批評&講評、その他


*2000・7月号「美術の窓」の国展評p153
 「いのりのかたち5」
 新準会員
  榎並の作品がずいぶんと変わってきた。一種古典的というのか、ロマネスクてきというのか。両手を胸の前に置いた僧侶のような男が上の方を向いている。両側にあるのも、どことなく石の建物のように思える。シンプルなコンポジションの中に、強いモニュメント性と色彩の輝きを秘めている。

*2000 12月「美術の窓」 話題の展覧会・画廊
 「榎並和春展」ギャラリー・惣(銀座 12/15〜12/21
  「人は何処から来て、何をして、何処へ行くのか」ヲテーマに絵を描きつづける。私は何者か、今ここにいることを含めてもう一度深く自分に問い掛けたい。重厚なマチエールには存在感といのりが感じられる。

* 2002 12 「月刊ギャラリー12月号p 」(アーチィストクローズアップ94)

 榎並和春
生まれいづる絵画と向き合う あそびをせんと
 
 アトリエを構える山梨県甲府での個展が終わると、すぐ暮れの東京銀座での展観がはじまる。作品を見にきてくれた人たちに、いつもメッセージを用意する。今年の言葉は「あそびをせんと」。大作に挑む時を例外として----日々の創作生活の中で感じている、少しゆっくりとした時間を過ごすこと、何ごとかを愉しもうとすることの貴重さを問いかけたいためだ。

 『梁塵抄』にある言葉から採られた「あそびをせんと」は、なかなかにイメージの喚起力のある言葉だが、作品を描く以前にまず言葉が脳裏に浮かび、それをテーマとして作品を描いているわけではない。

 「僕は『はじめに言葉ありき』じゃないんです。描き込んで行ってはじめて、今まさに目の前に現れた絵画とまじわるテーマは何かな、と考える。これも一種の遊びだと思う」

 マチエールとは、ひとりの画家の生来の資質が強く出るものだが、榎並和春が描く作品の表面は、厚く盛り上がっているといより、ほとんど壁なみの起伏がある。水で解ける顔料なら何でも溶かし込む。これはときには日本画材の胡粉だったり、砥粉の黄色だったりする。また糊で貼った布などが、独特のオリジナル・メディウムと渾然一体となっている。

 水溶性の顔料を好んで使うようになったのは、1995年のイタリア滞在を終え帰国してから。ヨーロッパ絵画が持つ圧倒的なヴォリュ?ム感を見せつけられたのだ。「自分の持っている(天性の)質感と異なっていることに気づいたんです」それ以来、長年追求してきた油で溶くメディウムから遠ざかることに。

 今回の個展に出品されるものの中に「さいわいびと」と題された作品がある。明らかに天使のフォルムが描かれているようなのだが、画家はそれを「エンジェル」ではなく「さいわいびと」と呼ぶ。

 「エンジェル(天使)と言ってしまえば、キリスト教の文脈にとり込まれてしまうでしょう。だから敢えてそういう風にはしない。もっと素朴な祈りのかたち、としてあって欲しいと思ったんです」

 また「まれびと」というタイトルを持つ作品がある。民俗学者の折口信夫が言うあのまれびと≠ゥら採られた言葉だが、洋の東西が混在しているような、ちょっと不思議なイメージを持つ。背景に描き込まれているのは甲骨文字。 「作品を描いているのは確かに自分自身ではあるんだけど、しかし実際に現れてくる絵画を見て『これはいったい何だろう』と。まれびと≠チていうのは一種の神性を帯びている。だが同時にそれは漂泊者≠フイメージでもある。画面を見ているうちに何かが見えてくる、結局は自分の中にしかえはないんだ、画家が自分の中にあるものを発見する過程、それもまたあそび≠セと思うんです」

●榎並和春個展「あそびをせんと」
12・16〜12・26ギャラリー・惣(銀座7)?03-5565-6039



*2003 7月号「美術の窓」の国展評p230
 「麒麟」
 「灰色の顔の男が胡弓を弾いている。目をつぶり、上を向いてわらっている。しかし、顔の表情より手の表情ほ方がはるかにテーマの音楽性を伝えている。弾いている楽器からは音色が白い雪のような点となって、上へと昇っている。男の後ろには屏風のようなものがある。そこには向かって右から首を伸ばした麒麟が描かれている。麒麟といっても角が三本あるので、実在の麒麟ではない。胡弓の音色がこの麒麟を呼び出したように思える。男の手と顔、胴などで旋回する構図がうまれて、カーブする麒麟の首がそれに沿って同心円を作っている。四辺を赤で囲んで閉塞した空間を作り、音楽をテーマに強いエネルギーというか感情を喚起させる、厚く塗られたマチエールは楽器の演奏に深みを持たせている。(磯部靖)


*2004 7月「月刊美術の窓七月号」(国展評)
「美術の窓」の2004・七月号の国展評 p221
 「こたえてください」
 ここ数年、榎並作品はじつに素朴な調子で描かれている。素朴に、そしてナチュラルになったぶん、作品から発せられるエネルギーは強くなったように思う。以前から人物をモチーフにしていたが,説明的な要素が後退して、普遍的な人間が描かれるようになったと思う。ここに描かれている人間の形はひとつの器のような役割をはたしている。目には見えない人間の感情に、輪郭線をほどこすつもりで、人間の形を導いているようだ。「感情」を魂ということばに置換えてもいいだろう。うなだれた人間と、その人を腕に抱きかかえて諭す人。簡略化された二つのフォルムから,感情が滲み出ている。目、鼻,口、などのディテールは省かれているが、強い感情の拮抗がうかがえる。感情と感情の交差が、強い波動となって伝わってくる。土を練り込んだような絵肌の、プリミティブで荒削りな感触も,強いメッセージを発信してくる。(功刀知子)

*2006 7月「月刊美術の窓七月号」(国展評)「p264
 「かぜのおとづれ」
 「長いこと風雨のさらされたような、ゴツゴツとした触覚的な肌合いの奥から、笛を吹く男の姿や帽子をかぶった旅人らしき男、あるいはピエロのような姿が浮かび上がってくる。ベージュ系の暖かい色調に、強いノスタルジーが喚起される。画家の心と語り合う、内界の住人達なのかもしれない。また旅芸人のような、孤独と哀愁も伝わってくる。真中の男が笛を吹いているけれど、眺めていると、風の吹く音の背景から、尺八の音色のようなものが聞こえてくる。そういった日本的な響きがあるのも、この作品の特徴であり魅力だと思う。
(功刀知子)

*2008 7月「月刊美術の窓七月号」(国展評)「p251
 「旅芸人」
 「キャンバスの上下にドンゴロスをコラージュして、その上から絵の具をのせて、独特のマチエールを作っている。弦楽器を持つ女性を中心に寄り添う男女、相方の帽子をかぶった男、音楽を聞く老人などのフォルムが、徐々にその中から浮かび上がってくる。門付け芸人の哀愁に満ちたイメージがよく表現されている。
(高山淳)

 *2008 1月「月間美術の窓」展覧会レビューp155
 「榎並和春展 いつかみたところ」 銀座ギャラリー惣 12/19〜25
 「何かを表現しようとすることは「自分探し」であり、絵を描くことは自分の心の中に浮かんだ何かを描くことである。と作家はかたる。「いつかの私がいつかみたもの」を描いた今回の展覧会、それは作家自身の心象風景のようにみえる。

 *2009 7山口画廊「画廊通信166 榎並和春個展」
画廊通信 Vol.66           答えざるものへ

 欧州はいずこの国ぞ、長い放浪に疲れ果て、名も知ら
ぬ寒村にたどり着いた旅人がある。いつの間に中世へと
遡行したかの様に、質素な石造りの家がひっそりと連な
る街道を抜けて、彼は村はずれに最早訪ねる者もない、
崩れかけた古い会堂を見つけた。
 何者かにいざなわれるが如く、朽ちた扉の中へと足を
踏み入れた彼は、荒れ果てた堂内に屹立する風化した石
壁に、剥落してなおわずかに彩色の滲む、絵画とおぼし
き微かな筆あとを認める。おりしも黄昏が荒野に最後の
輝きを放ち、うがたれた小窓より薄暗い宙空に、突如一
閃の残光が射し込んだ刹那、茫洋と壁に浮かび上がるい
にしえの聖像。旅人は声もなくその面前にひざまずき、
暮れなずむ慈光の中で微動だにしない。
 数日の後、通りがかりに会堂を覗いた村人は、暗がり
の石壁に浮かぶ、見知らぬ旅人の姿を見つける。ひざま
ずいて祈りを捧げる彼は、あたかもつい昨日描かれたか
の様に、鮮やかな光彩を静かに湛えていた。……失礼、
冒頭からのつまらない作り話、平にご容赦を願いたいの
だが、今回初めての個展となる榎並さんの作品を見てい
たら、そんな物語が彷彿と浮かんで来てしまった。
「芸術は時代を映す鏡」とはよく言われる台詞で、確か
に榎並さんの描き出す作品にも「現代」という時代が投
影されている事に違いはないが、しかしながらその鏡に
映された世界には、風化した岩壁の様な趣を醸すマチエ
ールと相まって、何かしら遥かないにしえの香りが漂う。
 修道士・旅芸人・楽士・放浪者といった、どことなく
中世のイコンを思わせる様な作中の人物達は、喧噪を極
める目まぐるしい現代の世相に背を向けて、どこか遠く
の名も知らぬ国へと、その想いを馳せるかの様に見える。
きっとその地とは、もの静かな時間がゆったりと流れる、
私達の在るべきもう一つの国なのかも知れない。
 きっと如何なる時代であれ、その変動する表層の下に
は、時代を超えた不変の深層がある。榎並さんの絵に見
入る時、人はいつしかそんな内なる旅路への扉を、我知
らずそっと開いているのだろう。

 私は、未だ携帯電話を「電話」という機能だけで使っ
ている様な、到ってアナログ的な人間なのだが、榎並さ
んとの出会いは極めてデジタル的であった。昨年の初春、
何気なくインターネットを覗いた際に、私のホームペー
ジに対して、好意的なコメントを寄せられているブログ
を見つけたのが、そもそもの機縁である。
 アナログ的とは言え、私も世の趨勢には逆らえず、実
は簡単なホームページをこそこそと出していて、この時
に掲載していたエッセイは、絵の売買を傍観する団体作
家のスタンスを、私なりに批判した内容であったが、そ
れに対してこのブログは「絵を売るという事について、
言いにくい事をはっきり言っている」と、明確に賛同の
意を表してくれていた。
 おかげで幼少よりあまり誉められた事のない私は、す
っかり嬉しくなってしまい、一体どんな奇特な方が私な
んぞに共感してくれたのかと、早速ブログの主を見てみ
たところ、なんとその方は画家なのである。ご自身で本
格的なホームページを作られていて、どんな絵を描かれ
ているのかと興味津々、掲載されていた作品を拝見させ
て頂いたら、これがなんとも心惹かれる絵ではないか。
ウェブ上の画像ではある程度までしか分からないにせよ、
そこには紛れもなくあの「本物」の気韻がある、これは
天が与え給う巡り合わせに違いない、私はそう思った。
 それから一ヶ月近くを経て、私は「榎並和春」という
未知の画家へ、こわごわメールを送らせて頂いた。
「私の勝手な文章をブログに取り上げて頂き、ありがと
 うございます。あらためて自分の文章を読み返してみ
 ると、なんとも生意気でいけ好かない感じですね。
 実は私、失礼ながら榎並さんの事を、万年勉強不足の
 ゆえ今まで知りませんでした。早速ホームページで作
 品を見せて頂き、ある種宗教的ともいえる様な深みの
 ある作風に、心惹かれました。もし差し支えなければ
 画集や個展の資料等、お送り頂けないでしょうか」
 翌日パソコンを開けると、画家より返信が届いていた。
「ご丁寧なメール、ありがとうございます。
 どこでどうやって山口画廊さんとつながったのか、ま
 るで覚えてないのですが、確か気になる作家の企画を
 やられている画廊だと認識していました。今回の『わ
 たなべゆう』さんも好きな作家です。資料、できるだ
 け揃えてお送りしますから、ちょっと時間下さい。
 私のHPは、ほぼ私の等身大だと思います。本人が運
 営しているHPですから、確かな事でしょう。この程
 度の人間で、その程度の事しかやれていません。もし
 それでよければ、お付き合い下さい。榎並」
 きっかり一週間後、幾冊もの写真ファイルと作品見本
の入ったダンボール箱が、ありがたくも画廊へ届いたの
だが、実はその時、私は連日の腹痛で立つ事もままなら
なくなっていた。翌日、私は緊急入院のハメになり、し
ばらくは仕事の出来ない成り行きとなった、せっかく送
って頂いた沢山の資料を、画廊へ置き去りにしたまま。

「お元気になられたようで良かったですね。私の資料が
 着いて即入院だったので、何かしら見てはいけない物
 を見たせいかもしれないと、密かに危惧しておりまし
 た。でもまあ良くなったようで、ちょっと安心しまし
 た。少しゆっくりしろという暗示ではないでしょうか。
 またその内にお会いできる事を、楽しみにしています。
 ではまた、その時にでも。榎並」
 それから一ヶ月半ほど後、私はこんな心温まるお便り
をいただいた。借りっ放しだった資料を、退院してやっ
と返却させて頂いた折の、画家からのメールである。
 ちなみにお預かりした資料は、妻が画廊から病室まで
「重いのよねえ」とブーブー言いながら運んで来てくれ
て、おかげで私はベッドの上でお茶などすすりながら、
その独自の世界を心行くまで堪能する事が出来た。暗い
入院生活の中に、静かな希望が灯るのを感じながら。
 メールを頂いてから一週間程を経た午後、私は甲府の
榎並宅へ伺わせて頂いた。晩春の陽光を川面に浮かべた
穏やかな流れを渡り、川沿いの道を折れて路地を奥まっ
た所に、目指す画家のアトリエはあった。一見して簡素
なたたずまい、しかし時代の艶を湛えるかの様な古い家
具が、諸処にさりげなく置かれていて、住む人の質の高
い生活スタイルがうかがわれる。
 初めてお会いする画家は、隠遁せる一徹の哲学者とい
った風情、ご挨拶を申し上げてしばし歓談の後、制作途
中の大作が立て掛けられたアトリエに案内して頂く。
 榎並さんの制作過程は独特である。麻布や綿布を水張
りしたパネルに、ジェッソや壁土・トノコ等を塗り重ね
て下地を作り、布等のコラージュを自在に交えながら、
墨・弁柄・黄土・金泥・胡粉等々、様々な画材を用いて
幾層にも地塗りを重ねる内に、その画面は風化した岩壁
の様な独特のマチエールを帯びる。一口に言えば、「ア
クリルエマルジョンを用いたミクストメディア」とでも
呼ぶべきか、しかし画家の制作姿勢そのものが「○○技
法」という分類を、そもそも根本的に拒んでいる。たぶ
ん榎並さんにとって「技法」とは、絵を完成させるため
の手段ではなく、何かに到るための道程に他ならない。
 幾重にも絵具を塗り、滲ませ、かけ流し、たらし込み、
消しつぶし、また塗り込むという飽くなき作業の中で、
画家は来たるべき「何か」を探し、その何かが見えて来
る「時」を待つ。きっとそれが榎並さんの考える、「描
く」という行為なのだ。
 やがて「時」が来る。いつの間に天啓の如く「何か」
が画面へと降り立つ。ある時は修道士の姿を取り、ある
時は笛を吹く楽士となり、おそらくは作者自身も意識し
ないままに、それは茫洋と画面にその全容を現わす。
 画家自らに入れて頂いた、香り立つアールグレイをい
ただきながら、私は「表現」という言葉の持つ両義性を、
あらためて思い返していた。「表わす」事と「現れる」
事、つまりは「自己の」作用と「自己以外の」作用、そ
の両者が分かち難く一体となった所に、初めて真の「表
現」が成立するのではないだろうか。あらためてその制
作を省みた時、「自我の表出」という様な狭い範疇を超
えた、「表現」という言葉の広範な在り方を、榎並さん
はなんと明瞭に体現している事だろう。
 アトリエに立てられていた制作中の大作も、厚く幾重
にも塗られた地塗りの中から、まさに今何かが浮かび上
がらんとしていた。私にはそれが、何者かを真摯に希求
してやまない、画家自身の姿にも思えた。

 あれから早くも一年以上が経過して、その間榎並さん
とは昨年末に銀座の個展を訪ねた時以来、久しくお会い
出来ないでいるが、いよいよ当店の個展も目前となった。
 巷は「阿修羅展」の余熱冷めやらぬ間に、今月からは
「ゴーギャン展」が幕を開け、最高傑作の誉れ高いボス
トン美術館所蔵の名作が、本邦で初めて公開される事も
あり、やはり相当の混雑が予想される。南海の孤島にお
ける貧困と病苦の中で、死を賭して描いたとされるその
畢生の大作に、ご存じの如くゴーギャンはこう命名した。
「我々はどこから来たのか/我々は何者か/我々はどこ
へ行くのか」──思うに、不遇の大家が残したこの永遠
の問いかけは、現代の美術界に生きているだろうか。
 村上隆や奈良美智の活躍によって、近年の美術市場は
現代アート一色に塗り替えられた感があり、折からの中
国や韓国の美術投機ブームと相まって、実力も定かでは
ない若手の作家達が、一時は異常な脚光を浴びる状況と
なった。隣国の投機熱が低下すると共に、さすがに年端
も行かない学生作家の青田買い等は影を潜めつつあるが、
未だ市場では若手を優先する傾向が強い。
 むろん「若手作家」と一括りに論ずる事は、短絡に過
ぎるのかも知れないが、しかしそこにはやはり、ある共
通した傾向が散見される。まずは「発想の新奇」や「表
現の特異性」を狙う姿勢、それは元より若者の特質とも
言えようが、いつの間に現代は「アート」という軽い言
葉の下に、芸術表現の意味を履き違えてはいまいか。
 例えばジャコメッティという彫刻家がいて、周知の如
くかつてない斬新な形象を創り出したが、しかし彼は決
して新奇や特異性を求めて、あの独自のスタイルに到っ
た訳ではないだろう。一見どれも同じ様な鶏ガラの如き
人物像を、創っては壊し創っては壊し、呆れるほど執拗
に追い求めた真意は何だったのか、たぶん彼の心にあっ
たものは、たった一つの問いだけではなかったろうか。
「我々は何者か」、おそらくはそれだけを、創るという
行為を通して彼は知りたかったのだと思う。まずは「問
い」があった、やむにやまれぬ心底からの希求があった。
 優れた芸術表現の源泉には、常にその様な否応のない
衝動がある、それがあってこそ「斬新な発想」も「特異
な表現」も、豁然と生まれ得るのではないだろうか。
「私は何なのか?という問いかけは、複雑に絡み合った
糸を解きほぐすようなものだ。どんどんと下に降りて行
って、もうこれ以上行けないという所から眺めてみると
分かることもある。絵を描くとはそのための道具だ」、
今こうして榎並さんの言葉を省みた時、幾重にも絵具を
塗り重ねるその制作の意義も、ここにある事が分かる。
「こたえてください」「おおいなるもの」「いのりのか
たち」──これらの美しい言葉は、榎並さんが自らの作
品に冠したタイトルだが、これだけでも作者の想いは伝
わるだろう。それはあの始原の問いを、静かに深く希求
する人の、思索の果てに涌き上がる言葉だから。
 思えばゴーギャンもジャコメッティも、「答え」を残
してはいない。彼らは「問い」だけを残した。だから後
世の私達は、その絵を見る度に問いかけられる、「我々
はどこから来たのか」と。答えられない私達は、何者か
を仰いで呼びかける──こたえてください──、それで
もその問いの先には、底知れぬ沈黙があるだけだ。
 答えざる者への呼びかけは、いつしか祈りとなるだろ
う。元来「祈り」とは、大いなる者への呼びかけであっ
たのか。気がつけば私達は榎並さんの絵に、深い祈りの
響きを聞いている。そしてその作品に見入る時、人は画
家の内なる異郷で、遥かな巡礼へと旅立つのだ。旅人は
やはり問うだろう、「我々はどこへ行くのか」と。やが
てあのいにしえのイコン達は、沈黙の答えを語り始める。(終)

まれびとさん・個展随想
ゴムログ
http://www.geocities.jp/marebit/Gomkeshi.html
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2003 7/19 gomu35「あそびをせんと3」
その男の顔は黒くつぶれ、ひしゃげていた。小さな二本の足がすっくと地面に降りていた。片方の手が、“定からぬ”といったふうに宙に持ち上げられ、指をひろげている。だがその姿は、岩から滲み出たシミのようにも見えるし、砂漠に焼きつけられた影のようにも見える。「こたえてください」とは、その作品に付された素朴なタイトルだが、答えはどこにもなかった。凝(じ)っと見つめていると、男の姿はまぼろしのようにかき消え、キャンバスにつめこまれた無数の鉱物の粒子がただ悲しみ、きらきらと無辺の光を乱反射させているように見えてくるのだ。

 木曜。チビの装具の手直しのために車で大阪へ出たついでに、神戸まで足を伸ばしてはるさんの個展を覗いてきた。私が絵を見ている間、奥さんがチビと遊んでくれた。4時頃に画廊に入って、6時前に辞した。はじめてお会いしたはるさんとは何やら言葉を交わした気がするが、話したかったたくさんのことは後から思い出した。
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2004 7/25 gomu40「こしかたのき3」
 限りなく抽象でいながら、限りなく具象に近い。
 おずおずと打ち叩いた原初の音のカケラのようにも聞こえるし、弥勒の世に到来する未来の響きのようにも聞こえる。
 会場で流れていたきらきらと跳ね踊る光の粒のようなピアノ・ソロがセロニアス・モンクの演奏だと聞かされて、私は軽い衝撃を覚えたのだった。

 ところで“風の化石”とは言い得て妙である。
 風が化石になる筈がない。なる筈はないのだが、ひょっとして太古の昔にそのような奇蹟があったのかもしれないし、いまもどこかでそんなことは起こり得るのかも知れない。

 作品も、そんな音楽やタイトルと照応している。

 幾千年の波と風に晒された乾いた黄土質の地層のような画布に、しろい、淋しい人形(ひとがた)がまぼろしのように浮かびあがって見える。
 その人は、いま生まれ出るようで、すでに過ぎ去っていた。過ぎ去ることを潔しとしていた。
 さみしい黄土質の地層と風のような流砂にいまにもかき消されようとしていながら、人は、微笑んでいた。

 私はその絵と共に在りたいと思った。
 その絵と共に生き続けたいと願ったのだった。

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2006 7/20gomu47「色はにほへと2」
はるさんの個展(榎並和春個展・神戸「色はにほへと2」)は2年ぶりだ。6時に画廊を仕舞い、二人で以前入ったイタリアンの店に移った。「角笛」と題された絵があった。道化師のような顔をした男がうつむいて角笛を吹いている。この男の奏でる音に耳を傾ける者は誰もいないのだろうと思った。(おそらく)世間から見捨てられた男はひとり、あえかな、ささやきのような音を奏でる。わたしはその音色を空想してみた。すると宮沢賢治の「告別」という詩が浮かんできた。そんな音を、この男の角笛は奏でているに違いない。私はその音色に耳をすました。さみしさの原石のような調べ。誰もがたったひとりで死んでいくのだが、誰もが最後に何かを伝えたいと願っている。それは神でもいい、一本の草木でもいい、愛する者でもいい。個の記憶はいつか消滅していくが、死にゆく前に、わたしは大いなる記憶とこのちっぽけで儚い己をリンクさせたいのだ。おそらく、わたしの願いとはそのようなものだ。個の記憶など過ぎ去ってしまってよい。もろもろの事象は流れてゆけばよい。わたしと子が微笑みあった記憶は、河原の石のはざまに溶け込む泡沫のように大いなる流れに呑み込まれてゆく。それでいい。流れを間違えなければ、あとはこの身を委ねるだけだ。そうであるなら、この底なしのさみしさも泡沫が思わず漏らす溜息のようなものだ。ワインの貯蔵庫のような薄暗い地下の店を出たのは9時頃だった。会話はワインのようだった。おぼろで、夢見心地で、他愛ない。それもまた、やがて大いなる流れに溶けこんでゆく泡沫だ。それもいい。きっと、すべてがよい。奈良に帰り着いたのは11時過ぎだ。駅からのどしゃ降りの夜道をモリスンの幸福なカントリー・ソングを聴きながら歩いた。 
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2007 2/1 log50「かぜのおとづれ3」
はるさんの絵は中世の写本に描かれた聖書の挿絵のようだ。白いキャンバスではなく地下のカタコンベの鈍色の岩盤層から人物は浮き上がって見える。その誰もが古いドラマを隠し持っている。首のひしゃげたヴァイオリン弾きがいる。燃えるような瞳の家畜を連れて砂上に立ち尽くす少年がいる。楽屋裏で復活の舞台を目論んでいる老いたピエロがいる。この世の果ての通奏低音のような角笛を吹くさみしい黒マントの男がいる。ときに岩盤から浸み出した地下水が涙のように漏れ伝う。どれもこのやくざな心根に馴染んで近しい。ひとつだけ心に引っかかって解けない謎のような絵があった。「道化・あそびをせんと」と題された一枚だ。「これがいちばんいいですね」と画家に言った。産み立ての卵の黄身のような朱の中に道化姿の人物が佇んでいる。その絵の前に立つと、未完成のパズルのピースのような断片が顕れては消え顕れては消え、定まらない。「これはいまのスタイルが固まり始めた原初の溶岩のはしくれ」と画家は教えてくれた。
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2009 1/22 gomu61「いつかみたところ2」
 寝袋持参・泊り込みで現場指導へ行った明けの帰り、大阪に立ち寄って、阪急梅田の百貨店で個展を開いているはるさんの絵に会いに行った。古代の地層のような洞窟の暗がりの濡れた岩盤のようなキャンバスに、鉱物の来歴を物語るために湧き出て来たかのようなさまざまな人物たちがいた。縄文のビーナスのような太った女もいれば、一輪車の上の危ういバランスを保っている道化師もいる。楽器を奏でる孤独な漂泊者もあれば、眠っているようなインカの少女たちのミイラもある。いちばん大きなキャンバスの中央には、染みのような放射能で焼きついたヒトガタのような妙に背の高い人物が浮き出ている。画家はさいしょ、ここにはマリア様を描いたのだと教えてくれた。けれど明確なマリア像がしっくりとこなかったので削り落としていった。するとこんなふうになった。ある老人の客は仏様だと言った。画家は天を見上げる男性だと言う。わたしにはどう眺めてもうつむいた優しげな女性にしか見えない。つまり、ひとはきっと、作品の中にじぶんの心のかたちを見つけるのだ。はるさんの絵の描き方は一風変わっている。キャンバスの上に粗布や絵の具や木片や襤褸切れなどを塗りこめて、それらを削り、また塗りこみ、また削り、その果てしない繰り返し(格闘)のうちにキャンバスの中からやがて何かの形らしいものがぼんやりと見えてくる。まるでハレの日にいずこより訪れるまろうど(客人)のようだ。世界にはそのようにしか得ることのできないものがある。じぶんを削り落としていきながら、最後には、受け取るための手を差し出すだけでいい。気がつけば、それは手のひらに、乗っている。はるさんの絵は、自転車を颯爽と乗り回す人物も、楽器を抱いた楽師も、互いに寄り添う人物も、樹や白壁や窓、緑や真紅や金色の顔料さえも、すべては祈りのかたちなのだと思う。祈る、その始原の場所をさがしているもとめている絵だ。「こたえてください」のタイトルも画題も、それを端的に顕している。ひとは画家の絵を見つめながら、知らぬうちにじぶんの祈りのかたちを探し始めて、ときにもがく。その日、わたしはついに祈りのかたちを見つけられなかった。夜、家に帰ってからネットで見つけたガザの空爆で死んだ子どもたちのむごたらしい写真を子に見せた。子は思わず顔をそむけた。彼女には大きな負担だったかも知れない。それでもわたしは堰を切ったダムの水のように、風呂の中で、布団の中で、子に、ユダヤ人の歴史からアウシュビッツの惨劇、そしてイスラエルの建国、パレスチナの長くいまだ終わることのない絶望の風景を深夜の11時まで喋りつづけ、日頃就寝が遅いことを気に病んでいる彼女の母親にひどく叱られた。どうしたらいいの? と訊いてくる子にわたしは、どうしたらいいか分らない、としか答えられなかった。「こたえてください」とは、天に唾するようなものだ。それでもひとは祈る。所詮、祈りつづける。

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                         資料など                    

*展覧会図録

  「第5回上野の森美術館絵画大賞展」 上野の森美術館 '87 93 94 97 98

  「山梨美術協会 創立50周年記念展」   山梨県立美術館 '87 92 97

  「’87油絵大賞展」        東京セントラル美術館 '87 89 93

  「第3回新人選抜展」       山梨県立美術館 '88 90 92 94 96 98

  「第6回伊藤廉記念賞展」        名古屋日動画廊 '89 90 91 92

  「第1回林武賞展」         東京セントラル美術館 '92

  「第2回JAPAN大賞展」         洋協アートホール '92

  「第1回小磯良平大賞展」               小磯記念館 '92

  「印象・神戸展」              神戸市立博物館 '93

  「第29回昭和会展」               銀座日動画廊 '94 95

  「第68回国画会展 図録」     東京都美術館 '94 95.96.97.98.99.00

*刊行物

  「協会賞に榎並さん」           山梨日日新聞 1980 6 30

  「山梨美術協会展始まる」          山梨日日新聞 1980  7  4

  「意欲作目立つ 「我の会」6回展」     山梨日日新聞 1982  8 16

  「榎並和春さん個展」            山梨日日新聞 1983  7 22

  「春の公募展から」 光風会展評         朝日新聞    1985  4 17

  「芸術祭賞に榎並和春さん」         山梨日日新聞 1986 10 11

  「源氏絵巻の華麗さ表現」         山梨日日新聞 1986 10 14

  「2079MM展」             朝日新聞    1987  5  3

  「18日から大賞展 東京セントラル美術館」 山梨日日新聞 1987  8 11

  「模索重ねる五人の世界 2079MM展」  山梨日日新聞 1988  5 21

  「榎並和春個展」              朝日新聞    1988 10  6

  「榎並さんが個展」            山梨日日新聞 1988 10 27

  「東京・銀座で初の個展」           山梨新報 1988 10 29

  「東京・銀座で個展」           山梨日日新聞 1988 11  9

  「銀座・中央画廊で個展」           山梨新報 1989 10 21

  「読者のページ この一点」        読売新聞 山 1990 1 13

  「榎並さんが銀座で三回目の個展」        山梨新報 1990 11  3

  「音楽テーマにきょうから個展」       山梨日日新聞 1990 11  5

  「榎並和春個展」              産経新聞 山 1990 11  8

  「榎並和春個展 若い音楽家」        毎日新聞 山 1990 11 16

  「イベントがいど 榎並和春展」       読売新聞 山 1990 11 17

  「大作20点を一堂に 第1回SQUARE展」  山梨新報 1991  4 29

  「県内若手が意欲作 スクエア展・ニューアート展山梨日日新聞1991  5  4

  「榎並和春氏が東京で個展」         山梨日日新聞 1991 11  1

  「榎並和春個展」                山梨新報 1991 11  9

  「榎並和春個展」             朝日新聞 山 1991 11 15

  「甲府市の榎並さんが銀座で四回目の個展」    山梨新報 1991 11 19

  「キラリ輝く新鮮な感性 第5回県新人選抜展」山梨日日新聞 1992  2 21

  「県新人選抜展 受賞作家に聞く」      山梨日日新聞 1992  2 25

  「第2回JAPAN大賞展          全日本美術 1992 4 10

  「東京都美術館便り 第66回国展」     月刊美術の窓 1992 6 p246

  「榎並和春個展 ’92夏の思いで」      山梨新報 1992 10 31

  「榎並和春展」              月刊美術の窓 1992 11p153

  「銀座で榎並和春展 新作油彩画を展示」   山梨日日新聞 1992 11  2

  「榎並和春個展」             朝日新聞 山 1992 11 20

  「甲府の榎並さん入選 小磯良平大賞展」   読売新聞 山 1992 11  4

  「井上、榎並さんに授与 甲府市市民文化奨励賞」読売新聞 山 1992 11  5

  「井上、榎並さんが受賞 市民文化奨励賞」 山梨日日新聞 1992 11 19

  「平成4年度 新収蔵品展」     山梨県立美術館報 1993 1  8

  「榎並さんが新人賞 国展・絵画部門」    山梨日日新聞 1993  4 22

  「この人と「人間の理想郷」を描き環境問題を提起」山梨新報 1993 4 24

  「春の団体展から 国展          赤旗新聞 全 1993 4 30

  「近況 理想郷像を追求」         山梨日日新聞 1993 5  5

  「気鋭の美 芸術家素描」          ザ・ヤマナシ 1993 5

  「東京都美術館便り 第67回国展」     月刊美術の窓 1993  6p276

  「大賞に榎並さん 神戸のイメージ絵画展」  読売新聞 神 1993 9

  「印象神戸絵画展で榎並和春氏が大賞」   山梨日日新聞 1993 9 25

  「印象神戸絵画展 神戸市立博物館で開催される」  月刊神戸っ子 1993 10p63

  「印象神戸絵画展 入賞作品が決定      新美術新聞 1993 10 11

  「ギャラリー 榎並和春個展」          山梨新報 1993 11  6

  「榎並和春個展 詩情あふれる表現」    読売新聞 山 1993 11 18

  「デジャ・ビュー テーマに個展」     山梨日日新聞 1993 11 19

  「榎並和春個展 ギャラリーおおくぼ    朝日新聞 山 1993 11 19

  「榎並和春展 方舟 理想郷テー     月刊ギャラリー 1993 12p34

  「話題の展覧会 榎並和春展」       月刊美術の窓 1993 12p107

  「榎並和春氏が出展 国画会受賞作家展 昭和会展」 山梨日日新聞 1994 1 22

  「’93年 下半期の美術 印象神戸絵画展大賞」  月刊美術の窓 1994 3p36

  「東京都美術館便り 国展評」      月刊美術の窓 1994 7p302

  「榎並和春個展 画家の思い表す20点」  読売新聞 山 1994 11 10

  「榎並和春個展」               山梨新報 1994 11 12

  「ホームレス テーマに個展」       山梨日日新聞 1994 11 12

  「榎並和春展 人はどこから来て、どこへ行くのか」 朝日新聞 全 1994 12  8

  「榎並和春氏が東京で個展」         山梨日日新聞 1994 12  9

  「話題の展覧会 榎並和春個展」      月刊美術の窓 1994 12p166

  「保坂、榎並さんを助成 大木美術作家基金」山梨日日新聞 1995 3 31

  「文化さんぽ道 榎並和春 (記念日)」 山梨 県政だより 1995 4

  In mostra le opere di Kazuharu Enami   ラ・ナツォナーレ 1995 11 14

  「近況 いやされる絵を」          山梨日日新聞 1996  4  4

  「甲府の榎並さんイタリアのスケッチ展」  読売新聞 山 1996  5 16

  「伊のスケッチ並ぶ」           山梨日日新聞 1996 5 17

  「東京都美術館便り 国展評」      月刊美術の窓 1996 7p245

  「こころのかたち 榎並和春個展」  海文堂画廊 画廊通信 1997 8

  「話題の展覧会 榎並和春個展」     月刊美術の窓 1997 8p206

  「文化 榎並和春氏が三都市で個展」    山梨日日新聞 1997 8 15

  「ギャラリー案内 榎並和春個展から」     神戸新聞 1997 8 15

  「放たれる 感性の波」          山梨日日新聞 1998 6 30

  「東京都美術館便り 国展評」  月刊美術の窓 1998 7p206

   「展覧会スポット 個展案内」」     月間ギャラリー 1999 12 p35

   「展覧会情報・榎並和春個展 」    月間美術 1999 12月号 p211
          12/12〜18 銀座・ギャラリー惣

   「ぼくの空想コレクション259」     月間美術 2000 3月号 p116〜117

   「東京都美術館便り 国展評」月刊美術の窓  2000 7月号 p153
 
        「いのりのかたち5」

   「話題の展覧会・榎並和春展」    月刊美術の窓 2000 12 p148
          12/15〜12/21銀座・ギャラリー惣

   「展覧会スポット 個展案内」        月間ギャラリー 2000 12 p40
          「どこにゆくのか」 12/15〜21銀座・ギャラリー惣

   「2002 12 「月刊ギャラリー12月号p 」
             (アーチィストクローズアップ94)月間ギャラリー 2002 12

   「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓  2003 7月号 p231
          「麒麟」

   「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓  2004 7月号 p321
          「こたえてください」

   「話題の展覧会・榎並和春展」   月刊美術の窓 2004 8 p242
          「こしかたのき3」 神戸ギャラリールポール 7/22〜27

   「東京都美術館便り 国展評」   月刊美術の窓  2006 7月号 
          「かぜのおとづれ」

   「人物画が上手くなる」技法講座9 月刊美術の窓 2008 6 p21〜23 p36
                                  

   「東京都美術館便り 国展評」 月刊美術の窓  2008 7月号p56、p251
           「旅芸人」

   「展覧会レビュー 榎並和春展」   月間美術の窓  2008 1月「p155
          「いつかみたところ」銀座・ギャラリー惣

その他 挿絵 装画など

  新春小説 佳作「乾杯、シベリア三人の捕虜 山梨日日新聞 1988 1  4

  土曜文化 「赤い水玉模様」        山梨日日新聞 1989 7  8

  新春小説 佳作「コロンボがゆく」 小畑 賢次 作 山梨日日新聞 1993 1  5

  新春小説 佳作「旅立ちへのプロローグ」時任マリ作 山梨日日新聞 1994 1  4

  「華の宴」 装画及び挿絵  伊吹 知佐子 著 審美社 1994 

  第2回やまなし文学賞佳作小説「伝璽郎の鱗」 山梨日日新聞 1994 8/4

                   市原 千尋 作     10/5まで

  新春小説 佳作「生きているクラゲ」雨宮 秀樹 作 山梨日日新聞 1995 1  4

  新春小説 佳作「恋心」      芦沢 武  作 山梨日日新聞 1997 1  4

  新春小説 佳作「風を感じて」   芦沢 武  作 山梨日日新聞 1998 1  4

  機関紙「山梨教育」第20号 装画       山梨県連合教育会 1998 3

  「ガーデン」レコードジャケット  坂田 久  作      1998

  「扉の前」 装画        伊吹 知佐子 著 1998 7  9

    「メモリー」 装画             河原治夫 著  1999 審美社
    「青春グラフィティ」装画         依田茂夫 著  2002