2月28日 (金)

はる 659
 もう随分と前の話になるのだけれど、テレビの創生期の頃「パパはなんでも知っている」とか、少しして「大草原の小さな家」のようなテレビドラマがあり、よくわからなかった「自由、平等、博愛」、ようするに「民主主義はこんなものなんだよ」ということを、こんなドラマから知った。今考えてみるとこれは明らかに、いい意味でも悪い意味でもアメリカに洗脳されていたんだなと思う。
 
 我々はアメリカの文化の雰囲気をほとんどが映画やテレビのドラマで知ることが多い。多様な価値観を認める懐の深い大人の国というイメージを私はいつのまにか作っていた。

 9.11以降のアメリカにはがっかりした。自国が戦場になったことがない、プライドの高いこの国は、一気に右翼化した。「パールハーバーを覚えているか」と同じように、右翼は多分にこの事件を利用したのではないかと思える。悲しいかな「映画で見たアメリカの民主主義」は絵に描いた餅だったのか。

 「ブッシュさんの戦争」はへたすると「世界戦争」になるかもしれない。

 弱いかもしれないけれど、あえて言いましょう。

           「戦争反対」

更新時間 : 21:58:04

2月27日 (木)

はる 658
 格子戸のすきまから世の中を眺めていると、なかなか色んなことが見えて感慨深い。

 店先の梅の木には多くの人が興味を持つ。狙いはまぁまぁ成功したようだ、けれどそれ以上にひきつけることは難しい。だいたい興味をもって中まで入って見てくれる人は年齢的にかなり上の人が多い。自分のことを考えても、十代の頃に街中の画廊に入って絵を鑑賞しようなどとは考えもしなかった。そう考えると、あながち今の十代をせめることもできない。

 人は自分の経験でしかものが見えないし、多くの場合、臨場感をもってものが考えられない。若いときにもそれなりに色々と考えてはいるのだけれど、見方がやはり甘い。

 80幾つになった老先生は「最近になってやっと少しは見えるようになってきた、年取って感受性が豊かになった」といっていた。そう考えるなら、まんざら年取る事も悪い事ばかりではない。

 もう一つは本当は自分たちの家の壁や仕事場のオフィスの壁にこそ絵や彫刻が飾られて、日常的にそれらに接する事で感性がみがかれるのが理想的だろう。それは取りも直さず「一度しかない人生を豊かに楽しむ」ということであり、芸術とか文化のあるべき姿だと思う。絵や彫刻がオシャレなギャラリーやかしこまった美術館でしか観られないというのは、ある意味で貧しさの象徴なんだなぁ。そんなことを思った。

 なんだかまとまらない文章になったけれど、また明日。

更新時間 : 09:49:36

2月26日 (水)

はる 657
 今日も一日学校のしごと、疲れた。

 定時制の生徒とは、今学期最後の授業。毎年この時期になると辞める生徒はもうすでにいないし、私との相性がいい者だけが残っている。比較的に授業はやりやすい。特に今年の生徒とは上手くいった方だろう。

 夏頃、裸に近い服装になったときに、腕から肩にかけて刺青がある生徒がいて一瞬めんくらったけれど、みんなと同じように接しているうちに打ち解けてきて、最近はけっこうなついていた。こういった生徒は他であまり誉められてこなかったようで、ちょっとのことを大げさに誉めてやると、照れくさがったけれど嬉しそうだった。

 今日は「最後の授業だ」といったら、冗談めかして「寂しくなるよ」なんていってたけれど、けっこう本気だったのじゃないだろうか。こういった生徒が何年か経って辞めてしまっていると、本当にがっかりする。なんとか卒業までいってくれることを願っている。

更新時間 : 21:15:07

2月25日 (火)

はる 656
 さて今日は一日学校で子供たちに付き合う。疲れたのでまた明日。

 

更新時間 : 21:06:06

2月24日 (月)

はる 655
 今日は朝から冷たい雨が降っていた。午後から「こうふ」展の会場に出掛ける。会場には扉がない。正規のお店の場合電気の空調が効き、エアーカーテンで外気を遮断するようになっているのだが、今回の件ではそこまで予算がないということで、外気に直接接している。

 お客さんは絵を見る間少し我慢すれば済む事だけれど、会場に詰めているボランティアの学生さんは厳しいかもしれない。私達は少しの間彼らと交代して会場に居るのだが、しんしんと冷え込んでくる。ここは若い彼らに任せて早々に退散したほうが身のためだ、ご苦労さんです。

 私のいるあいだBGMをグレゴリオ聖歌に換える。環境が厳しければ厳しいほどこの音楽はマッチする。ある意味で暖房をきかせない、吐く息が白くなるくらいの会場で観てもらうほうが、私の狙いにあっている気がする。これも一つの会場効果だといえば、貧者のやせ我慢だろうか。
 

更新時間 : 23:01:28

2月23日 (日)

はる 654
 なぜ麒麟を描こうという気になったのか、つらつらと考えてみた。

 中国の古い考えでは四方には四つの聖獣がいて、東からそれぞれ青龍、朱雀、白虎、玄武(かめ)という事は聞いていた。そういったことを下敷きに風来坊の曲芸師との組み合わせを考えていた。幻の珍獣というのであれば、西洋じゃユニコーンもそうだったなぁという連想から、調べてみるとこれが東洋の麒麟と近い関係にあったという訳だ。

 麒麟は物凄く頭のいい動物とされている。もちろんこれは人が作り出した想像上の動物であるから何とでもいえるわけだけれど、反対に考えてみれば、だからこそ人間の理想、願望というのがよく表現されているといえるのじゃないかと思う。
 麒麟は絶対に人を傷つけないとされている。その角は他を傷つけないために丸く肉付いている。一説によると蟻さえも踏まないように注意して歩くとか。これはいってみれば徹底的な「非暴力」、理想的な「平和主義」といえるのじゃないか。

 もう一つの特徴は麒麟が現れる時は理想的な哲学者、政治家が出てくるときで、この前に出現したのは孔子が生まれたときだとされている。孔子の母は麒麟の足跡を踏んだ時に彼をはらんだとか。馬鹿な大統領の言いなりになってないで、今まさに真の指導者の出現を待つということを考えれば、これも一つのメッセージになるのかもしれない。

 「反戦」「非戦」そんな思いが多少なりとも乗せられるといいなぁと思う。

 

更新時間 : 21:47:32

2月22日 (土)

はる 653
 京都の七条あたりだったか、東福寺というお寺があり、そのあたりは昔から焼き物の窯元がたくさん集まっていたそうだ。私がお世話になった窯元も昔は登り窯を使っていたそうだけれど、もうその頃には、窯口もふさがれてもう何年も使われている様子はなかった。観光客のためのオブジェとしての意味しかなかった。

 「仕事」については色々と考えた。本当はやりたいことなどなかったのかもしれない。唯一「物を作ること」が好きだった私は「職人仕事」という言葉に憧れていた。何もやりたい事がないのなら、少なくとも興味があって、何年か修行を積めば一人前の職人になれるだろうそんな「手仕事」がいいかなと思い込んでいた。今考えるととても安易なんだけれど、新聞広告でその「焼き物の絵付師」の仕事を見つけ、面接をうけて採用になった。

 結局二年程しか我慢できず止めてしまったのだけれど、何だろう理由は自分の考えがとても甘かったということなのだろう。京都というブランドで商売している限り「安物のお土産品」でしかない、何年やっても同じだなぁということだろうか。食べてはいけるのだけれどね。

 「絵を描いていこう」と決心した。まだ30号の絵もまともに描いた事がなかったけれど、そう決心したことで気持ちがずいぶんと楽になった。まわりを見渡せば、今までと同じ風景がとても美しく輝いて見えたことをおぼえている。

更新時間 : 21:18:24

2月21日 (金)

はる 652

 そう今日は散歩しながら二十台の頃のことを書こうと思ったんだ。「絵を描く事で人生をはじめよう」と思った頃の事を。でも今から映画に行く事になってしまったのでまた明日。ではまた。

更新時間 : 20:44:31

2月20日 (木)

はる 651
 とても不思議なことだけれど、多くの人は車をとても信じられないくらいにピカピカに磨き上げる。一点の曇りがまるで恥かのように、少しの傷も許されないかのように修理する。日本の車検制度ということもあるかもしれないけれど、欧米の人たちからすればかなり異常に見えるだろう。

 街中活性化の一環で展覧会をやってみて、どうやっても時代に取り残されているなぁと感じるのは、あのアーケードって奴だ。それもステンドグラスででも出来ていて、美くしく荘厳なものならいざ知らず、もはや薄汚れてだれも修理する事もなく、ただ単に汚くそこに存在する。それは日の光をさえぎっているという物理的なことだけではなく、新しい時代の雰囲気さえも拒んでいるように見える。

 車をあれだけ美しく管理維持する国民が、なぜ大きな街並みや色彩に気を使わないのだろう。「美しい」「いいなぁ」と思うことはそう変わらないとおもうのだけどなぁ。

更新時間 : 23:39:06

2月19日 (水)

はる 650
 「絵描き」というのは文字通り「絵を描いて」生きている人、という意味で使っている。自分のことを書けば、純粋に絵だけでは食べてはいけない。30になった時に正教員の仕事をやめて、今の非常勤の仕事についた。今の学校の校長と面接した時に、「非常勤の講師から正教員になるということはありますけれど、反対は今までありませんでした。それでいいのですか?」と質問された。もちろんもう元には戻れない。

 どう生きてもいいのだと思う、自分なりに納得できれば「にそくのわらじ」でもうまくしのいでやれている人も多い。絵を描く教師という立場も悪いものじゃない。しかし私の考える「絵描き」の生き方ではなかった。

 前に趣味の話のところで、「生きてる時間を削ってこそ趣味の醍醐味がわかる、暇になったら絵を描こうじゃ単なる暇つぶしでしかない」という話を書いたけれど、かっこよく言えば「絵描き」というのは「生き方」=「その道程」であって、「職業」=「その目的」ではない。

更新時間 : 19:55:07

2月18日 (火)

はる 649
 かの国はどうしてもわからないところがある。色々言われていることを考慮しても、他の国を圧倒的な軍事力で攻撃してもいいという理由にはならない。いつの時代も戦争にはそれなりの「大義名分」みたいなものがあって、多くの場合そのためには「命を捧げてもいい」と思うから戦える訳だけれど、かの国の兵士たちはどう納得しているのだろう。コンピュータ世代になってゲーム感覚で戦争を始められると、ひょっとすると第三次世界戦争に発展する可能性があるわけで、この戦争は人類を絶滅に追い込んでしまうかもしれない。
 かの国はいいところもたくさんある。例えば自国の大統領には一応誰にでもなれる。そういった夢が誰にでも等しく与えられていることはすばらしいことだ。それゆえに大統領には多くの力が集中している。理想的な人間が理想的なかたちで選ばれるという建前で出来ているのだけれど、何かの間違いでとんでもない馬鹿が、なってしまう可能性もないわけではない。これは「あぁ間違えてしまったなぁ」ではすまない。
 東西の冷戦時代なら大きな反対勢力があったので、我がままもすこしは押さえられていたけれど、このところの駄々っ子ぶりは「世界の鬼っ子」と化している。
 もしここで彼を止めることができなければ、歴史的に我々は最も愚かな民衆ということになるかもしれない。どうする?

更新時間 : 17:16:21

2月17日 (月)

はる 648
 「戦場のピアニスト」を観て来た。泣くつもりで行って、予想通り泣かされて帰って来た。物語そのものは、大体予想できるゲットーものだけれど、随所にでてくる音楽が私には胸にくる。

 ドイツ人が徹底的に悪者に描かれているけれど、多かれ少なかれ戦争とはそういったものだ。戦争に「いい」も「悪い」もない。こういった集団の暴力の前では個人など徹底的に無力だ。我々は戦後アメリカに牙を抜かれて大人しくなってしまったけれど、戦前のことを考えれば人間は教育によってどうとでもなるということがよく分かる。今の何処かの国を笑うことなどできないねぇ。

 今まさに一つの戦争が始ろうとしているのだけれど、まさかこれから先の映画や小説にその種を提供するために、その腰をあげようとしているわけではないだろうな。絶大な力をもった一人のバカがこの世界をまたどん底に沈めようとしている。ちょうどよい反戦のえいがかもしれんねぇ。どうする!
 

更新時間 : 23:46:59

2月16日 (日)

はる 647
 今日は忙しい一日だった。朝から国画会の大沼先生の講演準備、あいにく冷たい雨で気の毒だった。印象に残った話は、「絵描きの学校など必要ない」と言われたこと、「絵描きは絵だけ描いていたのじゃだめだ、社会に対してもっと発言せよ」ってこと。元芸大の学部長が言うのだからなかなか真実味がある。

 そんな事で一日が終わってしまった。又明日。
 

更新時間 : 00:54:23

2月15日 (土)

はる 646
 明日は国画会の大沼先生の講演会がある。我々絵を描く人間にとって当然知っているだろう大先生だと思っていたら、全く知らない人がいて驚いた。へ〜ぇ〜そうなんだ!と認識を新たにした。

 歌を唄う事は誰でもできる。譜面が全く読めない天才的に歌の上手い歌手はごまんといる。(美空ひばりも譜面が読めなかったと聞いた)ライムライトを作曲したチャップリンも譜面はよめなかったし、ジャズギターの名手ウエス・モンゴメリーは独学であの独特の親指で弾く奏法を生み出した。たぶん学校で教育を受けていたら、親指だけで演奏するあの奏法は、だめな見本として矯正されて生まれてこなかっただろう。

 彼ら天才を見て、凡才の我々のことを判断しては大きく見誤ってしまう。やっぱり我々はこつこつを努力するしか方法は無いと思う。ただ彼らから教訓を得る事はできる。全てに共通する事は技術の前に「うた」があることだ。唄う心さえあれば、技術は後から自然について来るということだ。唄う心がないのにいくら技術ばかり追求しても「魂の抜けた仏様」のように意味ないということだろう。

 「絵を描くにはまずデッサン」の誤りやすいところはここのところだ。デッサンする事が悪いわけではない。

更新時間 : 22:13:36

2月14日 (金)

はる 645
 作品を搬入していよいよ明日から「こうふ」展が始る。

 はっきりいって今回ほどやる気をそがれた展覧会はなかった。肝心のメンバーさえ決まらず、最後になってトップが責任をとって止めたりした。そうなるとこの企画そのものが空中分解する可能性があるわけで、内幕を暴露することはお互いなんの益にもならないのだけれど、こういった企画はよっぽど慎重に時間をかけて練らないと難しいということが、お役人さんたちに理解できたでしょうか。

 「利益を出す事が仕事ではない」「常に全体の奉仕者である」というのは言うのは易しいけれど、なかなか難しいということだ。この間の話の続きに近いけれど、安易なルールに頼るのは、段々に人間の品格を落としてしまうけれど、それよりももっと悪いのは分かったようなことを言って簡単なルールさえ守れないことだろう。それならばまだ「お客様はお金です」のルールの方がましだ。

 社会主義の理想は高く評価できる。でも百年持たなかったのは、「高い理想、価値観」というルールがいかにそれをもち続けることが難しいかということだろう。公務員の仕事というのは、間違えばそれに近いような気がする。

 これを教訓にしっかりしたビジョンをもった仕事をして欲しい。そして、これはお互い様だけれど、この街を活気のある楽しい街にして行きたいね。


更新時間 : 20:48:53

2月13日 (木)

はる 643
 絵はデッサンではない。でもデッサンのない絵はそれ以上につまらない。難しいなぁ。

 今日は忙しかった。「こうふ展」の会場の掃除及び設営。こういったことは始めるとのってくるものだ。明日はいよいよ作品を搬入する。会場の雰囲気をまた個展風景にでも載せましょう。まっててくださいな。

 今日はこんなところで。
 

更新時間 : 23:17:44

2月12日 (水)

はる 642
 日記などといっても、これは公開を前提に書かれたもので、本来の意味の日記とは異なる。
 日記を一番最初につけたのは小学校の5,6年の頃だ。これは兄貴たちに読まれてとても恥ずかしい思いをした。その後、時々思い出したように付けたりやめたりしたけれど、本格的に付け出したのは、高校生になった頃だ。これはもう時効になってると思うのだけれど、青春の赤裸々な恥ずかしいことのてんこ盛りだったと思われる。二十歳になった時、すべて処分した。
 
 その後制作日誌と名前を変えて今までつづいている。特に30歳になった時、フリーになったのを機会にほぼ毎日なにかしら書くことを日課にした。でなければ区切りもなくダラダラと過ぎてしまうことが確実にわかっていたので、自分に課したということだろうか、それが形を変えてこの「日々好日」になっている。

 前にも書いたおぼえがあるけれど、私は書くこと、描く事で考えてきた。これは単に習慣なのだと思うのだけれど、もし書くことがなかったらたぶん描くこともなかった気がする。それほど私にとって「書く」ことは大切な動機になっている。

 絵にするモチーフは色んな動機が考えられるけれど、目に見える美しい風景や静物を描くというのでなければ、自分の心の中を探ることからはじめなければならない。「さぁ自分を描きましょう」といきなり考え始めても、なかなか描けないものでしょう。日ごろからそういった訓練?というのだろうか、習慣が必要だと思うのだけれど、それは私だけかな。

 

更新時間 : 22:58:46

2月11日 (火)

はる 641
 「お客様は神様です」と有名な演歌歌手が座右の銘にしていた。多くの人にそれは受け入れられ、私にとっても納得のいく言葉の一つでもあった。しかし、何かしら違和感というのだろうか、だまされているような、そんなに簡単に納得してしまっていいのかなぁ、という気もしていた。
 
 「金の切れ目が縁の切れ目」という。たとえそれがしごとだとしても、一生懸命世話したり、看護したり、親切に対応したりするのは、詰まる所「金」のためだったのか、と妙にがっかりしたりする。当たり前のことじゃないかと言われれば、全く其の通り反論の余地も無い。そうやって考えてみると「お客様は神様です」の「神さま」を「お金」と言い換えれば分かりやすい。うがった考えかもしれないけれど。

 例えばファーストフードのお店で何か頼む。多くは満面の笑顔で対応してくれる。それがある種のマニアル化された「しごと」と分かっていても悪い気はしない。彼ら(彼女)らは時給幾らかでその笑顔を売っている。今の社会には色々なルールがあるのだけれど、「お金」に換算されたルールが一番分かりやすく、今の社会を動かしている。市場経済主義というのはそういうことだろう。需要と供給、求める人が多ければ、値段も割高になる。

 例えば医療とか看護とか教育でもいい、そういった仕事でもやっぱり、市場経済の原理がはたらくのだろうか?とことん突き詰めれば慈善事業じゃないからなぁということになるのだろうかね。難しい問題だ。

 「末は博士か大臣か」これって今じゃギャグになってしまうけれど、昔は理想とする大人のモデルだった気がする。「無私無欲」の人のために仕事するエライ人の代名詞だった。今じゃそれは笑い話になってしまうけれど、笑ってしまう今の方が、昔より人間的に貧しいのではないだろうかね。

 理想とか夢、宗教心とか道徳心とか義侠心とか哲学とか、すこし分かりにくい難しいルールは誰も教えず、分かりやすい安易なルール(お客様はお金です)に頼っていると、いつのまにかとんでもない貧しい人間になってしまうのではないだろうかと危惧する。

更新時間 : 00:15:09

2月10日 (月)

はる 640
 昨年末以来久し振りに映画を観に出掛けた。ということで今帰ってきたところ。何を観たかはまた今度書くことにしよう。

 「戦場のピアニスト」が2/15から全国で封切られる。パンフでしか観ていないけれど、あの主人公の顔がとてもいい。どこかで観たとおもったら、ルーブルにある「アビニヨンのピエタ」に似ているのかな。伝統的な役には立たない情けない面だ。それだけでけっこう観たい気にさせられる。楽しみだ。

 さてそれでは、おやすみなさい。

更新時間 : 23:29:14

2月9日 (日)

はる 639
 「愚者の旅」2003 S100      作品を観る
 昨日ギリシャの聖地「アトス」のことをやっていた。アトスのことを知ったのは、よく言われるようにギリシャ聖教のイコンに興味をもった事から始った。イコンのことを詳しく述べるだけの知識もないので他に譲りますが、まぁとにかく人は「いのるどうぶつ」といっても言い過ぎでないきがする。「いのる」ことを忘れてしまった、今の我々の方が人間とし異常なのだ。
 
 何かに書いてあったけれど、極簡単な海の生物「ほや」と人の遺伝子の情報を比べてみても、その違いは数にして倍もないそうだ。ということは生物として生きて行く基本的なメカニズムはどんな動物にも共通していて、それに大きな違いはないということだ。人が偉いわけではない、何もかも一直線の平等なんだろう。

 我々はたまたま偶然に今ここに生を受けて生きてはいるけれど、これは本当にありがたいことであり、とても信じられない出来事なんだ。もしかしたら、そこらへんにいる小さな虫や草だったかもしれないし、宇宙のはるか彼方を光速で飛び交う星屑だったかもしれないのだ。反対に言えば人であることが、それがそのまま「しあわせ」だとも言えないのだけれど。

 人は何かの間違いで「考える」「知恵」を持ってしまった。考えることがなければ、様々な不幸や心配や不安からも解放されただろうに、いまさらこれをいっても始らない。
 愚者は愚者なりに生きていくしかないのだろう。
 

更新時間 : 22:32:11

2月8日 (土)

はる 638
          第18回現代美術こうふ展によせて

               「こたえてください」          榎並和春

 「街中がギャラリー」というテーマで第18回こうふ展が開催される。最初に話を聞いたとき、街中活性化の一連の活動であるなら参加してみたいと思った。なぜならこの街に住む一人として、このところの街中の地盤沈下には他人事ながら心痛めていたからだ。

 人が街に集うのは、ただ単に買い物や生活に便利というだけではないだろう。街には多くの人が行き交い、ブティックや映画館や喫茶店があり、それらが有機的に繋がって活気があり、何かウキウキするような雰囲気を味わいたくて集まってくるのであろう。「正しい事」や「こうすべき」といった価値観では人は動かない。「面白いこと」「楽しいこと」があれば必ず人は戻って来るのだ。

 今回の展覧会がどれだけ「面白い」「楽しい」ことか、いささかこころもとないけれど、そういったことも含めて自らに問いかけることも意味のないことではないだろう。アートは堅苦しい美術館やしゃれた画廊だけで鑑賞するのではなく、自分たちの街中の風景として取り込むことも又楽しい事だと知ってもらいたい。

 この展覧会で大きく街が変わるということは期待できない。しかし、ささやかな試みとして、何か変化の兆しにでもなればと期待します。ご来場ありがとうございました。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 というメッセージをだすつもりだったのだが、どうしたものか。すっかりやる気をなくしてしまった。いまはすっかり憂鬱モードだ。


更新時間 : 23:38:12

2月7日 (金)

はる 637
 今日は地元の展覧会の搬入及び飾り付けだった。

 つかれたので、これで終わりです。

更新時間 : 23:39:35

2月6日 (木)

はる 636
 「鳥かごのある静物」1979 F80    作品を観る
 人は生まれる時、母親のおなかの中で生物の進化の歴史を繰り返すという。だいたい胎内の羊水そのものが、海の水に近いというのだから、生物の発生は海の泡から生まれたというのもまんざら嘘でもないだろう。

 大げさに言えば、人の表現の歴史もほぼ人類のその歴史を繰り返すのじゃないかと思っている。「あーあー、うーうー」に始って、何でもかんでも殴り書きするような「お絵かき」の時代を経て、やがて何かしらの意味ある形や色を獲得していく。その頃になると得手不得手に気付いてやがて多くの人は絵を描かなくなっていく。

 ごたぶんに漏れず、私も印象派の画家たちの絵にあこがれて油絵を始めた。ゴッホやセザンヌ、ロートレックなどなど、それが西欧のアカデミックな技法からは外れているんだと知ったのは、随分とあとの事だった。

 ただ単にモノを写すことから、自分なりの「表現」に進んでいくためには多くのことを知らなければならない。知らない事はとても幸せなことだけれど、知ってしまった人間にとって、忘れる事はもっと難しい。知識を持つことは悪い事ではない、知らないことを知ることはもっと大切だ。更に言うならば究極的にはそれを忘れることが最も大切な事ということだ。

 セザンヌはそういったことに気付かせてくれた最初の画家だ。

更新時間 : 09:14:02

2月5日 (水)

はる 635
 関西人は好奇心が旺盛だ。何か面白いことないか、といつも探している。ちょっとすましていようもんなら、「何すましてけつかんねん、あほらし、なんかおもろいことなぃんかいな、ほんま、どうしょうもないアホやで」とどやされる。素人の高校生でさえ、頭がいいとか運動ができるというより、どうしたら教室で今日一番の笑いがとれるか、これがとにかく一番重要な課題だった。

 吉本興業が日本一のお笑いの企業になったのは、そういった関西人の気質があったからだと思う。どう考えても上方のえげつない漫才やしゃべくり漫才の方が、関東のお笑いより面白かった。たけしやタモリより、もうすでに峠を越えたとはいえ、さんまの方がまだ面白い。大物ぶらない下品の王道を行っている。

 イタリアを旅して気づいたことは、イタリア人は関西人に似ている。どこでもかしこでもベラベラとおしゃべりに興じて、ゲラゲラと楽しそうだ。ちょっとの時間があれば町に出て、仲間ととぐろまいておしゃべりに花が咲く。用もないのに街角で立ち話している。

 ひょっとして「おしゃべり」は最高のレクレーションかもしれない。何の道具もなく、準備もいらない、お金も要らない、とにかく人がいればいい。
 去年の「あそび」からの続きを考えていたら、人の「遊び」のかたちは「対話、会話、おしゃべり」に始まって、これに尽きるのかなと思った。

 
 昨日お話した、「寄せ集め展覧会」・(こうふ展)のDM、個展情報のコーナーにアップしておきました。町に出たついでに寄ってみてください。ではまた。

 

更新時間 : 19:59:38

2月4日 (火)

はる 634
 来週の土曜日から街中の空き店舗を利用した「寄せ集めの展覧会」が始まる。私が市の方から委託された店舗は(安売りのジュエリー)で結構有名になった、聞けば誰でもが知っている三坪ほどの小さな店舗だ。店そのものがまだ新しいので、内装はそれはいいのだけれど、私はどちらかといえば中世の古い教会の地下ような(聖なる空間)の雰囲気にしたいのだけれど、ジュエリーという人間の欲の中でも一番派手やかな物をあつかう店の雰囲気を、どこまで壊せるのか、そこのところがけっこう難しくて面白そうだ。

 人はなぜ町に集まるのかを考えた。元々は便利だから、楽しいから、人が人を呼びしだいに町をかたちづくったのだろう。では人の「楽しみ」って何だろうか?どうも今回のことから考えたのだけれど、町を活性化したいのは、究極的には(お金が欲しい)のだ。何か成功した例って取り上げられてるのを見ても、うまく観光客を呼べた、みたいな発想しかしていない気がする。短絡的にはそれもいいだろう、見世物的な目玉で人は来るかもしれないけれど、根本的にそれは違うなぁ。

 住んでいる人たちが長い目で見て楽しめない街づくりはいずれ破綻する。では楽しみとは何か?
 実は人は人と「おしゃべり」することや人を観察したりすることが一番楽しみだったりするのだ。そういった場やそんな雰囲気を作り出せれば、人は自然に集まるのじゃないかなぁ。どうだろう。
 

更新時間 : 20:25:18

2月3日 (月)

はる 633
 少し風邪気味かな。ということで今日はここまで。

更新時間 : 20:41:47

2月2日 (日)

はる 632
 絵を描き始めた頃、なんとなくそうなればいいなぁと思っていたことは、自分の好きな絵を描いて、旅芸人のように地方をまわって個展して、それで何となく暮らしていければいいなぁと、全く幼稚に漠然と思っていた。当たり前だけどもそうはなかなか問屋が卸さない。多くの場合どこかで自分のやりたい事と、世の中が求めている事に折り合いをつけて生きていかねばならない。どう折り合いをつけるのか、そこのところで其の人が問われる。

 結局どう生きても構わないのだろう、あれも人生これも人生だからだ。結婚して子供が出来たり、会社が不景気でリストラにあったり、思ってもいなかった病気になったり、色んなことがあって、なかなか自分のやりたいようにはやってはいけない。言い訳というのだろうか、自分がそれで納得できればそれで全てOKだと思う。

 でも私はある意味、楽天的に考えることにしている。「こう成りたい」と本当に真剣に願いさえすれば、いつかはそうなれると。それがすぐなのか、10年後なのか20年後なのか、それはわからないけれど、多くの場合夢はそ・れ・な・り・にかなうと思っている。諦めた時点で夢は覚めるのだ。言い訳はいくらでもある。どうだろうか?
 

更新時間 : 23:09:27

2月1日 (土)

はる 631
 「みちをきく1」1999 S100
 アッシジのジョットのフランチェスコの壁画「鳥に説教」から来ている。

 色を使う事を極力避けた。理由はなにもないのだけれど、求道的になること、一つの事を追求することは、何故か色を使っては出来ない気がしていた。「色」「欲」みたいなものを極力排除したかった。今はまだ色を使ってはいけないと誰かに示唆されたきがしたからだ。「こたえてください」から、ここ数点ほぼモノクロの絵を描いている。以前あれほど色に自信があって自分の持ち味は色だと思っていたのに、ここに来て否定的な仕事をしている。

 「貴方は他と競争することを止めてしまった」と言われたことがある。そんな気はさらさらなかったのだけれど、言われてみれば確かにそうかもしれないね。今見るとまだまだ本物ではないけれど、やろうとしていることは分かる。

 「宗教的な気分」がうまく表現されているだろうか?


更新時間 : 23:39:57

過去の作品コメント

1979 「鳥かごのある静物」 F80
2003 「愚者の旅」      S100


      2002 2月