2007 6月
6月30日 (土)

はる 2205
 今日はクロッキー展の搬入やら当番で疲れてしまった。ということで又明日。

更新時間 : 22:37:48

6月29日 (金)

はる 2204
 「絵画の平面性」2
 物が確かにそこに「有る」ということは、百万語を労しても証明することはできない。「無い」ということは存外簡単なことなんだがね。それは「神」が有るとか無いとかというのと微妙に似ている気がするがどうだろう。

 物がリアルに存在するということが命題であるならば、触れることができるような、物の三次元的な立体感というのはどうしても必要不可欠なことだ。西欧の絵画が目指したのはあくまでも物のリアリティであって、物そのものが「確かにそこに有る」ということを描きたかったのではないかな。

 それもまぁルネサンス以降の話でね。それ以前の絵画、例えばジョットの壁画なんかをみても、東洋の壁画と差して変わらないような空間の描き方だ。どちらかと言えば平面的で物のリアリティーよりも物語性とか荘厳な感じとか気分とか雰囲気なんかを第一義にしている。まぁ技術的な問題もあるのだけれどね。

 物をリアルに描きたいという欲求は確かにある。見えたままそっくりに描きたいという気分はわからないでもない。それがいわゆる肖像画的な似顔絵的な写真的なリアルさなのか、洋画風なボリュームを持ったリアルさなのか分かれるところなんだけれど、村上隆や奈良よしとも?などのアニメやイラスト、漫画的絵画が世界的なブームになって来たということを考えると、時代の軍配は明らかなように思える。

 話がまたよからぬ方に入り込んできたので戻すと、「なぜ平面性か」ということだ。

 絵画に物のリアリティーが求められなくなった時にその存在意義が問われることになった。時代は市民の時代になって自由を謳歌するような、明らかに一つ前の暗い時代ではなくなっていたことも、芸術家という何も生産しない高踏遊民族を容認する雰囲気も手伝ったように思う。

 絵画の分解が始まって、最初は色彩について印象派の画家たちによって色の点にまで分解させられた。全ての色が対等の価値をもち同等に主張する。音楽でいえばキーのない音楽でラベルとかドビッシーなどの印象派の音楽ということになる。やがては12音階のストラビンスキーなどの現代音楽に行き着く。

 線や面も同様に解体がはじまった。見えた通りそっくりそのままの形が写真機で再現できることが分かった。それを利用すれば難なく誰でもがそっくりな絵を描くことができることが分かった。その方法はこういうことだ。

 与えられた面をジグソーパズルのように全て不定形の色面に分けたとする。最初は二つにそして次には四つにと段々に数を増やして行けばやがては無段階の写真のような画像ができるというわけだ。

 つづく


更新時間 : 22:10:48

6月28日 (木)

はる 2203
 学生の頃、大学の教授が「絵画の平面性」ということをやたらと強調していた。それで、まだキュビズムの入り口あたりにいた私などは、一もにも無く感化された。

 セザンヌからはじまって、ブラックやピカソの評論や書かれたものをあさるように読んでいたけれど、そのたびに美術史をさかのぼる快感に酔いしれた。

 今までただのピカソでしかなかった絵画の巨匠が、あたかもキュビズムの誕生の瞬間に立ち会った気分になり、すごく身近に感じられ、絵画することはこういうことなんだと夢中になった。

 その頃は何の疑いもなく「絵画の平面性」を受け入れていたのだけれど、なぜ「平面性」なのか?という疑問にはだれも答えていない。

 多分どこかで述べられてはいるのだろうけれど、そこのところにはひっかかりを感じなかったということだろうか。

 で、デッサンのところでたまたま行き着いたのだけれど、洋画の立体表現と我々の線と面の平面表現との感覚の違いみたいなことは、けっこう大事なことが隠されているように思う。

 ここからは探り書きです。

 物がリアルに有る。ということを表現することは難しい。洋の東西を問わず、それぞれの手法でそのリアル感を表現しようと試みる。

 我々は左右の眼で違う映像を観ている。多視点でそれを頭の中で無理やり一つの像に結合している。物が立体的に見えているというのは、ある種バーチャルな幻想だということになる。

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 横道にそれるけれど、少し前にアメリカのホイックニーが京都の竜安寺の石庭を連続撮影して、それを彼なりの秩序で並べて展示していた。多視点も多視点で百くらいの眼で捕らえたということになる。

 まぁ今をリアルに生きている状態を表現するというのであれば、そういった時間差の多視点の方法もありかなとは思った。多分記憶というメモリーもそういった連続した多視点の映像として我々のハードデスクに仕舞い込まれているのかもしれない。
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 西欧の遠近法は科学から出発した。物を如何にすれば実際に見えたとおりに再現できるか、というのが大きな命題だった。しかしまぁ、実際の我々が見ている画像が二重写しのダブル映像だとしたら、その通り再現することはできないことになる。

 透視法はカメラの原理からきている。針穴から入った光は後ろの壁に外界とそっくりな映像を映す。これを見た多くの人はこれだ!これこそ真実だ!と膝をたたいたに違いない。

 しかし、考えてみると「写真」と言う命名には嘘がある。この画像は自分たちが見たものの半分しか再現されていないのである。片目をつぶった状態の画像だ。「写真」は真実の半分だから、「半写真」といってもいい。

 絵画に詳しい人なら描かれた肖像画と写真のポートレイトとは微妙に違うことが分かると思う。まぁ私程度の人間でも写真をモチーフにして描いたか実際の物見て描いたかは何となく分かる。

 絵画の場合、自分の眼で観た二つの画像を微妙に調整して一つの物として表現されているからだ。この西欧型の立体の表現法というのは、まさに西欧の絵画の伝統なんだと思う。

 西欧型のデッサンの手法をみると、如何に見えない裏側まで描くのか、そういった物がリアルに存在することを表現するのだ、という真摯な態度、あくまでも真実を追究するのだという態度が、西欧の絵画を作ってきたんだなという気がする。

 で、例え印象派の絵画や、キュピズムのピカソなんかでも、そういった西欧の伝統の上に彼らの表現がきっちりとあるように思う。根本にあるのはどうすれば真実を伝えられるか、表現できるかということだ。

 だからこそ、反対に写真の出現には驚いた。写真の画像には裏がない。スーパーフラットなこと、ボリュームのない平面性、あくまでも見えたまま。全ての色や面が対等に自己主張している画像。これが西欧の画家たちに与えた影響は大きいだろう。それが日本の版画の出現で裏打ちされた。こんな表現もあったのかと思ったようだ。

 まぁちょうど時代が大衆消費時代に入ってきた頃とぶつかったということも大きいと思うのだけれど、ポスターとかデザインとか兎に角宣伝に印刷物が使われるようになったことも大きな原因かもしれないな。

 物がリアルにそこに存在するという命題よりも、如何に効果的に視覚的にアピールするか?ということが大事な仕事になって来た。そうやって考えてみた場合、東洋画の手法、特に浮世絵などの版画がやっていた線と奥行きの無い面で空間をあらわしてしまう考え方は新鮮だった。

 ここで「絵画の平面性」がでてくる。確かに浮世絵などの木版画は平面的ではある。そのことだけを捕らえていってるのではないということだな。そのことだけなら単に事実をいったまでだ。西洋の人達に日本の版画が影響を与えたんだよ。それだけだ。

 事実は、我々には物がリアルにそこにあるなどということはどうでもいいことだったんだということだ。見えないものはないと同じ事だったし、遠いものは上にあるものだった。物の裏側など知ったことではない。反対に変にボリュームがあっては暑苦しいと思った。

 絵は絵空事だったし、事実などそこになくてもよかった。ただ単に美しくてこの世でないありがたいものだったり、近寄りがたいものだったり、もっと身近でお祭りやおめでたい時に使って、ありがたく捨ててしまうものでよかった。

 映像の時代になって、映画はまだ昔の三次元の空間意識をもっている。けれどテレビの画像は言ってみればば印象派の考え方の究極のかたちではないかな。あれは光の点の集まりだ。あそこにはリアルな三次元の空間の意識などまったくない。全てが対等な光の点の集まりでもって表現されている。

 結局言いたいことが分からなくなった。また。

更新時間 : 23:29:16

6月27日 (水)

はる 2202
 小品を描き始めた。毎年この時期は神戸の個展が入っていたので、しゃかりきにやっていたところだが、今年は大阪の個展が一月に済んでしまったので、神戸はパスすることにしたので比較的ゆったりと過ごしている。

 今日は一日学校に缶詰状態だ。疲れた。
 

更新時間 : 17:04:11

6月26日 (火)

はる 2201
 一日で復活した。ただし今度は私のHP上にあるのでトラブルは少ないと思う。

 デッサンは苦手だ。うまくない。だから裸婦デッサンもこうやって何年も続いてやれるのだと思う。うまい人はすぐにマスターして飽きてしまうのだろう。私などいまだに鉛筆の持ち方はどういった持ち方が一番いいのか、などと研究?しながらやっている。

 何でもそうだけれど、簡単にうまくゆかない方が続けられるということがある。いろいろと工夫するからだろうな。そういうと謙遜にとられるけれど、そうではない。

 字を見るとだいたいその人が器用か不器用かわかる。その人の生来の癖や気性みたいなものが、ぎゅーっと凝縮されているように思う。ペン習字などで矯正したり、意識して書かれた文字からはその人の個性を見つけるのは難しいけれど、素の意識されない文字の中にその人の多くの情報が入っている。

 私の字は小学生の低学年ような字だ。こうやってパソコンで文章が書けるようになってやれやれと思うのは私だけではないだろう。漢字も知らないことが多い。だから基本的に書けない字はここでもひらがなで書くようにしている。だからやたらとひらがなの多い文章になる。

 話は戻ってデッサンについて。

 私は本格的に受験用のデッサンの修行をしたことがない。まぁほんの少しそれらしきことをやったことはあるけれど、幸か不幸か、美大受験のデッサン修行と言われるほどの苦行をしたことがない。

 洋画のデッサンはどちらかといえば立体を如何に平面に表現するかということの方法だ。なぜならこの立体を表現するということに、洋画の伝統のすべてが入っているといっても過言ではないからだ。

 遠近法から始まってその立体の構造とか、面の方向、流れなど徹底的に理論的に組み合わされる。またそれがよく理解できない人には洋画風のデッサンはできない。

 はっきり言って私にはこの立体を把握する力というのが極端に弱いきがするなぁ。だから把握できないものは描けないわけで、洋画には向いていない。何年も裸婦デッサンにかかわっているけれど、いまだにコツが理解できないのはそういった能力が欠落しているということだろう。

 反対にというのか、どこまでも線的、平面的、に解釈しているところがある。絵画というのはセザンヌではないけれど「一定の秩序によって置かれた色の集まり」と考えれば、確かにそうであって結果的には立体に見えるけれど、意識としては「点の集まり、奥行きのない面の集まり」と考えてもいい気がする。

 日本の漫画・アニメーションが世界で評価されるというのも、印象派が日本の版画に影響されたというのも同じ原理だと思う。つまるところ西欧の立体表現というのと、日本の線的、平面的な表現との違いということだろう。

 少し前に書いたけれど、我々がなかなか自分の考えで表現というところまで行けないのは、たぶんに大事な時期に無理やり、西欧型の受験デッサンを押し付けられているからではないかと思う。

 我々のDNAにはないものであって、反対にそういった眼をもった人間は自分たちを異国人の目で見てしまうのではないかな。

 自分の言葉で自分のことを表現しようと思うならば、自らにあったデッサンの方法を獲得する必要があるのではないかと思う。

更新時間 : 13:31:11

6月25日 (月)

はる 2200
 もう一つの日記のシステムを借りているのだが、昨日から表示されなくなった。ここはそこの文章をコーピーして貼り付けているもので、だからカウントが少し飛んでいたりする。昔からの読者はそちらの方を読んでいるかもしてないな。ただし文字だけの本当にシンプルなものだ。そう、ブログなんてなかった頃からのものでね、今のように携帯から簡単にシャメなんてできなかった。

 まぁレンタルしているものは相手次第でいつ消えてしまうかもしれない不安定なものだ。とくにこういったバーチャルなシステムというものはちゅうちょなく一発で消えてしまうから恐ろしい所もある。まぁそれも含めて「仮想世界」ということかな。

 (後日転載)

更新時間 : 12:08:59

6月24日 (日)

はる 2189
 本日臨時休業

更新時間 : 00:49:13

6月23日 (土)

はる 2188
 自家製の絵の具はどうしてだか長持ちしない。カビが生えるとか、硬くなるとか、変色するとか、色々トラブルが多い。最初は防腐剤を買ってきて混ぜたりしていたのだが、薬品をつかって長持ちさせるのもせっかく土性絵の具をつかっているのに本末転倒だとおもってや止めにした。今はタッパーにいれて冷蔵庫に保管している。↑はその容器です。

 昔は画家の工房にはその師匠の秘蔵の絵の具つぼがあって、若い徒弟は絵の具を練る仕事からやらされたにちがいない。今でこそ、画材店に行けば色とりどりの絵の具が選り取りみどりだけれど、ちょっと前は絵の具は高価なものだった。

 いまでも日本画では一回一回絵の具をニカワでとく。まぁそう考える日本画は昔からのスタイルを世襲している。やり方としてその方が理にかなってはいるとは思う。けれどまぁ、私は接着剤にアクリルエマルジョンを使うことに慣れてしまった。というのか、この私の技法スタイルはボンドやアクリルジェルメジュームがなければ始めなかったような気がする。

 その人ならではの画材があって、技法やスタイルが出来てくるように思う。勘違いするのはスタイルや技法だけを真似することだ。器用なひとは本人以上のものが簡単にできるだろう。真似はいくらでもできるけれど、それは本物じゃない。自分からにじみ出た技法やスタイルでなければ意味が無い。

 だから技法やスタイルをどんどんオープンにしている。秘密はなにもない。(本当はちょっとある)



更新時間 : 22:37:36

6月22日 (金)

はる 2187
 この間のつづきをちょっと。

 ものを考えるということは、どこかにピリピリと電気的な興奮が起きて、シナプスの連結がそれを伝えてゆくわけだ。どんな原始的な静物でもこうやって何らかの電気的な信号を伝えるという手段は変わらないのだ。

 今人類は画期的なことをやっている。ピリピリとした電気的な信号を静物の神経の接合ではなくて、電波という目に見えない結合によってつないでいるわけだ。今後ますますこの網の目は繋がってゆくわけで、どういう風になって行くのだろうかね。

 自然というものは「さざれいし」が「いわお」になることはなくて、反対に段々にこなれて、粒粒の小さいものになってゆく。それが摂理というものだ。

 分子も原子も同じことで、やがては最も小さい重さも無い素粒子になって光の粒のようになってどこか宇宙のかなたにとんでいってしまうのだろう。

 物事の最初はそれら一切合財をギューーっと詰め込んで、目に見えないぐらいの小さな点ではなかったかな。その中に今の全宇宙の組成がみんなつまっている。重さは量れない容量だ。時間もまだ始まってない。

 トータルのエネルギーは変わらない、とするならば私のこのピリピリもこの最初のピンホールに含まれている。そうか、そういうことか、詰まる所このピリピリは宇宙エネルギーの一つの形だったんだな。

 
 

更新時間 : 21:39:20

6月21日 (木)

はる 2186
 お風呂のカランのネジの部分が壊れたのでホームセンターに部品を買いに行く。しかし、私は一日置きぐらいにホームセンターにきてないか?みんなはどうしているのだろうか。好きだということもあるけれど、必要にせまられて来ているところもあるわけだからねぇ。

 このカランの部分というのは意外に高価なもんだ。温水と冷水のちょっと洒落たものなら、二万円近くする。いくらなんでもこの部分は何かで代用できるわけではないからね。まぁ今回はネジの交換だけですんだのでよかった。

 閑話休題

 ダビンチの受胎告知が来ているらしい。確かに天才の名作だけれど、それだけを並んでみる気にはとうていなれない。最近の展覧会で言えばモネ展なんかもそうだけれど、あいも変わらず泰西名画かい、と思ってしまう。

 ダビンチやモネやゴッホやルノアールを持ってくればお客がよべるからね。これだけ多くの日本人が海外に行ってるというのに、まだ舶来物をありがたがるかな。どこかやっぱり教育を間違えたんだよな。

 油彩画が日本に入ってきて150年ぐらいかな。どうやっても油彩画の技法というものは西欧の伝統から出てきたものなんだ。それを勉強するということは、最初は西欧の物真似から入って行くしかない。

 形を取る、西欧画の描写であるところの陰影法を習うと言うことからのがれることはできない。そこから出発したらなかなか自分本来の絵というのには至らないね。どこか異邦人の目で自分を見ることになる。

 多くの優れた先人たちが「日本人の油彩画」とはどうあるべきかということを摸索している。まぁいってみれば今までの全てがそういったものの積み重ね、軌跡といっていいかもしれない。まぁいまだにこれだ!という解答を出している絵描きはいないように思う。

 まぁひとつの解答として、私は三岸節子とか脇田和とか山口薫あたりかなぁ・・と思うのだけれど、ここらは人によって違うか。

更新時間 : 00:01:08

6月20日 (水)

はる 2185
 少しさぼった。ブログの方はシャメがあるので、何とかごまかせるけれど、ここは文字ばかりなので、ごまかしが効かないね。

 55歳というのは微妙な歳だな。子供から見れば立派なおっさん、へたすればジーさんという歳なんだけれど、普通なら責任のある地位とか肩書きなんかがあって、バリバリ仕事をやっている歳かな。

 まぁそれとも、そろそろリタイヤの準備で窓際族になりつつあるのかね。仕事なんかほとんど回ってこなくって、あぁはやくリタイヤしたいなぁ・・なんて思ってるのかな。

 けれどね、実際の年齢に気持ちが付いていっていないという感じだなぁ。60まで秒読みの段階になっているのにねぇ・・。おかしなもんだ。

 あと20年もあるかないか。そう考える一生なんてわけない。あっという間の出来事だ。まさに夢の如しだな。

更新時間 : 20:01:52

6月19日 (火)

はる 2184
 今日も一日パートタイムジョブ。疲れましたのでパスします。あしからず。

更新時間 : 22:17:10

6月18日 (月)

はる 2183
 本日休業

更新時間 : 20:48:59

6月17日 (日)

はる 2182
 どこから来たのか 3

 まだ書ききっていない気がするので、だらだらと綴ってゆこう。ご勘弁を。

 恥ずかしい思いというのはいっぱいある。自分が居たたまれなくなる思いというのも結構ある。人から見れば何でもないことが結構自分の中では傷になっていたりするんだな。

 最近気付いたことなんだけれど、最初の「見えない大きな力」は両親の愛情の深さなんじゃないかな。色んなかたちがあるとおもうのだけれど、子供にとってはそれがこの世の中で最初に出会った「大きな力」なんだな。

 大きくなるに連れて更に大きな力が加わってくるのだけれど、その力のかたちも最初の「見えない力」の変形と言うかたちでついてくる。だから最初の力がいかに大切か。

更新時間 : 22:38:11

6月16日 (土)

はる 2181
 どうにもならないのだろうか。お金のことだから言いにくいところがあるのだけれどね。

 非常勤をやり始めてもう25年になる。時間講師という。まぁパートの先生だな。

 先生と言いながら学校には色んな勤務形態の先生がいる。まぁ普通先生と言われているのは正規の採用試験を受けて採用された教諭という正教員。これがまぁ一番勤務形態としてはハードである半面恵まれている。一度採用されるとめったなことでは解雇されない。
 
 後は期間採用といって、一年契約で採用される先生もいる。まぁ例えば臨時で国語の先生が足らない、穴をあけるわけにはいかないから、免許をもってる先生に声がかかる。多くの場合採用試験待ちの先生が、校長などの顔つなぎでやる場合が多い。

 待遇条件は正規の先生と同じなので、まぁ仕事としてはいいほうかもしれない。ただし期間は長くて一年しかない。身分は宙ぶらりんで、明日の保障は無い。ただいつでも辞めてやるという、選択の自由を持っているところが、正規の先生と違う所か。何年も期間採用だけでやっているベテランの先生もいる。

 あと、臨時採用といって産休代用教員もいる。期間は半年ぐらいかな。こちらの方はわりと年取って退職された先生が多いかな。年金暮らしだから、悠悠自適であくせくしていない。子供たちのジジババと同じくらいの先生か。

 最後に私なんかがやっている非常勤講師というわけだ。身分的には一番恵まれていない。責任も無いけれど、存在感もない。芸術の先生はわりとこの講師が多いかもしれないなぁ。

 で、私が始めた頃は時間のカウントも何とも大雑把で、基本的には教務の先生が記入して私らはハンコを押すだけだった。だからあまり考えもしないで、今月は多いとか少ないとかいったことが無い。万事が適当だった。時に学校の都合で授業がキャンセルになった場合、阿吽の呼吸で半分ぐらいカウントしてくれていた。

 これも学校によって色々でね。教務の先生や、教頭が代わるとカウントが変わったりした。だからまぁ微妙なさじ加減というのかな、我々の方から文句えることじゃないのでね。これも適当でした。

 夏休みとか長期の休みには給料がない。仕事が無いから仕方ないのだけれど、若い頃はバイトに行かざるを得なかった。生活の設計が立てにくいので、私学なんかでは年棒制でもらうところもあるらしい。その方が良心的だ。

 長期の休暇は仕方ないかなとは思うのだけれど、学校の都合でキャンセルされた授業は全額といわなくても、半分くらい支払ってもらいたい。なぜならその時間を確保してあるわけだからね。特急電車の座席指定みたいなもんだ。空席で運んでもお金はとられる。

 頭に来たのは、今度は授業が短縮された場合、正規の8/1とか6/1カットとか言って来た。そこまでやるか!おい。私は補習も無料のボランティアでやっている。それはやってはいけないことになっていると言われました。やってはいけないといっても生徒のことを考えると当然残してやるわけで、あぁ腹が立つ。

 何処に言えばいいのかね。教育委員会に言えばいいのか。市長か、知事か、安倍さんか、誰に言えばいいのか。

 

更新時間 : 19:34:17

6月15日 (金)

はる 2180
 今日は午後から教室。その後は昼寝して地塗りの続きでした。

更新時間 : 22:43:40

6月14日 (木)

はる 2179
 今日は朝から雨の予報。傘を持って高速バスで東京へ。まず知人のお宅を訪問。久しぶりに自分の絵と対面した。無機的なコンクリートの打ちっぱなしの壁に、悪あがきのような私の絵・・まぁ悪くないかな。

 その後銀座へ。おなじみの義さんと桃さんのグループ展が松坂屋で開催中。アポなしでいったので作家には会えなかったけれど、作品には会って来ました。

 その後雨がしとしと降ってきましたが、いつもの私の定宿、ギャラリー惣に国画の大先輩山寺重子さんの個展会場にゆく。

 帰りのバスの中で本を読んでいたら車酔いしてしまった。と言う一日でした。

更新時間 : 22:55:41

6月13日 (水)

はる 2178
 どこから来たのか 2

 まとまっていないので、繰り返しになるかもしれませんが、まぁそこそこにお付き合いくださいな。思いつくままにつづって行きます。

 誰でもが経験するのが、日曜日の午後の憂鬱というもの。日曜日が楽しければ楽しいほど、日暮れ時の寂しさは増してくる。あれはなぜなんだろうか?

 物心付いてから自分の中には「見えない強い力」があることに気が付いていた。それはうまく働けば「道徳心」とか「自制心」ということになるのかもしれないが、まぁそれが私の「枠」ということになる。

 その「見えない力」は普段は自分を守ってくれる防御壁の役割を演じてくれているのだが、時には激しく私を干渉し攻撃してくる。すべて私の心の中にある味方であり、また敵なので人にはどうしようもない。免疫とよく似ている。

 この「枠」の中で生活する分には、何の問題もなく過不足なく穏やかに暮らせる。大きな失敗もなければ、恥をかくこともなく、生な人の喜怒哀楽を見ることもない。

 出来れば、いつもそんな安楽な場所でのんびりと暮らしたいという願望がある。そこが一番居心地のいい胎内のような場所なんだろう。

 しかし、いつまでもそんな生ぬるい温床の中で安穏と暮してゆけるはずもない。一歩外に出ると新たな枠が必要になってくる。でなければ生身の自分を晒さなくてはならないわけだから、それにあった枠を築くことになる。

更新時間 : 23:00:50

6月12日 (火)

はる 2177
 どこから来たのか 1

 私のこの不安神経症的な鬱な気質はどこから来ているのだろうか?まぁよく言えばメランコリックな内省型ということになるのだろうか。しかし、けっこう辛いときもある。

 母方の家系にはけっこうこの鬱気質が多く、私と同様に消化器系の疾患を持っている。だからそのことは折込済みでどうしょうもないこととあきらめていたところもある。

 結論から言えば、そのメランコリックな気質が私に絵を描かせているのだから、まぁわざわい転じて何とやら、いいとも悪いとも言いがたいところがあるな。

 しかし、日常生活ではこの気質は厄介なもので、何かしらいつも追っかけられているような、脅迫観念から抜けられない。個展なんかでやたらと早くから準備しないと気がすまないのは、この気質のせいのように思う。

 もう少し奥に入ってゆこう。

 不安になるのは、自分の殻を破られるのが怖いのだと思う。これこれのためにそこそこの準備をしておく。それ以外のことがおきたらパニックに陥ってしまう。そうならないために準備をおこたらないのだ。

 この自己防衛の殻というのは、もって生まれた気質というのもあるけれど、自分の家庭環境や親や兄弟との関係から来ているところがあるように思う。

 私の父は前にも少し書いたけれど、ものすごくワンマンで我々家族の上に君臨していた。血が熱くて人情家という面もあるけれど、怒り出したらだれも止められない。小さい私たちにとってはまず絶対の存在であった。

 私は五人兄弟の末っ子で、そういった意味でも責任のない非常に気楽な立場にいつもいた。いまでもそうだけれど、まぁこの年になっても宙ぶらりんな、なんとも居心地のいいところにいる。それが問題だ。

 責任の無い気楽な立場にいるということは、その時はとても都合はいいのだけれど、やがては責任のとれない、優柔不断な何とも情けない人格を作り出す。感情の喜怒哀楽の表現もへたであった。

 他人からの攻撃に弱いというのを知ったのは、中学校の教師になった時だ。大人の社会ではそこそこ対応できるテクニックを身につけてはいたけれど、いざイノセントな子供の前に立った場合、そんな防御壁は何の役にも立たなかった。

 子供たちはいとも簡単に私のウィークポイントに攻撃を仕掛けてくる。優柔不断、感情表現の下手くそな、弱気の新米教師などいちころだった。担任の生徒に信頼されない新米教師は、一気に自信喪失、気鬱なノイローゼとなった。

 今から考える当たり前のことなんだけれど、人間の集団を極当たり前な決まりきった定型に当てはめて、その中で適当にあしらって行けば先生稼業はやって行けると高をくくっていたところがある。

 ところが、実際のクラス運営というものは千差万別で捕らえどころが無く、定型などなにもない、その場その場で対処して行くしか仕方がない、何でも有りなんだな。泥かぶって何ぼの商売だって、肝が据わってなかった。絵を描きながら片手間にやりゃいいと思ってたところを、子供たちに突かれたということだ。そのころが分かっていなかった。

 始めに枠を想定して、その枠の中でなんとか対処しようとする。モロ身の人格が出てしまうころが怖い、恥ずかしいのだな。本気で怒ったり叫んだり泣き喚いたり、そういった人間の生の感情が得意ではないということかな。

 先生やるんじゃ本気でやらなきゃと思った。で、正教員を辞めた。


 

更新時間 : 20:00:22

6月11日 (月)

はる 2176
 ちょっと話が大きくなるけれど、宇宙全体のエネルギーの総和は変わらないらしい。聞きかじりだけれどね。嘘か本当か、確かめ様がないけれどね。

 で、誰かがこんな計算をした。宇宙の温度は絶対0度じゃないそうだ。ほんの少し暖かい。どのくらい暖かいのか、今分かっている宇宙の大きさとその温度を計算したら、ちょうどビッグバンの瞬間の温度になったとさ。

 我々はビッグバンの残り香の中で生きている。そう思えば宇宙の体温も身近に感じられる。

 人間もどんどん限りなく小さく分解して行けば原子や電子になるわけで、構造的には無機的な金属や岩石とそう変わるものではない。まぁ言ってみれば元をただせば、すべからくただの星屑みたいなものだ。

 星も半永久的に存在するのではなく、宇宙的な時間でながめれば、やがては吸収合体したり、膨らんで爆発したりする。その時吹き飛ばされた星屑からまた新しい生命が生まれたりするらしい。輪廻転生、諸行無常、大いなる宇宙のことわりの中で生きとるというわけだ。

更新時間 : 21:17:14

6月10日 (日)

はる 2175
 世の中にはなかなか鋭い洞察をする人がいるものだ。私など日がな一日、自分勝手なつまらないことを考えて時間を無駄にしているのだが、人によっては抜き差しならない境界に生きている人もいるわけだ。

 例えばこうやってネットサーフィンしていても、ほとんどのブログは言葉の羅列で、私の心に何の抵抗もひっかかりもなく通り過ぎてゆく。まぁ若い人は芸能人とか、女優さんなんかのブログに興味をもって行くのだろうけれど、私には何の共感も持てない。

 私が何となくひっかかるのは、自分というものを深く掘り下げている言葉の持ち主で、それは何だろうな、飾りの無い言葉というのかな、自然と匂ってくるその人の体臭みたいなものだろうけれど、そういった言葉の持ち主だ。

 これはねぇ、ただ単に歳を取ったから深くなるというものでもないようだな。なぜなら多くの熟年世代のブログは見るも無残な恥ずかしくないのか?というような言葉たちでしかないからだ。

 難しい言葉ということでもない。自分の言葉で自分のことを語ればいいのだけれど、そのことの訓練を受けてないからだねぇ。まぁ無理も無いけど。

 言葉、思考、意識でもいいのだけれど、普段から人に分かりやすく伝えるというのか、自分自身でも分かりやすい、正直な気持を語る、そういった訓練が必要じゃないかなぁと思う。いきなり自分を語れと言われても、難しいからね。

 まぁ普段から、どんな言葉を使っているのか、それがそっくりそのままその人を語って行くのだと思う。だからけっこう怖いことだな。いくら隠したとしても、見る人が見ればちゃんと嘘はばれている。

 それは言葉を絵画と入れ替えてもいいんだけれど、描くことが自己の表現になっていないような絵をいくら描いても意味ないということだな。恥なら恥でけっこうだ。嘘偽りの無い「私自身」そのものが、ごろりと出てしまったというような絵を描いて行きたいねぇ。

更新時間 : 23:20:29

6月9日 (土)

はる 2174
 グループ展の搬出。今日は雨降りだったのでいつもの赤帽さんに頼む。このオジサンとはもう長い付き合い。元々は地元で八百屋さんをやっていた。ところがご存知のように、八百屋じゃもうやって行けない。

 私が東京で個展をはじめた90年ごろに軽運送業に衣替え。特に県内の個展をはじめ、東京までの団体展の入搬出代行など美術運送はほとんで彼がやっているのではないだろうか。

 私は地元の個展はもちろん、東京の個展の入搬出もすべて彼とのコンビだ。もう15年ぐらいの付き合いになるかな。97年の神戸の個展では大きな作品を5,6点も乗せて二回往復してもらった。

 当分彼とのコンビは続きそうだが、気をつけて下さいよ。頼りにしてます。んじゃまた。

更新時間 : 21:44:41

6月8日 (金)

はる 2173
 今日はほぼ一日アトリエで仕事をした。といっても絵を描いたのではなくて、その前の下地作りに励んだ。

 私の作品はキャンバスに描かれているのではない。よく「油絵ですか?」と聞かれるけれど、まぁ分からない人には適当に答えてしまうけれど、正確には水性画というのかな、油彩画ではない。

 油彩画にしたところでキャンバスに描かねばならないという掟があるわけでもなく、本来油彩画も大きな板にかかれていた。ダビンチのモナリザの印刷物にキャンバス目があったりするけれど、実は板に描かれたものだ。

 大きな画面のつなぎ目の無い板を入手するのが困難であるということや、重くなってしまうので便宜上船の帆に描きはじめたのが始まりときいた。

 それもまぁ当時たまたま丈夫な布が織り始められたからで、どうしても麻布でなければならないということではない。時代がそういった画材を選んだだけだ。だから油彩といえばキャンバスというのは、画材店に協力しすぎでしょうね。

 最近のお気に入りは珈琲のズタブクロだ。これはなかなか味がある。また適当なロゴが入っているのもいい。適当に切り裂いてコラージュふうに他の布と組み合わせるともっと面白い。

 基本的に今手に入る紙や布、何でも画材になる。私のこの部分だけみればとても絵画の画材とは思えないだろうな。

 さて、今年は何がでてくるのか、どう展開するのか、かなり不安だけれど、楽しみでもあるな。それじゃまた、あした。

更新時間 : 23:17:16

6月7日 (木)

はる 2172
 今日はグループ展の一日当番で美術館にいる。疲れました。

更新時間 : 20:07:25

6月6日 (水)

はる 2171
 だいたいにおいて、今自分がここに在る、という意識はどこから来るのだろうか。そもそも意識とは何なんだろうか。この意識がなくなれば、自分も他人も同じで生きているという実感もないわけだから「私」という個体はなくなる。

 この「意識」という奴、どうやら目の裏あたりに居そうな気がしているだけれど、実態はわからない。五感を含めて色んなものの総体としてこの「自我」があるわけだけれど、意識そのものは脳細胞のシナプスの電気信号でしかない。

 で、電気信号はある種のエネルギーを持っているわけで、まぁいってみれば「自我」というのもエネルギーの変わった形ということができる。

 話は少し飛躍するけれど、物質とはある種エネルギーの塊であってマッチの頭ほどの物質をすべてエネルギーに変えることができれば世界中のエネルギーをまかなえるとか何とか・・。

 物質の最終的なかたちというのは、実体のない光のように、重さもなく、形もなくてただエネルギーだけがあるというような、そんなものではないかな。

更新時間 : 19:47:51

6月5日 (火)

はる 2170 
 本日休業

更新時間 : 21:02:30

6月4日 (月)

はる 2169
 昨日の続き
 点、線、面について。(理屈なので面白くないです。とばしてもらって結構です。読まれる場合、実際に鉛筆を持って持ち方を確認しながら、読まれることをお薦めします)

 例えば字を書くように鉛筆を持った場合、筆の自由度は一番大きい。前後左右、右回りでも左回りでも自由に線をひくことができる。

 この時、紙と鉛筆の先を考えると、点で接している。点というのは動きとしては一番自由なんだな。全体を把握するのにはむかないけれど、細かい所を描くのに適している。

 半面一番不安定でもある。というのは、方向性がない分、行き先が定まらない。そう、ちょうど一輪車みたいなものだ。くるくるとその場で一回転もできる。

 この点が直線になってくると方向性がでてくる。鉛筆をつまんだように持って、そのまま縦にひくとかなり硬い直線がひける。自由度はすくなくなるけれど、安定した線がひける。

 これは二輪の自転車みたいなものだ。一輪車ほど自由度はないけれど、それなりに安定している。クロッキーの場合、この不自由な安定した線のほうがいいように思う。

 この時、紙と鉛筆は線で接している。ちょうど円の接線のようなものだ。例えば人物の柔らかいカーブを描くときも、このカーブにあわせて接線をひいている感じと言えば微妙なニアンスが伝わるだろうか?今どのくらいの傾きの線をひいているか?と無意識に意識することが必要だ。

 クロッキーの線は無意識の線ではない。意識されていない線は観ていないと同意語なんだな。

 絵を描くということは、無意識のものを意識の世界に引き上げるということだ。ただ一本の線でも「私はこの線を意識して選んだ」という自覚が絵を描くことの意味だと思う。

 次に面だ。このつまんだ状態で横にずらすと面になる。これは四輪の車のようなものだ。一番自由度は少なくなる。

 当然こまかいところは描けない。だからこれも線の方向を意識したように面の方向を意識することだ。具体的に言うならば出来るだけ単純な立体に還元してしまうことだ。で単純に明暗ニ分割する。

 線の場合もそうなんだけれど、数多くの面からただ一つの面を選ぶと言うことは、「うそ」なんだな。「うそ」というと誤解があるけれど、どこかで決定しなければならないところが出てくる。そこを「えいやっ」と取捨選択すること。優先順位をつけること、それが意識するということなんだろう。どんな複雑なものでもこれの繰り返しで描ける。

 意識して気にして選んで捨てる、そしてそれを忘れることができれば卒業でしょう。

 さてこれでお終いです。努力継続すれば誰でもが描けるようになります。ただし、私程度の絵ならばということで、スパーリアルな絵を描きたいというならば別の方法をあたって下さい。

更新時間 : 15:54:33

6月3日 (日)

はる 2168
 クロッキー考
 クロッキーについて質問される。とても人に教えるほど上手くはないのだけれど、長年やって来てはいるからねぇ、多少なりとも参考になるアドバイスはできるかな。それにしてもなかなか奥が深い。

 基本的には一本の線で決めるつもり描くようにする。ところがこれがなかなか難しい。当然何本も間違えた線をひくのだが、気持としては、一本の正しい線を見つけるのがクロッキーの醍醐味だと思う。

 物を良く観ろ。とはよく言われることだけれど、慣れないとただ見ているだけにすぎない。この観るというのは、こういうことだ。「この一本の線が、肩の線より何ミリ上にあるか?」ということなんだな。

 常に全体を見て、今ひいている線の反対側を意識することだ。前後左右は必ずバランスがとられている。物事はただ一つだけではなりたっていない。体の右側の線をひく時は左のラインを意識することだ。それだけでもかなり違ってくるだろう。

 出来るだけ体から離して、鉛筆は寝かせて描くこと。立てると細かい所は描けるけれど、全体が見えない。細かい所が気になりだすと全体は壊れている。

 点、線、面について。

 例えば字を書くように鉛筆を持った場合、筆の自由度は一番大きい。前後左右、右回りでも左回りでも自由に線をひくことができる。

 この時紙と鉛筆の先を考えると、点で接しているわけだ。点というのは一番自由なんだな。制約がない素粒子みたいなものだ。半面一番不安定でもある。方向性がない分、線が定まらない。

 この点が直線になってくると方向性がでてくる。鉛筆をつまんだように持った場合、自由度はすくなくなるけれど、安定した線がひける。クロッキーの場合、この不自由な線のほうがいいように思う。

 この直線の方向性というのがとても大切なんだな。今確かに右45度に傾いている線をひいているという意識することがキーポイントだと思う。

 クロッキーの線は無意識の線ではない。意識されていない線は観ていないと同意語なんだな。だからこのつまんだように持った、方向性をもった直線が大事なんだ。分かるかな?

 次に面だ。これは次回ということで。

 

更新時間 : 01:05:32

6月2日 (土)

はる 2167
 この年になると小学校の頃が妙に懐かしい。随分と前の気もするし、ついこの間のような気もする。すんでしまったことはみんな美しく思える。まぁ当時もそれなりに困ったことを抱えてはいたんだろうけれどねぇ・・。

 神戸の西の端の街、垂水の古い借家に住んでいた頃があった。ここの思いでは新しい大きな家に引っ越してからのことより印象深い。小学校に上がるかどうかのころの話なんだけれど、そんなものかな・・。

 古い町というのは、例えば米屋の誰々とか、魚屋の誰それとか、花屋のこれこれというふうに、稼業でいう場合が多かった。まぁ今のようにみんなが何を仕事にしているのか分からないサラリーマンが少なかったということもあるんだろうね。

 K君の家は小学校の帰り道にあった。同じような長屋のいっかくにあって、日の当たらないような裏庭がついていた。それでもちょっと凝った坪庭風になっていて、自分家の庭が、趣味の無い花畑になっていたのに比べて羨ましく思った。

 K君は頭も良くてなかなかハンサムな顔をしていた。どこか寂しげで、ちょっと大人びた雰囲気ももっていた。同じクラスの中ではちょっと異質な感じを持っていた。

 小学校に上がると、今までのご近所の幼友達とは違う、新しい交友関係が出来る。幼友達が近所と言う避けられない関係だったのに比べて、自分の判断で選べる最初の人間関係だった。

 K君に惹かれたのは多分自分の家には無い虚無的なナイーブな雰囲気だった気がするな、今から考えると。

 彼の家に遊びに行って始めてタバコを吸う女の人を見た。彼の母親だったけれど、これはにはひどく驚いた。今のように普通に女の人がタバコを吸う時代じゃなかったからねぇ。彼には父親がいなかった。

 転校していつしか忘れてしまった。彼は今どうしているのかな・・。

更新時間 : 23:29:53

6月1日 (金)

はる 2166
 とうとう六月ですね。

更新時間 : 22:41:43