2005 11月
11月30日 (水)

はる 1627
 明日から12月になる。

 色々とりとめもない雑感。

* この頃の午後の光はなんて綺麗なんだろう。空気が澄んでだんだんと遠くまで見晴らせるようになると、山々がくっきりとその輪郭を見せるようになる。

 太陽が山の端にかかるほんのニ三十分のことだけれど、きらきらと輝いてガラスの中を通ったような透明感が、なんとも幸せな気持ちになる。

* ホームページのトップに飛び跳ねている小さな人形さんがいるけれど、これは何ですか?と聞かれた。私のDMの消印のところにもあるのだけれど、何年か前に「さいわいびと」と名づけました。

 「・・・びと」という言葉の響きがなんともこころよくて、これはなかなかいいなぁと思っています。ずうずうしく自分のバナーやロゴマークにも使っている。「天使」といってしまうと西欧の宗教や神話になってしまうので、あえて「さいわいびと」と呼んでいる。

* 子供の頃に覚えた讃美歌に「・・シュワキマセリ」なんて歌があった。これなんか落語の「ジュゲムジュゲム」と同じで、とても「主は来ませり」だとは思いつかなかった。語呂がいいというのか、そのフレーズでおぼえてしまっている。

 12月になると、どうしてもクリスマスの気分になるなぁ。外は木枯らしが吹いてジンジンに冷え切っている。家の中は赤々と燃えているストーブにシューシュー湯気を上げているのんきなヤカン。

* 今年も大きなもみの木を買った。毎回根付を買って植えなおすのだけれど、最高で3年ぐらいで枯れてしまう。どうしても大きな根を切ってしまってあるので、根付くのは難しいのかもしれない。

 そんなところです。また。

 

更新時間 : 22:57:35

11月29日 (火)

はる 1626
 今日は一日パートタイムジョブでした。ということで堪忍してください。

 また明日。

更新時間 : 21:14:41

11月28日 (月)

はる 1625
 一日お休みの予定だったけれど、午前中に新しくオープンしたギャラリーに出かける。新しく画廊のためだけにつくった建物というのはなかなか贅沢なものだ。

 最近わりと画廊が新しくオープンされることが多い。場所さえあればあまり設備も必要ないから、画廊でもやろうかと考えるのかな。一見綺麗な商売に見えるからな。

 画廊を貸しスペースと考えるなら、そう難しくないかもしれない。絵を描く人はそこそこいるし、何よりこれから団塊の世代が退職してブラブラと暇つぶしを始めるからね。需要はあるかもしれない。

 けれど、本来の画廊の面白さということになれば、貸し画廊では物足りない。積極的にどんどん企画をうって、自分の好みを全面に打ち出す。それが受けるかどうか、世の中に問う。それも一種のアートだと思う。

 けれど,ここが難しい。ここが東京ならそういったやり方も通用するかもしれないけれど、じいさんばあさんが多数を占める僻地だからね。段々にむなしくなる。そうやってやがてお終いになる。そういったパターンを良く見る。

 長い目でゆっくりやって欲しいな。

 ではでは。

更新時間 : 00:36:24

11月27日 (日)

はる 1624
 個展8日目最終日

 終わりました。今年も多くの人に来ていただきました。ありがとうございました。

 遠くは京都、名古屋から夫婦でかけつけてきてくれた古い友達がいる。まぁお互いにいい年になりましたね。ありがとう、また元気であいましょう。

 毎年コレクションしてくれるご夫婦がいる。ほんとうにありがとうございました。なんとか毎年の自分の姿を晒すことで、何かを感じてもらえれば嬉しいです。そんなことでしか報いることが出来ませんが、これからもよろしくお願いします。

 観に来てくれた全ての人に、どうもありがとうございました。まだまだやりまっせ!これからもよろしく。

 さて、少し休んで、東京展の準備にかかります。

 ではでは。 

更新時間 : 23:40:15

11月26日 (土)

はる 1623
 個展7日目
 あぁ、明日で終わりです。もうめろめろに疲れました。すんません、また明日。

更新時間 : 21:27:19

11月25日 (金)

はる 1622
 個展6日目
 後二日だ。個展の一週間なんてはやいものだ。

 というわけで、お待ちしています。

更新時間 : 22:49:01

11月24日 (木)

はる 1621
 今日は一日お休み。朝寝坊してゆっくりしました。

 午後から市内のギャラリーまわり。ギャラリー・イノセントで開催中の加島査さんの個展を観に出かける。イタリアやスペインの旅からイメージされた風景や人物が面白い。私と違うのは彼の作風はしっかりした造形の原理から作られていて、観るものに快い安心感を与える。

 ああいった造形的にしっかりした作品を観た後では、何となく自分の作品があやふやで、いいかげんなものに見えてくる。たゆまぬ努力がああいったいい作品群をつくるのだろうな。是非とも観てもらいたい。

 というわけで市内に出たついでに自分の個展会場にまわってみることにした。会場に着いて自分の作品をもう一度ゆっくりと見直す。配置換えをしたりして、小一時間を過ごす。まぁ今の私にはこのくらいかな。

 明日から後半です。まだの方はぜひきて来てください。

更新時間 : 20:54:39

11月23日 (水)

はる 1620
 個展5日目
 今日は勤労感謝の日というわけで、たくさんの人を期待していたのだけれど、意外やこういった日は入りが少ない。

 朝から天気が良くて、こんな行楽日和にワザワザ暗い画廊まで絵を見に行くという気になれない。もっと楽しいことが、一杯あるものね。

 そうそう、昨日質問されたこと。絵描きでなければ何になっていたか?

 絵描きという職業?を私は選んでなったのだろうか、そこのところがあいまいだ。はたして私は絵描きを仕事として食べているのかということもあいまいだ。

 何かに書いてあったけれど、正業(かたぎの仕事)について日々ちゃんとやってゆけるならその方がいい。美大や芸大を出たからといって絵描きや小説家になれるわけでもない。

 そんなものは人生のほんの一時のきっかけにすぎないわけで、ちゃんと正業についてまっとうに生きて行けるなら、そうやって生きて行くべきだ。

 どうしてもそうやって生きて行けない、あまりにも破天荒で日と迷惑であるとか、反対にあまりにもナイーブで傷つきやすいとか、純粋すぎて他と交われないとか、そんな正業について生きて行けないひとが、芸術家などというまやかしの詐欺まがいの生き方をするのではないだろうか。

 こういってしまうと見も蓋もないかな。

 明日はお休みです。間違って来ないようにね。

 ではでは。

更新時間 : 21:15:34

11月22日 (火)

はる 1619
 個展4日目

 今日は半分はパートタイムのお仕事。午後三時過ぎに会場にでかける。

 この季節夕暮れははやい。

 画廊の窓からは、この季節独特の飴色の光が斜めにさしこんでくる。斜め向かいの大きなけや木の梢にしがみついたような枯葉が、少しの風で、画廊の前の庭に吹き寄せられてくる。

 個展といったところで、自分の日常生活とそう変わるものではない。少しの時間、こうやってボーっとそんな風景を眺めていてもいいだろう。

 また明日。

更新時間 : 20:12:12

11月21日 (月)

はる 1618
 個展3日目

 11時に行くともうすでに何組か待っていた。月曜日は毎年お客さんも少ないと思っていたのだけれど、今年はそうでもなかったな。ありがたい話です。

 今年4月に描いた130号「おおいなるもの」は毎日観ていると飽きてくる。出来そのものはそう悪くはないと思うのだけれど、何だろう説明くさいというのか、まだよく練られていないというのか、感情がナマすぎるというのだろうか、要するに浅い。

 判断の基準は「これを描くために,絵をやってきた」とおもえるかどうか。

 たった半年前の作品だけれど、もうすでにボロが見える。描いた当時は自分にとって最高の傑作だと思っていたのになぁ。

 上手く描こう、うまく見せようという魂胆が見え隠れしている。へたくそなんだからそのままでいいのだけれど、どこかに上手いねぇと思われたいのかもしれないな。

 もっと楽にやりたいな。素のままでいられたらいいのだけれど。

 明日は、午後3時過ぎにしか顔を出せません。私に会いたい人はその頃にどうぞ。もちろん絵はそのまま展示されていますから観る事はできますよ。

 では又明日。

更新時間 : 22:42:44

11月20日 (日)

はる 1617
 個展二日目。

 帰ってきて思わずコタツでうたた寝をしてしまった。ウン、かなり疲れているようだな。でもまぁ快い疲れではあるのだけれどね。

 ということでまた明日。

更新時間 : 00:42:14

11月19日 (土)

はる 1616
 個展オープンしました。第一日目。

 オープニング企画。下山君のライブは良かったよ。それから内緒なんだけれど、あの後何人かが遅れてやってきて、その人達の為にアンコールを二曲やってくれた。それがなんともよかったな。これは後まで残ってくれた人のご褒美ということで。

 人が楽しんでくれるの見るのは楽しいことだ。これは主催者の楽しみ。わかるかな?

 では、まだ来ていない人、見に来てくださいよ。待ってます。

 又明日。

更新時間 : 00:01:18

11月18日 (金)

はる 1615
 昼から飾り付け。デジカメを忘れたので様子を撮ることができなかった。また明日にで撮っておきましょう。自分でいうのもおかしいけれど、なかなかいい出来だと思う。

 明日からです、是非みなさん都合をつけて来てみてください。

 尚、明日は下山君のギター・ライブです。まだ余裕がありますよ。是非どうぞ。

 個展中もできるだけ更新するつもりですが、滞るかもしれません。あしからず。

 ではでは。

更新時間 : 22:48:12

11月17日 (木)

はる 1614
 明日はいよいよ搬入、飾り付けだ。もう何十回ともなくやっていることだけれど、やっぱりやや緊張する。個展は開いてみないとわからない。

 この間、例の村松さんのメールマガジンに書かれていたことだけれど、ネット時代の作家のありかたは随分変わってくるだろうなんて書かれていた。

 これもまた、自分なりにアレンジして話を進めてゆく。

 マスコミにのってミリオンセラーを発表する作家はこれからも当然いるだろう。しかし、多くの作家はもっとネットで個人的なつながりをもったミニコミ的な作家が多くなるのじゃないか。

 地方の文芸誌や同人誌なんかのようにネットを使って、数はすくないけれどもっと広い範囲のコアなファンをもった同人誌のようになってゆくのではないか。

 作家はマスコミを通さず、ネットなどによって自分のファンを自分で開拓していって、「自前の読者」を増やすことでたってゆくようになるのではないか。

 というようなことが書かれていた。

 まぁ文学者と絵描きとはかなり立場が違うので同列ではかたれないけれど、表現者ということでは同じ位置に立っている。

 例えば、これを読む人は隣に住む人より私のことを良く知っている。何を考えどう表現しようとしているのか、同じ目線で考え、喜び、共感できるわけで、それがこれからの作家の生き方かなと思う。

 どうだろう。

 では又明日。

更新時間 : 00:23:23

11月16日 (水)

はる 1613
 新聞なんかを読んでいるときに、ああ、これは面白い今日はこのことを書こうと思って,そのときははっきり頭の中に残ってはいるのだけれど、夜になってここを開いたときにはまったく忘れてしまっている。かす頭だ。

 この間「ほぼにち」のいといさんのコラムを読んでいたら、「大切なもの」という話が書いてあった。

 ちょっとアレンジされているかもしれませんが私なりに話を進めます。

 日常生活というものは普段何気なく過ごしてはいるのだけれど、その積み重ねが突き詰めていけばその人の一生ということになる。

 たとえば、コンビニ。これさえあればほとんどの用は足せる。現に若い独身者などはコンビニのおにぎりと弁当だけで一週間すごしている人も多いのではないだろうか。

 確かにこの現代版の万屋は名前どおり「便利や」だ。それでいいといえばそれでいいのかもしれない。暮らせているののなら。

 お手軽である、便利であるという選択を常にしてゆくとするならば、結局その積み重ねである人生そのものも「お手軽で、便利」なだけの人生にならないだろうかね。

 「お手軽で、便利」という選択の向こうには「大切な、これだけは」という選択は見えてこない。そんな気がする。

 ではまた明日。

更新時間 : 20:57:34

11月15日 (火)

はる 1612
 とても疲れたので、今日は勘弁してくださいな。
 
 又明日。

更新時間 : 22:34:18

11月14日 (月)

はる 1611
 映画「三丁目の夕日」を観た。ご存知の方も多いとおもうのですが、原作は西岸良平の一作読みきりの漫画だ。

 エンターテナーのハリウッド映画や、おしゃれなフランス映画と比べると、とてもじゃないがお金のかけ方も作りも太刀打ちできないものがあるのだけれど、何だろうな、観た後に残るこのほのぼのとした暖かさは。

 最近韓国の映画が凄い勢いで伸びている。むかし「八月のクリスマス」が凄いよ、とか「シュリ」で泣かされたよとか言っていたのが嘘のようだ。

 韓国映画の凄いところは、映画の面白さとか泣かせどころ,人が何故わざわざ映画館に足を運ぶのかみたいなことをちゃんと考えてツボを外さないとういった映画作りをしている。そこを上手くおさえないと、どんなにいい映画をつくっても人は映画館に来てはくれない。

 で、この「三丁目・・」は図らずもそのツボをうまくおさえてあるという印象をもった。筋やつくりなどほんまか?と思うほどちんけなストーリーなんだけれど、それがうまくツボにはまって泣かされる。

 小津安二郎の映画なんかもそうだけれど、極普通の日常生活を描いてしみじみ泣かせる。まぁあれは本当にその時代が撮らせたえいがだということができるだろうけれど、そのせんをねらって我々の懐古趣味にうまくはまって楽しい映画になった。

 おまけで☆☆☆☆★かな。ではまた。

更新時間 : 23:08:42

11月13日 (日)

はる 1610
 今日はいい天気だった。秋空のこういった天気のいい日曜日というのは、何となく幸せを感じる。小市民だな。

 一日かかって額装を済ませる。絵というのは裸で見る場合と、ちゃんと額装された時とでは全く違う表情をみせる。はったりかもしれないけれど、馬子にも衣装、精一杯おしゃれして自分を売り込んでいるようだ。

 額そうして、ひっくり返して見る瞬間が好きだ。どんなにおお化けしているのか、反対に悪くなる場合もあるわけで、そこのところが難しい。

 さて、オープニングのパーティをどうするか、思案する。パーティなんてガラでもないけれど、地元の個展は一年に一回のお祭りみたいなものだ。下山君のコンサートを始めたのも、お祭り気分を盛り上げるためといえば、怒られるか。

 人生はそう長くない。個展も何回できるかわからないわけで、やれる時は精一杯楽しみたい。楽しんでもらいたい。

 さぁ、いくでぇ〜!

 ということで、又明日。

更新時間 : 22:22:26

11月12日 (土)

はる 1609
 アトリエが額の山でなんとも仕方がない。

 今年はいつもと少し違う額を注文した。まぁ最近わりに見かけることが多いのだけれど、全体の雰囲気は昔の昆虫の標本箱のような感じかな。

 これは普通生地(木のナマの色)なんだけれど、セピアに塗装してもらうことにした。根来塗りという仕事で、下地を何回も処理して上から塗った塗装をふき取る。そういった工程を繰り返したようなしっくりした技法だ。

 日本の額は概して塗装はもちろん、つくりも繊細で、それ自身が工芸品のように美しい。最近は色んな格安の外国産の額が出回っているけれど、やはり日本の仕事がいいなんて思っていた。

 ところが、注文してこれが一ヶ月以上かかるので、あまりにも時間がかかりすぎるので不思議に思っていたのだけれど、なぜかその疑問がとけた。

 日本の会社だけれど、例によって仕事は外国の安い労働力をつかって海外で生産しているとことだ。日本の指導者が海外の職人を教育して使っていると言うことだな。

 ここでも技術は海外に流失してしまっているわけだ。後何年かたてば、あらゆる手仕事は日本じゃできなくなるだろうな。

 われわれは何処へ行こうとしているのだろうか?

 では又明日。

更新時間 : 00:37:07

11月11日 (金)

はる 1608
 かなり寒くなってきた。そうだよなぁ、もう11月だもの、このくらい寒くないとおかしいよ。

 来週の土曜日から個展が始まる。まだ額装はしていないけれど、準備はほとんど終わった。あとは現場でどうレイアウトするか、そんなところかな。

 いつものことだけれど、準備が終わってしまえば自分の中では個展は終わってしまっている。あとはイベントを楽しむだけだ。楽しみだなぁ〜。

 オープニングのコンサート、まだ余裕がありますので、是非いらしてくださいな。メールでもお知らせください。

   11/19(土)7:00オープニングコンサート
   下山亮平アコースティックギター・ライブ

更新時間 : 23:33:35

11月10日 (木)

はる 1607
 個展についての取材を受ける。まぁ記事になって載るというだけでもありがたいのだけれど、なんとなく不満が残る。

 電話取材というのはいつも難しいなぁと思う。もう何年もこういったコンセプトで発表してきているにも関わらず、いざ取材を受けて答える時になると上手く答えられない自分がいる。情けないなぁ・・。

 それからもう一つは、取材する側に何となく載っけてやるのだから・・という姿勢が見えると興ざめしてしまう。相手はそんなつもりは毛頭ないのかもしれないけれど、何となくある種のマスコミの特権意識みたいなものを感じてしまうのは、私だけなのかね。

 案外地方の弱小新聞の方が取材に「愛を感じる」のだけれど、これも田舎もんのひがみ根性かね。気をつけないと、卑しさが言葉に出てしまう。

 ではでは又明日。

更新時間 : 21:19:00

11月9日 (水)

はる 1606
 本田美奈子が白血病で亡くなったそうだ。申し訳ないけれど、彼女のことを全く知らなかった。それが何だかテレビも新聞もほとんど見ず、フランスの暴動さえ知らなかった、私にまで情報が届くのだから、大変な騒ぎというわけだろう。

 これだけ医学が発達した世の中になっても白血病=若くて死んで行くかわいそうな病気というイメージがあって、何となく同情的になる。特に若い?歌手がこれにかかって亡くなったということになると、芸能界は大騒ぎになるだろうな。

 いずれにしろ表現者というのは自分の身を犠牲にして糧を得ているようなところがあって、言葉は適切でないかもしれないけれど、最後になって報われたというのか実を結んだという気がするな。

 ご冥福をお祈りいたします。

更新時間 : 21:17:27

11月8日 (火)

はる 1605

 「名画の条件は?」と聞かれてどう答えるのか。まぁそれがわかれば苦労はしないか。

 何でもそうだけれど、今ある自分の度量でしか物は見えないのだから、小学生にとってとか、中学生にとってとか、男にとって、女にとってなど、条件をしぼる必要があるかな。

 まぁ良くわかりません。

 今回笛を吹く道化が初めて出てきた。今までも楽器は好きでよく描いたけれど、笛をふく人はなかった気がする。どこからそんなイメージが出てきたのだろうか?

 もっとも学生の頃、一度だけ笛を吹く女の人にモデルになってもらったことがあった。そんなことはとっくの昔に忘れてしまっていた。それがここで思い出されたとは思えない。

 笛を吹く少女の絵といえば、アンリー・ルソーの「蛇使いの女」がある。まぁヘタウマの元祖のような絵描きだ。絵を始めた頃はこのヘタサかげんにうんざりしたけれど、最近はますますヘタに近づいてきて、許容範囲内に入ってきた。しかしこれでもない。

 今思い出したのが漫画「陰陽師」のワンシーン。確かなことは忘れたけれど、安部清明の友達で楽器の名手・源博雅が、夜、笛を吹くとあまりにも悲しくて鬼が泣いた、そんなところがあった気がする。

 そんなところかな。又明日。

 


更新時間 : 22:54:37

11月7日 (月)

はる 1604
 まぁ何だってそうなんだろうけれど、続けるということは大変なことだな、とつくづく思う。

 最近はそうでもないけれど、若い頃は一年間に大きい作品を5,6点は普通に描いていた。特に団体展やコンクールに出品していた頃は質より量みたいな感じで、同じ様な作品でも並べてどんどん描いていた。

 まぁそういった描き方をすると、みんな似ているのは仕方ない。全部まとめてアイディア一つみたいなものだから。描きたいから描くと言うよりも、兎に角描くといった感じかな。

 その頃から比べるとはるかに量は減ったように思うな。だからといって質が上がったとも思えないけれど・・。どうなんだろうか?

 ある人が民芸の陶芸家・浜田庄司のドロッピング(釉薬をたらすかけ方)を見ていて「いいですね、陶芸家は3秒で仕事が終わりですから」というと、「いえ、これに私は60年と3秒かかりました」と答えたという。

 う〜。眠たい、又明日。

更新時間 : 22:04:42

11月6日 (日)

はる 1603
 今日は朝から曇天。午後からは雨が降り出した。一日気温も上がらず、一気に秋も深まった感じだな。

 午前中、雨が降る前に雑用を片付ける。追加のDMを出しに郵便局の本店にゆく。まだ石油ストーブは出していないけれど、遠からず必要になるだろうから、灯油を二缶買ってくる。去年の二倍近くになっていることに驚く。

 車のガソリンも値上げしているし、ことしの冬はけっこう光熱費が高いようだな。いずれ石油は枯渇することを考えると、何か代替エネルギーを本格的に考える必要があるのじゃないか。

 午後からは昼寝、そして個展関係の雑用。キャプションの印刷、パネルに貼り付けたり・・エトセトラ。これも含めて個展です。

 夕ご飯の後、いよいよ130号の仕上げに入る。気になっていた主人公の顔をつぶしてざっとデッサンする。このくらいの方が私の絵ではいいように思う。あまり描き込むと顔だけ浮いて見える。

 最後に周りを閉める。何かなよくわからないのだけれど、描き込んでいる間は「あちらの世界」と「こちらの世界」は行ったり来たり自由に行き来できる。

 けれど、最後には閉めておかないとまずい。特別「あちらの世界」に興味があるわけではないけれど、これでお終いだよという意味もふくめてある種の儀式かな。

 ほぼ終わった。ではでは。

更新時間 : 23:10:35

11月5日 (土)

はる 1602
 少しましな方向になっては来たようだけれど、大きな絵はやっぱり難しい。人の絵は色々言えるけれど、自分の絵はわからない。

 ということでまた明日。

更新時間 : 22:59:52

11月4日 (金)

はる 1601
 今日DMを発送しました。二三日後には着くと思います。もし私のところには来ないわ、という方は漏れた可能性があります。是非プンプン漏れたぞ!とメールください。

 130号メインの人物の顔が気に入らない。何度か手を入れるがあかんかもしれんなぁ。

 又明日。

更新時間 : 21:17:36

11月3日 (木)

はる 1600
 今日は展覧会の梯子だった。午前中は山梨市の画廊、午後から自分たちのクロッキー展の会場へ、お客さんは限りなく少ない。後、美術館に県展の搬出。

 日ごろはお客さんもまばらだけれど、入搬出時には大きな駐車場も一杯になる。ここだけ見れば芸術文化の盛んな県に見える。

 県展も三年前から県民文化祭と名前を変えて、広く一般から公募文化的な情報を発信したい意向だけれど、名前だけ変わって中身は旧態以前だから、ほとんど何も変わらない。

 公開審査で後ろで出品者が見守っている、なんとなくやりづらい。公開審査の意味はあるのかな。

 よくある自然な山や川を描いた風景はほとんど入選しない。むろんそれなりのグレードがあればその限りではないのだろうけれど、そこのところの説明が難しい。抽象だからいいというのでは勿論ない。出品者に何故か?と問われて上手い回答ができなかった。審査員として失格だな。

 「いいものはいい」といってしまえばそれまでなんだけれど、無審査システムでない限り,どこかでラインは引かれる。審査員とて絶対ではない。けれどまぁ、こういった芸事を審査するのは客観的ということは絶対ありえなくてね、必ず審査員の主観が入る。それが嫌だったら出さないことだな。

 出品者がこれを見ていたらどうか怒らないで下さいな。厳粛に公平に審査はされています。もっとも、審査とはそういったものなんだということで、許してください。

 ではでは。

更新時間 : 21:43:33

11月2日 (水)

はる 1599
 何が描きたかったのか、ここで整理してみよう。

 笛を吹く人がいる。夜、悲しげな音。集まる道化師たち・・。

 まだまだ不満が残る。決定的なのは、絵に魅力がない。人を惹きつける魅力というものは作ろうとして出てくるものではない。こればっかりは努力でも、教えられるものでもない。はっきり言ってもって生まれたセンス、才能だろう。

 有本利夫や望月通陽にはある。あれはなんというものだろう。絵が上手とか下手だとかいう範疇ではない。言葉にすれば、おおらか、のびのび、大きい、亡羊とした、無理のない、無作為、そんなところだろうか。

 上手であってはいけない。うまいなら神業に近くなければならない。そこまでになれないなら、下手なままでいい。

 芸術というのが人があこがれるものだとするならば、たぶんあそこあたりのことを言うのだろう、とは理解できる。けれどなかなかそこまで行くことができない。

 絵と人間が同じというならば、絵に魅力がないということは自分自身に魅力がないということにはならないか。人の魅力なんてそれこそ持って生まれたもので、一朝一夕にはなんとかなるものではない。

 ないものを悲しんでも仕方ない。もうここまでやってきてしまったのだからね。今あるものでなんとか物にするしかないだろうな。

 うん。まぁそんなとこか。

更新時間 : 14:11:59

11月1日 (火)

はる 1598
 今学校にいます。まぁ、とても疲れました。ブログの方は昔の日記からトラックバック用に貼り付けたものでお茶を濁しました。

 ほとんどブログの方と同じだけれど、ときどきこうやって休みましょうかね。ここを見ている人はどのくらいいるのでしょうか?

更新時間 : 21:07:54