7月31日 (木)
はる 9001 散歩道 しかし、暑いな。 、、、、 はる 9000(ブログ記事のカウント) この9000という数は一朝一夕ではいかないカウントだな。毎日一つずつ積み上げて約25年かかる。私がネットに記事をアップし始めたのが2000年頃からなので辻褄が合う。 始めた当時はまだブログなどという便利なツールもなかったし、もちろんfbもInstagramもなかった。ネットは今のように常備接続ではなく電話回線を利用してつなげたので、夜の11時すぎのテレホーダイの時刻まで待たねばならなかった。 日記は掲示板という無料ツールがあったのでそれを利用した。少ない読者だったが、その頃に繋がった友達とは未だに交流がある。 文章修行などしたことはないけれど、毎日こうやってなんだかんだ記事を書く事で、文章を書く事、自分の気持ちを表現することに慣れた事は確かだ。自分を掘り起こすことは表現活動の原点ですべての表現に共通することのように思うな。 更新時間 : 21:33:36
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7月30日 (水)
はる 9000 9000カウントになった。おめでとう。 更新時間 : 20:37:16
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7月29日 (火)
はる 8999 スイカのオブジェは焼物作家の松田百合子です。鉄のオブジェは不明。 、、、、 日本家屋の床の間というのはよく考えられた空間だな。昔はどんな田舎に行っても仏壇と床の間はセットであった。田舎の方が立派だったかな。最近の洋風建築になっていつの間にかこの床の間が消えた。無駄な空間ということになったのかな。まぁ、フローリングの床に椅子やテーブルの生活空間に床の間は似合わない。 床の間が無くなったということはその空間意識も無くなったということだな。春夏秋冬その時々の花をいけ、掛け軸を飾る。掛軸は絵でもあるし歌や詩でもあった。その意識が無くなったという事は由々しきことでは無いのかな。 経済的成長ばかりを追い求めた結果、一見日本は世界でも稀に見る豊かな国になったように勘違する。しかし、能率や生産性だけで豊かさは測れない。一見無駄に見えることにこそ豊かさの本質があるように思うな。話は少し違うけれど、そういう意味でやたら断捨離することに反対だな。何も無いモデルハウスのような所に住みたいとは思わない。ゴミ屋敷は論外だけれど。 例えば独裁国家なら個人の思惑など考慮せず無駄を省いて徹底的に豊かさだけを追い求めれば簡単に物質的な豊かさは手に入れることが出来るだろう。簡単に世界戦略で優位に立つことができるかもしれない、しかし、それだけでは人は幸福にはならない。鄙びた田舎の自給自足的な悠々自適とした、やっと生きているような暮らしの中にも、無駄だと捨てて来た風俗や習慣の中も人の幸福のカケラが隠れていると気付く。彼の国が捨てて来た思想や哲学や道徳が本当は世界中から富を集めるより、人々から賞賛され誇りになり憧れの対象になる、人の幸せには一番有効だである事を知るだろう。一足先に衰退した某国からのやっかみ半分の助言だな。話が違う方向に来てしまった。つづきはまた。 更新時間 : 19:40:02
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7月28日 (月)
はる 8998 2025「コーヒーブレイク」f3部分 混成技法 、、、、 赤というのはなかなか魅力的な色で「何か赤い絵が欲しい」という人も多い。ところが赤は赤のまま何もしないのが一番美しい。何か小細工すると途端に下品になったり濁って汚らしくみえる。赤が魅力的に描ければ一人前ではなかろうか。下地になにかしら施して誤魔化すしかない。 更新時間 : 20:16:31
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7月27日 (日)
はる 9897 山梨新報7/25 コラム 、、、、 このコラムも、月一で書いて88回目だからもう7年も続いている。絵の事だけなら、同じような事ばかりになるので、出来るだけ変化をつけるようにしているが、どうなんだろう。何処かで文章修行した訳でもないので、「てにをは」さえまともには使えない。絵描きの戯言だと思って読んでもらえればそれでいい。 更新時間 : 19:28:38
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7月26日 (土)
はる 8996 2025「カテドラル(パレルモ)」ドローイング 23x15cm 水彩紙 千代紙、アクリル絵の具、土、墨、パステル、ボンド、定着剤など 、、、、 ドローイングは楽しい。使える画材は何でも使う。失敗したら水で流す。ドロドロになってもいい。何も見ないし、描写もしない。絵の中で絵を探す、そんなことの繰り返しで一番いいところで終わりにする。遠近法もデッサンもない。絵になるかならないかだけだな。 更新時間 : 23:10:57
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7月25日 (金)
はる 8995 昨日は県展の会議で県庁に出かける。県庁の建物はなかなかカッコいい。 更新時間 : 20:52:30
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7月24日 (木)
はる 8994 県の文化祭集まり 更新時間 : 20:28:42
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7月23日 (水)
はる 8993 暑い。 更新時間 : 22:03:48
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7月22日 (火)
はる 8992 2025「不機嫌な王女」f8部分 、、、、 こういう少女も好きだな。デッサンがどうのこうのいう絵ではないのでね、アカデミックな美術教育を受けた人には描けないのじゃないかな。遠くは松本俊介とかフラッグシリーズになる前の水島哲雄とかドンゴロスになる前の宮崎進など。 更新時間 : 12:36:02
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7月21日 (月)
はる 8991 コンサート 更新時間 : 19:46:01
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7月20日 (日)
はる 8990 2025「昼寝」f10部分 、、、、 この何というのか遠近法を全く無視して子供のように好きな所に好きな物を置くというのがなかなか出来ない。簡単な事のように思うけれど、固定観念ができてしまったオッサンには出来ないのだな。 考えてみるとこういう絵は初めて描いたかもしれん。シャガールのように自由に人や馬が飛ぶ絵に憧れる。昔は嫌いな作家の一人だったのに変わるものだ。 更新時間 : 19:43:33
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7月19日 (土)
はる 8989 パス 更新時間 : 20:13:35
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7月18日 (金)
はる 8988 パス 更新時間 : 21:38:35
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7月17日 (木)
はる 8987 パス 更新時間 : 21:39:52
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7月16日 (水)
はる 8986 パス 更新時間 : 19:23:50
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7月15日 (火)
はる 8985 2025「眠れぬ夜の話」f8部分 未完 、、、、 さて、続きを考える。 医者に掛かれば感じる事が多い。医療というのは情報だという事だ。過去の色々な症例などパソコンで検索すれば山ほど出てくる。ちょっとした専門家にも負けないくらいの情報が得られる。まぁ、だからといって全てが正しいわけでもないのだがね。 医者はほとんど患者を見ていない。パソコンの画面を観ながら話をする。そこにはもう患者と医者という関係は存在しないように思うな。これだけA Iが発達すれば近い将来、治療はAIに取って変わられるように思うな。最適の治療の選択は私情や能力をはさまないAIのほうが優れているかもしれない。医療が情報であるとするなら、その可能性は高い。 こんな事を書きたかったわけではないな。仕事について考えていた。 更新時間 : 20:12:24
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7月14日 (月)
はる 8984 パス 更新時間 : 22:06:15
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7月13日 (日)
はる 8983 2025「旅支度」f8部分 、、、、 篠田節子「ミッション」 「僕たちは巡礼に、出る日を目指して生きているんだ。家畜や人の糞の入った重たい籠を背負ってはたけまで行っり、一日中、地面をみて麦をうえたり。、、、まだ夜があけないうちに起きだして乳を搾って、水をくんで、子供を育てる。男も女も。いや、ヤクや羊だって荷物を運び、乳を出す。苦しいけれどそれが僕らの果たさなければ仕事だから。、、、僕たちは使命を果たすために生まれてきて、今、ここにいるんだから。、、、死んだとき、僕たちは、男も女もヤクも羊もみんなそれぞれ苦役からかいほうされる。、、、父親、母親、長老、それぞれの役目のいろいろな使命があって、それを終えたとき、僕たちはようやく自由になるだ。、、、役割や立場、背負って歩いたさぞかしの重たい荷物を返していいんだ。それで初めて巡礼に、出ることが許される」 。。。。。。 最近は夕食を取ると早めに風呂に入ってタオルケットにくるまって寝てしまう。暑いのでね。で、このところ寝床で篠田節子の著作を図書館から借りて随分と読んだ。結構な長編が多い。その中の一冊が上の文章だ。 仕事って何だろうとこのところまた考えていた。上の文章によると、仕事というのはその人が生まれて来た以上果たさなければ使命(ミッション)だというのだな。好きだ嫌いだしのごの言っているうちは、まだ本当の意味の仕事ではないらしい。自分のやりたい事を探すだとか、やりがいがあるとかないとか、どうしても自己中心的に考えがちだけれど、それもこれも本来の仕事ではない。やがて歳とって全ての役から解放されたとき巡礼の旅に出ることを許される。みんなそれを目指してその日その日を生きている。インド哲学の四住期の意味が少しわかった。 、、、、 古代インドでは「四住期」という考え方が生まれ、広がった。 これは、人生を「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」という4つの時期に区切って、それぞれの生き方を示唆する思想である。 更新時間 : 21:40:14
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7月12日 (土)
はる 8982 山梨県立美術部 夏の空 、、、、 いよいよ夏本番になって来た。入道雲と木々の濃い緑の対比が美しい。こういうのを見ると宮崎駿のアニメを思い出す。同じ世代を生きて来たんだなと思う。 更新時間 : 19:52:27
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7月11日 (金)
はる 8981 2025「ジンタの少年」f3 未完 、、、、 仕事は難しい。資産家の御曹司でも無い限り働かないと食っては行けない。だからといって食っちゃ寝てばかりの人生もつまらんだろう。仕事は面白い、楽しいからやるものでもないかな。 更新時間 : 18:30:17
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7月10日 (木)
はる 8980 2025「糸の月」f3 部分 、、、、 人が動くと書いて「働」、そうなんだ。兄貴は大企業に勤めて定年前にアーリーリタイアした。多くのサラリーマンの理想的なリタイア後の生活をしている。 仕事は大きく分けると、物を売るかサービスを売る、時間を売るかな。ロケットを売っても大根を、売っても売る事に違いはない。公務員や医者や弁護士、ホストまでサービス業業といってもいいか。パータイマーやアルバイトは大体が時間をうってお金に変えるので非正規や非常勤や派遣の仕事は一番割に合わない仕事だな。 更新時間 : 21:57:57
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7月9日 (水)
はる 8979 パス 更新時間 : 21:40:19
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7月8日 (火)
はる 8978 パス 更新時間 : 20:06:11
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7月7日 (月)
はる 8977 パス 更新時間 : 19:45:31
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7月6日 (日)
はる 8976 1991「冬の旅」f0 油彩 、、、 2025/6/21〜8/24 東御市海野記念絵画館 長野県東御市八重原935-1 0268-61-6161 、、、、 「私の愛する一点展」 展示された作品たちは埋没した歴史や芸術家に光を当て新たな価値を見出すコレクターたちが、それ一点に絞った「眼力」と、それを言葉によって輝かせる「鑑賞眼」で、私たちに美の挑戦をします。多士済々の美の饗宴となるでしょう。 海野記念絵画館 館長 岡部昌幸 、、、、、 古い小さい油彩画を一点出品して居ます。機会があればご覧下さい。 88年に初めて銀座で個展を開催して、さてこれからどうして行こうか暗中模索していた頃だな。地元の小さな骨董屋の2階のスペースを借りて毎年個展をしていた。91年といえばギリギリ30代、国画に出品し始めた頃でまだキャンバスに油彩というオーソドックスな手法で描いていた。 源氏絵巻のような俯瞰的な構図で絵作りしたりして何とか自分なりのオリジナルなスタイルを構築したいと焦っていた頃だな。しかし今から考えるとスタイルというものは生き方とリンクしているもので、初めにスタイルありきでは無いのだな。ある程度の人生経験を経ない事にはスタイルもへったくれもない。それ故に若い作家がしたたかな画商に乗せられて使い捨てられていくのが忍びない。 人の思考回路というのは螺旋を描くようだ。35年も経つけれど、同じような事を画材や手法を違えて未だにやっている。 更新時間 : 22:08:47
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7月5日 (土)
はる 8975 2025/6/21〜8/24 東御市海野記念絵画館 長野県東御市八重原935-1 0268-61-6161 、、、、 「私の愛する一点展」 展示された作品たちは埋没した歴史や芸術家に光を当て新たな価値を見出すコレクターたちが、それ一点に絞った「眼力」と、それを言葉によって輝かせる「鑑賞眼」で、私たちに美の挑戦をします。多士済々の美の饗宴となるでしょう。 海野記念絵画館 館長 岡部昌幸 、、、、、 古い小さい油彩画を一点出品して居ます。機会があればご覧下さい。 更新時間 : 19:41:12
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7月4日 (金)
はる 8974 今日のアトリエ 、、、、 人はもの考える動物だといっても過言ではない。考えるといっても何か系統だてて考えている訳ではなく、走馬灯のように次からつぎと想いが駆け巡って同じ事を堂々巡りしている事が多いな。モノを書く、描くことはその堂々巡りに一定の印をつけるようなものだ。作品はそんな私の浅はかな思考過程を晒しているように思うな。古希を越えた爺さまの白昼夢みたいなものだ。これは多分AIには真似できないだろう。真似ても何の意味もない。 小品を描き始めた頃、なかなか思うようには描けなかった。考えれば分かるけれど、スケッチやクロッキーなら誰でも慣れれば描ける。小品は大作のスモール版ではない、部分でもない独立した一つの作品だ。0号でも100号に匹敵するクオリティを持つ作品を描きたい。これがなかなか難しい。 更新時間 : 19:48:02
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7月3日 (木)
はる 8973 失敗作 ツルが暑さの為か枯れてしまったので収穫したけれど、まだ未成熟でした。ただほんのりと甘くはありました。 更新時間 : 21:35:53
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7月2日 (水)
はる 8972 山美 更新時間 : 19:37:39
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7月1日 (火)
はる 8971 七月です。 更新時間 : 07:54:22
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