2003 7月

7月31日 (木)

はる 800
 うそ八百というけれど、上手い具合に今月末に切り番800となった。八は末広がりで昔から縁起のいい数だとされている。我々の先輩はなぜかこういった縁起ものがすきで、駄洒落のような数合わせをよくやる。たとえば、話は少し飛躍するけれど、昔受験勉強で歴史の年号をおぼえるのにこの語呂合わせをよくやった。「いいくにつくろう=1192鎌倉幕府」なんて上手い。「なくよ=794うぐいす平安京」なんて傑作。こういった駄洒落系語呂合わせは俳句や短歌の伝統のある日本人独特のものじゃないのだろうか。もし外国にもこういった話があるなら、だれか教えてくださいな。

 語呂合わせではないけれど、私が中学校の頃かなぁ、「モースの硬度表」なるものがあって、試験勉強のために一夜漬けでおぼえた記憶がある。(カセホホリチセオコダ)なんかの呪いのようだけれど、岩石の頭文字だけをつなげたものだ。未だに忘れないところをみると、これは一生残っているだろう。ちなみにネットで今調べてみたけれど、カ=滑石(蝋石だな)、セ=石膏、ホ=方解石、後はさいごのダ=ダイヤモンドしか合っていない。なぜかなぁ?後、親潮だっけ北の海でとれる魚(ニシンサケマスカニサンマ)こんなことおぼえても何にも役に立たないのだけれどね。

 ちなみに今私の車のナンバーは(さあよい=3841)です。

更新時間 : 22:47:26

7月30日 (水)

はる 799
 さてもう明日で7月も終わってしまう。今年はこの月に個展が入ったので、いつもの年よりバタバタと落ち着かない。少し落ち着いて絵を描かねば。
 
 無収入の夏休みは非常勤講師にとってある意味地獄のような月でもあるし、反対に本来の仕事に戻る月でもある。そうやってもう何年も暮らしてきたから、それが普通になってしまったけれど、これから絵描きを生業にしようかと思う人にとって、ここのところがボーダーラインだな。

 多くの才能ある若者が夢を捨てていく。まぁ考え方によれば、ライバルが一人少なくなるわけだから歓迎すべきことかもしれないけれどね。だいたいこの峠を越えて残っている奴は融通の利かない、才能という点においては二番手、三番手だと思う。一番才能のある、応用の利く奴は一番先に止めて、さっさと世の中に出て何かしら成し遂げている。

 車屋長吉?が「文学なんて人生の落伍者がすることですから、まっとうな人生を歩める人はさっさと止めてください」みたいなこと何かに書いてあった。それは多少大げさかもしれないけれど、アートも似たようなもんだと思う。全ての人に必要なものでもないし、分かってもらおうなんて思っていない。傲慢かもしれないけれど、分かる人だけに分かってもらえばいいのだ。

 話がピーマンになってきたので、今日もこれまで。お休みなさい。

更新時間 : 23:36:01

7月29日 (火)

はる 798
 今日は一日PCの前で芳名帖の整理。つかれました。ということで、またあした。

更新時間 : 23:53:00

7月28日 (月)

はる 797
 この間宮崎駿さんの「魔女の宅急便」をやっていた。たぶん「ととろ」の次の作品だったので、観たような気になっていたのだけれど、忘れてしまっていた。そのなかで絵を描いている少女がでてくる。彼女が目指しているのは流行のアニメーターじゃなく、絵描きだ。主人公のキキが思春期をむかえて段々に魔法がきかなくなっていく、そういった大事な時のよきアドバイザーとしてその彼女がでてくるのだけれど、要点はこんなことだった。
 最初は誰でも好きだとか楽しいとかでやっていける、ところが段々にそれだけではやっていけなくなる。そのときには兎に角描く事だ、描いて描いて描いているうちに何とかなる。そんな話だったきがする。

 人はどんなふうにこのアニメを観たのかわからないけれど、私なんかの子供の頃は、こういった風来坊のような生き方にあこがれた。何を生業にして生活しているのか知らないけれど、とにかく霞を食って生きているような生活をしたいもんだと思った。

 何にでもそれなりの人生訓はある。たぶん宮崎さんが言いたかったことは、たてまえとして努力が大切だよみたいなことを言いたかったのかもしれないけれど、その裏には「役に立たない無用な風来坊もいいなぁ」というのが憧れとして入っている気がしてうれしかった。でなければキキが一枚の絵をみて感動するあの場面は描けなかったきがするなぁ。どうだろ。これもまた手前味噌かもしれないね。では。

更新時間 : 23:29:04

7月27日 (日)

はる 796
 午前中、神戸からの荷物が帰ってくる。全部で8つの荷物がアトリエを占拠する。一つひとつ解体して、中身を整理して収納していくのは、これまた難儀な仕事だ。明日は東京からグループ展の作品が帰ってくる。それゆえ今日の荷物は今日中に整理したい。

 今回の個展を計画したのは去年の春頃だった。神戸に帰省したおり三宮をぶらついて画廊を探した。本来企画であるなら自ら画廊を探す必要も無いのだけれど、我々のような立場だとなかなか企画に持ち込むのは難しい。それゆえに面倒のない貸し画廊を探すことになる。貸し画廊もこれまた色々あって、一長一短で決断が難しい。今回は久しぶりの地元の個展ということで、自分のお客さんがあまり期待できない、それ故に道路に面したショーウインドウがあるということが決めてとなった。

 画廊が決まってからも色々とやらなければならない仕事がある。大切なのはどうやって多くの人に知ってもらうかということだろう。これがまた面倒な仕事だけれど、あれもこれも全てひっくるめて個展ということだ。

 今日はここまで。ではまたあした。

更新時間 : 01:07:17

7月26日 (土)

はる 795
 どうもやっと帰ってきました。今回はけっこう長逗留で、昨日は京都の天神さんによって有名なガラクタ市を見て楽しんできました。弘法さんは何回かいったことがあったのだけれど、天神さんは今回が始めてだった。全国ににたようなボロ市があるけれど、伝統やガラクタの面白さにかけては、ここがやっぱり一番かもしれないね。金糸銀糸を編みこんだハギレを買ってきた。下地に貼り込んで使ってみようと思う。

 さて今回の個展無事終了しました。まれびとさんを始めとしてエリコさんtoshiさんetimooさんなど私のHPではおなじみのメンバーがかけつけて来てくれて楽しい時間を過ごすことができました。無礼があったかもしれませんが、これに懲りずにまたお会いできる事を楽しみにしています。ありがとうございました。

 今回地元で久しぶりの個展ということもあったのだけれど、多くの同級生にあった。なんと高校卒業してから全く会っていなかった奴も多いのだから30年以上だ。まるで浦島だなぁ。面影はあるのだけれどみんなジーさんバーさんになったよ。その間に何があったのか、それぞれみんなに聞いてみたいと思った。

 こと自分に関してはどうなんだろう。地元というのは何か照れくさいところがあって今まで積極的に個展をやりたいという気になれなかった。親や兄弟、知り合いの全く居ないところに行きたかった。そんなところから自分の人生を始めたかった。そんなこだわりからなかなか抜けきれなかったのだけれど、それが50を越えて、どうでもよくなったというところかな。やや里心がついてきたということか。ガキの頃の知り合いは何故かみんな優しくなっていた。みんなどうもありがとう。
 

更新時間 : 00:03:44

7月14日 (月)

はる 794
 昨日あんな事を書いたから今日は訪れる人が少なくなった。まだここにいますよ。

 明日、朝野暮用をすませて、午後からいよいよ出掛けます。関西一円にお住みの方で、神戸に行ってみてもいいなと思っている方は、どうぞこの機会に出掛けてみてくださいな。接客は下手ですが出来るだけ丁寧に対応したいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。

 さて、これでしばらくはお別れです。全ての更新がしばらくストップします。また会う日まで、さようなら。
 

更新時間 : 23:15:35

7月13日 (日)

はる 793
 絵の方はもう送ってしまったので、もう私にはどうしようもない。ちゃんと期日通りに着くかどうか、それだけが多少心配なだけだ。梱包するのはとても面倒な仕事だけれど、いつのまにかきっちり綺麗に梱包することに妙な達成感を感じるようになった。有り合わせのダンボールを如何にして必要且つ充分な梱包をするか、梱包の作家クリストではないけれど、難題であるほど自分の許容量がどのくらいのものか、推し量られている気がして少ない征服欲を刺激される。

 夕方本屋さんに行く。色々と久しぶりに立読みする。いつも気にするコーナーは建築とアートのところ。今日は季刊の建築雑誌「住む。」が出ているので買った。京都の町屋の話が特集されていて、見ているだけでもワクワクする。こういった季節のある地方にすんで、伝統のある暮らしをしていた我々の先輩が、どれだけ豊かで意義深い生活をしていたのか、今ここになって見直されている。バブルの功罪は色々いわれるけれど、こうやって自分たちの足元を見るきっかけになったのは悪い事ではない。

 明日書くつもりだったけれど、また個展が始るとしばらく全ての更新が滞ります。今回は長くて25日ぐらいまで戻りません。機会があればどこかで更新するつもりではいますが、わかりません。では、また明日。

更新時間 : 23:45:01

7月12日 (土)

はる 792
 ついこの間、たまたま立ち寄ったお店で沖縄の島歌が流れていた。その気取らない音楽に心打たれた。我々は色んな事を知ったけれど、いつのまにか「本当の唄」を置き忘れてきてしまったのかなぁと思った。
 
 又明日。
 

 

更新時間 : 21:28:00

7月11日 (金)

はる 791
 2チャンネルという掲示板を見たこともないのだけれど、何か新しい事件があるといつもうわさに出てくるなぁ。今回の件でもインターネットが大活躍でした。なんともあさましいというのか、節操がないというのか、匿名であれば何をしても分からない、許されるという根性がみにくいなぁ。

 学校に匿名の電話かけたり、嫌がらせのメール打ったりしても何の解決にもなりゃしないじゃないかと思うのだけど、仮に犯人が極悪非道な人間だったとしても、あなたに色々言われる筋合いのはなしじゃない。

 たぶん今回の事件も全く個人的な性癖のもので、多くは両親の育て方や教育に問題はあるかもしれないけれど、だからといって未然に防げたかといわれると、難しいとおもうなぁ。どうだろうどこまで責任とれるのだろうか。こういった事件が起こるたびに、その当人は当然だけれど、それより残された親、兄弟、が背負っていくものが余りにも大きくてつらいなぁと思ってしまう。

 この間も「今の我々は自分以外はみんなバカだと思ってる」というようなことが書かれていた。だれが先導しているのか分からないのだけれど、確かに私なんかを含めて偉そうに世の中を批判する事が多くなった。自分のことを棚に上げて無自覚に人のことをこき下ろしていることが多いなぁ。そういったことの先頭にこういった匿名性の高い掲示板なんかが使われてより助長されているのじゃないかなんて思ってしまう。

 最近の子供たちを見ていてもよくそんな事を思う。何かすきあらば人の弱点をあげつらって優越感にひたろうとする。だから多くは人に弱みを見せまいとバリアーを張ることになる。学校というところは、戦場でも敵地でもない、できるならばみんなが気持ちよく生活できるような理想郷であるはずなのに、いつのまにか本音だけが優先するようになっているように感じる。

 結局なんだろう、キーワードは「ユーモア」とか「ウイット」とか「おもいやり」とか「やさしさ」みたいなことになるのかなぁ。ありふれているけれど。

 何だか話がまとまらなくなってしまった。ではまた。

更新時間 : 23:02:10

7月10日 (木)

はる 790
 ばたばたといよいよ臨戦体制になってきた感じだ。今日も朝から梱包作業にあけくれる。

 前回の個展では100号クラスの絵を4,5点、赤帽さんをチャーターしてここから運んでもらった。会場についてみんなで手分けして画廊まで運んでもらった。本屋さんに間借りしているような画廊だったので、裏方のたくさんの荷物の中をクネクネと運び上げるのが一苦労だった。あれも今回と同じように真夏のイベントだったんだな、ついこの間の事のように思うけれど、もう6年も前の話だ。

 美術館や大手の画廊の企画で大々的に展覧会や回顧展をやってもらうのは、絵描きとして大変な名誉な事だし、一生に一度はそういった陽の目をみたいとはおもうけれど、色んな場所で個展をしようと思ったなら、毎回大作をもって個展という訳にはいかないだろう。負け惜しみではないけれど、地方の小さな町の画廊で自分の気に入った展示ができれば、それはそれで楽しいかなと思う。そんな暮らしができれば、本望だ。

 今回は全ての絵を梱包して送ります。こういったやり方ははじめてなので、少しワクワクしています。どんな展覧会になるのでしょう。あと一週間です。

 では又明日。

更新時間 : 23:12:04

7月9日 (水)

はる 789
  「僕は本屋になりたくない本屋でです」というのは、全くの私の作り事だったようです。(まれびとさんより)ちなみになぜそんな出鱈目な書名がでてきたのか、もともと良く確かめもせずどんどん書いてしまう厚顔無恥なところがあるのだけれど、それにしても何処からそんなものがでてきたのか、少し調べる気になった。
 その前に正解を記しておけば「ぼくは本屋のおじさん」です。

 早川義夫氏が本屋をしている事はけっこう有名だった。この間の書評のことで書きたいなぁと思ったことは、いつも悩んでいるわけではないのだけれど「本屋に行けば、答えがおちているのではないかと、つい思ってしまう」というところだ。
 本屋さんに行く動機を単純な言葉で上手く言いえてるなぁと思った。本屋さんには皆がみんな本を買いに来ているわけではない、たった一言に出会うために本屋さんに行くこともありえるのだ。そこのところを間違うとただの商店になってしまう。むつかしい所だ。

 でまたまた妙なところに入り込んでしまいそうなので、無理やり本題に戻ると、少し前に学校を卒業して考えたことは何とかして「就職しないで生きる方法」がないかというようなことを書いた。でそのころにシリーズで出ていた本に、ずばり「就職しないで生きる」という本があった。その中のシリーズ7に「花屋になりたくない花屋です」というのがあった。(これはいまヤフーで調べたので正確です。)花屋とか本屋というのは一種我々有閑人のあこがれの職業でもあったわけだ。それと「ぼくは本屋のおじさん」がくっついて、「僕は本屋になりたくない本屋です」となったわけだ。

 まんざら出鱈目でもないのだが、何処からでも嘘八百連れてくるという私の性格がよくでている。これからも改めるつもりはありませんので、みなさんご用心。

 では又明日。          (一部修正)

更新時間 : 08:37:41

7月8日 (火)

はる 788
 東京のグループ展のオープニングに出掛けて今帰りました。私以外の三人は、もうすでにプロの作家として充分に活躍している人たちなので、さすがに初日は多くのファンが来ていた。私はお酒が飲めないということもあって、パーティみたいなことをあまりやらないのだが、今回こういったことに参加して感じたことは、オープニングというのは作家の晴れ舞台なんだと新たに認識した。気の利いた挨拶ひとつ出来ないようじゃプロの作家じゃないよなと。

 絵描きは絵を描いているだけでいいという人もいる。それも一つの考え方だけれど、やはりコレクターがいてコレクションしてもらってやっと一人前だ。それには扱ってくれる画廊や画商が必ず必要になってくる。我々のような絵の場合、扱ってくれる画商さんを見つけるのが難しい。なぜなら日本人は絵を買うのに自分の眼で買うのでなく、肩書きで買うことが多いからだ。綺麗な花や富士山を売っているデパートなら放っておいても売れるのかもしれないけれどね。

 同じくらいの世代で同時に成長していける画商さんが理想だ。そういった意味でこの画廊とは上手くやっていきたい。

 では又明日。

更新時間 : 01:05:19

7月7日 (月)

はる 787
 ジャックスという伝説的なフォークグループがあった。時代的には加藤和彦なんかのフォーククルセダーズに近いか、それより古いかもしれない。あまりたくさんのヒット曲もなかったのだけれど、比較的残っている歌を上げろといわれると「サルビアの花」?かな。女々しい男の失恋の歌だけれど、この人(早川義夫)の「ことば」が新鮮で強く頭にのこっている。

 少し前にNHKのFMのゲストに出ていて、久しぶりに彼の唄を聴いた。現役で唄っていたころと比べると、歳をくった分声量とか力強さみたいなものは無くなっていたけれど、唄になんとも言えない説得力があった。上手い下手だという範疇でいうなら、唄はうまくないかもしれないけれど、唄は「表現だ」という考えでいうなら、誠に上手い唄だと思った。

 彼がジャックスをやめて始めたのが、本屋であった。そのことは「僕は本屋になりたくない本屋です」??を読んでください。

 今彼は新聞に書評を書いていて、今日はそのことを書こうと思ったけれど、導入で終わってしまった。ではまた。

そうそう、明日から東京のギャラリー惣でグループ展が始ります。私は明日の午後だけ会場にいます、少し遅くなりますが、御用の方は待ってて下さい。
 詳しくは個展情報をご覧下さい。では。


更新時間 : 22:45:40

7月6日 (日)

はる 786
 午前中近所の小学校でPTA主催のバザーがあるので出掛ける。何が目当てかといえば、綿のシーツが欲しいからだ。リサイクルではなく真新しいシーツが市価の半値以下で買える。

 私の絵の下地はいつの頃からかキャンバスではなくなった。パネルに綿の布を水張りするところから私の仕事は始る。大きな100号クラスになれば画材店の綿布なら当然高価なものとなる。なにか代用品がないかと探しているうちに、木綿のシーツにたどりついた。これがなかなかマチエール(絵肌)があったりして面白い。
 130号クラスになると布団カバーを利用する、これを解体して広げると優に130号がとれる。中に網になっている部分があるけれど、これもこれで利用できる。焼き物の底に時々網目が付いているのがあるけれど、それと同じように、網目を直接つけても面白い効果がでる。

 ということで10時30分からということだったから、それにあわせてゆっくりめに出かける。ところが学校に入ったら、もうすでに満車の状態でうろうろ駐車の場所を探している間に開場の時間を少し過ぎてしまった。で結局シーツは一枚も買えなかった。聞けばシーツ類は最初の5分で売り切れるらしい。

 ということで半日の仕事は終わってしまった。ではまた。

更新時間 : 22:18:52

7月5日 (土)

はる 785
 午前中、目医者さんに行く。何という事はないのだけれど、少し目が赤くなっていたので、掛かりつけのお医者さんに診てもらう。

 夜は野暮用で遅く帰宅。それ故ここまで。またあした。
 

更新時間 : 00:41:14

7月4日 (金)

はる 784
 こうやって昔の作品から今現在進行形の作品、そして今こうやって考えていることを、恥ずかしげもなく洗いざらい晒している。特にこうやってほぼ毎日書く文章は、隠そうと思っても自ずから私なりの人格が現れるものと思われる。絵や創作されたものと違い見る人が見れば、あられもなく人格が見えて他人事ながら恥ずかしい思いをするかもしれないね。

 それにしてもまだまだ私には言えないことがあるし、言わないこともある、当たり前だけれど。人の人格はなかなかその本人さえ分かっていない部分もあるように思う。

 善人のように振舞ってここではいるけれど、それは私のほんの一部なのでだまされないようにね。

 楽屋落ちでつまらない話だ。ごめん、又明日。
  

更新時間 : 23:47:34

7月3日 (木)

はる 783
 今年の梅雨はけっこうそれらしい、ぐずぐずした天気が多い気がする。今日も午前中はいい天気だったのに、午後からポツポツと降って来た。ザァーザァー音を立てて降る雨でもない。

 昔観たベトナムの映画(「青いパパイアの香り」???)に暑い夏の夜、こうこうと輝く青い月影のもと、長い髪の人が石畳の中庭で髪を洗う、そんなシーンがあった。美しい光景だと思った。

 ベトナムといえば我々の世代はベトナム戦争を嫌でも連想する。鬱蒼と茂った熱帯雨林をこともなげに枯葉剤で枯らせてしまい、それだけでは終わらず、その後にはたくさんの奇形の動植物が生まれた。そしてそれは当然まわりまわって人間にも影響していた。
 重装備したかの国の軍隊に、家や田畑を容赦なく焼かれて、命からがらはだしで逃げ惑う子供たちのシーンが報道されて、脳天気にもそのときの印象は、「あぁこれが自分たちでなくてよかった」というものだった。「アジアは貧しい、貧しいのはこんな目にあうのだ」というとんでもない、お門違いのおもい違いを平気でしていた。

 最近近くの水田に水が入り、青々とした小さな苗が規則正しく風になびいている。我々モンスーン気候に住む民族にとってこういった風景は原点であり、なかなか心やすらぐ風景だ。
 
 世界には色々な民族がいてその固有の文化や文明を持って発展してきた。こうこうと輝く月影のもとで湯浴みする風習のどこが貧しいのだ。電気仕掛けでブンブンと空調をきかせて、思う存分シャワーを浴びるそういった方が実際は貧しいのではないか。
 そんなことを思った。


更新時間 : 23:07:35

7月2日 (水)

はる 782
 このところ毎日のようにNTTから電話がかかってきて、ADSLにしなか、フレッツにしないかと勧誘がかしましい。確かに今の状態は超スローなインターネットライフですぐに回線を切らないとどんどん料金がかさんでいく。それは百も承知で、どれもこれも一長一短で、もっといえば何が何やら全くわからなくてそのままの状態にしている。

 で本当はこれが一番いいのだ、ということが彼らのいう事からは理解不能、色々ありすぎて分からないのだ。実際にそのパンフレットを読んで一回で理解できる人はいるのかなぁ。インターネットは普及しているけれど、それで一体何が出来て、何が楽しいのかといことをちゃんと理解している人はどのくらいいるのだろうか。

 市場経済というのは需要と供給で成り立っている。その需要は何だかわからないけれど、あやふやな誤魔化しのような、雑多な大量の情報で操作されている気がする。
 例えば「Aラーメンがうまい」ということを言うために、まことしやかに著名な人をコマーシャルに登場させる。毎日何回も同じことを繰り返されると、馬鹿な我々は「そうかなぁ」と思ってしまう。で「Bラーメン業者」も負けずにがんがんとCMを打つ。そうやっているうちに、何のことだったのか訳がわからなくなっていく。

 コマーシャルのためのコマーシャルになっていないか。売れればいい、当たればいい、それだけになっていないか。本来心がけるべきは「よくわかる」ということではないのか。
                       (一部修正)
 

更新時間 : 08:45:45

7月1日 (火)

はる 781
 はやいもので、もう七月です。

七月はグループ展二つと大事な神戸の個展が控えている。なんだかんだと結構忙しくなりそうだ。

 東京のグループ展の会場はいつも年末にお世話になっているギャラリー・惣です。そこで今同じ国画に出品している浅野アキラさんが個展を開催しています。(リンクのページに彼のHPがあるので、参考までに観てやってください。次の国画のホープだと私は思います。)

 今日はここまで。お休みなさい。

 
 
 


更新時間 : 22:45:17