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絵描きのぼやき

9月30日 (月)

はる 8701
 ここ10年ほどの国画の大作を並べてみる。どれもこれもいまいちだな。これだという作品はない。自分にとっては2007に会員になって一番自由に描ける立場になったにも関わらず、作品は不自由だ。窮屈だ。輝いているものが何もない。
 まず色と形に斬新なものがない。アイディアもありきたり。これだと思うセンスも感じさせられない。もっさりとした、田舎臭い。都会的なせんすがない。
 2019年の「同行二人」までは下絵を描かなかった。成り行きで描くという方法だった。小品ならこれで充分なんだけれど、色々なバリエーションが出るためにはこの方はよかった。ただ大きな作品になると少し持て余す。寝かせて描けないからだな。小品が自由でいいのはそのためだ。仕事として大量の絵を描くのでアイデアも流れるように汲みださなければならない。そういった意味で下絵などないぶっつけ本番でよかった。小品はいい。どれも秀作だ。絵描きだからそれでいいと思う。
 ただ、大きな作品は同じ方法では描けないな。上にしたり下にしたり水で流したり、そういったことが自由にできない。発想がわりとこじんまりしたありふれたものしか出てこない。ということで、5年くらい前の「収穫祭」あたりからおおよその下絵を作る事にした。こんな絵にしたいという希望かな。そうするといたずらに上下にしなくてもいいようになったので描き進めやすくはなった。今後も大体の計画は立てて行く。
 ここ二三年の作品はそれなりのグレードではあるけれど、面白みがない。絵が常識的過ぎる。絵描きとしての最後の絵がこれじゃ悲しすぎる。最後に大きな花を咲かせたい。やっぱりすごいといわれたい。どうすればいいのか少し考えたいな。
 後10年ぐらいしかない。ここで集大成の絵を描きたいと思う。でなければ絵描きをやった意味がない。全てをなげうって命がけでやった意味がない。そこそこじゃだめだな。そのためには何をモチーフにするか?と考えたら、自画像に戻るしかない。考えてみると私が世の中に認知されたのは「牧歌」であり「海と私と六角堂」であり「平均律」だ。平均律は女性だけれど、当時描いていたのは若い音楽家シリーズの男性、自画像だった。そう考えると平均律も自画像の変形だな。
 「ノマド」のシリーズ音楽家シリーズもそうだけれど、結局は自画像が私のメインテーマだな。ただここ二三年のノマドの人物構成はありきたりでただの具象画になっている。自画像だけれど、自分を離れてもっと普遍的な人物にしなければいかん。自画像ならばいくらでも描ける。作った人物も面白いけど、小品ならそれで持つけれど、大作になると甘くなる。壊して壊して壊して書き込めるのは自画像しかない。
 まぁ考えると「こたえてください」の混成技法の描き方を97年以降やってきたけれど、やろうとしたのは人物で「わたなべゆう」をやりたかったのだな。で結局どれも成功しなかった。かろうじて14「音を観る」15「旅芸人」16「最後の舟」18「生活の柄」くらいだな。
 あれはあれで得るものがあったけれど、「こたえてください」をこえる作品は出来ていない。同じスタイルで描いても、どうしても作品が生きてこない。「同行二人」や「千の手」も同じやり方だけれど、絵が立ち上がってこない。面白みのない作品だ。
 最近の「ノマド」のシリーズはまぁまぁだけれど、これだ!という決定的なやり切った感はないな。普通の具象画だな。つまらん。
 とうわけで、ここから「老いた道化」シリーズ適当な名前が欲しいところだけど、に移行してゆこう。牧歌とか六角堂とか聖なる丘、胡蝶あたりかな。

更新時間 : 18:18:37

9月29日 (日)

はる 8700
 文化祭
セザンヌのスケッチを何処かで見たことがありますが、途中はまるで抽象画のようです。全体にバラバラと色のタッチが置かれ、その状態ですでに完成しているのです。彼にその意識があったかどうかわかりませんが、自然を一度解体して自分の意思で組み直しをやっているのです。絵画を解体すれば「色とカタチを支持体にある理で並べたもの」と言うことができます。ピカソをはじめ立体派の連中はそれに気付いて今までの具象絵画から新しい絵画運動にのめり込んでいきます。抽象絵画の始まりです。セザンヌが近代絵画がの父と言われる所以ですね。

更新時間 : 19:27:58

9月28日 (土)

はる 8699
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更新時間 : 23:10:14

9月27日 (金)

はる 8698
今日のアトリエ
、、、、
 大きな絵がアトリエを占領しています。半分くらいまで進んできましたが、ここからが難しい。私の絵は一見具象絵画ですが、作り方は抽象だと思っています。もっとも、絵を描く行為そのものは抽象行為だとはおもいますが、まぁ今はその話ではない。常に全体的に描いて行きます。

更新時間 : 20:43:10

9月26日 (木)

はる 8697
2022「サンタキアラ」f10
既載
、、、、
 西欧の15世紀ころの聖画象のカタチを取っているのでクリスチャンですか?とよく聞かれる。子供の頃に近所のキリスト教系の日曜学校に出かけたことはあるけれど、私はクリスチャンではありませんと答えることにしています。
 古今東西どんな未開の人種であっても、人は「いのる」。人は「祈る」動物だと規定できるかもしれない。長い人類の歴史のなかで残っているのは絵画にしろ、彫刻や建築も人の「いのりのかたち」として残っている。無名の市井の人々の何かを真剣に願って祈る形が時間を超えて残るのだ。芸術であろうがなかろうがそんなことは長い時間の中ではどうでもよくなってしまう。
 私がこれを描こうとした動機は、美人画を描こうとしたわけでも、マリア像を描こうとしたわけでもな、どこかで誰かをスケッチしたわけでもない。何か自分の中にある聖なるカタチ、祈りのシンボル、普遍的な象徴のようなものが描けないかと思ったのだ。それは誰のためでもない、自分自身のための「祈りのカタチ」を描きたかったのだ。決して上手くはないし、上手く描こうとさえしなかった。純粋な無垢な気持ちで描けたらいいなと思った。
 現代美術作品、作家といわれるものと違うのはそこのところじゃないかな。私は自分が作るものは芸術作品、自身芸術家だとは思っていない。最前線の芸術作品てもない。これを発表した事で物議をかもすわけでもない。今まで誰も描いてこなかった、見たこともない作品でもない。だけれども、誰がなんといおうと本物だと思っている。なんだろうな、すごく不遜で何の裏付けもないけれどそう思っている。

更新時間 : 21:42:04

9月25日 (水)

はる 8696
仮題「ジンタ」
、、、
 確かにな絵を見る人は多いけれど、絵を買う人は少ない。泰西名画的な展覧会が巡ってくれば多くの人が一目見ようとこぞって見ようとする。本当にその絵が価値があろうが、なかろうが彼らには関係がない。皆が行くから行く、教養として見ておきたいそれだけのことだ。高いカタログも平気で買う。けれど絵を買うとなれば千円でも惜しいと思う。絵を買うことは自分の価値観を買うということだ。飾って楽しむという方法も有りだけれど、それだけではない気がするな。同時代を生きる作家と価値を共有する。同じ時代を生きた証。そんなところか。
 美術館が企画してくれたり、時代を代表するキュレーターの企画に招待されたり、海外のアートフェアに招待されたりすれば一応その時代を代表する作家として認められたということかな。国内の場合相変わらず師弟関係だことの、学閥だことの情実が入り込むので厄介だ。
 我々のような絵を生業にする作家は上記のような企画にはあまり縁がないな。

更新時間 : 22:14:51

9月24日 (火)

はる 8695
仮題「ジンタ」
、、、
 確かにな絵を見る人は多いけれど、絵を買う人は少ない。泰西名画的な展覧会が巡ってくれば多くの人が一目見ようとこぞって見ようとする。本当にその絵が価値があろうが、なかろうが彼らには関係がない。皆が行くから行く、教養として見ておきたいそれだけのことだ。高いカタログも平気で買う。けれど絵を買うとなれば千円でも惜しいと思う。絵を買うことは自分の価値観を買うということだ。飾って楽しむという方法も有りだけれど、それだけではない気がするな。同時代を生きる作家と価値を共有する。同じ時代を生きた証。そんなところか。

更新時間 : 20:52:56

9月23日 (月)

はる 8694
 ある現代アーティストの記事が面白い。相手も読んでいるかもしれないので分からないように書こうと思う。立ち位置は違うし目指しているところも違うけれど、考えていること、やってきたことは凄く似てるし共感する部分が多い。
 詩書画一致というのが東洋の表現者の究極的なカタチとされている。セザンヌをはじめ西欧絵画をそれなりに勉強してきて、ある時を境にどうも違うなという違和感を感じるようになった。時系列でいえばそれがちょうど95年のイタリア遊学時期と前後している。まだ油彩になる前の西欧の片田舎の名もない教会の朽ち果てたフレスコ画やタピエスやアルテポーベラなどの現代作家の作品を観たことが大きい。それまでの油彩による表現から、水を媒体として墨やアクリル絵の具、土や布、紙、チョークやパステル、ボンドなどの顔料をつかった混成技法になっていった。

更新時間 : 19:15:42

9月22日 (日)

はる 8693
 山美らfu クロッキー

更新時間 : 18:39:24

9月21日 (土)

はる 8692
色の話
あれはまだ小学校に上がる前の話だ。ある日遊び疲れて家に帰ったら、ちゃぶ台の上にクレヨンと小さなスケッチブックが置いてあった。今ではよくある光景だが、5人も子供を育てて日々生活するだけで大変だった当時の我が家の環境からは考えにくい事だったのだ。特に絵が好きだった、上手だったというのであれば物語の始まりには都合の良い事なのだがそうではない。お袋が生きていたら聞いてみたかった一つの疑問だ。
色の話ということになると思い出すことがある。小学校の頃、年に1度全校生徒で絵を描きに行く写生大会というのがあった。お弁当と水筒とスケッチ道具を入れた小さな画板をもって近くの公園などに行く遠足のようなものだ。
ある時明石の城跡の公園に出かけた時があった。いつものように友達とだべりながら絵を描いていた。城跡には天守閣などなく小さな城門のようなものしかない。城門の白い壁と黒い屋根瓦が秋の日差しに照らされてきらきらと輝いて見えた。その時にハタと気が付いた。黒い瓦を黒の絵の具で描いたら、このきらきら輝いている様子は描けないよなと。それでいろいろな絵の具を駆使して瓦を描いたら大変誉められた。勉強も運動もあまり得意でない自分の活路をそのあたりで気が付けばよかったのだが、それはまだ当分先の話だ。
色は三原色(赤、黄、青)と白と黒で出来ているという話をきいたのは中学の美術の時間だった。複雑な森羅万象の宇宙の創生を垣間見たような大きな驚きを感じた。まぁ、微妙な色味はこの通りにはいかないのだけれど、理論的にはこの5色で全ての色を作ることが出来る。そのことに気付いたニュートンやゲーテなどの17,18世紀の偉人たちはこぞって色彩のことを研究した。物事の本質、源泉(オリジン)、万物の真理が解明されるのではないかと期待したのではないだろうか。
 少し話が大きくなるけれど、世界は一つの点から始まったらしい(ビッグバン宇宙論)。誰も観てはいないので想像でしかないのだけれど、多分そうすれば無限の宇宙の成り立ちを説明しやすいというだけだろう。
物理的だけでなく神話のパンドラの箱のように、邪悪なものから高貴なものまで全てのものが一つ塊だったというのはなかなか暗示的で面白い。すべての光の色を集めると何も色のない透明な白色の光になり、地上の固有色全てを集めると色を失って黒くなる。はたして万物全てを飲み込んだ宇宙の始まりは、どんな色に満ちていたのだろうか。想像するとワクワクする。
 さて、色の話をしめなければならない。時々何故三原色で地塗りをするのですか?と聞かれることがある。そう、何もないところからは何も生まれない。全てが含まれた混沌の中にこそ何か新しいものが生まれてくる可能性があるのだ、と答えることにしています。


更新時間 : 18:22:15

9月20日 (金)

はる 8691
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更新時間 : 20:00:58

9月19日 (木)

はる 8618
今日のアトリエ
いっぱいいっぱい、これ以上の絵は描けない。
古い日本家屋の六畳二間を縦に繋いでフローリングにしたアトリエですが、画材の布や絵の具などガチャガチャとあって実質的には半分くらいのスペースしかないかな。まぁ、130号が床置きでギリギリ描ける空間しかない。本当はこの倍の広さがないと懐の大きな絵は描けないとわかっているが、まぁ仕方ない。私の作品は継ぎ足して繋いで大きくしてゆく描き方ではなく、閉じられた空間が必要なので身体的に届く130号くらいが限界だと思う。

更新時間 : 09:28:24

9月18日 (水)

はる 8617
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更新時間 : 09:32:47

9月17日 (火)

はる 8616
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更新時間 : 20:38:17

9月15日 (日)

はる 8615
今日のアトリエ
、、、
130号始めました。
「冷やし中華始めました」とどこか似ている。

更新時間 : 19:45:40

9月14日 (土)

はる 8614
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更新時間 : 19:04:03

9月13日 (金)

はる 8613
2024「フェスタ」f10部分
未発表
、、、、
 モチーフに特に決まったものはない。だいたい人物が中心だけれど、静物もあれば風景もある。何も見て描いていないのでその場その場の行き当たりばったりだ。絵画スタイルもいろいろだな。このバリエーションの多さは他の人にはなかなか真似は出来ないだろう。そういう意味では統一感の無いのが私のスタイルといえるかもな。

更新時間 : 18:44:53

9月12日 (木)

はる 8612
2024「広場」f4部分
再掲
、、、、
 今日は何を書くかな。朝散歩から帰ると朝飯を作る。その後散歩道で良い写真が撮れればそれをアップする。とりあえずそこまで、文章は後で楽しみながら書く、そんな感じかな。決して無理して書いているわけではない。
 あるアーチストのsns をみていると自分の生き様が貧弱に思えて仕方ない。私にはアーチストとしての自覚がさっぱりない。何を持ってアーチストというのか分かりませんが、彼などははっきり自分は最前線のアーチストだと自覚してそう行動している。命懸けで活動すれば誰もそれを無視できなくて、やがて次第に世の中に認められてきた。売れる前の村上隆などもそうだったが、ある意味おおほら吹きの野心家だった。羨ましくもあり、私などとは器が違うのだと思うしかない。
 嘘をつかないという意味で自分の作品は本物だという自負があるだけだな。

更新時間 : 22:04:57

9月11日 (水)

はる 8611
2024「フェスタ」f10部分
未発表
、、、、
モチーフとして飛行機など初めて描いた。いや、子供の頃から考えても描いたことがなかったな。たまたま画面の上に置い金が飛行機に見えた。偶然とはいえなかなか面白い。いままではロバや馬、犬や猫が登場したがこんなものでもいいか。

更新時間 : 22:10:45

9月10日 (火)

はる 8610
2024「サーカスのジンタ」f20部分
再掲
、、、、
 ある本を読んでいたら北斎の娘お栄にこんなセリフを言わせていた。「、騙されちゃいけないよ。これはおとっつぁんのお得意の手だ。見るものを手玉ち取っているのさ」「、、幾ら絵師の腕がよくても、見たり買ったりするのは客だ。、、手玉に取らなくてどうする。あっと言わせなくてどうする」
 昔絵を描きはじめた頃はシャガールなど嫌いだったな。人が空を飛んだり恋人たちが乱舞したり、こんな女子供たちが好みそうな絵など描いて何が良いのか分からなかった。デッサンもなにも無いじゃないか。しかし、何年も絵を描いてきて思うことは、見る人を手玉に取らなくてどうする、あっと言わせなくてどうする。色や形にとらわれている内はまだ半人前だ。自由に気ままに思うがまま筆を走らせてこそ一人前、それでもまだまだ序ノ口だ。

更新時間 : 19:38:12

9月9日 (月)

はる 8609
パス

更新時間 : 20:00:28

9月7日 (土)

はる 8608
パス

更新時間 : 19:42:28

9月6日 (金)

はる 8607
秋刀魚の炭火焼き
私などの子供の頃はまだ七輪が生活の中で実際に使われていた。お袋は冬場になると毎朝練炭を七輪でおこしていた。練炭はなかなか日持ちがよく、一日中鉄瓶のお湯がシュンシュン沸いていた。夜寝る時はそのお湯を湯たんぽに入れて布団を温めていた。生活そのものの質は断然今の方がいいのだけれど、もう昔には帰れないのだけれど、なぜかとても懐かしい。年取ったのかな。

更新時間 : 20:10:28

9月5日 (木)

はる 8606
パス

更新時間 : 21:28:38

9月4日 (水)

はる 8605
2024「太公望」f0
未発表
、、、、
 ハガキよりちょい大きいサイズです。簡単に見えますが、このサイズが一番難しいな。スケッチやデッサンならこのサイズは手ごろなんだけれど、絵にするのは難しい。
 カタチがあるから具象画ですが、目も鼻も口もない、ものを説明したり描写したりするとつまらないものになる。形と色を用いた抽象画だと見れば近いかもしれんな。ただ、私の場合そこに何かしらの歌が感じられないと絵にならない。もっとも大事なのは詩かな。
 人は誰しも今のいままで生きて来たわけだ。何も無かった人などいない。十代二十代のことを考えると恥ずかしくて人には言えない。今でこそ分別くさい事をのたまわっているけれど、当時はただの悪たれだな。当時の自分にあったらなんと言うだろうか。

更新時間 : 22:27:47

9月3日 (火)

はる 8604
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更新時間 : 19:09:57

9月2日 (月)

はる 8603
2024「傀儡師」f10部分
未発表
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傀儡子
日本の中世・近世に、人形芝居を見せて諸国を旅した芸能者
傀儡子(くぐつし、くぐつ、かいらいし)とは、木偶(木の人形)またはそれを操る部族のことで[3]、流浪の民や旅芸人のうち狩猟と傀儡(人形)を使った芸能を生業とした集団、後代になると旅回りの芸人の一座を指した語。傀儡師とも書く。また女性の場合は傀儡女(くぐつ め)ともいう。西宮発祥のものは正月に家々を廻ったことから冬の季語。

更新時間 : 08:16:16

9月1日 (日)

はる 8602
2024「オーリオディオリーバ」f0
未発表
、、、
地震だ‼️
 昔民藝の濱田庄司が焼き物の釉薬を掛け流していると、ちょうど取材していた記者が「三分で仕上がっていいですね」みたいなことを批判した訳ではないだろうけれど、みたままの感想を言ったのだろうな。そうすると濱田は「そうですね、約60年と3分ほど掛かりました」と答えた。
 芸というのはそこに現れたものだけではなく、作家の生き様だから表面的な事柄に惑わされては本質を見失なうということだろうな。

更新時間 : 20:49:11

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