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絵描きのぼやき

8月31日 (日)

はる 9031
朝の食事当番は私です。ほとんど毎日キノコ雑炊を作ります。ご飯は10種類ほどの雑穀米を炊いたもので一度に炊いて小分けして冷凍してあります。キノコも何種類か天日干ししてこれも冷凍してあります。こう書くと凄い下準備がなされていると感じますが、すべてカミさんがやっているもので、私は単にそれらをぶち込んで煮るだけで料理をしているわけではありません。勘違いしませんように。
 カボチャは今年とれた6つのうちの一つです。なかなかうまそうです。アボガドから芽が出て長い枝がでて葉がつきました。

更新時間 : 19:55:17

8月30日 (土)

はる 9030
settle セトル
〒400-0025 山梨県甲府市朝日1丁目10−5
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 今日は朝から探し物であたふたとした。無くし物の第一はメガネだな。昨晩寝る時に眼鏡がなくて、まぁいつものところにあるはずだと探す事もなく寝てしまった。
 朝起きてあれー、いつも風呂に入る時に置く場所に無い。さて困った。車に乗る時にサングラスにかえて置き忘れたのかと思って見に行ったり、ゴミ箱の中まで漁っても出てこない。いよいよ古いメガネを出してきて、本格的に捜索する事になった。
 昨夜は掛けていた記憶があるので家の中にに必ずあるはずだ。最初から捜索のやり直しで、自分の行動を追跡する事にする。
 まさかと思った納戸のカゴの中にあった。冷蔵庫や下駄箱のなかでなくて良かった。

更新時間 : 19:21:53

8月29日 (金)

はる 9029
2025「老いた旅芸人」f3部分
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 はっきりいって人生は還暦すぎてからの方が面白い。ハッタリでもそう言っておこう。その方が楽しみだろう。

更新時間 : 21:58:56

8月27日 (水)

はる 9028
パス

更新時間 : 22:29:19

8月26日 (火)

はる 9027
チャットgpt にあなたが普及する事で人にどういう影響があるかとたずねるとこんな回答がきたと記事になっていた。まずは自分で考えないですぐに検索することで安易に答えを出す人間が増える。創意工夫する思考回路が大切にされるのではなく、如何に的確な検索ワードを選択するかが大切な能力になる。その結果新しい思考とかアイデアが重要視されるのではなく、あるものの中で最適な物事が選択されるようになる。創造力が低下して世の中は効率は良くなるが停滞するだろう。ということだった。
 画家の仕事でもデッサンされた人物が写真のように動いて語りかける動画がアップされていた。これには全く度肝を抜かれた。世の中はもう人が想像できないくらいに進化(退化)してもう前には戻れない。画家の仕事の内容が問われることになるだろう。
 どう対処すればいいかという事も書かれていた。まずは直ぐに検索しないで自分の頭で考えて自分の言葉でメモするなり書いてみる習慣をつける。哲学や音楽や美術などすぐに答えの出ない、何が正しいかわからないことに関わることなど。コンピュータ自身を否定するような回答だったな。考え方によるといよいよ我々の価値が高まるような気がする、面白い。

更新時間 : 19:17:50

8月25日 (月)

はる 9026
山梨新報8/22コラム
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 月一回のコラムも7年を越えた。絵の事など最初の10回くらいで出尽くしてしまう。あとは同じことの焼き直しになってしまう。書いている本人がそう感じるのだから、他人は尚更だろう。まぁ、絵描きのたわごとだと笑って許してもらおう。

更新時間 : 20:15:15

8月24日 (日)

はる 9025
晩夏
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 暑かった夏も終わりに近づいてきました。ひぐらしが聞こえて来そうな風景ですが、素人がスマホで撮った写真でも簡単にこんな加工ができます。

更新時間 : 20:10:37

8月23日 (土)

はる 9024
2025「仮題 昼寝と猫とカラス」f130
途中
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 小品を描くように大きな絵が描けないものか、とずっと考えていた。小さな作品も閉じられた一つの世界だけれど、大きくなるとなかなか上手くはいかなかった。個展を中心に活動している作家のうまくないところだな。小品は年間約100枚くらい描くのに比べて大作は一点か二点だものな、上手く行くはずがない。
 大体テーマそのものが大上段に構えて堅苦しい。お前はそんなに真面目なのか?もっと普段のだらしない自分を描けばいい。そう思ったんだ。古希を過ぎてやっとそんなもんだ。

更新時間 : 20:04:09

8月22日 (金)

はる 9023
2025「相棒」sm 混成技法
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 今日は比較的に暑さは弱まった気がする。日中になるとまたぶり返すかもな。甲府は全国でも一二の気温だからな、ほとんど日中は外に出ない。
 何の話をしょうか?こうやって誰も聞いていない独り言をつぶやくように書いていく事は嫌いではない。小さな絵を描くのと似ているな。大きな絵は何となく構えてしまっていつも失敗する。普段通り描けばいいのに、やはり器が小さい。

更新時間 : 20:29:28

8月21日 (木)

はる 9022
パス
 教える事は難しい。度量が問われる。

更新時間 : 21:45:25

8月20日 (水)

はる 9021
中澤先生がリタイアした。ショックだな。

更新時間 : 19:52:25

8月19日 (火)

はる 9020
2025 「雨上がり」f0
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 煮詰まった。途中までいい調子で進んでいたのだけれど、このまま終了かと思っていたのだけれど。どうにも面白くない。たとえこのままベストな仕上がりしたとしても、ありきたりなものにしかならない。どうしたものか。思い切ってやり直すしかないか。

更新時間 : 21:33:42

8月18日 (月)

はる 9019
昨日の夕焼け空。
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 知り合いの訃報があった。一緒に活動していた元気な頃を思うと泣けてくる。そうなんだ。そんなに具合が悪かったなんて知らなかった。ご冥福をお祈りします。

更新時間 : 19:50:45

8月17日 (日)

はる 9018
2025
「音楽の捧げもの」落書き
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 「音楽の捧げもの」はバッハの名曲だな。バッハの頃の音楽はフーガに代表されるように同じフレーズが何度もなんども波のように繰りかえされる。この最初の主題のフレーズはなんとも奇妙な音の連なりで、素人の耳にはわざと音を外したような感覚になる。決して美しいメロディではない。というのもこのメロディは王様がバッハに難題として与えたもので、さてこのメロディから何か美しい音楽を作ってみせろという課題だったんだな。だからわざとバラバラな音の連なりに感じるのだな。
 ところでこの調子はずれのバラバラ感が現代音楽の「全ての音を平等に扱う」シェーンベルクなどの12音技法につながるから面白い。ちなみに一オクターブは12個の音で出来ている。余談だが、NHKfmの「現代の音楽」のテーマ音楽はこのバッハの「音楽の捧げもの」だった。

更新時間 : 22:35:25

8月16日 (土)

はる 9017
2025「昼寝」f10部分
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 銀座で個展を始めた頃言われたことが頭から離れない。「画商を本気にさせるには儲けさせる事だ」なるほどな、彼らも商売でやっているのだから、どんなにいい展覧会であっても万年赤字じゃやっていけない。画廊の矜持として商売抜きでやる展覧会もたまにはあるだろうけれど、基本仕事でやっている。レンタルして会場を使う貸し画廊なら売上はどうでもよくて、借りてくれる作家がお客様ということになる。プロとして生きていくには、まずは同じ気持ちでやっていける画商さんを見つける事だ。同じ銀座で個展をやったとしても企画か借りかで全く違う。作家と画廊とは二人三脚だと思う。

更新時間 : 20:23:16

8月15日 (金)

はる 9016
昨晩は地域の夏祭りだった。ここ何年かコロナの影響で中止になったり、雨天のためにやらなかったりして久しぶりのお祭りだった。
 子供の頃は夏祭りは楽しかった。もっと規模が大きかったし、屋台や出し物もホンモノのバナナの叩き売りやがまの油売り、ムシロでかこったお化け屋敷、見せ物などオドロオドロして怖がりながらも見たく仕方なかったな。
 最近の地域の祭りはテキヤさんを排除して町内会が主催していて安心安全で健全ではあるけれど、あの恐ろしげな怖いもの見たさの興奮は影も形もなくなった。まぁ、これも時代なのかもしれないな。一抹の寂しさがある。

更新時間 : 19:41:44

8月14日 (木)

はる 9015
2025「旅支度」f8部分
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 個展で展示する絵は大きくても20号までと決めている。何故なら宅急便で送れるサイズが縦横幅で最大で200cmまでだからだ。それ以上になると色々と面倒臭い。
 97年から個展を中心に発表するというカタチにシフトした。それまでは色々なコンクールや公募展に積極的に挑戦していた。上手くいった事もあるけれど、駄目な事の方が多かったな。絵描きは地道に制作して個展で発表するというのが一番大事な事と気がついた。それからはコンクールには出していない。
 唯一出しているのが国展でもう35年になる。会員なので審査はないので公募展とは言わない。個展中心の作家が公募展の作家であるというのは少ないのではなかろうか。私は個展では小品を展示して国展では大作と棲み分けている。
 同じ世代で頑張って来た仲間がだんだん年取って辞めていくメンバーが多くなって来た。会費だけでなく運搬やストックその他の経費も大きいかな。まぁ明日は我が身でいつまで大きい作品が描けるかどうかわからないけれど、出来る限り続けたいとは思っている。
 大作には大作の面白さや意義がある。いつも大体新しい事を試している。だからいまだに作品が一定しない。まぁそれでもいいと思っている。

更新時間 : 21:47:58

8月13日 (水)

はる 9014
パス

更新時間 : 21:38:33

8月12日 (火)

はる 9013
2025「少年時代」f3 混成技法
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 この歳になると子供の頃をよく思い出す。小学校に上がる前は同じ神戸でも西の端垂水という所に小さな借家を借りて住んでいた。家族は親兄弟と叔母さんで計八名という大家族だった。親父は県の役人だったからそこそこの暮らしは出来ていたはずだけれど、兄弟が多かったからお金には不自由していたようだ。子供はそんな事関係なく楽しく暮らしていたな。
 一番下だったのでお下がりが多かった。時には姉さんの丸い襟のシャツなどをあてがわれたりしてそれがとても傷ついた覚えがある。お袋は手先が器用だったので何でも自分で作ったりしていた。当時は当たり前だったけれど、ズボンなどはつぎ当てが普通だった。毛糸のセーターなどもほどいて染め直して新しく編んでいた。
 小遣いなどなかったので、必要な物は何でも自分で作るしかなかった。絵を描くよりも工作少年だったように思う。空き箱や布など捨てる前に私に必要かどうか聞いていた。ちゃんとストックする場所が確保されて居た。考えると今も同じ事をしている。

更新時間 : 20:57:46

8月11日 (月)

はる 9012
今日のアトリエ
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 毎日が飛ぶように過ぎていく。昨日と同じような今日ですが、当たり前の事でですが昨日と同じではない。
 初めて壁塗り用のローラーを使ってみた。随分昔になるけれど、タピエスが大きな床を拭くモップみたいなものでバケツに入った絵の具を画面に塗り込んでいる動画がアップされていた。小さな筆だと手わざがそのまま画面に定着してしまう。細かく描き込んで仕上げていく絵とは違い出来るだけ大雑把に画面を作っていくにはどうすればいいのか考えていた。
 描き込んで精度を上げていく描き方は仕上がりが見えている。そこに向かって作業を続けていけばやがては完成する。それはそれで大切な仕事だと思うのだが、ある意味作業だと思うのだな。どうなるか分からない一か八かの仕事にこそ芸の本質があるような気がする。いつも最前線にいてピリピリしていたい。だから壊してばかりりいっこうに仕上がらない。半世紀近くやってもいまだに模索している。自分のためにだけ描く大作は実験みたいなものだ、それでいいかなとも思っている。

更新時間 : 21:58:50

8月10日 (日)

はる 9011
 早いものだ。

更新時間 : 20:39:45

8月9日 (土)

はる 9010
パス

更新時間 : 21:47:54

8月8日 (金)

はる 9009
パス

更新時間 : 19:30:51

8月7日 (木)

はる 9008
昨日長野の梅野記念絵画館に行って来た。甲府からは岡谷まで高速で後は一般道でそれでも2時間くらいかかった。美術館は小さな丘の頂にあってなかなかいい雰囲気だったのだが、なにぶん暑すぎて何処にも寄れなかったし、レストランなどもお休みだった。水曜と木曜は休みが多いそうだ。残念。

更新時間 : 19:17:03

8月6日 (水)

はる 9007
梅野絵画館に行って来た。

更新時間 : 19:01:23

8月5日 (火)

はる 9006
清明 杜牧
C明時節雨紛紛
路上行人欲斷魂
借問酒家何處有
牧童遙指杏花村

時は清明の時節というのに春雨がしとしと降りしきっている。
その中を歩いていると、侘びしさに心が折れそうになる。

私は尋ねる。
「ちょっと君、居酒屋はどこだい」

牛飼いの少年は、はるか先の杏の花咲く村を指差した。
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 例えば独裁国家なら個人の思惑など考慮せず無駄を省いて徹底的に豊かさだけを追い求めれば簡単に物質的な豊かさは手に入れることが出来るだろう。簡単に世界戦略で優位に立つことができるかもしれない、しかし、それだけでは人は幸福にはならない。鄙びた田舎の自給自足的な悠々自適とした、やっと生きているような暮らしの中にも、無駄だと捨てて来た風俗や習慣の中も人の幸福のカケラが隠れていると気付く。彼の国が捨てて来た思想や哲学や道徳が本当は世界中から富を集めるより、人々から賞賛され誇りになり憧れの対象になる、人の幸せには一番有効だである事を知るだろう。一足先に衰退した某国からのやっかみ半分の助言だな。話が違う方向に来てしまった。つづきはまた。

更新時間 : 21:37:28

8月4日 (月)

はる 9005
今日の収穫
 上の冬瓜は実生です。コンポストの堆肥から発芽したものてす。今年の堆肥は二年ぐらい前のものでもうほとんどが土になっていたのですが、その中に何処かでまぎれ込んだ冬瓜の種があったのですね。畑の至る所から一斉に小さな芽を出しました。最初は南瓜だと思って何本かそのままにしていたら何と大きな冬瓜の実がついた。しかし蔓類はたくましいね。今はサツマイモが畑を覆い尽くす勢いだ。かぼちゃにしろサツマイモにしろ飢饉の食い物だからな、滅多なことでは枯れないのだ。ありがたいことだ。
 閑話休題
 まあ、よく若い頃はこれからのアートシーンだの時代の最先端はこれだとか考えたり話したりしたものだ。まぁ、それだけ真剣だったしとんがってもいたのだろう。しかし、その時代のど真ん中にいてこれからのシーンなど読めやしないのだ。ほんの一部の恵まれた天才だけが時代に選ばれるだけだ。それも人類の歴史から見れば泡沫のようなもので確実なものでは無い。それに村上隆や草間彌生や小松美羽を持ち出して先端を語るのはもう遅い、時代はもっと先を行っている。いくら追いかけても永遠に届かない幻のようなものだ。冬瓜やかぼちゃのように地に足を付けた身の丈に合ったしたたかな表現を目指した方が遠回りのようで結局は残るのではないかと私は思う。

更新時間 : 21:51:32

8月3日 (日)

はる 9004
 裸婦クロッキー

更新時間 : 19:31:51

8月2日 (土)

はる 9003
今日のアトリエ
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 11月の地元甲府の個展と来年の国画に向けて130号を始める。美術館のような大きな会場では130号も小さく見えるけれど、自宅のアトリエではご覧のようにいっぱいいっぱいですね。
 今のところただ絵の具を塗りたくってだけの何にでも成れるips細胞みたいなものだ。しかし、ここをしっかり作っておかないと後から何とかなるものでは無い。
 6月にここ20年ぐらいの大作のなかから10点ほど選んで回顧展のようなものをやった。セレクトした時に感じたのは半分くらいは駄作だという事実だ。ほぼ半世紀かけて命懸けでやって来たにもかかわらず結果は無惨なものだ。
 もう私には残された時間は10年あるかどうかだな、それでもなんとかこれだというものをつかむところまで行きたい。

更新時間 : 09:13:42

8月1日 (金)

はる 9002
2025「路上のチェリスト」f20部分
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 バッハの無伴奏をもう10年くらいからかっている。とても弾いているとは他人には言えないレベルでなのであまりここでは話題にしていない。究極的には音楽は全て歌なんだと最近気がついた。耳から入ってそのまま同じように唄えるならあなたは音楽の才能がある。語学も似たようなところがあるな。ミミコピが出来たらさぞ楽しいだろう。私には音の微妙なずれが分からない。要するに音痴という事だ。

更新時間 : 10:04:54

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