3月31日 (月)
はる 8882 ギャラリー洛の個展無事終了致しました。 お忙しい中おいでくださいましてありがとうございました。二年後に同じくギャラリー洛での展示を予定しています。 次は千葉の山口画廊の個展でお会いしましょう。 ■2025年 4/24(木)から5/11(日) 作家在廊予定4/26(土)27(日)予定 第125回・榎並和春個展 個展タイトル「ひとひとのあわい1」 千葉・山口画廊 〒260-0033 千葉市中央区春日 2-6-7 春日マンション 102 Tel.&Fax. 043-248-1560 更新時間 : 09:32:22
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3月30日 (日)
はる 8881 最終日、5時までです。お早めに。 更新時間 : 19:54:40
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3月29日 (土)
はる 8880 5日目です。 更新時間 : 19:54:36
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3月28日 (金)
はる 8879 4日目です。 、、、 昨日は黒澤明の羅生門のシーンのような土砂降りでした。 更新時間 : 18:22:10
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3月27日 (木)
はる 8878 3日目です。 、、、 流石に3日目あたりは疲れが出てくる。昨日は宿に帰ったら風呂に入ってすぐに寝てしまった。昔はそんなことはなかったのにな。まぁ、歳相応に体力も落ちてということだろう。 絵は画廊の壁に飾ると生き生きと自己主張し始める。 更新時間 : 18:42:38
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3月26日 (水)
はる 8877 2日目です。 この画廊は数ある画廊の中でも特別な立地にある。何せ御所の南真正面にある堺町御門に道路を挟んで対峙している。堺町御門はあの葵祭の御所側の出の場所でもあるのだ。こんな由緒ある地で個展が出来るのでで、さぞやごりやくがあるかといえば、それは誰でもという訳ではなくて作家によるようだな。 更新時間 : 21:10:16
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3月25日 (火)
はる 8876 始まりました。 ■2025年3/25(火)〜3/30(日) 第124回・榎並和春個展 個展タイトル「日々賛々6」 ■京都・クリエイト洛 京都市中京区丸太町通堺町通鍵屋町69 075-708-7898 、、、、、 今日は花曇りだな。関西は黄砂が凄い。 更新時間 : 17:00:43
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3月24日 (月)
はる 8875 建仁寺山門南側 、、、、 自転車を走らせてうろうろしていると、沢山の観光客が同じ方向にぞろぞろと歩いている。自転車をひいて私も付いて行くと建仁寺に着いた。京都は街全体が遊園地のようで生活臭が希薄で面白い。営業車以外を通行禁止にすればいいのにでかい外車が我が者顔で通行するのが腹立たしい。自転車を停める場所がなくて困る。観光地で食べているのだから、そのくらい準備してもいいと思う。これも政治が上手く機能していない例だな。いいか悪いかコンビニが沢山あるので置かせてもらった。 京都に着いて今日で四日目、すでにかなり疲れてもう一仕事終わったみたいだな。今日は飾り付けで本番は明日からだ。来廊お待ちしております。 更新時間 : 18:56:35
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3月23日 (日)
はる 8874 パス 更新時間 : 19:37:32
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3月22日 (土)
はる 8873 根木悟個展 3/21-27 中京区寺町通り二条下る東側2f ギャラリーa 、、、 午前中知り合いの個展に伺った。静かにジャズが流れて美しい空間だった。多くのひとに見てもらいたい展覧会です。 更新時間 : 18:45:12
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3月21日 (金)
はる 8872 2025「テアトロ」sm 混成技法 京都 洛で展示予定 いよいよ来週火曜日から始まります。 京都は二年ぶりで6回目の個展になります。前回は約一ヶ月滞在して自転車に乗って市内をスケッチしたりして面白かった。そんなことが出来たのもコロナ騒ぎでインバウンドが少なくなって民泊の料金が極端に安くなったからだ。今年になってホテル料金は二倍以上になって、とてもそんなことは出来なくなった。コロナ騒ぎはもう勘弁して欲しいけれど、滞在費が安くなるのは大歓迎だ。何事も禍福は糾える縄という事だな。 ・・・・・・・・・ ■2025年3/25(火)〜3/30(日) 第124回・榎並和春個展 個展タイトル「日々賛々6」 ■京都・クリエイト洛 京都市中京区丸太町通堺町通鍵屋町69 075-708-7898 更新時間 : 18:35:38
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3月20日 (木)
はる 8871 2025「ラピータ 我が人生」f20部分 、、、、 更新時間 : 20:03:02
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3月19日 (水)
はる 8870 1998「夜半の月」f3 麻布 油彩 再掲 、、、、、 油彩の小品はほとんど残っていない。貴重な作品といえる。こうやって並べてみると、油彩ではあるけれど、マチエールやカタチは今の水性の混成技法とほとんど変わらないな。進歩がないというのか、人の好みは変わらなということか。 アクリルのテラテラしたビニールぽさが好きではなので、色々な混ぜ物をして今のカタチになった。アクリルのメジュームやボンドは優れた合成樹脂だが、生まれてまだ100年経っていないので、経年劣化がどういうかたちで出てくるのか正確にはわからない。ただし、このかたちになって30年ほど経過したが、はがれたとかひび割れたということは聞いていない。アクリルの画材としての優秀性は、堅牢性と柔軟性を兼ね備えていること、水に溶けて展開性がいい事、乾燥が早い事、そして最も大きな特質は水になじむ物ならなんでも画材として取り込める度量がある事だ。まぁ、油彩は少なくとも500年は経過した画材なので、おおよその事はわかる。いずれにせよ、形あるものはいつかは消えてしまう運命にあることに変わらない。 更新時間 : 22:22:09
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3月18日 (火)
はる 8869 今日のアトリエ 、、、、 昨日色々用事を済ませて帰って来たら、留守番電話のメッセージがチカチカしていた。最近は家電はほとんど詐欺まがいばかりなので居留守にする事が多い。必要な人はメッセージを入れるだろうから、またかけ直せばいい。 メッセージを聞くとさっき会った人からで、何やらごにょごにょ言っていて意味不明。かけ直してみると、本人は電話したことさえわすれている。 ここんところ周りの人達が急激に劣化してきたな。本人はどこまで分かっているのやら。他人事ではなく、物忘れは最近多くなった。メガネ、携帯などはいつも行方不明だ。明日は我が身と心しておく事だな。 更新時間 : 21:42:25
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3月17日 (月)
はる 8868 雨も上がった。午後には集荷してもらって、いよいよ始まります。 全国を回りますので、ダンボールはかなり年季が入って私の作品と似たりよったりです。 更新時間 : 20:46:38
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3月16日 (日)
はる 8867 2025「吟遊詩人」f20部分 混成技法 、、、、 楽器の部分に手を入れて一応完成とした。 これを完成ととるか、未完ととるか人それぞれだが、これ以上うまくいく自信がないので完成とした。 例えばデパートで売られている作品は「細かく、綺麗で、繊細」な物が好まれる。一種工芸的な完成度が求められる。それは簡単にいえば、価値判断を作家側にゆだねている。鑑賞者はただ鑑賞するだけでいい。そういう意味では楽だ。 多くの泰西名画の展覧会に雪崩を打って観客が押し寄せるのは、もう決まった価値があるので安心できるというのがある。観客はただ見ればいいだけだからだ。 本当の鑑賞というのは作品との対話によって生まれる。作者と鑑賞者は対等の立場にある。作家の言い分をありがたがって聞いているのは楽だけれど、それだけだとまだ鑑賞した事にはならない。 更新時間 : 20:13:08
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3月15日 (土)
はる 8866 パス 更新時間 : 19:44:13
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3月14日 (金)
はる 8865 2025「吟遊詩人」f20部分 制作途中 、、、、 詩人は滝に打たれてこうなった。人も獣も鳥も草も木も命あるもの全てが一体となった。 更新時間 : 19:38:50
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3月13日 (木)
はる 8864 ぶち壊し 描き込むにほどに面白く無くなってきたので、水をぶっかけて鉄タワシで擦ってぶち壊す。他人の作品のように突き放す。面白くなったように思う。いつも上手くいくとは限らない、混成技法ならではの荒技。上手くいくか失敗するかどうかの瀬戸際に創造の醍醐味がある。 動画はデモでやったもので、実際はもっと激しく壊している。 更新時間 : 23:05:12
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3月12日 (水)
はる 8863 2025「吟遊詩人」f20 部分 制作途中 、、、、、 今更だけれど、メールの転送が出来るようになった。 私のように旅する芸人はパソコンに来たメールを携帯に転送する方が何かと便利だ。何回か挑戦したのだが、なかなかうまくゆかない。それが色々やってみてやっと出来るようになった。皆さんはどうしているのだろう。 問題はメールソフトの設定をどうにかすればいいのだろうと考えていたことだ。確かにメールソフトには転送するという項目がある。だからそれを何とかすればいいのだろうと、色々からかって完了したとおもい、試しに他からメールを送るとメールソフトが起動している時は確かに転送された。しかし、メールソフトが起動していない、例えば留守にしている場合メールは、転送されない。これだと旅に出た時は全く役にたたないのだ。 どこにもその解決策は書いてなかった。よく読めば書いてあるのかもしれないが、てっきりメールソフトの設定だけでいいと思っていたので見落としていたのかもしれない。 要するにこういう事だ。メールは確かにサーバーまでは届いている。メールソフトは起動したときにそこまで取りに行くという事なんだな。だから起動した時にしか受信できないのだ。なるほど、そういうことか。 サーバーが預かっている、まだ自宅のメールソフトには届いていないメールを転送してもらうように設定しなければならない。それでやっと自宅を飛び越えて携帯にメールが転送されるというわけだ。むろん、自宅のパソコンにも配信されるわけで、その場合自宅のパソコンのメール転送設定は切っておく事だな。同じメールが二通くる事になる。 更新時間 : 19:38:20
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3月11日 (火)
はる 8862 2025/3/11から3/16まで 第19回「TAO」展 山梨県立美術館県民ギャラリーC 、、、、 TAO展始まった。浅川まさ子さんの個展も併設しています。女性の歳を書くのは気が引けますが、彼女は私より少し上です。100号の大作を10点展示しています。それだけでもすごい事ですが、DMになった絵を見てもわかるように、グレードはちょっと絵を描きましたというレベルでありませんね。 更新時間 : 18:00:07
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3月10日 (月)
はる 8861 2022「天上の詩」f10部分 再掲 、、、、 40年という歳月はほとんど私が意識して生きて来た全てといっていい時間だ。まったくあっという間だったな。定職もなく、家もなく、あるのは二万円で買ったスバル360だけだった。こういう貧乏話は山ほどあるけれど、自慢話に聞こえのでやめておく。 閑話休題 絵は下書きをしないのですか?と時々聞かれる。エスキースというやつ。多くの場合本画の前に何枚も下書きをして、構想を練る。その内の気に入った一枚から本画と同じ大きさの下絵を作ってトレースして、描き込んで仕上げてゆく。それは洋の東西を問わない王道のようだ。 そういった意味では私の描き方は探りがきの延長で何処までが、下書きかあいまいだ。 更新時間 : 19:03:12
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3月9日 (日)
はる 8860 2024「銀婚式」sm 、、、、 昨年の12月はおめでたい姪の結婚式で富士吉田の方に出掛けた話はアップした。近頃は冠婚葬祭の葬ばかりで、おめでたい話はあまり無かったので、久しぶりに楽しかった。若い頃はそれこそ怒涛の結婚式の嵐で招待された以上断るわけにもいかないので、お祝いは全て絵にしてもらって何とかしのいだ。だから招待された知り合いには必ず一点、私の絵が有ることになる。恥ずかしい限りだ。 ところでついでに言えば、昨年は私たちの銀婚の祝いの年でもあった。何もしなかったけれど、この絵で我慢してもらおう。 更新時間 : 19:54:37
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3月8日 (土)
はる 8859 今日のアトリエ 、、、、 私の場合ですが、一つ個展が始まる前には次の個展の準備にかかっています。そうでないとアバチャバして落ち着かないからです。 大体一年前くらいに年間の計画をたてます。そうしないと作品もそうですが、額の準備できません。一回の個展で準備する額は25から30くらい。デパートになると倍の50くらい必要です。そうなるといっぺんに準備することは金額的にもしんどいです。普段から少しずつ準備しておく必要がありますね。まぁ、完売する事など私の場合はありえないので、助かって?いますが。 作家によっては額装しない人もいますし、額装は画廊持ちという羨ましい大家もいますが、我々のような者はそうはいかないので、いつも画材店には借金しています。 更新時間 : 19:36:55
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3月7日 (金)
はる 8958 パス 更新時間 : 19:04:20
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3月6日 (木)
はる 8857 2025「旅人」sm部分 混成技法 、、、、 「就職しないで生きる」とか「森の生活」とか「旅人」などアウトサイダー的な生き方に妙に反応するのは何故かな。家はけっこう厳格な封建てきな家風だったけどな。だから余計にそうなのかもな。 絵を描いたり、焼き物やったりするのは、就職しないで生きるための方便だったのかもしれんな。結局は生来の怠け者なのだ。 更新時間 : 20:20:14
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3月5日 (水)
はる 8856 2025/3/11から3/16まで 第19回「TAO」展 山梨県立美術館県民ギャラリーC ・・・・ TAOは私の教室の名前で、宗教団体と間違える人がたまにいますが、宗教とは全く関係がありません。 ただ理想とする精神は「道」そのものだと考えています。 平均年齢は70ぐらいだと思います。 TAOについてウキペディア 老子の「道」 『老子』に説かれる「道」の概念が、道教の思想の根本である[8]。道教においては、不老長生を得て「道」と合一することが究極の理想として掲げられ、道徳の教理を記した書の冒頭には『老子』の「道」または「道徳」についての説明がなされるのが通例である[8]。『老子』では、世間で普通に「道」と言われているような道は本当の道ではないとして否定し、目に見える現象世界を超えた根源世界、天地万物が現れた神秘の世界に目を向ける。「道」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、気という形で天地万物の中に普遍的に内在している。 更新時間 : 21:40:29
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3月4日 (火)
はる 8855 パス 更新時間 : 19:33:23
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3月3日 (月)
はる 8854 2025「吟遊詩人」f20部分 未完 、、、、 吟遊詩人について 知恵袋さん火の鳥さんの回答 「平安時代に至ると琵琶を街中で弾く盲目の僧の、琵琶を弾くことを職業とした盲目僧の芸人で 、主として経文を唱える盲僧琵琶は宗教音楽となっており、一方の女性は室町時代後期には瞽女(ゴゼ)が現れれており、この延長で浄瑠璃の影響も受けて近世に三味線や箏を弾くのが普通となったともされます。 上の芸能面から生じた白拍子は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて盛んで、室町時代には「門付け」と呼ばれる、読経や曲舞等の芸能や神社に隷属して雑役を行っていた下級の神人たちが、一定の季節に各戸を回って行っていた芸能も生じているのです。 安土時代には沖縄からの三線の渡来を受けて、上方の盲人の音曲に成長して傀儡子(クグシ)の伴奏として用いられるようになり、さらにこれと浄瑠璃節が合体することによって、現在にまで至る浄瑠璃音曲が完成して来た経過があり、国民皆仏教徒にされた近世には、浄瑠璃の豊後節からの派生で舞台から離れ、花街などの流しとして発展していった「新内流し」と変わり、吟遊詩人の一面に通じる遊行芸能が完成しており、これが現代エンターテイナー達の全国巡業に至っているのでしょうね」 更新時間 : 20:01:44
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3月2日 (日)
はる 8853 2025「眠れない夜」部分f3 京都 洛で展示予定 、、、、 住む家をどうするか?というのが若い頃の大きな命題だった。といっても手元に金があるわけではなかったけれど。一生借家住まいにするか、どんなボロやでも自分の家を手に入れた方がいいのか、これもまたよく考えた。都会なら車も必要ないし、家賃の総計とローンの総計の差はあまりないかもしれない。しかし、田舎に住む私たちには車が必需品だ。それと絵描きにとってスペースはこれまた必需品となると、中古でもボロやでも屋根と壁のある自分の家が絶対に必要だという結論になった。 もう一つは自分の棲家を自分で作ってみたいという物を作る人間のサガみたいなものか。 住む家を財産と考えないなら、不動産的には価値のない土地や建物はいたるところにある。例えば入り組んだ路地の先にあるいわゆる旗地に建つ古家。道が公道に面していない土地に建つ家などなど。普通の人が毛嫌いする土地や建物が私にとっては宝物のように思えた。新築することは違法だけれど、今ある建物を住んでる人が改装する分には合法だ。どのみちあと何十年か住むだけだから資産価値などなくてもいい。 結局フルーランスで生きるというのはこういう事じゃないかな。多くの人と同じように暮らすなら、いやいや就職して働かなくてはならない。毎月決まった給料が入らなければローンを組むことさえ難しい。これは銀行が悪いわけではなく、普通に考えて当たり前のことだ。みなと同じでなくていいと根性をくくれば、覚悟を決めればそれなりの生き方が見えてくる。 更新時間 : 21:07:02
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3月1日 (土)
はる 8852 お金の話を少々。投資ということにアレルギーがあった。別に今までに損をした覚えはないのだが、どうも投資🟰博打、金が金を生むマネーゲームというマイナスイメージがつきまとっていた。額に汗して働いて得た金は尊いけれど、金を動かして得た金は汚いと考えていた。 何故金が金を生むことに対して良くないイメージがあるのだろう。 金が金を生む仕事(お金の動かし方)についての考察 投資と投機の違い。投資というのはプラスサムゲーム=総和がプラスになるお金の動かし方。投機というのはゼロサムゲーム=総和がゼロになるお金の動かし方。 私が投資だと思っていたのは投機のことで、誰かのもうけは誰かの損失になるゼロサムゲームということだ。これには発展性がない博打そのものだ。弥次喜多の酒売りみたいなものだな。結局はゼロになる。 投資は新しい価値を生み出すことに賭けるというけれど、それはまぁ正しいうたい文句ではあるけれれど、多くの場合日々の値上がりを待つ投機的な意味合いが大きいように思うな。新しいベンチャー企業に投資する人もいるのだろうけれど、多くは例えばトヨタとかソニーとかメジャーな銘柄に投資して値上がりを待っている下々が多いのじゃないかな。投資と投機は同じような意味で使われている。私も知らなかった。 私が投資に興味を持ったのは、持っている資産をほとんどが銀行の貯金に預けていた。よくても定期預金までだ。利息が0.02%だと100万預けて一年で200円しか利子がつかない。定期でも0.1%だから5年預けて1000円だな。子供こずかい程度だ。資産運用しないと決めていたからそれならそれで仕方ないと思っていた。持っていた額も300万前後だったたかな。ところが義理の親父やお袋の遺産が1000万単位で入ってきた。これをこのままにしておけば資産価値はどんどん目減りしてゆく。円安のためにどんどん客観的な資産価値が目減りしてゆく。これを何とか増やさなくても食い止める方法はないかと考えた。円を分散して持つ方法だな。 というわけで、一つは金にしてもう一つはドルに換えた。時が良かったのか金はみるみる高騰して今や買った時の2倍を超えた。ドルの方も色々考えた。銀行に相談もした。国債がいいとか外国株式がいいとかいわれたけれど、どれもピンとこなかった。相手は専門家で色々資料を見せてくれるけれど、どれもこれも理解不能だ。 一番最初はドルの定期預金だった。みるみるドルが安くなってあわてて売ったら20万の損を出した。あれは慌てて売ることなかったと今では思う。いい勉強になった。レートは必ず山と谷がある。谷で買って山で売るこれが鉄則だな。これさえ守っていれば損することはない。買ったレートより安くは売らなければ損することはない。 問題はこれからの事だな。 たとえ外貨差益がゼロサムといわれても株式投資しようとは思わないな。何故なら株式投資の方がより積極的な投資のように思われるからだ。私はどちらかといえば消極的な投資でいいと思っている。安全な位置で静観していたい。出来たら何もしたくない。ただ資産が目減りするのは嫌だから、外貨預金しているだけだ。資産を分散しただけだ。それで差益がでるなら儲けもんだ。 更新時間 : 14:55:06
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