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絵描きのぼやき

5月31日 (金)

はる 8419
2022「この素晴らしき世界」sm

https://m.youtube.com/watch?v=czI0VtKsvFM
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 一昨年だったかな、ある企画でjazzについてやるから参加しないか?と話が来た。若い頃大阪梅田界隈でまるで野良犬のような生活をしていた。若気のいたりというわけで思い出すと恥ずかしい限りだ。当時、昼夜逆転のような生活を当たり前のようにしていたが、夜の仕事はジャズ喫茶でレコード番をしていた。
 チックコリアがリターン・トゥ・フォーエヴァーでさっそうとジャズ界にデビューした頃で、色々なリクエストに答えるために学校の勉強以上に必死にアルバムを覚えた。ルイアームストロングの名前はあのしわがれ声でよく知っていたが、俳優でもありもちろんジャズトランペットの名手でもあった。ボーカルもあの特異な声でなかなか味のある歌をうたう。

更新時間 : 22:20:10

5月30日 (木)

はる 8418
2024「西域紀行」ドローイング25x20cm
阪急で展示予定
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 東洋人である我々は西域に対して憧れるところがある。もっとも遠い昔大陸は文化の中心であったので当たり前の事ですが、シルクロードを通って敦煌から今のアフガニスタンに至る道をラクダに乗って行ってみたかった。特に敦煌の莫高窟は面白そうだな。仏画の壁画だけれどそこはかとなく西欧の聖画イコンぽいところが好みだな。ここまで来るとどちらでもなく「祈りのかたち」という事だな。
 この絵も何か描こうと思って始めたわけでは無く、なんとなく描いているうちに出て来たものだ。イメージしたのはNHKのテレビドラマ、向田邦子「阿修羅のごとく」で使われたトルコの軍楽隊の音楽だ。耳に馴染みのない衝撃的な行進曲だった。

更新時間 : 10:37:10

5月29日 (水)

はる 8417
散歩道
 昨日は春の嵐だった。打って変わって今日は五月晴れのいい天気。緑が洗われて青い空と呼応して美しい。
 絵のような美しさというけれど、このまま写したとしても自然には敵わない。自然をそのまま写す事など出来ないのだ。百年まえに印象派が光を描くということで画壇に登場して来たけれど、自分なりに解釈した自然描写に当時の人は度肝を抜かれただろう。今では当たり前の色のデフォルメはやがては形や説明が消えて純粋な抽象画とカタチが変わって行く。
 この間の生物学者の中野さんの話と繋がるのだけれど、例えば絵画でいうところの構図とかいろのハーモニーとかリズムとか、ロゴス的に考えられてきた以外の、訳がわからなくて捨てて来た混沌としたもののなかにこの世の本質があるのではないかということかな。よって抽象画を観る時はロゴス的に観てはだめで、混沌をそのまま受け入れるしかない。

更新時間 : 22:18:46

5月28日 (火)

はる 8416
2023「ロータリー(南甲府駅)」f6
再掲
■2024年 7/24(水)〜7/30(火)
第121回榎並和春絵画展
個展タイトル「日々賛々3」
 阪急うめだ本店
 美術画廊
 06-6361-1381
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更新時間 : 10:35:14

5月27日 (月)

はる 8415
2024「紅いピアス」f3 混成技法
阪急で展示予定
■2024年 7/24(水)〜7/30(火)
第121回榎並和春絵画展
個展タイトル「日々賛々3」
 阪急うめだ本店
 美術画廊
 06-6361-1381

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 最初、春になって黄色い花束を持った女性を描こうと思った。初めの動機はそれだけだ。やっているうちにどんどん変化して、バックも黄色になってやっと落ち着いた。しかし、何かが足りない。そこで紅い耳飾りを付けたら絵になった。
 形があるから具象画だけれど、何も描写していない。色と形とマチエールが混然と一体化したオブジェ(造形物)だと思っている。
 特にモチーフにはこだわらない。人物が多いことは確かだけれど、風景や静物も描く、特に人物画にこだわっているわけではない。簡単なスケッチやヌードクロッキーは長年習慣でやっているけれど、それを直接絵にしようとは思っていない。モノを描写しないので何を描いても同じことだ。すべて私の造形物だな。

更新時間 : 21:34:54

5月26日 (日)

はる 8414
2024「ニンナナンナ」f3 混成技法
阪急で展示予定
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 そうですニンナナンナとは子守り歌ですね。イタリア語の言葉の響きがかわいいので私の絵には似合わないかもしれませんね。
 母子像は聖母子像を含めて何回も描きましたが、こういったイコンのような画像は私の原点のような気がします。

更新時間 : 21:24:31

5月25日 (土)

はる 8413
パス

更新時間 : 20:15:32

5月24日 (金)

はる 8412
 75絵を描いて何が面白い
最近お袋の13回忌で兄弟が集まった。一番年下の私が古希をすぎているのだから推して知るべしというわけで、いずれ劣らぬ高齢者の集まりだ。みんなそれなりに持病は持っているけれど、今のところそれなりに健康に暮らしている。私と次男坊がまだ現役で仕事をしている。彼は商売をしているので定年がない、死ぬまで働くと豪語している。他の二人の男兄弟は一応名前の通った大企業を定年まで勤めあげた。姉貴を含めて五人兄弟の末っ子の私は経済的にも精神的にも大変お世話になった。しかし、今回の話の主題はそれではない。
色々話していて「ところで絵を描いていて何が面白い?」と聞かれた。直球ストレートの質問で答えに困ってしまった。そうだな、何が面白いのだろう。少し考えながら書いてみよう。
例えば旅に出て「あぁきれいな風景だ」これを何とか記憶にとどめておきたいということってよくあるよね。最近はインスタとかフェイスブックなど便利なものがあるので、どんどん架空の空間にストックできて多くの人の目に晒すことも可能になった。こんなことは今までになかったことだな。このことはまたいずれ書きたいね。絵を描く第一歩はたぶん記録しておきたいとか、記憶に残したいといったことだろうか。
しかし、一番面白いと思う事はそういった記録や記念撮影てきなことではない。普段あまり気にしなかったり、忘れていたこと、記憶の底に眠っていたことが突然目の前に現れて気づかされることがある。絵を描くことがなかったら気づかなかったことだ。潜在意識との邂逅というのだろうか。そんな事も面白い事の一つだな。
 さらに、表現者として絵を描くことで多くの人を巻き込むことができると感じた時だ。自分が感じたり、考えたことを何らかの形で表現したいという欲求は昔からあった。それがどんな形になるのか分からなかったのだが、こうやって何十年も絵を描くことに携わってきて最近になってやっと、少しはカタチにすることができるようになってきた。それが絵描きという生業になるかどうかは結果でしかない。まずは表現したいという欲求が満たされたという喜びかな。
生業というけれど、例えばデパートでなどで個展をしたとする。最初は商品として絵を描くことに抵抗があった。なんだかんだ綺麗事いっても結局は商売かという声が聞こえる。そう、売れないと絵描きはやっては行けない。古くなったとはいえデパートはあちら側の世界の砦だ。そういった大都会のきらびやかな砦の中で、見たこともないような本物を展示することで、あちら側の人たちに私たちの存在を知ってもらう。これって大事なことのように思うのだ。芸事というのはいつの時代も貴賤混合している。どちらか一方だけでは成立できないのだ。これなんか利休が古い朝鮮の生活雑器中に作為的でない本物の美を見出してお茶の道具として珍重したというのと似ていなくもないと自己満足している。こんなことも喜びの一つだ。


更新時間 : 19:52:38

5月23日 (木)

はる 8411
パス

更新時間 : 21:53:31

5月22日 (水)

はる 8410
パス

更新時間 : 21:45:24

5月21日 (火)

はる 8409
今日のアトリエ
何か見えますか?
今日のアトリエ
何か見えますか?
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 絵を生業にすると言っても、人気の作家でもない限りそんなに右から左に売れるものではない。たとえ今流行りの完売作家であっても、長く売れ続けていくのは難しいと思うな。長い人生で考えるなら、いっときべらぼうに売れてあとはしりつぼみになるより、少ないながらもコンスタントに売れてゆく方が、仕事して成り立つのではないだろうか。今流行りのアートフェアに招待された、雑誌に掲載されたとというのも、一握りの仕掛け人に踊らされているだけのように思うな。時のふるいに掛けるとほとんどの人は残ってはいない。
 大芸術家になる必要はない。結局作家は地道に、コンスタントに制作、発表を繰り返して自分の活動を知ってもらう。生き様を晒して本気で共感を得るだけで充分だ。昔のように誰かの推薦が必要とか、どこかの団体の会員であるとか、肩書は必要ない。 fbでもインスタでもブログでも使って出来るだけ多くの目に晒していけばいい。そういう意味では無名の作家にとって、いい時代に生きている?

更新時間 : 20:29:49

5月20日 (月)

はる 8408
2024「希望」f0 混成技法
阪急で展示予定
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 何も知らない幼子から先生と呼ばれるプロの作家まで納得させるような包容力のある尚且つ豪快な作品が目標だ。若い時は分かる人だけ分かれば良いと突っぱねていた。そういう意味では作品はある程度ポピュラリティーを持った方が強いのではないかと思う。かといってあまりにも迎合するのは本意ではないのだが、このところの兼ね合いが多くの作家の悩みどころだな。ピカソやマチスを持ち出すのはおこがましけれど、見事にそれをクリアしている。長生きして生存中から評価かされて巨匠のお二人は食べる事など気にしなくてやりたい事だけをやればいい立場を確立したので羨ましい。もし勝てるとすれば寿命だけだな。それもピカソは91歳、北斎や大観は86、シャガールは96歳だと。100歳以上生きなきゃダメか。それもちゃんといい作品残して。それでも、まだ30年ほどあるがんばりましょう!

更新時間 : 18:08:34

5月19日 (日)

はる 8407
夏野菜が少しずつ大きくなっている。たかが野菜だが、手をかけると答えてくれる。それがなかなかかわいい。

更新時間 : 21:29:11

5月18日 (土)

はる 8406
 パス

更新時間 : 20:00:45

5月17日 (金)

はる 8405
1995第69回国画会展
「ガード下のホームレス」F100 油彩
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山梨新報 5月コラム
町中のノマド
多くの人がリアルタイムでテレビを観ることが少なくなった。我々の頃というのはドリフターズの「8時だヨ、全員集合」のように、ある時間になると家族全員、お茶の間に集まって、同じテレビ番組を観ることがごく普通の家庭のカタチだった。同じ価値観を共有する日本型の、それもこれも昭和の良き風景だな。
それに代わって最近の番組の視聴傾向はネットフリックスなどのように、それぞれ各自が観たい時に、どこでも視聴できるネット配信に傾いている。良くも悪くも個人の好みに左右される多様性の時代なんだな。世界は何処へ向かおうとしているのか、おじさんには読めない時代になってきた。
閑話休題
最近ネットのユーチューブでホームレスたちの動画を観た。どんな時代にも社会からあふれた路上生活者はいた。しかし、現代のホームレスは昔とは少し違うようにみた。彼らは意識的に社会から距離を置いているようにみえる。定住地を持たない彼らは、現代のノマド(流浪の民)といえるかもしれない。たぶん普通の地上波では放送されないだろう特異な世界だろう。
意外かもしれないが、彼らは生真面目な人が多い。まぁ見た目は小汚いレゲエのオジサンなので普通の人は敬遠するのかもしれないが、彼らと我々の間はそんなに違うものではない。ほんのちょっとした事で、誰もがドロップアウトして行く。あなたも私も可能性はある。多くは人間関係だったり、だまされたりした事が、キッカケとなって離脱してゆく。
共通するのは、最初は普通の労働者だった。それが派遣労働者になり、年をとると当然条件が悪くなって段々雇ってもらえなくなり、やがて仕事がなくなる。戦後日本の発展は金の卵とかいわれた、地方の安い労働者を多量に雇い入れたことで成り立っていた。彼らはまがりなりも正規採用で生涯を保証されていた。働き方改革で労働者は正規労働者と非正規労働者に分けられた。名目は適材適所、自由な働き方が出来る、キャリアアップできる、などなど。結局は資本家にとって都合のいい話で、派遣労働者は次第に落ちて行くしかない。そういった最後のカタチが彼らノマド一族だな。
しかし、最初に書いたように私はもう少し違うことを考えた。というのは、古代インドの教えに人生を四つの時期(学生期、家住期、林住期、遊行期)に分けて考える四住期(しじゅうき)という教えがある。人生を25年単位に切って最初の25年は色んなことを学ぶ時期とし、次の25年は家庭を持って家族を養う、その後家族を養うという大役を終えて自らの修業の時期とし、最後の遊行期というのは家族も家も捨てて死に場所を探す旅に出るのだそうだ。まぁ現代ではそこまで徹底することは不可能だが、彼らホームレスの生き様を見ていると、昔の浮浪者というイメージはほとんどなく、自らの道を選択した自由人という、現代の遊行期の行者たちをみるようだ。

更新時間 : 16:27:53

5月16日 (木)

はる 8404
2024「ローマの松」F8部分 混成技法
阪急で展示予定
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 松といえば代表的な日本の庭木ですが、ローマで見た松は日本の松とは全く違うカタチをしていた。「ローマの松」という言葉を知ったのはどこだったのか、うろ覚えではっきりしない。同じ題名の曲があるけれど、それではない。漱石の「坊ちゃん」の中にその言葉を見つけた時は驚いた。
 私の絵は出て来た形は具象画ですが、絵の作り方はほとんど抽象画だな。私の考え方によれば具象は抽象を内包する。でなければ多くの人を納得させることは出来ない。まぁ考え方によれば描く行為は全て抽象的な作業と言えなくもない。
 前にも書いたけれど、芸術家は何を描いてもいい訳ではない。何を描いてもいいのは趣味で描いている作家と絵を生業にしている作家だけだというようなことを書いている人がいたけれど、痛い所をつかれたな。私の作品は芸術作品ではない。
 かと言ってただの風景スケッチや綺麗なネーチャンや花の絵を技を競うよう描きたくもない、いや描けない。そこのところが十人十色、初めて絵を見たひとからプロの作家までを納得させる作品を描きたい。そこが作家としての矜持だな。

更新時間 : 21:41:41

5月15日 (水)

はる 8403
パス

更新時間 : 16:57:20

5月14日 (火)

はる 8402
学生時代の四年間は美術史を駆け上って行きました。見たままの具象からセザンヌを経て次第にキュピズムに傾倒してピカソやブラックの造形手法にハマりました。コラージュや画材に砂などを混ぜることもこの頃からです。
 その頃有元利夫や絹谷幸二がさっそうと画壇に登場。ルネサンス以前の西欧絵画の手法に触れて、今まで手慣れで習慣的に油彩画を描いていた画家達に激震が走った。何という発想の転換だろう。洋画、日本画、水彩などというジャンルを軽々と超えた。水を媒体といして顔料と支持体の混合物としての絵画。
 このままではすまないという予感を胸にイタリアを中心に一年遊学、その後油彩画から今の混成技法に移行した。ブラックは見たままでなく造形することの面白さを教えてくれた作家ですね。

更新時間 : 19:55:06

5月13日 (月)

はる 8401
2023「風羅坊」sm 混成技法
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第98回国展を含めて、私の今年度の春の陣は全て無事終了致しました。お忙しい中ありがとうございました。また、来年同じ頃にお目にかかれれば嬉しく思います。
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はる 3005

 あいつは何をやるか分からないというのはやっぱり怖いものだ。最近では「きれる」という言葉を使うのかな。まぁ、ほとんどの場合は「切れたフリ」してその場の居たたまれなさをごまかしているのだろうけれど、何割かは実際に忘我の境地に達してしまった人がいるのだろう。
 何か調べて書いているわけではないので、適当な話なので流して読んで欲しい。で、一度そういった臨界を越えた人というのは意識するかしないかは別にして、往々にしてそういった状態になりやすいのではないかと想像する。催眠状態というのは、何処か潜在的な無意識の世界に入り込んでいるのだと思うのだけれど、慣れた人はすぐにそういった無意識の状態に入れるようだな。どう考えても自分がそう簡単にあちらの世界に行けるとは思えない。
 個人の許容量みたいなものかもしれないけれど、人によってそのタガというのかバリアーというのが色々のように思う。で、そういったタガはどうやってきまるのかというと、遺伝子的なレベルもあるだろうけれど、案外というのかほとんどが家族環境によるのではないかな。どういった家族構成なのか、信仰をもっているのか、親の職業とか、裕福か貧乏かとかね。
 私のタガは非常に強固だった。一重も二重も何重にも巻きついていて容易にははずすことはできない。いや、今でもそれが外れた自分というのが想像できないし、普段はそのタガによって守られている自分というのを感じるのだけれどね。
 唯一そのタガを越えたのは「絵描きになろう」と決めた時だ。学校の正規の教員を辞めた時にどれだけ開放された気持ちになったか。まぁほとんど後先を考えずに辞めてしまったけれど、不安とか心配というのはなかったな。それよりもこれでやっと本来の望んでいた生き方が出来る。もう後にはひけないと、気持ち的には随分と楽になった。
 ところで、話は少し飛ぶのだが、芭蕉の「笈の小文」というのをご存知か。恥ずかしながら私は全く知らなかった。実は先日、山口画廊のオーナーから飯嶋和一の「始祖鳥記」を読んでみろといただいた。江戸時代の話なのだが、その主人公は空を飛ぶことに一生をかける。まぁ時代がそんなことを許す時代ではなかったので、時の権力者の捕らえられてしまうのだが、そのときに聞かれるのだ。「おまえの中にやっぱり、風羅坊がいるのか?」
 どうしても、どうしても、飛びたくなってしまう。いいかげんに上手く世の中を黙って黙々と働いていれば捕らえられることもなかったのに、この主人公は飛んでしまうのだな、命懸けで。
 その風羅坊というのが芭蕉の別名で、自らをそう呼んでいる。全てを捨てて漂白のたびに出てしまう、その因果なDNAをそう詠んでいる。

更新時間 : 18:26:48

5月12日 (日)

はる 8400
榎並和春個展「日々賛々」
山口画廊と企画画廊くじらのほね同時開催
本日12日夜8:00まで
期間中ドローイングはHPから
通販にも対応します。
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再掲
ある人の文章を読んでいたらこんなことが書かれていた。
 何を描いてもいいのは趣味で描いている人と売り絵を描いていている絵描きで、本来芸術家は既成の価値観を壊していくものだから何を描いてもいい訳ではない。時代に迎合しないそういったものが芸術だ。大体そんな趣旨だったように思う。間違っていたらすみません。
 まぁだいたい絵を生業にしているということ自体、もうすでに芸術家ではないわけで、ある意味言っていることは当たっているような気もする。世界的なアートフェアに招待される作家も、私のような中途半端な絵描きも、ホームレスをやりながらネット販売しているような底辺の作家も、基本的には絵を売って生活しているという点では同じで、芸術家という役を演じながら、世の中を欺いて生活しているようで正直どこか胡散臭く後ろめたいものを感じている。
 とは言ってももうこれしかやりようがないので、一生掛けてやり通せば少しは何かしら恩返しできるのではないかと思っている。ですので、もう少しの間付き合ってもらいたい。

更新時間 : 20:11:13

5月11日 (土)

はる 8399
2024「コーヒータイム」ドローイング
25x20cm
企画画廊くじらのほね にて展示中
、、、、

更新時間 : 20:26:26

5月10日 (金)

はる 8398
2024「花の勲章」ドローイング
25x20cm
企画画廊くじらのほね にて展示中
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■2024年 5/1(水)〜5/13(木)
 第98回国画会展
 六本木・国立新美術館
 #国画会

■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 西千葉 同時開催
 山口画廊 
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 企画画廊くじらのほね 
https://www.gallerykujiranohone.com
ドローイング 25x20cm
期間中くじらのほねのHPより
通販にも対応致します

更新時間 : 19:00:21

5月9日 (木)

はる 8397
バス

更新時間 : 17:50:27

5月8日 (水)

はる 8396
今日は金工細工
水道管の出口が見苦しい大穴が開いてしまった。諸事情で金具が取り付けられないので、アルミの板を買って来て細工した。まだ、水漏れが不確かなので二、三日したらアルミテープで止める予定。
 ブリコラージュ的生活(自作自給的生活)

更新時間 : 14:55:19

5月7日 (火)

はる 8395
 キッチンのカランの交換の顛末
 最近の事、水と湯のでる複合のカランの調子が悪く。閉めてもぽたぽたと水滴が落ちるようになってきた。パッキンを交換すれば済むと安易に考えていたのだが、パッキンを交換しても症状は変わらなかった。思いっきり閉めるとガックと嫌な感触があって水の方のネジ山が切れてしまったようだ。これで水が止まらなくなった。カランそのものを交換しなければならない。
 カランの交換など簡単なものだろうと高をくくっていた。やってみるとこれがなかなか難しい。自分で改装した古いキッチンなので新しい今のカランが都合よく適応できないのだ。
 まず、引っかかったのが古いパイプとの接続だ。どうしても3cmほど引っ張り出す必要が出てきた。ホームセンターに見に行ったがそんなに都合よく3cmのジョイントなどあるわけない。というわけで、ネットで検索。これがまた上手い具合にヒットするんだな。早速注文する。明日には着くそうだ。それが右上の品物。
 なんだかんだスムースには仕事が進まない。なんせ30年も使っていたパイプだから中は錆びて脆くなっている。歯ブラシとボロ布でぬめりを奇麗にする。
 次に手を焼いたのがジョイント部分の水漏れだ。シールドというテープを巻くことは知っていた。水道屋さんの工事の手順をよく観察していたので、テープを巻けば誰でも簡単にジョイントできると思っていたのだな。
 見ているのと実際にやるのでは全く違う。ネットで検索してテープの巻き方など情報を仕入れてやってみるが、これがなかなか止まらない。プロはいとも簡単にやる。そこが素人との違いだな。いくらやっても最初はいいのだが少し時間がたつとポロリと雫が垂れる。壁の中なので放って置くわけないはいかない。絶対に止めなければプロを呼ぶしかない。ここまでやって専門家のお世話にはなりたくない。あるもので何とかする自分の信条にも反する。
 何回か挑戦したけれどうまくはいかない。どうしてか理由が分からない。闇雲に繰り返してもらちがあかない。ネットで検索するとこんなヒントがあった。新しいジョイントはねじの部分のメッキがなめらかすぎてシールドが滑ってしまうので、奥までテープが届かない場合がある。その場合、ねじの部分に鉄ノコで縦に傷をつけてテープを巻き込むようにすればいいと。これだと思った。みごとこれで解決してカランの交換が無事終わった。
 しかし、このことは大事なことだよな。分かってしまえば簡単なことだけど、ほとんどの解説文には書かれていない。プロの水道屋さんの極秘のマニュアルなのかもしれん。まぁ自分で水道工事する場合気に留めておいた方がいいだろう。

更新時間 : 18:43:52

5月6日 (月)

はる 8394
 キッチン水道が壊れた。

更新時間 : 22:23:32

5月5日 (日)

はる 8393
パス

更新時間 : 19:52:35

5月4日 (土)

はる 8392
今日は朝から六本木の新美術館の国展チャリティー展会場にいます。
2024 ドローイング 25x20cm
「聖女」「サンタマリア教会 アッシジ」
企画画廊くじらのほね にて展示中
、、、、
■2024年 5/1(水)〜5/13(木)
 第98回国画会展
 六本木・国立新美術館
 #国画会

■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 西千葉 同時開催
 山口画廊 
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 企画画廊くじらのほね 
https://www.gallerykujiranohone.com

更新時間 : 19:46:29

5月3日 (金)

はる 8391
色々忙しいが、今日植えないとまた遅れる。というわけで、夏野菜いろいろ植え付けた。

更新時間 : 20:12:32

5月2日 (木)

はる 8390
2024「説法」f8 混成技法
山口画廊で展示中
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一旦帰宅してまた5月4日に会場当番で国展会場のチャリティ展コーナーにいます。御用の方はそちらの方までどうぞ。
 改めて展示会場を見て回りましたが、国画会のこの何でもありのはちゃめちゃさはなかなか壮観だな。今年の二人の国画賞に代表されるように、二十歳そこそこのキャピキャピした今どきの絵画から、堂々としたベテランの抽象の大作までを認める包容力がある気がするな。
 バーチャルなものが世の中のすう勢だけれど、実際に手を汚しながら、格闘して自分の背丈よりも大きな描かれたものが、そこに「存在する」というのはバーチャルなものを幾ら積み重ねても証明出来ない。重さや大きさや匂いや肌触りなど、リアルな充実感というものは他には代え難いものではないかな。「いまここに存在する」という感覚は人間にとって一番根源的なもので、全ての活動はこれを得るためにあると言っても過言ではない。これからの時代が空虚な実態のない仮想現実になればなるほど、この存在感は求められるようになる気がする。そうありたいということか。

■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 西千葉 同時開催
 山口画廊 
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 企画画廊くじらのほね 
https://www.gallerykujiranohone.com
ドローイング 25x20cm
期間中くじらのほねのHPより
通販にも対応致します。

更新時間 : 19:37:32

5月1日 (水)

はる 8389
2024「泉にて」F130
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■2024年 5/1(水)〜5/13(木)
 第98回国画会展
 六本木・国立新美術館
 #国画会

■2024年 4/25(木)〜5/12(日)
 榎並和春個展
個展タイトル「日々賛々」
 山口画廊 タブロー(板絵)
 企画画廊くじらのほね(ドローイング)
 西千葉 同時開催
 山口画廊 
https://www.yamaguchi-gallery.com/
 企画画廊くじらのほね 
https://www.gallerykujiranohone.com
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 国展には90年から出品してますから、もう35年になります。いつの間にか、個展で小さい作品を発表して、国展で大きい作品を見てもらうというスタンスになりました。

更新時間 : 20:14:21

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