並べてみるとゆったりと鑑賞することができる、ちょうどいい広さのように感じた。 88年に銀座で個展を始めてから、ちょうど今年で20年たつわけで、その間暖かく見守ってくれていたコアなお客さんが多く、いってみれば晴れの舞台を応援しに来てくれた、身内のようなお客さんが多かった。ありがたいことだ。 東京と関西の両雄の大きなデパートでやってみて東西の違いみたいなものがはっきりと感じられた。いい悪いは別にして東京はやっぱりおしゃれだ。来てくれるお客さんもおしゃれしてくる。最初に感じたよそよそしさみたいなものはそんなところからくるのかもしれない。 反対に関西は西日本最大のデパートでありながらどことなく庶民的な肌合いがあって、スタッフもお客さんも何だか一体になって展覧会を作るといった楽しさがあった。まぁ私が根が関西人ということが大きいのかもしれないね。 いずれにしろ最後は結構多くの人を巻き込むことができたように思う。特にこの企画を勧めてくれたH氏と、相談に乗ってくれたI氏に感謝します。ありがとうございました。 更新時間 : 18:33:03
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1月28日
(月)
はる 2418 色々なことが滞っていて、ばたばたとしている。個展が終わった日に帰って来たんだけれど、一夜明けると雪が降っていた。ということで荷物がとどくのを一日遅らせる。これがまた大変な作業で、大きな絵は一人ではとても運べない。運べないような大きな重い絵など描くべきではない。段々描けなくなるのだろうなぁと少し寂しくなる。 土曜日は地元の美術協会の委員会やらその後新年会があった。お酒も飲めないのに長老たちと付き合う。戦前からあるこの会は昨年70周年を記念した。 日曜日はHPが表示されなくなった。トラブルというより私とサーバーの両方のミスが重なったようだ。私のHPはCMが入るのが嫌なので有料のレンタルサーバーをプロバイダーとは別に借りている。最近こそ無料のブログが普通だけれど、私が始めた頃はブログさえなかった。 そのレンタル料金の払込は自動振込みの手続きをしてあったので気にしていなかった。ところがいつのまにかそれがキャンセルになっていて、手動で振り込むようになっていた。その連絡が、たまたま私が一週間留守にしていた時にあったようで、他の迷惑メールと一緒に削除してしまった。 で一定期間がすぎてしまったので、HPが閉じられてしまったと言うことらしい。まぁ理由がわかってしまえばなるほどなと、思うけれど突然閲覧不可となると焦ってしまうなぁ。 更新時間 : 08:34:08
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1月27日 (日)
はる 2417 今日はチェロのレッスン。上手くはない。 更新時間 : 00:28:43
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1月26日
(土)
はる 2416 何だかわからないけれど、トラブルでHPが表示されなくなっている。ブログは生きているようだがね。だからネットにはつながっているんだな。何が原因か分かったら教えてくれ。 更新時間 : 11:08:47
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1月25日
(金)
はる 2415 東京にでると靴が壊れる。これで二度目だ。地元にいれば車に乗ることが多いので分からないのだけれど、東京の人はよく歩く。まぁ今回も搬入の日に靴のそこがはがれた。このブーツはもう10年も前に革靴の本場イタリアで買ったものだ。だから思いでも一緒に買ったので簡単には捨てられない。 最近は靴の修理屋さんなど見かけない。靴はもう修理して長くはく物ではないのかもしれないな。ということで自分でやってみることにした。どうなるのかね。上手くゆくのかしらね。 更新時間 : 23:59:40
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1月24日
(木)
はる 2414 昨日は雪だったので今日荷物を運んでもらった。まぁ午後一番に荷が着いたらアトリエの中が足の踏み場もない。なんとか整理しなければこれからの仕事ができない。 ということで少しやる気を出して整理にかかる。個展というのは非日常でお祭りでハレの日というわけだ。いつもは日の当たらないアトリエであーだこーだやっている人間が、このときばかりは陽の元に晒される。「・・先生」なんていわれていい気分になっていると、自分が偉くなったように勘違いする。 絵描きなど芸人みたいなものだ。世の中の規範になるような「偉い人間」であろうはずがない。間違えば「河原者」として、石をもって追いかけられていたかもしれないのだからね。まぁ今のところ化けの皮がはがれないでそこそこやれているようだ。もう少しやれるだろうか・・。 更新時間 : 00:03:28
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1月23日
(水)
はる 2413 昨日の夜帰ってきました。今朝は雪が降っていました。まぁぎりぎり間に合ったようで、よかったよかった。地元以外では初めての大きな個展だった。それが東京のど真ん中で出来たことが嬉しかったな。 今まで長い目で観てくれていたお客さん駆けつけてきてくれたように思う。それからネットで関係ができたお客さんも多かった。少し間をおいてまた新しくはじめよう。いい機会をもらったと思う。皆さんありがとうございました。 三楽師のテーマはどこから来たのかな。そうやって考えるとはっきりと思い出すことが出来ない。多分ピカソの絵に「三人の音楽家」というキュピズムの手法の絵があったけれど、そんなところから引っ張り出してきたのかもしれない。 楽師のえはもう何年も前から描いていて、もともと音楽や楽器が好きだということもあるのだけれど、「あそびべ」という職能が歌舞音曲を使って魂を慰める芸能集団だということから来ているようだ。 更新時間 : 15:00:18
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1月22日
(火)
はる 2412 個展7日目 無事終了しました。とりあえずご来場ありがとうございました。また報告します。 更新時間 : 14:35:36
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1月21日
(月)
はる 2411 個展6日目 いよいよ明日で終了です。今日は千葉の兄貴のうちにお世話になっています。昨日の予報では昨晩から雪ということで、諦めていたのですが、東京は寒かったけれど有難いことに雪は降りませんでした。 まぁいろいろの反省は帰ってからということで、又明日。 更新時間 : 23:47:45
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1月20日
(日)
はる 2410 個展5日目 いよいよラス前ですぞ。また明日。 更新時間 : 22:36:46
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1月19日
(土)
はる 2409 個展4日目 めためた疲れた。ということでご勘弁。 更新時間 : 22:33:02
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1月18日
(金)
はる 2408 個展3日目 今日も今頃帰って来ました。ということですみません。シャメだけです。 更新時間 : 22:39:39
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1月17日
(木)
はる 2407 個展二日目 疲れました。ごめんまた明日。 更新時間 : 21:06:26
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1月16日
(水)
はる 2406 個展一日目 無事あけました。ここでおなじみの義さんがさっそくお土産を持ってやってきました。過分な寸評をかいてくれました。ここに少し無断転載します。あと会場の様子がシャメで紹介されています。 『 繪 之 心 』 ・・・・・略・・・ 松屋の美術コーナーは,前から知っていましたが,何度か,日本画 の展示会とか,グループ展などで,のぞいた事がある。 あのような何だか,高級絵画が並んでいるイメージがあったので なんだか、はるさんすげーなーと,わくわくして出かけていった。 いつもの、はるさんスマイルにお迎えられて,ご挨拶。 毎年は12月の個展のときにお会いするのが,今回は年明けの ご対面。お元気そうで何より.ほんわかした はるサンの仙人のような風貌が私は好きで、いろいろおはなし出来た。 何万と居る絵描きさんで,あの場所で個展をできるなんて,凄い事! 長年のはるさんの、着実な歩みに頭が下がる. ただ歩めば描ける絵ではない.もうはるサン、そのものの絵画が目の前にある。 ささやいてくる。絵画のすばらしさ、醍醐味は、その生の画面から伝わる 波動だ、呼吸だ、作家の息づかいだ。ささやいて歌っていれば、一緒に歌いだしたくなる。絵画はそうゆう世界だ。いままでづっと、これからも永遠に、、、。 ・・・略 どうもありがとう。 明日も元気でがんばります。 更新時間 : 21:19:35
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1月15日
(火)
はる 2405 松屋の飾りつけが終わりました。いよいよ明日から個展です。ということでまた。 更新時間 : 22:13:08
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1月14日
(月)
はる 2404 昼過ぎにいつもの運送屋さんが作品を取りにきた。今回は少し多めなので積み込む手順を考えて来たそうだ。けっこう大きなベンチもオブジェとして持ってゆくし、まぁ実際に積み込んでみなければ分からないというわけだ。 その様子をシャメに撮ろうと思っていたのだけれど、あまりにも熱中していたので忘れてしまった。あれはけっこう面白かったんだけれどね。残念。 明日から一週間この冬一番の寒さらしい。寒いのは私の絵に合ってるからいいのだけれど、雪が降るのは困るな。どうだろうか? ということで、明日から一週間出稼ぎに行ってきます。更新は出来るだけするつもりですが、いつものようにシャメだけになるかもしれません。まぁ取れたての情報なので、その臨場感を一緒に楽しんで下さい。勿論来れる人は是非来て下さい。私は全ての日、終日在廊の予定です。 それでは行ってきます。 更新時間 : 19:52:16
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1月13日
(日)
はる 2403 いよいよ近づいて来ました。明日午後一番に作品を取りに来ます。私はあさって出かけることになるのですが、まぁ明日は天気がよさそうでよかったな。 個展前の作家の心理ですか?今さらながら、今回はいつに無くやや興奮気味ですね。もう40回以上個展はやっているけれど、人の企画でこんなに大きい個展は初めてだ。会場は超有名デパートだ。無名の作家がだれでも出来る場所ではない。 問題はデパートでやる限り作品は「商品」となる。どんなにいい作品だったとしてもただ「いい」というだけでは合格点はもらえない。まぁ一般的に言って「デパートの絵」の規格からずれている私の絵に興味を持ってくれる人がどれだけいるのだろうか。不安と期待が入り混じる。 この間読んでいた「日本の聖と賤」にこんなことが書かれていた。世阿弥の「風姿花伝」の中の一説、「いかなる上手なりとも衆人敬愛かけたる所あらむをば、寿福増長の為手(して)とは申しがたし」・・ 芸能というのもはいかにうまい、じょずだとしても大衆にうけなければ、観る人に感動と幸福をもたらす芸人とはいえない。(かってな訳) 作品には自信を持っているのだけれど、それがどれだけデパートのお客さんに通用するのか、そこのところがいまいち心もとない。 ということで、是非観て下さいな。 更新時間 : 22:32:03
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1月12日
(土)
はる 2402 今日は午後からクロッキーにいく。なぜか全く描けなかった。こんな時もあるというのか、もともと上手くないということだろう。 あるブログを読んでいたらこんなことが書かれていた。要約して書く。 チャンスというのはだれにでも平等に訪れている、その本人にそれをチャンスだという認識がなければ、そのまま行過ぎてしまう。それから巡り合う人についてもこんなことが書かれていた。出会いたいと望まない人には巡り合いもない。もし出会ったとしてもその人の見識が低いと見逃してしまう。 結局は「人は自分にあった人にしか巡り合わない」ということらしい。 まぁこれはその通りだなぁ。そうやって考えると自分の人間関係にしても、今の境遇とか立場なんかも、結局は自分自身の器量というのか、見識の範囲なんだな。 よく人は誰々のためにこうなった、というふうに責任転嫁して考えがちだけれど、実は自分を規制しているのは自分自身なんだな。そのことがやっとこの頃分かった。原因と結果はすべて自分の中にある。 「美は美しいと思った自分との再会だ」というのが一昨年見つけた言葉だけれど、美だけじゃなくて全てのことが自分のなかに隠れている。まだ見ぬ自分がいるんだな。この年になってもまだ知らない自分がいるのだから面白い。 あるがままの自分というのか、それを探るために絵を描いている。 更新時間 : 23:22:39
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1月11日
(金)
はる 2401 ネットで知り合った「まれびと」さんから「日本の聖と賤」という本をいただいた。いままで色んなとこで聞きかじったことが体系的につながって出てきたので大変面白く読んだ。 私のペンネームの「あそびべ」という言葉も多分そこらあたりから出てきたものだけれど、彼が「まれびと」という言葉をペンネームにしていたから巡り合ったので、まぁこれもまた面白いなぁ。 この「あそびべ」とか「まれびと」に興味を持ったのはいつ頃からなのかな?と振り返ると自分の短いけれど絵画史をふり返ることになる。 92年ごろには自画像を描いていた。テーマは色々だけれど「方舟」だったり「理想郷」だったりした。このときはまだテーマそのものがぼんやりとしていた。 まぁその前はもっと装飾的な日本画風の絵を描いていたのだから、それなりの進歩だったのだけれどまだ何を描いたらいいのか、迷っていた時期だな。 そういった手法で93年にはけっこう大きな賞をいただいたりして、あぁこれでよかったのかなと思い始めた頃だ。今までの私の中では対外的に一番評価か高かった時期でもある。 けれど心の中ではまだ本当の事は言えてないなぁという思いは強かった。いや絵描くということで自分の考えていることなどいってもいいのかなぁという方が正しいか。 例えば「私はこれが好きだ」というような単純なことさえ絵を描くことでいえてないのではないか、もっと身近な今私が考えていることを、私の言葉で表現したいそんな気持が強かった。 絵画には「絵画の言葉」というのがあって、それを学ばなければ一人前にしゃべってはいけないといった不文律があったように思う。自分の中にかってにつくった壁なんだろうけれど、まずそこらあたりを壊して行くのに時間がかっかった。 油彩の最後の作品になるのか「存在することの不安」97あたりが転換期だと思う。まぁこれは自画像の続きなんだけれど、テーマが自分の中から湧き出てきたものだ。こんなものでも絵にしていいんだという発見が嬉しかった。時間がかかったけれど、やっと自分の言葉を見つけた頃だな。 まぁそこからどんどん自分のなかを探ってゆく旅が始まるんだけれど、技法も油彩からミクストメディアにかわってゆく。 で、自分の仕事というのはこうやって自分を探して晒して多くの人に見てもらうことだなと思ったんだな、それは何のためか?といえば、まぁ楽しみだったり、癒しだったり、歓びだったりする訳だ。自分の生き様を恥ずかしげも無く晒して、歓んでもらうある種の芸人だなと思ったんだな。 そうやって昔の職能を探してゆくと、まぁ出てくるは出て来るは、神事芸人や乞食芸やら祝部、うかれびと、えせの説教者、法師、歌舞伎者、あぁここらあたりが私のやりたかったことなのかなと最近は思っている。 更新時間 : 23:56:51
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1月10日
(木)
はる 2400 おお切りのいいナンバーだぞ。 ということで今日はお休み。 更新時間 : 22:48:16
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1月9日
(水)
はる 2399 隣のおっちゃんが亡くなった。おっちゃんと言っても一人暮らしの爺さんだけれどね。昨年の春頃はまだ元気で、小さな植木鉢に水をやるのが毎日の日課だった。水をやりながらこっくりこっくりろをこいでいた。起きているのか、眠っているのか、段々境界があいまいになって、あぶなっかしいので強制的に入院させられたようだ。 まぁここらあたりは老人の町でね。隣近所全てが私より年上だ。リタイヤ組みばかり、普通に学校や仕事に出かけているうちはない。 日本の地方全体がこんな感じなんじゃないかね。若くて活動的なのは東京を始めとした都会だけ。 さて、いよいよ一週間後だな。久しぶりにプレッシャーを感じる。まぁ楽しみ半分なんだけどね。ということで又明日。 更新時間 : 22:38:32
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1月8日
(火)
はる 2398 期せずしてシリーズになっている絵が何点かある。自分の中ではある意味でこれが私の絵だと思っている。一つは「こたえてください」それから「おおいなるもの」「いのりのかたち」と「さいわいびと」かな。今回の個展でもその何点かは出品する。 ↓の「いのりのかたち3」は国画会の準会員に推挙された思い出の作品でもある。それともう一つ忘れられないのは、ちょうどこれを描いていた時に病気の告知を受け手術をしたことだ。だから当然そのことは知らなかった。 入院が決まって当日に搬入が出来ないのでいつもの赤帽さんに随分と早く取りに来てもらってた。病気の事は伏せてあったので、早く絵を委託したのは家族で旅行に行くためだというふうに勘違いしたようだ。 まぁ今となっては笑い話みたいなものだな。 更新時間 : 21:53:03
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1月7日
(月)
はる 2397 今日はいつも東京に絵を運んでもらっている赤帽さんに来てもらって作品がみんな入るかどうか試してもらった。作品の数が多いので、ちょっと不安になったのでね。一応何とか積み切れるということで一安心。彼とのコンビはもう10年以上になるかな。 最初はもちろん自分で車を運転して搬入していた。ウィークリーマンションを借りて一週間分の着替えなども積み込んで泊り込むのだ。これがどさまわりの旅芸人にたいでなかなか楽しいのだな。 都内の首都高速などはじめて行った者には遊園地のゴーカートみたいでね、面白いけど寿命を縮める。車を置く駐車スペースも困った。最初の頃は画廊の前に堂々と止めていたんだけどね。今から考えると、ご近所さんにえらい迷惑だな。 ということで少し前の作品を倉庫から持ってきた。一番最初の「まれびと」01だ。何故羊がいるのかよく分からないのだけれど、これも描いているうちに羊か立ち現れてきたので、そのままそこに居てもらう事にした。 羊というのは東西で色んな所にでてくる。「美」は大きな羊だし、「善」の中にも羊がいる。ファンアイクの名作は「神秘の子羊」だ。 「まれびと」という言葉もその頃に知った。まれにくるお客さん、という意味で「希人・まろうど」から来ているらしい。 日本にまだ仏教や勿論キリスト教などが伝来していない頃の話で、その頃の人々は当然その土地をほとんど離れたことがないわけだ。そういった人々にとってたまに何処からかやって来るこういった遊芸者とか説教者とか流浪の人々というのは、ある種畏怖や畏敬の念でもって見られたんだな。まぁ神様の使いなどと言う輩なんかもいたかもしれない。 乞食とか漂泊の旅人、行者などに憧れるというのはごく小さい頃からの私の癖で、それはどこから来ているのかわからない。文楽などの浄瑠璃などを聞くとなぜか懐かしい気持にさせられるとこをみると、私の中にはそういった河原者の血が流れているのかもしれない。 更新時間 : 20:09:14
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1月6日
(日)
はる 2396 額を倉庫から持ってくる。私の車はいつでも大きな絵が運べるようにでかいキャリアがついている。これで130号三枚ぐらい近い距離なら運べる。 今回の個展はいつものような小品もさることながら、100号以上の大きな作品が7点並ぶ予定。まぁ全部新作と言う訳にはいかないのでここ5、6年の近作ということで我慢して下さい。 96年にイタリアから帰国。当然その前までは油彩画を描いていた。まぁそのまま油彩画を描いてゆくだろうなという予測は大きく変わって、少しずつミクストメディアに変わっていった。そこにあるのは何だったのか? 色々理由付けはあるのだろうけれど、絵を描くということに限界を感じていた。根本になることは自分は絵を描くことよりも物を作ったり考えたりすることの方が好きだということだろうな。だから自然に色んなものを画面に持ち込んだ工作的な造形物になってくる。 もう一つは世界の名だたる美術館で歴史的な名画を見てきたけれど、ほとんど感銘とか感動というのを受けなかった。それよりも近場の教会の無名のフレスコ画みたいなものに共感を覚えた。 絵は美術館で観るよりちゃんとした普通の生活の場で、生きた状態で観た方が感動的だ。高邁な芸術よりも身の丈にあった自分の範ちゅうにで勝負できる仕事がしたかった。生活の中から自分の言葉で語れるような仕事がしたかった。 97年神戸で「こころのかたち」と題して初めて故郷で個展を行った。そのあたりから本格的にミクストメディアに移行していった。 材料やスタイルが変わると5年ぐらい物にならない。色々と試行錯誤して、今回一番古い作品はそのミクストメヂィアで00年につくった「こたえてください5」という作品。ちなみにこの頃からタイトルも作品と考えるスタイルになって来た。 まぁ楽しみにしていてくださいな。んじゃ 更新時間 : 22:21:40
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1月5日
(土)
はる 2395 どうなるかと危ぶんいた130号に兆しが見えた。これも途中を写真に記録してあるのでどう変化していったのか、なかなか面白いと思う。そのうちにまたHPの方にアップする予定です。ご期待ください。 これも最初は「おおいなるもの」の続きを描こうかなと漠然と考えて始めたものだ。兎に角出来るだけ我慢してカタチを見ないようにして絵の具や布や壁土などやたらと塗りこんでは壊してまた塗りこむということを繰り返した。で、そこから自然に出てくる形を待つことにした。 カタチと物語という相反するものを同時に探さなくてはならない。形が見えてきてそこから何かしらの物語を作るのだ。両方納得するものでなければOKは出さない。無理やり途中発車しても最後まで続かない。 この物語を見つけるというのもなかなかなれないと難しい。カタチがある程度でて来たところで、何でそんなものが出てきたのか、自分に問い掛けるわけだ。 今回はずっと頭にあったのは「説法」と「誘惑」「きずつきしひと」などの寓意画だった。そういった寓意することで何かしらの私のメッセージが伝えられるのじゃないかと考えていた。まぁ何回も何回も「ピエタ」の絵柄が見えたのだけれど、キリスト教に帰依していない私が「ピエタ」を描いても意味ないなぁと却下した。又そのうちに描くことになるかもしれない。 「大いなるもの」の人物が決まった。それを囲む群像という形は前回と同じだ。背景を白一色で埋めるというパターンは少しマンネリしてきたので、もっと絵画的に分割したい。ここらあたりはお得意なので何とかなるだろう。 問題は「おおいなるもの」が前回のように大きな普遍的なカタチになっていない。もっと下世話な通俗的な人物に見えることだ。「寒山拾得」の話がちらつく。通俗なのは自分がまだまだ俗界に住んでいるからだろう。 修行するのは山とは限らない。本当は俗界にすんで何気に暮しているのが本物かな。遊行上人、遊びながらね説法してお布施をいただく。そんな旅芸人もいいかなと思ってね。自分の姿をダブらせる。 更新時間 : 22:46:31
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1月4日
(金)
はる 2394 今日は一日絵を描いていた。個展が近づいてここまで絵を描いていることはまれなんだけれどね、130号の新作を持ってゆきたいという願望があってね、別に古い作品でもOKなんだけれど、ここはそれ気合だからね。頑張って新作を展示したい。 九月頃からからかっていた作品だけれど、間に甲府の個展が入ったりして間が抜けてしまった。こういったものは毎日何かしらやっていないと、どうでもよくなってしまう。どうでもよくなるというのはこういうことだ。 描いている途中は何かしら問題意識というのを持っている。些細なことから根本的なことまで、特に大作は一朝一夕にはゆかないので、かなりのモチベーションを持ってやっている。でなければ何ヶ月も同じ作品を描いていられない。 試験勉強してない奴が凄く自信を持っていて、勉強した奴ほど問題が見えてあせっていると言うのに似ている。勉強しなければ何が分かっていないのかさえ分からないということだ。 小品というのは案外何とかなる。まぁ反対の難しさはあるのだけれどね。煮詰まってくれば次の作品にとりあえず逃げることができる。ところが大きい作品と言うのは逃げることができないのだな。そこにドデンと存在する。朝から晩までズット。 この問題意識をもちつづけるということが大作を描くポイントだな。半年下手すれば一年かかっているわけだからね。 更新時間 : 22:16:59
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1月3日
(木)
はる 2393 芸術に限らず文化とか文明と言われるものはある種形を変えた「遺伝子」だ。人類は生物学的な遺伝子と共に「文化という遺伝子」を受け継いでいくことによって我々は今ここにいる。 極私的な表現であったとしても、それを鑑賞した人が何らかの影響を受けて、次の世代に受け継がれて行くという夢想は楽しいことではあるし、まぁその通りなんだろう。 私の言う「おおいなるもの」の一部になるというのは、そういうことも含めてすべてがやがて一つになるということなんだな。だから空しいという話でもない。 多分宇宙全体からみれば我々個人なんて本当にささやかなものだ。単に偶然に偶然が重なって今ここに我々がいる。そのことの方が奇跡に近いことだ。だから、ちょっとしたことでその安定が崩れてしまう。 反対によく考えることなんだけれど、結局宇宙というのも我々のイメージの中にあるわけだから、我々の頭脳の中には無限大の空間があるということだな。 映画「マトリックス」や荘子の「胡蝶の夢」ではないけれど、どれが本当なのかわからないというのが本当かもしれないね。 なんだか支離滅裂になってしまったね。またもう少し考えてから書きます。 更新時間 : 21:38:59
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1月2日
(水)
はる 2392 時間の観念には二通りあるように思う。一つは我々が通常暮しているこの日々の時間の進み方で、過去があって現在そして未来へとつながって行く。昨日の次には今日があって明日がある。誰でもが理解しえる時の流れだな。 もう一つは宇宙的な時間の流れで、通常の我々の感覚では理解できない。例えば永遠といえば確かに終わりはないのだけれど、じゃ始まりはなかったのか?という疑問がでてくる。過去があって現在があり、そして未来があるという三段論法的なときの流れの尺度では永遠は理解できない。 無理やり理解しようとこじつけると、アインシュタインのいったように時間や空間は伸びたり縮んだりするということになるのだろう。まぁこれが我々人間が理解しえる限界かもしれない。本当の所は神のぞ知るということか。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 芸術に限らず文化とか文明と言われるものはある種形を変えた「遺伝子」だ。人類は生物学的な遺伝子と共に「文化という遺伝子」を受け継いでいくことによって我々は今ここにいる。 で、我々はいったい何処からきてそして何処へゆくのか?というようなことがとても気になる。 こうやって世界がグローバル化して段々に一つの大きな知恵というのか価値観みたいなものでつながってゆくと、個人的な趣味とか個性みたいなものはほとんど意味をなさにようになってくるのじゃないだろうかね。 でまぁ、段々に加速度がついて爆発的にある一点に向かって突き進んでいるように見えるのだけれど、それがいつなのかということは予測がつかない。ただ言えることは、確実にそのときは近づいているということだろう。 反対に過去に戻ってゆくと、もうこれ以上戻れないという地点は人類の発生というようなことになるんだろうか。いやもっともっと戻って行くとこれはもう最初に戻って宇宙的な時間の流れの中にもどってゆくのだろうか。 更新時間 : 00:14:32
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1月1日
(火)
はる 2391 2008年明けましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。 更新時間 : 19:44:36
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