どこから来たのか1〜4
はる 2162
「どこから来たのか? 1」
 私の絵はどこから来ているのだろうか? まとまっていないので思いつくまま書いてみよう。結論はありません、期待しないで読んでね。
 小学校の頃、大きくなりすぎた学校は二つに分かれることになった。一つは昔からの古い学区と、もう一つは我々の住んでいる新しい学区だった。まだ団地という呼び方も珍しく、コンクリートのブロックのような建物が、にわかに整地された丘の上に並び出したころだ。
 ちょうど東京オリンピックが開催された年で、聖火のマラソンを国道までみんなで見に行ったおぼえがある。
 私達家族は分譲されたいっかくに安普請の家を建てたのだが、それでも早い方で、まだいたるところが売れ残っていてペンペン草がはえていた。
 道路はまだまだ舗装さてていなくて、雨が降るとぬかるんで大きな水溜りを作っていた。
 特に絵を描く事が好きだったわけではない。物を作ったり考えたりすることは好きだったけれどね。まぁ今の絵の半分ぐらいはこのあたりの工作少年から来ているように思う。
 今でいうミクストメディアみたいなことは当時の工作の一つの方法だった。例えば厚紙だけでは強度に問題がある場合、布をのり付けすれば強くなるということを経験上知っていたし、木と布と紙はとても相性がいいことも知っていた。
 絵は上手くなかったけれど、なぜか自信があった。これは小学生の頃からだな。同級生に短い鉛筆をくるくる回して鉄人28号やアトムをひょいひょい描ける奴がいた。羨ましくはあったけれど、あれは「純粋な絵」ではないと一人合点して済ましていた。
 油絵のような木を描きたいと思った。これは多分お袋の影響だけれど、点描で生の絵の具をのせていけば、油絵のような絵が描けると思い込んで実行していた。これはかなりおそくまでやっていたきがする。ゴッホの糸杉の影響かもしれないな。
 何だかまとまらないけれど、ここまで。

はる 2163
「どこからきたのか? 2」
 私の家はよく言えば質実剛健の家風で、親父は地方の公務員からそのワンマンな実力をかわれて最後は助役まで勤めた。退職後は小さな土建屋のようなことをしていたが、根っからの役人が商売をやって上手く行くはずが無い。
 当時、学生だった私になんとかその会社を継がせたいという気でいたようだ。まぁこれも親父が亡くなった後で知ったことだけれど、その話も上の兄貴たちに断られて、順番に下りてきたお下がりだったようだ。何処まで行っても弟はお下がりがおりてくる。
 そんなこともあって卒業後、京都の焼き物やに弟子入りすることにした。焼き物をやりたかったのか?と問われると困るのだけれど、兎に角親父の影響から逃れたかったというのが本音かな。不謹慎だけれどね。二年ほどで卒業した。
 話は子供の頃に戻って、そういった文化的な雰囲気から程遠いような生活環境の中で、唯一趣味的な香りがしたのが、お袋が絵を描いていたということだった。
 といっても趣味に毛が生えた程度で、どこかに出品するとか、個展をやるとかといったレベルではなかったのだけれどね。まぁそれでもそれが無かったら私は今頃絵は描いてなかっただろうから、ここらあたりに縁があったのだろうか。
 油絵に始めてであったのは、近所の日曜学校のカードだった。小さなカルタぐらいの聖母子像だったけれど、写真のように美しいカードに夢中になった。思いではセピア色のなかに沈んでいるのだけれど、賛美歌とか聖書の物語とかクリスマスの街の大きな教会にいったこととか、震えるほどの感動をおぼえた。
 もう一つは兄貴たちの影響かな。今考えると勉強部屋に大きなユトリロの白い建物のポスターが貼られていた。はっきりおぼえているのはセザンヌのゆがんだようなカップのえと、安井曽太郎のこれまたゆがんだろうなチャイニーズドレスをきた女の人の絵だった。
 なぜかセザンヌは凄いということを教えられた。当時中学生だった兄貴も多分よく理解していなかっただろう。
 さて、子供の頃の工作少年と聖母子像、焼き物の肌合いにセザンヌのデフォルメとユトリロの白を混ぜてあわせると段々に私の絵に近づいて来ませんか。

はる 2164
「どこからきたのか? 3」
 物として有ると認識しやすいのは「つるつる」しているか、「ざらざら」しているかのどちらかだと思う。
 例えば焼き物で言えば、磁器やガラスのように表面がつるつるしている方が高級感がある。織物でも絹があれほどまで世界中でもてはやされるのは、絹の持っている自然な光沢のなせるわざだ。
 この光を含んでいるものに憧れるというのは、人類共通の性質のように思える。貴金属からはじまって、高級な工芸品や生活雑器に至るまで、「ぴかぴか、つるつる」は人を夢中にさせるようだ。
 子供の頃の話に戻れば、土の丸い玉をピカピカに磨いて光らせることに夢中になったおぼえがありませんか?しかし、あれは何であれほど光るのだろうか?未だに理由がよくわからない。
 油絵を描き始めた頃、がっかりしたことがある。描いている時はあれだけヌレヌレと濡れ色なのに、乾くとガサガサのつや消しの状態になっていまうことだ。我々の油彩のイメージはセピア色のニスに覆われたガラス絵のような感じなんだな。
 ……ちょっと横道にそれる……
 油彩画が日本に入ってきた時、当初は「ヤニ派」といわれるオーソドックスな油彩画の手法が教えられていた。まぁこれは最初はセピア色の絵の具をテレピンなどの乾性油でといてデッサンをする、その上に樹脂をたっぷり含んだ亜麻仁油などで固有の色を乗せるといった、油彩画の伝統的な手法だった。この方法で最後にニスをひけば、光沢の有る油彩画が出来上がる。
 ところが当時留学した黒田清輝などが学んだのが、オーソドックスな油彩画の手法ではなく、当時西欧で流行していた印象派「紫派」の手法だったんだな。それを日本のアカデミーとした所に間違いがあった。
 まぁそれは長い西欧の歴史をふまえて考える必要があるのだけれどね。
 産業革命などがあって、今まで力があった王侯貴族が、台頭した市民階級に取って代わられたんだな。今までのようなパトロンと芸術家という関係が維持できなくなってきた。
 芸術家というのは哀れな存在でね。偉そうなこと言っても誰かに養ってもらわなければ、食べて行けなかったわけだ。ダビンチやミケランジェロなどの天才でもしかりだ。
 で、市民階級が力を持ってくると、そういった人達にも分かる絵が必要になってくる。今までは例えばパトロンが教会だったり貴族だったりすると、それに応じた絵を描かされていたわけだけれど、そんな必要がなくなってくる。
 それから、これも大きい理由だとおもうのだけれど、芸術家という存在が職人として絵を描く人という枠から離れてきたということだろうな。
 で、そういった市民階級の人達が、開放されたアーチストを支持した。

はる 2144
「どこから来たのか? 4」
 例えば旅に出て「あぁきれいな風景だ。これを何とか記憶にとどめておきたい」ということから風景画みたいなものが始まったのでしょうね。最近は写メールなどという便利なものがあるので、私なんかもどんどんブログに送っている。このことはまたいずれ書きたいね。今日はテーマが違う。
 スケッチ旅行をしたことがある人は分かると思うのですが、これだと思う場所を見つけるのに半日近くかかる場合も多い。まだこれならいい方で、あっちこっち歩いたけれど、結局どこも触手が動かなかった、といったこともある。
 風景だけではなくて、静物画なんかでも最初は与えられたものをただ写すことだけに一生懸命になるのだけれど、まぁ言って見ればこれは花なら花の造形の原理みたいなものを観察して、自分のものにしようとしているわけだ。ここから始まる。
 風景にしろ花にしろ、「自然」を部分的に切り取ったもので、文字通り作為の無い『自然」ということになる。
 次にそういったことを踏まえて、人工的に自然を作ってそれを描くというようなことを始める。大きな作品なんかの場合、アトリエ制作になると、ちょっくらかついで描きに行くなどということが出来にくくなるからね。
 モチーフを組む場合、これはあくまで自然の模型であるわけで、天があって地がある。その中に山があったり川があったり風が吹いて木々がざわめくそんな感じで組み立ててゆく。
 ここまではまだ自然を追っかけている。
 で、ここでステージが一つ上がる。例えば絵になる風景を追っかけていた時、「ここが絵になる」と思ったのは自分の心の何に呼応したのか?ということだな。そこのところにその人の人となりが現れるわけだ。何を考えて、何をして生きてきたか、そんなことが問われる。
 ここからはその「何に」というのが大事になってくる。人が今まで生きてきたということは一瞬ごとに何らかの選択をしてたということだな。その無数の『何に」によって今の私は作られている。だから、その『何に」を探すことが、そこからの大事なモチベーションになる。
 難しいことだけれど、今までは外に『絵になる場」を求めていた、ここからは自分の内にその『場」を求めることになる。恥ずかしいことだけれど、裸になって自分を見つめなければ人を納得させる表現まで行き着かない。
 ここからは現在進行形で、いまだ分からないのだけれど書いてみる。
 これをこう思ってこう表現した。というのじゃお子様だ。絵解きや挿絵じゃあるまいしね。いまはまだそんな所にいる。
 こうやって文章を紡ぐように、いまだハッキリしない事柄を何らかの手がかりで明確にしてゆく。そんな行為と私が絵を描く行為とは似ている。
 今何を考えているのか、絵の中に現れてくるもので推しはかる。「あぁ私はそんなことを考えていたのか」と反対に絵を描くことによって知るといった感じかな。
 今までは心のなかを表現するのが絵を描くことだと思っていた。けれど今は少し違うな、表現するなどおこがましい。表現しなければならないよう高尚なものなど何もない。
 私そのものがそっくりそのままでてくるのを待っている。そんな感じかな。
 よく分かりませんね。んじゃまた。