20011/2〜〜20012/8
絵描きのぼやき

                  2001「風を聴く」
 
  はる50   2001/Feb/8(Thu)

   子供の頃、土曜日は半ドン(半ドンって通じるのか)で学校からとんで帰ってきて、昼飯を食いながら吉本新喜劇をみるのが楽しみだった。今でこそ吉本興業は知らない人がいないほど全国区で有名だが、当時は関西だけのマイナーな会社だった。一時漫才ブームの頃色々な地方の芸人が登場してきたが、どれもだいたいブームの衰退とともに消えていった。

 我々関西人からみると、当時の関東の芸人の笑いは全く分からなかった、というかぜんぜん面白くなかった。今でもたけしやタモリはお笑いなの?とおもう。吉本の笑いは本音の笑いだ。風刺やジョークなんていう上品なものでなく、徹底的に弱いものをいじめる、踏む、ける、ぶたったく、それでも笑いがとれなきゃ、下ねたでもエロでもなんでも良しとする。

 基本的にアドリブが持ち味だ、それゆえ今のテレビが一番得意とする分野で吉本は全国区にのし上がった。・・・・吉本を批判するつもりで書き始めたのだが・・・・本音とたてまえ、理想と現実、とかく最近の風潮として理想やたてまえの分が悪いけれど、確かに本音や現実は強いのだけれど、理想を語らなくして夢の現実はないし、ダンディズムみたいなものはやせ我慢だとおもう。なんか説得力ないなぁ。根が関西人やからなぁ。ほなさいなら。


  はる49    2001/Feb/7(Wed)

   まがりなりにも油絵を20年以上描いてきた。その根底には前にも書いたが意識していたかどうかは別にして、西欧に対するあこがれがあったとおもう。あることをきっかけに油絵の道具をアトリエから追い出してしまった。その変化は突然おこったわけではなく、ずいぶんと前からだんだんと心のなかに油絵に対する違和感がひろがっていたのだとおもう。

 ある時ひょんなことからイタリアに一年間遊びに行けるチャンスをもらった。希望はしていたがまさか現実になるとは思っていなかった。一年は長いようで短い、ヨーロッパにいるうちにと世界の名だたる美術館を観てまわった、最初は物珍しく見るもの聴くもの新しく、教科書で観た名画や建築にワクワクした。そのうちにだんだんどれを観ても感動しなくなった、みんな同じようにみえる。そんなはずじゃと思ってもやっぱりもう観たくないのだ。

 そんなある日、住んでいた地元の教会に出かけて何気なく柱を見ると、そこには誰のというのではなく、もうはげかかって人の顔も定かでない、フレスコ画で埋め尽くされていた。油絵以前のその乾いた質感、仏画にも共通する平面性、装飾性そして何よりもその匿名性に自分の肌にぴたりとするものを感じた。

 それからは意識してルネサンス以前のイコンやフレスコ画を観て回った。帰ったらもう油絵をやめよう、水性の我々日本人の体質に合った表現材を探そうとおもった。不思議なことにその感覚と同じものを、現代の作家であるスペインのタピエスやドイツのキーファーにも感じる。根底にあるものは今手に入る材料で現代を表現するということ、そして根っこになっているのは「いのり」だとおもう。


  はる48    2001/Feb/6(Tue)

   昔ユーミンが「こんな情報過多な世の中で、死んでから発見される隠れていた天才なんていないョ、今じゃどんなへんぴなところでもテレビがあって、隠れていようと思っても寄ってたかって引っ張りだされてしまうョ」と生意気に本当のことをいっていた。

 確かにそうなんだけれど、売れたか売れなかった、有名無名、メジャーマイナー、だけで判断されると少し違うなぁと思う。大衆性をもつことはある種の才能だとはおもうのだけど、多くの場合単にブームで終わってしまうか、生きている時だけのことにすぎない。「生きていた時は絵が一枚も売れなくて、貧乏して死んだ」なんてことが美談で語られるけれど、これもピントがずれてるなぁ。本物はいつも隠れて見えないのだとおもう、淡々と自分の仕事をしているのだと思う、でたまたま時代が追いかけてきてなるようにして世の中にでるのだと思う。

 たとえば今気に入った絵があったとする、それがずっと気に入ったままで終わるかといえばそうじゃなくて、だんだん目が肥えてきてもっと違うものが良くなる。最初にいいと思ったのは自分の目がそこまでだったからで、年とともに好みも変わる,普通深くなる。案外最初に嫌いだったものを好きになったりするものだ。本物はずっと本物で最初っからそこにいた。そのときは誰も気付かなかっただけじゃないの。単に負け犬の遠吠だけどね。


  はる47   2001/Feb/4(Sun)

   作文はにがてだった、子供の頃に本を読まなかったということが大きく影響していると思う。それゆえに未だに句読点の打ち方が小学生なみだといわれる。自分の気持ちなり思ったことなりを文章で表現して人に伝えることができるんだと知ったのは、中学校一年生の時書いた作文を国語の先生がほめてくれた時だった、かなり脚色して嘘を書いたのだけど、自分の気持ちを伝えるにはそれくらいでちょうどだと思った。それ以来幾星霜あまたの文章を書いてきたけれど、あの時以上のワクワク、どきどきはない。

 インターネットは第二の「つづり方」ブームだとおもう、程度の差はあれ(おしゃべり言葉)を(かき言葉)に変換する知的作業が必要で、自分を表現するにはそれなりの文章力が必要なことに気付くはずだ。こういったデジタル機器で文章を打っていておもうことは、我々の世代だけなのかもしれないが、機械を単に道具として使っているだけで感覚としてペンや鉛筆の筆記用具とかわりない。外国語を勉強していても「こんにちは」「元気ですか」くらいは三日で習得できる。問題はそこから何を話すかで、いつものことながら「自分とは何者か」ということを知らなければ話は進まない。案外最先端の技術は一回転して自己探検の道具になるかもしれないね。


  はる46    2001/Feb/2(Fri)

   「風をきく」、もともと風は四方の風神の仕業で鳥が運ぶものと考えられていた(鳳)、それゆえその地方独特の習慣を「風俗」「風土」という。いわゆる聞こえないものをきいたり、見えないもの見たりできる人を神と交感できる人と考えた、耳をすましてつま先だてて聞こうとするその姿の象形が「聖」である。遠い昔われわれの祖先はなんとロマンチックにものごとを考えそして表現していったのだろうか。全てが簡単に便利にすばやく手っ取り速くなるにつれて、人の想像力も表現力もなえていってしまうようだ。


  はる45     2001/Feb/1(Thu)

   どこかでやっぱり信じているところがある。若者が成人式で悪ふざけであばれても、14歳のくそガキが人を傷つけても、目つきの悪そうなアホ坊主どもがコンビニの前でとぐろ巻いて地べたにしゃがみこんでダベッテいても、いつかはそのむなしさに気付くだろうと、やっぱり甘いのだろうなぁ。宗教にしろ芸術にしろ哲学や科学にしても最終的に目指しているのは「大いなる秩序の存在」を感じさせるところにあると思う。我々は生まれたくて生まれたのではなく、ただその大いなる存在の一部とたまたまここにいるだけなのだ。それはここにある草や木や犬や猫、山や川ひとかけらの石にさえ共通する「大いなる力」なのだ。人間はさまざまな悪いこともしてきた、人類はもうながくないのかもしれない、でもまだまったく捨てたもんじゃないと、そんな歌が唄えると信じている


 はる44
   欠番


  はる43    2001/Jan/28(Sun)

   ひぇ〜すごい雪だ。2,3年前にもこんな雪が降ったけれど、今回はそれ以上だ(45CM)。見慣れた町が薄化粧(今回はちと厚化粧だけれど)して何処か違うところに来たように錯覚する。雪は降ってるときは静かで幻想的な雰囲気があるけれど、解け始めるとこれほどやっかいなものはないね。ここは雪国ではないので、年に2、3回の積雪ですむけれどもう飽きた。唯一朝日のあたる梅の木には小さい蕾がいっぱい着いていた、もうすぐ春だ。


  はる42    2001/Jan/27(Sat)

  個展以来久しぶりにお江戸にでる。いつもだいたい寄るギャラリーがある。アフリカのお面や布、いすや箱などの工芸、インドネシアの工芸や雑貨、中国の置物などなど、いくら見ていても飽きない魅力がある。いつからこういった物に興味を持つようになったのだろうか。人の「いのりのかたち」、物作りの原点がそこにあるからだとおもう。  


  はる41    2001/Jan/24(Wed)

   人の最期を考える。周りに年寄りが多くなってきたということもあるけれど、どんな最後が理想的なんだろう。世界で一二をあらそう長寿国だけれど、人は長生きしただけで幸せだろうか?ゲートボールを楽しんでいるご老人たちを見ていても、そう楽しそうだとはおもえないのだけれど。本来はなんとか社会と結びついて、持てる力を還元できる方法を考えるべきだと思う。

 それにしても人は長生きしすぎたのかしれないね。生まれてきたときあれほど歓迎され、大切にされ、差こそあれ両親の愛情をいっしんに受けて絵に描いた様な幸せであったにもかかわらず、人生の終着があまり幸福に思えないのはけっこう辛いね。


  はる40    2001/Jan/23(Tue)

   「現代美術」という言い方ではなくて、「今ここで生きている人たちの絵」というのであれば私の絵も「現代美術」ということができる。数年前の秋口にめずらしくこの地方にも台風がきた。普段雨戸など閉めないのだが、風台風ということでガタピシと雨戸を引き出した。

 古い家に住んでいる人ならわかると思うが、戸袋がちょうど大きな木のウロのようになっていて、中に鳥の巣が幾重にも重なりあってとても使える状態ではなくなっていた。その巣は草の切れ端から針金、ビニールのひも,布のくず、土など、巣の材料になるものならなんでもござれのてんこ盛。下手な「現代美術」より「現代美術」的だった。現代に生きて今ここで生活している以上、今ここで手に入る材料で絵を描くほうがより自然な行為ではないか。100年後、当時の人はこんな材料で絵をかいていたのだということも現代を表す重要な要素じゃないかな。


  はる39     2001/Jan/22(Mon)

   明日は有価物の回収とやらで朝6:00に行かねばならない。全くのボランティアである。決まっていることであるからそのことには文句はない、しかしそのシステムのルーズさにはあきれてしまう。もっと要領のいい方法があると思うのだが、いまだにボランテァがいちいち出された有価物を選別するのだからなんか変だよなぁ。出す人が選別して出せるようにすればいいのに。もっといえば企業が回収すべきことで、何で善良な市民がかりだされるのか。200円でも300円にでもして缶をもっていけば100円くれるとでもすれば,町から缶は一つもなくなるとおもうけれど。産業廃棄物の施設反対をさけぶことがエコロジストではなくて、いかにごみを出さないかに気をつかう人がエコロジストだと思う。


  はる38    2001/Jan/19(Fri)

   春の団体展用の大作を描きだした、実はもう何ヶ月も前に下塗りを済ませいつでも描き出せる用意はしておいた。私の場合用意周到というのかそうでもしておかないと、いつまででも描き出せないので自分にプレッシャーをかける意味でもこれが必要だ。前にも書いたが小品でも大作でもアイデアは一つは一つなのだが、大作の場合永くかかるので飽きがこないようなしっかりしたものが欲しい。ただしっかりできすぎたものは案外つまらないものになってしまう、作為が勝ちすぎてしまうのだろう。大きいのも小さいのも変わらない気持ちで描ければ一番いいのだが。


  はる37    2001/Jan/18(Thu)

   走っている車はみんなきれいだ。人によると車内土足厳禁にしている人もいる。カー用品はホームセンターの重要なコーナーになっている。車をまるで恋人かなにかのように大事にし、磨き上げ飾り立てる若い人も多い。(なのにどうして車から平気でゴミを捨てるのだ、タバコの吸殻を火のついたまま捨てるのか、せめて火を消してくれ。)にも関わらずどうして家の中はぐしゃぐしゃなの、町並みはなぜ美しくないの?世界中の高級ブランドが軒を並べるほどお金持ちの国なのに、何をやっても様にならず貧乏くさいの?どこかで気が付いてもうやめなきゃ。カッコ悪いよ、いつまでもアメリカの後ろにくっついて、そのまねをしているのは。音楽やスポーツ、食い物から風俗習慣、ついでに犯罪までみんな彼の国のものまねだ。戦争に負けて合衆国の一つになったのならそれもしかたないけど一応独立国だからな、気づかない分始末が悪い。


  はる36    2001/Jan/18(Thu)

   めちゃくちゃに寒い、明日の最低気温は-8度だと。水道管が破裂しなければいいがなぁ。ここのところ毎年ひかくてき暖かな冬だったので、この寒さはちとこたえるね。いつも子供の頃の話で申し訳ないけど、家にはコタツもストーブもなかったね、あったのは暖房器具としては火鉢だけだったよ。まぁ瀬戸内の暖かい地域だったということもあるけれど寒かったよ。手なんかしもやけだらけだった。


  はる35    2001/Jan/16(Tue)

   表現者、自分のことをそう恥じらいもせず言えようになったのはつい最近のことのように思う。昔地元の新聞記者に「今年の個展のテーマは?」ときかれて、うまく答えることができなかった。それは考えていなかったということもあるけれど、絵で自分のいいたいことを言っていいのだという認識がなかった。

 不思議に思うかもしれないがそういうことなのだ。日本の美術教育にしろ表現教育にしろそこのところが全く手付かずだ。花なら花を写すこと、それらしく描くことそのことばかりに重点がおかれている気がする。大学教育を受けて一人前のプロの画家といわれている作家たちも、ほとんどの人がそのことに気づいていない。だからよくお勉強のできた絵ばかりが展覧会場に並ぶことになる、見ていて何をいいたいのかさっぱり理解できない。またわからない絵ほどありがたがられるのだから不思議な世界だ。

 何年か前にスペインの作家と日本の作家の版画の交流展があったのだけれど、彼の地の作家の作品は物凄くあらっぽいのだけど、いいたい事がストレートに伝わってくる。反対に日本人の作家の作品は技術的には凄いけど・・・・。いかに自分の気持ちを人に伝えるか、もっといえば自分はなにが好きなのか、嫌いなのか、どう思うのか、結局自分とは何者かということを突き詰めなければ何もいえないことに至る。来年には50歳になる、やっとそのことに気づいた。バカな男よ。


  はる34    2001/Jan/13(Sat)

   焼き物の絵付けの仕事は結構面白かった。自分でいうのもなんだが手先の器用さ、物まねのうまさは持って生まれたものだと自負している。そこのところが落とし穴でもあるのだが。チョットしたことならすぐにできてしまう、飽きてしまう。やんごとなき事があって、結局二年足らずでやめてしまったが、その経験はいまでも生きていると思う。

 産業革命以後人の仕事はどんどん機械にとって代わった。その分不必要な重労働から開放され楽になっていいはずなのだが、そんなにうまく行かないのが人の世だ。人がやっていた仕事を機械が肩代わりしてもっとすばやく間違いなくやっていくわけで、そう考えると人のやる仕事はどんどん少なくなっていくだろう。つきつめると芸能やエンターテイメント、宗教や芸術を含めた大きな意味のサービス業しか人の仕事として残っていかないのではないかと思う。


  はる33    2001/Jan/12(Fri)

   フリーターはよくないそうだ。私はフリーターなんていう便利な言葉がなかったころから日雇い労働者だった。自由な時間を取るか安定した収入を取るかという選択だと思うだけれど、自由を取れば大きなリスクを背負うことになる、それを覚悟してのフリーターなら選択の一部としてあっても許されるでしょう。

 絵をやめて就職をと考えた時思いついたのは、何かの職人になる、どこか遠くで百姓やる、学校の給食のおじさんになる、でその全てに手紙を書いていい返事が来たのは焼き物の絵付けの仕事だった。給食のおじさんの試験は面接まで行った、面接官に「君は給食のおじさんになるより先生になりなさい」なんて説教をくったけ。今考えるけっこう笑える。


  はる32    2001/Jan/11(Thu)

   昔のように物が売れないから不景気だという。何とか人様の欲しがるような物を考えて無理やりにでも売りつける、言葉は悪いけれど大なり小なり商売とはそういったものだ。

 外国の人が日本に来てテレビを見ながら初めて覚える言葉が「新発売」だそうだ、事ほど左様に次から次へと飢餓感を植え付けることに始終している。市場経済というのはそこのところの人間の根源的な欲望に根ざしている。

 でいいたいことは、よくよく考えてみると欲しいと思ってた物はただテレビのCMで一日に何回も繰り返して叫ばれているからにすぎないことに気が付いた。そういった賢い人たちがもう新しいものはいらないや、これからはもっと有意義な金の使い方(貧乏でかわいそうな絵描きとか、いい絵を描いてるのに全く無視されている絵描きとかに援助することなど)を考えている最中で買い控えてると考えたのだが違うだろうか?


  はる31    2001/Jan/10(Wed)

   成人式の様子をテレビで見て、あぁこの国はもうだめだと思った。「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉がある。無論反論はあるだろう、多くの若者は善良でまじめに暮らそうとしているのだろうが、こうなってしまえばどうしょうもない。病気にも自然治癒力というのがあってもっともその効果が現れるのは,本人が治そうと思った時らしい。その論でいくならば、このままほっておいてどんどん失業者も増え、社会不安も増し、多くの人がこのままじゃだめだと気づかなければだめじゃないの。ギリシャやローマにたとえるのはおこがましいけれど、栄えたものは必ず落ちぶれるのだから。しかしそうなる前に何か手を打ちたいものだなぁ。


  はる30    2001/Jan/8(Mon)

   必要ないものはなくなっていく。反対に必要なものは誰が反対しても、たとえ法をおかしても広まっていく、そういったものだろう。守らなければならない伝統工芸や文化財になってしまえば、もうそのアートとしての使命は終わったと思ってもいいだろう。

 今を生きている私達が本当にそのアートによって、慰められ、喜び,悲しみ、勇気付けられ、心の支えになって、今日という日を生きてきてよかったと思える様ででなければ、またその人の心の奥底まで入っていってグイグイと揺さぶる様でなければ生き残る必要がない。アートでございます、芸術でございますといったところで、だれも見向きもされなければないのと同じだ。 古今東西不必要なものが栄えたためしがない、ここはじくり二十一世紀にもなったことだしよく考えてみるべきだね。え、絵描きさんよ。


  はる29     2001/Jan/7(Sun)

   本は本屋に行って嫌がられながらも立読みするか、幾ばくかの金を払って読むものだった。音楽はFM放送をエアーチェックして聴くか、なけなしの金をはたいてレコードを買うしか方法はなかった。映画はもちろん映画館で見るしかない。

 ところでいまさらながら気づくことがある、読むこと、聴くこと、見ること、しゃべること、書く事,描くこと・・・多くのことがデジタルになっていることだ。世の中の流れは便利な方に流れる、何も考えなければしごく当然なことだけれど。ちょっと待って欲しい、こうやってパソコンに向かっていながら言うのも変だけど、どう考えたって視覚と聴覚は違う感覚だろう、それを基本的に同じ方法で記録、表現するというのはちょっと強引すぎやしないか。

 痛いも熱いも辛いも甘いも,つきつめて言ってしまえば人間の感覚なんて電気信号なんだけれど、そこまで還元しちゃっていいのかね。デジタル化というのはすべてを同じものさしで計ることで、機械にとっては誠に都合のいい方法なんだけれど、我々人間にとってはとても大事な最後の感覚までお任せ状態になってしまっているのではないのかなぁ。だからこれを見ている違いのわかる人は、絵は画廊に行って本物をみましょう。


  はる28     2001/Jan/6(Sat)

   正月はどこにも行かず寝正月をきめこんだ。4日に本当に久し振りに家で友達を呼んでマージャンをした。5年ぶりぐらいじゃないかなぁ。賭け事はだいたいにおいて嫌いだがマージャンだけは学生の頃から好きだった。あれほど人間性のでるゲームもないのではないか、ゲームそのものよりそういった人間観察が好きなのかもしれない。そろそろ新作にかからなくては


  はる 27    2001/Jan/2(Tue)

   皆さん、明けましておめでとうございます。2001年も無事明けました、今年もまた色々なことがあるでしょうが、めげないで頑張らず生きていきましょう。