2000 9/25〜200012/29
絵描きのぼやき

はる26            2000/Dec/29(Fri)

   危ない所に来ている。ハングリー精神で「今に見てろ,明日は必ず勝つからな」とがんばって、がんばって,なりふり構わないでやっと見つけた安息地なのに、着いてみたら一緒にがんばってきたと思っていた家族が壊れていた。子供がいなくなった。若者はみんな同じ様に携帯でメールの着信ばかり気を気にしている。

 確かに豊かにはなったし、そのことは悪いことではないはずなのだが、なんか違うよなぁという気になるのは私だけではないはずだ。たぶん本当に新しい時代なのではないか、百年後に見たら良くも悪くも2000年が2001年が時代のエポックになっているのではないか。

ハングリー精神ではない次の時代はこれだというのを提示できれば多くの人が救われる気がするのだが。さてそれは何でしょう? 後日編集


  はる25           2000/Dec/26(Tue)

   皆さんメリー・クリスマス。どうもこの時期は行事が多くてゴタゴタしています。個展無事終わりました。わざわざ会場に足を運んでくれた人たちに、来年が幸多かれと祈りましょう。雑誌の紹介記事で来てくれた人も多かったようだが、反対に今まで来てくれていた人が来なかったということもあって、まぁ例年どおりかな。さて年賀状を書かねば、なんとも忙しい年の瀬だ。


  はる24           2000/Dec/18(Mon)

   今個展のちょうど中日です。東京に出てきています。東京で個展を始めてもう10年以上になりますが、何回やっても観光気分で疲れますが楽しいですね。成績の方はいっこうにあがりませんが。評判の方はすこぶる良いのですが、そこから購入するまでにはかなりのジャンプが必要な感じですね。売れるから良い絵、売れないから悪い絵、とは思いませんが、見も知らない人が、投機の対象でなく純粋に(好きだ)というだけで買ってくれるのは、ものすごく励みになるし、結局絵画とはそんなものだと思う。これから後半です、もう少し楽しみます。


はる23
 欠番


  はる22           2000/Dec/12(Tue)

   今日はとても寒い一日だった。いつも不思議に思うのは、たとえばうんと空が晴れ上がっていて、遠くの山並みが、西からの日差しをあびてくっきり手にとる様に見えてたとする。車に乗りながら川沿いの道を快適にドライブしていたとする。といつもだいたい同じようなとても美しい幸福な気分になる。とても言葉ではいい難いのだが、それはうんと子供の頃に経験したことに似ているような気もするが、本当は子供の頃はそんなに幸福ばかりじゃないことも知っているけどね。しかしあの時間は(黄金の時間)だなぁ、わかる?。


  はる21            2000/Dec/10(Sun)

  美術館は死臭がする、という批評を読んだことがある。どんな名画でも美術館に入って、完全な空調、安全な防護、塵一つ寄せ付けない清潔な空間に入れられてしまえば、たぶん死んでしまうだろう。ゴヤの黒い絵は彼の家の壁にあってこそ意味があるのだし、ジョットの(鳥に説教)はアッシジのフランチェスコ教会にあってこそ、敬けんな気持ちになる、(死者の書)はエジプトのピラミットにあってこそ意味がある。言いたいことは、絵画はアートになって、小綺麗な空間に収まってはいけないようなきがするし、そうなってしまったがめに分別臭くお役所的で魅力を失ってしまったようだ。どう思う?


  はる20            2000/Dec/6(Wed)

   何かを見て、聞いて、感動して泣くことがありますか。残念なことに絵を見て泣いた記憶がない、泣きたいほどの感動を人に与えたいのに、その本人が絵を見て泣いたことがないのじゃ無理なのかもしれんなぁ。

  二三日前のBSで綾戸千絵(名前も漢字もあやふや)がビートルズのレットイットビーを唄っていた、最初はなんでもなかった、妙な唄い方だなぁ、ぐらいだったのだ。バックに素人の彼女が指導しているコーラスが入って来たところで、ガ〜ンときた、涙がぽろぽろでてきた。なんなんだあれは、各自がそれぞれに、それぞれの方法で自分の気持ちを歌に(表現)しょうとしている、そんなもんに打たれた。

 そうなんだなぁ、気持ちさえ入れば、人に伝えることはできるんだ。予期していなかった分さらに感動的だった。


  はる19            2000/Dec/5(Tue)

   人は絵画に何を求めているのか、もう何年も考えているけれど、納得のいく答えが見つからないでいる。


  はる18            2000/Dec/4(Mon)

   イタリアの水道水はすごい。なにがすごいかといえばカルシュームの含有量がすごい。毎日沸かすやかんの裏にはびっちりとカルシュームの結晶がこべりついている、もっとこまったことにシャワーのめがすぐにつまってしまうことだ。だからたぶんイタリアではウオッシュレットは普及しないだろう。びろうな話で申し訳ないが、私たちの世代はトイレの紙も戦後の物のない時代、新聞紙からはじまって藁の入った落とし紙、チリ紙、トイレットペーパーと進化して、ついにウオッシュレットとなったのだが、生まれた時からウオッシュレットの柔なけつしかもってない人間はどうするんだろう。


  はる17            2000/Dec/2(Sat)

   麺類が好物だ。関西人だからか、未だに関東のうどんはうまいと思わない。だしが私には合わないようだ。新幹線で実家まで帰る時もわざわざ京都で降りて、うどんを食うことがある。 子供の頃シナそばといえば、今でいうラーメンではなく、黄色いうどんのようなそばがあったのだが、どうなったのだろうか。おふくろが一日鳥のガラでだしを取っていたのを思い出す。いやそれは我が家ではごちそうだったきがするがなぁ。たこ焼きにしろお好み焼きにしろ、子供の頃食ったものはうんとうまかった気がする、それは今と違って日本が心底貧しかったからかもしれんなぁ。


  はる16            2000/Dec/1(Fri)

   どうやら風邪をひいてしまった。いつもだいたい地元の個展が終わったところで一段落、気が抜けて風邪をひいてしまうことが多い。意外に疲れるということも関係しているだろう。自分で企画、演出して、メールも全部自分でだす、文字どおりワンマンショーで、これが結構面白い。絵描きは絵だけ描けばいいという人もいると思うけれど、できるだけこの楽しみはとっておきたい。田舎だからできるのかもしれないけれど。


  はる15            2000/Nov/24(Fri)

   小さい頃、子供用の自転車が欲しかった。当時家にある自転車は、今ではもうほとんど見かけなくなってしまったけれど、黒い大きな荷台のある、屋根から落としても絶対に壊れそうもない、全くシャレッケのない実用車だった。そんなもの当時の子供でさえ乗っている奴はいなくて、たまに乗ったとしても、大きすぎて足が届かず三角乗りするしかなかった。三角乗りの説明はめんどうなのでしないが、わかるでしょう。それでもいつのまにかちゃんと乗れるようになるのだから、人間の学習能力はたいしたものだ。


  はる14            2000/Nov/20(Mon)

   HIROA君 いつも我々のなつかしい恥じをありがとう。(若草荘物語)は是非完成させてください。 個展もあと一日となった、そうなると結構さみしいものだ。ここでまた自己宣伝を一つ、12月号の月刊(美術の窓)MADOの個展情報のコーナーに12月15日からの、銀座ギャラリー惣での個展の案内が小さいですがカラーで紹介されています、興味のある方は立読みしてください。


  はる13            2000/Nov/15(Wed)

   私はもともとが理系の人間なので、機械は嫌いじゃない。だからPCもはまればとことんやるかもしれないが、どこかで線をひいているところがある、ゲームもオンラインショッピングもチャットもやるつもりはない、どこかで信用していないかもしれない。こうやって書く文章もこれはけっして日記ではなく、あきらかに読まれることを意識して書いているわけで、脚色、演出されているわけで騙されてはいけない。


  はる12            2000/Nov/12(Sun)

   NHKの(ひきこもり)の番組を見た。つらいなぁ、とくに親は。一生懸命にやってるものなぁ。それでも親の責任なのかなぁ。誰が悪いこれが悪いという問題ではないからなぁ。健康に暮らしている人でもきっかけしだいで(ひきこもる)可能性は大いにあるわけで、ちゃんとしたカウンセラーの育成を真剣に考えるべきだろう。暗くなってしまった。


  はる11            2000/Nov/11(Sat)

   今日から個展です。昨日画廊に持ち込み、飾り付けをしました。それ故今はオープンを待つだけです。自分の一年ぶんの作品を飾って、音楽を選曲して、さてこれからだという今が一番ゆったりとした、幸せな気分でいられるのかもしれないなぁ。もうそろそろ行きます。 p・s 前回の歌はPPMではなく、ジョン・バエズでした。


  はる 10          2000/Nov/8(Wed)

   (We shall overcome)今日昼飯のかたずけものをしながら、口からでてきた、たぶんピーター・ポール・アンド・マリーの歌だと思う。私たちが高校生の頃、今の高校とは雰囲気がかなり違っていて、牧歌的というのか無邪気というのか、昼休みになるとみんな中庭に出て、当時流行っていたこの歌を、たぶん深い意味もも知らずみんなで歌っていた。重信 房子(漢字はこれでいいのかな)と聞くと当時を思い出した。


  はる 9            2000/Nov/8(Wed)

   小さな中庭がある。七、八年前引越してきた時にひょろひょろとした一本の木が、階段の下に窮屈そうに斜めになりながらも健気に小さなかわいい葉をいっぱいつけていたので、ほんの出来心で木の名前も知らず中庭に移植した。

 いつか切ろう、来年は切ろうと思って幾星霜いまでは10Mの大木だ。木の種類は(にせあかしあ)知る人ぞ知る庭木にはタブー中の嫌われもの、がこの時期一せいに真黄色になってはらはらと落ちる枯葉を見ればまぁ来年も切らずに置いてやろうかと思う。


  はる 8            2000/Nov/6(Mon)

   なんだか他のPC使ったら、調子悪くて(はる 七)が二つ続けてでちまった。大阪にいた頃、もう30年近く前だけれど、ずっとJAZZ喫茶でバイトしていた。今はもうJAZZ喫茶なんてあまり聞かないけれど、当時はどんな田舎町でも一軒は必ずあったものだ。カッコつけてコルトレーンが好きだなんていっちょまえのこと言ってたけど、本当はなんも分かってなっかったように思う。最近、車の中で聞くのは昔聞いたコルトレーンばかりだ、うるさい雑音だとばかりおもっていたかれのアドリブがすんなりと腑に落ちるのは年をとったせいかなぁ。今年の個展でも流すつもりだ。


 はる 7 
 欠番                      


  はる 6            2000/Nov/4(Sat)

   カッコよさみたいなものは、時代とともに変わっていく、あたりまえのことだが時になんで?と思うことがある。古い日本家屋を惜しげもなくぶっこわして安物の張りぼてアーリーアメリカン様の家を建てて満足している人たち。あぁそれを言えば自分にも当てはまることがあるな、何で油絵を始めたのか、自分の気持ちの中に油彩画は舶来で高尚なもので、水彩画より高級なものだという錯覚。自分たちの文化や伝統を無視いして流行りものに飛びつくという妙な性癖がこの国にはあるね。


  はる 5            2000/Nov/1(Wed)

   音楽は昔から好きだった。小学校のころ流行っていたのが、ニニロッソの(夜空のトランペット)というやつで、今ではけっこうカッコ悪い思いでだが、当時の多くの音楽好き少年は彼にあこがれてブラスバンドに入部したように思う。ところが世の中は思う様にはいかないもので、全員がトランペットを吹く訳にはいかないのだ。そこでも人生の不条理をイヤイヤ学習したのだった。


  はる 4            2000/Nov/1(Wed)

   現代美術といわれるものに全く面白みを感じない、私の頭が古いのだと思って、一生懸命美術手帳を定期購読して研究しているふりをしていたこともあるのだが、面白くないのでやめてしまった。新聞の美術欄(朝日新聞)ですがこれを読んで展覧会に行く気になりますか?どうも私は現代美術からずれてしまったようだ。


  はる 3            2000/Oct/31(Tue)

   欠番


  はる 2           2000/Oct/30(Mon)

   私はまじめなネットサーファーではない。何万もあるHPを片っ端から見つけて読んでいく根性も、時間もない。だいたい自分のメールをチェックして、2,3の気に入ったHPをみるくらいでお終いだ。多くのpcのオーナもその程度だと思う。いかにして自分のHPのカウントをかせぐか、そこのところが頭を使うところだ。だいたい見も知らない人の日記を見せられる人の気になってなってみなさい、これほどの苦痛はない。更新されないHPも面白くない、糸井さんのほぼ日みたいに毎日更新するのがカウントを稼ぐ唯一の方法なのかなぁ。私が参加できる場はここしかないのでできるだけここに書き込んでいくことにするかな。


  はる 1           2000/Sep/25(Mon)

   日本の女子はすごいなぁ、オリンピックを見ていてその感を強くした。もうずいぶんと前から展覧会にいっても、コンサートにいっても女性ばかりで、そのうち女性の天下が来るとおもっていましたが、やっぱりですね。まぁどちらが天下でもいいのですが、金槌をもって人を傷付けるのだけはやめてもらいたい、少年たちよ。
更新時間 : 19:49:48


この日記について

 このネット日記は最初、掲示板につづりはじめたものです。そのために「はる150」までは欠番が多くなっていますし、誤字脱字、間違いも多かとおもいますが、そのままにしてあります。ご了承下さい。

 2000年の4/4から約一ヶ月間、生涯で始めての入院生活を経験した。病名は「非ホジキンリンパ腫・成熟型B細胞腫瘍びまん性大細胞型・節外性リンパ腫」簡単に言えば胃のリンパ性腫瘍、白血病に似た血液の癌です。治療は胃の全摘出。色々あってこの4月(2005)に、一応安全といわれる五年間が過ぎた。(2005 3/24 はる1375

 誤解の無いようにこの日記は、闘病記ではないので病気の事はほとんど書いていない。もしそれをお望みなら他をあたってください。あくまでも一人の絵描きの何気ない日常です。

 しかし、病院での生活は今まで以上に「いま、このとき」を大切にしなければという思いにかられた。退院して何気なく日常が過ぎてしまうことにあ然とした。

 ということで、こうやって日々を記録して、恥を晒してゆく事も、意味ないことではないかと思って始めたものです。

  「閑人のつぶやき」も回を重ねれば、それなりに個性が見えてくるもののようで、最近はこれもまた私の大切な一部だと思っています。 
 
 出来得る限り続けたいと思っていますので、ゆるりとお付き合いください。        
                   2005 4月   榎並和春