絵描きのぼやき

2002年1月

1月31日 (木)

はる 304
 今日で一月も終わりとなる。何と言うことなしに今年も一ヶ月終わってしまった。ちょっとばかり寂しいきがするのは年取ったせいかな。

 政治のことはよく分からないし、偉そうなことは何も言えないのだけれど、今の日本の姿になってしまったのは、彼ら政治家の責任は大きいと思うなぁ。いつも思うのは一人一人は政治家として理想を語っているにもかかわらず、どうして徒党を組むと何の理想も理念も見えなくなってしまうのだろう。一番大切な「人を説得する」能力に欠ける政治家が多すぎる気がする。自分の私利私欲だけでものを言ってる気がしてならない。そんな彼らに将来を託さなければならないのは我々にとって不幸なことだ。日本的な一番日本的な負の遺産は政治機構かもしれないねぇ。失望することに失望してしまった。

 すこし鬱になる。ものの本によれば男にも更年期というものがあるらしいから単に一過性の鬱なのだろうか。例えばちょっとよろけたりする、そうだなぁ頭の中でゆっくりと復習する、右に三十度傾いたら右足を出してこの傾斜をく止めなければと思う。しかし実際はもうすでにその時は三十五度傾いている、それが歳取ったということだろう。新しい経験なのでなかなか面白いけれど、寂しくもある。
 

更新時間 : 16:22:56

1月29日 (火)

はる 303
 うすら寒い一日だった。日中薄日がさす程度で気温も上がらずじまい、真冬だからねぇこんな一日もあるでしょう。
 まぁ何も考えずに書き出してしまったので、どう進めていいのか分からないのだけれど、こんな風に気温のことが一応の挨拶になるのは助かるねぇ。常夏の国とか極寒の国なんかの場合「あいさつ」はどんな言葉で始まるのだろうか、誰か知っていれば教えてください。
 「今ここにいる」とか「存在することの不安」なんていうタイトルの絵を描いたことがあるので「存在」という言葉にすこしひっかかりを感じていた。この「在」という漢字の左のヘンはもともと「才」という字。でこの「才」は「十」に添え木したかたちで神に願い事を書いた言葉をこの木にくくり付けて祈ったそうだ。そういった祈りを捧げた木の根元に土の人形をつくって置いた、それが「在」。「ここにある」という確認になるのかなぁ。なんだか少しどろどろした怖いような話でした。

更新時間 : 16:38:50

1月28日 (月)

はる 302
 今日は色々な雑用で一日がつぶれる。まぁそれも仕方ないでしょう、生きていれば色んな雑用もこなしていかなくてはならないのだ。

 130号の絵がうまくいかない。描いては消して描いては又消して、の繰り返し、大体先の見えてきた仕事ほどつまらないものはない。
130号クラスの絵になると、ほぼ展覧会の期日が決まっていて、大体それにあわせて仕上げなければならない、だからどうしても無難な、今まで経験したことで何とか仕上げてしまおうとする。その「すけべ根性」が自己模倣を生み作品をつまらなくしてしまう。なんとか破壊することで先に進もうとするのだが、結果のわかっている破壊は自分のお手盛りにすぎない。新しい展開を望む。
 
 この間友達としゃべっていて私だけかと思っていたら、その彼もそうだったので驚いた。というのはデパートなんかでよくやっている「売れる絵」の展覧会あるでしょう。大体作家には二割五分か三割しか入ってこないのだけれど、それは契約だからしかたないのだが、問題は残った作品が戻ってこないということだ。彼は20点も預けたままだと言っていた。そういった画商はけっこうええ加減でルーズなところが多い。騙されたとまではいわないけれど、そんなところに絵をわたしてしまったことを後悔する。

更新時間 : 21:50:12

1月27日 (日)

はる 301
 昨日はグループ展の新年会。久し振りに全員そろって「おめでとさん」。しかし夕方六時ごろから降りだした雪は夜になっても止まず、湿気を含んだ重たい雪はビタビタと足にまとわりつく。帰りそびれてしまった仲間の一人はそのまま「まろうど」となった。
 今日の午前中、鉄道は架線事故のため不通。なんとか午後から復旧して客人は安堵の表情で帰っていった。めでたしめでたし。
 

更新時間 : 13:35:30

1月26日 (土)

はる 300
 どう、いよいよ300になりましたよ。
 高校生の七割、中学生のでも約半数がケイタイを持っているだろう。ポケベルからケイタイまでの移行期間ははやかったなぁ。ついこの間まで町の公衆電話から必死でプッシュホン打ってる女子高生の姿を見かけたのに、もはや昔になってしまった。ケイタイの進化のはやさは驚くばかりだ。これから先どういった展開になっていくのか想像するのもむつかしいなぁ。
 映画「プラトーン」の印象的なシーンで敵に囲まれて絶体絶命の時に通信で敵の位置を知らせて爆撃してもらうところがあった。まぁあれなんかも当時の最新の作戦だったのかもしれない。湾岸戦争の時テレビ映像が現場まで入り込み「ピンポイント・攻撃」が大々的に宣伝された。ところで今回のアフガン戦争の報道を見ながら思ったのは、あの映像はケイタイ電話を使ってインターネットで通信してるなということだ。そうやって考えると日記サイトと一緒で、ごちゃ混ぜのごった煮状態になってゆくのかもしれないなぁ。
 しかし無法状態のようなまま広がっていくのはとても危険なきがするなぁ、確かにものすごく便利なんだけれどねぇ。どこがいけないのか、何がだめなのか、はっきり言えないのだけれど。特に生徒が休み時間そこらじゅうでピーピーやってる図は何か異常だ。

更新時間 : 15:15:38

1月25日 (金)

はる 299
 今の家に引越しする前に住んでいた借家は面白い家だった。その家はいわゆる進駐軍のハウスを払い下げてもらい、自分で移築したというなんとも奇妙な家で、見つけた時はもうだれも住まずに五年ぐらい経っていた。ちょうど市内を見渡せる小高い丘の麓にあり、絶好の立地条件と、なんともいえない雰囲気があった。
 その家を見つけたのも偶然で、当時住んでいたアパートが取り壊されるということで、何とか住む場所を探していた時だった。最初に見つけた時、ドキドキした。ここに住みたいと念じた。不思議なことにすらすらと持ち主とコンタクトがとれ、ほとんど只のような値段で借りることができた。ただ五年だけという条件で貸してもらった。とはいっても人が住まなくなって五年もたつと、ほとんどオバケ屋敷のようで、まず住めるように改修することから始めなければならなかった。
 そのボロボロさと異国風の風貌が妙にマッチして、私にはたまらなく魅力的であった。大家さんの「もう壊すので、どんなふうに使ってもらってもいい」という好意的な条件をもらって、嬉々として改装したことを思い出す。
 家の改装や改修は今でも好きだ。私の絵はその延長上にある。
 

更新時間 : 15:26:24

1月24日 (木)

はる 298
 冬の午後ははやい。ついさっきまで私の好きな黄金の時間だったのに、もう日暮れてしまった。何となく寂しいなぁ。今日も一日終わりかよ。
 普段あまり色んなサイトを見ない。自分の「お気に入り」のサイトを一巡してそれで大体お終いだ。切りが無いからねぇ。みんな自分のページを見てもらうのに必死だけど、これは難しいねぇ、どうやって他人との差異をつけるのか。はっきりいってこれだけ誰でもHP持てるようになったら、自分のページを見つけてもらうのは至難の技だね。大手の「日記才人」っていうリンク集みたけど、タイトルを見ただけで嫌になった。みんな今まで何の表現手段を持たなかった人が一斉にうかれて歌いだしたみたいな騒々しさだ。多分自分もその片隅を汚しているのだろうね、恥ずかしいと共に嫌になってしまった。
 多くを望まない。その方が自分のやり方としてあっている気がする。

更新時間 : 21:33:12

1月22日 (火)

はる 297
 「須弥山房」という中華風創作料理を食べさせるところがある。オーナーはこれまた若い女性でバイタリティーの塊のようななかなかのやり手だ。中国に行ったことがないので本場ではどのような料理が出ているのか想像するしかないのだけれど、ここの料理は「こういうのが料理だ」と認識を新たにさせられた。色んな食材をその人の感覚でどんな風にもアレンジしてしまう。「うまい、まずい」はある意味趣味だから何ともいえないのだけれど、人が来るとどうしても勧めたくなる、それが「うまい」ということだろう。
 で「須弥山」の話になった。これまた聞きかじりの話でね、間違って入れば笑ってくれ。
 古代インドの世界観で、この世はとても大きな大地が重なってできていて、その世界の真中にそびえたつのが「須弥山」というお山らしい。須弥山も上に行くにしたがって支配している神さんが変わっていく、よく知られているのが四つの方位をつかさどる四天王、その上位に帝釈天がいる。面白いと思ったのが輪廻する物質界の最高位が「有頂天」で「有頂天になるなよ」とは所詮輪廻の輪からは抜けていない若輩者だよという意味らしい。
 さらに地下深くもぐって行くと、最後の大地が現れるそれを「金輪」という、「金輪際」とはここからでた言葉だと。

更新時間 : 16:21:04

1月21日 (月)

はる 296
 昨日は久し振りに裸婦クロッキーに出掛ける。このところ個展やらなんやらで三ヶ月ほどさぼってしまった。もともとあまり上手くはないけれど、サボった分だけまずくなった気がする。誰も気にもしないけれど自分はごまかせない。そのせいか今日は一日肩がこる。
 街中のデパートの本屋さんに出掛ける。少し前までこの街にも多くの本屋さんがあった。それが段々と郊外に大きな駐車場をもった本屋さんにお客さんをとられて、一つまた一つと閉店に追い込まれた。今ある少し大きな本屋さんは、このデパートの本屋さん(東京の紀伊国屋書店の支店)と昔から教科書を中心に販売している本屋さんだけになってしまった。ところが驚いたことにこの本屋さんも閉店するということだった。そうなればこの街中にはまともな本屋さんは一店もないということになる。
 バブリーな頃、さんざん街をなぶりものにして街中からその住人を追い出して、ビルやテナントばかりを増やしたのは誰だ。そんなせいで街中は歯の抜けたような駐車場ばかりがめだつゴーストタウンになってしまった。今更帰ってくれとは虫が良すぎるよなぁ。
 商店街もあまりにも無策だと思う。このままじっと指をくわえてみているのだろうか?街には街中にしかない楽しさみたいなものがあるはずなのに、もうやめよう愚痴になる。
 

更新時間 : 21:25:59

1月19日 (土)

はる 295
 百人おって順番つけたら必ず一番がいて百番がいる。これ当たり前のこっちゃ。そやけど一番から三十番ぐらいまではええわなぁ、問題は後の七十人や、「お前頭悪いで」って顔に書いてあるみたいなもんや。「今の学校のままやったら自分の生きる場ないで」そないおもうわなぁ。そら荒れるで、「しゃんとせんかい!」いうのがお門違いや。
 そんなんでも何やらごまかして高校やら下手したら大学まで行きよんねん、勉強でけへんのに何しにいくんや。結局どっちもえらい損やで。考えてみたら日本全体でえらい損やで、劣等感植え付けてやる気無くすように仕向けてるみたいなもんや。
 勉強で生きられる奴はそれでええ。そやのうて、そいつが何が出来るんか、何が好きなんか、探すのが学校の役目ちゃうかなぁ。
 仕事でもそやけど仕事覚えるまではけっこう一生懸命やるやん、その人の能力しだいやけど、そやけどその内慣れてきたら今度は「いかにしたら仕事やってるように見せてサボるか」というところに生きがいを感じるようになるやんか。結局それもお互い何にもならん、能力を無駄に使ってるいうこっちゃ。
 走んのん苦手な奴にオリンピック出ろ言うても無駄や、そら走るん好きやったらそれでもええけど、そんな奴おれへんで。そろそろ本気で学校変えていかんと、百年後日本ないで。

更新時間 : 23:37:46

1月18日 (金)

はる 294
 これもまた確かめようのない話。
 「色」について。
 多くの場合まぁよくいわれるのが(形に敏感な人)(色に敏感な人)がいて、(形に敏感な人)は(色に敏感な人)にコンプレックスを持っているとかなんとか・・・。専門家なんかの場合でも意外にそのことを知らない人が多くて無駄な努力をしていることが多い。
 二三日前に三岸節子「修羅の花」を読んでいてこんな部分がでてきた。(彼女については多くは書かないけれど、私の好きな女流画家とだけ書いておきます)「私はかわいい女なんですよ。自分で言うのはおかしいですけれど。それは83のオバァになっても変わらないんです。私の絵にはそのかわいさがみんな出ているのです。それを知るようになったのは最近ですよ、今になっておもえば、と」
 表現というのは恥ずかしいことだが、自分を裸にしないと出てこない。表現者は多かれ少なかれ露悪趣味の持ち主だ。自分を棚に上げて客観的に事実だけを表現してもだれの共感も得られないだろう。
 彼女が一流たりえたのは、多分自分の得意とする「色」について充分理解して武器として自分を丸ごと表現しえたからだろうね。
 我輩もそうありたいものだ。

更新時間 : 16:38:05

1月17日 (木)

はる 293
 これは正しいかどうか確信はないのだけれど。
 例えばこの間、アイスランド出身のビョークが出演していてインタビューを受けていた。(ビュークについては「ダンサーインザダーク」のヒロインで主題歌もうたっている歌手?ということしか書かないけれど気になる人はネットででも調べてくださいな。)
 彼女がいうには「アイスランドでは芸術家はものすごく尊敬されているわよ、それに60までは人生のリハーサルみたいなものよ」みたいなことを言っていた。これだけを読むと当たり前に読めるけれど、彼女には何かシャーマン(巫女)的なものが感じられて一種異様な雰囲気があって、文字で表現するのには限界があるなぁというのが実感だ。
 本題に戻って、彼女なんかもそうだけれど、これからは女性の表現者がもっと出てくる気がするなぁ。色んな面で男性中心の社会はもう終わったのだろう。最近なくなった作家なんかをみても女性の作家の方がはるかにいい仕事を死ぬまで残している。男性で死ぬまでいい仕事をしつづけた作家などあまりいないねぇ。男はある程度年になると肩書きを貰って安心してしまうようなところないか?・・会会員、とか・・理事とかね。それに引き換えて女性はたくましいよ。そんなのと関係なく我が道を行くでね。だから生涯いい作品が描けるのだと思う。
 できたら生涯一作家でいい作品を描き続けたいねぇ。

更新時間 : 16:30:25

1月15日 (火)

はる 292
 この「ぼやき」もそろそろ300になる。ほぼ毎日何かしら書くことを目標にやってきたけれど、これほど続けられるとは思っていなかった。そのことに我ながらけっこう驚いている。
 最近は何か読んでも「うん、これは(ぼやき)の種になる」なんて探している自分に驚く。元来けっこう好きなんでしょう。あまり義務的になると苦痛になるので、これからももっと構えずにラフに書いていくつもりです。これからもよろしく。
 なんだか300回のあいさつになってしまった。まぁいいか。

更新時間 : 23:18:37

1月14日 (月)

はる 291
 成人の日の思い出など全く無い。おぼえてもいない。何処でどうやって迎えたのか、もちろん式典など出たおぼえもない。自分の成人を祝う気のにもなれなかったのだ。大阪のごみ溜めのような下宿で死んだようにふて寝していたのだろう。新成人、兎に角おめでとう。
 10年後20年後どういった国になっているのだろうか、否どういった国にしたいのだろうかそこのところが全く見えない。いつの時代も「若者はなってない」と言うのは簡単なのだけれど、我々大人が先のビジョンを示せないでいる。自信もないんだなぁ。
 もう一度じっくり考えて根本から作り直す必要があるようだ。例えば基本的に「もの作りの国」をめざすのであれば、大量生産大量消費型の生活を改め、日本人らしい特色を生かしたきめの細かい職人仕事を大切にする教育をしなければならにだろうし、「農業国」をめざすのであればやたら外国から安い食料を輸入するだけではなく、自国の食料管理をもっと徹底するべきだろうし、徹底した「商人の国」をめざすのであれば規制をもっと緩和して流通をもっとスムースにしなければ世界から取り残されるだろうし、「銀行の国」をめざすのであればこれこそもっとサービス業に徹するべきだし、と色々考える。本当はこれら全てが今すぐ必要なことなんだろう。
 私達は失敗した。君たちにバトンをわたすがんばってほしい。そう私達は「無責任な世代」なんだ。
 

更新時間 : 18:19:52

1月13日 (日)

はる 290
 文章を書くのは、上手下手を問わなければ好きな方だ。好きというより何か事があったり、考えなければならないことがあったとき書く事で考えて来た、そんな習慣があるからだと思う。(しかし日誌をつけたことがある人はわかると思うけれど、あきらかにこのWeb上の日記は違うものだ。他人が読むことを前提に書かれたものと、自分だけを対象に書くものとは違って当たり前だろう。)
 夢を見るとき普通は母国語で会話する、それが例えば長く海外にいた子供たちなんかの場合、どこからか自然に現地の言葉になってゆくのだろうね。翻訳して理解している間は本物ではないのだろう。
 言葉は自分を表現するのに一番手っ取り早く有効な手段だ。それにもかかわらず未だに本格的な会話、自己表現の訓練をしないのはどうしてだろう。これだけグローバル化して戦略的にも色々なところで遅れをとっているというのに、何故何も変わらないのだろうか、不思議だ。長らく単一民族で同じ原語をしゃべっていたという安心感が、今は反対に不利にはたらいているのだろうか。
 外国語がしゃべれることはもちろんいい事だ、けれど話す内容がなければすぐに会話も途絶えてしまうだろう。俗に「日本語で自分を表現できないものが外国語でできるはずない」なんていわれるけれど、まず自分を見つめること、次にそれを文章なり言葉にして人に伝えようとすること、それはある種訓練だと思うのだけれどね。今からでも遅くない、「綴り方教室」を復活しよう。

更新時間 : 14:47:30

1月12日 (土)

はる 289
 午前中頼まれていた絵を梱包して送る。なんだかんだでけっこう時間を取られる。結局すべてがすんだのは昼をずいぶんとまわっていた。
 帰り道、いつもよる市内の画廊に行く。私より少し上のベテラン作家の個展。抽象になるのかなぁ、いまいちよく分からない。多分私とこの作家との接点はまるでないのだろう、なんの感情も湧かなかった。
 家に帰るといつものように多くの個展のDMとともに、この地方の美術館の新しい企画展の招待状が入っていた。最近は美術館などの文化施設も昔のように「親方日の丸」のようなやり方ではやって行けないようだ。それはそれで刺激になって歓迎なんだけれど、打って出るにはもう少しワクワク、ドキドキするような企画が欲しいなぁ。今回の企画、いいたい事はわかるけれどこれでは人は来ないよ。少なくとも「分かって貰おうという気持ち」が感じられない。次回期待しています。
 今日は異常に暖かだった。というより車の中は暑かったね。このまま春になったりするのじゃないだろうなぁ。

更新時間 : 17:11:32

1月11日 (金)

はる 288
 130号の地塗りを始めた。これを始めると春が近いなぁという気になる。何年か前上野の公募展が130号が制限だった時は、今の時期、とにかく遮二無二130号3点とか並べて描いていた。(といっても並べられないので実際はとっかえひっかえなんだけれど)今は少し楽になって130号一点で済むようになった。
 今回の個展の収穫は多くの若いエネルギーに出会ったことだ。自分ひとりだともうすでにある例の「風神さん」でいいか、と思っていたのだけれど、兎に角もう一枚描いてみることにした。いや描く気にさせられた。どこまで行けるか分からないけれど、いいものが描けそうな気がしているんだ。
 今日は疲れたのでここまで、また明日。
 

更新時間 : 23:07:16

1月10日 (木)

はる 287
 「客」という字を調べてみた。
 もともと何故その字に行き着いたかといえば、東京の個展に出した100号の作品のタイトルが「まれびと」だった。その意味は(希に来る人)という意味で(前に少し書いた気がするけど読みたくない人はとばして下さい。)まだこの国に仏教ももちろんキリスト教も伝来していなかった頃、多くの魑魅魍魎がこの世を支配していた。そういった目に見えないものや耳に聞こえないものを支配し又意志の交感ができる人を神の使いと考えた。そういった多くの人たちは一箇所に定住せず、村から村へと渡り歩く流れ者が大半で、罪人や芸人や山師などと一緒に、一種憧れとさげすみの眼差しで「まれびと」と呼ばれていた。
 私はそこから勝手に想像して、そういった宗教的な修行僧が神との交感の道具として山羊を連れて歩いても面白いなぁと思った。山羊のことは「はる 265」に書いてあるのでここでは書きません。
 で「客」だけれど、これを訓読みで「まろうど」とよむらしい。意味はそのものだけど。でここのところが面白い。「宀」は「家」の意味。「各」を分解すると「夂」と「口」。この「口」は神様への願い事を書いた祝詞を入れる器のかたち。問題は「夂」。こいつはなんと上から降りてくる神様の足をかたちどったものらしい。
 ということから「客」とは客神、異郷の神を指すらしい。どこか他で仕入れた言葉がここで一つになった。げに面白きは「ことば」なり。

更新時間 : 17:21:20

1月9日 (水)

はる 286
 今年でちょうど50になる。半世紀だよ。すごいなぁ、自分でも驚いてしまう。ときどきテレビや新聞で・・50歳なんて書かれていると、思わずまじまじと見てしまう。わたしとこいつと比べて「こいつぁ年寄りだぜぇ。勝った」と一人合点している。しかし実はそう変わりなかったりするんだろうなぁ。
 一人合点と言えば、たとえば有名な絵描きなんかの年譜をみて、なんとなく自分の今の年齢と比べてみたりしている。「この歳でもうこんな仕事している、あぁまた負けてるなぁ」とか非常に下世話だけれどやっぱり気になるね。
 「青春は二度とない、一度きりだ」とよく言われる。その手でいうなら壮年も中年も老年も一度きりだ。自分の人生においていつもどこでも一度きりの時間が過ぎて行く。今だかつて老人を経験した青年なんていたことがない。そういう意味ではどういった経験ができるのか多少楽しみにしている。
 若い頃から早く年寄りになりたかった。ちょっと違うかなぁ。色んな経験をして仙人のようになって好々爺のボケ老人もちょっといいかなと思う。

更新時間 : 18:06:23

1月8日 (火)

はる 285
 ずーっと気になっていることがあるんだけれど、これを言うと傲慢ととられるかもしれない。
 もう物を必要以上に買うのは止めないか。どっかおかしくないかこんなに物があふれているというのにまだ福袋に多くの人が殺到する図なんて見てられないよ。この間も書いたけれど「世の中不景気だ」っていうことになっている。考えてみるともう充分、物には満たされているんだよ、後はほんの少しのデザインの違いとかだけでそ差異をつけているだけなんだよなぁ。
 成り上がる時のエネルギーは物凄いものだ。ところが一度成り上がってしまうとそれを維持するのは並みの努力ではないだろう。動機付けがとても難しい。今の日本はたぶんここなんだと思う。働く動機が見えないのだと思う。もう充分物はあるし、他に欲しい物なんてないぜ、と言ってるんじゃないかなぁ。
 今日は午後から強い風が吹いて空気がカリカリになった。こういった時は遠くの山がとても美しい。夕暮れ時はなおさらだ。しかしその目線を近くにもってくると急に興ざめてしまう。戦後すぐのようなバラックに毛が生えたような建物。細い道を車と人が入り乱れて通っていくその無秩序。どこをとってもとても豊かな国とはいえない。
 多くの人はもう充分知っている。どうすれば豊かに楽しく生きていけるのか。それを実践していないだけなんだ。物を買う豊かさが欲しいわけじゃない、美しい物をみて美しいと感じる豊かな心がほしいのだ。
 「ハングリー」に次ぐ動機として「ビューティフル」というのあかんかなぁ。

更新時間 : 18:21:27

1月6日 (日)

はる 284
 聞きかじりなので間違ってるかもしれない、その点は笑って飛ばして下さい。
 昨日と一昨日「空海」をやっていた。日本には色んな教祖がいるけれど一番興味のある宗教者の一人だ。というのも空海が何者かもよく知らないうちに「コーボーさん」として月一回、東寺のボロ市によくでかけていたという事もある。今でいうフリーマーケットみたいなもので半端もんの茶碗からちょっと見のいい骨董まで何でも御座れのノミの市かな。
 話が横道にそれた。でここのところが面白いと思ったところ。彼が中国から持ってきた教えは「密教」なんだけれど、その教えというのが「この世界(宇宙)を成り立たせるある種の法がある、その法はあまねく全ての物に内在し、また全てのことを秩序だてている」というのだ。これってどっかで見なかった?手前味噌だからここでは書かないけれど、驚嘆した。
 そこでまた話がとぶ。今月号の「美術の窓」のインタビュー記事に画家の小西保文が取り上げられている。画風はかなり違うけれど好きな作家の一人だ。その中で「自分で絵を描いていて、プロセスがうまくいって自分でも(上手くいった)と思った時は、少し経つと大したことない。逆に・・・他力本願というのか、祈るように描いているうちに、そういう自分を越えた絵ができることがある。自分を越えたものが出ないと、何か訴える絵にはなりませんね。自分の力の範囲だったら(よく出来ました)程度の絵で終わってしまう」
 前に絵を描くことは「作為的な行為」だという話を書いた。それを「無作為の行為」にまで高める一つの方法がここには書かれている。自ら法に従うことだ。もう一つは「描かない」ことだ。

更新時間 : 16:00:12

1月5日 (土)

はる 283
 ちょっと眠たいなぁ。アトリエに入ると眠くなる、これはパブロフの犬のようだ。わんわん。
 公立の中学校の教員をやっていた時、「がんばれよ、何とかなるからサ」と言って生徒を励ましていたけれど、けっこう嘘をついていて心の中じゃ「こいつはどないしょうもないなぁ」なんて思ったこともあった。だからといって「お前なんか、もうどう頑張ってもあかんで」とは口が裂けても言えない。で根が正直な私はどことなく苦しい立場に立たされた。
 そんなことは世の中には多々あって。自社の製品に全く信頼を寄せていないセールスマンとか、医者の不養生とかね。
 正直いってこれからの日本は三等国、貧乏国になるだろう。今の状態はまだバブルの余韻で食っている。もう昔のような経済大国になることはないだろうし、その選択は間違っていたのじゃないかと今更ながら思う。
 どえらい不景気にどっふりと首までつかってしまって、何処に行ってもその話から始まる。時候の挨拶のようだ。「もうかりまっか、あきまへんは」いつからみんな商売人になってしまったんだろう。物が売れんことがそんなに悪いことかなぁ、反対にあのバブリーな頃みんな幸せだったかい?確かに金はあったかもしれないけれど、何だか品のない成金親父のようで趣味悪いよなぁなんて思っていた。
 「おいこら、金もってから持って来い!」というより「これからどうやって生きようか」って考えてる方が案外幸せなんじゃないかね。いい時も悪い時も含めて、やっと人間として一人前になったんじゃないか。そんな風に思うけどなぁ。

更新時間 : 15:48:50

1月4日 (金)

はる 282
 今日は日がな一日パソコンにむかって住所録の整理。これがなかなか時間のかかる作業だ。本来は画商の仕事なんでしょうが、こうやって来てくれた人の顔を浮かべながらの作業は嫌いではない。個人商店ならではのことでしょう。自分でできるうちは自己管理していこうと思っています。
 それにしてもこういった顧客管理みたいなものはパソコンの独壇場だ。それに今は色んないいソフトも出ていることだしね。パソコンの前にワープロを使っていたのだけれど、容量が少なくて往生した。その頃と比べてのこの世界は度肝を抜く進歩だろう。私などがやってることは大したことではないのだけれど。
 住所管理していて思うことは、意外に多くの人が引越しをしてしまうことだ。特に東京などの都会の場合10年たつと、半分くらいの人が住所が変わってしまう。だから最近はアパートやマンションの人は少し待ってから自分のファイルに書き込むことにしている。「もう引っ越しませんか?」とは聞けないものね。 
 今日はここまで、また明日。
 

更新時間 : 23:07:55

1月3日 (木)

はる 281
 正月も三日にもなればだれてくる。朝からこうやってパソコンに向かっているけれど、もう仕事始めたらという声が心の中で聞こえる。う〜まだちょっと寒いのでもう少しさぼらせて。
 今日は一段と寒いようだ。日本海側は大雪、太平洋側はからからと真冬の相場の天気図(西高東低)これを見ただけで心底冷えてくる。
 初詣に出掛ける。日ごろ特別なんの信仰ももたない多くの日本人もこの時ばかりは何故か妙にしおらしく頭をたれる。単に歳時記、風俗習慣と簡単に割り切ってしまいがちだけれど、考えてみればこれはれっきとした宗教行事。さぐってみれば日本人のルーツに行き当たる。「A HAPPY NEW YEAR]だけではない何かがあるに違いない。
 そういえば元旦の夜に「古代芸能・なぞの仮面舞踊・伎樂」をやっていた。トルコあたりから遠くシルクロードを通って遊牧民たちの民舞を経て朝鮮から日本の雅楽や舞踊のルーツを探っていて興味深く観た。
 ラップ音楽やゴスペルも確かにかっこいいけれど、これが我々の血になり肉になるにはまだまだ時間がかかるだろう。漢字から万葉かなをつくり平仮名やカタカナを作っていったようにいずれは自分たちの音楽になっていくのかもしれないけれどね。
 もう巷ではかなり進んではいるけれど、この二三年は「日本回帰」現象がブームになる気がする。我々はもう一度そこから始めるしかない。

更新時間 : 11:18:09

1月1日 (火)

はる 280
 2002年。明けましておめでとうございます。
 
昨日の夜からコタツに入ってテレビの前でビデオ三昧の日々をおくっています。それにしてもテレビはつまらない、特に正月番組はつまらないの三乗だ。そう思いながらも他にやることもないのでダラダラとコタツの生活から抜け出せないでいる。こういう生活を感じさせるレポートはこれもまたつまらんのだろうなと思いつつ書いています。
 今日の朝日新聞の朝刊の一面のかこみ記事に「好ましいグローバリゼーション?それはハリウッド的な大音量のスピーカーによる支配ではなく、世界の小さな声にお互い耳を傾けあうことでしょう。」(韓国の映画監督イ・チャンドンさん)ってあった。何もいいませんが、だれもが同じようなことを考えているもんだなぁ。
 今年はいつもの時期の個展にもう一つどこかで個展をやりたい、どこかいいところないでしょうか。少しずつ絵を描くだけの生活に移行して行きたいと思う。雇われ仕事もだんだんとしんどくなって来たからね。

 それでは今年もよろしくお願いします。

更新時間 : 21:47:33