絵描きのぼやき

2002年4月

4月30日 (火)

はる 377
 昨日はこのエッセイを書いて、送信したつもりで他のページをクリックしたら何処かに飛んでいってしまった。同じ文章を書くのもしゃくなので昨日はサボることにした。

 それにしてもここのところ日に何通の出所不確かなメールがくるだろうか。世の中にはよっほど暇な人が多いとみえて、わたしのような「ひななサイト」にも怒涛のメールが来る。全くごくろうさんですと頭が下がる。おかげさまで誰のメールほとんど開ける事ができません、迷惑といえば迷惑だなぁ。ほとんどメールもこないのだけれど。

 トップの意匠を変えてみました。どうでしょうか?今ごろになって「これはなかなか面白いおもちゃだ」と知った。それではまた。
 

更新時間 : 23:45:04

4月28日 (日)

はる 376
 ゴールデンウィークが始まった。世の中全体が少しスローペースになったようだ。連休は最初だけが楽しい。どんなに長い休みでもいつかは終わりが来る。長い休みであればあったほど憂鬱もつのってくるというもんだ。でもこれは性格的なもので私だけかもしれないなぁ。
 それにしてもいつも不思議なのは土日になるとカウンターがほとんど進まない。ということは多くの人が仕事先で見ているということだろうか。

 今日はわけあって部屋の模様替え。いつのまにやら溜りにたまった本はアトリエを占領するようになってきた。もちろん私だけの本ではないのだが、いらないものはついついアトリエに、ということでアトリエは「アトデネ」となる。ついに大掃除となった。
 

更新時間 : 22:36:50

4月27日 (土)

はる 375
 裏庭はほとんど日が差さず、植物といっても日陰でも育つアイビーやシダみたいなものしか置く事ができなかった。
 隣の家の庭が借景としてアトリエから見えるのだが、この季節は柿の若葉が本当にきれいだ。これから初夏にかけて段々に深々とした濃い緑になっていく、その光景もまた好きなのだが・・・。
 春になる前に、今年は例のニセアカシヤの枝をずい分と剪定した。あまりにも大きくなりすぎて、秋の落葉の季節、自分ところだけならまだしも、隣近所の屋根に黄金色の枯葉を撒き散らし、樋を詰まらせてしまったからだ。去年は申し訳なくて隣の屋根のそうじを手伝った。けっして彼のせいではなく、狭い庭には一番不向きな樹を選んでしまった私のミスだ。
 というわけで今年は今のところ「日陰の裏庭」にも結構陽が入る。そのためか昔貰った「日陰でも咲く薔薇」が二輪咲いた。何と言う種類の薔薇なのか全くしらないのだけれど、裏庭にめずらしく赤い花がさいている。これはこれでけっこう幸せだ。

更新時間 : 16:13:34

4月26日 (金)

はる 374
 少し離れたところで個展をやってる知り合いがいるので、午後からでかける。今日が最終日ということでたぶん作家も在廊しているだろうと判断してのことだ。履歴を読んで気がついたのだが、彼とは同じ歳だった。
 彼に最初に会った時の絵は、大きな空間に猫が遊んでいるような繊細なナイーブさを感じさせる絵を描いていたのだが、久し振りに観た彼の絵はずいぶんと変わって、大きく太くなっていた。昔の面影は何処かへいってしまった。20年の歳月はお互いに何かを変えてしまったのだろう。悪い事ではない。

 さあ私も新しい仕事にかからねば!

更新時間 : 00:38:32

4月25日 (木)

はる 373
 ここのところ不信なメールが日に2,3通来る。またぞろ新しいウィルスが流行っているのだろうか?そういった情報ソースを知らないので困る。もし何か情報を知っていたなら教えて下さい。ただ単にDMかもしれなうけれど、開いて確認する勇気もない。開かないで内容を確認する方法はないのだろうか。

 今日も一日雑用で暮れてしまった。考えてみると人の一生というものの大半は雑用をこなして行くことで成り立っているのかもしれない。そう考えれば雑用と思っていた事柄こそが人生の本体で、これこそ私のやるべき仕事と思って賭けてきたことなど本当はどうでもいい事なのかもしれない。
 
 それにしても気が滅入る。
 

更新時間 : 19:34:30

4月24日 (水)

はる 372
 昨日はハードな一日だった。ほぼ毎日がのらりくらりの私にとって、こんな事は一年にそうないだろう。
 午後の3時までパートタイムの仕事して、急いで駅まで駆けつける。東京の展覧会のオープニングが5時半から始まる予定。その前に一度会場も見ておきたかったけれど、はたして間に合うだろうか。
 会場の都美術館には5時15分に着いた。案の定会場には入れなかった。残念でした。上野公園はホームレスの簡易テントの展示場とかしている。これでは夜は安心して歩けないだろう。ホームレスには心情的に同情的な私がそう思うのだから、まぁちょっと問題だわなぁ。
 帰ってきたのは11時くらいだった。かなりくたびれた。

今日も一日いい天気だった。昔っからいい音楽を聴いたり、いい風景に出会ったりすると、何処か違う世界にスリップする癖があった。最近ではかなり少なくなったけれど、小さい頃は割に頻繁にそういったことがあった。これは誰にでもあることだとずっと思っていたいたのだけれど、そうでもないみたいだなぁ。
 離人症でもないのだけれど、自分が自分でなくとても頼りないような感覚になる。自分を斜め上あたりから眺めている感じがする。一時間もするとその自分も戻って来るのだけれど、次の日まで続いていることもあった。
 今考えると結構ナイーブな少年だったんだなぁ。家の家庭環境はバリバリの硬派な雰囲気があったので、そういった軟弱なナイーブな自分というものをひた隠しにしていたところがある。喘息ぎみだったりしたのだけれど、夜中にゲホゲホやってると「うるさい」なんて怒られたりした。でしかたないから咳を飲み込んで我慢した。そういった甘えが許されない環境だったので、登校拒否にもならずにすんだのかもしれない。なにが幸いするかわからんもんだ。

更新時間 : 20:28:28

4月22日 (月)

はる 371
 少しづつページが変化してるのがわかるだろうか。それにしてもこの二日というものパソコンにかかりっきりだ。やっぱり思ってたとおりはまると怖い。もう少しでやめよう。
 
 土曜日は評判のフランス映画「アメリー」を観に出掛ける。これはある意味映画好きにはこたえられないオシャレな映画かもしれない。相変わらず誰も死なないし、なんの事件もおきないのだけれど、ハリウッド映画では絶対創れないほのかないい香りを含んでいた。観終わった後静かに余韻にひたっていたいなぁと思った映画だった。
 それにしてもラテン系の人はどうしてあんなに生きるのが上手いのだろうか。イタリア人にしてもフランス人にしてもそんなに裕福とは思えない人たちでさえ、人生を謳歌しているようにみえる。それにひきかえ我々はそんなに貧乏でないはずなのに不満な顔してるぞ。考え方が貧乏くさいのだな。
 
 沖縄出身のバンド。モンゴル800が面白い。ちょっとブルーハーツに似てるけど、ストレートな表現がいいなぁ。
 

更新時間 : 22:08:00

4月21日 (日)

はる 370
 今日は日曜日というのに一日雨だった。そうだ、今日は月一のデッサン会の日だった。一日家の中にいるのだったら息抜きに出掛けるのだった。カレンダーにしるし付けてあったにもかかわらず、見過ごしてしまった。あぁ〜なんと言うぼんくらか!
 で一日何をやっていたかといえば、パソコンにかじりついてHPの更新をなんとかやってみる。何度やってもギャラリーの絵が出てこない。今までの絵なら何とか掲示できるのだけれど、新しい絵になるとこれが出てこない、おいこら、どないなってんや、わからんぞぉ。というわけで腹たったのでそのままにしておいてやった。ざまぁみろ。へっ。
 という訳でパソコンのパの字からでした。

更新時間 : 00:28:15

4月20日 (土)

はる 369
 このページを立ち上げたのは私ではなく、たまたま身内にパソコンが扱える人間がいて、まだ物珍しかったホームページを作ってくれた。今でこそ大手のヤフーは登録してもなかなか載せてくれないようだけれど、当時は絵描きでホームページを持っている人間も少なかったとみえて、審査も案外簡単ですぐに登録してくれた。どういったものか良く分からないのだけれど、ヤフーで「画家」で検索すれば100人ぐらいしか登録されていない。なん千万もあるサイトで自称も含めて画家が百人ってわけないだろう。変だ、手抜きだ、メンドクサイ、金にならない、のかもしれない。まぁいい、という訳で私なんかは得した方だろう。だからヤフーに登録されているからといって、その実力があるかどうか疑わしいものだよ。
 さて、そんな訳で自分のリンクさえ更新できずに、ずいぶんなさけない思いをした。重い腰をあげてやっと少しばかり、パソコンを練習した。今住んでいる家と同じで、一戸そのまま建てるのは荷が重過ぎるので、ちょこまか手直ししていこうと思ってます。
 しかし時間かかるもんだなぁ。ゆっくりやります、よろしく。 

更新時間 : 23:23:15

4月19日 (金)

はる 368

 また日常が戻って来た。

 色々なことが自分のまわりで起きて、

 そしてまた何事もなかったかのように過ぎて行く。

 何でもないささやかな日々が、

 本当は一番大切なことなんだ。


更新時間 : 18:01:04

4月17日 (水)

はる 367
 リンクフリーということでかってにリンクしているページがある。本当はリンクしましたぐらいのコメントを送るべきなのかもしれないけれど、作者と一般の読者の関係でいいと思っている。
 ここのエッセイがなかなか強烈で言いたいことを言っていて面白い。極限まで自分を追いつめるところから出てくる言葉は、なかなか的を得ていて心うつ。どちらかといえば私も理屈屋で理論を好む種類の人間なのでそこのところに共感する。
 「心の葛藤を描くのが小説です。自分をはっきり持っていない人、不安定で葛藤が多い人が向いている。反対に、自分がしっかりしていて議論する人は、向いていない」・・・(抜粋)
 そんな気がする。私は文学を目指している人間ではないので、助かったなぁと思うのだけれど、結局「小説」というところを「芸術」ということに置き換えれば同じ事かな。

 23日から東京都美術館で国画会展が始まります。もし東京に出かける機会がある人は観てください。
 国画会展  http://www.kokuten.com/
 


更新時間 : 20:23:20

4月16日 (火)

はる 366
 今年度初めての授業で、初々しい一年生の前に立つ。平然とした顔をしているけれど、こちらもそれなりにに緊張している。お互いに様子見をしている感じ。まぁそれなりにこちらも狸になっているので、こちらの根性を見破られることもないだろう。それにしても人前に立つのはいつまでたっても慣れないものだなぁ。
 
 二三日前に「変革の世紀」というので非政府組織(NPO)の話をやっていた。どうも我々の頭の中にはNPO=ピースボート=何でも反対の圧力団体、というイメージがあるけれど、このテレビを見て認識を新たにした。
 例えばつい最近までは共産主義と自由経済主義というわかりやすい大きな対立があった。一方が賛成すればもう一方が反対するという簡単な構図でそれなりにお互いに抑止力にはなっていた気がする。そころがその一方の体制が崩壊して自由経済体制が一人勝ちになってしまった。その結果、世に言うグローバル化が全世界を覆って、誰もそれを止められなくなってしまった。グローバル化とはきこえはいいけれど、詰まるところ「大きなちからを持ったもの勝ち」という理論であるから、「人類のため」「地域のため」などということはその考えにない。
 個人のレベルでは多くの人は「善人」だ。けれどいったん企業側に立ったりすれば全くの「わからんちん」にくら変わりする。例えばこの間の狂牛病の騒ぎでも、個人的には悪いことだとわかっていても、酪農家のことを考えると止められなくなってしまう。ここのところが問題を大きくする。
 政府が止められないなら我々が止めるというのがNPOというわけだ。インターネットの世界になって世界はより狭くなった。「世界同時株安」とか『世界同時・・」ということがこれからどんどん起きるだろう。そういった時に各国のそれぞれの政府の対応を待っていたのでは遅すぎる。国連は大国の思惑で動きがとれない。そんな時非政府組織のNPOの出番になる。
 ひょっとするとこれは最も新しい価値観に発展するかもしれない。政治ではない新しい力になりえるかもしれないなぁ。
 

更新時間 : 15:31:16

4月15日 (月)

はる 365
 三百六十五という数字になった。ちょうど一年分ということだ。2000年の11月1日「はる 5」から始まる。最初の思惑からはずれてけっこうまめに更新してるということだなぁ。こうやって日々の駄文をさらしていると、どんなに取り繕ってもそれなりに「わたくし」がでてくるもので、けっこう後で読んで恥ずかしいものがある。
 数少ない読者のみなさん、これからも末永くよろしくお願いします。

更新時間 : 19:44:05

4月14日 (日)

はる 364
 前にも少し書いたことがあるけれど、例えば美術を勉強したいとおもったとする。基本的には絵を描いたり物を作ったりする事が好きな連中だろうけれど、考えてみるとそのことで他人とは違う何かを「表現」していることに気付く。でこの「表現」がとても難しい。
 言ってみれば人は自分を中心にして半径50センチくらいの円しか描けない。そこからどれだけ深く穴をほっていくことができるか、だと思う。最初はむろん[自分のために」だろう、やがて家族のことや身近な人の事になりやがて「日本人のために」につきあたり「東洋の」を過ぎて「人類の」に至ればかなりの普遍性を持つ。「命ある物すべてのために」ということになればかなり宗教がかってくる、やがて「全存在のために」ということになるか。
 例えば今ここにゴッホの「ひまわり」があったとする。約百年前の絵だけれどこの絵の背景を知らなければそんなに感動もしないだろう。一枚の絵にはそれが生まれてくるそれなりの理由がある。まずそれが描かれた時代が大きく左右する。作家の生まれや環境、場所、身分そんなもろもろなことが相互に関係して一枚の絵が生まれてくる。突然何の関係もなくこの世に出てきた訳ではない。そのことの意味はとても大切なことだ。
 絵を描くのは一本の鉛筆があればよい。けれどそこから人を感動させる「表現」に至るまでには多くのことを経験しなければならない。経験だけならだれでもできる。その経験から多くのことを学んで自分のものにしたころに、初めてぽろっと「表現」となってでてくるもののようだ。

更新時間 : 23:38:47

4月13日 (土)

はる 363
 昨日は一日、上野の美術館の地下3Fで缶詰仕事をする。手伝いといっても専属の業者さんがほぼ取り仕切っているので、我々は個人搬入の受け付けをするだけ。それでも200点以上の作品を受け付けただろうか、久し振りの肉体労働でやや疲れた。やわになったものだ。
 こういった仕事で一番気を使うのは、お金の計算だ。搬入時は一度にたくさんの作品がくるので、ほぼパニック状態。適当にやっていると後で計算があわなくなる。普段あまり計算の上手でない連中ゆえ最初は戸惑っていたけれど、今年は一発でOK。よかった。
 意外にはやく終わったので、みんなで銀座のギャラリー「椿」に行く事にする。おなじ国画会の「ヒラキムツミ」さんが個展を開催中、彼女の独特な世界は個展でなければ見過ごされてしまうかもしれない。若い才能はうらやましい。ちょうど独立展の会員で独特の人物画で人気の「金井訓志」さんも隣の会場で個展を開催中でした。洗練された彼の人物は多くのファンがいるようだ。もし東京に行く機会があれば見て下さい。
 「ヒラキムツミ展」4/8〜20
 「金井訓志展」  4/8〜20
 ギャラリー椿  東京都中央区京橋3-2-11 第百生命ビルB1
  TEL 03-3281-7808
 

更新時間 : 22:45:20

4月11日 (木)

はる 362
 ごごからひさしぶりの雨になった。
 はるの雨のにほいは土のにほいににてる。
 このところのいやな出来事も
 ながしてくれるかな。

 明日は東京だ。

更新時間 : 23:18:58

4月10日 (水)

はる 361
 銀行の悪口はずい分と書いてきた。別に特別恨みを持っているわけではないけれど、「何だかやっぱりねぇ」というところまで来てしまった。
 金儲けの最終的な手段として、口悪く言えば「金貸し」が一番の王道だ。テレビのコマーシャルでも最近は消費者金融のCMがやたら目立つ。イタリアの大きなパトロン・メヂィチ家なんかも最終的には金貸しで財を成した。ユダヤの大金持ちもしかり。たぶんそれは自由経済社会システムのいたる自然な流れなのだろう。
 バブル全盛の頃、日本も当然そういった自然のながれで金融経済立国、実際の商品を売買するよりそういった証券や金貸しでこの国を動かしていくものとばかり思っていた。そのことに批判的ではあったけれど、大きな流れは止めることは出来ないだろうなんて素人なりに考えていた。またそういった能力にはどの民族よりもすぐれているとさえ自負していたのだけれど、何という事かそれさえも危うくなってきた。どうしょうもない。
 
 今日は私の誕生日だ。珍しくもないけれど、50回目というきりのいい節目の年だ。つらいこともたくさんあったけれど、その分楽しいことも同じだけあった気がする。世の中上手く出来ていて結局人生の収支はプラスマイナス=ゼロになるようにできてるようだ。こらからもボチボチ楽しみながら生きていきまひょ。これからもよろしく。

更新時間 : 23:50:30

4月9日 (火)

はる 360
 あと数時間で四十代も終わりだ。何という事もない、ただの通過点でしかないのだけれど、それはそれ一人の人間にとって半世紀というのはやっぱり大きい。自分の人生は有限で、しかももう後ろからカウントした方がはやいという実感は、この歳になって初めて理解できるものだろう。
 ある企業で希望退職をつのったら、予想をはるかにしのぐ数の希望者があったそうだ。昔の様に生涯一企業に奉公するという発想はもうすでに過去の物となってしまったけれど、それでも企業側にとってけっこうショックだったのではないだろうか。もちろん退職して引退するというのではなく、さらに自分をキャリアアップさせようと目論んでの、希望退職なのだろうけれど。
 私の仕事には退職ということがない。むろん学校の講師という仕事はやめようと思えばいつでもやめられるから、退職というのかもしれないけれど。実質的な就職をしていないので、実際には退職という概念もない。生涯現役といえばカッコいいけれど、そんな気概もない。なんとなく気ままにズルズルと好々爺のボケ老人になって嫌われながらも絵を描きつづけられたらなぁ、そんなとこか。
 


更新時間 : 19:43:17

4月8日 (月)

はる 359
 車の事で右往左往する。大体が車に興味がない、できるなら運転したくない。そう思っていても、なにぶん田舎ゆえ車は足として使わざるを得ない。なぜ嫌いかと言えば、運動神経がない、根が物凄く慎重で一時間も運転すればへとへとになってしまうからだ。
 新しい中古車を探してもらった。自慢じゃないけれど私は新車に乗ったことがない。いつも何だかかんだか乗り継いでここまでやってきた。贅沢を言わなければ、安全に動く程度の車は安く手に入れることができる。これも生活の知恵か。

更新時間 : 19:34:55

4月7日 (日)

はる 358
 昨日イタリアの映画の町「チネチッタ」の話をやっていた。映画好きが映画を作るためにつくった「夢の工房」の雰囲気が感じられてワクワクさせられた。
 それとは別に何日か前にハリウッドのアカデミー賞の授賞式の様子が放映されていたけれど、やや手前味噌の感じはあるけれど、これは又これで素晴らしいエンターテイメントだと思った。特にああいう公の席でコメントを求められて、堂々とユーモアをまじえて自分の意見を述べられるのはさすがだ。当然自分が受賞したらどういったパフォーマンスをするか?というのは計算済みだとは思うのだけれど、一朝一夕にはできない技だと思う。日本アカデミーの受賞式の様子もやっていたけれど、とてもちんぷで見ていて恥ずかしい想いをした。
 ところでそういったアカデミックな正義感とか正当性がアメリカの民主主義の伝統で、決して大いなる力や大声には従わないと思っていたけれど、今回の事件ではあまりにもあっけなく統制されてしまった。これでは一昔前のどこかの国と同じじゃないか。確かにいかにパフォーマンスするかということが重要視されるこの国では、上手な詐欺しに会えばとんでもない間違いをおかすおそれもあるということだ。
 何事もほどほどがいいということかな。


更新時間 : 18:49:33

4月6日 (土)

はる 357
 どうやら峠を越えた。少しおとなしくしていよう。

 春の展覧会が近い。来週の十二日が搬入ということで、私も東京都美術館までお手伝いに行かねばなりません。団体展など関係なく無所属で活躍されている方も多いけれど、まぁ現在活躍されている作家の約半分の方は何かしらの団体展の会員の肩書きを持っているのじゃないだろうか。私はまだ会員ではないけれど、自分で律することができれば、どちらでもいいと思う。ただ定期的に大きな作品を描いく動機にはなる。これはとても大切な事だ。
 大作はその作家の思い入れがかなり大きい。少なくとも三ヶ月から半年じっくりその作品の前に座ってウンウン言ってるわけだから、それだけ思い込みも大きい訳だ。いい悪いは別にしてね。見る方はほとんど一瞬だけど、こんな忙しい時代にたかが絵にそれだけの時間かけられる、それだけでも多少なりとも希少価値がありそうだな。
 売ることだけを考えれば大作は描けない。個展やって小さい作品ばかり描いていればいいわけだ。そこのところの兼ね合いが微妙だなぁ。大御所になれば自分のやりたい事だけやればいいのだろうけれど、それだけで食べていける人はほとんどいない。
 結論をいえば、両方を適当にバランスよく自分にあったように解釈して並行してやって行くのが一番いいように思う。

もし国画会展の招待状が欲しい方は、住所・お名前をメールにて下さい。10名くらいかな。

更新時間 : 19:34:49

4月5日 (金)

はる 356
 どうなんだろうか、少しは持ち直したかもしれない。昨日は食事も充分に取れなかったし、今朝も5時ごろおきてしまってその後、眠むることができなかった。自分がこんなにも精神的にもろかったのか、と改めて知った。知りたくも無かったけれど。こうやって今パソコンに向かって愚痴が書けるとこまで、余裕が出来たということだろう。まぁ兎に角これぐらいで済んだのは、幸いだったのだろう。
 という訳で今日はこのくらいでカンベンしてくれ。

更新時間 : 22:22:29

4月4日 (木)

はる 355
 とても落ち込んでしまった。その訳は今話したくない。結局全面的に私の落ち度。いつもは何でもない事なのに、けっこうショックだなぁ。思い出すとまた自己嫌悪に陥る。

 そんな訳で今日は続きが書けない、あしからず。

更新時間 : 17:31:16

4月3日 (水)

はる 354
 年に何回か神戸の実家に帰る。特に今回は慶事ごとだったのでとても楽しい集まりだった。末っ子の私がもう50歳になるのだから、親や兄弟もそろそろいろんなところが傷んできて、全員無事に集まれるのは後何回あるだろうか、と妙な感慨にふけった。
 神戸に行ったついでに京都の八坂神社のしだれ桜を観による。京都にはもう何回も寄ってるけれど、ちょうど桜が満開の時期にあたったことは少ない。その後哲学の道から琵琶湖疎水沿いにゆっくりと歩いてまわった。花吹雪が雪のように舞いしばし我を忘れた。「花鳥風月」も悪くないなぁとおのれの血の中の「やまとこころ」に少しばかり気付いた一日だった。
 私のふるさと「舞子」は最近では淡路島と本州を結ぶ「世界一長い橋の町」として有名になってしまったけれど、私が子供だったころは同じ神戸でも町中と違いひなびた田舎の町だった。橋が出来てから何回か淡路島まで渡ったけれど、5分ほどで渡りきってしまうそのあっけなさは、昔を知る人間にとってはとても信じがたいものだ。
 97年に神戸で個展をやって以来やってないので、そろそろやりたいなぁと思っている。それで今回はその会場探しという仕事も兼ねている。ただどうしても自分の気持ちの中に「恥じらい」みたいなものがあって、子供の頃を知っている人に会いたくないというのはどうしてだろう。こんな気持ちは私だけだろうか。お〜恥ずかしい。

更新時間 : 17:01:55

4月2日 (火)

はる 353
 兎に角、帰ってきましたよ〜。又後で。

更新時間 : 20:31:04