まれびとさん・個展随想 ゴムログ http://www.geocities.jp/marebit/Gomkeshi.html -------------------------------- 2003 7/19 gomu35「あそびをせんと3」 その男の顔は黒くつぶれ、ひしゃげていた。小さな二本の足がすっくと地面に降りていた。片方の手が、“定からぬ”といったふうに宙に持ち上げられ、指をひろげている。だがその姿は、岩から滲み出たシミのようにも見えるし、砂漠に焼きつけられた影のようにも見える。「こたえてください」とは、その作品に付された素朴なタイトルだが、答えはどこにもなかった。凝(じ)っと見つめていると、男の姿はまぼろしのようにかき消え、キャンバスにつめこまれた無数の鉱物の粒子がただ悲しみ、きらきらと無辺の光を乱反射させているように見えてくるのだ。 木曜。チビの装具の手直しのために車で大阪へ出たついでに、神戸まで足を伸ばしてはるさんの個展を覗いてきた。私が絵を見ている間、奥さんがチビと遊んでくれた。4時頃に画廊に入って、6時前に辞した。はじめてお会いしたはるさんとは何やら言葉を交わした気がするが、話したかったたくさんのことは後から思い出した。 ---------------------------- 2004 7/25 gomu40「こしかたのき3」 限りなく抽象でいながら、限りなく具象に近い。 おずおずと打ち叩いた原初の音のカケラのようにも聞こえるし、弥勒の世に到来する未来の響きのようにも聞こえる。 会場で流れていたきらきらと跳ね踊る光の粒のようなピアノ・ソロがセロニアス・モンクの演奏だと聞かされて、私は軽い衝撃を覚えたのだった。 ところで“風の化石”とは言い得て妙である。 風が化石になる筈がない。なる筈はないのだが、ひょっとして太古の昔にそのような奇蹟があったのかもしれないし、いまもどこかでそんなことは起こり得るのかも知れない。 作品も、そんな音楽やタイトルと照応している。 幾千年の波と風に晒された乾いた黄土質の地層のような画布に、しろい、淋しい人形(ひとがた)がまぼろしのように浮かびあがって見える。 その人は、いま生まれ出るようで、すでに過ぎ去っていた。過ぎ去ることを潔しとしていた。 さみしい黄土質の地層と風のような流砂にいまにもかき消されようとしていながら、人は、微笑んでいた。 私はその絵と共に在りたいと思った。 その絵と共に生き続けたいと願ったのだった。 ------------------------------ 2006 7/20gomu47「色はにほへと2」 はるさんの個展(榎並和春個展・神戸「色はにほへと2」)は2年ぶりだ。6時に画廊を仕舞い、二人で以前入ったイタリアンの店に移った。「角笛」と題された絵があった。道化師のような顔をした男がうつむいて角笛を吹いている。この男の奏でる音に耳を傾ける者は誰もいないのだろうと思った。(おそらく)世間から見捨てられた男はひとり、あえかな、ささやきのような音を奏でる。わたしはその音色を空想してみた。すると宮沢賢治の「告別」という詩が浮かんできた。そんな音を、この男の角笛は奏でているに違いない。私はその音色に耳をすました。さみしさの原石のような調べ。誰もがたったひとりで死んでいくのだが、誰もが最後に何かを伝えたいと願っている。それは神でもいい、一本の草木でもいい、愛する者でもいい。個の記憶はいつか消滅していくが、死にゆく前に、わたしは大いなる記憶とこのちっぽけで儚い己をリンクさせたいのだ。おそらく、わたしの願いとはそのようなものだ。個の記憶など過ぎ去ってしまってよい。もろもろの事象は流れてゆけばよい。わたしと子が微笑みあった記憶は、河原の石のはざまに溶け込む泡沫のように大いなる流れに呑み込まれてゆく。それでいい。流れを間違えなければ、あとはこの身を委ねるだけだ。そうであるなら、この底なしのさみしさも泡沫が思わず漏らす溜息のようなものだ。ワインの貯蔵庫のような薄暗い地下の店を出たのは9時頃だった。会話はワインのようだった。おぼろで、夢見心地で、他愛ない。それもまた、やがて大いなる流れに溶けこんでゆく泡沫だ。それもいい。きっと、すべてがよい。奈良に帰り着いたのは11時過ぎだ。駅からのどしゃ降りの夜道をモリスンの幸福なカントリー・ソングを聴きながら歩いた。 --------------------------------- 2007 2/1 log50「かぜのおとづれ3」 はるさんの絵は中世の写本に描かれた聖書の挿絵のようだ。白いキャンバスではなく地下のカタコンベの鈍色の岩盤層から人物は浮き上がって見える。その誰もが古いドラマを隠し持っている。首のひしゃげたヴァイオリン弾きがいる。燃えるような瞳の家畜を連れて砂上に立ち尽くす少年がいる。楽屋裏で復活の舞台を目論んでいる老いたピエロがいる。この世の果ての通奏低音のような角笛を吹くさみしい黒マントの男がいる。ときに岩盤から浸み出した地下水が涙のように漏れ伝う。どれもこのやくざな心根に馴染んで近しい。ひとつだけ心に引っかかって解けない謎のような絵があった。「道化・あそびをせんと」と題された一枚だ。「これがいちばんいいですね」と画家に言った。産み立ての卵の黄身のような朱の中に道化姿の人物が佇んでいる。その絵の前に立つと、未完成のパズルのピースのような断片が顕れては消え顕れては消え、定まらない。「これはいまのスタイルが固まり始めた原初の溶岩のはしくれ」と画家は教えてくれた。 ----------------------------- 2009 1/22 gomu61「いつかみたところ2」 寝袋持参・泊り込みで現場指導へ行った明けの帰り、大阪に立ち寄って、阪急梅田の百貨店で個展を開いているはるさんの絵に会いに行った。古代の地層のような洞窟の暗がりの濡れた岩盤のようなキャンバスに、鉱物の来歴を物語るために湧き出て来たかのようなさまざまな人物たちがいた。縄文のビーナスのような太った女もいれば、一輪車の上の危ういバランスを保っている道化師もいる。楽器を奏でる孤独な漂泊者もあれば、眠っているようなインカの少女たちのミイラもある。いちばん大きなキャンバスの中央には、染みのような放射能で焼きついたヒトガタのような妙に背の高い人物が浮き出ている。画家はさいしょ、ここにはマリア様を描いたのだと教えてくれた。けれど明確なマリア像がしっくりとこなかったので削り落としていった。するとこんなふうになった。ある老人の客は仏様だと言った。画家は天を見上げる男性だと言う。わたしにはどう眺めてもうつむいた優しげな女性にしか見えない。つまり、ひとはきっと、作品の中にじぶんの心のかたちを見つけるのだ。はるさんの絵の描き方は一風変わっている。キャンバスの上に粗布や絵の具や木片や襤褸切れなどを塗りこめて、それらを削り、また塗りこみ、また削り、その果てしない繰り返し(格闘)のうちにキャンバスの中からやがて何かの形らしいものがぼんやりと見えてくる。まるでハレの日にいずこより訪れるまろうど(客人)のようだ。世界にはそのようにしか得ることのできないものがある。じぶんを削り落としていきながら、最後には、受け取るための手を差し出すだけでいい。気がつけば、それは手のひらに、乗っている。はるさんの絵は、自転車を颯爽と乗り回す人物も、楽器を抱いた楽師も、互いに寄り添う人物も、樹や白壁や窓、緑や真紅や金色の顔料さえも、すべては祈りのかたちなのだと思う。祈る、その始原の場所をさがしているもとめている絵だ。「こたえてください」のタイトルも画題も、それを端的に顕している。ひとは画家の絵を見つめながら、知らぬうちにじぶんの祈りのかたちを探し始めて、ときにもがく。その日、わたしはついに祈りのかたちを見つけられなかった。夜、家に帰ってからネットで見つけたガザの空爆で死んだ子どもたちのむごたらしい写真を子に見せた。子は思わず顔をそむけた。彼女には大きな負担だったかも知れない。それでもわたしは堰を切ったダムの水のように、風呂の中で、布団の中で、子に、ユダヤ人の歴史からアウシュビッツの惨劇、そしてイスラエルの建国、パレスチナの長くいまだ終わることのない絶望の風景を深夜の11時まで喋りつづけ、日頃就寝が遅いことを気に病んでいる彼女の母親にひどく叱られた。どうしたらいいの? と訊いてくる子にわたしは、どうしたらいいか分らない、としか答えられなかった。「こたえてください」とは、天に唾するようなものだ。それでもひとは祈る。所詮、祈りつづける。 ------------------------------- |
*展覧会図録
「第5回上野の森美術館絵画大賞展」 上野の森美術館 '87 93 94 97 98
「山梨美術協会 創立50周年記念展」 山梨県立美術館 '87 92 97
「’87油絵大賞展」 東京セントラル美術館 '87 89 93
「第3回新人選抜展」 山梨県立美術館 '88 90 92 94 96 98
「第6回伊藤廉記念賞展」 名古屋日動画廊 '89 90 91 92
「第1回林武賞展」 東京セントラル美術館 '92
「第2回JAPAN大賞展」 洋協アートホール '92
「第1回小磯良平大賞展」 小磯記念館 '92
「印象・神戸展」 神戸市立博物館 '93
「第29回昭和会展」 銀座日動画廊 '94 95
「第68回国画会展 図録」 東京都美術館 '94 95.96.97.98.99.00
*刊行物
「協会賞に榎並さん」 山梨日日新聞 1980 6 30
「山梨美術協会展始まる」 山梨日日新聞 1980 7 4
「意欲作目立つ 「我の会」6回展」 山梨日日新聞 1982 8 16
「榎並和春さん個展」 山梨日日新聞 1983 7 22
「春の公募展から」 光風会展評 朝日新聞 全 1985 4 17
「芸術祭賞に榎並和春さん」 山梨日日新聞 1986 10 11
「源氏絵巻の華麗さ表現」 山梨日日新聞 1986 10 14
「2079MM展」 朝日新聞 山 1987 5 3
「18日から大賞展 東京セントラル美術館」 山梨日日新聞 1987 8 11
「模索重ねる五人の世界 2079MM展」 山梨日日新聞 1988 5 21
「榎並和春個展」 朝日新聞 山 1988 10 6
「榎並さんが個展」 山梨日日新聞 1988 10 27
「東京・銀座で初の個展」 山梨新報 1988 10 29
「東京・銀座で個展」 山梨日日新聞 1988 11 9
「銀座・中央画廊で個展」 山梨新報 1989 10 21
「読者のページ この一点」 読売新聞 山 1990 1 13
「榎並さんが銀座で三回目の個展」 山梨新報 1990 11 3
「音楽テーマにきょうから個展」 山梨日日新聞 1990 11 5
「榎並和春個展」 産経新聞 山 1990 11 8
「榎並和春個展 若い音楽家」 毎日新聞 山 1990 11 16
「イベントがいど 榎並和春展」 読売新聞 山 1990 11 17
「大作20点を一堂に 第1回SQUARE展」 山梨新報 1991 4 29
「県内若手が意欲作 スクエア展・ニューアート展山梨日日新聞1991 5 4
「榎並和春氏が東京で個展」 山梨日日新聞 1991 11 1
「榎並和春個展」 山梨新報 1991 11 9
「榎並和春個展」 朝日新聞 山 1991 11 15
「甲府市の榎並さんが銀座で四回目の個展」 山梨新報 1991 11 19
「キラリ輝く新鮮な感性 第5回県新人選抜展」山梨日日新聞 1992 2 21
「県新人選抜展 受賞作家に聞く」 山梨日日新聞 1992 2 25
「第2回JAPAN大賞展 全日本美術 1992 4 10
「東京都美術館便り 第66回国展」 月刊美術の窓 1992 6 p246
「榎並和春個展 ’92夏の思いで」 山梨新報 1992 10 31
「榎並和春展」 月刊美術の窓 1992 11p153
「銀座で榎並和春展 新作油彩画を展示」 山梨日日新聞 1992 11 2
「榎並和春個展」 朝日新聞 山 1992 11 20
「甲府の榎並さん入選 小磯良平大賞展」 読売新聞 山 1992 11 4
「井上、榎並さんに授与 甲府市市民文化奨励賞」読売新聞 山 1992 11 5
「井上、榎並さんが受賞 市民文化奨励賞」 山梨日日新聞 1992 11 19
「平成4年度 新収蔵品展」 山梨県立美術館報 1993 1 8
「榎並さんが新人賞 国展・絵画部門」 山梨日日新聞 1993 4 22
「この人と「人間の理想郷」を描き環境問題を提起」山梨新報 1993 4 24
「春の団体展から 国展 赤旗新聞 全 1993 4 30
「近況 理想郷像を追求」 山梨日日新聞 1993 5 5
「気鋭の美 芸術家素描」 ザ・ヤマナシ 1993 5
「東京都美術館便り 第67回国展」 月刊美術の窓 1993 6p276
「大賞に榎並さん 神戸のイメージ絵画展」 読売新聞 神 1993 9
「印象神戸絵画展で榎並和春氏が大賞」 山梨日日新聞 1993 9 25
「印象神戸絵画展 神戸市立博物館で開催される」 月刊神戸っ子 1993 10p63
「印象神戸絵画展 入賞作品が決定 新美術新聞 1993 10 11
「ギャラリー 榎並和春個展」 山梨新報 1993 11 6
「榎並和春個展 詩情あふれる表現」 読売新聞 山 1993 11 18
「デジャ・ビュー テーマに個展」 山梨日日新聞 1993 11 19
「榎並和春個展 ギャラリーおおくぼ 朝日新聞 山 1993 11 19
「榎並和春展 方舟 理想郷テー 月刊ギャラリー 1993 12p34
「話題の展覧会 榎並和春展」 月刊美術の窓 1993 12p107
「榎並和春氏が出展 国画会受賞作家展 昭和会展」 山梨日日新聞 1994 1 22
「’93年 下半期の美術 印象神戸絵画展大賞」 月刊美術の窓 1994 3p36
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 1994 7p302
「榎並和春個展 画家の思い表す20点」 読売新聞 山 1994 11 10
「榎並和春個展」 山梨新報 1994 11 12
「ホームレス テーマに個展」 山梨日日新聞 1994 11 12
「榎並和春展 人はどこから来て、どこへ行くのか」 朝日新聞 全 1994 12 8
「榎並和春氏が東京で個展」 山梨日日新聞 1994 12 9
「話題の展覧会 榎並和春個展」 月刊美術の窓 1994 12p166
「保坂、榎並さんを助成 大木美術作家基金」山梨日日新聞 1995 3 31
「文化さんぽ道 榎並和春 (記念日)」 山梨 県政だより 1995 4
In mostra le opere di Kazuharu Enami ラ・ナツォナーレ 1995 11 14
「近況 いやされる絵を」 山梨日日新聞 1996 4 4
「甲府の榎並さんイタリアのスケッチ展」 読売新聞 山 1996 5 16
「伊のスケッチ並ぶ」 山梨日日新聞 1996 5 17
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 1996 7p245
「こころのかたち 榎並和春個展」 海文堂画廊 画廊通信 1997 8
「話題の展覧会 榎並和春個展」 月刊美術の窓 1997 8p206
「文化 榎並和春氏が三都市で個展」 山梨日日新聞 1997 8 15
「ギャラリー案内 榎並和春個展から」 神戸新聞 1997 8 15
「放たれる 感性の波」 山梨日日新聞 1998 6 30
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 1998 7p206
「展覧会スポット 個展案内」」 月間ギャラリー 1999 12 p35
「展覧会情報・榎並和春個展 」 月間美術 1999 12月号 p211
12/12〜18 銀座・ギャラリー惣
「ぼくの空想コレクション259」 月間美術 2000 3月号 p116〜117
「東京都美術館便り 国展評」月刊美術の窓 2000 7月号 p153
「いのりのかたち5」
「話題の展覧会・榎並和春展」 月刊美術の窓 2000 12 p148
12/15〜12/21銀座・ギャラリー惣
「展覧会スポット 個展案内」 月間ギャラリー 2000 12 p40
「どこにゆくのか」 12/15〜21銀座・ギャラリー惣
「2002 12 「月刊ギャラリー12月号p 」
(アーチィストクローズアップ94)月間ギャラリー 2002 12
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 2003 7月号 p231
「麒麟」
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 2004 7月号 p321
「こたえてください」
「話題の展覧会・榎並和春展」 月刊美術の窓 2004 8 p242
「こしかたのき3」 神戸ギャラリールポール 7/22〜27
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 2006 7月号
「かぜのおとづれ」
「人物画が上手くなる」技法講座9 月刊美術の窓 2008 6 p21〜23 p36
「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓 2008 7月号p56、p251
「旅芸人」
「展覧会レビュー 榎並和春展」 月間美術の窓 2008 1月「p155
「いつかみたところ」銀座・ギャラリー惣
*その他 挿絵 装画など
新春小説 佳作「乾杯、シベリア三人の捕虜 山梨日日新聞 1988 1 4
土曜文化 「赤い水玉模様」 山梨日日新聞 1989 7 8
新春小説 佳作「コロンボがゆく」 小畑 賢次 作 山梨日日新聞 1993 1 5
新春小説 佳作「旅立ちへのプロローグ」時任マリ作 山梨日日新聞 1994 1 4
「華の宴」 装画及び挿絵 伊吹 知佐子 著 審美社 1994
第2回やまなし文学賞佳作小説「伝璽郎の鱗」 山梨日日新聞 1994 8/4
市原 千尋 作 10/5まで
新春小説 佳作「生きているクラゲ」雨宮 秀樹 作 山梨日日新聞 1995 1 4
新春小説 佳作「恋心」 芦沢 武 作 山梨日日新聞 1997 1 4
新春小説 佳作「風を感じて」 芦沢 武 作 山梨日日新聞 1998 1 4
機関紙「山梨教育」第20号 装画 山梨県連合教育会 1998 3
「ガーデン」レコードジャケット 坂田 久 作 1998
「扉の前」 装画 伊吹 知佐子 著 1998 7 9
「メモリー」 装画 河原治夫 著 1999 審美社