2007 2月
2月28日 (水)

はる 2077
 今日も夜だけ仕事。明日は卒業式とかで今日は予行演習らしい。そのために私の稼ぎはカットされた。

 疲れたのでぼやきっぽくなるので、またあした。そうそう明日はお江戸に野暮用で出ます。面倒くせぇー!

更新時間 : 22:02:10

2月27日 (火)

はる 2076
 今日は夜だけ出稼ぎ仕事。ここもそろそろ辞めたい病。

 といいながらもう25年やっている。定時制のお兄ちゃんやお姉ちゃんは、慣れてくると結構かわいい。俺も年かな。

更新時間 : 21:14:51

2月26日 (月)

はる 2075
 今日はドローイングをやった。幅90cmx長さ300cmというやたらながっぽそい旗指物みたいなもので、アトリエでは描けないので外に出て即興描画のようで、墨や水性絵の具でどんどん描いて行く、初めてだったけれど結構面白かったな。

 体裁はどうでもよくて、パネルでも巻物にしてもいいと聞いていたので、ホームセンターにいってロールの障子紙(90x720cm)を買って来て半分に切って使うことにした。

 まだ仕上がってないけれど、まぁこれですむなら楽だな。乾かすのも天日に干して、ぐるぐる巻いて搬入すればいいのだから。これじゃ10メーターでも描ける。

 昔、棟方志功が版画の下絵を板を広げておいて、大きな筆と墨でドンドン描いて行く映画があったけれど、あれを思い出した。世界の棟方と比べるのはおこがましいけれどね。

 今回これを新美術館の壁に横にならべて展示するらしい。もちろんいつもの本画のほかにということだけれどね。

更新時間 : 00:09:13

2月25日 (日)

はる 2074
 大作が上手くゆかない。そこそこのものならいつでも描ける。今からでもかける。でもそこそこじゃ意味ないのだ。これだ!とその時だけでも納得できる作品にしなければ出品する意味がない。

 どうしてもあせってくると、これでいいやと思ってしまう。適当なところで良しにしてしまう。だからだめなんだと思っている。今回はとことん突きつめてやろうと決めた。

更新時間 : 22:46:46

2月24日 (土)

はる 2073
  探していた長谷川きよしのLPが一昨年CDになって復刻されていた。絵のようなサインももらって幸せ。

何故か、ラテン系の唄が昔から好きなんだな。最初にバイトしたのがラテン音楽喫茶で、「ベサメムーチョ」は原語で少しなら唄える。だからと言う訳ではないだろうけれど、長谷川きよしはいいな。

 昔このアルバムを持っていたのだけれど、誰かに貸して行方不明になってしまった。ずっと探していたんだけれど、中古レコード屋さんにもなかった。それが今日手に入ったので嬉しいね。



更新時間 : 23:38:24

2月23日 (金)

はる 2072
 本日休業日

更新時間 : 22:20:40

2月22日 (木)

はる 2071
 多分人の心の奥深くには「おおいなるものの意志」が隠されているのだろう。なぜなら宇宙が始まって何万年経つのかしらないけれど、今私がここにいることは単に偶然ではなく、その時から決まっていたことなのだ。

 このところ考えていることを言葉にしたらこんな風になった。まだ少し違和感があるな、しっくり言い切ったという感じにはならない。まぁだらだらと書いて行くことにする。まとまらないけど付き合って下さいな・・。

 というのは「美」ということを考えていた。まずもって人は例えば美しい風景とかきれいな花を見て「きれいだなぁ・・」と感動する。でそれをカメラなり絵なり言葉でもって何とかあらわそうとするわな。

 一元的には「美」は自分より外側にあって、まぁそれを美しく表現するのが、表現者の仕事だと考えられている。その場合できるだけ忠実にそれらを写し取ったものが「よい」ということになっている。

 しかしだなぁ、実際の問題はそんなところにはなくてね、何を「うつくしい」と感じたのか、そこのところを問い掛けることが、一番大事なところなんだな。

 実は「美」というのは千差万別、人によって違うのだけれど、その「何に」の部分にその人の人生観やどう生きてきたか、何を是として何を非としてきたか、経験してきたことや、夢や希望、その他諸々が隠されている。

 突きつめていうなら、「美」は自分の中にあって、それを解き明かすというのか、捜し求めるというのが我々の仕事であって、単にきれいな風景やお花を描くことではない。

 で、ここでいう「美」というのは「うつくしい」ということではなくて、「真理」とか「ことわり」といった類のもののようなきがするのだな。

 例えば、我々がアフリカの土俗の祝祭の仮面や衣装、ダンスや音楽に心揺さぶられるのは、それは単に「うつくしい」からではない。もっといえば彼らには文明人のいう「美」という意識さえない。

 言葉でいうならダイレクトに「おおいなるものの意志」ということにならないかな。

 んじゃ、それを捕らえるための方法を考えよう。続きはまた。

 

更新時間 : 19:03:25

2月21日 (水)

はる 2070
 「意識する」ということはとても大切なことだ。またそれを「ことば」にするということは、それ以上に大切なことのように思う。いくら意識されていたとしても、それを言葉なりイメージによって表現されないことには人に伝わることはない。

 無意識の世界に遊んでいる場合、それはまだ表現とは言わない。はっきりと意識されて言葉なりイメージとして人に伝えることを意識することで表現となる。

 まだ何物でもない混沌としたイメージの中から、具体的な形が浮かんでくるのと、それにぴったりのことばが降りてくる様子は似ている。表現とはそうやってはっきりと意識されたもののように思う。

 矛盾することかもしれないけれど、一度経験したことは忘れてしまった方がいい。辛いことや、悲しいこと、泣きたいことや、恥ずかしいこと、嬉しいことや、喜んだこと、そういった諸々のことはみんな忘れてしまうのだ。なかった事なんだ。

 忘れてしまって、呆けて、ボケて、何が何だか分からなくなって、ポッと浮かんできた「ことば」や「イメージ」が本物だ。それをすくい上げるのが我々の仕事なのだ。

更新時間 : 20:02:32

2月20日 (火)

はる 2069
 「マニアックな絵はコレクターがつきやすい」と言われる。まぁ元来コレクターはマニアックなものだけれどね。例えばうんと細かいとか、シュールとか、気持悪いとか、怪しいとか・・。

 そう言われて自分の作品を顧みると、そういった怪しい系の魅力は露ほどもない。私を含めて誰でも少しはそういったものを見てみたいという気持はあるのだけれど、ほどほどでそれをコレクションしたいと思うほどではない。

 ある意味私の絵はそこらあたりの人をターゲットにしていない。極一般のありふれた生活人が、心のどこかに持っているちょっとした(言葉)とか(憧れ)だとか、また(不安)とか(心配事)も含めて、ぽやぽやとした暖かい感じを表現できればいいかなと思っている。

 信仰とか祈りと言ってしまえば、ちょっと大げさかなと思うのだけれど、誰でもが持っている素朴な「いのりのかたち」みたいなものが私のテーマだ。

 だから、大衆性というのか、通俗性はいい意味で大事だな。高尚であることはとても大事なことだけれど、お高くとまっているよくないのだな。まぁそこのところが微妙で難しい所だけれど、あくまでも品格の問題だろう。

 続きはまた。

更新時間 : 22:41:54

2月19日 (月)

はる 2068
 少しサボっていたので、調子が取り戻せないでいる。新しい作品に連日ウンウンうなっている。一日、壁の様な絵に向かってはいるけれど、ほとんど仕事ははかどらず、一日が終わって徒労感にさいなまれる。

 後ニヶ月あるけれど、後になってくると焦って、ろくなものにならないだろう。もう何年もこういった団体展には出品しているのだけれど、これだと思った作品を出したことは数えるくらいしかない。

 まぁこれだ!と思ったものでも大した評価は得られないことは多いのだけれどね。人の評価はわからない。

 しかし、どうしてもさらりとした、上手く見えるような形に騙される。描いているうちに出てくる、面白そうな色や形に惑わされる。まぁよっぽど強い意思を持っていないと、多くの人はそちらに引きづられてしまうと思う。

 けれど、後になってよくよく見直すと、そういった上手そうな絵というのはすぐにあきてくるのだな。ある程度訓練すれば誰にでも描ける絵とでもいうのかな、もう何年もやっていてもそうやって引きづられるのだから、気をつけないといけない。

 少し違うけれど、例えば(欲とか見栄、色)などとにているかもしれない。まぁそういったものも全てが良くないとはおもわないけれど、結局は絵もこころの現れだから、無欲ということはありえないわけだからね。

 けれど、またそういったことに振り回されると、本質を見失うということにもなるわけで、なんだか禅問答のようだな。うん・・難しい。

 んじゃまた。明日は出稼ぎだ。
 

更新時間 : 21:46:14

2月18日 (日)

はる 2067
 今日は久しぶりにチェロのレッスンだった。朝からそのために特訓。そういった練習では何も身に着かないことは承知なんだけれどね。まぁ言い訳はしないことにしよう。

 しかし、一ヶ月に一度ではどうにもならんな。

更新時間 : 22:43:39

2月17日 (土)

はる 2066
 久しぶりに雨だった。

 夜はグループの新年会。このところ毎日なにかあるなぁ・・。雑用といえば怒られるか。

更新時間 : 22:49:12

2月16日 (金)

はる 2065
 夜は地元の美術団体の70周年記念画集の編集会議。こうやってそこそこの年齢になると色んな仕事がまわって来る。この団体もご多分にもれず高齢化がすすんでいて、段々老人倶楽部のようになってきた。

 だいたいもう団体展なんかに若い人は出品してこなくてね。そうなぜなら色んな所で個展や発表の機会があるから、わざわざ窮屈な団体なんかに出品してこないんだな。まぁそれもそこそこわかるけれどね。

 私が始めてこの団体に出品したのは学生の時で、初出品で最高の賞をもらった。今みたいに電話もなかったし、新聞もとってなかったから、学校の図書館で新聞を見て始めて知った。驚いて階段を踏み外しそうになった。喜んで見に行ったら月曜日で休館日でずっこけた。

 ちょうど教育実習に行っていた時期で、教わっていた教官が同じように一般で出品していて、何だか最後までばつが悪かった。

 そんなことで、いまの自分が始まったきっかけでもある訳だ。いいのか悪いのかわからんけれどね。

更新時間 : 22:54:34

2月15日 (木)

はる 2064
 今日は久しぶりに季節風が吹いて寒いな。まぁこれが本来の姿だと思うがね。

 今日は午前中は定期検診に行ってきた。もうほとんど何も変わりはないのだけれど、一応血液検査や腫瘍マーカーなるものをやる。普段はほとんど意識することもなくなった。そんなこともあったかな・・てな感じ。

 悪性リンパ腫というのはなかなか発見されにくい。症状が初期の段階ではわかりにくくて見過ごされる。で、わりと症状がすすんでしまってから治療するので難しくなるらしい。

 まぁあまりポピュラーな病気ではないね。病名がいかめしいから末期の癌と間違うけれど、普通の癌がリンパ節にまでひろがったのとは全く異なるのよ。

 どちらかといえば、私の場合胃に限定されたリンパ節の癌というわけで、幸か不幸か、胃に潰瘍があったから念のため生険をとってセンターに送ったために極々初期の段階で発見されたまれなケースだったらしい。

 で、胃の周りのリンパ節と胃そのものをそっくり摘出するという大胆な治療だった。まぁ今考えるとそういった徹底的な治療のおかげで転移もなく、今あるのかなと思う。感謝。

 でもまぁ、そういえばといった症状はあったな。突然わけもなく高熱が出るとか、寝汗がすごいとか、典型的な症状らしいけれど、んなものは普段余り気にしていないな。

 病気の事はほとんど書いてない。知らない人も多いかな。んじゃまた。

 

更新時間 : 23:21:00

2月14日 (水)

はる 2063
 今日もパートタイムジョブでした。お疲れさん。

更新時間 : 22:50:34

2月13日 (火)

はる 2062
 今日は出稼ぎ。お疲れさん。

更新時間 : 22:18:26

2月12日 (月)

はる 2061
 個展の片付けにバタバタしている。それ以外に色々と雑用が重なって未だに新しい作品にかかれないでいる。少しはゆっくり休めばと思うのだけれど、貧乏性で次々と仕事を追いかけてしまうのだ。

 しかし、確実に体力が失われていて、額縁を外したりそれをまとめてダンボールにつめたり、また箱に詰めて倉庫までもっていったりするたびに、ヘロヘロする。今からこんなのじゃ先が思いやられる。後何年こんなことができるのだろうか?

 今回大阪で初めて個展をして、懐かしい風に吹かれたような気がした。昔、そうもう30年も前になるのだけれど、私は大阪に住んでいた。曽根崎新地あたりは私がアルバイトで毎日通った場所だった。

 堂島から大阪フェスティバルホールまで歩いて肥後橋あたりにあった絵画研究所の門を始めてくぐった。ヌードクロッキーもそこで初めてやったのだ。そうそう北浜の証券屋さんでもアルバイトしたことがあったな。何だか忘れていたけれど、全てが懐かしい。

 大阪のあの混沌とした雑踏が嫌いだった。よくわからなかったけれど、そこから抜け出すことばかり考えていたような気がする。

 京阪沿線の大阪と京都の中間に鬱蒼とした森が駅前まで迫っている石清水八幡宮がある。後で知ったことだけれど、歴史的に大変重要な神社だった。町中に太鼓橋がかかっていたり、由緒正しそうな街並みが残っていて、一度途中下車した時にいっぺんに気に入って、何とか探して農家の離れを借りて移り住んだ。

 そこに3年くらいいたかな。そこから京都で仕事を探した。色々あたったけれど、そうそう京大の生協の本屋さんの面接を受けたことがあったな。後なんだろう、近場の小学校の給食の手伝いなんかも行ったおぼえがある。

 結局焼き物の絵付けの仕事を二年ばかりやった。乾山写しとか仁清写しみたいなものだ。結構面白かったけれど、親父が亡くならなければそのままそこにいたかもしれん。体も壊した。胃潰瘍から胃痙攣そんなことを繰り返していた。

 それでまぁ、ここにやって来たんだけれど、私の絵のタイトルではないけれど、やっと「ここまできた」という気がする。

 続きはまた。

更新時間 : 22:03:17

2月11日 (日)

はる 2060
 HPを管理する者にとってメールはなくてはならない機能です。ところが、それをいいことにつまらないスパムメールが連日連夜、ことわりもなく押し寄せてくるという結果になってしまった。

 ということで、色々対策を考えたのですが、スパムはドンドンアドレスを変えて送られてきます。それ故、決定的な対策ができないでいました。

 基本的にはどんなフィルターも一長一短で完璧な策はありません。メールアドレスを持っている限りいずれは見つけられる運命にあるのです。

 で、発想の転換です。簡単なことですが、登録されたアドレス以外削除するという方法です。

 これだと、見知らぬ相手からのメールも全て削除されてしまうので、最初に無料のフォームメールサービスなどを使ってメルアドを登録してもらう必要がありますが、ほぼ完璧にスパムメールを見ないですみます。

 やり方はとても簡単です。

 まず、アウトルックなどのメールのフォームを出して、ツールからメールのルールをクリック

 1(送信者にユーザーが含まれている場合)をチェック
 
 2次に(削除orサーバーから削除)をチェック
 
 3(の送信者のメルアドを登録)
 下線をクリックしてオプション1で(メッセージが次ぎの単語を含まない場合)をチェック

 で終了です。お試しあれ。

更新時間 : 21:48:26

2月10日 (土)

はる 2059
 本日休業日

更新時間 : 00:01:24

2月9日 (金)

はる 2058
 ・・・・・・つづき・・
 通常、デパートの企画はデパートの美術部が主宰する場合(有名な物故作家とか入場料を取って見せる企画)と、外部の企画屋さんが主催する場合と二通りある。デパートの美術部といったところでほとんどが素人であるから、ほとんどの場合外部の企画屋さんがはいることが多い。

 外部の企画屋さんにとって、これは明らかに商売であるからどんなにいい企画であってもビジネスとして成立しなければ、その企画は没となる。または失敗したということになるのだろう。

 何回もそういった売れない企画を繰りかえすといずれその業者は出入り禁止となって、仕事がもらえないということになる。

 今回のデパートの個展は仕掛人Hさんがいなければありえない企画だった。デパートでやるのか、個人の画廊なのかは後の話で、はるばる大阪からここまでやってきて「売れる売れないはこちらの話、兎に角やってみませんか?」と言われれば意気に感じるでしょう。まぁ騙されても命までは取られんだろう。それで始まったことだ。

 まぁ、私自身デパート展に対していい感触は持っていなかった。結局商品だろう?売れなきゃ話にならない訳だろう?といった感覚かな。

 けれど、それはまぁそうなんだけれど、売れるということが「その作品を認めた」というふうに考えるならば、出来るだけ多くの人に共感して認めてもらいたい訳で、それによって私も力づけられる訳だ。

・・・・・・・・・・・・・・
 このHさんの企画はどれも魅力的だ。普通のデパートの企画とは一味違うセンスに満ちている。例えば椅子。「椅子はアートだ」というコンセプトでもう何年も前にデパートで企画展をやってる。家族団らんのリビングでそれぞれが違う椅子であってもいいじゃないか・・と面白く話してくれた。

 絵画だけではなく、照明とか工芸や彫刻など生活全般にアートをというコンセプトで企画している。こうやって話しているだけで楽しくなってこないか!

 そう、例えば日本の茶事というのはこういった総合芸術だった。掛け軸やお花、器、お茶はもちろんお菓子や懐石料理、会話、それにその空間やお庭など全てが高度に演出された場であった。

 そういった伝統があるにもかかわらず、戦後アメリカ文化がめったやたらに入ってきたために、ずたずたに切られてしまった。

 作品を芸術として個人的に楽しむということも大切なことだけれど、生活の中で使って楽しむというのか、そういった「遊びの感覚」も大事じゃないかと思うんだな。

 そういう意味ではデパートの画廊という環境を逆に利用して総合的に「生活の中のアート」というコンセプトで企画してゆく方向は面白いし、間違っていないきがするし、多分これからの「生活の中のアート」の主流になるのじゃないかなと思う。

 まぁ、そういったなかで、私の作品が何らかのかたちでお役に立てるならそれもいいかなと思う。
 
 さて、どうなって行くのかはだれも予測はつかない。今回の選択は間違っていたかもしれない。けれど、それは後日判断すればいいだろう。間違いを訂正するのにやぶさかではないつもりだ。


更新時間 : 23:29:18

2月8日 (木)

はる 2057
(覚書)
 絵を描いている人間にもタイプがあるように思う。大学の先生やカルチャーの先生を含めて教えることで食べているタイプ。まぁ売ることより肩書きを大切にするので、「**大学教授」とか「**会会員」の肩書きが欲しい。

 もう一つは「個展派」とでもいうのかな、貸し画廊、企画画廊を含めて、兎に角実質的に売る、売れることが大切でね。花より実を採るというのか、たたき上げというのか、まぁ実際の画家のスタイルはここにあると思うのだけれど。

 個展派でも画廊派とデパート派があるように思う。日本では画廊派が正統で、できれば何処かの奇特な画廊のオーナーに見出されて売り出してゆくというのが、大方の画家のサクセスストーリーのように思う。

 それに比べてデパート派は明らかに商品を意識しているわけで、そこのところが見え隠れするとげんなりするところでもある。

 デパートの画廊というのは、個人の画廊とはかなり違う。どちらかといえば欧米の画廊に近いかもしれない。どんないい企画でもビジネスとして成立しなければ意味が無い訳で、そこのところがシビアだ。

 で、日本のデパートの画廊の企画がつまらないのは企画しているスタッフが悪い訳ではない。絵を購入するお客がその程度の目しか持ち合わせていないということだろうな。そこだ不幸なところだ。

 日本の画廊は貸し画廊が大半で企画画廊は数えるほどしかない。なぜなら画廊で絵を買う顧客が物凄く少ないからだ。銀座の多くの画廊は顧客のための企画画廊ではなく、画家のための貸し画廊で、画家がお客さまなんだな。だからなかなか画家が絵描きとして一本立ちできない。

・・・・・・・・・・・

 88年に銀座で個展を始めてから、これまで40回以上の個展を開催している。最初は貸し画廊でほそぼそと、ほとんどDMを出すところもなかった。

 その頃から考えていたことは、同じ世代の画商さんと二人三脚でなんとなくやってゆけないものか、ということだ。

 例えば有元と弥生画廊のような関係、船越と西村画廊ようなか関係、香月泰男とフォルム画廊の関係が、ほしかった。まぁ私の作品にそれだけの力が無かったといえばそうなんだけれどね。

 個人の画廊と作家の関係ていうのは一方的ではありえないわけでね。どこかで信頼関係があって成立するものだと思う。それもやっぱり基本的には「作品」が好きだということじゃないかな。

 それからもう一つは日本の場合、兎に角地盤看板、談合、根回しの世界だからね。なかなか作品オンリーで評価してくれない。どうやっても肩書きを大事にする。そこらあたりで選別されてしまうから、なかなか名前が挙がってこないといううらみがある。

 そういった諸々も含めて実力だと言っちまえばそうなんだけれどね。確かに出る奴は放っておいても出てくるだろう。まぁそれが正論かもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・つづく






更新時間 : 09:40:23

2月7日 (水)

はる 2056
 帰ってきました。

 静岡からローカルな身延線の乗ってとことこ帰ってくるのだけれど、あの梅田の混沌とした雑踏の中から、一転してこんな荒涼とした冬枯れた景色を眺めていると、そこはかとなく寂しさがこみ上げてくる。

 とりあえず、大騒ぎの三ヶ月が終わった。なんだかこのところの騒ぎは異常で、イベント屋さんになったようだ。まぁ楽しかったけれどね・・。

更新時間 : 21:09:27

2月6日 (火)

はる 2055
 個展楽日
 いよいよ終わってしまった。なんだか少し寂しいねぇ。今回の個展はいろいろな意味で今までの個展とは違った。なぜデパートで個展を始めるようになったか?ということはもう少し後で書こうと思う。今は充実した疲労感が支配している。

 自分の個展に多くのスタッフが動いてくれたことに感謝。こんな個展は初めてだ。プレッシャーもあったけれど、すごく楽しい一週間だった。

 観た人の多くが「いままでにこんな絵は見たことが無い」という感想話してくれた。そういう意味では話半分としても、とても手ごたえを感じた。

 ひょっとすると多くの人は今までのような「綺麗、細かい、分りやすい」絵にあきあきしてたのではないか、もっと違う何かを求めて画廊をのぞきに来たとさえ感じたな。

 たとえばの話。まぁデパートは商売だからとにかく売れる作家、作品を企画する。だから「花鳥風月」くずれのような毒にもならないような絵をあてがっていればいい、というふうに安易に考えてこなかったかな。

 画商のHさんは「九割の人に満足する作品ではなく、一割の人に心から支持してもらえる企画をして行きたい」と言っていたけれど、まぁここらあたりはどこでも同じことじゃないか。

 デパートの上層部を含め、スタッフの方の観覧も多かった。そういった意味で少しばかりの意識改革の「風穴」をあけたのかもと思う。

 次回二年後にまたお会いすることを約束して解散しました。

 遠いところ来てくれた方、ネットの仲間たちどうも有難う御座いました。


更新時間 : 23:06:40

2月5日 (月)

はる 2054
 個展六日目
 今日はまったく暇だった。デパートの展覧会でもこんなに暇ということがあるんだねぇ。

私自身デパートで個展開催することに懐疑的であった。なぜならデパートの絵は明らかに「商品」であって「アート」である必要はないと思っていたからだ。

 デパートの絵の一般的なイメージは「綺麗で、細かくて、分りやすい」というのが通り相場であるし、今でも多くのデパートではそういった企画ばかりだ。

 最初にこの話があった時に即座に浮かんだのは数年前のデパートの展覧会の企画にのった時のことだ。何段がけにもされた絵が売り子さんたちにバーゲン品のように売られていた。

 ・・・・眠いのでまた明日

 

 


更新時間 : 00:25:59

2月4日 (日)

はる 2053
 個展五日目
 かなり疲れましたね。土日は下のほうはすごい人だった。九階の画廊はすきすきしてましたね。

 

更新時間 : 22:15:48

2月3日 (土)

はる 2052
 個展四日目
 今日は梅田のビジネスホテルから。

 まぁ無事に過ごしています。昨日は同窓会の連中と急きょ集まることになって、午前様になってしまった。

 最近はネットの関係から来てくれる人もちらちら増えてきた。まぁ初めてお会いするのだけれど、ファンとしては結構コアな人たちなのであなどれない。隅々まで知られている気がしてね。お手柔らかに願います。

 今日は土曜日で会場がごった返すかと思いきや、そうでもなかったな。地下のチョコレート売り場は黒山の人だかりだったそうだけど、私の場所は暇だった。肩透かし。明日は押し合いへし合い整理券が必要なくらい混んでください。

 んじゃまた明日。

更新時間 : 22:33:58

2月2日 (金)

はる 2051
 個展三日目
 疲れたのでまた明日。
 

更新時間 : 01:28:05

2月1日 (木)

はる 2050
 個展二日目
 地元から遠路はるばるTご夫婦が来てくれた。ご主人は仕事をリタイヤ、その後好きな絵を描きながら田舎に畑を借りて週末帰農。晴耕雨描の理想的な生活をしている。

 奥さんが関西を見たいということで、ご一緒に旅してまわっているようだ。ありがとうございました。

 デパートというのはひとつの「町」なんだな。いろんな商店や食べ物や、画廊があったりところによっては美術館や映画館があったりする。

 人々は安心してゆっくり買い物や散策を楽しむ。「町」の機能を効率よく集めればこういった形になるのかなぁと思った。まぁ基本的には「お金」がなければ楽しくないのかもしれないけれど。

更新時間 : 23:36:41