2007 5月
5月31日 (木)

はる 2165
 本日休業

更新時間 : 20:21:54

5月30日 (水)

はる 2164
 どこからきたのか 3

 物として有ると認識しやすいのは「つるつる」しているか、「ざらざら」しているかのどちらかだと思う。

 例えば焼き物で言えば、磁器やガラスのように表面がつるつるしている方が高級感がある。織物でも絹があれほどまで世界中でもてはやされるのは、絹の持っている自然な光沢のなせるわざだ。

 この光を含んでいるものに憧れるというのは、人類共通の性質のように思える。貴金属からはじまって、高級な工芸品や生活雑器に至るまで、「ぴかぴか、つるつる」は人を夢中にさせるようだ。

 子供の頃の話に戻れば、土の丸い玉をピカピカに磨いて光らせることに夢中になったおぼえがありませんか?しかし、あれは何であれほど光るのだろうか?未だに理由がよくわからない。

 油絵を描き始めた頃、がっかりしたことがある。描いている時はあれだけヌレヌレと濡れ色なのに、乾くとガサガサのつや消しの状態になっていまうことだ。我々の油彩のイメージはセピア色のニスに覆われたガラス絵のような感じなんだな。

 ・・・・ちょっと横道にそれる・・・・

 油彩画が日本に入ってきた時、当初は「ヤニ派」といわれるオーソドックスな油彩画の手法が教えられていた。まぁこれは最初はセピア色の絵の具をテレピンなどの乾性油でといてデッサンをする、その上に樹脂をたっぷり含んだ亜麻仁油などで固有の色を乗せるといった、油彩画の伝統的な手法だった。この方法で最後にニスをひけば、光沢の有る油彩画が出来上がる。

 ところが当時留学した黒田清輝などが学んだのが、オーソドックスな油彩画の手法ではなく、当時西欧で流行していた印象派「紫派」の手法だったんだな。それを日本のアカデミーとした所に間違いがあった。

 まぁそれは長い西欧の歴史をふまえて考える必要があるのだけれどね。

 産業革命などがあって、今まで力があった王侯貴族が、台頭した市民階級に取って代わられたんだな。今までのようなパトロンと芸術家という関係が維持できなくなってきた。

 芸術家というのは哀れな存在でね。偉そうなこと言っても誰かに養ってもらわなければ、食べて行けなかったわけだ。ダビンチやミケランジェロなどの天才でもしかりだ。

 で、市民階級が力を持ってくると、そういった人達にも分かる絵が必要になってくる。今までは例えばパトロンが教会だったり貴族だったりすると、それに応じた絵を描かされていたわけだけれど、そんな必要がなくなってくる。

 それから、これも大きい理由だとおもうのだけれど、芸術家という存在が職人として絵を描く人という枠から離れてきたということだろうな。

 で、そういった市民階級の人達が、開放されたアーチストを支持した。
 

更新時間 : 17:27:24

5月29日 (火)

はる 2163
 どこからきたのか 2

 私の家はよく言えば質実剛健の家風で、親父は地方の公務員からそのワンマンな実力をかわれて最後は助役まで勤めた。退職後は小さな土建屋のようなことをしていたが、根っからの役人が商売をやって上手く行くはずが無い。

 当時、学生だった私になんとかその会社を継がせたいという気でいたようだ。まぁこれも親父が亡くなった後で知ったことだけれど、その話も上の兄貴たちに断られて、順番に下りてきたお下がりだったようだ。何処まで行っても弟はお下がりがおりてくる。

 そんなこともあって、私は最初の大学を卒業後、京都の焼き物やに弟子入りすることにした。焼き物をやりたかったのか?と問われると困るのだけれど、兎に角親父の影響から逃れたかったというのが本音かな。不謹慎だけれどね。二年ほどで卒業した。

 話は子供の頃に戻って、そういった文化的な雰囲気から程遠いような生活環境の中で、唯一趣味的な香りがしたのが、お袋が絵を描いていたということだった。

 といっても趣味に毛が生えた程度で、どこかに出品するとか、個展をやるとかといったレベルではなかったのだけれどね。まぁそれでもそれが無かったら私は今頃絵は描いてなかっただろうから、ここらあたりに縁があったのだろうか。

 油絵に始めてであったのは、近所の日曜学校のカードだった。小さなカルタぐらいの聖母子像だったけれど、写真のように美しいカードに夢中になった。思いではセピア色のなかに沈んでいるのだけれど、賛美歌とか聖書の物語とかクリスマスの街の大きな教会にいったこととか、震えるほどの感動をおぼえた。

 もう一つは兄貴たちの影響かな。今考えると勉強部屋に大きなユトリロの白い建物のポスターが貼られていた。はっきりおぼえているのはセザンヌのゆがんだようなカップのえと、安井曽太郎のこれまたゆがんだろうなチャイニーズドレスをきた女の人の絵だった。

 なぜかセザンヌは凄いということを教えられた。当時中学生だった兄貴も多分よく理解していなかっただろう。

 さて、子供の頃の工作少年と聖母子像、焼き物の肌合いにセザンヌのデフォルメとユトリロの白を混ぜてあわせると段々に私の絵に近づいて来ませんか。

更新時間 : 15:53:54

5月28日 (月)

はる 2162
 私の絵はどこから来ているのだろうか?まとまっていないので思いつくまま書いてみよう。

 小学校の頃、大きくなりすぎた学校は二つに分かれることになった。一つは昔からの古い学区と、もう一つは我々の住んでいる新しい学区だった。まだ団地という呼び方も珍しく、コンクリートのブロックのような建物が、にわかに整地された丘の上に並び出したころだ。

 ちょうど東京オリンピックが開催された年で、聖火のマラソンを国道までみんなで見に行ったおぼえがある。

 私達家族は分譲されたいっかくに安普請の家を建てたのだが、それでも早い方で、まだいたるところが売れ残っていてペンペン草がはえていた。

 道路はまだまだ舗装さてていなくて、雨が降るとぬかるんで大きな水溜りを作っていた。

 特に絵を描く事が好きだったわけではない。物を作ったり考えたりすることは好きだったけれどね。まぁ今の絵の半分ぐらいはこのあたりの工作少年から来ているように思う。

 今でいうミクストメディアみたいなことは当時の工作の一つの方法だった。例えば厚紙だけでは強度に問題がある場合、布をのり付けすれば強くなるということを経験上知っていたし、木と布と紙はとても相性がいいことも知っていた。

 絵は上手くなかったけれど、なぜか自信があった。これは小学生の頃からだな。同級生に短い鉛筆をくるくる回して鉄人28号やアトムをひょいひょい描ける奴がいた。羨ましくはあったけれど、あれは「純粋な絵」ではないと一人合点して済ましていた。

 油絵のような木を描きたいと思った。これは多分お袋の影響だけれど、点描で生の絵の具をのせていけば、油絵のような絵が描けると思い込んで実行していた。これはかなりおそくまでやっていたきがする。ゴッホの糸杉の影響かもしれないな。

 何だかまとまらないけれど、ここまで。

 

更新時間 : 22:24:20

5月27日 (日)

はる 2161

 学生の頃、花や風景を印象派風に描いて一応満足していた。そうしか描けなかったのだけれどね。まぁそこそこ描けたとしよう。しかし、例えどんなに上手くかけたとしても実際の花より美しくは描けないわけだ。いや、私は実物より美しく描く事ができるというならば、まぁそれはそれでいいでしょう。

 が、私なんかがいくら頑張ったところで、たかが知れている。これが芸術なの?画家という職業があったとして、こんなものを売って生活できるのか?どうも自分が今やっていることはとんでもない思い違いをしているのではないか。何がどう違うのかよく理解できなかった。

 ここから先はだれも教えてくれない。もっとも表現は教えられることでもないのだけれどねぇ。それでも日本の美術教育は上手く描くことばかり教えていないかな。

 例えば雨がそれから降る。あぁ久しぶりのお湿りだな・・嫌だな・・てなことが、頭の中をよぎる。まぁ文章にすればそれだけの、何でもないことなんだけれど、そういったことを絵にしてもいいんだというのか、それが表現なんだ自分なんだと気付いたのは、絵を描き始めて随分とたってからだ。これもまた目からうろこだな。

 山口薫とか香月泰男とか脇田和など自分の好きな作家はみんなそんな風身近な自分を唄っている。芸術でなくてもいい。自分なりのささやかな歌を唄いたいと思った。

更新時間 : 20:53:11

5月26日 (土)

はる 2160
 午前中○○のDr・Tのクリニックに出かける。Dr・Tとは例の入院騒ぎのときにお世話になったお医者さんで、二年ほど前に地元で開業された。

 総合病院のドクターは辞めて開業する場合が多い。まぁそこらあたりの理由はよく分からないのですが、入院施設のある大きな総合病院はやたらと忙しいし、責任も大きいようだ。

 患者にとっても、総合病院か個人病院かどちらを選ぶのか、迷う所だな。

 何と言っても色々な科のある総合病院は検査一つにしても連携していて、まだ症状が安定していない場合は都合がいい。いざと言う場合、入院施設があるのは安心できるだろう。短所としてはやたらと時間がかかるわりには診察がなおざりだったりするな。それはもう、個人病院の付き合いとは違う。

 どちらを選択するのかTPOで考えるべきでしょうね。

 Dr・Tは内視鏡手術の権威ということで総合病院にいる時からきこえていて、まぁそういったことで胃とか大腸の内視鏡検査に特化したクリニックにしたようだ。

 大体二年に一度ぐらい大腸の検査をしているのですが、まぁあまり楽しい検査でもないし好き好んでやる人はいないだろうねぇ。いつもは注腸というバリュームを腸に注入してレントゲンで撮影するという検査にしているのだけれど、本当は内視鏡検査の方がいいに決まっている。直接みていざという場合はついでに切除できるわけだからね。

 七年前の入院騒ぎの時に、一応体全体、頭のMRIから大腸の中まで徹底して調べるわけで、その時にDr・Tに小さなポリープを取ってもらったという経緯がある。

 もっともDr・Tは最初の病気の「告知者」だったわけで、少なからず私にとっては深い因縁のあるお医者さんということになる。夫婦ともども落ち込んでいた時に慰められたおぼえがあるわけで、まぁこの記憶は忘れることはないだろう。

 今日は懸案事項の大腸の内視鏡検査の予約と胃の手術あとの検査をした。鼻から内視鏡を入れるという検査は始めてだった。楽だ、楽だとはきいていたので、簡単に考えていたのだけれど、結構つらいものだったね。結果はOKだったのでよかったのですが。

 ということで何だかお疲れの一日でした。

更新時間 : 01:08:33

5月25日 (金)

はる 2159
 今日は久々の雨でした。

 教室の生徒さんたちが今回(会員推挙)のことを記念してお祝いの食事会を企画してくれた。最近はお祝い事など縁遠くなって久しく味わっていなかったので、楽しくて嬉しい会だった。まぁこれが最後だという気もするので、甘えさせてもらいました。ありがとうございました。

 正直いって子供たちと違って大人に教えるのはなかなか難しいところもある。とにかく人生経験においては私なんかより多くのことを経験されているわけだから、偉そうに私が何か言ってもむなしく、やたらと恥ずかしく感じることも多いな。

 教えることは教わることだともよく言われることなんだけれど、今一度初心にかえってわかりやすく噛み砕いているようなところがある。普通ならもう、考えてもいないようなことや、常識として言葉にしてこなかったことを、どうやると伝えることができるのかと考えている。

 まぁそうやってフィードバックしながら、あぁそういうことだったんだと改めて確認して教わっている自分がいる。人生何事においても無駄にならないように出来ているんだな。

 ということで、ありがとうございました。

更新時間 : 21:06:05

5月24日 (木)

はる 2158
 もう五月も終わりだな、はやいものだ。

 今日もめいっぱい忙しかったな。というのは朝五時半から町内の有価物の収集という当番がありまして、新聞紙やダンボール、アルミ缶とかビンとかを仕分けてトラックに乗せるんですな。この間の運動会もそうですが、地域で暮らすって言うことはそういうことなんだな。

 この四月末から五月にかけていつもそうなんだけれど、今年は新しい美術館に引っ越したということもあって、何度も東京まで出掛けた。忙しかったなぁ・・。来年はもっと仕事がまわって来るそうだから、ちょっと恐ろしい。

 東京というところは、本当に特殊な街だな。展覧会をやるとなれば、全国からそれだけのために集まってくるから、そのパワーたるや凄いものだ。普通に考えてそんな場所、日本全国探しても無いものね。

 それがもちろんアートだけではなく、放送やマスコミ、ビジネスや経済、政治などありとあらゆるものが、ごじゃまぜに存在するからね。エキサイティングになるはずだ。

 私などはただの通過する街だったり、旅行者に過ぎないから、無責任な傍観者でいられるけれど、そこで働いて戦っている人は消耗するだろうねぇ。面白いだろうけれど・・。

 私にはもうちょっとシンドイな。

更新時間 : 21:16:58

5月23日 (水)

はる 2157
 今日もがっこでした。疲れたのでお終いです、又明日。

更新時間 : 22:54:00

5月22日 (火)

はる 2156
 本日休業

更新時間 : 22:14:04

5月21日 (月)

はる 2155
 百年ぐらい前のセザンヌが生きていた頃なら、風景を描いてね、画面全体が一つの秩序で出来ている・・などとほざいて適当にゆがめてチョンチョンちょんで一丁あがりでよかったんだ。

 今頃そんなこと悠長にやっててもだれも感心してくれない。展覧会なんかを観るとね、さぁもう何でもござれのビックリ箱状態でね、誰がどれだけ人より目立つか!といった競争で、とても尋常じゃいられない。

 学生の頃、まぁ真面目にセザンヌから始めて、徐々に現代美術の階段を登って来たんだけれど、まぁはっきりいってそういったスタイルでは今の美術は理解できないだろうな。

 で、まぁはっきりいってそういった現代美術は相手にしないことことにした。無論相手からも無視されているのだけれどね。裸の王様みたいなもので、実際あれらがいいと思っている人の本当のところが知りたい。

 昨日「情熱大陸」かな、ジャズピアニストの「上原ひとみ」をやっていた。普段の彼女はそこらあたりにいる普通の女の子なんだけれど、いったんピアノの前に座って弾き出すと顔つきが変わる。

 これがまた、凄くいいのだな。若いときの山下洋輔みたいな感じでね、立って髪振り乱して夜叉のごとく、弾きまくるのだな。巫女というのは字のごとく「女」なんだな、神からのメッセージを伝えるのはやっぱり「女」じゃなきゃあかんのか?なんて思った。一瞬羨ましく思ったね。

 彼女が言ってた言葉「私はピアノと一体になっている」そうなんだな、考えちゃいかんのだ。考えてるとまだ作り事に過ぎない。丸まま、そっくりそのまま「わたし」がごろりと出てくればいいのだけれどねぇ。それで自分だけが酔うのじゃなくて、人様にも入ってきてもらうというのか、そこがプロなんだな。

 ニューヨークのライブの様子をやっていたけれど、即興の醍醐味というのかな、一瞬一瞬これ全てぎりぎりの選択でね。あっちにいこうか、こっちにしようか、あっちにいけば天国が見えるかとおもっていったら、何も見えなかった、というふうなこと言ってた。

 あぁいった即興芸術と一緒にはできないのだけれど、どうなるか分からないというぎりぎりの所にいて、色んな状況や感覚を自分の味方にして物を作って行きたい。本物をね。

更新時間 : 21:29:05

5月20日 (日)

はる 2154
 今日は町民の大運動会だった。私は何でこんな所にいるのだろう??

更新時間 : 22:53:23

5月19日 (土)

はる 2153
 午前中パラパラと雨が降った。昨日樋の工作を始めたのだけれど、実はサイズを間違って買って来てしまったのだ。それも切断してから気がつくという二重のドジを踏んでしまった。

 私は準備周到にみえて、実際はこういったドジが多い。何だって一度で上手く行くことはない。必ず二度か三度、同じ手間を食うことになる。

 今日は仕方ないので、もう一度ホームセンターに出かけて、同じサイズの樋を買ってくる。上手い具合に天気もよくなって来たのはいいのだけれど、反対にトタン屋根の上は灼熱の地獄だ。帽子をかぶって脱水症状にならないよう、水分を補給しながらゆっくりとやる。

 受けの部分は古いブリキのものをそのまま使うことにする。これもなかなかよく出来ている。ハンダが取れてしまったので、油性のパテを使って補修する。このパテは前の雨漏りの時に使ったものが、まだ残っていた。なかなか上手くいったと思う。

 午後は網戸の張替えをした。

更新時間 : 22:09:34

5月18日 (金)

はる 2152
 この間から雨が降るとポタポタと屋根のトタンをたたく音がするので、気になって確かめると、なんと樋がこの間の突風ではずれてしまっていた。

 樋にも歴史があって、昔はブリキ屋さんというのかなぁ、そういった職人さんがいて、今で言うオーダーメーイドでその場で作っていた。大きな半田ごてを一斗缶に突っ込んでヤニを塗ってジュージューいわせて綺麗に止めてしまう。これがなかなか面白くてねぇ、飽きずにながめていた。ああいう職人さんは今もういないだろうね。

 我が家の樋はそういった年代ものでね。数年前の大雪が降った時にメキメキと音を立てて壊れてしまった。もう腐食も進んでボロボロだったけれど、何とかつなぎ合わせて使っていたのだけれど、いよいよもう換え時かなぁ。

 ということで、破れた網戸もあるので、その他色々買いにホームセンター行く。

 今の樋は簡単な塩ビのジョイントでね、素人でも簡単につないで行くことができる。ホームセンターに行けば色んなものが売られている。けれど、まぁ出来るだけあるものを使って工夫するというのが面白いわけだ。

 しかし、まぁここは宝の山だな。一時間ぐらいは簡単に時間をつぶせる。あぁあれも欲しい、これもあったらなぁと、切りがない。かみさんが、デパートの地下に行くとなかなか帰ってこないのと似ているかな・・。

 というわけで、夏に向かって、いろいろ修理をやらなくてはならない。

更新時間 : 23:27:51

5月17日 (木)

はる 2151
 中学生や高校生の頃、担任の先生から「服装の乱れは、心の乱れ」などとよく言われた。まぁご多分に漏れずけっこう反発を感じたものだ。「人を外見だけで判断するのか?」なんてね。いっちょまえに抵抗したもんだ。

 けれど、まぁ今頃になってそんなことの意味が分かったりする。中学生に分かる分けないよなぁ・・。

 人は外見で判断される。なぜならその外見をチョイスしたのは紛れも無い自分だからだ。少し前にこんなことをかいた「人が今まで生きてきたということは一瞬ごとに何らかの選択をしてたということだ。その無数の『何に」によって今の私は作られている」

 自分というのは取りも直さず、その無数の選択の集合体ということなんだな。目に見えない心は、あらゆる時のあらゆる場所で出ている。

 趣味的な嗜好など、その本人が一番表現されていることに当時の自分が分かろうはずもないのだけれど。

 で、ブログやHPのトップページのデザインというのか、印象がとても大事だというようなことが書かれていた。というのはそのページのデザインがブログ全体の性格やクォリティーが端的に現れているからだというのだ。

 ガシャガシャとまとまらない顔つきのトップのページは中身もガシャガシャとまとまらない傾向がある。

 「服装の乱れは、こころの乱れ」であるわけだ。

更新時間 : 21:14:51

5月16日 (水)

はる 2150
 覚書

90 F100「若い音楽家」 初出品

91 F130「平均律」

92 F130「方舟」?

93 F130「牧歌」 新人賞

94 F130「人懐い月冷し」

95 S100「ガード下のホームレス」?

96 S100「祈りのかたち96」 奨励賞

97 S100「聖なる丘」

98 S100「こたえてください98」

99 S100「みちをきく」

00 S100「いのりのかたち00」 準会員推挙

01 F130「かぜをきく」

02 F130[まれびと」

03 F130「麒麟」

04 F130[こたえてください04」

05 F130「おおいなるもの05」

06 F130「かぜのおとづれ」

07 F130「おおいなるもの07」 会員推挙



更新時間 : 23:35:39

5月15日 (火)

はる 2149
 本日休業日

更新時間 : 20:54:29

5月14日 (月)

はる 2148
 若い頃は公募展やコンクールで一発当てて名前を売ってやろうという野心がそれなりにあった。名もなく、貧しく、美しくないけれど、若いということはそういったことなんだな。

 みんな一直線上にいて、混沌とした中で、ウズウズしながら虎視眈々と狙っている。無欲とは対極の中にいる。十束一からけでいるわけだから、そこを抜け出すには、何とかチャンスをものにするしか方法がなかった。各種のコンクールは武者修行にはおあつらえ向きに思えた。

 最高の安井賞は50歳未満という年齢制限つきであった。ところがこのコンクールは招待制で公募されていない。各団体展の会員になって推薦してもらうか、誰か評論家に推薦してもらうしかないんだな。ほとんど諦めていた。

 チャンスは一度だけあった。1991年だから16年ほど前のことだ。1997年にこのコンクールが終わってしまうので、本当に降ってわいたような最後のチャンスだった。

 結果は落選してしまった。

 幸運の女神は前髪しかない、気付いた時には残り香もない。私にはもうチャンスは無いと、ひどく落ち込んだものだ。

 今考える実力もなかったんだけれど、あそこで認められない方がよかったのかなとおもっていっる。

 もうコンクールは卒業してしまった。それ程若くは無いし、何よりも他と競い合って勝ちたいというモチベーションがなくなった。入選して喜ぶよりも落選して傷つく方をおそれる。

 どんな世界でもコンクールはある。有象無象の多くの輩から傑出した人物なり作品を選び出す方法として、今考えられる一番有効な手段だからだ。

 コンクールは多くの優れたスターを作り出す。けれども全てのスターが輝き続けるものではない。過酷なもので、真の実力はそこから10年後に問われる。

更新時間 : 22:54:56

5月13日 (日)

はる 2147
 隣の大きな敷地の家が整地されて7,8区画の分譲地になって売りに出されたことは前にも書いた。

 私の住んでいる町は古い町内会があって、第○組という言い方をする。回覧版がまわってきたり、有価物の収集や運動会や文化祭なんかも、この組の単位で集まって開催する大きな行事の一つである。

 この地方に住んで初めてこういった組という組織が未だに生きていることに驚いた。あと同じ仲間うちの会という意味の『無尽」というのも結構盛んだ。まぁそれはそれでいいんだけれどね。

 困ったことは、私の組でもそうなんだけれど、高齢化という日本社会の縮図がここにもはっきり現れていて、若い人がほとんどいない。もっと端的にいえば、年寄りばかりで子供が全くいないという寂しい異常な状態が続いている。

 町内会の子供倶楽部や運動会やお祭りは子供の姿が見えないで、大人や年寄りばかりが目立つといった、これまた凄く寂しい光景なんだな。

 ところが隣の分譲地に家が建ち、新しい住人が引越してき始めてくると、なんとこれが同じような年頃のガキがわんさかと湧いてきた。

 我々のガキの頃を考えてみると、これまた団塊の世代で隣近所は汚いガキばかりがとぐろをまいて日々ワァーワァー駆け巡っていたわけでね、ガキが集まってボール遊びなどに興じている姿を見ていると、何だか懐かしい気分になる。

 しかし、静に死んだような町が活気づいてくるのは嬉しいことなんだけれど、いや、ガキはガキでまた五月蝿いもんだなぁ・・。エッ、おいあっちであそべ!!くそガキ。

更新時間 : 18:40:59

5月12日 (土)

はる 2146
 さて、今日は午前中は教室で生徒とおしゃべり。私の適当な話に生徒は感心して聞いている。習い事というのはおかしな物だ。

 午後からは展覧会を三つほどまわる。疲れた。

更新時間 : 21:40:43

5月11日 (金)

はる 2145
 会員になって一番いいことは、これで他と競い合わなくてもいいということかな。

 公募展というのはコンクール展とやや似ているところがある。あれだけの人数が、それも全国各地からその道の腕自慢が、この日のためだけに集中して作品作って見せ合うのだ。お金も時間も手間も暇もかかる。その労力たるやまったく開いた口がひん曲がるほどだ。

 まぁだから展覧会場はリオのカーニバルなみの花車や装飾された山車のオンパレードだ。これはお祭りだからね。出品した者が楽しむもので観て楽しいものじゃないね。

更新時間 : 22:39:20

5月10日 (木)

はる 2144
 ちょっと考えたことを書いてみる。まとまらないかもしれないのであしからず。

 例えば旅に出て「あぁきれいな風景だ。これを何とか記憶にとどめておきたい」ということから風景画みたいなものが始まったのでしょうね。最近は写メールなどという便利なものがあるので、私なんかもどんどんブログに送っている。このことはまたいずれ書きたいね。今日はテーマが違う。

 スケッチ旅行をしたことがある人は分かると思うのですが、これだと思う場所を見つけるのに半日近くかかる場合も多い。まだこれならいい方で、あっちこっち歩いたけれど、結局どこも触手が動かなかった、といったこともある。

 風景だけではなくて、静物画なんかでも最初は与えられたものをただ写すことだけに一生懸命になるのだけれど、まぁ言って見ればこれは花なら花の造形の原理みたいなものを観察して、自分のものにしようとしているわけだ。ここから始まる。

 風景にしろ花にしろ、「自然」を部分的に切り取ったもので、文字通り作為の無い『自然」ということになる。

 次にそういったことを踏まえて、人工的に自然を作ってそれを描くというようなことを始める。大きな作品なんかの場合、アトリエ制作になると、ちょっくらかついで描きに行くなどということが出来にくくなるからね。

 モチーフを組む場合、これはあくまで自然の模型であるわけで、天があって地がある。その中に山があったり川があったり風が吹いて木々がざわめくそんな感じで組み立ててゆく。

 ここまではまだ自然を追っかけている。

 で、ここでステージが一つ上がる。例えば絵になる風景を追っかけていた時、「ここが絵になる」と思ったのは自分の心の何に呼応したのか?ということだな。そこのところにその人の人となりが現れるわけだ。何を考えて、何をして生きてきたか、そんなことが問われる。

 ここからはその「何に」というのが大事になってくる。人が今まで生きてきたということは一瞬ごとに何らかの選択をしてたということだな。その無数の『何に」によって今の私は作られている。だから、その『何に」を探すことが、そこからの大事なモチベーションになる。

 難しいことだけれど、今までは外に『絵になる場」を求めていた、ここからは自分の内にその『場」を求めることになる。恥ずかしいことだけれど、裸になって自分を見つめなければ人を納得させる表現まで行き着かない。

 ここからは現在進行形で、いまだ分からないのだけれど書いてみる。

 これをこう思ってこう表現した。というのじゃお子様だ。絵解きや挿絵じゃあるまいしね。いまはまだそんな所にいる。

 こうやって文章を紡ぐように、いまだハッキリしない事柄を何らかの手がかりで明確にしてゆく。そんな行為と私が絵を描く行為とは似ている。

 今何を考えているのか、絵の中に現れてくるもので推しはかる。「あぁ私はそんなことを考えていたのか」と反対に絵を描くことによって知るといった感じかな。

 今までは心のなかを表現するのが絵を描くことだと思っていた。けれど今は少し違うな、表現するなどおこがましい。表現しなければならないよう高尚なものなど何もない。

 私そのものがそっくりそのままでてくるのを待っている。そんな感じかな。

 よく分かりませんね。んじゃ。

更新時間 : 19:06:03

5月9日 (水)

はる 2143
 展覧会というのは一体誰のためのものなんだろう?と、ふと疑問に思った。

 例えば個展なんかの場合、長年かきためてやっとの思いで個展にこぎつけたとする。友人や知り合いに是非ご覧になってください、などと片っ端からDMを送る。もらった方はまぁ義理もあるから顔だけでも出さんと悪いかな、と考えてお土産を持って、やぁやぁおめでとうと出かけることになる。

 これなんかは明らかに作家のためにある展覧会で、観覧者は招待客でしかない。楽しいのは個展をやっているご本人でお客さんの方はそれほどでもない。

 しかし、こんな展覧会は最初だけでそう何回もやるものでないし、また続けられない。本来の展覧会というのはそうであってはいけないのではないかな。

 例えば自分が聴きたいコンサートというのはちゃんとお金を払ってでも聴きに行きたいわけで、本来展覧会もそうあるべきなんだな。

 そう考えると、是が非でも観たいと思われるような、観ることで何かしら幸せな気分になるとか、何かしらの示唆に富んでいるとか、楽しい気分にひたれるとか、受け手がきてよかったと思えるような、そんな展覧会でなければやる意味が無いということになる。

 見た目はほとんど変わらないんだけれど、決定的に異なる。プロとアマチュアの違いといえばそれまでなんだけれど、これはけっこう本質的な違いではなかろうか。

更新時間 : 22:52:57

5月8日 (火)

はる 2142
 風邪のひき始めは難しい。案外寝込んでしまうと、気持に負けて本格的な風邪の症状でいかれてしまう場合が多い。かといって無理するとこじらせてしまうことになる。

 私はこのところひいたかなと思ったら、カコナールにプロポリスを数滴たらしてうがいをしながら飲むことにしている。本当に初期の段階ではこれでとまる事が多い。それで駄目だったら、数日寝込むことになるな。

 今回は寸前のところでとまったようだな。まだ予断は許さないけれど。

 閑話休題

 このサイトは私のオフィシャルサイトであり、また作家本人が本名で立ち上げ運営しているプライベートなサイトでもある。ただオフィシャルといいながら、なんら公に営業はしていないからオフィシャルとはいいがたいかもしれないね。

 色んなサイトやブログがあるけれど、こうやって本名を晒しているサイトは少ないのじゃないかとおもう。匿名性がこういったサイトの大きな特徴であり、これだけブログがヒットした理由でもあるだろう。

 まぁ私も作家として名乗りを上げていなければ本名をさらしたかどうかわかりませんがね。こうやってある種、恥を晒して生き様を見せているのは作家としての気構えのような気もしている。これが本名でなければ何を言っても私という個人は隠されているわけだから、痛むことはないし、傷つくことも無い・・・・。

 しかし、実は作家というのは虚構のなかに生きている訳だから、まぁ考え方によればこれら全て嘘だったというのでもいい気がしているのだけれどね。へへへへ・・。

更新時間 : 23:04:53

5月7日 (月)

はる 2141
 何だか風邪をひいたみたいだな。体がだるい、せきも出るし・・。今年は風邪もひかずこのままゆくのかと思っていたんだけどなぁ。ここにきて気が抜けたか。

 明日はパートタイムジョブだけれど、この間から展覧会の関係で休んでしまったから、是が非でも行かねばならない。

更新時間 : 21:06:02

5月6日 (日)

はる 2140
 客人が来てまして、遅くなってしまいました。今日はこれだけ。又明日。

更新時間 : 00:38:00

5月5日 (土)

はる 2139
 本日休業日

更新時間 : 21:34:27

5月4日 (金)

はる 2138
 蕎麦を食いに山の中に行った。随分と前に個展に来てくれたひとが、山の中で蕎麦やをやっているということで、電話をかけて出かけた。

 まぁ、凄い所で、こんなところでお店をやっても誰も来ないような辺ぴな所だった。人の生き方はいろいろですな。

更新時間 : 22:21:02

5月3日 (木)

はる 2137
 一日飛びましたね。昨日は六本木で祝賀会や二次会やなにやらでホテルに帰ったのも午前様でした。私は飲めないのでいつもウーロン茶で最後まで付き合うのですよ。いいおっさんが妙なものです。しかし、まぁ飲めないというのが、普通になってしまうと違和感もなく一緒に酔っているみたいな感じかな。

 会員になるとかならないとか、その団体だけの話で他からみるとほとんど変わり映えしないように見えるけれどね、内部の者にとってはけっこう大きなウエイトを占めているんだな。で、まぁやっと一人前というのか、独り立ちできたかなと思う。

 画家というのは自称みたいなもので、自分は今日から画家だ、といえば画家になれる。そこが自由業の不思議なところだ。一枚の絵も売れなくても、自称「画家」ならそれですむ。

 画家は本来無所属なものだ。だからまぁ強い意志があって、そうやって一人でやって行けるならそういったやり方があってもいいと思うし、反対するものではない。

 けれど、長いスタンスで画壇を眺めてみると、無所属の作家はいい時にはいいけれど、消えてしまうのもはやいな。時代の流れで一躍スターになってちやほやされるんだけれど、出てきたと同じように消えてゆくのもはやい。

 で、いい悪いはわからないけれど、こういった団体というのは作家をゆっくり育てて行くという機能ももっていて、あまり早くとんとん拍子に認められるということもないけれど、またすぐに忘れ去られてしまうということもない。10年20年というスタンスで見られているという気がするんだな。

 どうやっても若いときは血の気が多いというのか、すぐにでも認められたというきになりがちなんだけれど、芸事というのは表面に現れたものだけで勝負できるのは一時でね、後は経験をつんでいかないと見えてこないことが多い。結局「生き方」が問われているわけで、どうやっても時間のかかることなんだな。

 けれどまぁ、心情的には自由人でいるべきだ。

更新時間 : 23:17:09

5月1日 (火)

はる 2136
 五月になりました。

 今日はお江戸にお泊りです。明日は国展の授賞式。私は別に受賞したわけではないけれど、一応お仲間に入れてもらえるらしい。こういった晴れの舞台はこれが最後かな。楽しんできましょ!

 ちょっと数が多くて疲れますけれど、観に来てください。そうそう、ドローイングの方も観て下さいね。

更新時間 : 21:33:18