2005 9月

9月30日 (金)

はる 1566
 元「宝島」の編集者だった村松恒平さんのメルマガが面白くてバックナンバーを少しずつ読んでいる。

 この人の文章は決して格調高くはないけれど、すべて自分自身の染み付いた言葉で兎に角分かりやすい。ライターとか文学とか兎に角書くことを、表現することを仕事にしようとする人間は一度は読んでおくべきだろう。

 まだほんの少ししか読んではいないのだけれど、色々具体的になるほどなぁ、と思うことが多い。

 少しくどいけれど、人に伝えよう、分かってもらおうという心持がズンズンと伝わって来て感動的ですらある。文章のところを絵画に置き換えて、そうだそうだその通りだとうなずくことたびたびです。

 その中でネット発の文学について書かれていたのだけれど、ネットで作品発表をするのはただで宝を分け与えているようなもので、アマチュアならいいけれど、プロのすることじゃないのじゃないかという質問が寄せられていた。

 それに答えて、例えば唄うことで世の中に出ようとしている人間が、大衆のカラオケでは唄わないというのは一見筋が通っているようにみえるけれど、長い目で観ると違うのではないか。

 唄うことでその場にいる人を感動させる、聴いてもらうという行為にはどこででも違いはない。結局その人はチャンスをほんの少しだけだけれどにがしたことになる。(文章力がなくへたくそな引用になっています、是非本物に当たってみてください)

 でまぁこんな風なことも書かれていた。どんどん書けばいい、それで書けなくなる様じゃそこまでの才能だったということだ。このネタはまた後でなどと出し惜しみしていれば、そのうちネタの新鮮味はなくなるし、結局あぶはちとらず、元も子もなくなってしまうということさ。

 文章のところを絵に置き換えて読んでみると、何か自分に言われているような気がして、熱い気持ちになった。

 掲示板にリンクしておきます。読んでみてください。

 ではまた明日。

更新時間 : 22:57:30

9月29日 (木)

はる 1565
 阪神が優勝しました。ほとんど興味がなかったのですが、たまたま新聞を見たらマジックが1だったので、優勝の瞬間をテレビで観ました。まったくのミーハーです。

 この間の相撲の話の続きではないけれど、野球も旬の選手がみんな大リーグに行ってしまって、意識的には日本は二軍なみになってしまったな。

 一流のスポーツ選手がハングリーである以外にモチベェーションになりえるのは「世界で一番」というプライドだろう。それが見えているのに挑戦できないとすれば、彼らには屈辱だろうね。まぁ昔は太刀打ちできなかった諸々のことが、日本人でも充分やれることを示した野茂やイチロー、松井が凄いのだけれどね。

 例えば相撲が日本の国技で外国人のチャンピオンがどうたらこうたら言うのであれば、最初っから外国人にオープンしなければ良かった。日本人だけでちまちまとグローバル化など考えなければ、それなりにやれたのではないかと思う。

 そうかんがえると、日本のプロ野球はインターナショナルにならない方が生き残れるなもしれないね。大リーグに行きたい人は放っておいて、日本人だけの「国技野球」として続けた方が残る気がする。これもまぁわかりませんが。

 ではまた明日。

更新時間 : 22:55:24

9月28日 (水)

はる 1564
 人からよく言われることは好きなことをして生きているからいいですねぇといった話や、芸術の秋だから制作三昧ですか?といった話。夏はどこか涼しいところにこもって仕事するのでしょう?

 みんないわゆる芸術家への憧れや幻想が生み出したまぼろしのたぐいだ。まぁ少しはあてはまるところも、あるかもしれないけれど、超有名な作家でもないかぎりそんな悠長に生活できるはずがないでしょう。

 好きなことをやるということは、経済的にはまったく無能であるということだし、芸術の秋に作品を描きだしたのでは、秋の展覧会には間に合わないのです。真夏のくそ暑いアトリエであえぎながら仕事をしているといった方が正しい。

 私の作品は私自身の分身というのか、生き方の現れたもので、取ってつけたようなスタイルを真似ても、私自身にはならないのだな。しかたないから居直って「武士は食わねど・・」と死ぬまで貫き通すしかない。

更新時間 : 21:10:06

9月27日 (火)

はる 1563
 まぁとても疲れました。ごめんなさいね。また明日。

更新時間 : 22:14:22

9月26日 (月)

はる 1562
 昨日久しぶりに相撲を見た。そうだなぁ、相撲が意識にあったのは若乃花、貴乃花が幕下でデビューしたころで、あの頃の若貴は若武者のようでカッコよかった。日本男児かくあれなんて本気で思ったものだ。

 しかし、内実は全く違った。そのことは最近のごたごたを見れば充分だ。あまりにもバカバカしすぎて話題にしたくもない。

 一つだけ言わせてもらえば、芸能人の離婚会見なんかでも感じることなんだけれど、夫婦とか身内でしか知りえないようなことを公にばらしてしまうのはいただけない、というのかエゲツナイ。それを言っちゃーお終いよ、と思う。言った本人の品格を下げるということがどうして分からないのだろうか。

 とまぁそれはいいとして。今は琴欧州がかっこいい。彼が横綱になって日本の大相撲を牽引して行くなら、それもまた面白いかななんて思う。新しい時代だよな。

 それにしても日本人のお相撲さんは情けない。まぁ大体においてプロのスポーツマンでハングリーであるというモチベーション以外で戦えるものなんてあるのかな。当分外国人力士の天下は続くとおもう。

 色んな職種で混血、移民がこれから起きるだろう。日本人だというだけで、割のいい仕事が廻ってくる時代も段々になくなってくるね。そうなると、ヒトラーみたいな人間が現れて、外国人排斥、国粋主義が台頭して、軍国主義まっしぐらなんてことになる。

 まぁそうなる前にしっかりとした法律を作るべきだろうね。入れた限り権利と義務もはっきりしておく必要があるだろうな。よく分からんけれど。

 また明日。

更新時間 : 20:23:33

9月25日 (日)

はる 1561
 久しぶりに家でごろごろしていた。仕事もそこそこやりましたが、目に見えて進んではいませんな。

 書けたらまた後で。ではでは。

更新時間 : 19:50:36

9月24日 (土)

はる 1560
 午後からこのところ毎年お邪魔している中央葡萄酒(グレースワイン)の収穫祭に出かける。

 葡萄酒といえば我々の世代では赤玉ポートワインが懐かしく想い出される。今ネットで調べたらあれはサントリーのワインだったのですね。あの本邦初のヌードポスターで有名です。大正時代の話なので私は無論後から知ったのですよ。

 ポートワインというから港と関係していて、神戸のワインかとずっと勘違いしていた。ポルトガルのポルトから来ているらしい。へぇ〜〜知らなかった。

 山梨は地元の産業が果樹農家ぐらいしかなく、最近は精密機械屋さんが空気のきれいな高原に工場を誘致して少しは働ける場所を提供したけれど、基本的に募集しているのはパートタイムのような臨時職でしかなく、若い人の働き口が少ない。

 なまじ東京が近いというのは考えもので、少し頑張ってやってみようかと思うやる気のある若者は、魅力のある都会に出てしまう。ターゲットを若者に向けたお店や面白い企画はことごとく失敗する。大体、ターゲットにする若者が少ないのだな。人口が少なくなると何をやっても盛り上がらないという悪循環だ。

 そういったなかで、比較的にワインに関係する職場が元気だ。面白い人材も育ってきているように思う。まぁがんばって盛り上げて欲しいと思う。

 町が活性化するのはそれだけで楽しいものだ。

更新時間 : 22:02:26

9月23日 (金)

はる 1559
 午前中はDMに使う写真を、知り合いのデザイン屋さんにお願いする。

 最近はデジカメ撮影が主流で、とったあとすぐに見ることができるのでたいへん便利です。ちょこっと修正もできるしね。昔のように兎に角たくさんとって現像して、その中からいいのを選ぶなんて事をしなくてすむ。まぁいいのか悪いのか良くはわかりませんがね。

 原稿なんかも最近はメールで送ってしまう。昔はきれいに清書して渡さないと間違うことも多かったし、そこからまた写植屋さんに原稿をまわすのだから、手間隙がかかった。

 ワープロが出てきた時に近いうちに写植屋さんはなくなるだろうと思ったけれど、これほどはやく一つの職業がなくなってしまうとは思わなかった。

 そういえば、印刷業界でもずいぶんと変化があっただろう。例えば活字を拾うなどという言葉があったように、実際に一つ一つ活字は拾って組み上げたのだから、今から考えると気の遠くなるような話だ。

 学校のプリントなんかも随分と変わった。私が教育実習に付属の中学学校に行った時は、先生方は鉄筆でガリ版を切っていた。それを輪転機に巻いて夜遅くまでプリントしたのを覚えている。

 まぁ手間隙かけたからいいのかどうか、そこのところも分かりませんがね。

 ではまた明日。

更新時間 : 23:05:42

9月22日 (木)

はる 1558
 少しサボりました。しかし、一日外で働くともう帰って何かやるという気力がなくなりますね。こう自分に甘えると言うのか、一応義務は果たしたんだから「今日はいいや!」なんて気になります。

 パートタイムの仕事はアルバイトといえばそうなんだけれど、もう何十年もこれに関わっているから、プロフェッショナルともいえる。人間相手だから面白いところもあるけれど、生ものだから間違うと怖い。

 定職を持ちながら画家として一人前以上の活動をしている人には頭が下がる。何故そんなことが可能なのか?絵を描くということが本当に好きなんだろうなぁ。

 そういったことを考えると、私は絵を描く事など本当は好きじゃないのかもしれない、なんて思う。一生描かなくても案外平気なんじゃないの・・。こうやって日がな一日中ボッーと空を見てても、いっこうに飽きないものな。根っからの「なまけもの」ちゅうことかな。

 あぁなさけない。また明日。

更新時間 : 19:28:28

9月21日 (水)

はる 1557
 今日も書けんかもしれん。また後でね・・。

更新時間 : 21:10:29

9月20日 (火)

はる 1556
 一日パートタイムジョブ。まったく疲れ果ててしまった。
 ごめんなさいね。
 また明日。

更新時間 : 22:27:43

9月19日 (月)

はる 1555
           
      2005年 第19回個展によせて(下書き)
           〜色はにほへと〜
             
「色は匂えど、散りぬるを」
  おけいこ事の始まりを「・・のいろは」などという。これを「・・のあいう」としてはしまらない。もう一度初心に戻ってということも含めて、今回のテーマを「いろはにほへと」とした。

「我が世誰ぞ、常ならむ」
 たった一つでいいから、これだけを知っていれば「大丈夫だよ」というようなものがないだろうか。大げさにいえば、この宇宙の「おおいなることわり」のようなものが見つからないだろうか。

「有為の奥山、今日越えて」
 しかし、私などがいくら考えてみたところで出てきたものは、たかが知れている。所詮、分かる、理解できるというのは、私の手の内、知恵の及ぶ範囲でしかない。

「浅き夢見じ、酔いもせず」
 見る、聞く、匂う、など人には五感がある。しかし、知りたいのはそういった感覚の外にあるものだ。それを昔の人は「色は匂う」「味を聞く」「音を観る」などと美しい表現をした。
 ほんものは、じわりと何処からか降りてくるもののようだ。

 そんなことを考えながら、今年もまた色とかたちと言葉であそびました。一緒に楽しんでもらえると嬉しく思います。

           榎並和春個展
          〜色はにほへと〜
            
   2005 11/19(土)〜11/27(日)11/24(木)休廊
       甲府・ハーパーズ・ミル
   400-0808  甲府市東光寺町1346  電話055-233-3157

   11/19(土)7:00オープニングコンサート
   下山亮平アコースティックギター・ライブ
      (無料・要予約・榎並まで)
                         (後日編集)


更新時間 : 08:59:26

9月18日 (日)

はる 1554
 今日は中秋の名月。きれいな月が出てます。いいものですな。
 ではでは。

更新時間 : 23:45:21

9月17日 (土)

はる 1553
 歯医者に行く。このところ何回か歯医者さんにかかっている。そうだなぁ、昔は三年に一度くらいだったのだけれど、ここにきて半年に一度くらいになってきたかな。

 胃の手術をしてから、やっぱりある種類のビタミンや鉄その他カルシュームなんかもやや不足してくるようだな。爪なんかも弱くなってきたような気がするし、例の反り返るスプーン爪という症状がややでてきたようだ。

 かみさんが気にしてビタミン剤など何処からか色々手に入れていて、飲まされているけれど、ああいったものは気休めにしかならないような気がするが、どうだろうか。

 さて歯だけれど、昔は磨き砂みたいなもので磨いていたきがする。チューブの歯磨き粉が出てくるまでは、確かにあれは磨き粉だった。

 歯ブラシも結構いいかげんなブラシで、硬いような剛毛で磨くと歯茎から毎回血が出ていた。またそういったゴシゴシやらねば歯を磨いたようなきにならなかった。

 考えてみればそれがいけなかった。最近歯医者さんで歯磨きの方法を教授されたのだけれど、ほとんど歯ブラシは動かさないで微振動を加えるくらいでいいそうだ。歯茎のマッサージでいいようだよ。

 それから比べれば何と野蛮な原始人のような磨き方だったことか!私の歯は歯茎から真横に見事に磨り減って溝になってしまった。今はそのメンテナンスにかかっているようなものだ。

 歯といい、家といい、私にはメンテナンスが付きまとうようだな。

 いい月が出てます。ちょっとのぞいてみてくださいな。

更新時間 : 20:44:23

9月16日 (金)

はる 1552
 午前中は二階の屋根のメンテナンスをやるつもりで梯子をかける。この間からどうも瓦のかけらが、ちらほら落ちているようなので気にはなっていた。

 瓦というのは家のなかで一番過酷な環境に晒されているのかもしれない。真夏の昼間瓦の表面は百度ちかくになるだろうし、真冬は零度以下になるのだろう。

 最近の建材はそういった過酷な環境にも充分対応できるようにつくられているのだろうけれど、昔ながらの黒瓦は思っていた以上に劣化するようだな。特に冬場の損傷が激しい。

 今回久しぶりに二階の屋根に上がってみて完全に割れているのは一枚だったけれど、劣化して細かく割れているのは何枚か見つけた。放っておくと雨漏りの原因となる。

 しかし、こんな風に他の家では自分でメンテナンスしている様にには見えないのだけれど、どうしているのだろうか?そういえば一階の屋根のペンキを塗り替えるまで、どこでどうやって見ているのかよく屋根屋さんから電話がかかってきた。案外飛行機から空中写真でも撮られているのかもしれないなぁ。ちょっと不気味。

 こんな話はつまらないねぇ。でもまぁ私の日常ではあります。

更新時間 : 22:29:22

9月15日 (木)

はる 1551
 アトリエの掃除をする。小品にめぼしが付いてきたということもあるけれど、私の仕事場は左官屋さんの作業部屋の様で、放っておくと凄まじいことになる。ある程度めぼしがついたところで、片付ける必要が生じてくるのだ。

 そんなことでばたばたと一日終わってしまった。これから、大きい作品にもかからなければ。なぜなら今年の銀座・ギャラリー惣の個展はここ一二年年の大きな作品でやるつもりだからだ。会場がそう大きくないのでどういった展覧会になるのか、不安もあるけれど楽しみの方が大きい。

 小品中心のいつもの展覧会にしろ、今回の様な個展にしろ、どうのみちワンマンショーには違いがないのだから、不安も期待も含めて大いに楽しみたい。こんなところだけ妙に楽天的だなぁ、不思議!

 ということでまた明日。書けたらまた後で・・。

更新時間 : 21:04:16

9月14日 (水)

はる 1550
 我々一般人にはわからないのだけれど、仮に宇宙を支配する大原理みたいなものがあるとする。(この間の話と少しつながるかもしれないが、脈絡なく考えているのでどうなるかわかりませんよ)

 たぶん全宇宙を見渡せるような「おおいなるもの」なら、いとも簡単にその糸口がみいだせるのかもしれないけれど、下々のものには到底みることはできない。

 しかし、我々もその大宇宙の中の一つの存在であるならば、感じる、わかるということは別にしてそのような「おおいなることわり」の中で生きているはずだ。

 孫悟空の話ではないけれど、実はこの世と言うのはお釈迦様の手の内だったという話も満更嘘じゃないのかなとも思う。

 本当は我々の心の中に宇宙があるというのは話が飛躍しすぎだろうか。

更新時間 : 21:13:04

9月13日 (火)

はる 1549
 ちょっと考えてみてくださいな。自分が今まで生きてて、まぁいろんなことがありましたわねぇ。で、そういったことをギュッと搾ってポタリと落ちてきた、一滴っていったいどんな「ことば」なんだろうかね。聞いてみたい。

 ではまた明日。

更新時間 : 21:04:47

9月12日 (月)

はる 1548
 今日は一日雑用でおしまい。まぁ生きて行くということは雑用をこなしてゆくということでもあるわけで、雑用のない恵まれた?環境のひとは人間(ひとのあいだ)とは言わないのかもしれない。

 まぁ絵は描かなくても仕事はできるわけで、今年の個展のテーマなどをうだうだと考えている。特別に今年に関係している必要はないのだけれど、「今現在私」がこうこう考えているということが大切かなと思う。

 大体テーマを考える時はノートの代わりに電話帖のいらなくなったものを用意する。筆と墨を用意して頭に思いつく「ことば」やフレーズ、コピーなどをどんどん書き込んでゆく。いらなくなった紙はどんどん破いて捨てる。これは必要だと思ったものはアトリエの壁に貼っておく。メモ、ことばによるデッサン、覚書そんなものかな。

 これは結構楽しい作業だ。

 まだ具体的には発表できないけれど、もう少し待ってくださいな。

 ではまた明日。

更新時間 : 22:40:39

9月11日 (日)

はる 1547
 秋の雨が降り出しましたね。涼しくてよいですな。

 さて、今日は午前中から用事があるので、六時半に起きて散歩がてら近くの小学校まで選挙の投票に出かける。

 七時からということで、もうすでに何人かのひとが並んで門が開くのを待っていた。今日は朝から曇天で、むっとした湿気を含んだ空気がまとわりついて気持ちが悪い。

 それに人が集まると何故か蚊も起きてきて、半ズボンでさわやかに散歩してきた私の足を集中して襲ってきた。エイヤエイヤと気合をかけながら待つこと10分。やっと七時の時報がなった。すぐに開門されて投票の受付が始まるものと思っていたのだが、なにやら様子が違った。

 開門はされても、中で椅子の整頓や細々した打ち合わせをやっているらしく、いっこうに前に進まない。

 並んでいる人人も、少しイライラと騒ぎ出した。曰く「七時投票というのなら、六時半に来て準備しておけよ」「お役所仕事はこれだから困る」「民営化はここからしなきゃ・・」などなど。

 閑話休題

 久しぶりに裸婦クロッキーに出かける。七月は自分の個展があったりして参加できなかった。八月はお休み。

 まぁいつものことだけれど、午前中はあまり集中できない。まだ体がこなれていないということかな。

 午後に入って、気温もヒートアップしてくるけれど、次から次と繰り返されるポーズに頭も腕もややくたびれてくる。このくらいがちょうど滑らかになっていい。

 四時半まできっちり遊んで、きょうはおしまいでした。また明日。

更新時間 : 20:51:30

9月10日 (土)

はる 1546
 若い友達が明日からイギリスに留学するというので送別をかねて出かける。

 私がなかなか大人に成りきれないということなのか、友達は圧倒的に若い人が多い。まぁこの年になれば、普通の仕事を持っていればそこそこの地位や肩書きがあるだろうし、子供がいればそろそろ孫がいても不思議じゃないわけだから、推して知るべしということか。

 それでもやっぱり、これからという人達は面白くて、私なんかあれくらいの歳の頃は何をしていたんだろうなんて反省しきりだ。

 「最近の若者は?」なんていうことを良く聞くけれど、彼女たちは、なかなか夢があってしたたかだ。何も出来ないけれど応援したくなるというものだ。

 がんばって楽しんで来てください。

更新時間 : 21:54:28

9月9日 (金)

はる 1545
 ホームページを立ち上げて、一人前になにやら情報発信しているからパソコンが理解できているか、といえばこれは全く素人だと気がついた。これとそれとは別問題らしい。自分でも勘違いしていたようだな。

 というのは私のこの日記・「日々好日」は知らなかったのだけれど、どこかのサーバーからレンタルしているものではなくて自分でソフト(CGI)を借りて作ったものだということを今ごろ知った。

 ブログなんかもそうだけれど、利用するのは本当に簡単で、ほとんど何の知識もなくても一人前に情報発信できるようになっている。

 ところが、いざ不具合が出来てどうなっているのか?と疑問に感じて探ってみるとこれが何とも複雑で何も分かっていなかったのだと痛感する。

 しかし、少し探ってみてはいるのだけれど、色々簡単設定のHPがあるけれど、読んでみて本当にこれで簡単なの?と疑問に思う。頭がもうついてゆけないな。悔しいけれど。

 

更新時間 : 22:51:57

9月8日 (木)

はる 1544
 いつもの画材やさんにボックス型の額縁を頼んだ。額縁というのは、けっこう流行りすたりがあって、その時代の雰囲気をよく表している。

 例えば、梅原龍三郎なんかが盛んに活躍していたころの額縁というのは、ヨーロッパの舶来物が一番といった感覚があって、金箔を貼ったごてごてとした装飾過剰な額が多い。

 少し前にスチール額が出てきてわりとポップな感覚の作品はこういった軽めの額縁が多かった。

 最近は反対に額縁など否定して、キャンバスのままやパネルのまま展示する人も多い。現代美術系の作家はほとんどこういった展示ではないかな。

 私は額縁が好きだ。出来たら額縁まで自作したいと思う。だから額のない裸の作品はあまり見せたくない。実力のなさを額縁でごまかしているのかもしれないけれど、額は現実世界との結界だと思っている。

 「あちらの世界」と「こちらの世界」どちらにも行き来が自由にできるのが、我々の仕事であって、そういった世界との入り口が額縁の様な気がする。

 しっかりした結界を張らなければ、入ったまま帰って来れなくなってしまいそうな気がするのだ。
 

更新時間 : 23:23:28

9月7日 (水)

はる 1543
 今年の個展のテーマを考える。まだ本格的には何にも考えてはいないけれど、うすぼんやりとしたあいまいな感じが見え隠れしている。

 まぁテーマと言っても基本的には毎年何かが変わるわけではない。このところの毎年のテーマを見てもらえば、そこらあたりのことには気づいてもらえるだろうか。

 言葉そのものは変わっているかもしれないけれど、言ってることは一貫しているように思う。どうだろうかね。

 「気になることば」「うつくしいことば」「ぴったりすることば」など、何か浮かんでくる言葉を待っている。

 東京展は昨年できなかった、ここ二三年の少し大きな作品を展示しょうかなと思っている。まだ未定ですがね。

 そんなとこで、また明日。

更新時間 : 20:01:32

9月6日 (火)

はる 1542
 台風はどうなってますか?

 疲れました。

 また明日。

更新時間 : 22:52:07

9月5日 (月)

はる 1541
 大きな台風が来ているようだ。今日あたり九州に上陸するかな。

 明け方、凄い雨音で目がさめた。台風はまだ来ていないようなのにもうすでに雨で被害が出ているようだ。近くに川が流れているのでその点やや心配だな。

 昨日、台風情報を見るので久しぶりにテレビを見た。テレビの悪いところで見出すとついつい他の番組も見てしまう。特にCMが面白いな。たまに見るとほんとうによく出来ていると思う。

 で、いま改築ばやりでビフォー&アフターなんていう番組をやっていた。これが結構面白かった。こんな風に工夫しました、こうなりましたと設計者が自慢してどうする、あんたはそれが仕事でしょう、と思ったけれど、まぁいいか。

 こういった改装や改築の面白さは、こんな狭いところをこういう風に工夫しました、こうなりましたというのが面白いわけで、いいところをプロにまかせて、自分は使うだけというのは面白くないなぁ。せめてアイディアを出すなり、希望を述べるなりしないと、こういった改築ものもまだまだだななんて思う。

 未だに何もかもお任せじゃ、ほんとうの面白さは半分もわかってないな。失敗しても、間違っても、自分が考えたり、アイディアだしたり、自分が作ったりするから、面白いのでね。最後の引渡しで涙流して感謝してたけど、そりゃ違うよな、面白かったのは設計したご本人だと思うぞ。

 明日は台風で大雨かもしれん。学校だけどいっそお休みにならないかな?なんて小学生みたいだな。ではまたあした。

更新時間 : 20:55:26

9月4日 (日)

はる 1540
 さてさて、今日も一日終わってしまった。

 機会があれば、また後で。ではでは。

更新時間 : 21:33:25

9月3日 (土)

はる 1539
 残暑がなかなか厳しい。午後からはアトリエは西日があたって地獄のごとし。ということで、ゴロゴロと本を読みながら寝てばかりいる。こういった日常も絵描きの生活だと居直っている。そうなのかなぁ・・。

 もう十年も前になるのか、左のメニューにもあるイタリアに滞在していた。帰国してすぐの夏休みに忘れてはいけないと思って滞在記を書き始めた。

 いつもの私の悪い癖で何枚か書いた所で、飽きてしまってそのままにしておいた。まぁ日記もつけていたので、かくきになればいつでもかけるつもりでいたのだけれど、そのうちに忘れてしまった。

 こういったものは作家でもないかぎり一気呵成に書かなければ、その臨場感はどこかに消えてしまうのだな。もう書けない。

 という訳で中途半端なものだけれどアップ(イタリア滞在記の番外編)した。暇つぶしにどうぞ。

更新時間 : 21:27:45

9月2日 (金)

はる 1538
 午前中はちょっとした雑用で出かける。近く中華屋さんで昼食。こういったお店にいっても、ゆっくり食事しているのは奥様連中ばかり。昨日の安藤さんの話ではないけれど、世の男どもははっきり言って置き去りにされている。

 食べることはもちろんのこと、音楽会や美術館に行っても多くの場合、女性が大半を占めている。40歳くらいから世の女性たちは子育てから開放されて、文化的な好奇心に目覚める。男は仕事一筋にやってきて、それ以外の好奇心を育てることが難しい。

 いわゆる芸事と言うものは押し並べて継続することを要求される。カルチャーとは耕すと言う意味だというようなことを聞いたことがあるけれど、いいえて妙だ。

 持ってきてそこに備えてもそれはそれで面白いけれど、面白みは半分も分からない。自分の中を耕して耕して耕して、こころを育てることでやっと少しは興味がわいてくるというものだ。こいつはなかなかに時間がかかるし、続けるのは難しい。そこのところが面白いのだけれどね。

 この部分はまた考えてみたい。また明日。

更新時間 : 22:30:14

9月1日 (木)

はる 1537
 九月になりました。

午前中は安藤忠雄さんの公演会があるということで出かける。安藤さんは本もだけど、一時期盛んに時代のメッセンジャーとしてテレビにも出られていた。彼の出身が関西ということもあって安藤建築はかなり見ている方だとおもう。

 なぜ彼の様な高名な建築家がこんな辺鄙な田舎の市制祭の公演に来たかといえば、何と驚くなかれ、今度この田舎町の駅舎を安藤さんが設計するということだ。そのデモンストレーションにやってきたというわけだ。

 まぁ関西人特有のブラックユーモアを所々に入れてそれなりに面白おかしく、なかなかの話芸だなぁと思った。まぁとにかく学歴もコネも何もないところから這いあがって来た、一種の建築界の天才だから、何をやっても絵になるし、バイタリティが並みの人間ではないように思う。

 前々からの私の意見は、日本の建築家は建物だけを設計することに優れていて、それを使って生活する、利用するといったことを考えてはいないのではないか。

 もっといえば何も建築家だけではなくて、あらゆるものが自分の主張だけを通して周りの環境など考えてはいないのではないか、と言うのが持論であったけれど、特に意識していたわけではないけれど、安藤さんのことが少しは頭をかすめていた。

 まぁ当の本人が「こんなとっぴな駅舎でいいのですか?」と冗談交じりにいってたけれど、安藤さんの建築は自己主張が強すぎるのだよな。世界の安藤の建築ということで、多くの人が訪ねてくる超有名な駅にはなるかもしれないけれど、たぶん使い辛い駅だとおもうぞ・・。

 安藤さんは盛んに住む人のことを考えた、利用する人のことを考えた、血の通った建築の話をしていたけれど、彼の建築が一番使い辛い見本じゃないのかい。彼の建築は建物じゃなくて一種のオブジェだからね。

 世界のオザワセイジが世界中の色んなところで彼を紹介してくれるそうだ。で未だにオザワさんは彼のことを「有名な日本の彫刻家だ」と紹介するそうだ。といって笑っていたけれど、案外それは正しいのかもしれないな。それでも私は好きだけれど。

更新時間 : 20:52:10