2004 3月
絵描きのぼやき

2004「こたえてください8」F130
3月31日 (水)

はる 1032
 ただいま工事中。あしからず。

更新時間 : 17:49:35

3月30日 (火)

はる 1031
 さくらが満開のところもちらほら見かける。そうだなぁ、さくらが綺麗だなぁと感じるようになったのは、結構最近のことだ。我々日本人にとって、やっぱりサクラは他の花とは違う何かがあるね。それもあるけれど、さくらには個人的な思い入れもある。

 昔、新聞の投稿欄にこんな話が載っていた。題名は「悲しい人しか見えない」というタイトルだった。内容はほとんど忘れてしまったけれど、サクラの花を見るとその悲しかった時の事を思い出すという話だった。そのタイトルがその時の自分の何かと呼応して、美しくて、悲しくて、忘れられない。

 午後になって雨になった。今も降ってる。久しぶりの本格的なお湿りかな。これでサクラもかなり色が抜けるだろう。

 では又明日。

更新時間 : 23:00:55

3月29日 (月)

はる 1030
 長年付き合ったkis-netのアナログサーバーともこの三月いっぱいでお別れです。いやHPそのものは来年の2月まで残っているようだけれど、ダイアルアップではなくなるので更新できない。他のHPはどうなのかと様子を見に行くと、ほとんど引っ越しても抜けのからだった。よくは分からないけれど、こういったプロバイダーといわれる会社も長く維持するのは難しいのかもしれない。できたら地元のサーバーで何とかと考えていたのだけれど、まぁこれも流れだろうな。

 ついでに環境もケーブルになって、たぶん今までより速くなるだろう。ちょっと楽しみにしているのだけれど、計算通りゆけば4/1からこの環境になるはずなんだけれど、間違えば2,3日更新ができないかもしれない。あしからず。

 絵を描いている人でHPを持っている人がどのくらいいるのか見当もつかないのだけれど、比較的イラストとかアニメーション、漫画系の人はコンピュータに違和感はないようだ。多くを検索して調べたわけではないけれど、我々の年代の作家になると自己管理のHPは極端に少なくなる気がする。特に団体展に属しているような、いわゆる昔からの油彩画家は、こういった機械に抵抗感があるのか、無視しているのか、本人の管理化に置かれたサーバーは少ない。(画廊や本人以外の人が運営しているサーバーは多いけれどね)

 脚本家の三谷幸喜さんがこんな事を新聞に書いていた。今ちょうどNHKの大河ドラマの「新撰組」の本を書いているのだけれど、普通そういった場合、作家本人が同時進行で評判を気にしたり悩んだりした姿は見せないものだ。作家はあくまでも作品のみの勝負であって、その裏を見せるのはある意味ルール違反だとされていた。そういったテレビドラマの脚本家にとって、それがいいことか悪い事かは知らないけれど、私は面白いと思う。

 同時代を生きる作家が何を考え、悩んで、生きているのか。そこのところが一番知りたいし、面白いと思うのだ。
 
 

更新時間 : 22:15:05

3月28日 (日)

はる 1029
 午後からN君の回顧展の作品の選択に何人かの仲間と出掛ける。前にも少し書いたけれど、N君は四年前に赴任先の上海で若くして亡くなった学校の後輩だ。

 何も書けんなぁ・・・。

 うららかな春の一日だった。
 

 

更新時間 : 22:59:54

3月27日 (土)

はる 1028
 村上龍の「13歳のハローワーク」の話が新聞に出ていた。村上龍は同じ年なのでその発言はいつも気にはなっていた。彼が二十歳そこそこで「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞を取って文壇にデビューして来たときは、今の誰かさんよりショッキングな出来事だった気がする。それからもうすでに四半世紀が過ぎてしまったけれど、当時と比べて、格段に違うのは文学(芸術)に大衆を動かすだけの大きな力はないということだろう。いや、本当は当時からそんなものはなかったのかもね。

 そのなかで「世の中には好きなことを仕事にしている人と、そうでない人の二通りの人がいる」と書かれていた。極単純に考えて、生きている時間のほとんどを、いわゆる仕事に費やされるわけだから、考え方によれば、仕事=人生といっても過言ではないわけだ。その仕事が嫌な事であるならば、これはけっこうしんどい。

 しかし、ここのところがとても難しいのだけれど、「自分は何がしたいのか?」という根本的な問いかけは、「自分は何者か」と同じくらい難しい質問なのだ。多くの場合いい加減に追求するのをやめて、適当なところで手を打って日常生活者になってゆく。そうでなければ「落伍者」と言われてしまうからだ。たぶん自分なんかもそうなんだろう・・。

 絵を描く事は仕事か?と問われると難しい。分からないから「自分は何が好きか、自分は何者か」と問い掛けることを仕事にしてしまったということかな。あほじゃ!

更新時間 : 21:40:56

3月26日 (金)

はる 1027
 トータルのカウントがいつのまにか4万件をこえた。もう五年目になるわけだから、けっして早いほうではないだろうな。

 明石やさんまの娘さんの名前が「いまる」というそうだ。その由来を聞いて、まぁ実際の彼を知らないわけだけれど、単に面白がってつけたわけではないだろうな、我々が見ている表面とはちょっと違う彼が見え隠れしていると思った。「生きてるだけで、丸儲け」を略して「いまる」というそうだ。

 生きていれば色んなことがある。悲しい事、苦しい事、嫌な事、・・うれしい事、楽しい事、驚いた事・・、そんな事全てひっくるめて、「生きているだけで丸儲け」と言えたら、何でも乗り越えられそうだ。

 そう思わないか!ではまた明日。

更新時間 : 21:43:42

3月25日 (木)

はる 1026
 この間近くのホームセンターに出かけた話は書いた。このお店ははじめて行ったのだけれど、入ってみてその大きさに驚いた。角材なら一間(180cm)ぐらいのものが並んでいるのが普通で、それ以上のものは屋外に少し置いてあるか、専門店に行くしかないのだけれど、ここはお店の中にフルサイズの角材がど〜んと並んでいた。

 こういった工作道具とか材料を見ると必要ないのに欲しくなるのはどうしてかな。子供の頃の工作少年の虫がでてくる。電動ドリルなんて少し前はかなり高価な道具だったけれど、今じゃ子供のおこずかいでも充分に買える値段になっている。うらやましいなぁ。

 少年の頃「ガンブーム」というのがあった。今ではどうなのかしらないけれど、私などは雑誌に載っている高級そうな鉄砲の模型を何とかマネして作ったものだ。今だから言えるけれど、本物の空気銃の玉を使って、1cmくらいの板を打ち抜く模型とはいえない物騒な武器を作ってしまう者もいた(私じゃないよ)

 そうそう、物騒な話で思い出したけれど、ロケット遊びもよくした。あまり詳しくは言えないけれどちゃんと導火線をつくって発射台からカウントダウンして打ち上げるのだ。これは本当に興奮した。ところがこれにはすんでのところで指を吹き飛ばされそうになった、苦い思い出がある。ガキの頃の遊びは面白いけれど、諸刃の剣だ。

 そんじゃまた。

更新時間 : 23:24:19

3月24日 (水)

はる 1025
 アトリエには最近描いた作品のほか、もうすでに展覧会も終わって用のない絵も何枚かある。特に大きな作品は置き場所もないので、今描いている作品の後ろに重ねて収納するということになる。収納とは聞こえがいいけれど、ただ単に裏向けて置かれているだけれどね。

 額縁というのは、大作の場合けっこう大切な役割を持っている。普通に考えると展示した時の効果ばかりを考えてしまうけれど、こういった公募展やコンクールなど、多くの作品が集まってくる来る場合、作品を保護するという役目もする。作品の受付や収納の仕事をすればよくわかるけれど、一度出品して帰ってきた額はけっこう傷だらけになる。それはまぁ仕方のないことだけれどね。

 そんな訳で午前中、古い作品から額を取り外して今の作品に取り付ける仕事をする。普通ならそう時間のかかる仕事ではないのだけれど、アトリエが狭いのでこっちの作品をあっちに出して、これを上にして下にしてとやらないと作業が上手くまわらない。天井の電球を壊したりエトセトラで午後までかかった。

 これで後もう少しながめて、サインをいれてお終いだろう。見ていると手を入れて壊したくなるので、もう大きく変えるのはやめておく。

 国画会展(東京都美術館 4/23〜5/7)
 
 新しい作品にかかろう。

 5月のグループ展(山梨県立美術館・5/30〜6/5)、
 7月の東京のグループ展(ギャラリー惣・7/6〜7/16)
 そして7月の神戸の個展(ギャラリー・ルポール・7/22〜7/27)
 

更新時間 : 22:28:08

3月23日 (火)

はる 1024
 何が言いたいのか、まだよくまとまっていないけれど、とにかく書き出してみる。

 最初はたぶん薄ボンヤリと「なんだか少し寂しいな」と言うような感覚だったきする。自分の一番初めの記憶のことだ。

 というのは生まれてくる時にそれ以前の記憶は全く消されているわけだ。ほとんど人はそう変わりない経験しか持ち合わせていないわけで、遺伝子として何を持ってきたかによってたぶん最初の記憶が作られる。本能的な欠乏感覚以外に感じた感覚というのは、自分を感じた最初ではないだろうか。

 「人は自分の存在が不明になったら、その場所にじっとしてはいられない」というような話があった。だから例えば山で遭難した人は、やたらと歩き回って体力を消耗して余計に遭難するのだというようなことが書かれていた。ボケた老人が徘徊してまわるのは、自分の存在が不明で不安になるかららしい。

 人間50年もやっていれば、色んな記憶、経験を積み重ねている。けれど私という個人はそういった経験を取り去っても残るわけで、そういった「無垢な自分」というのを知りたい。

 絵を描く動機はいろいろだろうけれど、自分の存在が不明で不安だから、彷徨しているようにも思える。

 やっぱり意味不明だ。また明日
 

 

更新時間 : 21:05:02

3月22日 (月)

はる 1023
 私が一応教壇に立っている高校が選抜に選ばれた話は前に書いた。いよいよ明日(23日)、開会式のあと第一日目から試合があるということで、在校生は全員応援に出かける。若干一部のPTAもバスをチャーターして、今日の夜から出かけるらしい。かみさんも教え子がベンチ入りだそうで、なんやら嬉しそうに準備している。私はもちろん家のネット裏で応援するつもりだ。

 対戦相手の宮崎(日南高校)がOBの飲酒・喫煙騒ぎで不戦勝で二回戦に上がれるものとふんでいた関係者は、ちょっとがっかりしたかもしれないなぁ。

 それにしても今日はみぞれ交じりの雨で、夜から雪になるそうだ。近くの公園の桜はもうちらほら咲き出したというのに、花冷えというやつかな、全く今日は寒いぞ。まぁがんばってやってくれ。
 
 

更新時間 : 23:00:51

3月21日 (日)

はる 1022
 今日は一日裸婦クロッキー、また明日にでも画像をアップしましょう。けっして上手くはないけれど「まぁこんなこともやってるよ」って報告みたいなもんだ。

 実際に作品描くときは、何もモチーフも資料も見ない。見ない方が色々イメージが広がって、自分では気が付かなかった新しい発見があって面白い。自分の中にあるイメージを描写するというのと、自分の中にあるイメージを捕らえる、見つける、といった違いだろうか。前者はあくまでも意識されたもので、後者は無意識の領域にかかる。

 今月号の「美術の窓」を読んでいたら、舟越桂さんがエッセイをかいているのだけれど、その中で最近作についてこんな風に書いてあった。「今回の女性の連作についてですけれど、いまだになぜああいった形が出てきたのかわからない。・・・・、この宇宙のどこかにあったイメージのようなものが、何かを通してぽこっと出てくるときに、たまたま僕を通して出てきた。そして僕自体も言葉としては捕らえられていないけれど、それが見えたので形にとどめておくという、そういうことがあってもいい気がします」

 そう思います。ではでは

更新時間 : 22:23:35

3月20日 (土)

はる 1021
 何だか結構疲れました。130号を一気に仕上げに持っていったのはいいけれど、ここに来てコチョコチョ触っていると、最初の感動が薄れてきた。絵は仕上げるに従って悪くなる一方だ。分かってはいるのだけれど、俗人の悲しいサガとして放っておけない。新しい仕事にかかるかなぁ・・。

 ものを考えている場所というのを想像したことがあるだろうか?例えばこうやって文章を打っている時、どの部分を使っているのか分かりますか?明らかに足の先で考えているとは感じられないわけで、目をつぶると何となく目の後ろあたりで考えているなぁと思う。でこういった自分の存在の確認というのは、普段あまりしていないわけで、あらためて言われると「いまここにいる」自分というものを感じる。

 バイリンガルの人はどうなんだろうか。ものを考える時、何語で考えるかによって、考え方が大きく違ってくるのではないだろうか。

 小学校で英語の勉強を始めようとか、何年もやって喋れない外国語教育は間違っているなどというけれど、はたしてそうなのかなぁといつも疑問に思う。

 表現の教育ということが最も大切であって、日本語で伝えられないことは外国語ではなお更だ。自分は何を言いたいのか、表現したいのか、そのことを如何に人に伝えるのか、そのことの訓練の方が大切なように思う。

 何だか眠いのでお休みなさい。

 

更新時間 : 23:46:54

3月19日 (金)

はる 1020
 新しいHPになったので無料のカウンターを探してつけた。今は探せばかなりのことが無料でできるようだ。他の事はあんまり知らないけれど。このカウンターは良く知られているのか、わりとよく見かける。何よりほとんど技術的なことを知らなくても設置できるところがありがたい。

 ところでこのカウンターただのカウンターだけではなく、アクセス解析なるもものが付録に付いていて、まぁ簡単な日々の統計だとか、累計などしてくれる優れものだ。しかしこういった小ざかしい付録というものは、面白いのは最初のうちだけで、ほとんど何の参考にもならない。

 ただ(何処から私のHPにきたか)という解析があるのだけれど、まぁ思ってたようにほとんど全てがブックマークからの訪問者で、新規に検索してきてくれた人はいないらしい。それは少し寂しいな・・。リンクを貼ったり何処かの検索エンジンに登録したり最初はそれなりに努力したけれど、この頃はぱったりと止めてしまった。面倒だというのがその理由だけれど・・、まぁいいか。ボチボチやりまひょ。では又明日。

 

更新時間 : 22:56:39

3月18日 (木)

はる 1019
 昔考えてたことにこんな事がある。

 水が高いところから、低い所へ落ちるように、物事とというのは必ず安定した方向に流れてゆく。生ある物は必ず死してつちに帰ってゆく。けれど滅んだかにみえる肉体も、もっとマクロな視点で考えてみれば、やがて何かの組成になって生まれ変わっているかもしれない。それは動物であるのか、ただの岩石の一部かもしれないけれど。考えてみれば仏教の輪廻というのは、まんざら嘘でもないと思う。ただこの肉体にこの精神という個は戻ってはこないけれどね。

 これは少し飛躍するけれど、物質というのも突き詰めれば、分子の集まりだし、もっと細かくして行けば原子核と電子ということになる。最も安定した状態というのがどういったものなのか想像できないのだけれど、太陽みたいな大きな天体でも最終的には核分裂して大爆発を起こし、その勢いで宇宙全体にその組成をまき散らすらしい。宇宙全体で考えると、今現在でも何処かで星が大爆発を起こしては死んで、又生まれているということだ。(小柴教授のニュートリノプランというのはそういった星の爆発から飛び出した特殊な粒子をとらえる技術らしい。間違っていたら笑ってみのがして)

 そうやって考えてみると、物質の最終的な安定した状態というのは、ひょっとすれば光(素粒子)になってこの宇宙を飛んでいる状態なのかなぁと思う。元々我々はこんな文字通り(星屑)から生まれた。やがてまた星屑になって宇宙の彼方に飛んで行くのだろうか・・・。

 嘘もここまで書けば許してくれるかな。ではでは
 

更新時間 : 21:54:09

3月17日 (水)

はる 1018
 今日は今年度最後の授業。もうすでに成績は提出してあるので、何もすることもない。私も全くやる気がない。適当なビデオをレンタルしてきて、私も楽しむ事にしている。

 午後から建材屋さんをまわる。珪藻土の壁材を探していたのだけれど、個人の商店ではもちろんない。いつも顔料を購入する大きな卸問屋にいったのだけれど、カタログはあるけれど商品はおいていないそうだ。ということで近くのホームセンターへ寄ってみると、なんとそこには色々な壁材が置いてあった。目的の壁材もなんぼか置かれていて、値段も手ごろ、種類も豊富、ということになると個人の商店は、これから生き残りは難しいだろうなぁ。

 絵を描く材料は色々ある。ルネサンス以前の西欧では漆喰の壁に鉱物性の顔料を使う、同じようにシルクロードの石窟などをみても壁画はそういった手法で描かれている。色々な理由があっただろうけれど、それがたまたま一番手に入りやすかったということではないか。

 我々は今そういった意味では何でも手に入れる事ができる、幸せな環境にいる。画材は画材屋さんに行けば何でもある。でも考えてみると、それはとても不幸なことではないのかな。何でもあるというのは反対に何もないに等しいからだ。日本画が日本で発祥してきたのにはそれなりのわけがあるわけで、今の何でもありの状態は基本的なアイデンティティが見つけにくい。それがそっくり現代の我々を表しているのかもしれないけれどね。

 私が今やっていることは正統な方法ではない。誰から教わったものでもない。・・画という範疇からも離れてしまっている。基本的なコンセプトは「今手に入るものはすべて画材だ」ということだ。だから何年か後に分析すれば、今の日本がどんな国だったか理解できるだろう。それも一つの「現代美術」といえないか。
 
 

更新時間 : 23:43:06

3月16日 (火)

はる 1017
 さて、何を書こうかな。

 毎朝川べりを40分ぐらい散歩する。いつも会うメンバーは決まっているのだけれど、これが夏場と冬場の顔ぶれが徐々に入れ変わっていく。そろそろ春から夏バーションに変わって行く頃だ。

 何だか眠いので、チョイ寝をします。また後で書けたら書きます。

更新時間 : 21:12:08


はる 1016 「こたえてください8」 作品を観る
 今の絵をかく動機を書いてみたい。

 基本的には国画(春の公募展)に出品するために描きだした物だ。しかし今年は恒例の年末の個展が、少し大きい作品を並べたいということで、何を描いたらいいのか考えていた。とにかく昨年のうちに一点、今年になってもう一点、計二点仕上げて、国画には出来のいい方を出品しようと考えて始めた。

 個展の大きなテーマとして、すぐに浮かんだのは「こたえてください」だった。ここ何年かの作品を思い浮かべてみて、自分の根底にあるテーマ、表現したいこと、そんなことを考えると、この言葉が一番しっくりするように思えた。

 このタイトルの絵は何点かある。そのうち人前に晒してもいいと思える作品は、一番最初の一点ともう一点ぐらいしかない。で、今年は130号にこのテーマで二点描けないものかと考えた。

 一点目は前の作品の延長上にあって、そう変化のあるものではない。一月の終わりごろには一応仕上がった。これをキープしておいて、更にもう一枚は少し冒険してみたい。だめでもともと、新しい実験もやってみたい。そう思って始めた。

 考えていたのは、「こたえてください」に対応する何か。「いのりのかたち」みたいなものが描けないかなぁと思った。それが特定の宗教のシンボルや形ではなく、もっと原始的というのか、根源的というのか、そんな「大いなるそんざい」みたいなものが描けるといいなぁと思った。

 とにかく形は出きるだけ後から決めよう、我慢してがまんして、どこまでそれをキープできるかやってみよう。いつもどうしても途中で手を出してしまうので、今回はこれだと思う形がでてくるまで壊してみよう、やってみようと思った。

 何回かやって、そこそこの色や形は出来てきたけれど、「これだ」とおもう所までいかなかった。もう今回はだめかなと諦めかけた時にスッーと「おおいなるかたち」が降りてきた。これでもう出来たみたいなものだ。壊さなければ、このまま仕上がるだろう。

更新時間 : 21:44:07

3月14日 (日)

はる 1015
 「サイクリング」 0205s92f3
 この絵の話は昨日の掲示板での、まれびとさんとの対話が面白いので、無断で転載します。(もし不許可なら言ってください)

 サイクリング 投稿者:まれびと
 
 の絵はいいですね。


 こんにちは。 投稿者:はる
 
 まれさん、書き込みありがとう。
 サイクリング。子供の描いた絵のようで好きです。まぁそうはいっても描こうと思って描けるものではないのが悲しい所ですね。私は「見つけた」だけです。「絵は分かりません」という生徒に「絵は鏡だよ、そこにあるのは自分の心の中だ」と言うことにしている。「いいと思う」のはあなたが、そこに何かを「見つけた」のだと思います。それを聞いてみたい気がします。

 つまり 投稿者:まれびと  

 それは自転車であって自転車だけではない大切なたくさんの何か。それはそこにあるのに私はそこにいない。けれども私はそれを覚えていてかつてそこから来てもういちどそこへ戻るような気がしている。そんな大げさなものではなくってもその風景のそばに何気なく寄り添っていたいと思うような。そんな感じでしょうか。はるさんの仰るようにかみさまの描いた他愛のないラクガキのような。

神さまのラクガキ 投稿者:まれびと  

どこからか「やってきた」もののように見えて、じつはもとからそこにあってずっと忘れていただけの無邪気なこころの戯れのようなもの。そんな感触。





更新時間 : 09:07:40

3月13日 (土)

はる 1014
 「イノセンス」を観た。アニメということで少し気楽に考えていたけれど、この映画には圧倒されっぱなしだった。

 まず最初のテーマソングが流れる所で、小さく感動する。あれは誰なんだろう、広いアジアの高原で聴くような、妙に懐かしい、美しい響きを持つ歌声だ。微妙なビブラート、演歌のコブシとも民謡の高音のような、西洋の音楽には到底真似の出来ない摩訶不思議な音だ。この「イノセンス」のハイテクノロジーの雰囲気と、この土着のアジアの音楽のミスマッチが、このアニメの雰囲気をよく表している。

 話の筋は、弱い私の頭では本当の所は理解していないかもしれないけれど、言わんとする所はそれとなく理解したつもりだ。それにしても日本のアニメはハリウッド映画の実写をはるかに超えて、「新しい映画の領域」をつくったようにも思える。同じ近未来を描いた「マトリックス」や「AI]なども日本のアニメーションに影響されたときくけれど、納得できる。

 鉄腕アトムやミッキーマウスが漫画というのであれば、最近の日本のアニメはもはや漫画といえるものではない。宮崎さんの「ととろ」とかその他一連のアニメも日本の優れた一面を語っているけれど、この押井監督のアニメはもう新しい領域に入ったといえるのではないかなぁ。しかし、あえて☆☆☆半かな、私には話が複雑すぎる。

 前にもどこかで書いたけれど、こうやってパソコンをやったり、最近のケイタイのメールのやり取りをみていると、この「イノセンス」の世界も満更夢物語ではないなと思う。

 たとえば「記憶」という部分だけをとってみても、電話番号やメールのアドレスは何かにメモしている人はもう希だろう。ケイタイやパソコンに直接記憶させている。ここでは「外部記憶」という言い方をしていたけれど、今の我々の生活もかなりこのコンピュータの外部記憶装置に依存しているのではないかな。

 今はまだ個人の体験や経験をコンピュータに直接記憶させる事はできないけれど、脳の記憶がコンピュータと同様に電気信号だということであるならば、やがてそれも可能になるのではないかと思う。我々は生まれてから学習する事で、いろんな知識や経験をつんできたけれど、そういった「外部記憶」というものが可能になってくれば、知識や経験が直接ソフトとして売り買いされるようになるかもしれない。

 もっと違うことを書きたかったのだけれど、また今度。

 

更新時間 : 22:52:32

3月12日 (金)

はる 1013
 昨日から今日にかけて大きな絵を集中して描いた。ほぼ一日中アトリエから出なかった。といっても実際に筆を持って描いているのはその五分の一もない。後はほとんど絵を観て過ごしている。他の人が観たら全く仕事らしい仕事をしていないように見えるだろう。

 午後からアトリエを少し片付けて、130号を床に寝かせて描く。日本画を描く人は整理整頓好きでなければ出来ない仕事だな。それにしても、この大きなパネルを移動するのは疲れる作業だ。油彩の仕事はほとんど立てて描くので、大きくても脚立があればそう不自由を感じないけれど、床に寝かせて描く場合、絵をまたぐ板がいる。私は面倒なので絵の上に直接板を置いてしまうけれど、精密な絵を描く方は大変だろう。

 油彩から水性絵の具になって大きく違う所は、乾燥がとても速いということと、水は染み込むということだ。それ故にこうやって床に寝かせて染み込ませる(たらし込み)という技法が使える。やってみると違いが分かると思うのだけれど、油彩の場合どれだけおつゆ書きしても、絵の具は上にくっついているという感じがするけれど、水性の絵の具場合染み込む。この感覚は気持ちがいい。適当に溜まってむらになるところや、にじむところもいいのだ。

 床に置いて描くことでだめなところは、全体がよく見えないというところだ。慣れればそうでもないのかもしれないけれど、作業が終わって、さてと立てて観たときにワッと思う。私の絵は部分を綺麗に描く絵ではないので、なんだかバランスがとりにくい。

 今日の仕事はまぁ上手くいった方かな、先が見えて来た。壊さなければもう少しで仕上がるだろう。

 今回のテーマについて書いておきたかったのだけれど、長くなるのでまたにしよう。ではでは

更新時間 : 23:18:35

3月11日 (木)

はる 1012
 今日はまだ少し仕事が残ってます。ということでまた明日。

更新時間 : 22:09:54

3月10日 (水)

はる 1011
 メールのホールダーにアドレスがある方には引越しの案内を配信しました。早速返信をくれた方が何を間違えたのか、住所は変わらないの?と聞いてきたけれど、そうかHPの引越しと書き忘れたかもしれない。ごめんなさいね。住所も電話もそのままです。

 大きな作品を毎日少しずつ触ってはいるけれど、どうもピンとくるものがなくてそのまま進まない。この作品はいい作品になるのだと自己暗示をかけているのだけれど、なかなか先が見えてこない。あと一ヶ月になった。少し傲慢だけれど、ここまで描いてくれば、何か「これだ」というものが見えたら、三日で仕上げる事ができる。反対に言えば何も見えなくて終わってしまう可能性もあるという訳だ。

 ある作家のHPを覗いていたら、こんな事が書かれていた。「毎日規則正しく仕事して、それでいい仕事ができたと思ったら大きな間違いだ。アトリエに八時間いたとして、集中できるのは二時間くらいだ。後の六時間はその二時間のためにある。けっして無駄な時間ではない。どこかでピカピカ光る時間があって、その時自分は天才になって、あるいは神になっている。そんな充実した時間を味わいたくて私は絵を描いている。真面目なお仕事だけではアートではない」

 これだ!と思うときは一瞬しかない。いままでどうもしても見えて来なかったものが、急にみえてくる。ドキドキしながら筆を持つどうか消えないでくれと思いながら。そういった時間を持ちたくて絵を描いているきがする。ただそれが明日になったら駄作に変わることも多々あるけれどね。

 後少し、やってみようと思う。

更新時間 : 23:17:32

3月9日 (火)

はる 1010
 午後から歯医者。ギコギコ歯の根っこの消毒らしい。痛くはないけれど何となく嫌な感じ。

 その後学校に出かけて一気に成績処理をする。200人以上の成績をつけなければならない。学年末は色々なことを一気に片付けなくてはならないので、私のようなパートタイマー教師でも忙しい。案の定、定時制の生徒の成績までつけて、9時近くになってしまった。腹も減ったので、バタバタと帰ってきた。

 満月から少し欠けたおぼろ月が東の空に掛かっていた。

更新時間 : 23:03:15

3月8日 (月)

はる 1009
 ファックスが家に来た時に、これほど便利な道具はないだろうと思った。元々電話に出ることがあまり得意でない性分なので、喋らないですむ電話はありがたいと思った。ちょうど電電公社からNTTなんかが民営化して、カラフルな多機能の電話機を色々発売しはじめたころで、手ぶらコードレスとか、子機が幾つもついてなどどという宣伝をしていた。

 しかし意外な事に、便利なはずのファックスも最初は良く使ったけれど、ここんところはほとんど開店休業状態だ。一番の理由は簡単だ、メールの普及がファックスの便利さをはるかに越えてしまったということだろう。というよりこの家の電話という機械そのものが、オブジェのようになりつつある。

 今使っている電話は、所沢で中学校の先生を始めた時に、電電公社に借りたものだ。当時電話は結構高い買い物で、よく憶えていないけれど、権利を買って今でいうレンタルしているものだった。この電話の権利というものが売買されていたように記憶するけれど、どうなっているのだろう。たしかまだ権利書持ってたけれどな。そのうちに公衆電話と同じように、この家電もなくなるかもしれんな。

 どうでもいい話になった。またあした。

 

更新時間 : 16:44:27

3月7日 (日)

はる 1008
 ここんところ暖かい日和が続いていたので、このまま春になるのかと勘違いしていた。明日は零下まで冷え込むそうだ。花粉症かと思っていたけれど、風邪?かな。ジュルジュル。

 人には視覚、聴覚、臭覚などいわゆる五感がある。いろいろな障害があるけれど、例えば我々が一般に普通考えると、視覚を失うことを一番に恐れる。職業がらというわけでもないと思うのだけれど、眼から受ける情報というのは、受ける刺激の八割ぐらいある気がする。

 ところがある多重障害者の話によれば、聴覚が一番欲しいそうだ。聴覚を失う事で感じる絶対的な孤独感というのは、我々普段何気なく生きている人間には想像できない世界だろう。そう言われてみると、なるほどそうかもしれないなぁと思う。見えないことは目をつぶる事で体験できるけれど、音のない世界はたとえ耳をふさいでも想像しにくい。

 本屋さんで、北野武のインタビュー記事を拾い読みしていたときに、彼の何作目かの作品に聴覚のない青年が主人公の映画があった。彼の映画の撮り方というのは、ほとんどアドリブでストーリーそのものは作りながら考えるといったふうに書かれてあった。どこかで聞いたような話だなぁと読んでいたのだけれど、その話の中で彼は聴覚のない人間の「絶対の孤独」を描きたかったと言う風なことがかかれていて、目のつけどころが鋭いなぁと思った。好き嫌いはあるけれど、彼はお笑いより映画の方がより才能があるきがする。ちなみに武の映画では「キッズ・リターン」が一番好きだな。

更新時間 : 22:15:28

3月6日 (土)

はる 1007
 午後から知り合いのお店がリニューアルオープンされたという知らせが来たので、お祝いにかけつける。教え子がUターン、故郷で家業をついで始める。結婚して子供ができたという知らせもうれしいけれど、こういった発展組みもうれしい。なんとかこの町を楽しいにぎわいのある町にしてほしい。
 
         REAL SIGN
        山梨県中巨摩郡竜王1002
          055-240-8111

 その後。もうベテランになるのだけれど、いつも出掛ける画廊で個展を観る。この間青色発光ダイオードのパテント料で莫大な特許料をもぎ取った人と同姓同名の作家さんで、冗談好きで飄々とした雰囲気のある絵描きさんだ。

 長年公募団体に出品している人なら分かると思うのだけれど、ある程度ベテランになってしまうと、なかなか受賞候補にはなれない。見飽きられてしまうということもあるけれど、作家自身もある意味停滞してしまうからかもしれない。実力はもう充分認められていたとしても、そこからもうワンランクアップするのはとても難しい。

 Nさんは昨年、長年出品している新制作協会で新作家賞を受賞した。その作品を中心に今回の個展も展示していたけれど、なかなか見応えのある作品群だった。仕事もリタイヤしてこれからいよいよ絵に本腰をいれるという感じで、こういったふうに展開できるのは、今まで真剣に取り組んできたご褒美だと思う。

      中村修二個展  ギャラリー・イノセント
      甲府市丸の内2-12-3 055-222-4402



更新時間 : 22:32:30

3月5日 (金)

はる 1006
 本屋で立読みをしてほぼ半日が終わってしまった。何かを買おうかと思って選んでいたわけではないけれど、見ていると段々に選択に迷って、結局どうでもいいような雑誌を買ってしまった。

 本屋さんに行くと、だいたい芸術系の画集とか雑誌が並んでいるところか、建築関係か、ときどきパソコン関係に顔を出すくらいで、他の所にゆくことはほとんどない。一時間やそこらはすぐに経ってしまう。本屋さんは今の私の生活では唯一の暇つぶしの空間かもしれない。

 高校の頃、受験のクラスわけのために、文系だ理系だとよくいいあったけれど、基本的に私の思考は理系の考え方のように思う。私の経歴には書かれていないけれど、最初の大学は工学部だった。(何がどうなって、今のような生活になったかは、ところどころこの「日々好日」に書かれているので、暇な人は探してみてください。)まぁあれはただ単に受験に便利というだけで、コースわけしたものだから、あまり意味もないけれど、結果的にはその人の人生を大きく左右する。今から考えると・・。

 最近よく思うことは「今の中に過去も未来も、凝縮された形である」ということだ。ということは自分の最後の時もだいたい想像できる。無論選択肢は一杯あるのだろう。今ここで何を選択するかによって、大きく未来も変わるのだ。願わくば、もう一歩前に進みたい。

 おやすみなさい。

更新時間 : 23:10:17

3月4日 (木)

はる 1005
 引越しの案内を出さなければならないのだけれど、まぁそのうちにということで、しばらくお待ちください。こういったことは、やりだせば切りなく、色々あるものだ。

 今まで契約していたプロバイダーは少し遅れているというのか、インターネットの会社のくせに、銀行の自動振込みでなかったり、接続がアナログ接続だったりで、私の思考とピッタリ合っていた。更新するのにダイアルアップでしかつながないプロバイダーなど今時あるのかね・・。URLを変えたくなかったので、最後まで可能性を考えてみたけれど、ダイアルアップでしか更新できないというのが、今度は反対にネックになってしまった。それと容量が少ないとうことだ。残念だけれどアキラメタ。

 基本的に大手のプロバイダーは知らないけれど、地方の個人でやっているようなプロバイダーは、HPの容量はそう多くないようだ。HPの容量を大きくすることにそれほどメリットがないからかもしれない。

 そういった意味でプロバイダーとHP倉庫とは分けた方がいいのかもしれないな。倉庫としてだけならば、かなり大きな容量を貸している所が色々あるようだ。現に今回借りる事にした「倉庫」は200Mで一日10円だ。一ヶ月で300円というのはありがたい。

 それにしても銀行振込というのはなぜあんなに高いのだ。3000円振り込むのに450円とられた。日本の銀行は時代遅れのサービスしかしないくせに、手数料だけは人並み以上に取る。今に日本は外資系の銀行ばかりになるぞ。

 まとまりのない話ですんません。

更新時間 : 23:21:19

3月3日 (水)

はる 1004
 HPの引越しで、ばたばたしています。みなさんご迷惑をおかけしますが、URLの変更をお願いします。

 http://www2.journey-k.com/~enami/です。

更新時間 : 23:31:55

3月2日 (火)

はる 1003
 このところHPの引越し準備に手間取ってる。コンピュータというのは、そうだなぁ、堅物の公務員のようだ。これは全く融通がきかない。アルファベット一つでも落とすと繋がってくれない。人間の目ではほとんど同じに見えるのになぁ・・。エラーが出るとドキドキする。ひょっとしてとんでもない間違いを犯したのではないか、と思ってしまう。その実・が一つ抜けていただけなんて事が、一度ではない。そう考えると、まだまだ人間の目というのか、脳の能力の方が優れているようだ。

 近いうちに全面的に引っ越すことになるだろう。最後までアドレスが変わることに躊躇していたのだけれど、どうしても画像が多いのでプロバイダーの提供する容量だけではオーバー気味になる。それもあるけれど、それを気にしながら作ることに嫌気がさしたということだろうか。今度は200Mあるので、生きてる間は気にしなくても済みそうだ。

 元々最初は自分で作ったページではなかったので、初期の設定をどうやればいいのか分からなかったというのが、戸惑っている原因だと思う。どたばたと手探りでやってはいるけれど、思うにまかせない。

 そのうちに迷惑をおかけしますけれど、よろしくおねがいします。

更新時間 : 23:35:59

3月1日 (月)

はる 1002
 三月だよ。また後で・・。

更新時間 : 23:37:38