2003 「胡蝶の夢」F100
6月30日
(月)
はる 780 来月号(七月)のBRUTUSのテーマが「自分のためにアートを買いたい!」というものだった。その中に約100人ほどのアーティストとその手ごろな大きさの作品が掲載されている。知っている作家をチェックしたら村上隆を始めとした20人ぐらいだった。我々の同時代の作家で感覚的に近いのは大竹伸朗ぐらいで、後はほとんどピンとくる作家と作品はなかった。 その雑誌のその号のコンセプトは「次の時代のキーワードは(アート)です」と打っていた。そうなのか、次の時代に流行るのは(アート)なのか。椅子やソファーやインテリアを買うようにアートな作品を買いましょうと書かれていたけれど、何だかこれもまたピンとこないなぁ。 作品を日々の生活の中で楽しんでいくという考え方は自分の考え方に近いのだけれど、これほど大上段にふられると、ちょっと待ってくれよといいたくなる。また誰かがどこかで、よからぬことをたくらんでいるのではないかと勘ぐりたくなってしまう。 どうかお願いだから「流行り物」にだけはしないで欲しい。すぐにまた忘れさられてしまうのだから。まぁ、いずれにしろ私には関係ないことだけれどね。 更新時間 : 22:07:36
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6月29日
(日)
はる 779 今週の後半あたりに、そろそろDMを出そうかなと思っています、まだまだ余裕がありますので、欲しい方はメールでいって下さい、勿論、来る来ないはどちらでもかまいませんので、よろしくお願いします。 個展そのものは毎年開催しているので、そう緊張もしないのだけれど、地元神戸の個展は97年以来久しぶりだ。そういった意味ではほとんど初めて個展をするという感覚に近い。はたしてどれだけの人が来てくれるのだろうか、正直いってやや心配なところもある。 「旅芸人」ではないけれど、そうやってよく知らない土地を個展をしながらまわって暮らしていければいいのになぁと、いまだにそんなことを真剣に願っているのだから話にならない。 この間「銀花」を立読みしていたら、国画会の重鎮、松田正平さんが特集されていた。もう90歳をこえたようだからご老人なんだけれど、ほとんどえらぶったところがなく、昔っから飄々としていてああいったオトコになりたいなぁ憧れていた。彼の話で「食えないのは半端じゃない、65頃からやっと知らない人が買ってくれるようになったから、御伽噺のようだ」みたいなことが書かれていた。 「てんはたすくるものをたすく」そう思う。 更新時間 : 23:35:36
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6月28日
(土)
はる 778 毎週土曜日に臨時版で聖路加病院の老医者日野原重明さんのエッセイが掲載される。なにしろ91歳で現役の医者をやっているわけだから、その話はなかなか面白い。 確かに「医は技術」というところも大いにあるので、実際にメスを使ったりするような外科医はいつまでも現役というのは難しいだろう。しかし「医は仁術」というところもあるので、心のケアーのようなものはベテランの方が都合がいいところがあるかもしれないね。 日野原さんが注目されたのは「ホスピス」の考え方をいち早く医療に取り入れたからだけれど、「自分の最後は自分で選択する」という権利の意味は大きい。 我々は医者に掛かる場合、大体お医者様の言いなりで、とても従順な患者となってしまう。専門家じゃないから分からないからということもあるけれど、ある意味その方が楽だからだ。「医者に全てをお任せする」というのは聞こえはいいけれど、責任の放棄といってもいいかもしれないね。 このことは一概にはいえないけれど、やっぱり少しは患者の方も勉強する、責任の一端をになう必要があるようにも思う。でなければ、医者のやることに文句は言えなくなってしまうし、「自分の人生を選択する」という権利も失ってしまう。薬や色々な基礎データもしっかりコピーを請求して、医者任せにしないという気概が必要だ。そうやって初めて「すべてをお任せする」という選択もあるのだと思う。どうだろうか。 更新時間 : 22:58:53
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6月27日
(金)
はる 777 何処かのサイトを読んでいたたらこんなことが書かれていた。 例えば人は道に迷ったらどうするか、ということなんだけれど、私なんかかなり方向音痴で車を運転していても、自分が何処を今走っているのか、皆目分からなくなってパニックに陥る時が有る。子供なんかみていても多くの場合、じっとしていないでやたらにそこらあたりを歩き回って、よけいに訳がわからなくなるみたいだ。 山での遭難の例を持ち出すまでも無く、道に迷ったらやたらに動きまわらずにその場に留まって最善の方法を考えるというのが、常套手段のようだけれど、冷静な判断がいかれているとき、または不安にかられたとき、人は動き回るらしい。そこで体験談として出ていたのが、断食をしてフラフラになって自己判断ができなくなると、普通腹減るから動かないというきがするのだけれど、実はそうではなくて何かにかられるように動きまわるらしい。 で思ったのが、ここ最近やたらと行方のわからなくなったお年よりの町内放送が入る。われわれこちら側の人間からみれば、何もわざわ疲れに行かなくてもと思うのだけれど、実は訳のわからなくなった人間にとって、その場に動かずに居る方が難しいということらしい。 私を含めて「自分は何者か、何処からきたのか」分からなくなった人間は、何かにかられるように徘徊を繰り返すのかもしれない。 更新時間 : 22:48:31
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6月26日
(木)
はる 776 「胡蝶の夢」はほぼ完全に白紙の状態まで戻ってしまった。今までの仕事が水の泡、徒労になってしまった。いくらか頑張ってやってみたけれど、どうにも我慢できなくなって、全て消してしまった。途中まではよかったのだけれど、もう前には戻れない。 パソコンで悪戯していて思うことは、こういった場合保存しておけばいくらでも前に戻れる。失敗したからといって全く一からやり直す何てことはしなくて済む、それがいいのか悪いのか良く分からないのだけれど、少し前にもどることができるのはコンピュータの大きな特徴だろう。 画面上のリセットされた画像は、少し前の画像と寸分たがわぬコピーだ。だから「あーよかった」と思うわけだけれど、よく考えてみるとけっこうそれは怖いことだなぁ。実際に絵筆を持って書いている場合全く昔に戻る何てことは出来ない。当たり前だけれど、いつでも今が真剣勝負ということになる。一本の線のやり直しは効かないのだ。 パソコンの画面と違いこの塗りこめられたキャンバスはけっして「なにもない」のではない。反対に新しい何かの生まれる土壌となるのだ。そこがバーチャルな画面と大きく違う所だと思う。 更新時間 : 23:19:48
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6月25日
(水)
はる 775 「胡蝶の夢」がどうにも上手く行かなて、煮詰まっているのだけれど、まぁこれはいずれ何とか出口が見つかるだろうとタカをくくっている。 毎回の事だけれど、このアイデア以上のものは考えつかないのじゃないだろうか、これを描いてしまったらこの後もう何も描けないのじゃないだろうか、などと一人前に悩んだりすることもある。ところが不思議なもので、アイデアというものはもうこれが最後の一滴だということはないようだ。反対にこのアイデアはもったいないので後まで取っておこうなんて思ったものは、そのときは面白く思ったものでも次第に新鮮味がなくなって、面白くなくなってくる。 弁当なんかを食べる時に好きなものから食べるか、後にとっておくか、と話題になることがあるけれど、昔は取っておくほうだったけれど、最近は好きなものを美味いと思った時にたべることにしている。何でも旬というものがある。 特にアイデアみたいなものはとても腐りやすいもので、とっておいても役にはたたない。どんどん使えばますます出てくるもののようだ。 疲れたので、ここまで。又明日。 更新時間 : 23:15:29
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6月24日
(火)
はる 774 今日は缶詰の日。 疲れたのでもう帰ります。 更新時間 : 21:04:16
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6月23日
(月)
はる 773 つづき2 なぜ当時のことをつらつらと書き始めたかといえば、怠け者の考えだということを前提にして読んでほしいのだけれど、学校を卒業する頃になっても具体的にこんな仕事をしたいとか、将来はこうなりたいとか、うんとやりたいことがあるとか、お金がどうしてもほしいとか、安定した将来を約束されたいとか、名誉有る地位を得たいとか、全く何も考えられなかった。 たぶん私だけでなく、当時の多くの若者がそうだったように思う。そこそこ恵まれた環境に生まれて、そこそこ不自由なく育った人間は、強烈なハングリーな精神力もなく、のほほんとしたこういった大人になってしまうのではないかと思う。(バブル以降の日本の憂き目をみていると、我々の世代の教育を誤ったから、まんまとかの国にやられてしまったのだなと他人事のように思う。しかしどの時代でも成功者の次の世代の教育が一番難しいようだ。) 友人なんかを見ていて、ほとんど何の疑いも無く就職活動に奔走できる奴がうらやましかった。学校出たら就職して働いて家庭持って・・という人生設計が描けるやつが心底うらやましかった。やりたいことは見つからなかったけれど、漠然とではあるが「就職しないで生きる方法」はないものか、そんなことばかり考えていた。(これは推測だけれど、もしこれが当時の多くの若者の共通した考えであったならば、今問題になっているフリーター(就職しないで生きる人)は、其の親たちがやりたかった生活パターンだったのかもしれないね。) ここからがやっと本題になってくるのだけれど、暴走族に入っている若者が二十歳越えたら「いつまでも馬鹿やってられないよ」といって足を洗っていく、それが美談のように語られるけれど、それだけのことなら最初っからやるなよと思う。もし命かけてやるっていうのであれば死ぬまで「馬鹿やってて欲しい」 話がどこかパープリンになってしまったけれど、エーチャンの言ってる「カッコよさ」は「男のダンディズム」といいかえてもいいかな。途中で泣き言いうのであれば最初っからやるなよみたいな、「売れない絵描き」やり始めたら、一生貫いてやってみろよ、それが取りも直さずお前のダンディズムじゃないのかいと言われているような気がした。 更新時間 : 20:57:07
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6月22日
(日)
はる 772 1970年代に私は学生だった。学生紛争が下火になった頃に大学に入学、まだそのが余韻のこっていて、一部の学生がヘルメットにマスクをしてよく校門のところでアジ演説をしていた。バリケード封鎖騒ぎも時々あって、何か騒然とした雰囲気があった。私自身はほとんどそういった政治的な活動には興味もなく、バイトに明け暮れた、それなりに学生らしい生活をしていたのじゃないだろうか。 「いちご白書」という映画があって、内容はほとんど覚えていないのだが、学生紛争の活動家が卒業して社会人になっていくといったストーリーだった気がする(違うかもしれんよ、後にバンバンの歌で有名になったから、実際には観ていないのかもしれない) 学校を卒業して、さて就職といった時に具体的に何も考えられなかった。時代も悪くちょうど第二次オイルショックとかで、例のトイレットペーパー騒ぎのあった頃で、一ヶ月前には貼り切れないほどあった掲示板の就職先のメモが、何も無くなっていた。そんなことは自分にとってほとんど興味のないことであったけれど、「大変な就職難の時代なんだなぁ」と他人事のように思った。 何でそんな頃の事を思い出したかといえば、糸井さんの「ほぼ日」の矢沢永吉との対談を読んだからだ。糸井さんも矢沢さんももうすでに一時代を築いた人たちで、彼らも私たちと同様にこれから老年を迎える世代だからだ。 「成り上がる」エネルギーは若者の特権で、彼らは時代の風を受けて時代の寵児となった。いけいけドンドンで怖い物知らずだった。やがて時代は彼らを追い越して行く。いつまでも若くはないよと言う話じゃ、何も面白くない。 長くなりそうなのでかいつまんで話すことにしょう。 「かっこよく老いましょう」ってことだ。後は糸井さんの「ほぼ日」を読んでくださいな。 更新時間 : 23:53:16
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6月21日
(土)
はる 771 今日は久し振りに暑かった。このところぐずついた天気が多く、スカッとしなかったのだけれど、昨日今日と真夏日になった。それはそれでけっこう辛いねぇ、人間とはかってなものだ。 ひょんなことから神戸の個展のDMが二種類出来た。最初に刷り上ったDMは個展情報のコーナーにアップされているものだ。もう一方は個展に来てくれた人にだけあげようかと思っている。欲しかったら個展に来てください。(お願いします!!) 考えなければならないことが色々あるのだけれど、今日もまた一日が終わろうとしている。 また何にも解決できなかった、明日にはいい考えが浮かぶだろう。明日のために今日は寝る事にしょう。ではまた。 更新時間 : 22:21:29
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6月20日
(金)
はる 770 絵を教えてもらったという意識はあまりない。確かに学校でそれなりの授業を選択して受けてはきたのだが、それが教わったということなのだろうか。 私が卒業した学校は、教員養成の学校で美術の専門の学校ではない。それゆえに卒業生も学校の先生が多く、絵描きさんになったという人間を知らない。 美大なんかの授業はどうなんだろう。人に聞いた話では、まぁ我々と似たり寄ったり、教授は自分の仕事が忙しくて生徒の面倒などあまり真剣にみないなんてことを聞いた。 真剣にやるのは自分の制作のほうで、学校の課題など本当に適当に済ませてきた。だから教えてもらったことなど、何も残っていない。この件に関しては物凄く我がままだ。(この件だけ?) 今でもそうだけれど、こういった仕事は自分で考えて模索して行くしか方法がない。正解というものが無い世界だから、自分が実際に頭をぶつけて納得しなければ、前には進めないのだ。 未だに前方が真っ暗で何も見えないなぁ。ガックリ。 更新時間 : 23:40:02
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6月19日
(木)
はる 769 色というのは今更ながら不思議なものだ。今こうやってこのコーナーを書いていても、目の端のほうにサイダーのような薄いブルーが入ってくる。今までこの部分はあまり変えなかったから気が付かなかったのだけれど、こうやって常にどのコーナーでもこの色が左端に入ってくるとなると問題だ。 論理的に色の調和とか不調和を勉強したおぼえはない。これとこれは気持ちが悪いみたいに、身体でおぼえてきたものだ。今新聞などでカラーコーディネーターの資格試験の通信教育なんて宣伝がよく入っているけれど、本質的には持って生まれた感覚だろう。資格もったからといってセンスが良くなる訳ではけっしてない。住宅のインテリアなどでも専門家面して押し付けてくるけれど、そうかなぁと思うことも多い。基本は習う事はできるのだろうけれどね。 今年は紫陽花がいっぱい花をつけた。元々ここにあった花で今でも元気に花をつけるのは、この紫陽花だけになった。一時は大きくなりすぎて雨の日など水を含んで花の房が地面に付いていたこともあったけれど、適当にカットしたら花が小さくなって量がおおくなった。薄いブルーからピンクに変わるのだけれど、気分的にはブルーのままの方がきれいだと思う。 意味の無い話になった。それではまた。 更新時間 : 23:24:17
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6月18日
(水)
はる 768 今日も学校で一日仕事して帰って来たら、こんな時間になってしまった。この後一体何が出来るのだろうか。 学校の休み時間にネットで散策する。例えば絵画でも本当に色々なサイトがあるもんだ。特に若い人のサイトを見ると、見せ方というのか、デザインというのかそういったものが、とてもおしゃれで「うまいなぁ」と感心させられる。とても自分が「絵描きでございます」なんて言ってられないなぁ。 そんなに古臭い絵だとは思っていなかったのだけれど、そうやって若い人の絵と比べてみると、何だかやっぱり硬くて面白味に欠けると思う。まぁ、そうは言ってもこればっかりは仕方ない、自分の個性だと思ってやり続けるしかない。 どこかのサイトで「自分はイラストレーターかアーチストかわかりません」なんて書いてあったけれど、イラストレーターとアーチスト、アニメーターに漫画家とどれがどのように違うのだろうか。絵を使って表現するという事においてはみんな同じだとおもうのだけれどね。 今月号の月刊「美術の窓」p230に、この間の国画会の作品、「麒麟」の批評が出ていました。お暇があれば立読みしてください。 更新時間 : 23:22:33
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6月17日
(火)
はる 767 今日は夜の学校だけの変則的なカリキュラムとなった。 楽しい話を書きたいと思ったけれど、気持ちが上手く乗ってくれないので、これで終わります。 また明日。 更新時間 : 20:18:13
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6月16日
(月)
はる 766 中庭にあるニセアカシヤが枯れてしまった。この樹には今までに色々と慰められた、ありがとう。 まだここに引っ越してきて間がない頃、幼い彼は、二階に上がる外付けの階段の隅に窮屈そうに、その小判型の葉を鈴なりに付けてキラキラと輝いていた。私には「ぼくをもう少し広いところに移してよ」と訴えているように感じた。 中庭に移してから、どんどん大きくなって傘のように大きく枝を広げて、真夏の日ざしをさえぎってくれていた。秋には一斉に其の葉を黄金色に変え、ハラハラと散っていく様はなかなか美しいものだった。 しかし如何せん庭木には適さない樹木だった。あまりにも大きくなり過ぎて、このまま成長しつづけると家の土台を持ち上げてしまうのではないか、と心配した。事実彼の根は敷石につかったレンガを軒並み持ち上げ、中庭の床をデコボコにしてしまった。大量の落ち葉が隣近所の樋をつまらせ、苦情がくるようになった。しかたないので枝をはらった。 元気がなくなってきたのはそれからだ。一昨年頃、根元に奇妙なきのこが生えるようになってきた。こいつはしぶとくてとっても取っても一週間で元通りにその姿を復元する。色もいやなら形も気味悪く、見たくないのでアイビーで覆い隠しておいた。 今年の春は随分芽吹きが遅いと思っていたら、芽吹かずにそのままいってしまったようだ。何だか後味の悪い結果になってしまった。供養にもならないのだけれど、こうやってここに記録しておくことで、その代わりにしたい。少しの間だったけれど、楽しい時間と美しい風景をありがとう。いずれまたどこかで。 更新時間 : 22:24:11
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6月15日
(日)
はる 765 定時制の先生には色んな専門以外に特技を持っている先生が居る。随分と前からこの地方の演劇の世界では有名な先生、小説を書いていた先生、または自分の家業に燃えている先生などなど。けっこう偏屈ぞろいで面白い。 さて其のなかで退職されてからも旺盛に執筆活動をされているY先生から近作が掲載されている同人誌が送られてきた。かなり分厚い、その同人誌の半分以上がいつも先生の作品で、よくもまぁ書く事がつきないものだなぁと感心する。 元教師らしくいつもは自分の青春時代の話が多いのだが、今回は最近自分の母親を看取ったということから、「老い」がメインのテーマだった。自らももう若くはないのだが、その老体をだましだまし老いた親をみて行く事は並大抵のことではない。 人は自分が経験したことでなければ本当には理解できないし、分からない。いつぞや老先生と話をしていて「色んなことを経験して、感性は益々柔軟に研ぎ澄まされてきた」というようなことを言っていた。老いれば感性が鈍くなると思っていた私は驚いて、先生の顔を見るともう涙ぐんでいた。 自ら選んだ事ではないにしても、老いた親をみることや、自らの老い様というものは避けられない事柄だ。「病、老、死」はいずれ自分の範疇に入る。 言いたいことは、いずれにしろ「いま、ここ」でしか生きて行けないということだろう。もし私に表現するという力があるのなら、それらの諸々の事をなりふりかまわず描いて行きたい。 なんだかよく分からん文章だ。ごめん。(一字修正6/16) 更新時間 : 09:05:55
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6月14日
(土)
はる 764 昨日つづきで申し訳ない。少し考えさせてくれ(書きながら考えていく)ただつまらないと思うので飛ばしてもらってけっこうです。 「胡蝶の夢」のアイデアは、この「日々好日」の前身「絵描きのぼやき」の頃から時々出ていた。例えば何処に書いたのか忘れてしまったけれど、高校生の頃の討論会の話で「明日死ぬとわかったら、何をするか?」「当然強盗やって、女買って・・」そんな話で盛り上がっていた時、一人の秀才が「私は今と同じ生活をします」と答えた。で一気に盛り下がったっていう話とか。 ついこの間では「ユビキタス」の話(はる715・717)とか、これも何処に書いたのか(ホイックニーの写真のコラージュ)の話とか、神戸のルミナリオを見ていてみんな、実際のイルミネーションを見るよりケイタイの液晶を見ていたといった話などなど。みんな微妙にずれてはいるけれどね。 この話の何に引っかかるのだろうか。 うむ、何だかつまらん。消化不良だな、ごめん。また明日。 更新時間 : 21:59:28
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はる 763 「胡蝶の夢」 作品を観る 100号に「胡蝶の夢」を描きだした。このところ割に気に入って使っているフレーズだ。こういった故事というのは面白い。自分がそういった心境にならなければ何にも気づかずに終わってしまっていたわけだ。 昔山梨に有名な飲んだくれの絵描きが居た。絵描きで飲んだくれなら許されるのだけれど、これがなんと学校の教師でもあった。それゆえに色々とあったらしいけれど、なにぶん物凄い博学者。中国の故事から般若心経、漢文の詩は作るは、絵も書も独特のもので今でも多くのファンを持っている。まぁすごい人物だった。 亡くなってから大きな回顧展が開かれたのだけれど、そのときにちらっと目の端にとまった作品があった、「胡蝶の夢」だ。当時はほとんど意味も知らず、ただそういった絵があるという事だけで終わっていたのだけれど、気にはなっていた。 思い出したきっかけは「マトリックス」だった。少し前に書いた。コンピュータのバーチャルな世界と現実の世界との戦いという設定だったけれど、このことがズーっと気になっていた。 ではこの「胡蝶の夢」は一体何を言いたいのだろうか。一般に夢と現実は表裏いったいなんだよ、ということを言っているんだといわれるけれど、私が引っかかっていたのはそんなことではなかった気がする。はっきり言葉にすることは難しいのだけれど、こういうことかな。 夢でも現実でもどちらでもそんなことはいい。大切なのは我々は「いま、ここ」でしか生きてはいけないということかな。蝶なら蝶で、人なら人で其の時々楽しく生きていこうぜということかな。よくわからんけど。ではまた。 更新時間 : 00:00:48
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6月12日
(木)
はる 762 私が無断でリンクしている、いやしていたサイトが三つほど有る。本来はそのサイトのオーナーに断ってしかるべきなのだが、なんていうのだろう、恥ずかしいというのでもないのだけれど、連絡をためらう何かがある。 出会い系サイトみたいなものがこういったインターネットの普及に拍車をかけているということを、どこかで聞いたけれど、匿名性みたいなものがこういったものの持つ、面白さであるだろうし、怖さかなぁと思う。だからというわけではないけれど、なかなか知らない所とコンタクトをとることはためらってしまうのだ。それは私ぐらいの歳のある種の照れだと理解して欲しい。 不思議な事にその中の二つのサイトのオーナーから連絡があった。世の中悪い事は出来ない(悪い事をしたという意識はあまりないのだけれど)なぁと思う。 相互リンクというのはあまり面白くない。こういったら居直りにとられるかもしれないけれど、「リンクは自由」っていうのがいいのじゃないかな。いいと思ったサイトはこれからも「勝手にリンク」していくつもりだ。勿論悪意があってはいけないけれどね。反対にリンクを外して欲しい人は連絡下さい、というのはどうでしょうか。 更新時間 : 23:47:32
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6月11日
(水)
はる 761 小品の写真を引っ張り出してスキャンにかける。昔懐かしい作品がコンピュータのデスクトップに映し出される。その瞬間が好きだなぁ。 こんなことをしてはいけないのかも知れないけれど、なに本人の作品だ、コントラストなど少しアレンジする。大きさも自由自在。少し前なら考えられなかったことが、我々素人でも出来てしまうのが面白いというのか、恐ろしいね。 いまトップにさらしてある「塔のある館」は、地元神戸の(うろこの館)として有名になった異人館だ。阪神大地震でこの塔も傾いてしまったけれど、今はもう前より綺麗になって復活しているようだ。 この当時、こんな描き方しか出来なかったけれど、今見ても七転八倒苦労しているなぁと思う。けれどそういった若いエネルギーが感じられて(私の絵には最も少ない)、うらやましくも懐かしい。同じ画面に、これでもかこれでもかと何枚も絵がかかれている。もうこんな絵は描けない。 更新時間 : 10:37:14
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6月10日
(火)
はる 760 今日は一日学校の日。 何だかとても疲れました。雨にならなかったので、生徒と一緒にスケッチに出ました。 ということで又、明日。 更新時間 : 22:50:34
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6月9日
(月)
はる 759 こうやってこのHPに過去の作品をアップするようになって何ヶ月か過ぎた。こういった機会でもない限り自分の作品をまとめて観ることもなかったように思う。特に古い作品には当時の自分の心情や、思い入れがあって思い出すのは楽しい作業であった。また、そういったことをコメントとして残しておくのも、今しか出来ないかもしれないと思った。 大きな作品はまだもう少しあるけれど、だいたいこれで終わります(現在アップされているのは45点、すでに晒したものは後一点で50点になります)。これからギャラリーにアップされる大きな作品は、現在進行形の作品ということになるでしょう。 代わってこれからは少しずつ小さな作品もアップしていこうと思っています、ただ小品は手元にない場合が多く、写真も記録程度の精度なので、そこらあたりを割り引いて観て下さい。それからHPの容量の関係で、まとめてギャラリーにストックできないので悪しからず。後日まとめてサムネイルにでもできればいいかなと思っています。 明日は学校だ。ゆ・う・う・つ・だ。 そんじゃ。 更新時間 : 21:44:44
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6月8日 (日)
はる 758 今日はお休み。又明日。 更新時間 : 23:07:04
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6月7日
(土)
はる 757 もう昔の事でほとんど固有名詞は覚えていないのだが、・・フォンテーヌとかの「ラジオのように」なんていう唄というのか、語りというのか、不思議なレコードがあった。大阪のジャズ喫茶でバイトしている時に誰かが、ジャズの新譜として購入してきた物で、今考えるとそれはとてもジャズとはいえない範疇のものだったけれど、この不思議な音楽は多くのジャズのレコードよりより深く残っている。 (この間FMのゴンチチの番組を聴くとはなしに聴いていたら、この「ラジオのように」が突然流れていかので、妙に懐かしかった。こんな曲は彼らの番組以外に取り上げないだろう。) 長谷川きよしがギター一本で「別れのサンバ」?で出てきたときにこれまた度肝を抜かれた。彼の音楽のスタイルもカッコよかったけれど、こういったラテン系の音楽が時々日本のミュージックシーンに登場してくる。団体系の歌手(名前を忘れてしまった)の「ラブユー東京」はでだしが、ギターの名曲「黒いオルフェ」にそっくりだ。 そういえばザ・ピーナツの「ウナセラディ・トーキョー」なんていうのもあった。これは中学校の時のブラスバンドの得意のレパートリーで学芸会ではカッコつけてやったおぼえがある。どこか安いキャバレーの匂いがした。 そんじゃまた。 更新時間 : 00:04:57
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6月6日
(金)
はる 756 うむ、今日もまたこんな時間になってしまった。一日はなんと早いのであろうか。 2003年個展によせて 「あそびをせんと3」・こうべ 今年のサブタイトルのことがあって「あそびをせんと・・」を調べてみた。良寛さんの歌だとばかり思っていたのだが、もと歌は平安時代の今様・「梁塵秘抄」からだった。「今様」とは、今でいうならば「流行歌」「Jポップス」みたいなもののようだった。 学生の頃、教育実習に行った。音楽の実習だったと思うけれど、母校の大学の先生が模範講義をやっていた。いい加減に聞いていたのだが、ここだけははっきりおぼえている。「私が唄えば、この教室の窓ガラスがびりびり鳴ります、見ていて下さいな」。付属のボロ校舎だったけれど、一人の人間の声だけでまさかガラスが鳴るとは思っていなかった。歌はイタリア民謡「帰れソレントへ」イザイザ・・・。結果は教授の思惑通り、全てのガラスがびりびりと鳴って、満場の拍手を受けていた。 言いたかったことはそのことではない。「梁塵秘抄」の「梁塵」とは、上手な歌手が歌えば「梁」(はり)に積もった「塵」(ちり)もびりびり震えて落ちてくるということらしい。 「スローフード」という言葉を初めて聞いたのはもう4、5年前になる。世の中が少しスピードダウンしてきて、「速い、安い、うまい」ではなく、少しぐらい遅くてもゆっくり手をかけて楽しもう、ということらしい。 ゆっくり遊ぶためには道具が必要だ。ただそれは一昔前の「遊ばせてもらう」道具ではなく、大切なのは「楽しむ感受性」ということだろう。これはすぐには手に入れることができない「こころの道具」のようだ。 遊ぶことにかけては塵でさえその目安にした先人の「こころのあそばせ方」を学ぶ必要があるだろう。 さて今年も心に浮かんだ色々なイメージを作品にしました。こころあそばせてもらえると嬉しく思います。 「あそびをせんと」のシリーズはこれで終わります。 2003 7/17(木)〜7/22(火) 神戸・ギャラリー ル ポール (神戸市中央区加納町4-6-4(北野坂通り) TEL078-332-3751 また、あした。 更新時間 : 00:20:49
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6月5日
(木)
はる 755 少し遅くなってしまった。以前の私の生活パターンを知る人にとっては驚きの変化だとは思うのだけれど、人として「朝型」の生活ほど身体にいいことはない。昼間眠るとどことなく熟睡していない部分があって、ただでさえボーッとしているのに、それに拍車をかけるようだ。まぁそんなこたぁ、個人のすき好きでかってにすればいいことだけれどね。 それにしても何て雑用が多いのだろう。日々の生活の大半がそんな雑用の整理で終わってしまう。絵描きだなんていいながら、その実際は雑用整理係兼、その合間に絵を描いている人という感じだ。まったく、絵だけ描けばいいなんて幸せな生活している奴の顔が見たい。 まぁぼやいていても仕方ないから、寝る事にします。お休みなさい。 更新時間 : 00:04:54
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6月4日
(水)
はる 754 中国の映画を最近観た。「北京バイオリン」なんてタイトルの映画だった。 昨年頃からわりと中国制の映画を観る機会があって、「初恋の来た道」「山の郵便配達」など続けて観たおぼえがある。感想は可もなし不可もなし。我々西側の人間が観て喜ぶだろうなぁということを前提に作られている気がして、ちょっと興ざめするところもあった。そこまで深読みするのは皮肉れ者かもしれないけれど、何かもう少し演出されていない、素朴な物語を観たいなぁなんて思ってしまうのは偏見だろうか。 今回のこの映画にもそんな思いがした。なぜバイオリンなのか?チラシのキャッチフレーズが「クラッシクの名曲にのせて語られる感動のドラマ」と書かれていたけれど、なんで西欧のクラッシクなの?という素朴な疑問がわいてくる。二胡じゃだめだったの、中国の伝統音楽家の話じゃだめだったの? 韓国の「八月のクリスマス」を観た時も(いい映画なんだけれど)、何処かに違和感があった。それは観終わった後に残る後味が「西欧風」なんだ。音楽や雰囲気からそんな感じがする。 以前韓国の音楽情報番組を観ていたら、ハングル語のラップ音楽が流れてきた。「へぇ、韓国にもラッパーがいるんだ」とおもったのだけれど、すごく違和感があった。そういったことと共通するかもしれないねぇ。 それは多分今の日本の映画や音楽にも言えるのじゃないだろうか。「おいおい、これは何処の国の話じゃ」のような、無国籍観がぬぐえない。 いいたいことが分からなくなってきたけれど、例えば映画の世界で黒澤さんや小津さんが評価されるのは、そこには西欧風ではないオリジナルなものがあるからだと思う。すべてがグローバル化する必要はない。自分たちの足元を見ることが大切だという話さ。 更新時間 : 22:56:27
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6月3日
(火)
はる 753 先週はテスト週間で我々の授業はカット。今日、久しぶりに学校に来れば、生徒以上に苦痛を感じる。何がどのように苦痛なのか?これがなかなか言葉にできない領域だ。自分にはこれがあるから、まっとうな職につけなかったし、絵なんか描いているのだろう。 いずれにしろ、正しい、まじめな人間なんかじゃない。昔、兄貴に言われたことが耳の中に残っている「何だかんだ言っても。お前なんか、ただ怠けたいだけだよ」そういわれてしまえば、実もふたも無い、たぶんそうなんだろう。 トップ絵は先に額が出来上がってきた。同じグループのIさんは絵もそうだけれど、額は玄人なみだ。何とかねばってアールのついたやさしい感じの額を作ってもらった。それに合う絵を描かねばとプレシャーがかかったのだけど、どうだろうか?それにしても額ばかり褒められるのでちょっと悔しい。 さて今授業が終わって帰ります。お疲れ様でした。 更新時間 : 21:08:45
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6月2日
(月)
はる 752 今日は一日当番で、ハーパーズ・ミルにいた。人が余り来ないので裏の控え室で横になっていると、いつのまにか眠ってしまって、気が付いた時にはもう夕暮れの風景だった。 グループ展というの案外人が来ないものだ。皮算用では一人の作家が10人連れてくれば、グループが大きくなればなるほど、多くの人が来てくれるという勘定になるのだが、意に反してそんなには増えない。 一人一人の責任感がそれだけ薄くなるし、なんとなく作品を出しただけで義務を果たした感じになるような気がする。それにやっぱりこういった「作家物」は作家に会いに来るという面もある。作品さえ観れればいいなんて人は少ないでしょう。個展が一番面白い。 そんなことで一日が終わってしまった。じゃーまた明日。 更新時間 : 22:28:32
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6月1日
(日)
はる 751 ジャック・ニコルソンのアバウト・シュミットを観た。今日は映画の日でほぼ通常の半分の料金で観る事ができる。映画好きには外せない月一回のチャンスというわけだ。 この間「マトリックス2」を観て、もうこういった特撮は飽きた、我々が観たいのは空飛ぶ車でもないし、信じ難いほどの超能力でもない、きっちり人間を描いて欲しい。なんて生意気な感想をかいたのだけれど、同じような感想を持つ人にはこの映画はおすすめだ。 ジャック・ニコルソンといえば「カッコーの巣の上で」とか「シャイン」近くでは「恋愛小説家」など、そうそう「スーパーマン」の悪役でも主人公のスーパーマンを完全に食っていた。そんな癖の有る俳優で、お気に入りの一人なんだけれど、この映画の予告を見ただけで、これは是非観なきゃと思っていた。 この映画は彼一人のために撮られた映画だ。いってみれば彼がこの年になるのを待って撮られた映画だということができるだろう。一人の優れた俳優は、ただ単に年取った老人ではないということだろうか。彼はこれからも我々に心に染みとおるような映画を作ってくれるだろう。 志村喬の「いきる」を思い出した。〜いのちみじいかしぃ、こいせよぉおとめ〜 我々から少し上の世代、そろそろ定年を迎えた先輩諸君に観てもらいたい。 更新時間 : 22:39:30
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