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絵描きのぼやき

5月31日 (土)

はる 8941
散歩道 花の冠 
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 七十を幾つか超えても、収入は不安定で明日のことは予測はつかないのだけれど、とりあえず健康で絵を描いて生きているから良しとするか。これ以上何を望むのか。王侯貴族のようなシロツメクサの花の冠だ。次作は花の冠をつけた自画像にでもするか。

更新時間 : 22:30:12

5月30日 (金)

はる 8940
夢のまにまに          
自分の人生を俯瞰的に眺めて、自然に「夢のまにまに」という言葉がでてきました。調べてみると「まにまに」とは、漢字で「随に」と書き、事の成り行きや状況に合わせて進む様子とある。ようするに、夢を見るように事の成り行きに身を任せるということらしい。なんと素晴らしい言葉でしょう。
今回、古い作品たちを引っ張り出して並べてみて、予想していた以上に大きくて黒くて重い作品たちが、無言で何かを訴えてきて来て胸を熱くした。2000年といえば、私は人生で初めて病を得て入院、手術と大きな転換期であったことは確かだ。憧れたフランチェスコ派の修行僧のように欲張らず、出来るだけ色をおさえ、色に惑わされないようにしようとしていたようだ。
これから何処へゆくのか、行きつく先は未だにみえません。問い続けること、それ自体が目的といえるかもしれません。長い旅の道中をご一緒に楽しんでもらえれば嬉しく思います。
今回あらためて自らの人生を振り返る機会を得ましたことを感謝いたします。

更新時間 : 19:40:37

5月29日 (木)

はる 8939
「生活の柄」f130
混成技法
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 特別な人のアートなどどうでもいいかな。私は極普通の市井の人々の共感できる苦悩や喜びを描きたい。私自身が経験したり感じたことを分かりやすく表現したい。最前線の飛び抜けたアートは特別な人に任せて、私はわたしのやり方でやるしかない。それがわたしの生き方なのだからね。

更新時間 : 21:12:57

5月28日 (水)

はる 8938
2016「最後の舟」f130部分
混成技法
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 そうだな、元々特別な才能があったわけではない。人と比べて多少なりとも物を作ったり、書いたりするのが好きだったというだけだ。ただ、そんなことだけで食べて行けるはずもない。
 銀座で初めて個展をした画廊のオーナーと話をしていて「どんな絵を描けばいいのか」という話になった。オーナーが言うには「最初はマニアックな絵の方が火がつくのは早いし売りやすい、けれど飽きられるのも早い。長くやっていくには結局自分を掘り下げて行くしかない」というような話しだった。私には特別な才能も知識もないけど、ダラダラと一つの事を考え続ける特技というのか癖がある。まぁ。長く続けていけるというのも一つの才能かもしれんなと思った次第。

更新時間 : 18:29:20

5月27日 (火)

はる 8937
200?「おおいなるもの」f130
混成技法
スクエア展で展示予定
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 ある時「俺はどうしてこれ以上いかないのかな?」とカミさんに聞いたら、「アナタは普通で変じゃないから」らしい。そういえば、一流といわれる人はどこか変だ。それがそういうフリをしているのではなく天然に変だ。その人が幸せかどうかは関係ない。そういうふうにしか生きていけないのだろうな。そういう範疇からみれば、私はごく普通の小市民だ。
 こうなると、残り少ない日々をジタバタしないで、極普通の当たり前の人間がどこまで極められるかやってみよう、ごく普通の小市民にしかわからない仕事を残していこうと思う。

更新時間 : 20:27:08

5月26日 (月)

はる 8936
畑で蜂に刺された。すぐに吸い出してキンカン付けたので比較的に腫れなかった。しかし、昨年もやられたので注意はしていたのだか、こりないな。家の周りは雑然とした森のようなので、ムカデや蜂はお友達なんだけれど油断するとこうなる。
 色んなところに伏兵が潜んでいるということだ。まぁ、蜂に刺されて痛かったですめばいい方だ。人によってはアレルギー反応でショック状態になって救急車のが厄介になる場合もあるそうだから気をつけないとな。

更新時間 : 19:53:59

5月25日 (日)

はる 8935
2016「最後の舟」f130 部分
 クリスチャンではないのでキリスト教の教義はよく知りませんが、方舟や「バベルの塔」やイカロスの逸話は分かりやすい。iPS細胞や遺伝子組み換えなどを突き詰めていくと、いつの間にか触れてはいけない神の領域に入っていくように思う。不老長寿は人類の太古から願望だったけれど、例えば脳のデータを全てコンピュータに移し替える事ができれば、肉体は無くなるけれど理論的には永遠の命を獲得出来るな。まぁそれが生命といえるかどうかは別にして。最近のai の進化をみていると満更絵空事ではなくなってきたように思うな。

更新時間 : 18:14:51

5月24日 (土)

はる 8934
左1996「いのる」f100 油彩
右2021「収穫祭」s100混成技法
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 左の油彩画は今回出しません。
 こうやって過去の作品を眺めてみると、大きなテーマは変わらないけれど表現の方法がかなり変わっているな。他人にはほとんど変わって見えないかもしれんけどな。
 そうだな、基本的に具象画なんだな。あまり具象画を描いている意識はないのだが、出てきたものは何かしらを物語っている。具象と言いながら描写系ではない。描写系の作品というのは完成形が頭の中にあって根を詰めさえすればいずれ完成は見えている。しかし私の場合、完成形は見えていなくて出たとこ勝負でどんどん変化してゆく。水物だ。仕上がるかどうかはその時の運と感覚による。何も描いてはいない。いいかげんの極みだな。そういう人間なんだよ。私は。今更変えられない。しかし、考え方によれば今ここで絵を描いて生きていられるのは、そんな人間の絵でもみたいと思って来てくれる人がいるで、ありがたい事だ。

更新時間 : 19:53:32

5月23日 (金)

はる 8933
2002「寓話」f6 再掲
個人蔵
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 時々「あぁ、あれはどこに行ったのだろう」と思い出す絵がある。まだ混成技法になって間のない頃で技術的には未完成ながら、色といい形といい上手い具合にきっちりハマっている。描こうとして描けるものではない。神戸で初めて小さな画廊で開催した個展で高校の同級生が買ってくれたのを思い出した。元気にしているだろうか?
 96年に一年間の長い旅を終えて帰宅して最初にしたのはアトリエから油彩画の道具を撤去した事だ。まがりなりにも油彩画である程度の評価を得ていたにも関わらず、撤去することに躊躇はなかった。それまで使っていた油絵の具やオイル、キャンバスなどすべてをアトリエから排除した。ある意味気分的には清々した。
 油彩を離れてみると何故あれほど油絵にこだわっていたのか不思議に思う。印象派以降の探りがきのような描法では水彩のガッシュやアクリル画の方が適している。生乾きのキャンバスの上で混ぜ合わせるような描き方も慣れるとそれなりに面白いのだが、油彩本来の描き方ではない。
 ある時を境に全てを更新するという生き方は私には馴染み深い。徐々にとか段々に変わるというが嘘くさく感じる。同じ事なら思い切って全てを捨てて新しく出発する事を良しとするようだ。いや、結果的にそうなっているだけで、本人は至って穏やかに生きているつもりですが。
 さてさて、これから先の事だ。

更新時間 : 20:52:09

5月22日 (木)

はる 8932
2025「雨に咲く」f6 混成技法
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 むかし「雨に咲く花」という歌謡曲があった。調べてみるとと1935年に流行った歌だということだから、私は小学校の一二年だな。兄弟が多いので心情的にはマセていた。
 一時親父の妹とも同居していた頃があった。美人の誉高き、この叔母さまは当時若い女性の憧れの職場、神戸大丸に勤めていたデパートガールだった。住んでいた借家は全くお粗末な安普請でそこから颯爽と出かける姿は掃き溜めから鶴が飛び立つと揶揄されていた。ハイカラ好きな叔母さまは歌が好きで「雪の降る町を」やこの「雨に咲く花」を歌っていたのを覚えている。
(アダモの「雪が降る」は間違い)
後日談
「雨に咲く花」の、、儘になるなら、、をずっとママになるなら、と思っていた。今回初めて歌詞を検索して知った。意味がまったく違うな。
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「雪の降る町を」作詞 内田直也

1 雪の降る町を 雪の降る町を
思い出だけが通り過ぎて行く 雪の降る町を
  ■遠い国から落ちてくる この思い出を
  ■この思い出を いつの日か包まん
暖かき幸せの ほほえみ

2 雪の降る町を 雪の降る町を
足音だけが追いかけて行く 雪の降る町を
  ■一人心に満ちてくる この悲しみを
  ■この悲しみを いつの日かほぐさん
緑なす春の日の そよ風
、、、、
「雨に咲く花」作詞:橋掬太郎

およばぬことと 諦(あきら)めました
だけど恋しい あの人よ
儘(まま)になるなら いま一度
一目だけでも 逢いたいの

別れた人を 思えばかなし
呼んでみたとて 遠い空
雨に打たれて 咲いている
花がわたしの 恋かしら

はかない夢に すぎないけれど
忘れられない あの人よ
窓に涙の セレナーデ

更新時間 : 20:14:25

5月21日 (水)

はる 8931
昨日の記事を文字通り解釈しては、人が良すぎるな。美しいものはそのままに、そうでないものも美しくカッコ良く魅せる術を持っているのが画家だという意味だよ。

更新時間 : 17:45:51

5月20日 (火)

はる 8930
散歩道
 画家は結構嘘つきです。騙されないように

更新時間 : 21:05:12

5月19日 (月)

はる 8929
2022「サンタマリア教会 アッシジ」f6
混成技法 再掲
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 白色というのは一番バリエーションが多いかもな。絵の具の白は当然として、伝統的な日本画の胡粉や雲母も白に加えてもいい。他にも私がよく使うのが壁材の珪藻土や砥粉も白い物がある。ここで教会の白に使ったのが珪藻土ですが、ご存じのように珪藻土は水にねった状態だと、メリケン粉をねった様なものでまことに扱い辛い。水を多くしてぼってりと盛り上げるように置いていく感じかな。決して満遍なく綺麗に置いてはいけない、そのムラが乾くと面白い効果が出る。隅々までキレイに仕上げ事は小学生でも出来る。塗り残すかどうか、上手くいくかどうか、の境目に作家の覚悟が問われる。

更新時間 : 19:58:29

5月18日 (日)

はる 8928
裸婦クロッキー

更新時間 : 19:16:59

5月17日 (土)

はる 8927
我が家に来てから10年くらいになるか。今年初めて一輪花が咲いて小さな柚子の実をつけた。どうかそのまま大きくなりますように!

更新時間 : 19:40:28

5月16日 (金)

はる 8926
2015「旅芸人」F130 混成技法
スクエア展 榎並和春個展に展示予定
・・・・・・
山梨新報 5月コラム
私のスタイル
 最近のトピックにAIによる絵画制作というのがある。ありとあらゆる情報をコンピュータに入力して、例えば一枚の写真を基にピカソ風にとかゴッホ風に表現して欲しいと打ち込めば、たちどころにそれ風の絵画に仕立て上げて出力してくれるらしい。本物そっくり、写真のような表現というのは彼?にとって、もっとも得意とする分野でしょう。そのうちに3Dの表現も可能になって、ザラザラとかツルツルなどもいとも簡単に表現できるようになるのではないかな。そうなると絵画のオリジナルの意味があやうくなってくる。芸術本来の意味、価値を問う事にもなる。
 話は少しそれるが、ザラザラ、ツルツルで思い出したことがある。人間の造形表現には視覚型と触覚型があるということをどこかで聞いた。彫刻や工芸などの触覚型というのは理解できるけれど、絵画表現の場合の触覚型というのはなんだろうと考えた。例えば自分が今ここにいると認識する術は、色や形だけでは情緒的、感覚的で頼りない。この触覚を加えることにより、より確かになるような気がするが、どうだろう。
 私がやっている混成技法というのはまさに、このことと深く関係しているように思うな。何度もこの場に登場している話で申し訳ないが、もう一度復習しておきます。混成技法というのは何も目新しい技法ではなく、ピカソなどの立体派の作家たちが試みたコラージュのように、一つの画面に色々な物を貼り付けることから始まります。異なった成分のもの例えば、布とか紙、土、木、絵の具など様々なものを一つの画面の中で混ぜ合わせていきます。そこから立ち上がって来るものは予測がつかず、色々な物が混然と一体になった触覚的な面白さではないだろうか。ある種オブジェのような造形物。
とても大事な事なのでもう一度言うと、人が今ここで生きて存在しているという感覚は、仮想空間では絶対に味わえないものでしょう。それは本来、人が芸術や哲学や宗教に求めていることではないかと思うのです。AIでは今のところ不可能ですね。
 私がこのスタイルにたどり着いた事と、今こうやって生きているという事と同列です。作品と作家とは表裏一体のもので分けられるものではありません。またそうでなければ表現者として、今を生きている人々に真剣に問いかけることはできません。話は最初に戻りますが、いくらAIを使って本物と寸分違わないものを作ったとしても意味はないのです。なぜならAIに生き様はないからです。
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 ■2025年 6/17〜6/22 スクエア展
 山梨県立美術館県民ギャラリーB
 併設 「榎並和春個展 夢のまにまに」
今回は基本2000年以降の130号の混成技法の作品を中心に10点ほど並べる予定です。
これから何処へゆくのか、行きつく先は未だにみえません。問い続けること、それ自体が目的といえるかもしれません。長い旅の道中をご一緒に楽しんでもらえれば嬉しく思います。

更新時間 : 20:39:51

5月15日 (木)

はる 8925
パス

更新時間 : 20:45:38

5月14日 (水)

はる 8924
学校

更新時間 : 21:13:36

5月13日 (火)

はる 8923
■2025年 6/17〜6/22 スクエア展
 山梨県立美術館県民ギャラリーB
 併設「榎並和春個展 夢のまにまに」
 
「夢のまにまに」  榎並和春
スクエア展併設個展は10年ごとで、今回で三回目になります。第一回は2005年、二回目が2015年、そして今年2025年が三回目となります。今回は基本2000年以降の130号の混成技法の作品を中心に10点ほど並べる予定です。
 何者かになりたくて絵を始めた訳ではありません。何となく芸術に憧れていつの間にか半世紀が過ぎてしまいました。「夢のまにまに」とはまさにそのことをよく表しています。
これから何処へゆくのか、行きつく先は未だにみえません。問い続けること、それ自体が目的といえるかもしれません。長い旅の道中をご一緒に楽しんでもらえれば嬉しく思います。

更新時間 : 20:09:08

5月12日 (月)

はる 8922
国展、今日は最終日。14:00まで。
この後の巡回展には不参加ですので、今年の国展はこれでお終いです。また来年の100回展でお会いしましょう。ではまた。
、、、、
 千葉、山口画廊の個展は昨日無事終了しました。展示は終了しましたが、作品は今週末土曜日まで山口さんが預かっています。まだ間に合いますよ。

 次の個展は通常の小さな作品展ではなく、ここ20年ほどの大作を美術館で10点ほど並べます。
■2025年 6/17〜6/22 スクエア展
 山梨県立美術館県民ギャラリーB
  併設「榎並和春個展 夢のまにまに」

更新時間 : 18:31:18

5月11日 (日)

はる 8921
パス
木を切った。

更新時間 : 10:03:19

5月10日 (土)

はる 8920
パス

更新時間 : 19:55:58

5月9日 (金)

はる 8919
東京に行っていた。

更新時間 : 22:14:29

5月8日 (木)

はる 8918
明日9日は午後から当番で会場にいます。
ご用意の方はチャリティー展会場までお越し下さいな。
第99回国展はそろそろ終わりです。
12日(月)の14時まで、お間違いなきように。

更新時間 : 20:33:05

5月7日 (水)

はる 8917
パス

更新時間 : 19:24:03

5月6日 (火)

はる 8916
山口画廊の展示風景
 「夕焼け工場」f3など

■2025年 4/24(木)から5/11(日)
第125回・榎並和春個展
個展タイトル「ひとひとのあわい1」
千葉・山口画廊
〒260-0033
千葉市中央区春日 2-6-7 春日マンション
043-248-1560

 子供の日の想い出はおふくろの柏餅かな。私の家は子供が五人もいたので、ひとりひとりの誕生日を祝う習慣がなかった。まぁ戦後すぐのことだったので皆んな貧しかったということもあるけれどな。というわけで罪滅ぼしのつもりか、子供の日には蒸しパンをつくったり、ぼた餅をつくったりしていた。その日は朝から大きなセイロを出したり釜で湯を沸かしたりなんだかんだ忙しくてやっていたなぁ。何だか懐かしい。

更新時間 : 22:03:14

5月5日 (月)

はる 8915
パス

更新時間 : 21:39:28

5月4日 (日)

はる 8914
パス

更新時間 : 21:36:29

5月3日 (土)

はる 8913
試しにai 検索というので榎並和春を検索してみた。本当か?
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榎並和春の作品はどのように評価されていますか?

榎並和春の作品は、特にその独自の技法と深い精神性から高く評価されています。彼の作品は、古典的な要素を取り入れつつも、現代の美術界において重要な位置を占めています。

評価のポイント

技法とスタイル: 榎並は、壁土や弁柄などを重ねる独自の混合技法を用いており、これにより作品は深いマチエールを持ちます。この技法は、彼の作品に強い存在感と精神性を与えています。特に、彼の作品は「祈り」の領域に到達することを目指しており、観る者を深い瞑想の時空へと誘います。

テーマ性: 彼の作品は、日常の何気ない瞬間や存在の意味を問いかけるテーマが多く、観る者に深い感情的な反応を引き起こします。最近の個展「日々賛々」では、日常生活の賛美をテーマにした作品が展示され、重厚なマチエールが特徴とされています。

批評と反響: 美術評論家からは、榎並の作品が古典的な美しさを持ちながらも、現代の精神性を反映していると評価されています。彼の作品は、精神性が希薄な現代美術界において、その意義を増しているとされています。

榎並和春の作品は、技術的な完成度と深いテーマ性を兼ね備えており、観る者に強い印象を与えるものとなっています。彼のアートは、現代美術の中で特に重要な存在として認識されています。
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https://felo.ai/ja/search

更新時間 : 19:31:17

5月2日 (金)

はる 8912
山口画廊の展示風景
 「夕焼け工場」f3など

■2025年 4/24(木)から5/11(日)
第125回・榎並和春個展
個展タイトル「ひとひとのあわい1」
千葉・山口画廊
〒260-0033
千葉市中央区春日 2-6-7 春日マンション

 昔々の話。神戸の長田あたりには工場がいっぱいあって、今のように規制がなかったものだから、それぞれの煙突からいろいろな色の煙を吐いていた。それを電車の中から見ていた子供が「あの赤い煙は夕焼け空を作るんだね」と母親にたずねていた。それを聞いていた私はそうなんだと納得した。

更新時間 : 16:49:48

5月1日 (木)

はる 8911
99回国画会展
「サーカスのジンタ」f130

■2025 4/30〜5/12 国画会展 東京六本木新国立美術館

■2025年 4/24(木)から5/11(日)
第125回・榎並和春個展
 千葉 山口画廊
  043-248-1560

更新時間 : 19:17:25

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