2006 3月

3月31日 (金)

はる 1747
 今日は半日絵の具作りで時間を取られてしまった。といってもどうやらアトリエに入ってもすぐ仕事にかかる気にならず、さて足りなくなった絵の具でも作るか、と始めたものだ。

 こういった雑用も仕事の内で、何も絵を描くことだけが仕事ではない。絵描きは絵だけ描いていれば幸せか?といえば私の場合そんなことはなくて、大工仕事や、オブジェを作ってみたり、画集をみたり、ネットでこうやって日記を書いてみたり、こんなことが私の大切な日常で、絵描きである前にただの市井のグータラなおっさんで、またそれを楽しんでいる。

 昔の絵描きの工房というのは、勿論チューブ入りの絵の具などなかった訳だから、その工房の一番下っ端連中が絵の具をこしらえたんだと思う。(そういった様子が映画「青い耳飾の女」で主人公の少女が画家フェルメールの工房で絵の具をつくるシーンがあった。)

 何故絵の具まで自作するのか。何処かに書いた気がするが・・。前に絵の具は三原色に白と黒でほとんどの色を作ることができると言う話をした。実際絵の具やさんに行けば必要がなくても綺麗な色を見つけると思わず買ってしまうということがよくある。にもかかわらず、私は使う絵の具の数を制限している。

 絵の魅力は色に負うことが多い。にもかかわらず色によって惑わされるということもあるきがするな。私が特にそうだというわけではないけれど、たくさんの色味があることが特に素敵だとは思わないな。

 これは自分の性格なのかもしれないけれど、あえて言うなら、物事を一番基本になる事柄まで降りて行って、そうやって自分の意志で選びとって納得したかたちで使いたいというのがある。

 昔からよくこんなことを考えた。「世の中はたった一つの約束事で出来ているとしたら、それは何だろうか?」まぁいまでもよく分からないのだけれど、さしずめ色が三原色と白と黒でできているなら、その事に乗ってやろうじゃないか。そんなところかな。

更新時間 : 23:06:21

3月30日 (木)

はる 1746
 午前中ちょろっと仕事をして、昨日珍しく携帯に伝言が入っていた車の修理工場に出かける。私の携帯番号を知っている人は家族以外では数えられる人しかいないので、伝言が入っているとビックリする。

 もう今乗っている車はだめらしい。五年ほど前に初めて車どうしの事故にあった。今考えてもどうしてあんなところで事故ったのかよく分からないのだけれど、相手はでかいトレーラーだった。トレーラーの方は、当然かすり傷程度。私の車は大破で使い物にならなくなった。

 運動の物理的法則でいってもあちらの方が大きなエネルギーを持っているわけで、弾き飛ばされて大怪我をしなかっただけでももうけものかもしれない。

 その時にすぐに駆けつけて来てくれて色んな処理のアドバイスをしてくれたのが、この修理工場の親父さんだった。すぐに代車を用意してくれて、当分乗る車を見つけてきてくれた。その車が今まで乗っていたこの日産の4WD車テラノだ。

 この車は元々親父さんの娘さんが乗っていたということもあって、見かけは悪いけれど整備は充分されていた。いままでほとんどトラブルらしいこともなく無事今日まで乗ってきた。どうもありがとう。

 さて、今日は寒いです。小雪が舞ってました。んじゃまた。

更新時間 : 22:50:43

3月29日 (水)

はる 1745
 何だか真冬の木枯らしが戻ってきたようだ。このところ順調に朝の散歩を心掛けているけれど、寒いとどうしてもルーズになってしまう。

 川沿いの公園の桜が満開になった。この寒さでこの桜も冷凍保存されて少しは長持ちするかもしれない。

 少し集中的に大きい作品のアイディアを練る。壁に向かって呪文を唱えているイスラムの修行僧がいるけれど、私のやっていることは愚者がただ座っているようなものだろうか。何も見えてこない。何とか自分の心の中にあるものをかたちにしたい、見えるものにしたいそんな風に思ってはいるのだが。もう二週間ぐらい徒労に終わっている。

 「守護神」というのは何処の国でもある。というのかあらゆる神さまの最も身近なかたちかもしれないな。

 例えば大きな樹があればそこに神が宿り「御神木」となり、森は鎮守さまとなる。身近なものに身をゆだねるというのは人の根本的な本能かな。

 「阿修羅」というのは戦いの神という風にいわれているけれど、元々は命(あす)を与えられた者(ら)という意味だったらしい。まぁ「命の守護神」ということで、こういったインドの古来の神さまの話もなかなか興味深い。

更新時間 : 23:19:25

3月28日 (火)

はる 1744
 今日は疲れました。ということでまた明日。

更新時間 : 23:08:50

3月27日 (月)

はる 1743
 またまた銀行のATMで暗証番号を間違えてキャッシュカードを取られてしまった。勿論私の方の間違いなんだけれど、その手続きの鈍さにイライラさせられる。

 本人が窓口にやってきているのだから何とか返却可能だとおもうのだけれど返してもらえず、再発行の手続きを取らなければならない。前に一度やってるからその対応の鈍さには慣れているつもりだったけれど、まぁ本当にやる気があるのかと疑いたくなるね。

 再発行の手続きには通帳の印鑑が必要だ。この印鑑というのも何とかならないかね、サインの方が本人を確認するには確かじゃないの?と思う。まぁそれはいいとして、一度印鑑を取りに帰る。またまた銀行にとって帰って必要な書類を書き込む。整理札をもって延々と待つこと30分、やっと自分の番がやってきても、キャッシュカードはすぐにはくれないのだよ。一週間後に郵送だと。あきれた。

 今お金が必要だから銀行に来たのにさ。キャッシュカードは一週間後にしかくれない。今カードがなければお金の出し入れは本当に面倒だ。全くで、払い戻しの手続きをして窓口に並ぶというわけだ。

 「風が吹けば桶やが儲かる」なんていう笑い話があるけれど、システムとして銀行の機能はおかしくないか?俗にお役所仕事というけれど、銀行はそれ以上に融通が利かない巨像のようだな。

更新時間 : 21:27:09

3月26日 (日)

はる 1742
 今日は朝からクロッキーでした。で、また明日。

更新時間 : 21:49:39

3月25日 (土)

はる 1741
 PSE法なる法律がこの四月から施行されるということで、リサイクル業者などが反対して、どうやら骨抜きになるそうだ。

 基本的に個人が使うものをお上がお墨付きを付けたかどうか、とやかく言うのはおかしな話で、それだけまだ市民が大人あつかいされてないということじゃないかな。

 車検制度なんかも、日本だけの特殊な法律で、具合が悪くなったら直す、その前に修理してもらう、それを怠って事故ったら本人の責任で、お上になんだかんだと言われるのは筋違い、オコチャマということだろう。

 よくよく考えたら、新しい製品が売れるように、中古品が流通しないようにする法律と勘ぐってもおかしくない。上の車検制度もそうだけれど、この国は新製品・新発売にこだわる法律が多い。企業と政治家が上手い具合に結託しているからで、そこのところよく考えて欲しい。

 古くなったものはどんどんぶっ壊さないと、ちまちまと修理して長く使われると、物がうれないからねぇ。基本的に中古品には冷たいよ。けどねぇ、これからはいいものをより長く修理してでも使って行くというのが、ライフスタイルとして賢い選択だとおもうのだけれどね。どうでしょう。

 テレビ放送も誰が頼んでもいないのに、いつの間にやらアナログ放送がなくなるそうで、買い換えるなら必然的に高いデジタル対応テレビを買うということになる。いったい誰が決めたんだと怒りたくなる。

 フランスという国はさすがに面白くて、なんだかんだ言っても正統な抵抗運動の伝統がしっかりと根付いていて、学生が自分たちに不利な法律が施行されようとすると、俄然抵抗する。フランス革命とか、そこまでゆかなくても(1968年)五月革命などの学生運動の伝統がある。

 ある意味学生がしっかり社会の眼の役割をしていて、単に大人の予備軍というだけではないんだな。そこのところが我々日本人の甘ったれ大学生と違う所だ。

 なんだか、わけがわからん文章になってしまった。んじゃまた。

更新時間 : 22:55:48

3月24日 (金)

はる 1740
 WBCの世界の強豪たちを見ると、まず体つきが我々日本人と大きく違う。大リーガーなどをみるとピッチャーでさえ、腕っぷし並ではない太さを持っている。スポーツマンというよりどちらかといえばレスリングかその他のファイトマンのようだ。

 我々の想像する理想的なスポーツマンの体型は、どちらかといえばイチロー的なすらりとした筋肉質なものを想像する。あまりお相撲さんとか柔道家やプロレスリングの選手を想像することは無い。

 まぁ元々野球は狩人的な要素の強いスポーツのような気がするな。コントロールをつけて出来るだけ正確にボールを投げるとか、動いている物をこん棒でぶったたたくとか、猛スピードで走るとか、飛ぶとか・・。

 よく言われるのがベースボールと野球の違い、ベースボールはパワーのスポーツ、より力強く、速く、遠くが求められる。それに比べて野球は駆け引きだったり、技術だったり、頭脳的なものが要求される。

 まぁ今回WBCで世界一になったことで、日本の野球も一つのベースボールの形だということを世界中に認識させたのは、何となく嬉しいものがある。

 で日本などのアジア型の野球を見ていると「弁慶と義経」の五条大橋の争いを思い出す。大男が力ずくでねじ伏せようとやっきになっているのを、ひょいひょいかわしている姿というのはなかなか小気味よいものだった。

 打者がバッターボックスに立っている姿は、刀を持って試合に臨んでいる荒武者のようで、案外これは「九人の侍」というタイトルを付けてもヒットするのではないかと思う。

 まぁ「ワールド・ベースボール・・」といったところで、世界的規模で野球が認識されているかといえば、まだまだサッカーの比ではないわけで、手前味噌といわれればそれまでだけれど、今回やったことで一つ進んだことは確かのことだろう、やがてこれがもっと広まって行けばいいことなんだからね。

 ということで、WBCの話題はここまでかな、んじゃまた。

更新時間 : 23:34:42

3月23日 (木)

はる 1739
 韓国の新聞のサイトをちらりと読んだら、例のWBCのうらみつらみがこと細かく書かれていた。

 例えば韓国は六勝一敗で日本には二勝している、だから本当はわが国の方が優勝していてもおかしくないとか、わが国は日本よりプロ野球の歴史が50年も浅い、日本は高校野球が盛んで千幾らもチームがあるけれど、わが国は50校ぐらいしかない、だから実力的には下で当たり前なのに今回ははるかに日本より強かった・・うんぬんかんぬん。

 まぁ国民性というのだろうか、例えば今回でも日本が負けていたら我々は次の日からもうその話は忘れてしまっているだろう。いいのか悪いのか、日本人は淡白だ。どうも過ぎてしまったものは言っても仕方ないじゃないか、といった妙に諦めがいい所がある。

 しかし、まぁ本当に韓国は強かったね。サッカーのワールドカップなんかでもそうだったけれど、お隣の国を我々は本当によく知らなかった、知ろうとしなかったというところがあるね。今回の野球のことでそのことをより痛感した。

 それにしても彼の国もかなり特殊な国民性をもっているな。例の「ワールドシリーズ」も自国のプロ野球の優勝争いを表して言っているわけだから、我田引水というのか手前味噌というのか、よく分からない。

 そういったことがいろんな所で言えてね。今回のWBCのルールのことや、審判のこともそうだけれど、たとえば例の環境問題の二酸化炭素の排出量の規制の「京都議定書」でも自国のことだけ考えて反対していた。

 BSEの日本輸出の件なんかでも、ほとんど何も考えていない。今回の戦争でも大量破壊兵器を隠し持ってるから懲らしめたみたいなことこといって空爆はじめたのだけれど、自分の国はどうなんだといいたいね。ほんとうにいいかげんな国民性だと思うね。もちろん全ての国民ではないと思うけれど・・。

更新時間 : 20:46:48

3月22日 (水)

はる 1738
 どうやら花粉症とやらのデビューらしい。ここ二三日風邪の様な症状で困る。見た目には、まったく風邪の初期の様子に似ている。頭がぼーっと微熱っぽく、のどがむずがゆい。水の様な鼻水がでてくる。

 てっきり風邪だと思って熱を測っても、微熱も無い。そうか、これが花粉症かと認知すれば、これから毎年発症するらしい。だから、認めたくはないのだけれどね。どうなんだろう。

 昨日は知り合いの還暦祝いで勝沼の和食やさんへ、久しぶりのご馳走を食べに行く。私の知り合いにもいよいよ還暦がまわってきた。いずれ近いうちに私もお仲間に入ります。

 勝沼という場所はなかなか魅力的なところで、有名なところでは日本のワインの発祥の地であるし、果樹の郷としても名が通っている。東京から観光でやってきて山また山を越えて長いトンネルを越えてぱっとと開けたところが、勝沼だ。だからほどよく印象がいい。

 田舎だけれど、甲府や東京にもそう遠い場所ではないので、やり方によれば面白いことが出来るのではないかなと門外漢は無責任なことを思う。湯布院のような、日本発のスローフードの街としてやって行けるのじゃないかな。

 で、最近はそば屋か和食がいいな。私は美食家では全然ないのだけれど、体がだんだん和の方に傾いて行く。これはもう止められないな。今後ますますそんな風になって行くような予感がする。そんなことを感じながら、美味しい料理に舌鼓をうった楽しい夜でした。おめでとうございました。

 閑話休題

 そうそう、WBCの話を書こうと思っていたら還暦の話でおわってしまった。また明日だな。

更新時間 : 20:29:16

3月21日 (火)

はる 1737
 WBC世界一おめでとう。

更新時間 : 22:59:32

3月20日 (月)

はる 1736
 健康診断に出かける。これは実際に必要なものかといえばそうではなくて、単に習慣的に更新手続き上必要な書類というわけだ。だからまぁ何と言うのか通過儀礼みたいなものだろうか。

 簡単なレントゲンを撮って、検尿、検眼、血圧、医者による問診それで多くの場合終わる。こんな簡単な検診で何か重大な病気が発見されるのだろうかと心配になる。

 私の場合もっと詳しい全身CTスキャンを撮ったばかりだから、こんなレントゲン撮影など必要ないのだけれど、同じ病院ながら横のつながりみたいなものはあまりないようだ。そこで無理やりにでも駄々をこねたら、レントゲン撮影はキャンセルにはできるとおもうのだが、また時間のロスになるのでそのまま従う。

 健康診断書と履歴書と教員免許書の写しの三点セットをもって学校に行く。本来は四月になった段階で上の方から何かしらのコンタクトがあって、引き続いてやってくれとか、あんたはくびだとか、そこから動き出すのが筋なんだけれど、それからでは遅すぎる。

 それから、いつもの街中のギャラリーに出かける。こまきちかこさんが版画の個展を開催している。何と言っても個展は一番楽しい。作家の生の息吹が感じられるからね。DMをいただいた個展にはだいたいお伺いする。

 後、車の車検が近い。なじみの修理工場に出かける。ここの親父さんとは20年以上の付き合いだ。まさに職人気質のおっさんで、車の事はこの親父さんに任せている。14万キロをカウントしたこのテラノともお別れかな。よく走ってくれた、感謝。

更新時間 : 21:56:24

3月19日 (日)

はる 1735
 美とは、「美しい」と感じた自分との再会だ。

 何だか念仏のようだね。私のHPのaboutに提示している青山二郎の名文句の私なりの焼き直し。

 何でもそうだけれど、自分がそのレベルまで達していなければ「見ても観えず、聞いても聴こえず」なんだなぁ。何気に見ていた風景が自分の気持ちの持ち様でキラキラと輝いてくる瞬間がある。

 人の一生の長さは誰でもそう変わらないものなんだな、ところが本や映画、音楽、芸事一般にいえることなんだけれど、他人の人生を疑似体験させてくれることで、人生が二倍三倍となる。そのことでいままで聞こえなかったことが聴こえて、見えなかったものが観えてくるということだ。

 美は気付かなかっただけで、元々そこにあったものだ。「美しい」と気付いた時、あらためて新しい自分とであったということだ。

 これはオリジナルということと繋がっているいることなんだけれど、本来の自分というのはすでにここにいるのだな、ただ見えていないだけなんだ。それを見つけるのが私の一生の仕事だろう。

 自分の姿というのは見えない。「はたはた、ことこと、かぜのおつづれ」風が音をつれてくるように、「ざわざわ、どきどき」こころをざわめかせることで、心のありかを探して行く。

 さてさて、今日は凄い風でした。WBC韓国に勝ちました。キューバ戦楽しみですね。んじゃ。

更新時間 : 22:36:58

3月18日 (土)

はる 1734
 今日はお休み。また明日。

更新時間 : 21:59:18

3月17日 (金)

はる 1733
 WBC世界野球のはなし。日本は韓国に敗れて万事窮す、ところがどっこい、どこかに救いの神がいて、アメリカがまさかの敗戦で、棚ボタ式で準決勝に駒を進めることになった。対戦相手は二連敗の韓国。

 色々言い訳してるけれど、二連敗は事実。背水の陣、ハングリーなものがこういった場合強いのが常識かな。兵役免除の特典は何よりのご褒美、ちょっと出すのが早すぎたのじゃないかな。

 さて、かの問題の審判。メキシコ戦でもまたまたやってくれました。身びいきの判定。ここでメキシコ魂に火がついて、結局は負けちゃった。まっこと何が災いするか分からない。

 ここで面白いことに気がついた。同じような国技、相撲の場合疑惑の判定にはビデオを持ち出して写真判定する。行司差し違えで勝敗がひっくり返ることはよくあることだ。

 野球の場合あくまでも審判がジャッジする。疑惑の判定もビデオを持ち出して写真判定なんてことは無い。

 神さまへの奉納からはじまったといわれる神技、相撲が現代の電子機器を使ってでも真実を見極めようとするのに対して、アメリカの国技野球はあくまでも人の目をその判断の根拠とする。

 どちらも「人間は間違いを犯す」という前提に勧められているように思う。日本の相撲の場合、元々人間の判断をあてにしていない。間違っていれば調べて直せばいいという、ある種柔軟な発想だ。

 絶対のものなど元々この世には存在しない、全ては相対的なものだ、だからビデオを持ち込むのも全くやぶさかではないし、訂正することをためらうこともない。

 に対して、アメリカの野球はルールという契約で出来ている。人間は間違いを犯す、だからルールが必要で、ルールを作った以上これには絶対従わなくてはならない。でなければ競技そのものが成り立たなくなってしまう。

 何が本当は正しかったのかはさして重要ではない。審判というゴッドがいて彼が白といったら何が何でも白でなければならない。これは日本などと違って色んな人種が入り乱れている、そういった国をまとめるには必要な論理、また宗教観なんだろうな。

 まぁいずれにしろ日本に頑張ってほしい。んじゃまた。

更新時間 : 20:37:54

3月16日 (木)

はる 1732
 こういった仕事をしていると毎日かならず一枚以上の展覧会の案内がくる。毎日のことなので放っておくとたちまちDMの山になり、新しい方から重ねてゆくといつの間にやら、大事な展覧会が終了した後だったということになる。

 個展などの場合、DMは看板みたいなものだから、とても大切なものだ。「・・個展」だけで人が呼べるようになれば一人前だけれど、ほとんどの場合小さな作品の写真や画歴を入れたりして、少しでも自分を知ってもらうことが必要だ。

 まぁ実際の話DMを出したからといって来てくれる人は一割ぐらいだと思っていた方が気落ちしない。地元だともう少し確率は上がるかな。

 一番最初の個展(83年)のDMが出来たときは、もうそれだけで絵描きになれたような気がしたものだ。当時はカラー印刷など出来なかったので、絵もモノクロの名刺のようなDMだった。

 銀座の貸し画廊で初めて個展をした時(88年)にふんぱつしてカラーでDMを作った。これが出来た時は大げさかもしれないけれど、天にも上るような、大作家になった気分だった。お祝いに親戚一同がこぞってやって来た。最初の個展は自分のためというより、そういった人達への報告みたいなものだな。

 ここだけの話だけれど、最初自己資金は10万円しかなかった。これでは画廊代にもならない。けれど無いものはない。とにかく一回だけでもいいから銀座で個展をやりたい。いややらねばならない、と強迫観念にせまられるように思っていた。

 何故それだけ個展にこだわっていたかといえば、当時属していた団体展に何回か入選をはたしていたけれど、その年に落選してしまったからだ。このままその会を続けるか無所属でやって行くか悩んでいた時でもあったし、無所属でやって行くには東京で個展を開催して行くしかないと考えていたからだ。

 それからもう20年もたつけれど、ほぼ毎年続けて個展を開催している。

 このことでよく思い出す逸話がある。うろ覚えだけれどかんべんしてくれ。キリストが各地を布教して歩いていた。弟子がもう明日のパンがないと訴えた。キリストは「明日の事をわずらうな、今日一日のことは今日だけで充分だ」といって持っていたパンをみんなに分け与えた。で、明日になったらまた何処からか一片のパンが手に入ったという話。

 やって行けなくなったらそこまでだ。やって行けたらやり続けろということなんだと思うことにした。今年もやります。よろしくお願いします。

 

更新時間 : 23:28:19

3月15日 (水)

はる 1731
 新聞の資格獲得広告なんかを見ても、インテリアコーディネーターとかカラーコーディネーターだとか、よく見かける。それがどれだけ権威のあるものなのか知らないけれど、何かそういった検定試験のようなものもあるようだ。

 しかし、まだまだ独立した仕事とは認めてもらえない、建築屋さんなんかの付属した仕事のように考えられているようだ。もっといえばあっても無くてもいい仕事、といったあつかいを受けることがあるようだな。

 大体においてトータルにインテリアを考えるという習慣がない。ほとんどが大工さんや内装屋さんが、商品見本の様な分厚いカタログを持ってきて、この中から好きなものを選んでくれというような選択の仕方をする。

 ほとんどの施主がはじめてか多くても二度目ぐらいの経験しか持ち合わせていなくて、「トータルなインテリア」など出来る訳が無い。それだけ多く中から決めてくれといわれてあたふたとする。まぁ大体が奥さんに任せてしまうことがおおいだろうな。家の飾りなど、大して重要じゃないと考えているようだ。

 で、インテリアコーディネーターとかカラーコーディネーターの登場となるわけだが、果たして彼らや彼女たちが本当に専門家なのかな?どうか疑わしい。

 かくして、見事にちぐはぐな、てんでにばらばらな街並みができるというわけだ。悲しいねぇ。

 人生の基本姿勢を「生きることは楽しい!」ということだとすると、自分たちがほぼ毎日生活する場である家、もっといえば「衣食住」を大切にする考え方が大事じゃないかな。そのことをないがしろにしてはっきりいって生きてる意味がないといっていいかもしれない。

 それは日々の生活の中で、春にははるの花を、一幅の絵をかける、楽しむ、そういった日常生活からトータルな生活のインテリア、生活の色、などを意識するようになるんだな。取ってつけたように、壁の色やカーテンの色だけそろえてもそれは日常を楽しむことにはならない。

 経済がどれだけ一流になっても、そこに住む、生活する人々が楽しむ心を無くしてしまったのじゃ、なんにもならない。

 これこそ多分親から子へ、子から孫へ、と伝えてゆく文化というものじゃないかな。教えて教えられるものではない。我々の文化は今、瀕死の重傷である。

 何だか、偉そうなことを書いてしまったけれど、今考えないと途絶えたものは、もう元には戻らないきがするなぁ・・。
 


更新時間 : 22:26:58

3月14日 (火)

はる 1730
 実家の姉から明石の釘煮が送られてきた。知らない人には珍しい響きかもしれないなぁ。「いかなご」といってドジョウのような魚なんだけれど、親父が好きでよく食べた。

 食べ方は醤油と砂糖としょうが?のタレにつけて、ひちりんの上でジュージュー焼いて、熱いご飯にのせて食べるんだな。なかなか上手い。

 子供の頃は魚が嫌いだったけれど、さくら干しとこのいかなごは好きだった。醤油が炭にやかれてボウボウ煙がたつんだけれど、それがまた食欲をそそる。

 明石の釘煮というのはその稚魚の佃煮で、毎年実家の姉から送られてくる。

 私の家は五人兄弟(男4女1)だったので飯時はなかなか壮観なものだったね。小さい頃は板の間に大きな四角いちゃぶ台があって、家族全員がそれにずらりと正座して飯を食うという図だった。ひじを上げると隣の人のじゃまになるので、腕を不自然に折り曲げて食うというのが、家のしつけだった。

 実家のお袋はもう90を越えた。

 人は老いてゆく。自分を含めてやがてはいつかその時が来る。どういったかたちでその時を迎えるのがしあわせなんだろうか、そんなことを考える。

 人は生まれたとき、多くの人に喜び迎えられる。その存在がまわりの人たちを幸せにする。生まれてきて良かったな、生まれてきてくれてありがとうと感謝される。

 一人の人間として、感謝されよろこびを与えられるような行き方をしたい。

 難しい。んじゃまた。

 

更新時間 : 22:05:14

3月13日 (月)

はる 1729
 今日はいろいろと雑用で一日くたびれました。ということでまた明日です。んじゃ。

更新時間 : 21:09:48

3月12日 (日)

はる 1728
 絵を描くには描くだけの必然性があるわけだ。何故絵なんかかいているのか、もっと他に自分を表現する方法は無いのか、絵を描く何かのきっかけがあるわけで、そこの所まで降りて行く必要があるな。

 例えば美術館などへ行ったとする。普通なにげにスイスイと見てゆくのだけれど、こういった見方はほとんど何も残らない。見ないよりはましかもしれないけれど、ほぼ時間の無駄みたいなものだ。

 ヨーロッパなどへ行って教科書に載っているような名画を見てまわっても、多分そこに行って見たという事実は残るかもしれないけれど、それ以外に何も残らない。よく世界美術館めぐりなどというパックツアーがあるけれど、これは舶来品憧れる日本人相手の旅行社の陰謀でしかない。

 こういった美術品の鑑賞態度は根本的に間違っている。美術作品は単にそこに飾ってある壁掛けやインテリアとは違って、必ず作者がいて何らかの意図をもってかかれている。

 まずその作者が生まれた時代というものがある。どんな人間もその属している時代を超えては生きられない。そういった時代の常識、空気みたいなものを知るところから始まる。よく勉強してから見ることだ。

 そうはいっても面倒くさいので何の下地も無く、知識も無く美術品を見ることがある。私はもっぱらそういったことのほうが多い。言うこととやってることがちぐはぐなのが芸術家である。

 でそういった時の見方をここに書いておこう。

 まず全体を見渡す。でその中で一番気に入った作品を一つ選ぶ。ただでやるといったらどれをもらうか?でもいい。

 で、何が自分を惹きつけたか、何が私を捕らえたか、を考える。「いいと思ったのはいいと思った自分を見つけたのだ」という青山二郎の名言を思い出そう。

 こういう自分に取り込む態度で作品を観ないと、まったく面白くないし、芸術品を鑑賞する意味も無い。

 さて、その考えでいうなら私が絵を描く本当の理由を探さなくてはならない。また考えることが増えた。んじゃまた。

更新時間 : 20:17:40

3月11日 (土)

はる 1727
 この何というのか求心型の性格というものは何処からきているのだろうか。

 人は大きく分けてこの求心型と拡散に型分かれるのではないか。求心型の人間は例えば学問とか宗教とか哲学とかに向いている、音楽で言えば大上段に構えて真面目一本の努力のベートーベン型。苦労が多くて報われることは少ない。

 反対に拡散型は芸術家や営業マン、色を使えば色彩家で美しい色のハーモニーを奏でる。音楽で言えば天才モーツァルト型かな。

 ・・・・・・・・・・・・
フロに入ってきました。

 で続きを書くかな。

 宇宙の始まりがビッグバンというらしいと知ったのは中学生のころだったかな。それは不思議な、とても考えつかないような物語だった。この世の中の始まりは、時間も空間も全てをギューっと押し込んで詰め込んだ形だというのだ。

 私も勿論親や兄弟もいない、明日の試験も宿題もないのだ。ありとあらゆるものが、すべて詰まっている、これが唯一で全ての始まりだったんだ。

 よし分かった。唯一の真実はわかった。分かったけれど、何故何も解決しないんだ。なぜ今私は寂しいんだ?何処となく拠り所がなくて不安なんだ?これが分からない。そう、これだけを知っていればいいんだという唯一のオマジナイを誰か教えてくれ。

 そんな所から私の旅は始まった。何だかな未だに解決していない。このまま終わるのだろうな。

 さて、眠くなってきたのでまた明日。んじゃ。

更新時間 : 00:01:23

3月10日 (金)

はる 1726
 色の話もう少しするかな。同じようなことだけど。

 まぁこれは前に話した宇宙観とつながるような話だけれど、人と言うのはいつの時代も同じようなことを考えている。例えば、この世界の成り立ちを出来るだけ単純な原理というのか原則、道理何でもいいのだけれど、そういったもので表せないかと考えている。

 元素など知らなかった古代の人は、火とか水とか木とか金、そして土などと考えたのじゃないだろうか。それと天に輝く太陽(日)と月で一週間は出来ている。まぁこれはどこかで調べたわけではない、でも当たらずとも遠からずだろう。空の星にこの名前を付けたのはずっと後のことだ。

 物理学者のニュートンなんかも色彩論を書いていることを考えると、まぁ昔の人もこの宇宙の成り立ちと色彩には何かしら関係があると考えていたのかもしれないな。

 んでまぁ、色を細かく分解していったとする。光はご存知のように七色に分解される。これが可視光線というわけで人には見えない部分に赤外線と紫外線がある。

 光は透過光を見ているのだけれど、絵の具などは物に反射した反射光を見ている。ゆえに微妙に違いが生じる。今見ている液晶画面とかテレビのブラウン管は光の透過光を見ている。

 厳密には透過光を絵の具などの反射光で表現することは出来ない。こういったパソコンの液晶になれている現代の人は色感が我々と相当違うように思う。

 無数にある色を分解してこれ以上分けられない基本になる色というのを探したんだと思う。白や黒を別にすればほぼ三つの色に集約された。発見した人は大喜びしただろうな。

 光の三原色は赤と緑と青で、絵の具の三原色は赤青黄ということになる。

 今でもパソコンのカラー印刷やカラー写真の印刷も基本的にはこの三原色の組み合わせと黒でできている。当然知っているだろうけれど、じっくり考えてみるとなかなか凄いことのように思う。

 今日はここまでかな。適当に嘘を書いているので、他では言わないように。んじゃまた。

更新時間 : 23:44:54

3月9日 (木)

はる 1725
 この部分はブログには書いていない。ここを見た人だけの日記ですな。
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 午前中、予定されていた一年ぶりの大きな定期検診(全身のCTスキャン)を受ける。

 一週間前に造影剤を注入するためにその下準備として血液検査のみを受けていた。その結果を聞きつつ受付を済ませる。

 名前が呼ばれてレントゲン検査室に向かう。この場所は普通のレントゲンはもちろん、磁気で頭の断層写真をとるMRIや胃や大腸検査でつかうバリュームを使ったレントゲンや今回の私の(CTスキャン)断層写真の機械など、検査機器が集まっている。

 もう何回も受けたスキャンだけれど、あまりいい気分ではない。

 名前を呼ばれて、下着一枚になってレントゲン準備服に着替える。検査用の服というのはボタンというものがなく、すべて紐で結ぶ仕掛けになっている。まぁ体に優しいというのか、まとわりつかないというのか、スウスウして着ここちは悪い。

 準備を済ませて廊下で待っていると名前を呼ばれる。いよいよスキャナーとご対面。大きなドーナツ状の穴の部分にスライドするベッドがあると想像してください。

 万歳の格好をしてそのベッドの上に横たわる。検査技師さんがマニュアル通りの説明をする。造影剤を注入するので気分が悪くなったらなんたらかんたら・・。

 最初右腕に造影剤を注入するが血管をはずしたらしい。妙な所が無様にふくらんでいる。看護婦さんは平気な顔をしているが、こんなことは初めてだ。ということで左腕に同じように注入する。今回は成功したようだ。

 しばらくすると全身がカーッと熱くなる。造影剤が体の中を走っているのが実感としてわかる。毒というのはこうやって体の中にまわって行くのだなといつもそう思う。いつのこのジワーときいてくる感覚は吐き気をもよおす。

 はい、まな板の鯉状態なので、早いとこやって頂戴。

 ヒューンと電源がはいってドーナツの中の機械が回転を始める。最初は頭から胸まで、次が胸から骨盤太ももあたりまで、ほぼ全身の断層写真をとる。

 何年か前は二日にわたってやっていたことが、性能がよくなったので一日でそれもあっという間に出来るようになった。思っていたより簡単に終わる。

 後は主治医の診察結果待ち。この時間が一番いやだな。まぁほぼ二ヶ月に一度定期に検診しているので、悪い結果はないとはおもうのだけれどね。

 全てOKということで、晴れて下界の人に戻ってきました。めでたしめでたし。

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 病気のことはほとんど書いていない。闘病記もまだ途中までしか書いていない。ひょっとするともう書かない、書けないかもしれないな。一ヶ月近くの入院で大学ノート一冊の雑記がある。それもまとめたいなぁという気持ちもある。随分遠い話のような気がするな。

 ガンの告知から手術を経て五年経った人をキャンサーサバイバーというらしい。と言う意味では私は生き残った、勝ち組みになるかな。

 と言う意味でここで少しまとめて書いておこうと思う。

 私の病気は悪性リンパ腫という白血病に近い血液系のガンです。普通のガンでリンパ腺までおかされていればほぼ末期(第W期)で手の施し様がないというのが普通ですが、リンパ腫の場合少し違います。

 何処に原発があるのか、リンパ腫の場合それがとても大切です。リンパ腺は体のいたるところにあります。まぁよく知られているのが扁桃腺とかわきの下や大たい骨の付け根あたりのコリコリでしょうか。
 
 私の場合胃のリンパ節がその原発でした。胃痛は私の持病でかれこれ40年のキャリアがありました。別にこれは誇れるものじゃありませんがね。胃痙攣も二回ほど経験して胃潰瘍のキャリアーとしてはなかなか優秀な成績をおさめていました。

 ということで長年の不摂生がこういったガンの発生を生んだのではないかというのが、素人ながらの考察です。まぁ皆さんも気をつけてください。

 幸いなことに胃に潰瘍があったということで、人間ドックの生検査にひっかかりそれで病気が発見されたという訳だから、何がどうなるか分かりませんな。

 胃のリンパ腫の治療法はまだ一般的に確立されていないのですが、当時は胃とその周りのリンパ節の全摘、その後は症状に応じて化学療法、坑がん治療をするというのが、一応のフルコースでした。

 手術前までに術後の治療のプログラムまで知らされていました。仕事をしながら坑がん治療をするというのが、その提示された方針でした。まぁ仕方ありません覚悟を決めるしかなかったのです。

 入院、そして手術の話はまた何処かに書きましょう。

 結果的には他に転移が無いということで、一応経過観察、そして今年で六年経ちました。このまま何事も無く寿命をまっとうできる事を希望しますね。

 ではまた。

 

更新時間 : 13:03:32

3月8日 (水)

はる 1724
 色はね自信があって、どんな色でも作ることは出来た。形はそこそこ取れても色をつけると駄目になるという生徒が意外に多いけれど、何で?といつも思う。形はごまかしがきかないけれど、色なんてなんとでもなるじゃない?

 学生の頃、ボナールのあのポヤポヤした輪郭の定かでないまどろっこしい絵が好きだった。本当は目が悪いのではないか?よく見えないのではないか、何であんな風に見えるんだ?阪本繁二郎も同じような傾向があるな。誤解を恐れずにいうなら、ボナールは色盲だったのではないかと最近思う。(ここだけの話としてください)

 デッサンを見るとその人の色が見えて来ると言う。それほどデッサンをしたおぼえが無いので、きいたようなことしか言えないけれど、確かに微妙なハーフトーンのデッサンを見せられると,この人の色感を想像してしまう。ああいった色感は生まれ持ったものだろうなぁとうらやんでしまう。私には無いということに気がついた。

 色彩の話なら、こんなことにもふれたい。まぁこじ付けかもしれないけれど、色は四つの方角、四つの季節、四つの風、四天王とも関係している。春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬。青龍、朱雀、白虎、玄武。

 この世界の成り立ちと色の組み立てが不思議と呼応している事実に歓喜した。もしこれが事実なら、私もこれ以上分けられない極限られた色でもってこの世界を表現したいとおもった。複雑なことも、いつも最も原点に戻って考えたい。そうすることで自分の考え方のオリジナルなものが見えてくるのではないか。

 私はこんなところに面白みを感じるのだな。かたいなぁ。

 

更新時間 : 20:44:38

3月7日 (火)

はる 1723
 色っぽいとか色気とか色のつく言葉は多い。まぁここでいう色の話はもっぱら絵の色の話だけれど、まんざら関係なくもない。

 やっぱり色っぽい人は色が得意だと思うんだな、どちらかといえば私は色っぽい話は苦手だ。だから絵にも色気が無い様に思う。絵もどちらかといえば硬派で、面白みにかけるきらいがある。まぁもって生まれたものなので、もう変えようという気もないのだけれどね。事実を言ったまでだ。

 絵の具の色数の話をしようと思って始めたはなしだけれど、この話もなかなか奥がありそうだな。自分の潜在的な欲求みたいなものも見え隠れするので、この話はまたにしよう。

 色数は決して多くない。油彩画を描いていた時もそう多くは無かったけれど、最近はもっと少ない。三原色に白,黒、あとニ三の土絵の具だけだ。色に惑わされたくないというのが本音だろうか。

 日本画の作家のアトリエなんかを写真で拝見すると、バックにずらりと小瓶に詰めたキレイな砂絵の具が並んでいたりするので、若干羨ましく思ったりする。

 色に対しての感性が子供の頃から敏感なひとが日本画の作家になって行くのかな。やわらかい微妙なニュアンスは学んで得られるものではない。

 どちらかといえば私は形や絵肌など触覚的な感性の方が好きなようだ。より原始的というのか、よく言えば根源的な人間の存在みたいなものを求めている気がする。色も好きだけれど、自分の感性のじゃまにならない程度でいいと思っている。

 そんなところから色数が極端に少ないのかもしれない。この話はまたつづけよう。んじゃ。

 

更新時間 : 21:33:03

3月6日 (月)

はる 1722
 今回のグループ展で多くの方に同じ質問を受けた。自分の個展だと私の描き方が認知されているのか、昔に比べて少なくなって来たのですがね。

 まずは何で描いてあるのですか?という質問が最も多いかな。変わったものでは焼き物ですかという人もいた。まぁ見様によれば焼き〆た焼き物に見えなくも無い。

 絵というのはキャンバスや紙の上に絵の具で描かれたものであるという既成概念がある。まぁそれが最も簡単で一般的であるから当たり前なんだけれどね。

 印象派が画壇に出てきた時画期的だったのは「色と混色せず置かれた色が最も美しい」ということだった。印象派の画家たちは、光をプリズムの七色に分解して、パレットから黒や褐色を追放した。

 点描で置かれた画面は確かに昔の画家の絵と比べて一段と鮮やかに美しくはなった。まぁちょうど時代が開放的な外光派の光あふれる庶民の時代になってきたということも関係するのだけれどね。

 その後「絵は平面の上にある秩序で並べられた色の点と線と面である」という抽象絵画の理論が出てきて、一気に時代はアンフォルメル(形のない絵画)になって行く。あとまぁ対極的にシュールリアリズムの手法が出てきたりしたけれどね。

 まぁ現代はもっと進んで、絵を描くことよりも絵を描くその動機、考え方(コンセプトアート)というのだけれど、そのことの方が大切だということになって来ている。

 絵を描く学校に入学して絵を描かない方法を教えてもらっているのだから、何だか分からない。インスタレーション(会場設置芸術とでもいうのかな)現代美術というのはほとんどそういったものだ。

 まぁそれはそういう方法もあってもいいかなとは思うけれど、絵画する、実際にそこにモノが存在してあるということは、何よりも強い拠り所であるし、私にとって絵画する意味でもあるのでそこのところは譲れないなぁと思う。

 で、何で描かれているのかという話に戻ると、絵とは布や紙の上に、絵の具で描かれたものでなくてもいい。今手に入る身近なものなら何を使って描いてもいい、あえて言うならば「現代絵画」というものがあるならば、現代を生きる我々が今手に入る材料で描く絵画ということではないかな。

更新時間 : 22:50:30

3月5日 (日)

はる 1721
 グループ展最終日。片付けそして、打ち上げ。

 いいいずれにしろ、文字通り若い頃に同じ屋根の下で、同じ釜の飯を食った仲間というのは得がたいものだ。年を経て失ったものもあるけれど、得たものも多い。この展覧会は思っていた以上に楽しかった。

 来て頂いた方ありがとうございました。

 ということでまた明日。

更新時間 : 23:29:39

3月4日 (土)

はる 1720
 覚書(着色剤)
 *赤色顔料
  ブライトレッド PR170 ナフトールレッド  18000/Kg
 *茶色顔料 
  ライトレッド  PR101 酸化鉄(ベンガラ) 2000/Kg
 *黄色顔料
  イエローオーカ PY140 酸化鉄黄      2000/Kg
  ナチュラルオーカPY141 天然黄土      3000/Kg
 *こげ茶色顔料
  ローアンバー  PBr7 天然アンバ土    2500/Kg
 *緑色顔料
  アースグリーン PG23  天然緑土     4000/Kg
 *その他顔料・着色剤
  ベンガラ・・・・・・・・・天然顔料
  とのこ・・・・・・・・・・木工目止め天然土
  胡粉・・・・・・・・・・・日本画白色顔料天然貝
  金粉
  墨
  コバルトブルージェッソ・・青色アクリル地塗り剤
  カーマインジェッソ・・・・赤色アクリル地塗り剤
  ビニレックスホワイト・・・外壁用アクリル塗料 
  アクリル絵の具
  コンテ
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 *合成樹脂メジューム(接着剤として)以前掲載済み
  アクリルエマルジョン樹脂 多くのアクリル絵の具のメジュウムとして使用されてる。弱アルカリ性(ph8)かなり高価である。

  酢酸エマルジョン樹脂 木工用ボンド(コニシ)など接着剤として使用されてる。酸性(ph4.5)安価である。

 *アクリル絵の具及びアクリル塗料
  普通のアクリル絵の具は 顔料+アクリルエマルジョン樹脂
  地塗り(ジェッソ)同様 顔料+アクリルエマルジョン樹脂 
  ターナーのネオカラーは 顔料+酢酸エマルジョン樹脂
  アクリル塗料も成分は  顔料+アクリルエマルジョン樹脂
  例 Hiビニレックス(日本ペイント)
    顔料25%
    体質顔料20%
    アクリル樹脂エマルジョン30%
    保護コロイド10%
    添加剤5%
    水10%
 *自宅の外壁にこのペイントを使っている。もう10年以上、きわめて厳しい環境においても、なんら変化はみられない。

 ということから、絵画の下地としても充分使用できるのではないかと思う。
  

 *モデリングペースト
  普通盛り上げ剤として販売されているのは 大理石(炭酸カルシュウム)+アクリルエマルジョン樹脂である。

  建築用の水性パテも色々あるが、絵画用のモデリングペーストとして使用できるものも多い

  例 *合成樹脂エマルジョンパテ(メーコー社)
     炭酸カルシューム59%
     クレー9%
     アクリル樹脂2%
     その他4.5
     水25.5%

     IPパテ(インターナショナルペイント)
     上記の会社は組成を公表していない。しかし私が想像するに、リキテックスのモデリングペーストと同様ではないかと考えている。その根拠は匂いが良く似ているからだ。
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 盛り上げ剤として
 じゅらく壁(家庭化学工業株式会社)
 木紛       51%
 じゅらく土    28%
 繊維質材料    8%
 セルロース接着剤 7%
 顔料その他    6%



更新時間 : 21:19:54

3月3日 (金)

はる 1719
 えっちらおっちら塗りこんでは掻き落としてまた塗りこむ。そんなことをもう何回繰り返しただろうか。130号も地塗りがかなり厚くなってきた。

 何を描くのか何も決めていないけれど、まだまだ焦ることもないゆっくり下塗りをくり返す。古く何年も経ったような風化した絵肌が私好みだ。まだもう少しこんな壁塗りのような仕事が続く。

 平行してここ最近はオブジェつくりで遊んでいる。仮面つくりもその一つだけれど、風化したボロボロの木を拾ってきて、そこから何か面白い形が出てこないか待っている。「風の化石」の高瀬省三さんの様にはいかないけれど、自分なりの「思索の化石」ができればいいかなと思っている。

 んじゃ、また明日。

更新時間 : 23:31:38

3月2日 (木)

はる 1718
 午前中、来週の定期検診のための血液検査に出かける。検査そのものは10分ほどですむ。

 その後、学校によって成績をつける。全日制と定時制の生徒をみているので、見ている生徒の数はけっこう多い。三学期は年間の成績を出すので、けっこう面倒くさいな、でもまぁ最近はフロッピーで渡されてその中に書き込むだけでいいようになっているので比較的楽にはなった。

 前にどこかで読ん話で、数学や英語などは教えてもらって内に取り込む教科、美術は外に吐き出す教科などで評価するのはおかしいというようなことが書かれていた。なるほどなぁと感心したそんな風に考えたことはなかったな。

 考えてみると我々は自分の考えを表現するという,最も大事なことをなおざりにしてきたな。学校というところは知識を得るところであって、先生というものは知識を伝達する仕事だとばかり思っていた。

 まぁそこのところが一番難しいところなんだけれど、人にものを伝えようとすると、自ずからの根源の所まで降りて行かないと、何を言っても上っ面で本当のことは伝わっては行かないこと気がつく。

 英語がしゃべれることがさも大切なように勘違いして、小学校の低学年から英会話の授業を取り入れるようだけれど、暑いや寒いや日常会話など少し勉強すれば誰でも出来る。もっと大事なことは自分のことを表現できる考えかただ。

 日本語で上手く表現できないことが英語でしゃべれるわけはないのだ。国語力,日本語で書けること,しゃべれること、会話できることの方がより大切なことのように思うな。

更新時間 : 23:17:19

3月1日 (水)

はる 1717
 家も古くなると色んなところにがたが来る。我が家の樋は昔ながらのブリキの樋で、長い間に錆びてボロボロになってくる。気がついたら少しずつ修理して行かないと,雨だれはじっくり家を壊してゆく。最近の樋は塩化ビニル製なので錆びることが無い。けれどそうなったのはついこの間の様なきがするな。

 子供の頃、こういった仕事はブリキ職人というのかな、そういった人達がいて、それぞれの家にあわせてその場で組み立てていた。大きな半田ごてをドラム缶のようなものの中につっこんで、ジョイントする部分にき硫酸?を塗り,熱くなったコテを当てると、あら不思議ブリキとブリキが上手くつながっていた。そういうのを飽きずにながめていた。

 そうそう、実家の石垣が御影石の石組みで,職人が何人か住み込みで大きな石の塊から掘り出していた。今考えるとけっこう贅沢なものだな。その職人さんたちが何日かの仕事が終わると、道具の手入れをする。それがなかなか興味深いものだった。

 庭に小さな穴を掘ってコークスを焚く。横にふいごがあってそれを左手でこぎながら、タガネをそのコークスの真っ赤に燃えている小山の中に入れる。真っ赤になったタガネをカナトコの上でリズムよくたたくのだ。トトカントトカン・・・。村の鍛冶屋だな。

 こういった仕事はもう誰も出来ないだろう。職人の手仕事はすきだった。

 需要と供給で市場は成り立っている。壊れたら新しく買った方が安ければ誰も修理しては使わないだろうな。

 けれど、それが本当にいいものだったらどうだろうか。いいものでなくても、そのものにそれなりの思い入れがあったら捨てるだろうか。

 何だろうな、じっくりゆっくり生活を楽しんで生きていくといったライフスタイルというのかな、もうそんなに成長を望めないなら、新しいそういったスタイルをカッコよく歌いたいなぁ。どうだろ。

 

 

更新時間 : 22:51:08