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絵描きのぼやき

8月31日 (土)

はる 6694
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更新時間 : 19:42:03

8月30日 (金)

はる 6693
 イタリアも自慢できるような政治じゃないけど、庶民の住空間の充実ぶりというのは全く驚くなぁ、生活の重点の置き方がちがうのだろうけれど、それでも普通の人たちが羨ましい様な住環境に住んでいる。国土が狭いとか何とかいうけれど、それだけじゃないね。日常生活がじつに豊かだ。食べ物や交通手段は日本と比べると随分と安いし、年金制度も日本よりいい。

 どうもな俺たちは体よく騙されているという気がする。例えば普通に就職して結婚して家庭を持つと第一にマイホーム、次に子供たちの教育だ。これを担保に取られるからせっせと働かざるを得なくなるんだな。政治が何だかんだいっても、これを担保に取られると全て現状維持しか方法がなくなる。お屋形様には逆らえない。従順な働き蜂をやるしかなくなるんだな。

しかし、何回もいうけど普通に仕事して一生働いたら、結婚して家庭を持って何人かの子供を育てて、そこそこの家がもてて、年一回は家族を連れて長いバカンスにでる。そのくらいの余裕がない人生なんて生きている価値がないのじゃないのか。こういえばそれはごく限られた一部の人たちだけだよというかもしれん。でもそうじゃないのじゃないか。本当は一部の限られた人たちが富を独占しているから、我々庶民が普通に暮らせていないのではないか。

 そのカラクリに気付かないように、今の政治は嘘八百をならびたてて適当なこといって我々からなけなしのお金を搾り取っている。「生かさぬように、死なぬように」これがお上の政策の昔からの大原則だ。儲かっているところからたくさん取れといったらABは「それは間違った政策ですよ」とドギマギしてたけど、あれは本当のことを突かれたからだね。

 もう一度いうけれど、お上は庶民の味方を語っているけれど、未だかつて庶民の味方になったお上は一度もない。彼らは「今だけ、自分だけ、お金だけ」しか考えていないと心得るべきだ。ごく一部の裕福層だけの優遇処置を撤廃して、少なくとも普通に働けば、家庭を持って、子育てして、家が持てるようにするべきだ。国民を疲弊させといて戦争準備などもってのほかだ。何考えとんじゃ。



更新時間 : 20:24:48

8月29日 (木)

はる 6692
2019「護符またはお守り」SM部分 混成技法
未発表
・・・・・・・
 個展の絵は小品がほとんどだ。観た人が飽きないようにできるだけ色んなバリエーションを出せるように無い知恵を絞るのだけれど、それはそれ私という人間は極普通の人間で、一年やそこらでそれほど大きく変わることはない。それでもよく見ると少しずつ変化しているのが分かる。

 私の中でお守りとか、護符のようなものは幾度となく出てくる。特に意識して描いている訳ではないのだが、いたずら書きしている間に何気なくそんなものになる。私の中ではたぶんそういったモノへの憧れのようなものがあるのだと思うな。

小学校に上がる前の頃だったな。いつも行く駄菓子屋でチューインガムを買った。それは当たり券付きで、当たるともう一つもらえるおまけがついていた。その時は外れ券でとても悔しい想いをしたんだな。何気にお店の中を観ると誰もいなかったので、思わず手が伸びてホケットの中に入れて、急いでお店をでた。

 まぁ後悔したこと。人様のものを盗んでしまった。たぶんこのままでは私はとんでもない悪人になるのではないか、と子供心に思ったんだな。どうすればいいのか。

 私は小さなお守りに願をかけていつも持ち歩くことにした。その後そんなことは忘れてしまったから、悪人にはなったが、盗人にならずに済んだ。



更新時間 : 21:13:23

8月28日 (水)

はる 6691
  日韓もう滅茶苦茶。どこに着地点があるんだろう。せっかく韓流文化で嫌韓感情も癒えていたのに、ここにきて最悪。あっちが悪いこっちが悪いって言ってたんじゃ収まらんわな。元々あの彫刻はアート作品としては鑑賞に耐える作品じゃないけどな。そういう問題じゃない。仮想敵国つくって憲法改正をもくろんでいるんだと思うけど、そうやって内政の失敗を誤魔化しいるんだな。オリンピックも経費が掛かりすぎてその後が心配だわな。消費税10%になって実質賃金値下がりだよ。超不景気になって暴落するんじゃないかと心配してる。

更新時間 : 21:51:50

8月27日 (火)

はる 6690
 クロッキーも下手なりに長年やっているとそれなりのものをつかむことが出来る。これは「私はこう見ました」という報告なんですね。だから例えば写真をみて寸分たがわず描いたとしても、その人の解釈が入らなければ、絵ではあるけれど絵ではないのっぺらぼうの案山子のようで気持ち悪いものです。そのことは誰も教えてはくれないけれど、とても大事なことですね。こんな何でもないクロッキーにも表現の醍醐味が隠れているんですね。

更新時間 : 22:26:12

8月26日 (月)

はる 6689
 明日は仕事だ。憂鬱

更新時間 : 18:45:23

8月25日 (日)

はる 6688
 クロッキーだった。

更新時間 : 18:44:55

8月24日 (土)

はる 6687
 2019「ひぐらしのなく頃」F6部分 No未定 混成技法
未完
・・・・・
 未だ絵描きというのが良くわからないのだけれど、女性作家であろうと男性であろうと作家を続けるのはけっこう難しいね。

 どういう作家になりたいのかというのが大事だな。社会的に問題作をいつも発表して美術館とかに企画として参加したり呼ばれたりする、そういったまぁメジャーなアーティストになりたいのか、もっとこう個人的な関わりのなかで有名ではないけれど必要とされる作家になりたいのか。まぁ、必要であれば世界が放って置かないだろうけれどね。

 この間ボルタンスキーのカタログを読んでいたらこんなことが書かれていた。引用するのもおこがましいけれど(ボルタンスキー・カタログ P96〜)

 「アートはこれぞ大作といったモノを創造するのではなく、・・・不滅の芸術作品といった考え方はいらない」・・・アーティストは、街から街へと巡回して「小さな共同体に働きかける説教師のようなもので、人々と交流し、その心に触れ、そしていくつかを問いかける」のが役目だ・・・問いかけるといっても、作家本人が「説教師」として正しい答えを持っている訳ではもちろんない。彼が狙っているのは、新たな理想や表現の独創性を観客の前に誇示するのではなく、観客自身に揺さぶりをかけて、たとえばその生と死をめぐる潜在的な想いや感情を、知らないうちに封印していた痛みや悲しみを、明るみに引き出すことにある。
 
 私はこの彼の考え方に深く共感する。私は極マイナーな一地方の作家だけれど、どさまわりの演歌歌手のように地方を順繰りにまわって、観た人が自分の心の中を旅するきっかけとなればそれで本望だ。そうやって一生を過ごせればいいなと思う。



更新時間 : 20:15:17

8月23日 (金)

はる 6686
  イタリア旅行記 2 フィレンツェ
フイレンツェの街は京都に似ている。五感としてまず同じ匂いがするそう思うのは私だけかな。色んな観光客がごった返していて混沌としている所も似ている。

 個人旅行の場合、新しい町に着くとまず最初に宿泊場所を探すことから始まる。すんなり簡単に見つかる場合もあるけれど、異国の場合住所だけで探すのはなかなか難しい。今回はホテルではなくB&B(民泊)だったので、大きく看板が上がっている訳ではないのでなお難しかった。

 ご存知のように西欧は石造りの大きなアパートのようになっている。通りに面している間口には小さなそして頑丈な扉がついている。町屋と違うのは家が縦に並んでいるところだろうか。

 それ故にまず通りに面している扉のインターホンで到来を告げることで扉を開けてもらう。すんなりとコンタクトがとれればいいのだが、何かの都合で留守にしていることもあるのだな。

 ホテルと決定的に違うのは、フロントがあって常駐のホテルマンがいてチェックインするわけではないというところだ。インターホンで部屋番号を告げられて入室は完了する(キーは部屋の中にある)のだが、翌朝までオーナーに会う事はなかった。何だか騙されたような不安が伴う。料金は安くて部屋もきれいで大きく快適だったので慣れると便利かもね。

  今回泊めてもらったB&Bから大聖堂を探して歩いていったのだが、周りの路肩は立錐の余地がないぐらいに出店が並んでいてバザールのような活気を呈している。まぁそんな混沌とした下町を10分ほど歩いて抜けると、いきなり目の前に大聖堂が表れた。

 以前25年前はもっと真っ黒だったな。たぶん大がかりな洗い流しの最中ではなかったかな。綺麗に洗われた花の大聖堂は45年ぶりということになる。色々な大聖堂もみたけれど、やっぱり「花の大聖堂」をまじかに観ると感動する。

 今回はウフィツィ美術館には寄らなかった。長蛇の列に嫌気がさしたという事もあるけれど、教科書に載っているような絵を観て時間をつぶすより町を歩いて、適当な教会にでも入った方が面白いと思った。窓から見る風景は何処も素晴らしかった。これは窓枠に切り取られた一枚の絵のようなものだ。

 二泊三日の短い旅だったが、忘れていたことを思い出すにはちょうどいい時間だったように思う。また会えるかな。


更新時間 : 21:24:06

8月22日 (木)

はる 6685
 覚え書き 今の与党は何も怖くないだろうな。過半数どころか三分の二近くの議席をとっているんだもの。審議なんてまどろっこしいことは極力避けて、すぐに採決すればみんな通ってしまう。野党などどれだけ集まっても屁でもない。水源地も種子も水道水もみんな金に換えて今が良ければ後の事はしらないさ。年金なんてあてにする方がオカシイのだ。体のいいねずみ講だもの、だんだん支払いを延ばして行ければだれももらえないさ。大嘘ついてオリンピックを誘致したのもゼネコンをもうけさせるためさ。なんたって大企業にはお世話になっているものな。国民何て適当なうそで誤魔化せばいつかは諦めて家と教育を担保にとっていればしっかりはたらいてくれるさ。大事なのは自分の取り巻きと身内さ。そりゃそうだよ、もともと爺さんたちが操っていた国だもの、その子孫が好き勝手にやって当然だよ。毒くわば皿まで、このままどんどん突っ走って日本をどん底におとしめるさ。その時は自分たちはこの国にはいないからどうでもいいのさ。

更新時間 : 20:51:42

8月21日 (水)

はる 6684
さて、日常に戻りますと個展が控えておりました。今年は旅行の計画がありましたのでDMをかなり早くに用意しました。九月の半ばに郵送いたします。
DM希望は下記まで
http://form1.fc2.com/form/?id=7f409aaa743b035e

更新時間 : 21:08:14

8月20日 (火)

はる 6683
  例えば、私が国の最高権力者で「今だけ、自分だけ、お金だけ」と考えるひとだったら、まず最初に目の上のたんこぶ(憲法)を変えようと思うだろう。国民に主権が有るのは気にいらない。一番大事なのは自分を含めた身内だものな、それ以外は自分に奉仕する奴隷みたいなものだ。出来るだけ何事も考えないで、家や教育を担保にとって安い労働力を提供して欲しい。それが幸せなんだと思わせることが大事だ。

 反対に「この国に生きる人たちのためになりたい」と考えるひとだったらどうするかな。まず少子化対策だな。どんな形であれ子供たちを守るこれだな。安富さんみたいだけど。安心して子育て出来る、教育には惜しみなく予算をつける。未来の人材に投資する。10年20年先を考えて今やるべきことをやる。もっといろいろあるけど、まず考えついたのがこれだな。

 さて自分が権力を持ったらと考えるのは、実際に権力を持った人がどうするのか考える一つの目安になるだろう。



更新時間 : 22:13:30

8月19日 (月)

はる 6682
 旅のスケッチ帳・イタリア10 おしまい 7/29まで
パルレモ・マッシモ劇場、オリヴェッラ教会 
モンテフィアスコーネ・S FLAVIANO教会(ロマネスク ゴシック様式教会)
天空の都市・CIVITA遠望

更新時間 : 21:33:39

8月18日 (日)

はる 6682
 フィレンツェの花の大聖堂・ジョットの鐘楼の鐘の音 2019/7/17午後六時

更新時間 : 23:04:30

8月17日 (土)

はる 6681
タリア旅行記 
 イタリアは二十年ぶりに来た。海外旅行そのものも大病以後躊躇していた。飛行機に乗って狭いエコノミーで15時間もの苦行に耐えることが出来るのか、着いたはいいけれどそこから一歩も外に出られないのじゃ旅行に出た意味もない。そんなことが頭の中を行ったり来たりして二十年が過ぎてしまった。

 さて、「案ずるより産むがやすし」とはよく言ったもので、飛行機に乗れば乗ったで、映画を観たり本を読んだり、また食事の来るのを楽しみにしている自分がいた。流石に15時間は長かったけれどね。

 今話題のホルムズ海峡のそばのドバイを経由してイタリアフィミチーノ空港に到着。この国際空港の雑踏も何だか懐かしい。あぁ自分は今旅に出ているんだという気にさせてくれる。

 今回の旅で是非行きたかったところはイタリアの地図で言えばブーツのつま先で今にも蹴飛ばされそうなシチリア島だ。よく言われるようにイタリアは南部と北部はまるで違う、お金持ちの北とよく言えば伝統的なイタリアっぽさの残っている、まぁ簡単に言えばアバウトな南という対比だな。

 もう一つは映画「ニューシネマパラダイス」のトルナトーレ監督の出身地だということだな。この映画は興味がない人には申し訳ありませんが、私にとっては五本の指に入る名作ですね。是非観て欲しい映画なんですが、まぁ監督の自叙伝にちかい話ですね。戦前のイタリアの片田舎の映画し娯楽がなかった時代の話なんですよ。映画の話はまたの機会に。

 さて、シチリア最大の都市パルレモにそんな鄙びた田舎を想像していた私は歴史を知らない大ばか者だな。パルレモの駅に着いて、まずその町の大きさにびっくりした。そして建物のデカい事、古い事に驚く。当たり前だなこの都市は紀元前から色んな民族が争って鍛えられた町だったんだな。ギリシャ、イスラム、アラブそしてローマ。それらすべてがミックスされてふるいに掛けられてできた町がパルレモだったんですね。

 ちょっと不便なところですが、シチリアは本土にはないイタリアっぽさがあります。機会があれば是非訪れる候補に入れてください。その際充分に歴史を勉強してから行かれることをお勧めします。


更新時間 : 20:22:20

8月16日 (金)

はる 6680
旅のスケッチ帳・イタリア9  7/25、26
パレルモ・ヴェルディ広場のベンチ、ジェラートを食べる人、マッシモ劇場、ポリテアーナ劇場前の彫刻、ポリテアーナ劇場
・・・・・・・・・・・
いよいよ午後にはパルレモをあとにします。(7/26現在)
シチリアを旅しようと考えたのは、映画「ニューシネマパラダイス」のロケ地があるということからだ。もっとも今回は行くことが出来なかったのだが、あの映画をご覧になった方はたぶん鄙びた田舎町を想像するだろう。わたしもそうだった。認識不足と言われればその通りなのですが。
 現実のパルレモはフレンツェを10倍くらい大きく活気的にした大都会だった。人々は忙しそうに働いていたし、太陽は遠慮なく降り注いでいた。東京と違うのはその町は千五百年は経っているという事だ。これって思っている以上に凄い事だ。

更新時間 : 22:10:40

8月15日 (木)

はる 6679
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更新時間 : 20:16:43

8月14日 (水)

はる 6678
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更新時間 : 21:18:09

8月13日 (火)

はる 6677
知らなかったのだがパルレモは物凄く大きなそして古代の町だな。ギリシャ、ローマ、アラブ、イスラム色んな要素がミックスされた。とんでもなく混沌とした、活気のある街だった。


更新時間 : 21:00:09

8月12日 (月)

はる 6676
 旅の動画・旅の動画・イタリア3 Brolo駅の鉄道 7/24
・・・・・・・・
タオルミーナからシチリア最大の都市パルレモまで海岸線をゆっくり鉄道で旅したい。ということで探してもらったが、直通の電車がない。まずメッシーナまでいってそこで乗り換える。途中バスに乗り換えてまたBrolo駅で鉄道に乗り換えてと、三回の乗り換えで4時間かけてパルレモに着いた。まぁそれでもシチリアの鄙びた海岸線をゆっくり走る鉄道の旅は、今回の旅のメインイベントで記憶に残るものだった。

更新時間 : 20:50:13

8月11日 (日)

はる 6675
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更新時間 : 21:18:50

8月10日 (土)

はる 6674
まず光が日本とは違う。西洋画の明暗法はこんな光の違いから出てきたのだろうな。

 移動式の回転木馬はヨーロッパの広場などでよく見る。これもその一つだろう。日本の遊園地にあるものは似ているが違うもののように思う。

 例えばイコンは祈りのための物であって教会や修道院にあってはじめて意味がある。どんなに素晴らしいものでもそれを切り取って美術館や博物館に閉じ込めてしまえばそれは本来の意味を持たない張りぼてに過ぎない。

 よく西洋の名画が日本に巡回して来るが、教養として名画を鑑賞しても半分も理解したことにはならないのではないかと思うな。

 回転木馬も遊園地にあるのはまた違うモノだ。本来はこうやって移動されて街中の広場にあるものではないかな。それでこそ生きた回転木馬だという気がする。

 最後に雑踏の中を本物の馬が馬車をひいて通り過ぎて行く。そんな偶然も面白い。

更新時間 : 19:33:36

8月9日 (金)

はる 6673
  そう今から45年まえ、学生のツアーでヨーロッパをバスで巡った。連れて行ったもらった旅はどこを巡ったのかよく覚えていないのだが、フィレンツェのベッキオ橋の夕陽ははっきり記憶に残っている。確かにここからの日の入は印象的だ。

 今回泊めてもらったBBからそれらしき方向に歩いていったのだが、周りの路肩は立錐の余地がないぐらいに出店が並んでいてバザールのような活気を呈している。まぁそんな混沌とした下町を10分ほど歩いて抜けると、いきなり目の前に大聖堂が表れた。

 以前25年前はもっと真っ黒だったな。たぶん大がかりな洗い流しの最中ではなかったかな。綺麗に洗われた花の大聖堂は45年ぶりということになる。色々な教会ドーもをみたけれど、やっぱりこれをまじかに観ると感動するな。

更新時間 : 20:32:59

8月8日 (木)

はる 6672
 旅のメモ帳・イタリア5 7/18まで
フィレンツェ・大聖堂、街中、レプッブリカ広場
・・・・・・
極小さいメモ帳(12x8cm)を今回は持ち歩いた。海外に出た場合これは結構便利だな。いらない時は後ろポケットにねじ込んでおいて、必要になればすぐに取り出すことが出来る。かさばらないので周囲を気にする必要がない。それからバスの時刻をひかえるとか、ホテルの場所を書いておくとか、色んな情報をメモすることが出来る。

更新時間 : 21:19:01

8月7日 (水)

はる 6671
 旅のメモ帳・イタリア4 7/18まで
アッシジ・セントキアラ教会祭壇、スペッロ、フランチェスコスコ教会
フィレンツェ・大聖堂、街中
・・・・・・・・・・
 フイレンツェの街は京都に似ている。五感としてまず同じ匂いがするそう思うのは私だけかな。色んな観光客がごった返していて混沌としている所も似ている。

 新しい町に来てまず一番最初に宿泊場所を探すことから始まる。すんなり簡単に見つかる場合もあるけれど、今回はホテルではなくBB(民泊)だったので、大きく看板が上がっている訳ではないので住所を頼りに探すのだが、これがなかなか難しい。

 ご存知のように西欧は石造りの大きなアパートのようになっている。通りに面している間口には小さなそして頑丈な扉がついている。町屋と違うのは家が縦に並んでいるところだろうか。

 それ故にまず通りに面している扉のインターホンで到来を告げることで扉を開けてもらう事から始まる。すんなりとコンタクトがとれればいいのだが、何かの都合で留守にしていることもあるのだな。

 ホテルと違うのは最初にチェックインするわけではない。部屋番号を告げられて入室は完了するのだが、翌朝までオーナーに会う事はなかった。何だか騙されたような不安が伴う。料金は安くて部屋もきれいで大きく快適だったので慣れると便利かもしれん。

 町の観光の話は次にしましょう。

更新時間 : 22:59:53

8月6日 (火)

はる 6670
 アッシジの近くのサンタマリアデランジェリ教会
 久しぶりのアッシジ。その下町にあるこの教会、訪れる人はそう多くはないけれど、今回の旅では初めての教会、その大きさと存在感に我を忘れてスケッチした。近くで見上げて描いたのであっちこっちに筆が飛んでいるけれど、かえってその方が臨場感があるな。今回のスケッチはゆっくり時間はかけない。兎に角現場で一本でも線を引くということを自分にかした。
 
 写真もたくさん撮ったけれど、振り返ってみて楽しいのはやっぱりその場で描いたスケッチだな。写真にはその感動の半分も伝わらない。頭にあったのは三岸節子や木村忠太のスケッチだ。形を写している訳ではないのに、形は半分つぶれているにもかかわらず魅力的なんだな。あんなスケッチが描けないモノか。


更新時間 : 22:41:57

8月5日 (月)

はる 6669
 旅スケッチをしたことがある人は分かると思うのだが、移動しながら絵を描くことはかなり根性がいる。まず一つは絵になるモチーフを見つけること、これがなかなか難しい。もう一つは特に連れがいる場合など一か所に5分ぐらいしかかけられない。時間をければいいものが描けるとは限らないのだけれどね。それと町中で人がたくさんいるところでスケッチブックを広げて絵を描くことは結構勇気がいるよ。

 今回のスケッチはほとんど1分から5分くらいしかけていない。そうだな、スケッチというよりクロッキーにちかい。落書きでいいから、たとえ一本の線でもいいから現場で引くことをこころがけた。そうすれば写真では得られない現場の臨場感が得られるのではないかと思った。

 最初は家に帰ってから彩色したのだが、そうすると絵画としてのグレードはアップするのだが、線描の面白さが無くなってしまう気がした。落書きにはらくがきの面白さがある。

 メモ帳は手のひらにすっぽり入る大きさで、何処でも持ち歩いた。落書きだけではなく、バスの時刻表からホテルの場所など色んな書きこみもあるけれど、一緒に旅した大切な宝物になった。

更新時間 : 22:27:55

8月4日 (日)

はる 6668
 今朝は4時に起きた。少し時差ボケだな。その勢いで庭の草ぼうぼうを整理した。汗だくで風呂に入って朝飯を食ったら急に眠くなった。しかし今日は法事で寝るわけにはいかん。何とも帰ってきて早々世俗的なことじゃわい。

 長旅で一番心配していたのは体力がついてゆくか。向こうの食事が食べられるかということだったけれど、今回は何とか無事にもったということだな。ありがたいことに。比較的に何でも食べられて腹を壊すこともなかった。よかったよかった。

 下のスケッチはお世話になっている菊地さんちの庭の様子。まぁ私が描くと日本の風景の様だけれど実際はばりばりのイタリアですよ。しかしなんだね。全く20年前と変わらないというのはこれまた凄い事だな。日本だと20年前だとかなり風景が変わってしまう。彼らは何も変わらず歳だけ重ねていい具合に生きている。ものすごく豊かだな。

更新時間 : 22:26:36

8月3日 (土)

はる 6667
 昨夜遅く帰国しました。色々楽しい事が有りましたが、無事帰ってこれたことに感謝。

けっこう長い旅をしてきました。このブログをお読みの方は途中から写真をアップすることが出来ましたのでよく御存じだとはおもいますが、fbの方は不特定の方がご覧になっているので記事はアップしませんでした。

 ドコモの携帯は海外では使えません。ただラインはwifiが入っているところなら電話はもちろんメールもただで出来ます。これがどうにも理解できない。なぜ無料なんだ。いままで海外電話は時間との戦いだったのにラインはそれを簡単に越えてしまった。ただし知らない人との通話は出来ないんだな。

 それとGメールは世界中ただで通信できる。これも不思議。どこかで儲けを出しているんだと思うのだけれど分からない。

 海外に出る場合のケイタイには二週類あって、一つはワイファイの機器を持ち歩くこと。何ギガかを買って使う方法これだとドコモが使えるらしい。もう一つは手持ちのケイタイをドコモショップに持ち込んでシムフリーというやつにしてもらって、訪れた国のシムに交換するというやり方。今回こちらの方法を使った50ギガ買って20€=2460円ぐらいだった。


更新時間 : 21:10:24

8月2日 (金)

はる 6666
イタリア23
帰国しました。

更新時間 : 02:55:08

8月1日 (木)

はる 6665
 イタリア22

更新時間 : 02:53:18

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