過去の作品コメント

「夏の丘」 1982 F80
「存在することの不安」 1997 S100
「ねがいごと」 1999 S100
「麒麟」 2003 F130

2003年4月
絵描きのぼやき

4月30日 (水)

はる 719
 美術教室の控え室に寝転んでいると、隣の音楽室から昔懐かしい「禁じられた遊び」のメロディーが流れてきた。たぶんギター部の連中がてなぐさめに爪弾いているのだろう。

 名曲にも色々あるけれど、これほどポピラーで多くの人に知られているギターの名曲は少ないだろう。こういう私も中学生の頃、この曲を誰かに教えてもらって、一生懸命練習した一人だ。譜面がそこそこ読めるようになってながめてみると、こういったよく知られた名曲というのは、けっこう単純なメロディー(音符のながれ)だということに気づく。クラッシックの名曲がどんな譜面なのか知りもしないで、知ったようなことをいうと叱られそうだが、ことポピュラーに関してはこのこと(単純なメロディである)はいえるのじゃないか。

 人の心をつかむ、感動を与えるというのは案外単純なことではないだろうか。もってまわって色々と考えれば考えるほど、そのことから遠ざかっていくのかもしれない。

 もっとシンプルにやってみよう。


「ねがいごと」1999 S100  作品を観る

 自分の絵のモチーフではあまり出てこない子供がテーマになっている。
 子供の頃は無邪気で心配事もなくいいなぁ、なんて本気に思ってる人はよっぽど幸せな子供時代をおくった人だろう。子供は子供なりに、ぎりぎりの不安をかかえているもんだ。それは今あなたがかかえている心配事と分量にすれば同じということだろう。例えば明日の天気は彼にとっては、今までの自分の人生で一番の心配事だったかもしれないのだ。そんな気分が表現されればいいなぁと思った。

 しかしなぜその後ろの棚に「オスカー賞」のトロフィーがならんでいるのだ?と聞かれた。


 「夏の丘」 1982 F80  作品を観る

 この丘シリーズの最初の作品だ。だからという訳でもないが、線や形に作為がめだつ。ほぼ一年かけてこのシリーズは終わる。だから幸せなことに、何かの兆しをかんじさせる「春の丘」で終わる事になった。気分的に「冬の丘」で終わってしまうと救いがないきがしないか。
 
 関係ないけれど、この文章を書きながら棟方志功のことを思った。随分前のテレビだったけれど、彼の製作ドキメントをやっていた。とても尋常じゃないある種の異端児=天才だけれど、言ってる事は全て的を得ていて、彼がどこかでそういった教養を学んできたとは思えないのだけれど、一つ一つの言葉に、作品に真実があった。

 私など多くのことを知らないのだが、知ったかぶりして偉そうなことを書いていることが多いのだけれど、彼らのような天才はその血、DNAの中にそういったひらめき、勘があるのだろうなぁ。学んで努力して得られる物には限界があるものだ。

 羨ましいけれど、私にはもうすでにその天才はない。


 
 はる 654
 「麒麟」 2003  F130  作品を観る

 なぜ麒麟を描こうという気になったのか、つらつらと考えてみた。

 中国の古い考えでは四方には四つの聖獣がいて、東からそれぞれ青龍、朱雀、白虎、玄武(かめ)という事は聞いていた。そういったことを下敷きに風来坊の曲芸師との組み合わせを考えていた。幻の珍獣というのであれば、西洋じゃユニコーンもそうだったなぁという連想から、調べてみるとこれが東洋の麒麟と近い関係にあったという訳だ。

 麒麟は物凄く頭のいい動物とされている。もちろんこれは人が作り出した想像上の動物であるから何とでもいえるわけだけれど、反対に考えてみれば、だからこそ人間の理想、願望というのがよく表現されているといえるのじゃないかと思う。
 麒麟は絶対に人を傷つけないとされている。その角は他を傷つけないために丸く肉付いている。一説によると蟻さえも踏まないように注意して歩くとか。これはいってみれば徹底的な「非暴力」、理想的な「平和主義」といえるのじゃないか。

 もう一つの特徴は麒麟が現れる時は理想的な哲学者、政治家が出てくるときで、この前に出現したのは孔子が生まれたときだとされている。孔子の母は麒麟の足跡を踏んだ時に彼をはらんだとか。馬鹿な大統領の言いなりになってないで、今まさに真の指導者の出現を待つということを考えれば、これも一つのメッセージになるのかもしれない。

 「反戦」「非戦」そんな思いが多少なりとも乗せられるといいなぁと思う。


更新時間 : 18:31:08

4月29日 (火)

はる 718
 ケイタイ版のHPをつくった。一日仕事になってしまった。
 
 http://www.kis-net.ne.jp/~enami/imodo/index.htm

 ということで、今日はお終い。


更新時間 : 21:18:16

4月28日 (月)

はる 717
 以前書いたつもりで探してみたけれど見当たらないのでもう一度書いてみます。ひょっとしたらだぶっているかもしれません。ならば、とばしてください。

 ガロという漫画だったと思う。近未来の話で、機械と人の融合というのか、有性生殖というのか、とにかく人間と機械が相互に情報交換できて、「幸せな新しい世界」を築いていくというような話だった。

 なぜそのことが妙に私の記憶に残っているかといえば、こういったことだ。まえにホイックニーの写真のコラージュの話をしたことがあったけれど、人間の記憶と言うのは多分こういったコラージュに近い物だと考えられる。でそれを分解してある秩序で組み上げるといっぺんの絵画になる。

 キュビズム(立体派)といわれる手法で絵を描いていると、空間と物との関係があいまいになっていく。物が空間にとけだし、はんたいに回りの空間が物の中にはいりこんでくるという,相互の関係が切り離せない「幸せな関係」になっていくのを感じる。これは私だけがそう感じたのかといえば、たぶんピカソやブラックその他のキュビストたちも同じように感じていたに違いない。(そのことを証明するのは難しいけれど、一枚の絵の中の釘で証明している・・このことには深くふれない、うまく言えないのが本当のところ)

 ユビキタスの話を書いていてこのことをまた思い出した。実は我々は時間と空間を自由に行き来できる,ある種の時空間のキュピズムを目指しているのではないかということだ。そしてその「幸せな新しい世界」がもうすでに実現してるのではないかということだ。ちょっと怖いね、どうおもう?

更新時間 : 22:10:48

4月27日 (日)

はる 716
 「存在することの不安」S100 1997  作品を観る
 この年を最後に油彩画を描かなくなった。この作品はそういった意味で私にとって貴重な作品だ。

 タイトルがかなり大げさで今見ると少し恥ずかしいのだけれど、「方舟」「牧歌=理想郷」「ホームレス=世捨て人」「いのりのかたち」ときて、ここらあたりから自分の言葉をタイトルに結び付けることを意識した。人によってはタイトルに意味がありすぎて、文学の匂いが感じられて嫌う御仁もいるけれど、多くの人が絵を見るより先にタイトルを読むことを考えれば、これも大切な作品の要素だと考えるのだけれど、どうだろうか。

 この前年に一年の長い旅を終えて帰ってきたのだけれど、晴れ晴れとした気分ではなく、自分は何を描けばいいのか、自分とは何かを真剣に自分自身に問い掛けていた。最後の方法として、そういった自分そのものをモチーフにしている。 

 意識としては必要な物以外できるだけ殺ぎ落として、モチーフも人物一人、他には何も無いところまでシンプルになった。色も段々に少なくなって、最終的にはモノクロのカタマリになってしまった。この画面ではよく分からないけれど、周りには新聞紙なんかがコラージュされてかなり厚いマチエールになっている。
 

更新時間 : 19:16:07

4月26日 (土)

はる 715
 今日は暑かった。31度を越えたそうだ、もう夏だ!
 
 この間「ユビキタス」の話を新聞のコラムで読んだ。ユビキタスというのが何語なのか忘れてしまったけれど、意味は多分「どこにでも遍在する」ということらしい。(今「へんざい」と入力したら遍在「かたよってある」と、偏在「どこにでもある」とでて来た。全く意味の異なる言葉が同音で意義語。しかもへんが違うだけというのが面白い。ここらあたりにこだわると前に進まないなで、いずれ)

 例えばこういうことだ。医者にかかったとする。昔のお医者さんは顔を見て「最近は具合はどうですか?」などという世間話から患者に接していく。ところが最近、人の病院に付き合って、奇妙な対応に気が付いた。そのお医者さんは患者の顔を見るより自分のパソコンのデーターばかり見て話をしているのだ。確かにそれは今の患者の状態を正確に表しているのかもしれないけれど、なんか変だなぁと感じた。
 例えばこういうことだ。休み時間の職員室に入る。昔はタバコでもうもうと煙った中で、先生が高く積み上げられた印刷物の砦に囲まれて、まずい茶をすすっていた。最近の先生の机には必ずパソコンがあり、ほとんどの先生は休み時間もパソコンに向って何やら仕事している。
 例えばこういうことだ。塾が終わって生徒が帰っていく。みんな一斉にケイタイを開けて、メールのチェックをする。その顔はどんな授業の時より真剣だ。

 音楽は音だった。写真は絵だった。電話は声だった。映像はフィルムだった。記録は紙だった。そんなものが全てひとつの「デジタルな情報」に還元されてしまった。いままで互いに全く互換性がなかったそれぞれのものが、急速に一つの「情報」にすりかわって行く事に、ある種の恐ろしさを感じる。

 ユビキタスの世界はもうすでにそこまで来ている。はたしてそれが人間にとって住みよい世界かといえば、わからないねぇ。
 

更新時間 : 21:26:38

4月25日 (金)

はる 714
 昨日,今日と何もする気がしないなぁ。雨も降ってるし、気分的に憂鬱だ。明日は少し気分転換しよう。
 今日は書けません。では。

更新時間 : 20:19:42

4月24日 (木)

はる 713
 昨日は一日暗い都美術館の中で何やらゴソゴソと懇親会の受け付け仕事をしていた。いずれ見に行かねばならないのだし、懇親会にも出たいなぁと思っていたので、この仕事はちょうど一石三鳥ぐらいの意味があった。

 他の会の絵を見る時間も取れたので、久し振りにゆっくり多くの絵を観た。はっきり言って、こういった団体展の会派の違いが私には分からなかった。絵の大きさはそれぞれ違ってはいたけれど、それ以上の違いは感じられなかったなぁ。それでいいようにも思う。突き詰めて言えば絵は個人的なものだし、「いい悪い」も全く個人的なものだからね。どうだろうか。

 私の絵に関しては、やっぱりというのかそれなりというのか、ああいった大きな会場で見れば、小さく見える。大体において迫力というものが感じられない。何が何んでもとか、どうしてもこれでといった切羽詰ったものが感じられない。人が見るときには自分が思っている百分の一から千分の一ぐらいの物しか伝わらないものだと思った。あってもなくてもいいようなものなら描かない方がいいのかもしれん。出品する以上ベストを尽くして戦わなくては意味が無い、最初っから戦いを放棄するのであれば、止めることだな。前々から言われていたことを痛切に感じた。これは私の長所でもあり短所でもある。よく考えてみよう。


更新時間 : 16:25:10

4月22日 (火)

はる 712
 明日は朝から東京に出ます。国画会のオープニングパーティがあり、その受付当番です。自分の絵がどんなところに掛けられているのか、その時でないとわかりません。それはそれはけっこう気にするところですが、どこに掛けられようとそう大差ないのかもしれませんねぇ、他の人にとっては。
 自分の家の狭い空間で見ているのと、ああいった大きな会場で他の絵と同列で並んで見るというのは当然違うわけで、そういった意味でも一年に一度、客観的に晒してみるのもまんざら意味無いことでもないだろうな。
 多くの有名無名の作家がこのときに一同に会します。それはけっこう壮観なながめだ。一番最初にこの会に出席したときには、だれも知らないし、話しかけられもせず、寂しい思いをした記憶がある。こんなところで孤高を気取ってもしかたないのだけれど、しかたがなかった。最近は少しずつ知り合いも増えて、一年に一度しか会わない作家と会うのは楽しみの一つだ。

 さて明日は更新できないかもしれません、あしからず。

更新時間 : 21:17:11

4月21日 (月)

はる 711
 知り合いの女の子が沖縄の芸大に合格した。私もそうだったけれど、学生時代は東京や大阪などの都会に行くより、全く知らない地方の土地に行って住んだ方が面白いと思う。いずれ地元に戻ったり、都会に出て就職したり、仕事したりしなければならないのだから、十代の最初の感受性がまだ新鮮な頃に、知らない土地で知らない人たちと暮らしてみることは、後々の大きな財産になるのじゃないかと思う。今はまだ一人暮らしの寂しさに囚われているようだけれど、貴女ならすぐに解消して元の元気な娘になってくれるでしょう。楽しんでくれ。

 今日は台風なみの大風が吹いて、若い新芽が吹き飛ばされてちぎれてそこら散らばっていた。時に自然は残酷なことをする。そのせいか空気が澄んで、遠く方まで見渡す事ができた。
 この季節になると山々もうっすらと緑になってきて、これがうつくしい。特に夕方の日暮れ前の黄金の時間は、全ての物が生きてるように輝いて心を昂揚させる。何時からこの黄金の時間に気がついたのか忘れてしまったけれど、自分の遺伝子の中に大草原に沈む太陽への憧れみたいなものがあるように思う。

 また明日。

更新時間 : 23:08:59

4月20日 (日)

はる 710
 今日は朝から霧雨が降っていた。

 傘をさすのがはばかられるような霧雨というのも、けっこう面倒くさい。ささなければそぼ濡れてくるし、傘を持つ手がだんだん重たくなってくるのも嫌だ。結局私は全ての事がメンドクサイのだろう。

 クロッキーの会があって隣町の公民館に出掛ける。色んなサークルがあってこの公民館でも、びっしりと昼も夜も詰まっている。変わったところでは時々三味線の音が聞こえたりする。
 趣味をしごとにしてしまった私は、気分転換がへたくそで、起きている時は、のべつ幕無しに絵の事を考えている。だからといって集中して仕事をしているわけでもないのだけれど。こういった風にズルズルとしごとするパターンが定着してしまった。なんとかけじめをつけるためには、強制的に何かをやった方がいいのかもしれない。好きな音楽のサークルでもはいろうかなとも考えたりもする。けれどこれなど最もメンドクサイことだな。だからやめた。

 さて寝るのが一番面倒じゃないので寝る事にした。

更新時間 : 21:15:53

4月19日 (土)

はる 709 
 昔のテレビ番組に萩原健一ことショーケンと水谷豊が町のチンピラで岸田今日子がそのボスという設定で、物語が進行していく「傷だらけの天使」というドラマがあった。うるおぼえだから間違っているかもしれないけれど、彼らの事務所は街中のビルの屋上のプレハブ住宅だった。

 彼らがが繰り広げる日常的なドタバタ喜劇のなかで、唯一リアルなのが、彼らが物を食うシーンと風呂に入るシーンだった。冒頭のタイトルバックでショーケンがヘッドホーンかなにか耳にあてがったいでたちで、冷蔵庫からレタスやトマトなどやたらと取り出してガツガツと食い散らかすところがあり、小さいながらもカッコいいなぁと思った。最近、松本大洋(?)の「テッコンキンクリート」(?)という漫画を読んでいたら、主人公がこのショウケンと似た格好をしていたので、なぜか思い出した。松本大洋は去年かなぁ,映画の「ピンポン」の原作者としてメジャーになったけれど、知ってる?

 風呂のシーンも色々あった気がする。多分水谷豊が死ぬ最後のシーンも風呂場じゃなかったろうか。これがまた露天風呂というのか、屋上のドラム缶風呂で、あ〜こんな生活もいいだろうなぁとまったく,後先考えずに思ったものだ。

 今日は家の改造がなぜ好きになったのかを書くつもりで、書き始めたらこんな見当はずれの文章になってしまった。まぁいいか。
 

更新時間 : 19:43:58

4月18日 (金)

はる 708 
 日にちが変わってしまった。今日は知り合いの家に遊びにいっていて,今帰りました。あしからず。
 又明日。

更新時間 : 00:44:32

4月17日 (木)

はる 707
 今日は暑かった。

 20人の生徒の目が自分を見ている。いったいこのおっさんはどんなことを最初に言うのだろうかと、固唾をのんで見守っている。ここのところが一番肝心なところだ。ここでこけると立て直しがしんどい。いつも大体こんな話をする。「あなたたちは信じないかもしれないけれど、私にも君たちと同じ年頃があった」と。ゆっくりゆっくり言葉を選んで、まるで小さな子供に言い聞かせるようにはなす。
 教師は役者でもあるんだな。たった20人相手の2時間足らずの公演だけれど、うまく乗せてだましてやれば、子供たちも幸せっていうもんだ。
 今年はわりとでだしが上手くいった。けれど、こればっかりは生もので,今年上手くいったからといって来年上手く行くとは限らない。だから難しいし面白いのかもしれないねぇ。

 「荒ぶる魂」定時制にくる子供たちは、ここにくるまでいろんな所で締め出され、外され、傷つけられてきた子供たちだ。まだほとんど聞く耳をもたないけれど、そのうち君たちにとってここは最後の砦となるところだと気付くだろう。
 

更新時間 : 23:09:47

4月16日 (水)

はる 706
 今日は一日学校に缶詰。帰ってきたのが先ほどでした、それ故お休みなさい。又明日。

更新時間 : 23:06:01

4月15日 (火)

はる 705
 人に優しくなれないのは、決定的に自分の度量の無さだと思う。こうやっていろんなことを書いて、一人前な顔をして表現者だ、アーティストだなんていっているけれど、その実、人に厳しくて自分には優しいとんでもない、偽善者だ。

 もともといい加減な人間だったはずなのに、どこかで何を間違ったか、まじめないい人を演じることになってしまって、それがじぶんだなんていつの間にか勘違いしてしまったのじゃないか。

 修行が足りません。出直します。はい。

更新時間 : 22:44:34

4月14日 (月)

はる 704
 明日から今学期の授業が始る。とっても憂鬱。おまけに何だか少し風邪気味だ。いやいや病がこうじると風邪に似た症状がでる。それかな?
 今日はここまでにします。

更新時間 : 20:42:12

4月13日 (日)

はる 703
 アトリエからでっかい130号がなくなると、気持ちがいい。

 前にも書いたことがあるけれど、今の家は築40年ぐらいの純和風の家を、自分で適当に壁を取ったり付けたりした、とてもいい加減な家だ。アトリエも和風の六畳二間を、無理やりくっ付けた風変わりな洋間だ。けれど、自分で改装したという意味で愛着は強い。

 最近は改装ブームとかで色んな雑誌でリメイクの特集が組まれたりしているけれど、まぁそれだけ日本人も衣食住の住に関心が向いてきたということで、面白くみている。我々のような仕事はいっけんそういった事と関係がないように思われるけれど、実は大いにリンクしている。アートはそれぞれが自分の空間で楽しんでこそ生きてくるわけで、壁の色やカーテンの色、どこに何を置くかみたいな感覚は、絵を描いたり、モチーフを組んだりするのと全く同じことなんだと思う。

 「生きる事を楽しむ」という大前提の一番の大本に、アートが必然的に関係しているということで、反対にそのことを抜きに人生の楽しみはないと言っていいかもしれないね。それゆえにこれから大いに我々の時代になるのではないかと期待している。これは全く手前味噌のうぬぼれだけれどね。どうだろか。

 さてこんな話になるつもりではなかったけれど、まぁいいや。また明日。

更新時間 : 21:07:03

4月12日 (土)

はる 702
 午後一番に国画会に出品する絵を、赤帽のSさんが取りに来る。彼とももうけっこう長い付き合いとなる。

 地方から東京など長距離の運搬をどうするか、というのが地方に住む作家の悩みの種だ。若い時は体力にまかせて何人かでトラックなどレンタルして運搬した。それはそれでけっこう面白く、一年に一度の楽しいイベントとして記憶に残っている。
 そうはいっても中央高速から、首都高を上野に向って運転するのは、私にとっては命がけの大冒険だった。何度も出口を間違えてすったもんだした挙句やっと上野についたのが、搬入時間ぎりぎりだったということも、一度ではない。中央高速の途中で、車の後ろから煙がでてきて、あわてて一般道に降りて、そのままよろよろと家まで乗って帰ったということもあった。

 最近はもっぱら赤帽のSさんに頼む事にしている。このルートを見つけてから随分と出品が楽になった。しかし、年を取るという事はその体力をカバーする費用がかかるということだな。公募、コンクールに出品するということは、そういった面倒もひっくるめて引き受けるということだと思っている。それが嫌ならやめるしかない。

 さてまた明日。
 

更新時間 : 23:09:04

4月11日 (金)

はる 701
 午後から地元の画家、斎藤静輝先生の個展のオープニング出かける。
 その後みんなで近くの喫茶店でくだらない話で時間を潰した。あまり人との付き合いをしない私にとって、絵描き仲間というのは気を使わない大事な仲間だ。くだらない話がけっこう楽しい。

 春なのにとても肌寒い一日だった。また明日。

更新時間 : 23:47:11

4月10日 (木)

はる 700
 このホームページを何時から始めたのか、はっきりとした日にちを覚えていない。というのは、こういった事を仕事にしている甥っ子が善意でつくってくれたからだ。それ故、最初の頃はまったくノータッチというのか、パソコンさえ持っていなかったのだから、当然何も知らなかった。メールが入ってくればFAXで送ってくれるなんていう情けない状態だった。(今でもたいして扱えるわけではないけれどね)
 それでも1999年の終わり頃には、ヤフーに画家として登録されたのだから、いかにその頃絵描きでHPを持っている作家が少なかったかということでしょう。(最近はなかなか登録さえしてくれないそうだから、もうけた。真の実力とは関係ない)

 そうは言ってもパソコンぐらいなければ話にならない、ということでハーパーズ・ミル(画廊)のオーナーが古いマックを貸してくれた。でぽこぽこと打ち出したのが、このコーナーの前身、「絵描きのぼやき」だ。これは自分の掲示板に日記風に書き始めたもので、2000年の9/15が「はる1」だ。まぁ紆余曲折があってなんだかんだで二年半、今日で700回という記念すべきカウントになった。

 よくまぁというのか、暇だねぇというのか、頼まれもしないのにと自分でも思う。まぁこれはある種の楽しみ、または自分を表現しようという性格でないと続きませんね。けっして義務感だけではつづかないと思いますよ。いまから日記をつけようと思っている方へ

 ネタを探しているうちは、まだまだです。探したネタはいつか底をつきます。そういう書き方は勧めません。自然に、構えず、つらつらと出てこなくては、疲れます。嫌になります。考えていること、思っていること、生きている事がそのまま書ければ一番いいと思うのだけれど、なかなかそれも言うのは簡単ですけど、難しいですね。

 ここまで書いてふと自分の絵の描き方と似てるなぁと思った。描き始めてから考える、そんな感じかな。

 今日は私の誕生日でもあるんだな。珍しくも無いけれど。ではまた。

更新時間 : 21:13:54

4月9日 (水)

はる 699
 明日、そうもうあと15分ぐらいで51歳になる。実感がまったくないなぁ。俺は一体今まで何をしていたんだろうと一瞬思う。そこら辺の路地で髪を茶色に染めて、分かったような顔をしている大人たちをヤブにらみでにらんでいるガキと心情的に少しも変わらないなぁと思う。

 さぁ、日付が変わってしまった。また明日。

更新時間 : 00:04:55

4月8日 (火)

はる 698
 春の嵐だった。雷が鳴って土砂降りの雨が落ちてきた。けっこう気分転換になった。これで少しは前進できるかもしれない。

 春の陣が始る。まず上野の国画会がこの土曜日に搬入、審査陳列があって、23日から展覧会が始る。毎年ここ12,3年はこれから一年が始る感じだ。団体展は色々言われるけれど、若くていきのいい今が旬の作家に会えるのが楽しみだ。我々のように地方に在住している者はなかなかそういったやる気のある作家と出会えない。そういった若い作家の話を聞いたり、気に触れるのはけっこう刺激になる。団体展に出品している理由は今のところそれだけだな。
 
 きょうはここまで。また明日。
 

更新時間 : 21:22:44

4月7日 (月)

はる 697
 今日、2003年4月7日は鉄腕アトムの誕生した日だそうだ。色んなところでそのことがふれられているけれど、ある意味手塚治虫は天才だったんだな。
 今でこそアニメと言えば日本のお家芸だけれど、一昔前は漫画は低俗な娯楽でしかなかった。そんな時代からもくもくと漫画をかいていたのだから、今生きていたら今のアニメブームをどう感じただろうか。

 私がアトムを知ったのはいつだったのか、忘れてしまった。横山光輝の鉄人28号より随分前だったきがするけれど定かではない。テレビのアニメとして登場して来たときはよくおぼえている。それまでももちろんアニメはあったけれど、それはディズニーのキャラクターで大好きな漫画ではあったけれど、我々のアトムとははっきり違っていた。火曜日の7:30と曜日まで覚えている。明治製菓が提供で、マーブルチョコレートにアトムのシールが入っていて随分と集めた。そうそう思い出したことがある。アニメのアトムが出てくる前に、人間が演じているうそ臭いアトムがあった。今じゃとても子供でもみないとおもうけれど、当時はそれでも楽しみにしていた。

 さて今日は少し肌寒い。それではまた。
 

更新時間 : 22:37:15

4月6日 (日)

はる 696
 地方選挙の季節らしくて、午前8時をすぎると一斉に宣伝カーから意味の無い名前をがなりたてる。候補者の名前を繰り返すことに何の意味があるのか、よろしくお願いしますと繰り返すけれど、何をどのようにお願いされているのか、全く分からない。ただただ、うるさい騒音だと思うのは私だけだろうか。

 選挙の実態など全く知らないのだけれど、国政選挙であれ地方選挙であれ同じようなことが行われているのだろう。他の国がどうやって国の代表を決めているのか知る由もないのだけれど、大変な苦労して選挙権や被選挙権を勝ち取ってきたわりには、全く生かしきれていないなぁとつくづく思う。
 当然のように馬鹿なお祭り騒ぎと片付けているけれど、これがかの国のように独裁国家であれば、こうはいかないわけで、全くもったいない宝の持ち腐れだと思う。

 昨日日産のゴーンさんのインタビューが載っていたけれど、まぁ成功したから言えるということもあるかも知れないけれど、例えば日本の誰かがどこか他の国の企業の再生を任された、なんて話はバブリーな頃でもほとんど無かったわけで、言葉もわからないような国のトップを引き受けるというのは、それだけで大したものだと思う。

 その中でかれは「経営者=トップというのは10年後、15年後どうなりたいか、というビジョンをしっかり提示できなければならない」なんてことをいっていたけれど、一企業だけの話ではなく、本来政治家というのはそういった「遠目」のきく人がなるべきもので、自分たちだけの利益のことを考えて選ぶと、結局馬鹿を見るのは自分たちだということだ。

更新時間 : 21:16:40

4月5日 (土)

はる 695
 今日は朝からみぞれ交じりの雨が降っていた。四月のこの時期にしては寒くて、ブルブルとふるえた。桜はこの調子だとかなり散ってしまっただろうなぁ。


 想像してみてごらん。たとえとんでもない独裁者が、人々を虐げていて、こんな体制の元じゃ人々は可愛そうだ、と思ったとしても、そこに実際に住んでいる人々がそれでいい、または我慢できるというのであれば、他所の国の人がとやかく言うことではない。もしそれが理不尽でどうしようもないなら、そのうちに自然に倒れてしまうだろう、歴史がそれを証明している。

 想像してみてごらん。真っ暗な空に、ゴーゴーと爆音をひびかせて、見えない飛行機から爆弾やミサイルが飛んでくる事を。あちらこちらから火の手があがって、血まみれの人が泣きながら叫んでいるのを。どんなにきれいごとを言ったとしても、戦争は人が死に、家が焼け、食べる物も飲む物もなくなってしまうのだ。もうすぐそこの影から敵が飛び出してきて、抵抗らしい抵抗も出来ずに死んでしまうかもしれないのだ。
 バクダットの人々は今どんな気持ちでいるのだろうか、段々包囲網がせばめられていく感覚は、想像するだけでおかしくなってしまいそうだ。

 どう考えても大人が子供をいたぶるように、楽しんで戦争ごっこをやっているようにみえる。相手の大統領が聖戦だ徹底抗戦だと勇ましい事をがなりたてればたてるほど、「もうやめてくれ、もうお手上げだ」と救いを求めているように聞こえる。それでもかの国は徹底的に人を町を壊してしまうのだろうか。

 インデアンをかの国から徹底して追い出したように、イギリス人の末裔は今回は世界中を自分たちの思い通りにするつもりなのだろうか。このままでは、どちらにしろ反米の意識が高くなって損だと思うのだけれど。

 両大統領殿、早く決断してください。罪のない人々が死にます。

更新時間 : 22:38:31

4月4日 (金)

はる 694
 ここにきて大きな間違いに気が付いた。今度の大きな絵、「麒麟」の話だけれど。もう直せないなぁ。

 二胡の音は、この間の個展で流していたので、耳につくぐらい残っている。ところが実際に演奏している所は一二度しか見たことがない。後はいつものように自分の空想で描いた。そこまでは良かったのだけど、なまじ手や指の形を鏡を見て描いたのが余計だった。なんと彼は左利きの奏者となってしまった。
 
 我が家の兄弟はギッチョが多い(今ここでギッチョと打ち込んだけれど出なかった。ギッチョというのは標準語じゃないのか?)けれど、親の方針でほとんどが矯正され、取り合えず右も使える。彼らは苦労したおかげで両党使いで、幾分頭も我々右しか使えない者よりいい気がする。(これは確かな確証はないよ)

 昔ギターが若者の間で流行っていた頃、ギッチョの人はギターの弦を上下さかさまに張るのだということを知って驚いた。まぁそういうこともあるのだから、ギッチョの二胡奏者がいてもいいということで、我慢してもらおう。

 それじゃまた明日。

更新時間 : 21:26:06

4月3日 (木)

はる 693
 午後から久し振りに散髪に行く。昨年の個展前に行ったきりなので約半年分の髪を切る。誤解されるのだけれど、主義主張があって髪を伸ばしているわけではない。ただ単に面倒くさいだけなんだけれど、あまり信じてもらえない。まぁどうだっていいのだけれどね。

 髪を長く伸ばしていたのは、もう30年もまえになるか。当時学生はみんな肩まで髪を伸ばしていた。今のように茶髪じゃなかったから、どうも重たい印象がぬぐえないねぇ。それに比べれば最近の若者は、顔立ちからして濃い輪郭で小顔だから、長い髪も似合う。背も高く外人のようだ。うらやましい・・・。

 あと美術館によってグループ展を一つ。近くのギャラリーで個展を一つ観て帰ってきた。

 用事が一つあるとそれだけで一日が終わってしまう気がする。あせる事は無いのだけれど、春はどことなく憂鬱だ。満開の桜を見るとメランコリックな気分にもなる。

 また明日があるさ。

更新時間 : 22:15:19

4月2日 (水)

はる 692
 朝起きて、耳を澄ますと、ポツポツと雨音がした。というわけで今日はちょっと朝寝坊、幸せな朝だった。

 「いやし系」の音楽とか、絵画とか「いやしのセミナー」とか、世の中「癒し系」のオンパレードだ。だからといって「癒し」を全面に押し出して、何かしら商売をしたり、人集めをしたりするのは嫌な感じがする。
 もう何年も前に次の時代が要求している「言葉」を考えた時に、「癒し」というコンセプトがでてきたことは確かだ。当時CMにもやたらにヒーリングという言葉が使われていたし、流行語にもなっていた。

 人は誰でも仮面をかぶって生きている。生身の自分をまともに晒して生きていれば、余りにも色んなところで傷ついてしまうから、自己防衛本能で自然に仮面をつけて、色んな役割を演じている。それでも何かしらのきっかけで深く傷ついてしまう事がある。だからといって人に癒していただいても、慰めにはなるかもしれないけれど、ためにはならない気がするなぁ、どうだろ。
 

更新時間 : 23:30:23

4月1日 (火)

はる 691
 四月です。

 車の運転は好きじゃないのだけれど、何かとお世話になることが多い。車の中が唯一と言っていい私のリスニングルームで、他で音楽だけを聴く事はない。昔は必ずといっていいほど、音楽をかけていたのだけれど、最近は何かやりながら音楽を聴く事がなくなった。色んな意味で頭の許容量が減ってきたのかもしれないね。特にモノを考える時は全く音楽は邪魔にしかならない、かといって絵を描いている時にものを考えているとは思えないのだけれどね。

 今車でいつも聴いているのが、コルトレーンの有名なマイ・フェバルト・シングスのはいっているCD。昔はなかなかこれの良さが分からなかったけれど、今は物凄く身近に感じる。無論私はまったくジャズの方法は知らないのだけれど、綺麗なメロディーなら誰でも練習すればできるだろ、オーソドックスなジャズでも同じだ。けれどかれのアドリブは物凄く斬新だ。隙間無く音が羅列されていて尚且つ生き生きと唄っている、泣くように、叫ぶように、訴えるように唄う。でも下品じゃなく、独特の品があるんだな。耳に心地いいのだ。「サマー・タイム」もいい。

 では又明日。


更新時間 : 22:01:38