2007 12月
12月31日 (月)

はる 2390
 今年最後になってしまいましたね。数少ない常連のみなさん、来年もよろしくお付き合いください。皆様にとっていい年でありますように。よいお正月をお迎えください。

 それではまた来年にお会いしましょう!

更新時間 : 18:52:01

12月30日 (日)

はる 2389
 私に絵でも描けばと示唆してくれたお袋は、未だ92歳で元気で暮している。前にも書いたかな、体重が27キログラムしかない。ガリガリのミイラのようだな。それでも意識はすこぶるハッキリしていて、入院先の医者を困らせるくらいの嫌味を実に的確に言ったりする。

 今年の初め頃に右手首を骨折して私が見舞ったときはビンビンに腫れていてグローブのようだった。お袋の凄い所はそれでも何かを書き付けておきたい、記録しておきたい、という欲求が人一倍強いところだ。

 さて、どうやって彼女は記録したのか?なんと利き手ではない左手で日記をつけ始めた。それでも人間というのは凄いものだ、あの年になっても学習するんだな。段々に上手になる。

 たぶん私は彼女の血を濃厚に受け継いでいるようだ。お袋にとって日記を書くことは今を記録しておくという気持はほとんどないだろう。今現在考えていることを書きながら考えている。それが今自分がここにいるということだからだ。

 閑話休題・少し関連して

 人は今しか生きられない。前世も彼岸も天国や地獄の存在もたぶんないだろう。心臓が止まればはっきり言って、何もかもが消えてなくなる。でもそれはそんなに悲しいことではない。色々な煩わしいことや、繁雑な仕事から解放されるということであり、もう何もしなくてもいいんだよという安息を意味するからだ。

 反対にこの世からいなくなった後にも、天国や彼岸があって色々なことが現世のように考えなければならないというのじゃ、救われない。年寄りも若造も金持ちも貧乏人も関係ない、きれいさっぱり何もかも消えてなくなった方がかえって救われるのだな。

 意志をもった個人というのはここまでなんだ。それでいいと思ってる。ここからは全体の中の一部になるのだろうな。まぁ物理のエネルギー不変の法則からいっても全体としては何も変わらないのだから、増えも減りもしない。

 もっと言えばこの宇宙が出来たときから、何もかも変わらないし、決まっていたことなんだと感じるんだな。これは前世とか霊とかいうあやふやな、まやかしではなくてね。なにも変わらないんだ。たまたま私は何かの形で、偶然この世の中に特別なかたちででてきたけれど、これが実は最も不安定なありえない偶然だったんじゃないかな。

 だから、まぁ死というのは一番安定した「おおいなるもの」の一部になるということなんじゃないかと思っている。

更新時間 : 23:47:16

12月29日 (土)

はる 2388
 昨日DMの発送をした。順調にゆけば年内には着くことになるだろう。ただ年賀とハンコが押されているものは正月につくことになるのかな。それで今年はお仕舞いかな。

 私が所沢の教師を辞めて山梨の高校の非常勤を始めてからずっと一緒に、農業高校で家庭科の非常勤をやられていたI先生が亡くなられたというハガキをいただいた。

 その高校を辞めてからもう随分となるので一年に一回ぐらい個展でお会いするくらいで交流もなかったのだけれど、旦那さんがキリスト教の牧師さんだということで、来られた時には長いこと話をした。それから息子さんも牧師なんだけれど、彼は反対に美大出身なんだな。

 ずっと将来のことを考えて、まぁ自分が考えているだけだけれど。私が死んだら大きな作品は何処かの教会に寄付しようかと考えている。ばらばらになるのであれば、どこか一箇所にまとめて置いてくれるのならそれが一番いいかな。

 学校や公共のスペースというのもあるけれど、案外管理がいいかげんでね。いつのまにか倉庫に入ってそのうちに捨てられる運命になる。美術館も全部はとてももらってくれないだろうしな。

 私の作品たちが一番居心地良くいられるのは教会かなと思うからだ。終の棲家を考えてやらねばね。

更新時間 : 21:25:56

12月28日 (金)

はる 2387
 いよいよ今年も終わりに近づいたな。

 今年は一月の関西のデパートの個展から始まって、春の団体展では会員に推挙された。絵を描きはじめて30年ほどになるけれど、ほとんど変化のなかった発表の形態が変わってきた。

 特に今までデパートでの個展は考えに入っていなかったので、多少うろたえた。でもまぁここで絵で食って行こうとかんがえたら、あえてデパートという選択もありかなとも思う。

 わが国の場合、街中の画廊はやっぱり敷居が高すぎるんだよな。まぁその「敷居の高さ」も「わざわざ出かける」ということも必要なんだけれどね。一般の人が、ちょっと買い物の帰りに、散歩のついでに、ふらっと気楽に寄ったというところがないからなぁ。またそういった習慣もない。画廊というのは物を商品として扱っているわりにはお客を拒んでいる所があってね、ちょっと不思議な空間だな。

更新時間 : 20:38:35

12月27日 (木)

はる 2386
 今日はパス。

更新時間 : 21:38:29

12月26日 (水)

はる 2385
 まぁじっくり考えなくてはならないことがあるのだけれど、今日は時間がありません。ということでまたね。

更新時間 : 21:08:44

12月25日 (火)

はる 2384
 よく考えてみると、善も悪もすべて自分の作ったイメージの中にある。「こうあってはならない」とか「こうあるべきだ」というのは結局は今まで生きてきた私の経験から出てきたものだ。

 だから悪のイメージを語らせれば、その人が今まで誰にも言えずに隠くしていた、とんでもないことがでて来るかもしれない。善を語らせるよりずっと面白い結果がでてくるだろうな。

 自分の中には目には見えないけれど、私を統制してコントロールしようとする者がいる。多分良心とか言われるものかもしれないが、そうなのかよく分からない。

 兎に角子供の頃から、そいつが私をコントロールしている。「勤勉」「真面目」「努力」「一生懸命」「集中」・・それらと反対のことをしようとするとどこかブレーキがかかる。何なんだろうな。

更新時間 : 22:59:31

12月24日 (月)

はる 2383
 高山辰雄や松井冬子さんの絵を観て感じることは、絵を描くことで何かしらあちらの世界と交感している。徹底して描くこと。である瞬間、無意識に結界を越えて「あちらの世界」に踏み込んで行く。絵描きとして、本来の姿はそうであらねばならないと強く感じる。

 ふりかえってわが身をかんがみるに、なかなかそこまで至っていない。絵を描いていて、未だに感じる居心地の悪さは「私は絵を描くことが好きではない」のではないか?という疑問だ。まぁことここに至っては「好きだとか嫌い」ではすまないことではあるのだけれどね。

 絵を描きはじめた頃感じた疑問は「私はゴッホにはなれない」ということだ。どういうことかといえば、絵を描くことが飯より好きだ。何よりも絵さえ描いていれば幸せだ。という風な人間ではない。今で言えばマニアックなオタクの世界かな。私はもっと通俗的な人間で、様々なことで頭の中が散漫だ。集中力というのがない。

 人というのはどういった存在なんだろうか。たまたまこの世界に偶然生まれてきた。ほとんどの人間は特に選ばれた訳ではない。何年かこの世の中に存在してやがては静に消えてゆく。

 私がこの世に存在したことは、まぁほとんど跡形もなく消えてしまう。まぁそれが普通だわな。特別な人間などほんとうは誰もいない。

 どこかで自分の存在を確認したい、誰かに知らせたい、出来たら何かのカタチで残したいと浅はかな感じを持つんだな。それが生物としての本能みたいなものかな。あまりにもそれだけだと寂しいのでね。

 まぁそれがあらゆる「表現」のもっとも基本になっているんだろう。どういうかたちであってもいい。自分の存在が確認できればね。しかし、まぁ実際はどうやっても空しい作業なんだろうけれど。

 で私は何で自己確認しているのかと考えた時、まぁほとんどがこうやって文字を書きながらということが多い。まだここでは表現まで至っていない段階で、生の私の「声」みたいなものが詰まっているわけだ。

 で、人様にこれを晒していいのかどうかちゅちょするんだけれど、まぁ仕方ないブログというのはそういった媒体だからな。我慢して読んでくれ。

 で体裁を整えて大上段に発表できる場というのが、個展だったり団体展の会場だったりするのだろう。まぁ晴れの舞台みたいなものだな。

 

更新時間 : 23:10:48

12月23日 (日)

はる 2382
 今日はクロッキー会でした。二ヶ月ぶりですな。

 今日たまたまNHKの「日曜美術館」を観ていたら、高山辰雄をやっていて、あぁやっぱりこの人は凄いなぁと思った。そういえばこの人の「聖家族」の展覧会を小川美術館に観にいった時のことを思い出した。

 何か大きなビルのオフィスのようなところで、あの例のぼやぼやとしたデッサン群が並んでいた。当時何にひっかかりを感じたのか、ほとんどおぼえていないのだけれど、ワザワザ東京まで彼の展覧会を観に行ったのだから、気になる存在ではあったのだ。

 今日生前のインタビューが放映されていたけれど、私が今年個展のメッセージに書いた事と同じようなことを言っていた。これは本当に驚いた。

 うるおぼえだけれど書いて見ようか。

 「私は個性と言う言葉が嫌いだ。今の時代は何でも個性々々と伝家の宝刀のようにいうけれど、なぜか薄っぺらなものを感じる。私はむしろ人として、生物として、生きるものとして(共通)なものを見つけたい、聴きたい・・」ちょっと創作が入っています。

 それから今月号の美術手帳の特集作家が松井冬子だった。この人はその美貌と画題のグロテスクさで注目されているけれど、若いけれどすごいなぁと思う。まぁ高山辰雄と狙っている世界は違うけれど、一種共通するところがある。

 絵を描くことに徹底して、描くことを楽しむというのか、忘我というのかな、そこまで行ければそれもまた真実なんじゃないかとおもう。

更新時間 : 00:05:19

12月22日 (土)

はる 2381
 昨日は東京にいました。まぁ東京は活気があって何となくおもしろいですね。暇があったので銀座の画廊をまわってみましたが、国画のメンバーが沢山展覧会をやっていました。昨年までは同じようにこのシーズンに個展をやっていたわけだから、まぁ何となく寂しさも感じます。

 松屋によって、来年の個展会場をみてきましたが、なんと独立の大津英敏さんが芸術院賞受賞の記念展覧会を同じ会場でやっていました。あの同じ会場で私がやるのですから、本当に私なの?と言う感じです。

 でまぁ、同じことをやっても東京じゃ観る人の数も違うし、だいたい観る人のセンスというのか、感じ方もちがうんだな。だからみんな東京に出てしまう。特に東京に近い我々の町なんかヌケガラのようなカスしか残っていない。

 まぁこれからもっと地方は苦しくなるだろうな。

更新時間 : 22:03:00

12月21日 (金)

はる 2380
 今日は東京。でパス。

更新時間 : 21:40:06

12月20日 (木)

はる 2379
 普通美大に行くような奴は高校のころから美大の予備校に行ってデッサンの勉強に明け暮れる。幸か不幸か私の周りにはそういったアート系のガキがいなかったので、選択肢として美大というのは全く考えになかった。

 だいたい何がやりたいなどと決められる方が可笑しいのじゃないかな。二十歳やそこらで、自分の方向性なんか見つけられない。ウダウダと毎日をおくっていて、あぁこうやってくだらない大人になってゆくのかなぁ・・とたまらなく嫌だったことはかすかにおぼえている。

 その頃はまだ絵なんて描いていなくて、自分でアクセサリーみたいなものを作って路上で売ったりしていた。一つか二つ売れたかな。大道芸人とか寅さんのような路上販売人に憧れていた。

 どうやっても正規の職業についてまともなサラリーマンになるという発想にはならなかった。どこかに河原者というのか漂流者の血が流れているのかもしれないな。

 だからと言って、華々しいファッション関係やデザイナーになるというのも考えられなかったし、まぁ本当に何をやればいいのか何者にもなれない、一番辛い頃だったようにも思う。

 絵でも描いたらと言ったのはお袋だった。何がそういうふうに感じたのか、特別絵が好きで描いていたわけではなかったので、その選択肢はドキドキした。

 今でもおぼえているけれど、神戸大丸の斜め向かいにある画材店で油絵の道具を一式買った。それが二十歳の誕生日のプレゼントだった。随分と出遅れた始まりだった。

 つづく。

更新時間 : 00:19:22

12月19日 (水)

はる 2378
 今日もパスかな。

更新時間 : 22:29:12

12月18日 (火)

はる 2377
 今日は疲れたのでパス。

更新時間 : 19:20:58

12月17日 (月)

はる 2376
 どうやっても「表現したい」という気持があるのかもしれない。かもしれないというのは何だか無責任だけれど,よくわからないというのが本当のところかな。

 絵を描くというのは単にその一つにすぎないような気がする。ここのところをもう少し考えてみよう。

 「表現したい」というより「考えていることをカタチにしたい」という方がちかいようだな。

 昔からものを考える時に書きながら考える癖があった。そのほうが要領よく考えることができるし、書かないと同じことの堂々巡りになることが多い。

 今もこうやって自分の思考の過程をキーボードに向かって打っているわけで、まとまった文章が先にあって書いているわけではない。だらだらと考えながら書いている。だから後で読んでみるとはやめちゃなことが多いな。

 前にも書いたけれど、普通絵描きは子供の頃から絵を描かせれば飛びぬけて上手だったとか、暇さえあれば絵を描いていたという逸話の持ち主がおおいけれど、私に関してはまったく当てはまらない。

 物を作ったり,考えたりすることは好きだったけれど、特に絵だけが好きだったわけではない。そういったことを何か形にしたら、とりあえず絵描きだったということかな。他にあてはまるカタチがなかった。

 今でも多分にそういったところがあるけれど、「絵描き」という職業はないと考えて来た。ただ自分の考えをカタチにしたり、文章にしたり、絵を描くことで考えて来たわけだから、それが「仕事」になるとは考えられなかったからね。そう今でもそんな続きの中にいる。

 だから、普通ならもうすでに解決していなければならないような、仕事の手順とか、技術なども未だに行き当たりばったりで、絵も上手くいったり全くの駄作になってつぶしてしまうことも多い。

 いまだに途上にいる。

更新時間 : 22:03:27

12月16日 (日)

はる 2375
 今回も何件か問い合わせがあった。ほとんどが有料の記事を載せないかというお誘いだな。

 例えば美術系の有力雑誌で記事になってもそれでお客さんが増えるかといえば、ほとんど期待できない。一人か二人問い合わせがある程度だ。まぁ特集記事にでもなれば別かもしれないが、普通のベタ記事では、私の絵がまずいということを考慮しても思ったほど効果は期待できないものだ。

 考えれば、自分でもそういった記事を見て、よほどの義理かインパクトがなければワザワザ出かけることはない。自分の友人や知り合い、絵の仲間、親戚など有力なタニマチを除けば,数えるくらいのお客さんしかないことに気付く。

 知らない場所で個展をやることの空しさを嫌と言うほどしることになる。大体若いうちはそれでも「東京」でやることに意気を感じて赤字覚悟でやるんだな。それも学校を卒業してから10年ぐらいかな。段々にやり続けてゆくことに疲れてくる。

 それでも我慢してやりつづけてゆけば少しずつ,本当に少しずつだけれど作品にファンがついてゆく。画廊とも信頼関係ができてきて企画になったりする。絵描きとしてやって行けるかどうか、そこらあたりが分岐点かもしれないなぁ。

 コレクターというのは作家の活き方をみているように思う。最初からいきなりコレクションすることは少ない。何年か様子を見ていて作家と話をしたり,その人間性を眺めているんだな。で一度コレクションすると何点か連続してコレクションするようだ。

 まぁだから、精進するしかないということだろう。

更新時間 : 21:27:01

12月15日 (土)

はる 2374
 最初の頃は、個展をやればもういっぱしの画家で、新聞や雑誌で取り上げてくれて、観も知らない多くの人がどんどん来てくれる・・と思っていた。

 放って置いても誰かが見つけてくれて、幸運にも世の中に出ることができるものだと、思っていたところがある。しかしまぁ、世の中はそんなに甘くはない。

 新聞や雑誌もただただ黙っていたのでは記事にもならない。そらそうだろう、何処のだれともわからない三文絵描きなど珍しくもない。記事にしたところで一銭の儲けにもならない。

 記事にしてもらうには、個展の内容や自己紹介を含めて今回の個展のテーマの簡単なキャッチフレーズなど、分かりやすく簡潔にまとめておく必要がある。取材がきてから考えていたのじゃ遅すぎる。反対にこちらから取材しなくても記事にできるくらいのコメントを送るほうがいい。

 そんなことが分かってきたのは自分で個展を始めて5年も過ぎた頃だろうか。今では毎回二ヶ月も前に雑誌社には原稿とDMになる前の写真を何点か送ることにしている。上手くすれば記事にしてくれる。

 絵描きは絵だけ描けばいい。確かにその通りなんだけれどね。そういった意味では私は純粋な絵描きではないな。自分の考えていることをメッセージとして出来るだけ分かりやすく伝えたいと思っている。

 それが文章や言葉であるなら、それを使ってもいいと思っている。絵画に布や土や紙など身近な使えるものを何でも持ち込むように、表現として可能なら何でも使いたい。このブログさえも私の表現の一部だと思っている。

更新時間 : 21:47:54

12月14日 (金)

はる 2373
 今日はお休み。

更新時間 : 23:23:20

12月13日 (木)

はる 2372
 毎日こうやってブログに載せるためだけにシャメを撮る。何か特別な出来事で無い限り,一日一枚、撮ったらすぐに送るようにしている。だから更新の時間を見れば私が何処にいたのか、アリバイ成立というわけだ。だれも気にしてないとは思うけれどね。

 シャメは便利で、日記を書く暇がないときでもこれなら簡単に更新できる。まぁだれが考えたのか、写真付きの日記を毎日アップできるのだから、ブログというのは恐ろしい道具だ。

 これがどんな風に情報として蓄積されてゆくのか、どう利用されるのか、何もかも今までなかったシステムだから分からないのだけれど、まぁ仮に私の様な仕事の人間がこうやって日々の出来事をリアルタイムで晒してゆくことは,面白いのじゃないかと思う。たとえ嘘八百だとしても、もう八年ほどの実績があるのでね、半分ほどは真実が書かれているだろう。

 シャメにしたところで、こうやって毎日撮ると、自然とその人の癖というのか好みとか考えとかセンスとかが出てくるように思う。まぁこれが一つや二つじゃダメなんだ。何百何千枚撮ることで分かってくるんだな。

 「一事が万事」だな。たった一つのことの中にその人の全てが隠されているということだ。もっと言えば、今日一日に私の一生の出来事が隠されているんだろう。とすればなんといいかげんな人間なんだろう。反省

更新時間 : 22:56:15

12月12日 (水)

はる 2371
 ある人と話をしていて、企業というのもまぁ大きくなってしまうと分からないのだけれどと断りながら、社長の器が会社の器だというようなことを言っていた。

 会社の器というものが何を差しているのか、会社という組織で働いたことがないのでちょっと理解しにくいのだが、自分なりにこんなことかなと思った。以下上手く書けないかもしれないけれど、書いてみる。

 教壇の上にたって、まぁ40人足らず生徒を相手に話をするわけだけれど、クラスによって微妙に雰囲気が違う。まぁそれぞれの生徒の個性が違うということは勿論大きな要素だけれど、その後ろにある担任の個性というのか透けて見えるんだな。

 夏を越えて秋口からこの時期になると、もう完全に手なずけられていなければならない訳で、どういった形で手なずけているのか、でクラスの雰囲気が変わってくるのだな。

 力ずくで押さえ込んだクラスというものは力の弱い教師、特に女性の先生の時間など授業にならない。彼らははっきり言って動物のような勘を働かせて、上手く立ち回るのだな。力の強い先生の元では羊のように大人しい。

 それと反対にちゃんと話を聞いている担任の生徒というのは安心しているんだな。それは力ではない。最初はばらばらだったクラスもこの頃になると妙に大人しく落ち着いてくる。

 担任と親というのはよく似ている。学校という大きな家族の親みたいなものかな。子供たちには親が例えどんなに偉い人物であろうと、反対に犯罪者であっても関係ないのだな。どうやっても親なんだ。

 ただただ、自分のことみて欲しい。観てて欲しい。それだけなんだ。担任もそうじゃないかな。そういったクラスはやがては落ち着いてくる。

 もう一つ同じような話だけれど、養殖の魚の話。兄貴から聞いたんだけれどね。どんなに大きくなる種類の魚でも水槽の大きさが小さければ大きくならないんだってさ。上手く出来ているよな。

 企業の器の話もそんなところだろうかね。

更新時間 : 20:28:59

12月11日 (火)

はる 2370
 今日はお休み。又明日。

更新時間 : 21:30:36

12月10日 (月)

はる 2369
 我々が子供だった頃、冬場は火鉢に鉄瓶がいつもかかっていてシューシューと湯気を吐いていた。そのチンチンに沸いたお湯は寝るときには湯たんぽに入れて寝床をあたためるのに使い、朝顔を洗うときに使った。まぁすべてに無駄がなかったというのか、物を大切にするという習慣が生きていたな。何時頃から何でも使い捨てになってしまったのだろうか。

 こういった習慣も一度失ってしまうとなかなか取り戻せない。けちというのではない。無駄を無くすというのでもない。何だろう昨日の話にもつながるのかもしれないけれど、今あることに感謝するということなんだな。当たり前にいまここにいることに感謝するこころだろうか。

 まぁ難しいね。



更新時間 : 08:38:42

12月9日 (日)

はる 2368
 今日はポカポカといい天気だった。昼頃珈琲を片手に庭に出て日向ぼっこをしていた。冬の空は晴れ上がって真っ青だ。耳もとを風が渡る音がして、日曜日の午後は幸せな気分が満ちている。

 胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込んだら、空の青さまで吸い込んだ気がした。ふと「おおいなるもの」の一部になるという言葉が浮かんだ。まぁこういうことなんだろうな。

 昨日の続き。
 (人はそのことにあまり気付いてはいない。何時までも自分は特別で「愛されている」と勘違いしている。そんなところから色々な誤解やトラブルが起きてくる)

 子供の頃スーパーマンのようになって空を飛ぶ夢をよく見た。自分は特別な人間で、どこかに素晴らしい力を秘めていて、今はまだ開眼していないだけなんだと思っていた。

 死んでも何度でも生き返って、永久に死んでいなくなることはないと固く信じていた。

 病気になった時に「何で私が?」とだれでもその運命を恨むそうだ。私もそうだった。自分には何かしら後ろ盾が付いていて、そういった不幸は避けてくれるものだと何気なく信じていたところがある。

 いや,本当はそうではない。どこか心の底の方では、それは、今ではないいつか必ず、そっと訪れるであろうことは知っていたのだけれどね。

 この、自分は特別で「愛されている」と勘違いしている、というの何処となく似ている。

 最終的に全てを愛するというフレーズがとても好みだ。身のまわりにあるもの全て、草も木も石や土さえも全てみんな無償で愛するのだ。

 「おおいなるもの」の一部になるというのはそういうことなんじゃないかな。
 

更新時間 : 19:16:04

12月8日 (土)

はる 2367
 新聞もほとんど読まなくなって久しいけれど、たまたま今朝は拾い読みした。人生相談という奴があって、何時の世もくだらないことで悩んでいる人たちがいる。でまぁそれをどう答えるのか、ということの方に興味がある。

 明川哲也さんの解答はいつも面白い。直接悩みには答えていないのだけれど、大きな意味で解答になっている。そういった答え方にこの人の人生哲学が伺えて面白いのだな。

 相談事は「自分は人に愛されていないのではにか?」というつまらん話だ。

 解答を私なりに解釈して書いてみる。違っていても文句は受け付けないのであしからず。

 人は生まれた時は多くの人に祝福されて、ただ存在するだけで周りの人を幸福にする。少年少女の時期もまだまだ多くの大人たちに愛されて慈しまれて育ってゆく。

 二十歳過ぎになっても「若い」というだけで、夢や希望の代名詞にもなり、失敗してもほとんどの場合許されるし、また新しいチャンスがやって来る。

 ところがある時期を過ぎると急激に疎まれる存在になる。オジサンやオバサンの時期を過ぎて、今度はジジババになってくるとさらに存在そのものが疎まれるようになってくる。

 人はそのことにあまり気付いてはいない。何時までも自分は特別で「愛されている」と勘違いしている。そんなところから色々な誤解やトラブルが起きてくる。

 早めはやめに対処しておく必要がある。「愛されなくなった」時に人はどうするか?ということですね。

 ここに哲也さんの珠玉の解答がある。以下無断転載します。

「・・答えは一つです。愛することしかありません。見返りなく、愛すること。生きる時間を経るほどに、お金があるない、地位があるない、健康があるない、家族があるない、いろいろと現象面での結果が出てくるものですが、人間の到達目標はその最高の魂、何もかも愛するこころを持つことによって、「人間」になると僕はおもうのです。・・」

 おぉ、なんと簡潔で高尚で人の道を唄っているのでしょう。まぁこれが現実不可能なお題目としても、それを言葉にしたというだけで,目の前の明るくなるような気がする。

 ありがとう。

 
 

更新時間 : 23:42:38

12月7日 (金)

はる 2366
 現代の歌姫、ドロカムの吉田美和さんの番組を見た。期待していた感動はなかったけれど、こういったイベントに何万人もの人が押し寄せ、同じ曲にあわせて唄い踊るわけだ。見方によれば、これは一種のカルト集団のようなものだな。

 音楽は直接観客のこころを掴むことができる、優れた表現手段だとおもうなぁ。いい歌を聞くと自然に涙が湧いてくるから、私も歳を食ったものだ。こんなに涙もろいとは思わなかった。

 まだマイナイーな地方の少女だった頃から、一生懸命唄えば必ずメッセージは伝わると思ってやってきたという風なことを言っていた。

***************
 途中でかくきをなくしたので止めた。

更新時間 : 00:02:04

12月6日 (木)

はる 2365
 今年は一月の16日から個展ということで、年賀状と個展のDMを同じにした。というのか急きょDMに年賀のハンコを消しゴムで作って押すことにした。

 この時期は毎年東京の個展が入っているために個展のDMと年賀状がほぼ同時に進行していたけれど、今年は年越しをしたためにDM兼年賀状となった。

 早速消しゴムを買って来てハンコを作ったのだけれど、まぁ意外に手間取るのね。

 で、まぁ面倒なのは年賀を出す人と個展の案内だけでいい人がいるわけで、そこの仕分けが何だか繁雑だなぁ・・。気にしてるのは本人だけか。まぁいいか。

 ということで、上手くいかなければ勘弁してくださいな。

更新時間 : 23:54:01

12月5日 (水)

はる 2364
 今日はお休み。

更新時間 : 23:23:39

12月4日 (火)

はる 2363
 技能オリンピックで日本がたくさんの金メダルを取って、まぁよかったよかったという話を聞いた。というので昨日その関連のテレビを観たけれど、やっぱりというのか、何だか少しがっかりしたな。

 無論その話にけちをつける気はさらさらないのだけれどね。何だか暗澹たる気持になった、というのは彼らの技能はオリンピックのための技術で競技のための技能なんだな。

 職人仕事というのは若い頃から親方からしごかれて、観様見真似で何年もかかって盗んだものだったりするわけだ。それがまぁ食べるための道具だっただったから、弟子のほうもそら必死で修行する。だからこそ、その技は筋金が入ってくるわけだ。真剣勝負なんだな。

 でこの間の技能オリンピックで金メダルとった一人はねぇ、オリンピックに出て金メダルとるためだけに何年も特訓していたというんだな。他の国じゃそんなこと許されないだろう、経済的にね。仕事もしないで技能だけ磨くなんてね。そんな技術は偽物だね。たとえ仕上がりが他と比べて圧倒的でも、そりゃ道場剣法だな。実際に仕事で培われた技術じゃない。

 例えばそういった技術の継承が必要だというので、伝統工芸のように保護や育成をしたとする。まぁ絶滅種の動物を何処かの施設で保護して寿命をひきのばしているようなもので、やがては消えてなくなってしまうだろうな。

 今技能オリンピックで金メダルを取れるのはそういった意味で最後のあがきみたいなものだろう。ここを過ぎると極端に衰退して行くだろう。

 農業もそうだけれど、一度そのノウハウ,技術を失ってしまうと元には戻らないんだな。この国はいったいどうなって行くのかね。

 

更新時間 : 00:11:58

12月3日 (月)

はる 2362
 絵を描きつづけるというのはなかなか難しいことでね。普通に仕事を持って趣味で絵を描いて行くとしても,続けてゆくのはそれなりの努力を要する。

 習い事というのは最初はグングンと上達してこれはなかなか面白い。しかしやがてはその上達の速度も鈍くなってくる、そこからが面白くない。大体がそこらあたりで辞めてしまう。まぁ独学でやり続けるのかここらあたりがげんどかもしれない。

 何かしらの強制力かやもうえない動機,モチベェーションがあってさらに続けると、いきなり新しい段階に入る。ここらあたりがセミプロの段階だろうか。多くのカルチャーセンターの上級者あたりかな。ところがここからが尚難しくなる。限界というのか大きな壁が立ちはだかる。

 表現というのは、上手いとか下手であるというのではない。如何に自分自身を見つめるか、突き詰めるかということで、ある意味ぎりぎりの立場に追い込んで行かなければ、本当の自分というのか、真実というのか、真理というのが見えてこない。まぁ趣味でやる限りそこまでが限界だな。

 でもまぁ、普通はそこまで充分だ。そこからは結界の内に入って行く。真剣勝負。

 絵描きになりたいという奴が相談に来た。さんざん脅したら諦めたようだ。そうかん単に諦められるなら、やらない方がいいと思う。絵等描かなくても生きて行ける。そのほうが幸せだ。



更新時間 : 10:01:33

12月2日 (日)

はる 2361
 個展が終わってからも忙しい日々を送っている。個展の後始末だけならまだしも,それ以外の雑用が押し寄せてくる。

 事務所の件でもめている。百人以上の人間が集まれば完全に全員一致というわけにはいかないだろう。どこかで見切り発車する必要があるのだけれど、強制的に勧める訳にはいかないらしい。何とも面倒だ。

 団体の大きな仕事は公募して展覧会をすることだ。その構成員はそのために会費を払っている。ところが会の運営はボランティアで成り立っていて誰かがどこかで動かなければ、簡単なことさえ出来ないんだな。まして展覧会など大きな事業などできない。

 公募展なども例えば募集要項なども誰かが決めて印刷して配布している訳で、黙っていては事は動いていかない。色んな道具も溜まって行く。

 事務所はそういった道具を置いておく場所でもあるし、そういった細かなこと行う場所でもある。そのために経費が必要なんだな。それが理解できないようだ。

 

更新時間 : 23:22:46

12月1日 (土)

はる 2360
 いよいよ師走ですな。

更新時間 : 22:51:44