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絵描きのぼやき

9月30日 (木)

はる 7452
 好評につき「ヨタカの会」の作品
1978年頃習作f50油彩 ベニヤ板
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 少し構成的なことをやろうとしている。フルートに見えるのは新聞紙を丸めてそれらしくしてかまえてもらった。その方が軽くてポーズするにはよかった。このころから次第にセザンヌからキュービズムに目覚めて行く。百年前の美術史を興奮しながらなぞっていった。ピカソやブラックが実験したことを臨場感をもって追体験してゆくようだった。


更新時間 : 21:55:23

9月29日 (水)

はる 7451
 この作品は卒業する時にモデルをしてくれたS嬢にプレゼントした。
 この作品は卒業する時にモデルをしてくれたS嬢にプレゼントした。当時20くらいのかわいい娘だった。なぜ覚えているかというと学生時代に演劇のサークルにも所属して何度か役者として舞台にもたったことがある。彼女は劇団のマドンナだったからだ。彼女も今は還暦を過ぎているんだろう。卒業以来一度も会っていないので消息はわかりませんが、孫たちに囲まれて元気にしていることを祈ります。

更新時間 : 20:17:03

9月28日 (火)

はる 7450
 2021「室内楽」 F6部分 混成技法
ハーパーズ・ミルで展示予定
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107回榎並和春個展
ブリコラージュ(自作自足)的生活のすすめ
 11月20(土)〜11月28(日) 
甲府・ハーパーズ・ミル
400-0808 甲府市東光寺町1346
055-233-3157
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 具象絵画であるけれど、やっていることは抽象だと思っている。音楽は純粋に抽象表現だけれど、本物は感動して泣くこともある。出来るだけ多くの人に観て貰って何かしら伝えるには、分かる人には分かるではダメだと思うな。ただやたら細かくきれいに丁寧に描かれたものは作者の思い込みだけで、それ以上のものは伝わってこない。どうすれば伝えることができるか、その気持ちがメッセージとなって伝わって行くような気がするな。

更新時間 : 19:20:45

9月27日 (月)

はる 7449
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更新時間 : 18:06:25

9月26日 (日)

はる 7448
 1978年頃習作f50油彩 ベニヤ板 本人蔵
初公開(未だかつてどこにも晒したことがない)
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↓のアパートで暮らし、楽しい学生時代の習作だな。あまり見せたくはないが、行きがかり上こんな時代もあったということで。教育学部だったので実技の時間が美大に比べて格段に少ない。それを補うために有志で夜間モデルをたので絵を描いた。モデルは学内にいくらでもいたし、時間はたっぷりあったし、お金だけはまったくなかったけどね。それを見た教授が「絵は昼間描くもので、夜鷹のような生活をしていてはだめです」と注意された。もちろんそんなことはお構いなしで、反対に会の名前を「ヨタカの会」とした。
 今は知りませんが、当時の大学のアトリエは夜間でも出入り自由で、電気も水もガスも自由に使えた。下宿に帰るよりアトリエで過ごす方が環境がよかった。美術選択の学生は一学年10足らずで4年合わせても40人いなかった。学生にはそれぞれロッカーがあって、学生の控室もあり普通に寝泊まりできた。
 美術を目指す学生は東京などの大都会を目指すけれど、本当に基礎をしっかり勉強するのであれば地方の教育学部の美術というのもいい選択だと思うな。兎に角生活がしやすい。学費が安い。免除される確率が高い。頑張ればすぐに成果がでる。などなど。確かに刺激は少ないかもしれないが、反対に潰されることも少ない。何度もいうけれど、すべて本人の心持ち次第だ。
 私はここに来るまで色々な寄り道をして、25歳で関西からここにきた。それまでの事は全て決して無駄ではなかったと思っている。まぁここから始まってまだまだ一筋なわではいかないのですが、この場所を選択したことは間違っていなかった。ここでの4年間の学生生活が今の私を作っているといっても過言ではない。

更新時間 : 18:43:07

9月25日 (土)

はる 7447
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更新時間 : 21:34:18

9月24日 (金)

はる 7446
2021/9/24 今日のアトリエ動画
 秋の虫が鳴いています。実験的にこんな動画を撮ってみた。こんなものが面白いのかどうかわかりません。ただアトリエの制作現場など誰も見たことがないだろうから、興味がある方だけどうぞ。少し前の下地を作っているところはかなり大胆に動きがあって面白かったでしょうが、制作も進んでくるとそうそう大胆には潰せなくなってくる。だから描けば描くほどつまらなくなってゆく。
 道具は洗面器と障子のノリ刷毛です。これがなかなか幅広で便利です。

更新時間 : 19:02:50

9月23日 (木)

はる 7445
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更新時間 : 18:38:50

9月22日 (水)

はる 7444
 月見団子 昨日は中秋の名月

更新時間 : 17:02:55

9月21日 (火)

はru 7443
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更新時間 : 20:44:10

9月20日 (月)

はる」7442
  F130号の途中経過。最初に出てきた形はもっとでかい顔でほぼ顔が画面の半分くらいを占めていた。下絵もそんな感じで進めていたのだが、なかなかそれ以上描き進むことができなくなってしまった。やっぱり今の私にはこういったスタイルには無理があるのかもしれん。墨にボンドを入れたのはあの伝説の書家・井上有一を真似したわけではない。墨汁のままだとどうしても画面を立てると流れてしまうので、出来るだけ粘性を高めるためだ。
 下地を作っている段階では全くの抽象の仕事で、具体的な形は意識していない。何が出てくるかはその時の出来次第。半分以上は下地を作ることに費やす。絵というよりオブジェに近いかな。そうやってある程度存在感のある厚みが出てこないと満足しないようだ。こういう触覚的な肌合いの好みというのは何処からきているのだろうか。昔京都で京焼の絵付けの仕事をしていたのだけれど、陶器の絵肌というのはややこれに近い。触っていると安心する。ネットや印刷物では絶対に伝えることができないとても大事な要素だと思っている。
 デッサンというけれど通常のデッサンではない。画面の中にある形を見つけるのだな。ただそこのところが難しいのだけれど、自分の心の中との対話みたいなもので、やっているうちに自分が何を描こうとしているのか問いかけるわけだ。毎回新しい発見がある。ボンド墨とホワイトとライトレッドと金泥でデッサンする。どんどん画面が真っ黒になって行く。ここのところが一番楽しい。

更新時間 : 23:15:06

9月19日 (日)

はる 7441
もう一つは私の憂鬱だ。これは気質なので今更どうしようもないことなんだけれど、たまたま私は毎日働きに出なくてもいい仕事を得たのでそれほど心を病むことなくここまでこれた。たぶん私と同じような気質の人間が世の中にたくさんいるだろう。ものを考えたり、思索したり、書いたり,描いたりすることで何とかバランスをとっているのだが、これが無くなってしまえばたぶん病んでしまうだろうな。人には適不適がある。それを画一的にみんな同じにしてしまったら、生きて行けないひとが多く出るのだろうと思うな。嫌々ながら家族のため、将来のため、我慢して無理やり続けていたら人は簡単に壊れていまう。それぞれに合った生き方を見つけて欲しい。

更新時間 : 21:17:27

9月18日 (土)

はる 7440
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更新時間 : 20:05:07

9月17日 (金)

はる 7439
2021「両手で受ける」ドローイング F8号大
水彩 墨汁 ボールペンなど
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 でたらめということが如何に難しいか。知ってしまったことを知らない事にはできない。子供のころのように描きたいと思っている。それが出来ない。嘘だと思うならやってみれば分かる。
 誰もが上手くなりたいと思う。一生懸命勉強して修業して技術を学ぶ。そのことを否定するわけではない。そこを通らなければ何も見えない。でもやがて自分が目指していたものは上手に描くことではなかったという事に気づく。
 ノマドランドのところでも少し書いたけれど、目指していたものは上手にうまく描けるようになる技術が欲しいと思っていたけれど、実際は欲しかったのは「何もとらわれない自由自在な精神」が欲しかったのだ。



更新時間 : 19:22:17

9月16日 (木)

はる 7438
 我が家の台所と玄関のレイアウト、みずや

更新時間 : 18:29:02

9月15日 (水)

はる 7437
ブリコラージュ(自作自足)とは
自作自足は自作自演と自給自足を合わせた造語です。

更新時間 : 22:07:29

9月14日 (火)

はる 7436
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更新時間 : 21:08:55

9月13日 (月)

はる 7435
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更新時間 : 20:34:24

9月12日 (日)

はる 7434
  今日は一か月ぶりのクロッキーだった。いつもは10Bの鉛筆をつかうのだが、今日はおもむきを変えて木炭を使った。それぞれに難しいところがある。鉛筆は基本的に線描を得意とする。大きな面を塗るには適さない。クロッキーも10分もあれば線だけではなく面も少しは表現したいと思う。木炭は反対に大きな面を表現するに適している。最初の段階で大きな面を意識して色を付けておくと、線描がしやすい。いつまでたっても上手くならないのでクロッキーは面白い。
説明できないかもしれないがやってみる。ここに一人の人物が立っているとする。それはごく当たり前のように感じるのだけれど、実はすごく奇跡的な事だ。どちらかに体重がかかっている。もっと大きく言えば引力が体の隅々までかかっている。それを補うように必ず自然にバランスをとっている。それと最も大事なのは空間を支配する力みたいなものかな。真っ白い空間は何もない空間ではない。一人の人物がいてそれを包み込むような閉じられた世界が有るということだ。それが描けるかどうか。いつまでたっても上手くならないのでクロッキーは面白い。

更新時間 : 23:33:09

9月11日 (土)

はる 7436
 1996/1/17イタリアスケッチ「農家の納屋」水彩
本人蔵
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 憧れたのは浅井忠の「グレーの森」シリーズです。時間がたっぷりあったのでこんなことができました。場所を探すだけでも半日かかります、駆け足のスケッチ旅行では難しいですね。自分にとっては大切な宝物のような時間でした。滞在中はタブローは一枚も描いていません。一日に一枚スケッチをするというのを自分に課していました。どれもこれも変わり映えしませんが、まぁこれも私の一端でしょう。
 SNSはある意味よくできた自己宣伝でツールで、ひと昔前なら無名の地方の作家が不特定多数の顧客に作品を見てもらうなどという事はありえなかった。まぁ嘘をついている可能性もあるわけだけど、長いあいだ色んな画像や文章を晒していれば自ずからいろんなものが透けて見えてくるだろう。
 道具として使っているという事もあるけれど、やっぱり基本的には自己を表現するという事が好きなんだろうな。色んな切り口で観てもらいたいと思っている。


更新時間 : 20:02:15

9月10日 (金)

はる 7435
1995/7/5イタリアスケッチ「ひまわり」水彩
本人蔵
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評判に気をよくしてもう一つ。初公開
イタリアのひまわり畑といえばソフィアローレンの「ひまわり」を思い出すなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=2O6-LLRdwmQ
 現場のスケッチはこれはこれでいいんだな。95年の研修は経歴では海外研修になっているけれど、実際は渡航費だけは援助してもらったけれど、後は全部自費だ。どこかの美術大学に名目上でも在籍してたわけでもないしね。ただ、当時はバブルの影響か円が1ドル80円を切った頃で、今から考えるといい旅ができた。旅行ビザだったので3か月に一度はイタリアから外にでればいいのだろうと勝手に解釈して、スペインに行ったりイギリスにいったり、フランスに行ったりと本当はばれると強制送還らしいけど、夫婦連れだからな。あんまり疑われることもなかった。まぁ若気のいたりで、何も怖くなかったね。しかし、西回りの一年有効のオープンチケットだったので、帰りはアメリカに渡って帰国したのだけれど、荷物が凄くて税関で難民扱いのコーナーに連れて行かれた。よい思い出だ。

更新時間 : 19:15:25

9月9日 (木)

はる 7434
 1995/9/21「イタリアスケッチ」 水彩
本人蔵
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 定職についた期間が短いので、当然年金も少ない。元々当てにしてなかったのか、若い時は考えなかったということだな。派遣やアルバイトやパートタイマーなどという仕事はその時はそこそこ収入があるのだが、長くても一年契約で更新されるものだから何のキャリアにもならない。学校の非常勤講師などという仕事も同じ臨時雇いのパートタイマーで、もともとそれだけで食べて行ける仕事ではない。
 私は絵を描いて行くことにした。それで食べて行けるかどうか、将来はどうするのかは考えないことにした。そうでなければたぶんやって行けなかったからだ。絵を売るためのハウツー本がにぎにぎしく巷を賑やかしているけれど、絵を売って食べて行くより他の仕事をした方が効率がいいように思うな。職業と考えるならあまりうまみのある仕事ではない。
 私はあまり仕事とは考えていないな。仕事は嫌いだから。まして働かされるのはもっとも嫌うところだ。きっちり定職をもつことは憂鬱になるので嫌だし、まったくどうしようもない。そうやって今まで来てしまった。職業ではない、思索家とか夢想家とか空想家とか散歩家とかそんなのが似合っている。そうやって世の中を欺いて食べて行ければそれに越したことはない。

更新時間 : 21:15:01

9月8日 (水)

はる 7433
 今年のテーマは「ブリコラージュ(自作自足)的生活のすすめ」としました。

 次の一年のテーマを考えていた。世界はグローバル化でずっと進んできた。規格化することで、世界中どこで作っても同じで、より安く人件費や安くつくところが世界の工場となる。大量生産、大量消費で経済がまわっていた。便利であることが全てに優先する生活。その結果は環境破壊が進んで、このコロナ禍でもう限界が見えてきた。何かが変わらなければ、この地球はあと100年持たないだろう。今我々が出来る事は何なのか、新しい生き方の指針はなにか?
 絵描きは絵だけ描いていればいいわけではない。奇麗な花や風景や人物も確かに大事だけれど、私たちは今ここで生きている。ここで感じたことを自分の表現にダイレクトに乗せてゆかなければ何のための表現なのか?

更新時間 : 22:09:03

9月7日 (火)

はる 7432
 2020ノマドの家族 部分 ノマドとは流浪の民のことです。


更新時間 : 20:49:32

9月6日 (月)

はる 7431
 今日のアトリエ F130地塗り

更新時間 : 21:51:18

9月5日 (日)

はる 7430
 2021「両手で受ける」 F0 部分
未発表
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これは尾崎放哉の「入れものがない 両手で受ける」から取りました。
 いつの頃からなのか、自分の中には憂鬱の虫が棲んでいて、何か事あるごとに目を覚ます。特に雨の日の午前中は起き上がれないほどつらかった。子供の頃はただ単に怠けものの性分のせいだと思っていた。いや確かにそれもあると思う。それを何とか騙しだましして一応社会生活をしていたのだけれど、30過ぎた頃にもう限界だと思い定職を持つことを辞めにした。絵を描くためとか何だかんだ理由を付けてはいるが、結局のところこの虫のせいだと思う。あれから40年過ぎた。相変わらず憂鬱の虫が騒ぐ。
 これはたぶん漂泊者の歌だと思うな。何となくシンパシーを感じる。奇麗やかわいいだけが全てではない。分かる人にはわかるだろう。

更新時間 : 20:33:52

9月4日 (土)

はる 7429
 2021「慈愛」F8 部分 一度洗い流して残ったものに手を入れた。

更新時間 : 18:41:54

9月3日 (金)

はる 7428
 2021「泉の奇跡」F20 部分 ⓔ混成技法
新作
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「奇跡(奇蹟、きせき、英: miracle)は、人間の力や自然法則を超え、神など超自然のものとされるできごと。基本的には宗教および信仰と結びついていることが多い。」
 何気に使っていた言葉が実はそんな意味があったのかということが結構ある。西欧の絵画を見ていると私たちが見ていることと違うものを彼らは観てるのだなと思う。どんなに素晴らしい教義や真理でも観る人にその度量がなければ理解した事にはならない。印象派以降の絵画が我々に理解しやすいのは、キリスト教的な約束事がなくても分かるからだ。誤解のないように付け加えるならば、彼らには長い長い抑圧された中世があるということだな。


更新時間 : 21:48:30

9月2日 (木)

はる 7427
 2020「盆地暮色」 F0 今日は雨でした。
色んなシステムが動脈硬化を起こして機能しなくなって、日本丸が沈みかけている。学生時代にオイルショックやバブルの崩壊、阪神淡路大震災や記憶の新しいところでは東日本大震災による原発の爆破などがあって、この先日本はどうなって行くのか漠然とした不安に苛まれたことはあったけれど、ここ最近の日本の凋落ぶりは目を覆うばかりだ。コロナ禍はそれをよく見える形で提示したに過ぎない。もっと根本的には日本は芯の部分で腐りかけている。たぶんそれは今に始まったことではないのだろうな。たぶん自分の中にもある色んな事を曖昧にして、先送りしてきた結果がこれなんだろう。政治だけが悪いわけじゃない。それを容認してきた私たちに責任がある。

更新時間 : 22:50:42

9月1日 (水)

はる 7426
 https://reibuncnt.jp/5347 より抜粋
「夜半と夜中という言葉は、夜のなかばを意味する言葉です。日の入りから日の出まで夜の時間帯の中間あたりを表します。具体的に何時頃と定義されていませんが、一般的に午後11時から午前2時頃を指すことが多い言葉です。
同じ意味を持つ夜半と夜中ですが、夜半は書き言葉である文語として使われることが多く、夜中は話し言葉である口語として使われることが多い言葉です。これが、夜半と夜中の違いになります。」


更新時間 : 22:57:45

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