9月30日 (土)
はる 8177 新潟1日目 更新時間 : 20:10:12
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9月29日 (金)
はる 8176 Am買い物 PM4:00から夕食まで仕事 更新時間 : 21:48:55
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9月28日 (木)
はる 8175 AM畑仕事 11から昼まで仕事 PM4から夕飯までしごと 更新時間 : 18:23:17
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9月27日 (水)
はる 8174 AM11:00昼飯まで仕事 PM買い物 種など 昼ねせず 夕飯まで仕事 更新時間 : 18:11:48
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9月26日 (火)
はる 8173 AM畑耕作 PM昼寝 4:00から飯まで仕事 更新時間 : 20:01:11
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9月25日 (月)
はる 8172 AM買い物 PM昼寝 夕食まで仕事 更新時間 : 22:06:32
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9月24日 (日)
はる 8171 新潟荷物送る 朝路地の草刈り ひるね チェロ 仕事せず 更新時間 : 18:35:54
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9月23日 (土)
はる 8170 タオ 昼ね 少し仕事 更新時間 : 21:41:06
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9月22日 (金)
はる 8169 午前中三井君撮影 昼ね 吉川 更新時間 : 22:25:31
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9月21日 (木)
はる 8168 墓彼岸 学校 更新時間 : 22:25:59
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9月20日 (水)
はる 8167 学校 更新時間 : 22:26:19
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9月19日 (火)
はる 8166 麻雀 更新時間 : 22:26:38
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9月18日 (月)
はる 8165 少しデッサン 更新時間 : 22:27:02
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9月17日 (日)
はる 8164 山美デッサン会2日目 更新時間 : 22:28:43
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9月16日 (土)
はる 8163 山美裸婦デッサン会 更新時間 : 20:17:46
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9月15日 (金)
はる 8162 デッサン会準備 昼ね 少し仕事 更新時間 : 19:14:21
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9月14日 (木)
はる 8161 午前中仕事 学校 更新時間 : 20:35:03
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9月13日 (水)
はる 8160 午前中仕事 午後も少し。学校 更新時間 : 22:22:40
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9月12日 (火)
はる 8159 午前中、昼寝あと少し仕事 更新時間 : 19:22:23
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9月11日 (月)
はる 8518 2023「夏休み」F0 混成技法 吉田先生 更新時間 : 19:51:17
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9月10日 (日)
はる 8157 裸婦クロッキー 更新時間 : 17:58:15
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9月9日 (土)
はる 8156 TAO 更新時間 : 17:41:49
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9月8日 (金)
はる 8158 パス 更新時間 : 20:19:20
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9月7日 (木)
はる 8157 学校 更新時間 : 20:27:57
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9月6日 (水)
はる 8156 2007「おおいなるもの」F130 混成技法 第81国展 山梨英和大学蔵 ・・・・・・ 寄贈した作品の中で一番新しいものです。思わず国展の初出品から振り返ることになってしまった。どんな作品が評判がいいのか、客観的な数値がでるので面白い。こういうことが出来るのもネットならではだな。初出品の作品が意外に評判が良かったのは嬉しいかった。 基本なんだろうな、どんなかたちであれ表現したいという欲求が根底にあるのだと思う。モノを考えることは書くことであり描くことであるというようなことか。 中学生の頃から日記を書く習慣があって、何かしらものを考えながら書いていた。高校生になった頃は更に膨大な量になって、机に向かって勉強しているフリをしながら実際は雑文を書いていた。いつのまにか書きながらモノを考えることは楽しみの一つになっていた。ある時にこんなものが残されることが恥ずかしくなって全て廃棄した。いまでも後悔していない。 まだブログやsnsが無かった2000年以前からホームページを開設して日記がわりに掲示板で駄文を発信していた。そのバックナンバーが最近8000を越えた。これは見られても恥ずかしくない適当なもので、ノートにつけていた雑文がネットに代わっただけだな。 よく続きますね、と言われるけれど好きな事は誰でもできます。要するに仕事でも何でもない、ただ好きであるというだけだな。強制されてやって続くものではない。才能があろうがなかろうが芸術であろがなかろうが関係ない。面白いか、面白くないかそれだけだ。 更新時間 : 22:26:43
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9月5日 (火)
はる 8155 病院心エコー特に異常なし 更新時間 : 19:11:56
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9月4日 (月)
はる 8154 パス 更新時間 : 19:52:54
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9月3日 (日)
はる 8153 2000「いのりのかたち」S100 混成技法 第74国展 山梨英和大学蔵 ・・・・・・・ 順風満帆に見えますが、実際この時は前にも書いたことがありますが人生初の大きな病気をし入院手術を経験した時でした。この絵を自宅から搬出したのは入院する前日で、少し早めに取りに来てもらい、何とか生きて帰ってくることを祈りました。 更新時間 : 18:41:23
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9月2日 (土)
はる 8152 1998「こたえてください」S100 混成技法 第72国展 山梨英和大学蔵 ・・・・・・・・ 95から96にかけてイタリアを起点にして、ヨーロッパ諸国を一年かけて旅してまわった。そのことが大きなきっかけになって絵を描くスタイルが大きく変わった。それまでのキャンバスに油彩というオーソドックスな油彩画のスタイルから、身の回りにある布とか段ボール、木や土などを画材として画面に持ち込む今のスタイルになった。そのことを少し書こう。・・・ 絵を始めた時に何故油絵だったのか?たぶん当時は何も考えずにただ単に油絵がかっこいいからと選んだように思う。日本の油彩画の歴史を考えてみると、油彩画は西欧の優れた科学技術のひとつとして入ってきた。まぁそれだけではなく、仏教や漢字など私たちの感覚として今もそうですが、優れたものは海を越えてやってくるという共通認識がある。舶来物という言葉がそれをよく表している。ジャニーズ問題もそうですが、海外からのメッセージにはことごとく弱いというのは我々のDNAに舶来物はいいものだという誤った認識が埋め込まれているからのように思う。話がそれた。 油彩画は科学だというのが最終的に至った結論だ。ダビンチを上げるまでもなく、西欧のそうそうたる画家たちが目指したものは、印象派が出て来て大きく変わったのだが、如何にリアルに臨場感を表現するかという事だ。反対に言えばそういったリアルな臨場感を表現するには油彩画は非常に適した画材だということだな。印象派以降の生乾きの上に殴り描きする描法は油彩画には適さない。ふり返って私の表現を考えてみる。西欧の伝統的なリアルな空間を表現するのであれば油彩画のメチエを徹底的に研究して発表すればいい。そうでないなら油彩画にこだわることはない。今を生きる我々が今手に入る身近な物を材料にして表現する、それが現代を生きる我々の美術ではないか。 もう一つは何を表現するのかということだな。絵を描くことを一生の仕事として選んでまぁ命を削って描いている。食べるためだけなら他の仕事をした方がいくらもましだろう。それでも絵を描くことを続けるのは表現したいというやむにやまれぬ欲求があるからだな。その表現が自分とは全く関係ない意味もない山や川や美人画を描いても満足しないだろう。切れば血の出るような生の表現をしたい、できるなら多くの人の心に届く、今を生きる我々の言葉を届けたい。巻き込みたい。そう思った。 この「こたえてください」という絵はそんな生の気持ちをダイレクトに表現したものだ。 更新時間 : 21:05:56
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9月1日 (金)
はる 8151 1997「聖なる丘」S100 油彩 第71国展 山梨英和大学蔵 ・・・・・・ これが最後の油彩です。その後混成技法(ミクストメディア)になります。 混成技法というのは私の造語で、異なった成分の画材を混ぜあわせて使用する技法という意味で、いわゆるミクストメディアを私なりに翻訳したものです。技法そのものは目新しいものではありません。 絵画というのは分解すれば、紙や布などの支持体に色の粉を糊で貼り付けたものといえる。糊を何にするかによって名前が変わる。例えばアラビアゴムを使えば水彩画、にかわを使えば日本画、乾性油を使えば油彩画となる。支持体を既成の画用紙やキャンバスではなく、自作の例えば白亜地にするとか石膏地にするとか、麻布にするなどにすることで表現の選択肢が多様化する。 例えば、カレーといえはカレーのルーを買ってきて後はキノコにするとか、ビーフにするとかやったとしても元々は同じなので誰がやってもほとんど変わらない。ところが、色々な香辛料を買ってきてカレー粉から自作すればそのバリエーションは限りなくある。 オリジンというのは源泉という意味ですが、流れに乗って集まるのはゴミだけです、源泉には近づけません。流れに逆行してやがては源にたどり着ける。それをオリジナルという。 更新時間 : 19:31:14
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