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絵描きのぼやき

4月30日 (日)

はる 8028
千葉二日目

更新時間 : 21:18:50

4月29日 (土)

はる 8027
千葉一日目

更新時間 : 23:13:22

4月28日 (金)

はる 8026
 例えば↑の「ほうき星」は通常のデッサンからは出てこない。何故なら何かを描写しようとして描かれたものではないからだ。顔と首のつき方も普通ではありえないほどねじ曲がっている。まるででたらめに線をひいて横に描いていた絵を縦にしたことから生じた不自然な屈折だ。ところが私はそれでもいいように思った。それを生かすかどうかを判断する感覚は自分のなかにある。コラージュなどもそうだが、どこにどんなものが来るのか決まっていない。そのことがかえって面白い効果を生む。自分の感覚が当たり前であることをよく知っているので出来るだけ予定調和みたいなものは避ける。そうやって無理やり道草することで自分の持っているもの以上の効果を得ることが多々ある。積極的に無駄をする。画面がどろどろの滅茶苦茶になったとしてもいずれはある方向に向かって収束するということを私はデッサンすることで学んだ。

更新時間 : 18:08:18

4月27日 (木)

はる 8025
 学校

更新時間 : 20:03:34

4月26日 (水)

はる 8024
  再掲
・・・ 人と人の出会いというのはそういったことなんだろうな。無理やり誰かの紹介でとか、コネがあってとか、有名だからとかは、あまりうまくいかない。一回こっ切りならそれでもいい。長く付き合ってゆくなら自然体がいい。出会う人とはいずれどこかで出会うのだな。多くの場合そうやって繋がってゆく。今関係のあるいくつかの画廊ともそうやって繋がってきた。
 私の作品を誰か権威のある人が評価したわけでもない、どこかで大きな賞を取ったわけでもない、美術雑誌やマスコミに大きく取り上げられたわけでもない。大化けすることもない。物差しはそんなところには置いていないのだろう。同じ時代を生きる作家がいて、たまたま気に入ったからそばに置いておきたい、そういった人たちに支えられてここまでやってこれた。絵を生業にするということはそういうとではないかと思う。焦らないことだ。


 京都滞在個展について
 50万かけて50万の儲けしかない。けれどやった甲斐はあるのだ。

更新時間 : 22:56:25

4月25日 (火)

はる 8023
 90年代頃はコンクールが花盛りだった事は何回か書いた。無名の新人が世の中に出るにはそれしか方法がないように思っていた。出来るだけ手っ取り早く、カッコよくさっそうと認められるにはそれが一番だと思っていた。実際、身近な人が当時一番注目されていたコンクールで軒並み大賞をかっさらって意気揚々と画壇にデビューしていった。あの人に出来るなら私もと思うのは仕方のないことだな。その時の批判として書かれていたのは、コンクールの射幸心という言葉だった。コンクールなど博打のようなもので、当たるか外れるか運を天に任せるようなことでいいのか?という論調だったな。若い時は「射幸心」上等じゃないか、何が悪いのか今ひとつ分からなかった。今なら多少分かる気がする。同じ射幸心といっても賭博やくじ引きの出たとこ勝負のまぐれ当たりとコンクールは多少違いはあるのだけれど、長い目で見れば同じような物かもしれない。というのはどんなに厳正に選んだとしても所詮その時代のその時を生きている同時代人が選ぶわけだから、その時の流行や好みやしがらみなどに影響されるわけだから、その時には一番であったとしても時代のふるいをかければ五十歩百歩でAもBもそれほどの違いはないのではないかな。結局、今を生きる私たちが出来る事は限られていて、実際に自分の作品を観ることが出来る人たちを大事にして、細々とファンを増やしていくしかない。遠いようだがそれが一番の近道という気がする。

更新時間 : 19:10:58

4月24日 (月)

はる 8022
 畑を耕す

更新時間 : 21:50:23

4月23日 (日)

はる 8021
 選挙

更新時間 : 18:46:59

4月22日 (土)

はる 8020
 国展搬入
 インスタグラムを観ていると抽象的な作品が多く上がってくる。これはアルゴリズムなのか、動画が上がってくることも多いのだけれど、何というのかまともに描写している作品はほとんどない。どちらかといえば前衛の書のような作品が多い。バッと絵の具を撒いて刷毛で広げる、長い筆を持って躊躇しない線をひくみたいな感じ。スタールやタピエスのような感じといえば分かってもらえるだろうか。こうなってくると日本の前衛的な具体とか井上有一の前衛の書が世界的に受けるのが分かるな。世界的な傾向なのかな。日本の流行りの美人画みたいなものはほとんどない。
 ただデッサンの達人の動画が上がってくることも多い。これもアルゴリズムなのかな。コンテみたいなもので一発で描いて行く。もうこれはもう天からのギフト、天賦の才というしかない。ほれぼれしてしまう。訓練して上手くなったというものではないな。例えばダビンチとかラファエロ、アングルとかルーベンスとか枚挙にいとまがない。三回ほど生き直おしても足元にも及ばないだろう。

更新時間 : 22:09:32

4月21日 (金)

はる 8019
今まで山口さんが自分で車を運転して千葉から作品を取りに来てくれて返却にも来てもらっていた。それが二つの画廊で合同企画することになって返却はくじらさんがやってくれることになった。まぁそれだけ楽にはなったかな。
 画業を生業にしている絵描きにとって入搬出の手間がどれだけ負担か、梱包して送って解包して展示する、終わればまた梱包して送り返す。このことの繰り返しがかなりの重労働で面倒である。画廊さんが直接取りに来てくれると梱包の手間が省ける。それだけでもありがたいことだ。
 山口さんとの付き合いも15年目に入った。最初の切っ掛けはネットの記事だったのではないかな。私がHPを立ち上げたのは2000年頃で、そういった意味では20年ぐらいになるのだろうか。まだブログなどなかったように思う。私が日記帖に適当な雑文をアップしていた頃だ。千葉にかなり偏向した面白い画廊があると書いた覚えがある。まさか自分がそこで個展をするようになるとは思っていなかったので、適当なことを書いたのではなかろうか。不思議なものでその記事を山口さんが見つけて読んだということなんだな。どこの馬の骨ともわからん何万もあるネットの記事の中から、たまたま出会った。そういう事だな。
 人と人の出会いというのはそういったことなんだろうな。無理やり誰かの紹介でとか、コネがあってとか、有名だからとかは、あまりうまくいかない。一回こっ切りならそれでもいい。長く付き合ってゆくなら自然体がいい。出会う人とはいずれどこかで出会うのだな。多くの場合そうやって繋がってゆく。今関係のあるいくつかの画廊ともそうやって繋がってきた。
 私の作品を誰か権威のある人が評価したわけでもない、どこかで大きな賞を取ったわけでもない、美術雑誌やマスコミに大きく取り上げられたわけでもない。たまたま気に入ってくれた人がいて、そういった人たちに支えられてここまでやってこれた。絵を生業にするということはそういうとではないかと思う。焦らないことだ。

更新時間 : 21:00:11

4月20日 (木)

はる 8018
 学校


更新時間 : 22:03:52

4月19日 (水)

はる 8017
 映画「Living」生きる」を観た。
 黒澤明の「生きる」をノーベル文学賞作家のカズオイシグロが脚本を書いた。まぁそれだけで否が応でも期待が増す。しかし、黒澤の「生きる」を観た後味とこの映画を観た後味とはかなり違うものだ。特に黒沢の「生きる」を自己の映画史上ベスト5に入ると思っている人間には、評価は自ずから辛くなるのは致し方ないことだな。
 「生きる」を観たことがない人に少しだけあらすじを書いておこう。ある老いた官吏がガンの余命宣告を受ける。それまでただなんとなく、お役所仕事を繰り返していただけの名もない真面目な公僕が何のための人生だったのか、俄然そこで考えるわけだな。要するに彼らにとっての仕事というのは如何にして自らの手を煩わせないようにするか、そのことが第一の重要ごとであって、そのほかの事は気に留める必要のない些細な事柄でしかない。住人の役に立とうなどという役人は一人もいないという前提で成り立っているという話だな。
メメントモリ「死を忘れるな」という有名なことわざがあるけれど、このテーマも形を変えたメメントモリだといえる。普段何気なく過ごしている日常生活も期限が切られると俄かに殺気立って一分一秒が大切に思えてくる。気が付く前も後も同じ時間が流れているにも関わらず、人間とは哀れなものだ。
 最初に印象が少し違うと書いた。その根底には日本人の死生観と欧米人のそれの違いではなかろうか。「生きる」の主人公を演じる初老のうらぶれた窓際の志村喬と「Living」の英国紳士で高級官吏のビル・ナイとは受ける印象もかなり違う。それはそれとして、我々の中にはわりと死を受け入れやすい死生観があるように思うな。克服すべき悪というのはなく、極自然に日常生活の延長上に死を観ているような気がする。それに対して欧米の死生観は死は絶対の悪、克服すべきものというような、死を生の対局としてとらえているような気がするんだな。
 だから反対に「生きる」を観た後味はねっとりとした哀愁と寂しさをまとっていてなかなか離れない、対して「Living」の方の後味はさっぱりとして肯定感に満ちている気がする。さて、どちらが好みなのか、観るひと次第であろう。

 

更新時間 : 22:57:02

4月18日 (火)

はる 8017
 The living

更新時間 : 22:37:01

4月17日 (月)

はる 8016
 麻雀

更新時間 : 20:19:43

4月16日 (日)

はる 8015
 裸婦クロッキー

更新時間 : 21:44:22

4月15日 (土)

はる 8014
 個展準備

更新時間 : 22:16:08

4月14日 (金)

はる 8013


    企画画廊くじらのほね
100年以上の時を渡る作品とはどんなものなのか。この問いは自分の中でしばしば発生します。戦争や天災など生命を脅かす危機が何度も発生してきた歴史の中で、食物にも薬にもならないけれど何世代にも渡って後世に預けられてきた美術作品は多く、そうやって生き残ってきた作品はその何倍もの数に及ぶであろうそうではなかった作品と何が違ったのか...時折そんなことを考えます。
 いくら強靭にモノを作り上げたとしても金づちで叩けばあっけなく壊れてしまう美術作品は今も昔も多いでしょう。そういった作品が幾度も危機を乗り越えられた理由のひとつに積極的に保護されてきたというケースはあると思います。作者名に価値がつく著名な画家の作品などは保護する理由も明白で、積極的に保管されてきたと言えるかもしれません。ですが作者名や制作時代など作品にまつわる情報がほぼ不明でも永らく残ってきたものが多いこともまた事実です。そういった作品が綺麗な姿で今でも在り続けることが出来たのは何故なのでしょうか。
 話が飛ぶようですが、2017 年に私が初めて榎並和春さんの作品を拝見した時、その作品力が本当に衝撃でした。漠然と「本物」に触れたという感覚を覚えたのと同時に「美術館でなくてもこのレベルの作品を見ることができるし買うこともできる」という事にも驚きました。その時点で榎並さんのことは何も知らなかったのですが、作品そのものが持つ「存在力」とも呼べそうな力強くも美しい気配にひたすら圧倒され、むしろ作家名を始めとする作品に関する様々な情報は気にもなりませんでした。あの時の経験を振り返って今思うのは、末永く残っていく作品とはそういう作品ではないかということです。付随する情報を理由に保護される作品は、時代が変わりその情報の価値も変わってしまえば簡単に捨てられるでしょう。ですがモノそのものに人を納得させる力がある作品は、生みの親である作者からも独立し、その強固な存在力によって一人で渡っていくのかもしれません。そういう作品は保護されるとは限りませんが、積極的に破壊してしまうことを人に躊躇わせる何かがある気がします。時代が移ろい人々の価値観が変わっても、それを凌駕する美しく揺るぎない存在力を放つ作品は確かにあって、それは作り手から魂を宿された作品と言っても過言ではない気がします。そんな視点から現代美術を見つめ、改めて榎並さんの作品を見直す時、澄み渡る真っ白い真実のようなものに触れるような、そんな感覚になります。       (2023年4月 飯田未来子)

更新時間 : 19:27:41

4月13日 (木)

はる 8012
 学校

更新時間 : 22:04:23

4月12日 (水)

はる 8011
 画廊通信241
 ・・・・・
画廊通信 Vol.241          理由なきものに

村上春樹の短篇に「レーダーホーゼン」という作品が
ある。レーダーホーゼンとは、ドイツ南部の男性が着用
する、サスペンダー付きの半ズボンの事。この小品は、
その半ズボンを契機に運命が変わってしまう、或る夫婦
を描いた物語である──と、一応はそう要約出来るのだ
けれど、果たしてこれを「物語」と呼べるのかどうか。
ついそんな疑問が湧いてしまうのは、言うなればこれが
「話にならない」話であるからだ。こんな内容である。

 主人公は50代の既婚女性。かつては夫の浮気性で不
 和の時期もあったが、現在は比較的親密な関係だ。社
 会人の娘が一人。ある日ドイツに住む妹から、夫婦で
 遊びに来ないかという誘いが来る。夫は仕事で休暇が
 取れなかったため、彼女一人で行く事になり、渡航に
 際して土産を訊ねたところ、夫はレーダーホーゼンと
 答える。ところが彼女はドイツに渡ると、何の連絡も
 なく滞在を大幅に伸ばし、やっと帰国した後も身内の
 家に寄宿したまま、二度と家には戻らなかった、土産
 どころの話ではない。更には夫に電話で「離婚して欲
 しい」と告げ、何が何やら判然としないままに、夫も
 同意せざるを得ない成り行きとなった。それから数年
 を経て、彼女は娘と顔を合わせる。母親の誠に身勝手
 で不可解な行動に、深く傷付いていた娘に言う事には
 「どう話せばいいのか、私にも分からなかったのよ。
 そもそもはあの半ズボンが原因だったの」、そして二
 人の入った喫茶店で、奇妙な体験が初めて明かされる
 ──ドイツに着いた彼女は、夫の土産を買うために、
 早速レーダーホーゼンの店を探して、近隣の町を尋ね
 たのだと言う。街並みは美しく静かで、今までの日常
 は地球の裏側に遠のいていた。店に入り来意を告げる
 と、意外にも店の老人は「本人が居ないと売る事が出
 来ない」と言う。客の体型に合わせたオーダーメイド
 だけを扱う、それが店の方針だから、というのがその
 理由だった。それなら、と彼女は一計を案じる、「主
 人にそっくりの体型の人を見つけて来て、その人に合
 わせて作ってもらってはどうか」と。あくまでも例外
 ですが……という老人の了承をもらい、彼女は道行く
 通行人の中から、夫に体型のそっくりな紳士を運良く
 見つけ出し、言葉の通じないままに店へ連れて行く。
 老人に事の経緯を聞いた彼は「よろしいそういう事な
 ら」と、気持ち良くモデルになる事を承知して、その
 場でレーダーホーゼンを穿き、細かい採寸の調整に協
 力してくれる。それから30分程の間、店の老人と半
 ズボンの紳士が、ドイツ語で冗談を言っては笑い合う
 光景を、彼女は眺めていたのだと言う。「その作業が
 終わった時、私は離婚を決意していたの」、何故そう
 なってしまったのかは、彼女自身にも皆目分からず、
 だから人にも話せなかったらしい。ただ、夫とそっく
 りの男性がレーダーホーゼンを穿いて、楽しそうに体
 を揺すって笑っているのを見ている内に、自分の中に
 漠然と有った一つの思いが、次第に明確になるのだけ
 は感じていた。「そして、自分がどれほど激しく夫を
 憎んでいたのかを、私はその時に初めて知ったのよ」

 というのが作品の概要だが、この短篇に寄せて、どの
程度のコメントが出ているのかを見てみたところ、大学
の先生方や評論家による種々の論考が、予想外にアップ
されていたのには少々驚いた。やはり、読者に何の解決
も示さない村上春樹特有のテクストが、学者特有の解釈
熱を刺激するのだろう。個々それぞれ様々な読解が有っ
た中で、比較的多数を占めていたものが、レーダーホー
ゼンを主人公である女性の暗喩と見る解釈である。一例
として或る論文を抜粋すると──ドイツのレーダーホー
ゼンを売る店で彼女が見ていたものは、彼女自身の姿で
あったと言うべきであろう。夫に「そっくりの体型」の
ドイツ人に合わせるために、店の人によって「色んな所
を伸ばしたり縮めたり」されているレーダーホーゼン、
それはそのまま、夫によって「色んな所を伸ばしたり縮
めたり」されて来た、今までの自分の生の形に他ならな
かった事に、彼女は思いがけなく気づいてしまったのだ
──という具合に。つい「なるほど……」と納得してし
まいそうな上手い講釈だが、しかしながら村上春樹の文
学に親しむ人であれば、彼が自らの創作に、そんな明確
に分析し得る含意を仕込むタイプではない事ぐらいは、
誰もが知る常識だろう。確かに、そう考えれば物語に筋
が通り、辻褄が合うのだが、たぶん作家本人はそんな辻
褄合わせなどは、微塵も考えてなかっただろうと思う。
 想像してみよう──彼女は今、レーダーホーゼンの店
で、夫とそっくりの男性が半ズボンを穿いて、楽しそう
に体を揺すって笑っているのを見ている。彼がどんな体
型であったかは知らないが、もしかすると中年の男性に
有りがちな、少々腹の出た体型だったのかも知れない。
とすればその姿は多少の滑稽味を帯びて、そこに重なる
夫の姿もまた、何処かしらコミカルに思えた事だろう。
そんな連想を取り留めもなく巡らせている内に、いつし
か心奥に隠れていた或る思いが浮上して、突如彼女は、
疾うに夫を愛していない自分に気が付くのである。この
時彼女は「あのレーダーホーゼンは私だ」と、本当に思
ったのだろうか。いや、そんな冷徹な分析を可能とする
論理的な心境に、彼女が在ったとは思えない。彼女はた
だ、ぼんやりと放心していたのだ。意識的ではないのな
ら、無意識的にそう感じたのではないか、という見方も
有るだろうが、しかし「無意識的に感じる」とは具体的
にどういう事か、むしろ無意識こそ論理とは程遠い領域
ではないのか、そう考えるとその説も、甚だ曖昧で疑わ
しい。結局、ドイツ人が半ズボンで笑っている光景と、
突如あらわになった夫への憎悪とは、何一つ因果関係が
無いのである。「それなら、どうして彼女はそんな心理
に到ったのでしょう」と、あらためて問われたとしたら
「そこに理由はないのです」と、答えるより他ない。お
そらく作者は、先述のような暗喩を意図的に仕掛けるよ
りは、単に「人生にはこんな事も有るんですよね」と、
そう言いたかっただけなのではないか。故にここでは、
通常の物語に有効な「分析」も「解釈」も機能しない、
それが冒頭で「話にならない」話と述べた所以である。

 異性の或る一瞬の仕草を見て、不意にその人を好きに
なってしまった(その逆も有り得るが)、或いは何の変
哲もない日常の一瞬を境に、失意の底から不意に立ち上
がる事が出来た、そんな経験は多かれ少なかれ、誰にで
も有るのではないだろうか。村上春樹が物語った通り、
人生にはそんな事が「有る」のだ。しかもその時、そこ
には「理由」というものが無い。何故なら「理由」が知
性的な領域の概念であるのに対して、上述の如き体験は
純粋に感性的なものであるから。普段、感性は五感と密
接に結びついて機能しているが、いわゆるレーダーホー
ゼン的な感性は、五感を介さずに生起する。むろんその
時も何らかの感覚は働いているのだが、その感覚からの
情報が直接の要因となるのではなく、むしろそれは外界
の刺激とは関係しない。そのような五感に依らない不思
議な感覚を、通常私達は「直感」と呼んでいる訳だが、
試みにカントが経験に依らない先天的な認識を「純粋理
性」と呼んだ顰みに倣えば、これは言わば「純粋感性」
とでも言うべきものか。そう考えると、長々と論じて来
た「レーダーホーゼン」という作品は、正しくこの直感
=純粋感性を巡るエピソードであって、前述した諸先生
方の牽強付会・断章取義を極めた論理的考察も、それは
それでその見事なこじつけの手腕には感嘆するのだが、
反面どれもこれもが嘘臭い。これは文学のみならず美術
の分野にも共通する事例で、作家論・芸術論・情勢分析
等、或いは一般的な美術関連書籍も含めて、その大方は
屁理屈の範疇を出ないものが多く、芸術表現の真髄に迫
るものは少ない、偉そうな物言いで申し訳ないのだけれ
ど。何故そんな状況に陥るのかと言えば、優れた芸術表
現ほど知性の領域を足場とはせず、感性領域なかんずく
純粋感性=直感を土壌とするからだ。美的衝動、詩的狂
気、霊的着想等々、いずれも直感の異名に他ならない。  
 さて、やっとの事で本題に繋がる訳だが、榎並和春と
いう画家はこの不思議な感覚を、制作の「土壌」にする
というよりは、積極的に「手法」として用いる。何度も
この場に記した事ではあるが、榎並さんの制作は通常の
画家とは凡そ異なるものだ。大概の画家が真っさらなカ
ンヴァスと向き合う前に、大凡の完成予想図もしくは設
計図を脳裏に描いているのに対して、榎並さんの場合は
敢えて一切の計画を持たず、よってそこに何が描かれる
のかは自分でも皆目分からないという、正に「0」地点
からの出発を自らに課すのである。何処に歩いて行くの
か、という目的地点も見えず、何処まで歩いて行けるの
か、という可能距離も分からない、そんな全てが未知数
の道程を、唯ひたすらに手探りで歩いて行く、それが榎
並さんの歩き方だ。具体的には画面に壁土を敷いたり、
黄土を塗り重ねたり、弁柄を染み込ませたり、金泥を掛
け流したり、種々の布地を貼り込んだり、その上に更に
顔料を塗り込んだり、果てはせっかく塗ったものを消し
潰したり、ガリガリと刮げ取ったり、挙げ句にバリバリ
と引き剥がしたり、通常の神経の持ち主から見れば、一
体何をやっているのか分からない、何しろ「絵」らしき
ものがなかなか見えて来ないのだから。しかし、このい
つ果てるとも知れない作業こそが、榎並さんにとっての
制作なのである。画家は「待って」いるのだ。ただ待つ
だけでは何も来ないから、積極的に仕掛けながら待つ。
何を?──「直感」の訪れを。それは画面に見出した何
らかのフォルムを契機として、或る瞬間にゆくりなくも
画家の脳裏へと降り立つ。その気配を鋭敏に捉えた画家
は、おもむろに描線で何かの輪郭を探し始める。模糊と
した何かが、作家の前に現れつつあるのだ。いつしかそ
れは人らしい形を取り始め、やがて画面に楽師が現れた
り旅人が訪れたり、何らかの動物になったりもする。或
いは人だと思えたものが違う形になったり、一人だと思
った所にもう一人隠れていたり、榎並さんは来るべき出
会いを手探りで捜しながら、描線を大胆に引き続ける、
未知を模索する精神の触手のように。そして全てが眼前
に現われた時、作家は筆を置くのだろう。幾重にも堆積
した絵具が、風化した古い壁のような趣を湛える画面、
その上に中世のイコンのように浮かび上がる人物・動物
・建物・樹木等々、それら榎並さんに特有のモチーフは、
全て画家の直感から齎された、よって当の画家さえもが
予期しなかったであろう、未知からの客人なのである。

 この絵は何を表わしているのか──そう問われて一番
困るのは、画家自身に違いない。作者はこのモチーフを
何故そこに描いたのか、どんな意味を託したのか、常に
人は答えを求めたがる。しかし答えは無い、直感に理由
は無いのだから。そして絵を見る私達もまた、それを直
感で捉える。よってその絵に何故惹かれるのかは、私達
自身にも分からない。然りながらその掛けがえの無い出
会いは、時に見る者の生を変えるような力を持つ、あの
レーダーホーゼンが或る女性の生を変えたように。人を
真に動かすものは、そんな制御を超えた力なのだろう。
              (23.04.10) 山口雄一郎

更新時間 : 23:22:56

4月11日 (火)

はる 8010
 中澤先生 あとドローイング額入れ。

更新時間 : 22:33:39

4月10日 (月)

はる 8009
 吉田先生 学校 DMの用意

更新時間 : 21:42:50

4月9日 (日)

はる 8008
 2023「私はわたし」22x15cm 混成技法ドローイング
画用紙 千代紙 アクリル 土 墨 ボールペンなど
企画画廊くじらのほね DM
 ■2023年 4/27(木)〜5/14(日) 
  榎並和春個展
個展タイトル「ゆめのまにまに」
千葉・山口画廊     4/30(日)作家在廊予定
 企画画廊くじらのほね 4/29(土)作家在廊予定
同時開催
山口画廊   043-248-1560
くじらのほね 043-372-1871
・・・・・・・・
 千葉の二つの画廊でタブロー(板絵)とドローイング(線描画)を同時に開催するようになって3年目です。本来というのか、大体というのか、普通は近所で同じ作家の展示会をすることはタブーです。タブーでないとしてもあまりいい顔をしない場合が多い。特に狭い世界ですから、私は避けるようにしている。まったく気にしない作家もたくさんいますが。
 しかし、この二つの画廊は師弟関係から親子関係のようなものですから特別かもしれません。元々この地域ではその筋では有名な、そろそろ開廊20年になる老舗山口画廊が頑張っていた。その山口さんを慕って開廊したのがくじらのほねのIさんなんですね。山口さんは儲からないから最後まで反対していましたが、それでも同じスタイルの企画画廊として最初から出発したのですからその心意気は大したものです。
 画廊だけではないかもしれませんが、お店というのは不思議なものでそのオーナーと同じように顧客も年を重ねてゆきます。ですからオーナーが若ければその分若い顧客が着くというわけです。山口画廊のように老舗になってきますと、当然顧客もそれなりに年をめしている方も多くなります。それはそれでいいのですが、商売としてはマイナスになることもあります。結果論ですが、くじらのほねと合同開催することでお互いの顧客が行き来して活性化がはかれたと山口さんは満足そうでした。

更新時間 : 20:27:53

4月8日 (土)

はる 8007
 さて京都滞在のことを少しお話しましょう。いつだったか詳しいことは忘れてしまったけれど、オリンピック前後の頃にホテルが足らなくなる可能性が出てきて民間の宿泊施設を活用しようと躍起になっていた時があった。実際に数年前にイタリアを旅した時はほとんど民泊だった。ヨーロッパの民泊は安くて広くて非常に便利だなという感想だった。
 それで一年ほど前に京都の民泊事情を検索すると色々出てきた。ただコロナ禍ということで外国人を当て込んだ民泊は軒並み潰れていたな。残っている民泊もかなり厳しい経営を強いられていたようだ。というわけで今回はかなり割安で借りることが出来た。コロナも悪い事ばかりではない、まぁ人生塞翁が馬だな。
 個展は二年前に決まっていて、毎回個展中は滞在していたのだけれど、今一つ反応が鈍いというのか京都という土地柄なのか臨場感に乏しい、お客さん扱いなんだな。というわけで少し京都の町中に溶け込んでみたいというのが今回の目論見の大きいところだ。
 ほとんど毎日自転車で町にスッケッチに出かけた。土曜日は古巣の関西美術院に出かけてクロッキーをやったり、もちろんギャラリーも回ってDMを置いてもらったりした。まぁそのせいかどうか分かりませんが、町で知り合った人が見に来てくれたりお客さんは確実に増えたようだ。名前でお客さんが呼べるなら座っていてもいいのだが、私のような無名の作家はこんなこともする。いや、これはこれですこぶる楽しかった。
 京都の町は歩くか、自転車で回ると地理がよくわかる。今まで点でしかなかった場所が明確な地理として立ち上がってきた。70にして大きな収穫だな。旅芸人の面目躍如だな。はははは。
 下の写真は今回お世話になった民泊 8Qです。場所は京都烏丸五条にあってすこぶる便利なところです。

更新時間 : 20:59:41

4月7日 (金)

はる 8006
 歯医者 免許の更新など
 一か月さぼっていたことが押し寄せてくる。歯医者は京都滞在中に歯が折れた。前歯がないと全くホームレスの爺さんのごとく。
 免許は更新の時期が来ていた。何とか間に合った。高齢者講習を受けた。いよいよじーさんマークをもらった。


更新時間 : 21:07:09

4月6日 (木)

はる 8005
 学校に新学期の支度。

更新時間 : 19:52:04

4月5日 (水)

はる 8004
 きたくしました。

更新時間 : 19:51:28

4月4日 (火)

はる 8003
 京都30日目
 石本正

更新時間 : 19:23:08

4月3日 (月)

はる 8002
 京都29日目
 仁和寺

更新時間 : 20:43:12

4月2日 (日)

はる 8001
 京都28日目
 個展最終日

更新時間 : 20:19:04

4月1日 (土)

はる 8000
 京都27日目
 個展5日目
 なんと8000カウントを4/1に踏んだ。めでたい。個展は明日まで。

更新時間 : 20:26:47

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