2007 10月
10月31日 (水)

はる 2328
 (コメントより転載)

 そうか「すきはらに飯を食う」か。真剣勝負ということでしょうね。言葉は簡単だけれど、まさに「命のやり取り」ができるかどうかということでしょうか。

 話は変わりますが、たまたま男子のフィギアのエキシビションを見ました。高橋大輔の演技は素晴らしかった。何かしら神がかり的なものがありましたね。

 スタイルの悪い見栄えの悪い体型の日本人もやっとダンスで人をドキドキさせるスターが出てきたと嬉しかったですね。



更新時間 : 22:09:13

10月30日 (火)

はる 2327
 本日休業

更新時間 : 21:57:13

10月29日 (月)

はる 2326
 まれびとさんからの投稿を貼り付けておこう。

////////////////////////////////
あそびべのはるさんへ。
沖浦氏「「悪所」の民俗誌」にこんな一文ありました。

*********************************
 遊芸民・遊女・遊行者−いずれも「さすらい人」であったが、そこに付された〈遊〉には深い意味が内在していた。諸国を漂泊する遊芸民は、古くからの巫覡(ふげき)の末裔として、神事芸能にはなくてはならぬ存在だった。民間信仰の伝播者である念仏聖や山伏などの遊行者も、民衆の神事のおもな担い手であった。
 今日では「あそび」は暇つぶしの娯楽、「遊行」は未見の地への観光旅行のようにみられているが、それはきわめて浅薄な理解である。
 白川静の『字通』でみると、「遊」の原義は、「神霊の宿る旗を押し立てて歩き回る」意である。つまり「遊」は、もともとは漢字文化圏では、シヤーマニズムに発した言葉であった。そこから「遊」には、「移動すること」「造遥して楽しむこと」「自由な境涯を生きること」などの意味が派生したのであった。
大自然に坐す神々や精霊とじかに交信し、その力によって託宣・予言を行い、人々の願いを叶えるのがシャーマンの役目だった。神々と交わる際には、さまざまの衣装や化粧で身をやつし変化した。そしてカタル・マウ・オドル・ウタウなどの所作によって神霊を招き寄せた。その極致が「クルウ」だったが、それは神霊が憑依した瞬間だった。

 この〈遊〉の字が冠せられた人びとは、いずれも神遊びとしてのパフォーマンスを得意とした。定住農耕民と違って、各地の山野河海を漂泊することによって、ある種の呪力というか、俗人にはないパワーを身に帯びていた。先史時代のアニミズムの段階では、「誕生−死=再生」を含めて、人間の命運は、大自然の精霊(アニマ)がつかさどっているとみられていたのであるが、巫女→遊女はそのような流れの中で生きてきたのであった。

更新時間 : 23:32:51

10月28日 (日)

はる 2325
 今日は風景講習会だった。久しぶりに野外で風景を描いた。そういえば昔絵を描くといえば、自分の中では風景写生のことだった。だから、まぁ得意だったんだろうな。

 大きな絵を描くようになって,実際に見て描くということがなくなった。人物スケッチは月に一度でかけているので、観て描くということは久しぶりという気はしないけれど、台風一過の上天気ということもあって、まぁ楽しかった。絵を描くことの原点だ。

 それにしても絵を描く人の年齢層が、はるかに私より上の人ばかり。このまま行けば絵を書くなどという人はいなくなる?と危惧する。若い人も今からこころの準備をして、心を耕す(カルチャーの語源)方法を磨いておいた方がいいように思うけれどね。

 暇になって絵を描くのは単なる(ひまつぶし)いらない物をいくら磨いても光はしない。本当に必要な身を切るような大切な時間をやりくりして絵を描くから、こころが充実するのだ。そこのところよくよく考えてほしい。

 一日の最後にみんなの作品を一同に集めて講評会。自然の一部を単に切り取っただけでは絵にならない、はっきり意識して取捨選択する必要があるとか、絵を描くとは「私はこう、感じましたこう見えました」という自己報告だとか、何が描きたかったのかをはっきり自覚してフードバックしなければ絵を描くいみがないとか、難しいことをしゃべりすぎたかな、それこそどれだけの人に真意が伝わっただろうか。

 何はともあれ、けっこう楽しい一日だった。疲れましたけれどね。

更新時間 : 23:46:03

10月27日 (土)

はる 2324
 こちらは台風の余波で嵐でした。

 昔お祭りで見たがまの油売りは面白かった。実際に匕首を自分の腕にあてて切るんだな。「おぉイテェー・・」などと言いながら、血がぽたぽた落ちている。んで、がまの油をおもむろに取り出して「これをつければたちまち血が止まる」などとやっている。で、傷もなくなってしまう。まぁ騙されているんだけど、子供にゃ怖かった。

 チンドンヤなんかは嬉しくてついてまわった。でもなんかうらぶれた感じはあったな。今そんな感じが残っているのは大衆演劇かな。これは凄いよ。現金が飛んできたり、札束をレースのように首からかけたり。ゲテモンかもしれないけれど、しっかり大衆の心理を掴んでいる。一部のおばちゃんだけれどね。マツケンサンバなんかまだまだ気取ってる。

 しかし、こう真剣に生きてゆくというのはあんな感じではないかな。

更新時間 : 20:58:13

10月26日 (金)

はる 2323
 おお、にさんにいさんとなりました。

 甲府個展のDMが上がって来ました。DMはいつも仕上がってくるまで分かりません。パソコンの画面で版下を作ってもらって色校正も何回かやるのだけれど、液晶の画面と実際に紙に印刷したインクの色とはやはり微妙に違う訳でね。まぁどこかで妥協というのか納得するしかない。

 私の絵などは実にいいかげんに作ってあるで、まぁそんな所だけあーだこーだ文句言ってもらちがあかない。どうやっても複製に違いはないのだからね。そのなかで,今回は比較的に実物に近い感じに仕上がりました。今ちょうどHPのトップに晒してある作品がDMになってます。

 まだ出していませんが、ご希望があればメール下さい。

更新時間 : 23:40:39

10月25日 (木)

はる 2322
 いわくつきの作品のことがとあるブログにかかれていました。どんないわくか?書いたのだけれどアップする時に間違えて消してしまった。ということでこれは書くな!ということだと思って書きません。以下その文章を無断で転載します。

題名 『 星を取る人 』
画家 《 榎並和春 》
何となくユーモラスで何ともいえないくらい落ち着く絵です。
・8月中旬…
沢山の絵の中から壁のコーナーにかかっていた絵が気になり、
中央の柱にかけ直してもらいました。
何分も何分もその絵に見入りました。
どうしてもほしい!!
でも、家のどこにかけようか?
玄関にはそぐわないし
和室にはかけるいい場所がないし、
リビングでは暗くなり過ぎるし、
階段にはもったいないし、
寝室には大好きな栗原一郎の絵をかけているし、
子供部屋では意味がないし、

ほしいけれどちょっと考えることにしました。
・8月末…
やっぱり買おうと思ってデパートへ行きました。
そしたら、油絵からリトグラフになっていました。
ほしいものが手に入らないととてもショックです。
あの時は、後日、来て、なければご縁がなかったと思って諦めよう、
なんて思ったけれど…やっぱりショックです。
在庫で残っているのかどうかを調べてもらいましたが、
倉庫にあるのでわからないとの返事でした。
10月にまた油絵の展示販売をするとの事で、一応安心してデパートを後にしました。
・10月上旬…
デパートに電話をして『 星を取る人 』があるかどうか聞きました。

本当に残念ながら、売却済でした。
どんな人があの『 星を取る人 』を買ったのでしょうか?
会てみたい気がします。


今思えば…
あんなに気にいったのに買うべきだった、
と反省しきりです。
絵はよく観に行くけれど、気にいる絵は数える程もないから、
やっぱり、即決しなくてはいけません。
今でも『 星を取る人 』が気になっています。


更新時間 : 21:12:25

10月24日 (水)

はる 2321
 本日休業

更新時間 : 23:24:39

10月23日 (火)

はる 2320
 どんなにありがたいお題目でも説教でも、ただ唱えているだけでは、だれも聴いてはくれない。そこにどれだけ真摯な気持ちをのせられるか、ということなんだろうな。

 教壇に立っている時もよく感じることだけれど、自分の気持ちを乗せないと生徒は聞いたふりはしているけれど、心にはとどいていない。言葉は同じでも気持ちをのせるとはっきり違いがある。これは何だろう、言霊(オーラ)が違うのだろうか。話が横道にそれた。

 時代小説に道場剣法と真剣剣法ははっきり違うといったことがよくかかれている。道場の竹刀でいくら強くても実際に真剣で「命のやり取り」をする場になれば、これはある意味場数を踏んだ喧嘩殺法の方が強いらしい。

 この「命のやり取り」という言葉は、今の時代ものすごく軽いのだけれど、実際例えば戦時中とか、どこかの国のように独裁者が居たり、病で余命を宣告されたりすると断然身近な言葉になる。

 表現者というのは因果な商売だと思う。この絞り取るような心の駆け引きがなければなかなか人にメッセージとして伝わってゆかない。まぁファウストではないけれど悪魔のメフィストと取引でもしない限り尋常な手段では難しいかもしれないな。

 でまぁ、どんな人間でも、一生で一回は「命がけの真剣勝負」ができるだろう。ただそれがもう終わったのか、今なのか、これからなのか誰にも分からない。

更新時間 : 23:04:23

10月22日 (月)

はる 2319
 この「第三者の目」というのがものすごく難しいですね。例えばこのHPにしたところで、同じようなものでなかなか多くの読者を確保することは難しいのですから、偉そうなことは何もいえません。

 もっともこれが私という人間の本性に限りなく近いと思われるので、面白くないといわれてもどうしようもないですな。まぁ居直ってこれで押し通すしかないでしょう。

 

更新時間 : 20:48:08

10月21日 (日)

はる 2318
 昨日は東京へ野暮用ででかけました。ついでというのか、銀座にでてたくさんの個展やグループ展を観てきました。

 今日はクロッキー会だった。まぁ疲れた。

難しいところだけれど、素人と玄人の違いというのは「第三者の目」を意識するかどうかのように思った。これはまぁ絵画だけではないのだけれどね。例えば文学なんかでもいえるのではないかな。

 今問題になっている名前を忘れたけれど出版社があったよね。どうでもいいような作品にさえ担当がついて「このまま世に出ないのはもったいない、できれば共同出版で出版しませんか?」などと甘い言葉をかけて素人からなけなしのお金を騙し取る。

 出版は普通書籍を売ることで利益を得るのが当たり前なんだけれど、このやり方はまぁ素人の作家を「お客さん」にしている。みんな「あわよくば印税が入る」ということを、「作家として生きてゆけるかも・・」という期待をもっているわけで、そこのところに上手い具合に入り込むわけだ。

 絵画の場合でも同じでね。色んなところから電話がかかってきて、甘い言葉でだまそうとするんだな、こいつらが。まぁだまされるほうもあまりにもおバカさんで話にならないのだけれど、よくよく注意してくださいな。

 でね、今になってよく見えるんだけれど、どんなに高名でも作家としては素人と同じだなという自称作家がほとんどですね。ここのところが本当に微妙で難しいんだけれど,最初に言ったように「第三者の目」を意識しているかどうか、これがキーワードですよ。この話はまた。



更新時間 : 23:17:02

10月20日 (土)

はる 2317
 今日は東京。という訳でパスします。

更新時間 : 23:41:22

10月19日 (金)

はる 2316
  大雑把にいって絵画の方向は文学趣味のシュールリアリズムと造形遊びの抽象絵画の二手に分かれる。絵画にはもともとそういった二面性があって、まぁ昔はほどよく融合していたということだろうな。

 抽象絵画の創始者は一応カンジンスキーということになっている。絵画の中からリアルな形とか物を排除すると、ただの色と形のハーモニーということになって、限りなく音楽に近づいてゆく。まぁ抽象絵画の純粋なかたちというのは音楽かもしれないな。

 興味深いことに彼は戦前ドイツ・ワイマールの美術学校バウハウスの校長をやっている。この学校は非常に特筆すべき学校でカンジンスキーをはじめパウルクレーやモンドリアンなど現代の絵画に大きな影響を残した作家がこぞって教授として参加していることだ。

 その後ヒットラーのナチの迫害(退廃芸術家として)をうけて学校そのものが閉校させられて、彼らはナチを避けてフランスやアメリカに亡命する。

 1900年代の初頭のパリがベルエポック(よき時代)と呼ばれ多くの外国人が世界中から集まって芸術や文化の華が咲き百花繚乱の体をしめしていたのは、蟻が腐った甘いみつに群がるようなもので、極自然な現象だった。気分的にはデカダンで反体制的であったように思う。

 戦中戦後にかけて自由の国アメリカは多くの亡命者や移民を受け入れた。その中に今の大国アメリカの時代を築いた先駆的な人々がいたことは確かなことだろう。何となくベルエポック時代のパリと似てはいるけれど、大きな違いは体制がそれを受け入れていたということだろうか。

 戦後のアートシーンを考えてアメリカが抽象美術運動の先駆的な役割を演じることになった下地はここにあると思う。ただこの傾向は上から植え付けられたものであって、基本的には大衆に支えられた磐石なものではない。

 大衆に支えられたアメリカの作家として今浮かんだ名前はマリリンモンローのウォーホールとか落書きアートのキースヘディング、黒人のこれも落書きアートのバスキア、あとオキーフとホイックニーかな。

 今上げたほとんどが黒人かゲイか同性愛者だな。

 アメリカの音楽で本物を感じさせるのは黒人のブルースとかジャズ、70年代の反体制のフォークとロックかな。結局これも「虐げられた」人々の慰めや祈りや叫びだったりするのだろう。

 たぶんこういう事じゃないか。社会的に「虐げられた」人々,マイノリティでなければ命をかけた表現にはなりえないということかな。芸事というのはそんなところに咲く無駄花のような存在ではなかろうか。

 話がかわって来たようだ。又書けたら。


 


 

更新時間 : 00:13:00

10月18日 (木)

はる 2315
 まぁ世の常として権力を握った為政者は多くの場合その時代の芸術を味方にしようとする。太閤秀吉とお茶の利休もそうだし、ヒットラーとベルリンオリンピックの記録映画「民族の祭典」もそうだし、ベラスケスなどの宮廷画家はみんなそうかもしれない。

 それもこれもまぁ権力の見せびらかしとか、プロパガンダ=宣伝ということになるのかな。そうやって考えると今一番力があるのは大企業だし、そういった意味で利用されているのはテレビとかマスコミということになるのかな。

 アメリカという国は新興の国だということも大いに関係あるとおもうのだけれど、伝統とか芸術,文化という言葉に少しコンプレックスがあるのかもしれないな。今世界で一番芸術などの文化事業にお金をだして助成している国だ。

 元々新興の抽象絵画に肩入れしたのは、第二次世界大戦のナチからの亡命者(モンドリアンなど)を受け入れたことから始まっている。その後ルーズベルトのニューディール政策などで芸術家に仕事を斡旋する政策をとったりしている。ヨーロッパのリトアニアから亡命したベンシャーンや日本の国吉康雄なんかもそういった経緯で世の中にでた。

 そういった意味では1900年頃のフランスのベルエポックの時代の多くの外国の作家がパリに集まって歓喜にみちた世紀末と似てはいるけれど、大きく違うのは時の権力者が肩入れしているか否かということだろう。

 そういった意味でかの国は未だにわけのわからんアートを助成するという習慣がある。ジャスパー・ジョーンズやポロックが将来どう評価されるのかだれもわからない。

 つづく

 

更新時間 : 23:57:32

10月17日 (水)

はる 2314
 アントニオ・ロペス・ガルシアなどのスペインリアリズムが今、新しい。白日会系の作家にはわりとこういったリアルに人物を描く作家が多い。少し傾向が違うけれど野田弘志や榎俊幸さんなどもそういった分野の作家と言えるだろうか。アメリカのアンドリュー・ワイエスやルシアン・フロイト、イギリスのラファエロ前派も近いか。

 日本には元々リアルな絵の伝統はなかった。今わりと注目されている江戸時代の画家で若冲なんかは当時としては異端だったのではないかな。

 西欧の絵画技術が本格的に入ってきて最初は科学技術として西欧のリアリズムが教えられていたようだ。まぁ初期の油彩がの高橋由一の「花魁」や「鮭」なんかを見てもこれはとても美しい絵画とはいえないものだ。

 ここにきて再び西欧型のリアリズムが注目されてきたのには何か訳があるのだろうか。

 私の作画の方法と全く違うので(というのかあんなふうには全くかけない)反対に凄く惹かれるところがある。とてもとても一つの作品にあれだけの集中力は出せないだろうな。まぁ一種のパラノイヤ(偏執狂)でしょう。

 絵画と言うのは二つの要素で出来ている。一つは技術、もう一つは思想でしょう。

 絵画の場合の技術というのはもちろん色んな意味があるがあるのだけれど、徹底した描写力というのがまぁ基本だ。これは才能もさることながら努力、持続力、根気、集中力が必要だ。恥ずかしながら私には一つもない。

 もう一つの思想というのは考えること、すなわちその絵画でもって何を表現するかといった目的を考えることですな。これなら少しは私も対抗できる。

 徹底したリアリズムの絵画、例えば野田弘志さんの絵などを観ていると「神の手」を感じてしまう。ここには人はいない。野田さんの手を借りて神が舞い降りたと感じさせる。またそこまで徹底すれば無為のところまで行けるのだな。これは有為自然かな。

 私がやっていることはそれらと比べると、絵は描いていない。何ら自分の意志を働かしてはいない。絵が勝手に出てくるのを待っている。全くずるいよな。老荘思想で言うなら無為自然というやつかな。

 最終的にはどちらも「無為」という「永遠」にたどり着く。

 

更新時間 : 00:12:45

10月16日 (火)

はる 2313
 今日はお休み。

更新時間 : 22:22:14

10月15日 (月)

はる 2312
 どうもね、昨日の夜から目の周辺にかすかな痛みがあってね、まぁ白目の部分が赤くなるというのはわりとある。放っておいてもニ三日経てばなおっていることが多いので、今回も同じ調子で忘れてしまっていた。

 夜になってわりとはっきりとした痛みに変わってきて、少しまずいなぁ・・と思っていた。それでも朝になってけろりとなおっているだろうと思っていたのだけれど、まだかすかに痛みが残っていた。

 トイレに起きて鏡をみて驚いた。白目の部分が水ぶくれのように膨らんでいるではないか!こんなことは初めてだ。

 まぁ神というものはその人間に一番大事なものを取り上げて試練にする。「さぁお前はこれでどうするのじゃ!!」と。そんな言葉が耳元でひびく。

 いそいでかかりつけの目医者にはしる。かかりつけの目医者があるところが用意周到の私らしい。

 結果はこれもまた炎症を起こしているということで、大げさに騒ぐことでもなかったみたい。まぁそれにしても免疫力が落ちているということだな。これから風邪のシーズン気をつけなきゃね。んじゃまた。

更新時間 : 21:47:27

10月14日 (日)

はる 2311
 歌舞伎や浮世絵なんかもそうだけれど、当時は大衆に支持された芸能だった。その当時も能なんかはどちらかといえば支配者階級の教養としての遊びだった。絵画で言えば狩野派などはお上のお抱え絵師で、襖絵とか障壁画など職人として絵を描いていたわけだ。

 今も多くの神社や仏閣にはそういった絵画が残されてはいるけれど、当時の大衆が何を考えていたかとか、何を表現したかったのかというのは、どちらかといえば大衆的な芸能の方に軍配があがる。

 芸能や芸事といわれるものは保護されたり安定すると急激にその力を失ってゆく。反対にいえば保護されなければ廃れてしまうような、何か肩書きがなければ忘れ去られてしまうような芸はなくなってしまってもいいように思う。

 アーチストの助成というのをよく耳にするけれど、これはけっこう難しい。まぁアートと大衆芸能とは違うといわれればその通りなんだけれど、どこか共通するところがあるように思う。助成を受けなければやって行けないような芸事というのはやがては廃れてしまうのではないか。大衆を巻き込んでそこから何らかの支持をもらう、でなければ真に力を持ったということではないように思う。

 個人的な好みとすれば浮世絵なんかよりももっと土俗的な民画や猿楽や村祭りの面なんかの方が好きだな。不思議なことにそこらあたりまで降りてゆくと、世界中共通しているものがある。

更新時間 : 22:55:50

10月13日 (土)

はる 2310
 どちらがいいのか、どうなのか良くわからない。けれどもまぁ明らかに「売り絵」と分かるものにはこんなのでいいのかい?と疑問を感じる。かといって趣味で描いたような絵でも困るのだな。そこらあたりの線引きというのは微妙だな。作家の人間性がモロに出る。

 作家というけれど、欧米の作家とは若干意味が異なる。多くの場合団体の会員を作家と呼んでいる。しかし、本来作家というのはそのことを生業にしなければ作家とは言わない訳で、そういった意味では作家はほとんどいない。

 理想をいうなら、画家は生き方を売っているわけで絵だけ切り離してもあまり意味が無い。私は今こんなことを考えて生きています、あなたは共感できますか?というメッセージを含んでいる。

 まぁそうやって生きてゆければ最高の生き方だな。

更新時間 : 23:24:06

10月12日 (金)

はる 2309
 今日はお休み。又明日。

更新時間 : 23:49:42

10月11日 (木)

はる 2308
 テレビも新聞もほとんど見なくなった。ラジオもCDも聴かないねぇ。少し前は車の中ではCDをかけていたんだけれど、これも最近はうるさくなって無音状態だな。自分にとって音楽はどうしても必要なものではないのかもしれない。

 それに反比例して楽器を触っていることが多くなったかな。大して上手くは無いのだけれどねぇ。何か一つの曲を練習しているのではなく、無意味な練習曲を意味なく練習しているのが面白い。

 無になれるというとカッコいいけど、そんなのでもない。綺麗なメロディーなどないほうがいい。そう、声明とか聖歌に近いのかかな。バッハの無伴奏ってそんな感じだな。

 あとはやたらと文庫本ばっかり読み散らかしている。少しはためになる本でも読めばいいのだけれどね。今は澤田ふじ子さんの「高瀬川女舟歌シリーズ」この人は舞台が京都が多い。なんとも情緒があっていいな。

更新時間 : 22:38:09

10月10日 (水)

はる 2307
 昨日と今日は昼間は通常のパートタイムジョブ。夜は文化祭の準備でキャンセルとなった。仕事がないと生活は苦しくなるけれど、気分的には楽になる。どちらもどちら,痛し痒し・・。

 私は定職というものにながくついたことがない。一時は陶器の絵付けの職人になろうかと二年ほど修行したけれど、続けられなかった。続けていれば今頃はいっぱしの職人になっていただろうか・・。

 中学校の先生も一年しか出来なかった。まぁこれを辞めるときはさすがに根性がいったな。もう二度と就職はしないと誓った。

 高校の非常勤という仕事は今年で25年になる。これは毎年の更新で一年契約だから、勤続何年とはカウントされない。何の保障もなし、だれも誉めてもくれないだろう。あやふやなフリーターということだ。

 だから今の若者が定職を持たないでフリーターで生きてゆくことに苦言をいう資格などない。自分も同じような、ままならない人生を歩んできたからな。まぁそれならそれで、不平を言わないでつっぱりとおして生きてゆくしかない。

 「絵を描いて生きる方法」というのはそういうことなんだ。自分の命を預けてしまうということかな。でなければ何も見えてこない。そんなふうに思う。

更新時間 : 23:23:58

10月9日 (火)

はる 2306
 今日はお休み。

更新時間 : 20:53:53

10月8日 (月)

はる 2305
 手ごろな事務所が借りられることになって、今日そのオーナーと初めての打ち合わせをした。我々の方は多くのメンバーがいるけれど基本的には営利団体ではないので、金銭的に余裕が無いことなど、いつものように言い訳をする。

 美術館に近いことや、想像していたよりも広いこと、駐車スペースが何台か確保されていることなど、かなりの好条件である。金銭的な面はオーナーの好意に甘えてかなり安くしてもらった。これで委員会にかけてだめだというのであれば、事務所など最初っからむりだ。

 ということで美術館で打ち合わせをおこなった。ちょうど秋の文化祭のシーズンで美術館は、雨にもかかわらず久しぶりににぎわっていた。

 県下の文化団体が参加して、美術や写真、書道など野外では華道展やお茶やコンサートなどてんこ盛の企画が計画されているようだ。

 今まで美術館はあまり地域に密着せず孤高の企画でわが道を行くスタイルであったけれど、最近はやっと少しは県民に施設を開放するという方向になってきたようだ。(企画展そのものはまだ??)

 内容の是非はこのさい置いて、参加している人々が楽しそうに作品を展示したり企画に参加している風景はほほえましく、平和な風景に感じられていいように思った。

 「県立美術館」という立場を考えるならば、そういった地域の文化的な啓蒙活動というのも仕事の大事な一部だと思う。高いところばかりを狙ってもすそ野を広げなければ,全体的な向上は望めない。そういう使命感をもってやってほしいな。

 展示品の質のことを言い出せばきりが無い。吐いた言葉が全部自分に返ってくるのだけれどね。まぁ何でもそうなんだけれど、今見える程度の意識しか持ち合わせていないということだ。人は自分の度量でしか見えないからね。

 

更新時間 : 22:25:36

10月7日 (日)

はる 2304
 さて、熱の方は正常に戻った。抗生物質というのは両刃の剣だけれど、ありがたい薬だ。人類の発見した最大の薬は抗生物質と免疫などのワクチンでしょうね。

 普通単純に考えるのは消毒のように害のあるものを直接殺してしまうという方法だろう。これはゴキブリがでたからたたいて始末するというのに似ている。まぁ一番原始的だけれど説得力もある。

 それに比べて上の薬は直接的には病原菌に関与しない。抗生物質は字のごとく繁殖するのを押さえてしまうんだな。なんだろゴキブリに例えるなら、繁殖を抑えるということだから生殖をおさえてしまうといったことだろうか。

 ワクチンはもう少し高度だな、動物の持っている免疫の機能を利用してその体内に抗菌システムを作り上げてしまう。簡単にいえば「同じ型の風邪は二度とひかない」という原則だな。

 まだ正式に認められていなかったと思うけれど、丸山ワクチンなどある種の抗がん治療でも用いられる。

 ところで抗がん治療でなぜ髪の毛が抜けるのかご存知かな。癌細胞も寄生生物とはいえ生きているわけで、そいつを制御する方法は今のところ二つある。一つは直接焼いたり切ったりして除去する方法。もう一つは坑がん治療というわけだ。

 で、この治療はがん細胞も痛いけれど、宿主である本人の体もいためるわけだ。まぁがん細胞だけピンポイントできく薬があればいいのだけれど、今のところそんな薬はない。

 で、全体的に細胞の繁殖を抑える。癌の細胞も人の細胞も抑える。と、特に毎日活発に分裂している血液細胞の生産も抑えられてしまうわけだ。だから白血球が極端にすくなくなって感染症になりやすくなるので、無菌室に入ることになる。

 で人の細胞で毎日積極的に分裂しているのは何も体の中だけではない。毛の細胞の分裂も抑えられてしまうので、髪の毛が抜けるという訳だ。

 ちょっと怖い話でした。

更新時間 : 23:20:18

10月6日 (土)

はる 2303
 昨日の夜、突然寒気がしてその後熱が出てきた。39.2度、半端な熱じゃない。

 明け方には熱もだいぶ下がって楽にはなったけれど、原因不明の発熱はちと怖いので,朝一番で病院に出かける。

 結果は良くわからないけれど、どこかに菌がはいって炎症を起こしているということでした。

 因果関係は素人かんがえで間違っているかもしれませんがね、胃の全摘出手術をうけてからこういった炎症による突然の発熱が多くなったきがする。胃の周りのリンパ節もすべて取ってしまったということが、免疫機能に多少なりとも影響しているのではないかと思う。

 いい大人が何の前ぶれもなく、突然39度以上の高熱がでるなんてことあまり聞かないからね。子供の発熱は知恵熱で可愛げがあるけれどね・・。

 でまぁ、今日は抗生物質をもらってお休みです。

更新時間 : 20:35:39

10月5日 (金)

はる 2302
 今日はお休み

更新時間 : 22:43:29

10月4日 (木)

はる 2301
 いままで事務局というのはほとんどボランティアで会の運営をやっていた。誰もが当たり前に思っていたことでも、いざ自分たちがかかわってくるととんでもない雑用が押し寄せてくる。まぁ私などちょこちょこ手伝っているだけなんだけれど、繁雑で面倒くさい。

 さて、それで事務所を探している。いままで色んなところを渡り歩いてきて、基本的には事務局長がいろんな資料や事務機器(コピー機など)も持っていた。ところが、そうなってくると事務局が変わるたびに大荷物の引越しをしなければならないわけで、今回の引継ぎでどうしても事務所の必要性が出てきた。

 ということで、誰かいい場所を貸してくれないだろうか。とはいっても予算の問題だろうけれど、ほぼ無償で貸してくれることを望む。

更新時間 : 00:01:29

10月3日 (水)

はる 2300
 ちょうどきりのいいカウントになった。ほぼ毎日こうやって更新するので、カウント1が一日ということになる。そう考える一年は360ほど、2300はけっこうな量ということにならないかな。

 ということで今日は今日はおしまい。

更新時間 : 23:23:24

10月2日 (火)

はる 2299
 芸大の入試の話が論文になっていて、これが結構面白い。一浪や二浪は序の口で10年のつわものもいるらしい。まぁそれでも芸大に入りたいという輩は後をたたないわけで、まぁそれなりのメリットがあるのだろう。

 面白かったのは、例えどんなに入試の仕方を変えても、もうそれに対する傾向と対策がねられて、次の年にはそれにあわせた作品がずらりと並ぶというところ。

 まぁそういった受験予備校というのは、美大だけではなくどんな予備校でもみな同じで、それが予備校の存在意義なんだからしかたない。高校の勉強だけやっていれば受かるのであればありがたいのだが、特に芸術系(音楽科)など到底無理だろうな。

 もうひとつ面白かったのは、そういった予備校の講師のほとんどが芸大の卒業生か現役生ということで、まぁその受験技術のノウハウは彼らが一番効率よく習得しているわけで、まぁいってみればそこの特待生あたりの学生が芸大に入るわけだ。

 絵描きといえども作品だけを売って生活できる人はまぁほとんどいない。まぁ色んな絵を描いてというならば可能なんだけれどね。で、ほとんどの人が教えるという先生稼業で食ってゆくことになる。で、その仕事口の受け皿として受験予備校の講師と言う口があるんだな。

 まぁ、それを繰り返していれば段々に自家中毒で何が何だか分からなくなるだろうなという感想は持つ。

 何事もいい面と悪い面がついてまわるもので、批判することは簡単なんだけれど、本来はそこに入ったものか、すでに世間でそれなりに認められている人物以外は負け犬の遠吠えに聞こえて見苦しい。このくらいで止めよう。

 幸か不幸か、私はそういった受験勉強をしてきていないので本当の所はわからないといった方がいいかな。

 

更新時間 : 19:57:31

10月1日 (月)

はる 2298
 10月になりました。
 

更新時間 : 22:45:32