2003 9月

9月30日 (火)

はる 861
 今日はまだ学校にいます。疲れました。
 ということでまた明日。

更新時間 : 21:13:21

9月29日 (月)

はる 860
 「聖堂」という言葉の意味もよくしらないで使っていたのだが、今調べてみると孔子を祀ってあるお堂も聖堂というらしい。私はキリスト教の教会のお堂という意味で使っていた。

 昔住んでいた愛宕山の山頂にも、茶碗を伏せたようなお堂があって、人に聞くと仏舎利塔だということだった。本当かどうか仏さんの骨(舎利)をこれまた祀ってあるわけで、古今東西こういったお堂みたいなものは、信仰の対象として重宝なんだなぁと思った。

 イタリアのアッシジに行きたかったのは、聖人フランチェスコに会いたかったわけではなくて、そこの大聖堂にあるジョットの壁画を観たかっただけだった。住んでいた村からローカル線に乗り換えていくらかいったところに、このフランチェスコ派の聖地アッシジがある。日本の何処かの総本山のようなもので、多くの人は信仰に関係なく、やや観光地化したこの街を訪れる。

 駅を降りると遠くの丘の崖っぷちにその教会がみえる。バス停を見つけて出発をまつ。とろとろとバスはその丘をめざす。クネクネと曲がりながら、段々にその白い全容を見せていく。「いよいよか」「これがフランチェスコ教会か」という感慨の方が強かった。

 ルネサンス以前の西欧では、まだ遠近法が完全なものでなく、大切なものは大きく、背景は小さく、日本なんかと同様にプリミティブな自在な構成で、表現としては力強く強烈なインパクトを持つ壁画を生んだ。色彩においても共通点が多く、特に金箔地の背景などは、西洋と東洋を結びつける考え方だ。

 ジョットに惹かれたもう一つの理由は、彼の絵が社会的に大きな力を持っていたということだ。もちろんそれは、その時代の大きな権力、キリスト教と結びついていたということもあるけれど、彼の絵には、他の人にはない分かりやすさがある。現代の表現者が一番陥りやすい自己満足が彼の絵にはない。如何に人に伝えるか、そのことを何よりも優先していたと思う。分かりやすさ、言い換えればいい意味の大衆性が大きな力を持つ。

 「鳥に説教」は幾度となく私の絵に変化してあらわれた。


更新時間 : 21:39:12

9月28日 (日)

はる 859
 美術館の講習が昨日終わった。高校生以外に絵を教えた事がなかったので、自分自身なかなか面白い経験となった。以下はその感想。

 教師は大学で一応の事は勉強してきたつもりでいる。されど実際に教えるとなるとそんなものは何にも役にはたたないことがわかる。いやもし学校で習った事が直接役立つのであれば、そんな教育はまちがっている。全て自ら探し出して作り出さなければ、人に何かを伝えること(教える事)などできないのだ。それは教師はその教科を教えるのではなく、教科を使って「生きる事」を教えるのだからだ。

 今回戸惑ったのは、自分より年上の人たちを相手に何を今更しゃべればいいのか、半端なことになりはしないかと危惧したのだけれど、結局今まで通り自らの経験を語ることしかできなかった。何かのたしになったのだろうか。

 最後の講座の〆にみんなに宿題を出した。自分の作品にタイトルをつけるというものだったけれど、これは慣れないとなかなか恥ずかしいものだ。言葉は直接に「わかる」だけにその人となりが透けて見えてしまうからだ。しかし反対に考えれば「なぜ絵を描いているのか?」「自分とは何者なのか?」を考えるきっかけにもなると思う。もじもじと発表するそういった姿が楽しかった。(失礼!)

 今回はバイオリンというモチーフだった。一人の人は音楽会にまつわる青春時代のロマンチックな思い出などを話してくれた。ここでもまた同じような感想を持った。

 そう、生きる事はそう悪い事でもないよな、リルケの「マルテの手記」のようにカッコよくはないけれど、人生は「一篇の詩のはじめの言葉」を探すそんな旅だと考えてもいいかもしれない。

 ではまた。

更新時間 : 22:11:16

9月27日 (土)

はる 858
 無事帰還しました。けっこう長かったね。熱が出なかった分、楽だったけれど直りが遅かった気がする。いずれにしろ、用心にこしたことはない。

 今月号の美術雑誌のテーマに「ピカソ」が取り上げられていたけれど、彼の語録などなかなか面白いものが多い。確かに彼ほど世界中で知られている画家はいないし、多分これからも出てきはしないだろう。けれど、あまりにも逸話が多くどれが本当のピカソなのかもわからない。

 彼ほど自分のスタイルを次々に変えていった作家もいないし、また死ぬまで魅力的な作品を発表していった作家もいない。色々な時代の風を受けて、多くの作家と交わって彼らのいいところを盗んで自分のものにしていった。評論家は「青の時代」とか「ばら色の時代」とか「キュピズムの時代」・・・など分かりやすく解説するけれど、当のピカソはどこ吹く風、自分は「ピカソになった」とうそぶいてる。多分彼はそんな気などなく、やりたいように、描きたいように描いてきただけなんだろう。

 その中で成功について「・・・芸術について何かがわかっている人はすくない、全ての人に絵画への感受性がそなわっているわけではない。大部分の人は、芸術作品を成功の度合いによって判断する。・・」
 まぁそういうこともあるだろうなぁ。なんとなく納得。

 ではまた明日。
 

更新時間 : 20:50:08

9月26日 (金)

はる 857
 ごめんなさいね、今日も失礼します。

更新時間 : 18:21:43

9月25日 (木)

はる 856
 今日は失礼します。またあした。

更新時間 : 20:51:54

9月24日 (水)

はる 855
 どうやら風邪をひいてしまったようだ。ケンケン・・。体力がないので、こういった季節の変わり目は要注意なんだけれど、ここんところ急激に寒くなったからなぁ。
 
 ということで夜の学校はお休みして帰って来てしまった。サボったわけではないのだけれど、何となく心苦しいのは私の性分でしょうか。

 というわけでもう寝ます。またあした。ケンケン・・。

更新時間 : 21:08:20

9月23日 (火)

はる 854
 こういったインターネット上の著作権はどうなっているのだろうか。

 我々は義務もそうだけれど、権利にも疎いところがある。元来義務とか権利みたいな発想そのものが欧米の文化そのもので、長い封建制から市民が血を流して勝ち取ってきたもので、我々のように敗戦によってよその国からもらってきた借り物ではない。何でもそうだけれど、借り物は底が浅い。

 ディズニー映画の「ライオンキング」が手塚治虫の「ジャングル大帝」のストーリーとそっくりだということで、問題になったけれど、当の虫プロの対応は鷹揚なもので、「ディズニーさんに真似されたのなら、名誉な事だ」みたいなことが書かれていたけれど、もしこれが逆だった大変な問題になっただろう。

 これだけ情報が簡単に取り出せる時代になれば、昔ながらの著作権の発想では、たぶん立ち行かなくなるだろう。CDは昔の様にコピーすれば次第に劣化していくというものでないだけに、音楽の世界ではこれは死活問題かもしれないね。インターネットと使ってダウンロードしてクローンのように全く同じものがどんどん再製できるというのであれば、著作権などないと同じだ。

 こと私のHPにおいては、以下のような断りを置く事にした。これはネット上のものはいくらコピーしても実際の絵とは違う物だからだ。どうだろうか。

 
  本ホームページの記載内容・画像の著作権はは榎並和春に帰属します。
 しかし、悪意にみちた使用(商売を含めて)以外、私的使用に限って自由に使っていいものとします。連絡は不要です。


さて、少し体調をくずしたようだ。喉が痛いぞ。明日は学校だけど、大丈夫だろうか?憂鬱病か?でででんでん・・・。

 Kおめでとう。


更新時間 : 23:16:57

9月22日 (月)

はる 853
 明日はお彼岸で休日だ。学校の仕事もお休みとなって、今日は何となくルンルンした気分だ。別に有給ではないので喜ぶことではないのだけれどね。週に二日しか働きに出ないのに、臨時の休みになると何か得した気分になるのは、子供の頃と変わらない。

 この間、神戸の個展の時に、高校の同級会や中学の同窓会があって久しぶりに昔の級友にあったりしたことは書いた。みんなおじさんやおばさんに成っているのは当然なんだけれど、「お前はいったいどんな暮らしをしているのか?」と聞かれて答えに窮した。

 絵を描いています。そう、それは分かっている事だ。それなら一日中アトリエに座って、絵を描いているのか?ときかれたら、はっきり言ってそうではないのです。よくは分からないのだが、アトリエにはいるのだが何を遣っているのか、気がついたら一日が終わっている。雑用を片付けながら、その合間に仕事しているといったほうが合っているかな。

 一日24時間みんな同じだけ持っているはずなのに、私だけがいつも無駄遣いしているように思えてしかたない。一杯、贅沢に時間貰っているにもかかわらず、無駄に使っているよなぁ、と反省しきり。

 ではまたあした。

更新時間 : 22:15:49

9月21日 (日)

はる 852
 シンカ・ネットという関西発のアート系のサーバーがある。

 一時期カウントをどうすれば稼げるかということで、そういったサーバーにたくさん登録した。今でも時々登録しませんか、というお誘いのメールがくるけれど、面倒くさいということと、登録した時だけ若干カウントが増えるようだけれど、それ以降はまた同じようなものなので、遠慮している。
 まぁこまめにそういったことに答えたり、リンクをはりめぐらしてゆけば、カウントは増えていくのかもしれないけれど、それもあまり意味のあることのように思えない。
 
 確かに無名の我々が情報発信のイニシアチブを持ったには違いないけれど、皆がみんな手を上げたら、どれが面白いのか、役に立つのか、皆目分からなくなってしまった、というのがほんとうのところかな。玉石混合、味噌糞状態というのか、この混戦からどうやれば抜け出る事ができるのだろうか。シアンクレールだ。

 しかし、まぁほんとのところを言えば、もうそのことはどうでもいいように思う。問題にしていることは、自分の心の中であって、人様がどうこう言う問題ではない。淡々と日常を生きて行くしかないということだ。

 それでは、また。
 

更新時間 : 20:32:12

9月20日 (土)

はる 851
 久しぶりに、本格的な雨になった。これで一気に秋が進むだろう。

 昨日この秋の個展の案内を20社ぐらいに出した。どれぐらいの雑誌がこれに答えてくれるだろうか。多くの美術系の雑誌は直接の購読料もさることながら、紙面を売ることでその経営を維持している。大きな団体展などの場合、展覧会が始れば多くの雑誌社から掲載の勧誘が来る。ほとんどの場合、聞けば聞くほど怪しいものだ。

 個展案内の場合は、ほとんどの雑誌社は無料で掲載してくれる。全国で何万もある展覧会から、自分の個展を見つけてもらうのは、プロでもアマチュアでもなかなかこれは難しい。雑誌に掲載してもらえるかどうかは、けっこう大きなポイントとなる。ではどうすれば掲載してもらえる確率が高いか、そのことを少し書いてみよう。

 個展が決まれば、その二ヶ月くらい前にその展覧会についてのコメントと、出品する作品の写真を何点か添付して送ることだ。知っての通り、雑誌などはかなり前の月に締め切りがあり、原稿や写真を用意しなければならない訳で、無料掲載を望むならば一ヶ月くらい前では遅すぎるくらいだ。
 コメントは簡潔なのが良い。その個展を一言であらわすテーマがあることが望ましい。一番いけないのが、もってまわってぐだぐだ、だらだら書くことだ。できれば直筆で一言書いておくのがいい。印象が違う。

 もちろん作品の質が一番問題なんだけれど、それは実際に観てもらうしかないわけだから、今回はそこに至るまでの話だ。
 
 ではまた。

更新時間 : 22:03:07

9月19日 (金)

はる 850
 「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、特に自分の今描いている作品など、全て善く見える。全てが傑作のように思えるから不思議だ。ところが早ければ次の日にはもう欠点が見えてくる、遅くても一ヶ月あれば、本来の姿が見えてくるというわけだ。あれは何故なんだろう。

 例えばDMに使った作品など、その時には一番いい作品を選んだつもりなのに、今から見れば駄作にしか見えないものもある。恥ずかしいなぁと感慨ひとしおだ。今回選んだ作品もそうならなければいいのだけれど、こればっかりは時間が経たなければ分からないのだ。いいと思った作品は、手元に置いていつも見ていたいと思う。だから持ち運べる作品の場合、枕元に置いたり、学校に持っていたりする。「お守り」みたいなものなのかな。「護符」とか。

 そういえば、スペインのアントニー・タピエスの言った言葉に「存在としての作品の価値は、護符かイコンと同じくらい強くなければならない」というのがある。私には特定の宗教はないけれど、こころの奥底には何かしら信仰心のようなものがあって、それをある種の価値判断のものさしにしている所がある。もし物として目に見える形にしたならば、護符とかイコンのような物になるのではないだろうか。

 ではまた。
 

更新時間 : 00:10:05

9月18日 (木)

はる 849
 今日も午前中、銀行やさんから郵便やさんを順番に回った。地方の・・信用組合のような弱小銀行は統廃合がすすんで、いったい何時になったらお店の名前が落ち着くのだろう。これは地方銀行の宿命なのだろうか。

 できるだけ待ちたくないから、こういった小さい銀行に行くのだが、窓口におばさんが座っていて、あいも変わらずチンタラそろばんで計算していた。お客は私しかいなかったにも関わらず、相当な時間またされた。いったい何をどうすればあんなに時間がかかるのだろう?不思議といえばこれほどふしぎな話はない。日本の銀行はどれもこれも皆つぶれるだろう。そう遠い話ではない。

 そういえば、禁煙したのが4年前の今頃だった。別にこれといった理由があったわけではなかったけれど、「止めてみようかなぁ」と思ったのが、そのままずるずると今まで続いているという訳だ。だから皆がいうように、それほど苦労したという意識はない。禁煙中も封を切ったたばこがそばにいつも置いてあったし、灰皿も片付けなかった。「今はちょっと休んでいるんだ」とい軽い気持ちがよかったのかもしれない。あれ以来一本も吸っていない。

 タバコの匂いや煙は子供の頃から好きだった。親父がかなりのヘビースモーカーだったからかもしれないけれど、全く違和感なく吸い始めた。止めたいとも、止めなければとも、ほとんど思ったこともなく吸いつづけて来てしまったけれど、今でもいつでもはじめられる気がするね。反対に止められないのはどうしてなのか分からん。吸わなきゃいいのだろ?

 どうでもいい話で、今日はお終い。また。

更新時間 : 00:08:25

9月17日 (水)

はる 848
 今日も一日学校にいた。疲れました。
 
 2000年の9/25に(はる1)を書いた。実際はまだ番号さえふられていなかったので、後から逆算してつけたものだ。もうすぐ3年ということになる。これがそんなに続くとは当然思っていなかったわけで、単純に考えても1000日足らずに850書いているわけだから、なかなか優秀だ。続けるこつは、何も無い。ただ書くこと、書きながら考えることが好きなんだろう。義務感では続かない。

 HPはその前の年(1999年)の11月からオープンしている。ただ当時は全くパソコンが扱えなかったので、ほとんど更新されていない。何も更新されないHPほど、面白くないものはない。今でも多くのHPがあるけれど、積極的に更新しているページはいったいどれくらいあるのだろう。やるからには少しは自分で更新出来なければ、あまり意味も無い。

 絵描きがHP持って、同時進行に自分を晒していくことに意味あるのか?といわれると、これもまた大きな疑問だけれど、これだけは言える。今までにこういったことはなかった訳だから、分からない。後日判断してくれ。でもこう死ぬまでやり通せたら面白いだろうなぁとは思う。どうだろう。
 ではまた明日。

更新時間 : 23:45:41

9月16日 (火)

はる 847
 かみなりがなって、ひとあめきたよ。
 ぐっとすずしくなって
 あきがきた。
 いいぞ、
 いいぞ。

 がっこうより。

 

更新時間 : 21:10:19

9月15日 (月)

はる 846
 今日も残暑が厳しかったなぁ。
 また個展の準備が始った。けっこう憂鬱だ。

 ということで今日はここまで。

              2003年個展によせて

             「こしかたのき」(仮題)

                            榎並和春

 いつの頃からか、骨董的なものが好きになった。真新しくてキラキラと輝いている物よりも、どちらかといえば薄汚れていて、時代を経た物に愛着を感じるようになった。

ある詩人の「手記」のなかに「一篇の詩の最初の言葉」という一行がある。そこで語られていることは、一篇の詩が生まれるためには、人は様々な出来事を経験しなければならない、そして忘れることで、やがてそれらが発酵して詩になるのだ。というようなことが語られていた。彼の言いたかったことは、詩は感覚ではなく、経験だということをいいたかったのだろう。
 
物の「よしあし」は直感的なものだ。しかし、ほんものはなかなかその本質を見せてはくれない。多くの経験が少しずつその目を開かせてくれるようだ。そのことは詩人が一篇の詩を生むこととよく似ている。

 「あそびをせんと」するからにはよき「こころの道具」が必要だ。こしかたをふりかえり忘れることで、一篇の詩をうたえたらと思います。


  (甲府展)
    2003年 11/15(土)〜11/24(月) 19日(水)休廊

          甲府ハーパーズ・ミル

   (400-0808甲府市東光寺町1346  TEL 055-232-2974

  (東京展)

             榎並和春個展
            〜こしかたのき〜
   2003 12/16(火)〜12/25(木)12/21(日)休廊

           銀座・ギャラリー 惣

    104-0061  東京都中央区銀座7-13-1 5F 電話03-5565-6039




更新時間 : 23:54:51

9月14日 (日)

はる 845
 田村亮子の世界柔道があった。元々高校時代は柔道部だった私にとっては、これも我田引水、お手盛りの領域。そんな事で久しぶりにテレビを観た。しかしテレビの放送はコマーシャルが多すぎるし、何かしら演出されすぎていて、純粋なスポーツ番組という気がしない。

 金メダルを取った選手がすぐにカメラの前でペラペラ質問に答えているのも、興ざめだし、それに実況中継だと思って観ていたところ、たまたまつけていたラジオからすでに結果が放送されていて、一気に興味が覚めてしまった。これを実況だと思ってみた人は、どうなんだろう。テレビはいろいろ嘘をつく。ウソダと思って見ている場合はいいのだけれど、知らずに鵜呑みにしてしまうことが恐ろしい。

 その後ついついチャンネルを回してみてしまう、これまたテレビの怖い所だ。NHKで「シルクロード」のシリーズをやっていた。ちょうど「織物」の話だったので観てしまった。

 シルクの織物はもともと中国の発明だそうだけれど、そのデザインや織り方は、文字通りシルクロードを通って世界の東西南北がつながる、文化や文明の道でもあったわけだ。
 元来布であった絹織物は機織の構造上単純な繰り返しの文様しかできなかったらしい。それがシルクロードを通ってペルシャの絨毯の織りの技術と出会うことで、複雑な「錦織」と発展する。文様なんかも工夫、融合されて異国風なエキゾチックな物に変化していく。そういったダイナミックな民族の営みみたいなことに、物凄く好奇心を刺激される。

 グローバル化などと最近にわかに台頭した若い国がいっているけれど、こういった連綿とした人類の歴史をみると、とっくに世界はグローバル化されていたんだなぁと思う。スピードはまるで違うのだけれど。
 しかし考えてみると、放っておいても世界はゆっくり自然に混ざりあっていく、純粋種なんていうのは自然界では異端なんだな、それが自然の摂理だと思う。なのにそれをあまりにも早く進めようとするとこに、間違いが起きるのだろう。

 何だか分からんような、話になってしまった。ではまた。
 

更新時間 : 23:00:14

9月13日 (土)

はる 844

 さて「座頭市」の感想を書こうかな。

 元々、まぁある意味マンネリの、勧善懲悪の「水戸黄門」だとか「銭形平次」みたいな物語が好きな我々にとって、これは極あたりまえのストーリーで、面白みがないといえばその通りだ。悪党の代官様や、何屋なのか分かりもしない、「扇屋」だとか「井筒屋」が出てきて弱い者いじめをする。それをじっと我慢していて最後には、たけし演ずるところの「座頭市」が、めったやたらにカッコよく切り捨てるというわけだ。(それにしてもたけしがカッコいい)
 
 物語そのものには何の工夫も無いし思った通りの展開で飽き飽きとするのだが、観終わった後に「やったね、武君」と思うのは、最後のフィナーレの大団円ところがあるからだ。

 宝塚にしても日劇にしても、最後には良いも悪いも、老いも若きもみんな集まってきて一せいにカーテンコール・フィナーレを踊る。取ってつけたようなこのタップダンス饗宴が、とても自然に感じられ、単調な太鼓のリズムにおもわず自分も乗せられていた。(ムーンライダース・鈴木慶一の功績もある。久石譲ではこうはいかない)たぶん、浅草の演芸場で踊らされてきた芸人魂が、このシーンを撮らせたのだろうけれど、エンターテナーたけしだからこそできたことのように思う。(日本人でこんな破天荒なシーンを真面目に撮れるのはたけしくらいしかいないだろう。)

 黒澤明監督の「夢」のラストの村のお葬式のシーンで、笠置衆演じる所の村の長老が、足と手に鈴をもって行列に参加するところがあったけれど、そんなことを思い出した。

 ということで可もなし不可もなしというところかな。

 今日は美術館、油彩画講座の二回目だった。ということでまたあした。

更新時間 : 20:46:58

9月12日 (金)

はる 843
 今日は今から北野武の「座頭市」を観てきます。それゆえ、ここまでです。ではでは。

更新時間 : 19:33:35

9月11日 (木)

はる 842
 今日は快晴。真夏のように暑かった。午前中に布団を屋根の上に干す。トタン屋根の照り返しが、脳天を直撃、くらくらとする。それにしてもここに来て、収支を合わせるような上天気。まぁこればっかりは誰にも文句は言えない。

 夜は大きな満月。さすがに気持ちがいいね。季節は確実に進んでいるようだ。

 さて、今日はもう寝ます。お休みなさい。


更新時間 : 22:55:18

9月10日 (水)

はる 841
 覚え書き

 「あそびをせんと・こしかたのき」
 
 ある詩人の「手記」のなかに「一篇の詩の最初の言葉」という一行があった。

 そこで語られていることは、一篇の詩が生まれるためには、人は様々な出来事を経験しなければならない、またそれらを忘れなければならない。やがてそれらが発酵して詩になるのだ。というようなことが語られていた。
 
 遊ぶためには「こころの道具」が必要だ。それは全く一篇の詩が生まれてくるのに似ている。

 「こしかた」をふりかえることで、一篇の詩をうたいたいと思う。


 一行の詩のためには、
 あまたの都市、
 あまたの人々、
 あまたの書物を見なければならぬ。
 あまたの禽獣を知らねばならぬ。
 空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、
 朝開く小さな草花のうなだれた羞らい(はじらい)を究めねばな らぬ。
 まだ知らぬ国々の道、
 思いがけぬ邂逅。
 遠くから近づいて来るのが見える別離。――
 まだその意味がつかねずに残されている少年の日の思い出。
 喜びをわざわざもたらしてくれたのに、
 それがよくわからぬため、
 むごく心を悲しませてしまった両親のこと……。
 さまざまの深い重大な変化をもって不思議な発作を見せる
 少年時代の病気。
 静かなしんしんとした部屋で過ごした一日。
 海べりの朝。
 海そのものの姿
 あすこの海、
 ここの海。
 空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。
 それらに詩人は思いめぐらすことができなければならぬ。
 いや、ただすべてを思い出すだけなら、
 実はまだなんでもないのだ。
 一夜一夜が、
 少しも前の夜に似ぬ夜毎のねやの営み。
 産婦のさけぶ叫び。
 白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、
 ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。
 詩人はそれを思い出にもたねばならぬ。
 死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、
 開け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で
 死人のお通夜もしなければならぬ。
 しかも、こうした追憶を持つだけなら。
 一向なんの足しにもならぬのだ。
 追憶が多くなれば、
 次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。
 そして、
 再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。
 思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。
 追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、
 名まえのわからぬものとなり、
 もはや僕ら自身と区別することができなくなって、
 初めてふとした偶然に、
 一編の詩の最初の言葉は、
 それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れてくるだ。
 
            リルケ「マルテの手記」より


更新時間 : 23:31:04

9月9日 (火)

はる 840
 ある時期盛んにコンクールに出品していた頃がある。不思議な事に、今から考えるとちょうどバブルの頃と一致する。

 当時多くの自治体や企業もそういった冠のコンクールを主催することが多く、有名なところではシェル石油がパトロンになったシェル賞展とか、彩壷堂画廊がバックについたセントラル美術館賞展とか、洋画商組合がバックについたジャパン大賞展とか、他にも色々とあった。そういった絵画のコンクールの最高ランクに安井賞があった。よく比較でいわれるのが、純文学の芥川賞で直木賞に値するのが日動画廊主催の昭和会賞だといわれた。

 多くのコンクールがバブルとともに終わってしまった。上に書いたコンクールで未だに続いているのは昭和会だけではないだろうか。絵を描く人があれほどあこがれた安井賞も40人ばかりのスターを残して終わってしまった。これは本当に残念でならない。絵画のことを本当に考えているならば、何が何でも続けるべきだったとおもうのだけれど、どうだろうか。

 現代美術の祭典であるベニスビエンナーレなど、もう百年の歴史があるのだから、賛否両論大いに結構、やめてしまえばそれもなくなってしまうのだから、先を観る目がないといわれてもしかたないと思う。

 今流行りだからやる、すたれたらやらないというのは、大人気ないと思う。「武士は食わねど高楊枝」これがダンディズムのカッコよさだろう。どう思う?

更新時間 : 23:32:00

9月8日 (月)

はる 839
 十六億一千万秒というのは私が生きてきた時間を秒で表したものだ。これを多いととらえるか少ないととるか、それぞれが生きてきた実感に基づくのだろう。どんなに多かろうと有限の時間である限りいつかはなくなるものだ。そのことをいつも自覚していたいと思う。

 「閑話休題」

 絵画のテーマとして「メメント・モリ=死をわすれるな」というのがある。西欧絵画では象徴として、頭蓋骨がかかれていればそのことを意味するだとか、他にも色々と図象学的に取ってつけたような意味付けがされていたりする。もちろん大きな流れとしてキリスト教があるわけだから、そのことを抜きに西欧絵画を語ることはできない。

 我々は約百年前に西欧の優れた科学技術などを見せられて、あたふたと今までの伝統を捨ててしまったのだけれど、絵画についてもそういったことが簡単に行われた。ちょうど西欧では印象派が古典派をおさえて注目されていた頃で、我々の先輩は一も二もなく、この手法を取り入れてしまった。それゆえにながらく日本のアカデミックといえば印象派的な絵画手法をいみするようになってしまった。

 そのことの間違いに気づいたのは、実はつい最近のことなのだなぁ。日本油彩画の黎明期の指導者、黒田清輝や藤島武二などがやっていたことは印象派的な手法の日本化だったんだな。本当はきっちりとしたアカデミックな手法は、その頃古いということでほされていた浅井忠などの方だった。今見ると断然彼のほうが優れているのがわかる。ちなみに彼は京都に帰って関西美術院をつくって後進の指導をしたということだ。

 もしかれが芸大に残って日本のアカデミーの元を作っていたら、かなり美術界は変わっていただろうと思える。今の日展に始って芸術院会員の先生方の絵は印象派風の絵が多いからねぇ。

 今日は全くつまらないと思います。すんません。


更新時間 : 23:21:43

9月7日 (日)

はる 838
 山梨県は葡萄の街であるとともに宝石の街でもある。昨日美術館の仕事で一日缶詰だった。ちょうど山梨県の宝石関係の団体が50周年ということで、大きなイベントをやっていた。新聞やテレビなんかでも大々的に宣伝していたから、ご存知の方も多いかもしれない。

 知り合いも多いので大きな声で批判する事は出来ないのだけれど、玄関入ってすぐにミス宝石とかの肩からたすきをかけたオネーチャンがにこにこ愛嬌をふりまいて、いつもの無機的な美術館のイメージを一蹴したのをてはじめに、展示されているものもなかなか美術館では観れないもので、宝石で出来たウエディングドレスだとか、キティーちゃんの宝石仕立ての着替えとか、水晶の原石だとか、何故か金の延べ棒だとか(さわって重さを当てると景品がもらえる)なんでこれを美術館でやるの?と不思議に思う出来事であった。

 京都国立博物館がこの夏「スターウォーズ展」を企画したり、どこかの美術館が「じぶり展」をやったりするのだから、県立美術館が宝石屋さんの片棒担いでもいいのかもしれないけれど、何でもありか?という感想をもった。

 人の振り見て我が振りなおせ。これが今回の教訓でした。

更新時間 : 19:34:44

9月6日 (土)

はる 837
 今日は美術館の油彩画講座の初日だった。もう随分前に、この日々好日で書いた「絵を描く材料1〜7」(はる676〜はる688)はこの講座を想定して書いたものだ。実際はかなり専門的な部分を含むので、今回の講座では使うことはないけれど、興味のある人には面白いのではないかと思い資料として配った。どれだけの人が興味を持ってくれただろうか。

 実際に絵を描くという作業はなかなか骨のおれる仕事だ。まず油絵なら、かなり高価な道具をそろえるところから始めなければならない。簡単にあるものでチャッチャッと済ませるという訳にはいかない。紙に描くなら何でもいいのだけれど、キャンバスなどという専門の道具がいるらしいとか。色々と面倒だ。いざ描こうとしても何を描けばいいのやら、形も取れないし・・。
 絵を描きたいという気持ちは誰でも持ってはいるのだろうけれど、ほとんどの場合ここで諦めてしまうようだ。確かにそういった意味では、今の風潮には合わないかもしれない。
 
 この間からの続きの様だけれど、「簡単に素早くパッパッと」誰でもすぐに上手くなるなら、本当は面白くないのだ。

 ここまで書いて眠くなってしまった。続きは又明日。
 おやすみなさい。

 

更新時間 : 00:06:28

9月5日 (金)

はる 836
 コロコロとこおろぎが鳴いている。しみじみとしたさみしさをかんじる。

 今年の個展のテーマをこのところ考えている。いつものことだけれど、ピタッと言葉がおさまれば気分がいいのだけれど、なかなかそうはいかない。二転三転色んな候補が頭の中をめぐる。だいたい今考えていることや、気になっていることを絡めて、誰が聞いても分かる、そんな言葉が絶対あるはずだ、と思っている。

 一つはこのところずっと付きまとっている「快適の法則」みたいなこと。「嬉しい、楽しい、美しい」そんなことから何か出てこないかなぁということ。
 もう一つは、これも上のこと無関係ではないのだけれど、人生の経験は無駄じゃないんだよ、みたいなことが言えないかなぁと思っている。生の言葉じゃなく、美しい「言葉」に置き換わればうれしい。

 「十六億一千万秒の旅人」なんてどうだろうか?
 又明日。

更新時間 : 22:19:48

9月4日 (木)

はる 835
 夕方から雨になって少し涼しい。あめの匂いはいいもんだ。

 色んなところで今までのあり方や、やり方が批判されて、反省する事しきりなんだけれど、やっぱりというのか、なるほどというのか、今のこの状態にした大きな責任は我々の世代にあるようだ。教育にしろ、子育てにしろ、バブルの崩壊にしても先を読めなかった我々の責任だろうな。

 昼飯を外に食べに行った時、偶然にある人と話をする機会があり、自分より年上で久しぶりにノーマルな考え方を持っている人に会った気がした。普通の生活をしていて私ぐらいの年になると、なかなかノーマルな考え方が出来なくなって、話していてもつまらなく思えてくる。ある種のあきらめなんだろうか、どうせ変わりこないし、御身大切みたいな結論になってしまう。まぁそれも充分に分かるのだけれどね。

 今の世の中は若い方が価値がある。何の技能も能力も無くても若ければ、それなりの商品価値がある。特に女性は最もその最右翼ということになる。彼ら(彼女)たちもそのことは充分承知していて、街を歩いている様子はまさに怖い物知らずで、肩で風を切って歩いている。反対に言えば、年を取る事を極端に恐れている。唯一のその価値が失われてしまうからだろうか。

 大人に成る事、成熟する事がこれほど忌み嫌われ、かっこ悪いことの代名詞になったことは、未だかつてなかったのではないか。自分が老年に向って、その年に近づいてきたからというわけではないないのだけれど、知識や経験や能力が大切にされ、尊敬される社会をつくらなければ、誰も責任のある大人なんかにはなりたいとはおもわないだろう。

 便利ですばやく安くといった価値が(大量生産、大量消費)何よりも重要視される社会では、ゆっくり吟味する味わう考えるというスタンスにはあまり価値が置かれない。それは停滞を意味するし、何よりも効率が悪いからだ。
 イタリアの田舎の爺さんは何時も言っていた「自分で作ったものを、自分で食べる。これが最高の贅沢だ」
 時間がかかるかもしれないけれど、そうやって楽しく生活していく。生活できないまでも、そういったスタンスに価値があるのだよということを、伝えていく必要があるのだと思った。

更新時間 : 20:09:01

9月3日 (水)

はる 834
 自分にとっては大問題、他人にとっては笑い事、ということが多々あるけれど、やや髪が薄くなってきた。元々親父も親父の親、祖父も若い頃から薄かったらしいから、私などはよくもっている方かもしれない。兄弟を見渡しても、みんな似たり寄ったりで、皆それなりに薄いようだ。まぁこればっかりはジタバタしてもどうしょうもない。なるようにしかならない。

 そうそう大問題といえば、親父も祖父も59歳でなくなった。このことの方が深刻かもしれない。一番上の兄貴は、一応これをクリアーしたから、何となく安心しているようだけれど、残された我々兄弟は段々に苦しくなってきそうだな。それにしても還暦を越えないというのは、少し早すぎるきがする。後八年か!まだまだ私などヒヨッコだものなぁ、どうする。何とかそれなりの仕事を残したいと思うのだけれど、こんなものだからなぁ・・・。やるしかないか!

 さて今日も学校でした。お疲れです。またあした。

更新時間 : 23:13:15

9月2日 (火)

はる 833
 今日は暑かった。一日学校に缶詰だったので、疲れました。
 また、あした。お休みなさい。

更新時間 : 23:03:47

9月1日 (月)

はる 832
 九月です。

 当たり前のことだけど、ほーっと思うことがある。例えば昆布のだしはとても好きなんだけれど、どうして海にいるときに、だしは出ないのだとか。かつおやその他の貝や海のありとあらゆるだしの元が、海にはあるではないか・・。
 生きている間はだしにはならないということだけれど、いつかは死ぬんだし。そうやって考えると、海はだしの元になってしまうのじゃないのかとか。海の水にはいろんなミネラルやなんかが含まれているそうだから、まぁ当たらずとも遠からずで「地中海スープ」なんてそんなもんじゃないのか。
 
 閑話休題

 人類の文明が開花したところは、むろん水があるという事が大切な要素なんだろうけれど、煮炊きや暖房に使う燃料が充分にあるということが、大きな要素だったらしい。今ははげやまのパルテノンの神殿も当時は緑に覆われた美しい山だったということを、どこかで聞いた。

 現代の大都市が豊かな森林から切り離されても充分やっていけるのは、化石燃料という豊かな森林を使っているからだ。ところがよくよく考えてみれば、燃料の元になるのは炭素であって、木材でも木炭でも石炭や石油でも基本的には同じことだ。燃えて二酸化炭素になる。

 この炭素は全ての生物のもとになっている。有機生物の有機とは炭素のことだ。われわれ人間も例外ではない。ところがこの炭素には悪魔のようなところがある。神が何万年もかかって閉じ込めてきたこの悪魔を、我々人類はとうとう解き放ってしまったようだ。

 さてこの話どうつなげていくのかな?わからん。また明日。


更新時間 : 20:17:25