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絵描きのぼやき

2月28日 (土)

はる 9211
就職しないで生きる人のための棲家の取得法
 
 棲家は自己表現である。自分が住む場所は自分で決める。土地は資産であるという考えを捨てる。家賃程度の月々のローンにする。決して無理はしない。住む家のための人生ではなく、人生楽しむための棲家である。出来ることは自分で時間がかかっても楽しみながらやる。(ほとんど事は自分で出来る)

更新時間 : 21:49:19

2月27日 (金)

はる 9210
どう住むかということは結構大事なことで、ほとんどのサラリーマンは大きなローンを組み、首根っこを抑えられて一生不自由な生活を強いられる。その事に気づかずに一生を終わる人も多い。
 私のような工作少年は小さい頃から自分の棲家や隠れ屋を作る事に夢中になった経験を持つ。子供の頃からの夢は自分の棲家を自分で作ることだ。どんなボロ屋や掘立て小屋でも自分で作ればどんな高価な家よりも価値がある。
 これが、マンションやアパートではだめなんだ。なぜなら自由に改装出来ないからだな。同じお金を払うなら自分のものにして自由に改装して暮らしたい。そんな夢があった。

生涯支払う金額を考えるとマンションやアパートで暮らした方が安上がりで、自宅を買ってメンテナンスしながら暮らすことを考えると二の足を踏むというようなことを聞いた事がある。その人の生き方次第だと思うな。自宅をもてば様々に手を入れていかないと、たちまち家はボロになる。屋根や水回りは大変だ。自宅を持つという事はそういったことも含めて楽しめるかどうかだな。
 正規の仕事を持っていて、家には寝に帰るだけというなら、マンションやアパートのほうが手がかからなく便利かもしれんな。また、年を取ると鍵一つで戸締りが可能なマンションがいいという人もいるな。
 それぞれの生活パターンで考えればいいと思うが、私は断然自宅派だな。

住にこだわるのは自分の興味がそこにあるという事もあるけれど、衣食住すべてが自分の表現と関わっているからだな。何を選択して何を捨てたかにそのひとの人格が出るわけで、どんなふうに暮らしているかは作品に出てくることは確かだ。何も無いところから突然素晴らしい作品が生まれる訳はない。日常の何気ない暮らしから、その人なりの作品が出てくるのだろう。
 四季折々の草花の一輪を、立派な床間に飾ることも大事な事だが、何気ない玄関の下駄箱の上にでも飾るそんな気持ちが、他の作品を愛でるこころの余裕がうまれる。
 表現とは自己主張する事ではない。日常生活を何気なく豊かに暮らす醍醐味の事ではなかろうか。

我が家に入るには車の入れない細い路地を通らなければならない。それをマイナスととるかプラスととるか大きく生き方が変わってくる。
 路地は雨がシトシト降ればジワジワ濡れる。たくさん降れば足元をビタビタ濡らす。もっと降れば水溜りになって歩くのを妨げる。
 夏は雑草との闘いで、こまめに芽を摘まなければ、あっという間に草に埋もれてしまう。藪蚊の発生も好きではないが、蚊取り線香の匂いは夏の風物詩。ものは考えようだな。
 宮崎駿のアニメにはこんな日本家屋がよく出てくる。すべてがその土地の風土から産まれたものだ。

日本の住宅は建てたその時が一番価値が高く、年とともに値段が下がっていく。20年も過ぎれば建物としての価値はなく、ほぼ土地だけの値段になる。新しいものは古くなるのも速い。それが美術品や骨董品と大きく違うところだ。
 不動産に掘り出し物無しという。安いものにはそれなりの訳があるという格言だな。一番避けたいのは誰かがすでに住んでいるとか、そのスジの競売地だとか、めちやくちゃな値段が付いていることがある。素人は手を出さない方がいいだろう。
 旗地というものがある。ちょうど竿のてっぺんに旗が付いているように、路地のどんづまりにある土地のことをいう。車の入らない旗地は不動産的に価値がなく売買の対象にはなりにくい。ということはアバンギャルドな我々にとっては都合がいいということになる。

更新時間 : 20:38:54

2月26日 (木)

はる 9209
パス

更新時間 : 21:20:48

2月25日 (水)

はる 9208
「年寄りは生きている価値があるか」と問われて寂しくなったという記事があった。
 私ならどう答えるだろう。インド哲学の四住期を当てはめると、生物学的にみれば子育てが終わった家住期が過ぎれば、社会的に貢献するとか役に立ってという意味では生きている価値は殆ど無くなってしまう。それにも関わらず、家住期が済んだ後何十年も生きながらえている。無駄ではないのかと問われている。
 自分を振り返って考えてみると、若い頃には戻りたいとは思わない。30代や40代もしんどいな。なぜなら何も見えないからだ。わからないからだ。まぁその分からなさが若さの特権とは言われるのだけれどね。私からみれば危なかしく思う。
 何度も言うけれど、人は自分の度量でしか物事が理解出来ない。そういう意味では年をくうことは意味がある。価値がある。全ては見えない財産だ。
 西欧考え方だと死は全ての終わりを意味する。しかし、インド哲学では死は全てからの解放を意味して人生の完成形を意味するのだな。
 元々我々は目的を持って産まれて来たわけではない、すべからく死ぬまでの暇つぶしみたいなものだ。やりたい事をやったら静かに天命をまてという事だ。

更新時間 : 21:28:47

2月24日 (火)

はる 9207
さて、何を書くかな。今はカミさんの買い物に付き合ってスーパーに来たところ。暇なのでこれを書いている。
 憲法のことも大事だけれどな。そればかり考えているわけじゃないからな。
 絵描きは貧乏だと相場が決まっている。しかし、ただの貧乏ではない。貧乏である事に誇りと矜持を持っている。そのことが他の貧乏人とは違うところだが、他人には全く区別はつかないと思うな。結局、人生自己満足に過ぎない。それでいいのだ。
 絵を売ることは大いに奨励される。それで食っているわけだからね。他にどんな方法があるというのだ。まず最初に身内、親戚、友達に売ればいい。だいたい一周すれば売り尽くす。種はつきる。それでやっと気がつく。絵など普通には売れないのだとね。
 色んな泣きごとが書かれている。そんなもの誰も聞きたかない。そうやって自分の絵の価値を下げているのがわからないのかな。売れようが売れまいが我が道を行く、それでいいのだ。

更新時間 : 21:50:36

2月23日 (月)

はる 9206
裸婦クロッキー

更新時間 : 19:55:15

2月22日 (日)

はる 9205
パス

更新時間 : 20:38:56

2月21日 (土)

はる 9204
とりあえずの確認事項
衆議院は体制翼賛的に圧倒的に与党が占めているのでどうにもならない。
アイドルの選挙のようで手が付けられなかった。
参議院は
2026/2/19現在
自101+国25+維19+参14+保2=161
立40+公24+共11+れいわ5+社2=82
参議院定数248
改憲の発議を廃案にするためには
3分の2未満165までに抑える事
自101+国25+維19+参14+保2=161
みらい1と無所属3たしても165で(欠員1)
ギリギリ廃案に出来ます。
憲法改正は他の法律と違って両院の3分の2の賛成を得られないと廃案になります。
次の砦は国民投票で、過半数以下に追い込む事。

更新時間 : 19:27:43

2月20日 (金)

はる 9203
私は絵描きなので絵の話もしよう。スレッズがあの方ばかりで憂鬱になるのでな。良くも悪くも政治の季節になりそうな予感がしますね。

もう何回もここに登場した私の絵の描き方ですが、もう一度ふりかえります。まず最初に薄らぼんやりと場(空間・時間・物質・力)を作る事から始める。天も地もまだ何も決まっていない。全てが混ざり合った混沌がそこにある。何が有るのか、その場に問いかけるわけだ。ここが他の作家と違う。答えの分かっているものをどんなに精密に描いてもそれ以上の意味はないと私は考える。答えのない問いをする事が、絵を描くという仕事だと私は考えている。
 話は突然、高校生の頃にもどる。倫理社会の先生がこんなことを言っていたことを思い出した。人類の究極的な目的は「真善美」であると。そうだな、科学や数学、倫理、芸術、ばらばらに考えていたことが、どうやらすべてがつながって来た。これもまた面白い。

更新時間 : 19:35:47

2月19日 (木)

はる 9202
森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」4
物語は一人の天才的な数学者とその弟子の生き様を、時系列にそって淡々と進んでいく。モノを考える仕事というのはある意味でピークがあるらしい。何ものにも捕らわれず思考するだけでいられるモラトリアム期間というのは意外に短い。
やがて主人公は家庭を持って大学の仕事を得て社会人として成長していく。その過程で尊敬していた先生を超えていくが、ある意味何かを失ってしまう。仕事を持ち家庭を持ち普通に社会的な地位や名誉を持つにしたがって、昔のように自由に研究や思索だけすればいいという境遇ではなくなる。社会的には昇進してゆくが研究者としては停滞することになる。若い時に尊敬していた先生は大学も辞め、音沙汰もなくなり消えていく。
読後感は意外にさっぱりとしたものだった。
 表現することを仕事にしている我々は、研究者や学者のような思考する生き方ではないけれど、どこか共感するところがある。生涯現役でいたいならば、社会的な地位とか名誉などを放棄することで得られる「静かな世界」に覚悟と誇りを持てという事かな。

更新時間 : 21:06:12

2月18日 (水)

はる 9201
 今日から「TAO展」
山梨県立美術館c室
2/18から2/23
、!、、、
「TAO」は私の教室の名前です。時々何か新興宗教と間違う人がいますが、絵画教室です。
 「TAO」とは「道」の事です。日本ごでは「どう」ですが、中国語ではDAOとも発音されるようです。
 古い中国には沢山の思想家がいました。有名などころでは「子曰く」の孔子とか、老荘思想の荘子、老荘などなど。
 その中の無意自然を説いた老子の「道教」からそうありたいと思う気持ちから「タオ」と命名しました。私を含めてまだまだ未熟者ですが、ご高覧いただければ幸いです。

更新時間 : 22:38:04

2月17日 (火)

もう何回もここに登場した私の絵の描き方ですが、もう一度ふりかえります。まず最初に薄らぼんやりと場(空間・時間・物質・力)を作る事から始める。天も地もまだ何も決まっていない。全てが混ざり合った混沌がそこにある。何が有るのか、その場に問いかけるわけだ。ここが他と違う。答えの分かっているものをどんなに精密に描いてもそれ以上の意味はないと私は考える。答えのない問いをする事が、絵を描くという仕事だと私は考えている。
 話は突然、高校生の頃にもどる。倫理社会の先生がこんなことを言っていたことを思い出した。人類の究極的な目的は「真善美」であると。そうだな、科学や数学、倫理、芸術、ばらばらに考えていたことが、どうやらすべてがつながって来た。これもまた面白い。

はる 9200
あさきゆめみし      
携帯で文章を書く時に、五十音は毎回お世話になるのでよく使う。しかし「いろは」はあまり意識して使う事がなかった。今回あらためて「いろは歌」を読んでみたら、これがけっこう奥が深くて驚いた。日本人の意識の底の方にある、無常観、深遠な哲学に触れた気がしたな。

 有為の奥山今日越えて、浅き夢見じ酔ひもせず。

このところずっと考えていた結論がここに書かれていた。要するに上手く描こうとか、有名になろうとか、売れようとか、有為(作為がある)な浅い夢など見ないで、自分に酔う事もなく、ひたすら描いて無為(作為がない)に至ること、それが絵の道の極意であると。

更新時間 : 20:56:00

2月16日 (月)

はる 9199
「画家のみなさんは、どんな目標を持って活動してますか?」そんな記事が上がってきた。またまた余計なことを書きたくなった。これもまたそれぞれだな。

 先日新聞を読んでいたらAIとの共存の話が
出ていた。最近は文章を書くにもAIを使って小綺麗にまとまった文章を書く事が可能になって来たらしい。AIというのは過去の膨大な情報から適切文章を切り取ってそれなりの文を作る事は得意だ。
 しかし、学生レベルのレポートならいざ知らず、人間のやっている創造というのはもっといい加減というのか、予期できない事の方が面白い。書いている本人さえ気付かなかった事に遭遇する事が往々にしてある。創造の面白さ、醍醐味とはそういう事ではないか。
 目的を持ってやっているうちはそれなりのものしか期待出来ない。AIの得意とする分野だな。人間の創造はそれを超えたところにあるのではないかな。
 作家の表現活動というのは目的などない。有名になりたいとか、儲けたいとか、思っているうちはそこまでしかなり得ない。本当は生きているその事が結果であり作品だと思うな。

更新時間 : 10:40:41

2月15日 (日)

はる 9198
「仲間」f3 制作年不明
個人蔵 混成技法

「個展をする動機、意義は何ですか?」という記事がアップされたので、またまた余計なことを書きました。これも人それぞれで決まったものではありません。

「個展は個展そのものが一つの作品だと思います。個展のテーマ、何をどう展示するか、配置、色、照明、タイトル、BGMなどなど。もっと言えば、Dmを作る、配る、マスコミ対応など、企画でない限り全て自分でやます。展覧会自体は始まってしまえば終わったみたいなもので、お客様相手に遊んでいればいいのです。終わってからがまた忙しい。礼状をかいたり、芳名帳の整理などします。それで成果があれば報われますが、何にもない場合もあります。それでもやるのが作家なのだと思います。」

更新時間 : 22:10:16

2月14日 (土)

はる 9197
自分の事しか分からんが、絵描きなど60過ぎてぼちぼち食えるぐらいでいいじゃないのか。それほど世の中に役立っている訳ではないし、そもそもそんなに需要のある仕事ではない。
 絵を描く仕事としては、アニメーターとかイラスト描きとか漫画家なら絵だけで勝負できるから、描く事が本当に好きならそういった仕事もいいかと思う。あとインテリア画家というのか、飾り物を受注して生産する飾り職人みたいな方法もあるな。若い作家で今の住宅事情に特化した抽象作品を仕事にしている作家もいるようだ。
 私は絵を描く職人を目指しているわけではないな。私は役に立たない芸人、思索家、散歩家、読書家、菜園家、庭師、良き家庭人、そんな者でいいな。大手を振って画家でござい、というのはなかなか恥ずかしいものだ。

更新時間 : 21:57:07

2月13日 (金)

はる 9196
私の記事は絵描きの日々を書いたものがほとんどなのですが、時々政治的なこともつぶやく。人が生きている限り政治とは無関係にいられるはずはなく、日常生活の一部分として感じたことを書いている。
 この間の選挙のことから憲法の話がわたしのスレッズでは脅威的な数を記録した。私の周りの人達は、結構みなさん無関心ではいられないのだろうな。それにも関わらずあの独裁はどういった訳なんだろう。言えることはアルゴリズムなのか、似たもの同士が集まっているということかな。

 我々はマイノリティなんだという自覚を持つべきだな。でないと何かを見失う恐れがあるな。要注意⁉️

いい天気だな。
 今日は友人の傘寿のお祝いを兼ねて食事に出かけた。傘寿って凄くないですか。少し前まで読み方さえ知らなかったよ。「サンジュ」っていうのだ。何故傘なのか?傘が八十に見えるからだって。そういえばそう見えるから何でもいいんだ。
 自分を取り巻く人間関係がそういう年周りになったという事だな。いずれにしろ、年寄りの集まりだな。

更新時間 : 21:43:38

2月12日 (木)

はる 9195
子供の頃のテレビ番組に「チロリン村とクルミの木」という子供番組があった。当時の事はほとんど覚えていないが、子供向けの番組などほとんどなかった時代だったから毎回観ていた記憶がある。
 調べてみると1956年から始まって64年に終了している。まだ各家庭にテレビが普及していない頃で64年が東京オリンピックで一気にテレビが普及したのだが、日本全体では戦後の復興期ではあったが食べ物にも苦労する貧しい家庭が多かった。
 戦争に負けたにもかかわらず、何となく自由を得た解放感に溢れていたきがするな。軍国主義の閉塞感には辟易していたからだ。
 この「チロリン村とクルミの木」にはそんな時代の雰囲気をよく表している気がする。

どんぐり村は私が滞在したカピトーネ村の隣にある村の名前だ。ちなみにカピトーネとは八つ目ウナギのことらしい。言ってみれば「八つ目ウナギ村」ということになる。
 滞在したのは一年間だったが、滞在中に200点以上のスケッチを描いた。それが私の記憶の源泉になっている。

更新時間 : 21:12:37

2月11日 (水)

はる 9194
最初はただの「少年」だった。よく見ているうちに鳩を抱いているように見えた。それは幻想かもしれないが、私の願望がそのような幻を生んだのかもしれんな。
 建学の精神とか、理想を読むのが好きだ。学校や組織を立ち上げた人達は、純粋に高い理想や志しを持ってその理想を実現すべく、その言葉に託したのだと思う。並大抵の覚悟では出来ない事だろう。
 憲法というのはその国の精神を言葉にしたものだ。こうありたい、こうなって欲しいという願望をカタチにしたものではなかろうか。実際に今は過渡期で実現はされていないけれど、やがてはそういった理想郷を築きたい、そんな気持ちを表現したものではなかろうか。
 現実に即したものでないから、変えてしまうというのは違う。お前達の理想は志は覚悟はそんなものなのかと、問われている。今の憲法は世界中の多くの人に読んでもらいたい理想をうたったものだ。現実出来ないかもしれないが、理想は理想で掲げておくべきだと思うな。

更新時間 : 22:18:37

2月10日 (火)

はる 9193
何だろうな、結構ショックを受けているな。自分達の権利を奪うよ、自由が制限されるよという人間をどうして馬鹿のように支持するかな。豚の肉屋とかイカのゲソ売りみたいなものか。
 自由に考える、表現する。自由きままに生きる。本を読んで、ほどほどに働いて、ほどほどに生きていく。誰にも何も強制されない。何処ににで行ける。誰も傷つけないで居られる自由。それを手放すというのか。
 酔ったようにうなされて、いっ時の興奮で手放した代償はとんでもなく大きなものになるだろう。

私は政治的な人間ではないし、決まった政党の支持者でもない。その時々の時代の雰囲気を感じてバランスをとるようにして来たつもりだ。芸術は何よりも自由を欲する。どこか一つの力に加担することは、結局は回り回って自分達の首を絞める事を知っているからだ。それが民主主義だと思っていたが、恐ろしい事にファシズムは「笑顔と熱狂」で瞬く間に民衆を飲み込んでいく。踊らされている人間はその熱狂を喜びに変える。
 もう私達の時代はおわろうとしているが、最後まで諦めないで静かにパルチザンのように抵抗していきたいと思っている。

効率だけを考えれば芸術など無い方が物事はスムーズに片付くのかもしれんな。無駄をはぶいて迷う事なく一つの価値観で突き進めば、あらゆる事が最短で処理できてしまう。
 そういった社会で一番厄介なのが実は人間そのものなのかもしれない。感情や情緒に、左右される曖昧な人間性そのものが一番非効率なものだ。

 独裁とか圧倒的に強い者が嫌いだ。弱くて脆くて危うい存在が人間だからだ。芸術はいつも弱い者側にいる。権力側にいるのは「頑張ろう」「我慢しろ」のプロバイダでしかない。そんな事を考える今日この頃だ。

更新時間 : 21:50:21

2月9日 (月)

はる 9192
選挙結果ひどいことになったな。アホちゃうか。

更新時間 : 22:23:49

2月8日 (日)

はる 9191
「美大出ていないけど画家になれますか」という記事が上がった。余計なお世話だけれど思わずコメントしてしまった。私だったら知らないオジサンに上から目線で言われたくないね。
「画家は画家という生き方をいうのであって目的ではありません。死ぬまで貫き通して初めて画家といえる。よって自分の意思次第で覚悟の問題だと思う。いわゆる職業画家の場合は買ってくれる人がいて初めてなり立つ事なので、美大出かどうかは関係ないでしょう。とにかく沢山活動して自分のファンを増やす事、それだけですね。」

更新時間 : 20:34:31

2月7日 (土)

はる 9190
記事は絵のことばかりでは無い。日常生活の様々な事や感じた事を文章にしたり絵にしている。またそうでなけば決まりきった事しか記事に出来ないだろう。これを仕事にしていないから出来る事のようにおもうな。もちろん絵描きですから、ベースは絵を描く人間の目線ですが、それしかかけない。ドローイングやタブローも同じだな。ある意味、仕事は人間業です。

更新時間 : 20:30:32

2月6日 (金)

はる 9189
鬱な気質というのはなかなか厄介なものだ。何かあるとそればかり気になって他の事が手につかなくなって鬱々と考えに沈んでしまう。私が正業に就けなかったのも多分このせいだ。
 この鬱な気質は厄介だが、これがあるからものを考えたり文章をかいたり絵を描いたりする癖がついた。鬱うつと考える習慣が無ければ今の私は居ない。プラスマイナスゼロ、ものは考えようだな。
仕事として絵を描くとか文章を書くというのは生業としてなり立つかどうかなど分からない。そんなことを目指して始めた訳ではない。就職するように画家になりましたという人間は信用できんな。それなら嫌になれば簡単にやめられるしな。もしそうなら始めっからどこかに就職してまともに働けばいい。画家は結果であって目的ではない。そんな気がする今日この頃でした。

更新時間 : 20:10:42

2月5日 (木)

はる 9188
2026「昼寝と買い物」
ドローイング途中 22x15cm

ずっと考えたことがある。自由経済社会において、例えば品質がほとんど同じ物だとした場合、価格が安い方が売れる。これは競争の原理で正しい事だ。少しでも安くて良いものを提供するというのが商道の大義だわな。それが正しいとして考えてみる。
 百円ショップをよく利用する。かなりの物がそれなりのクオリティで賄うことができる。こんな物がこんな値段で出来るはずが無いと思うようなものまである。メーカー品なら3倍もするだろう文房具があったりする。
 衣料を考えてみる。ほとんどの日用使いのものはあるメーカーのものになっている。国産メーカーをうたっていても、縫製は外国だったりする。
 電化製品など純国産品など探すのが大変かもな。元々は日本のものでも組み立ては外国だったりする。
 もっと怖いのが、食糧だ。自給率は目を覆うばかりだ。
 いつのまにか、糸一本、米一粒、ネジ一つ作れない国になろうとしている。静かな侵略。安い、手軽、簡単が国を内から蝕む。
 武器や弾薬で国は守れない。自らの手とあたまを使って自らの口を養うことしない国は内から滅びる。
 安全保障とは外と戦うことではない、内なる敵と戦うことだ。
選挙が近い。

更新時間 : 20:49:25

2月4日 (水)

はる 9187
「鬼は外福は内」
昨日は夕方帰って来て、疲れたけれど豆まきをした。こういう歳時期は一度やると止める事が出来ないな。面倒くさい。しかし、いいところもあって、やっているうちに段々と憂鬱な気分が晴れてゆくのが分かる。まぁまったく無意味では無いという事だな。

更新時間 : 22:02:58

2月3日 (火)

はる 9186

2025「安寿」f6部分
混成技法 パネル 麻布 
本人蔵

「安寿」というのはフランス語のアンジュ「天使」と日本語の「安らかなる寿(いのち)」をかけています。まぁ、天使って他に何というのか探したらフランス語のアンジュを見つけたという、事で最初からこのタイトルがあった訳ではない。
 ピッタリとハマったタイトルというのは不思議なもので、決まってしまうとそれ以外には考えられないようになります。後出しジャンケンのくせにとても不思議だ。最もこの天使さえ始まりは絵の具のシミだったのだから、何が幸するかわからない。

更新時間 : 20:02:07

2月2日 (月)

はる 9185
2026「さいわいびと」22x15cm
ドローイング
、、、

「さいわいびと」という固有名詞はありません。私の造語です。タイトルを考える時にピッタリと当てはまる言葉があればそれでいいのですが、ない場合自分で作ります。ただし、まったく意味不明な言葉を作っても誰にも届きませんね。誰にでも分かって、なおかつ響きの綺麗なもの、そんな事を考えるのは楽しい事ですね。
 日本人は短歌とか俳句とかのように、出来るだけ少ない言葉で自分の世界観を表現することに長けています。反対に西欧ではどれだけ一つのことを装飾出来るか、その事に始終しているように感じます。どちらがいいという事では無くて、そういう文化だということですね。

更新時間 : 21:47:55

2月1日 (日)

はる 9184
昨日初めて鍼を打ってもらった。4
 少し大げさだけれど、我々の身体は星屑でできている。元はと言えばこの地球のそこかしこにある、水や空気やほこりやチリがある条件で集まって出来ている。こう言ってしまえば元も子もないないけれど、事実だから仕方ない。もっとさかのぼればこの宇宙の組成とそれほど違いはないのではないかな。
 そうやって考えると我々の身体はある意味で小さな宇宙とも言える。特にこうやって考えを巡られて宇宙の端から端まで行ったり来たり出来る頭脳は宇宙そのものという気がするな。
 私がやっている絵画はこの宇宙の凝縮された姿だと思っている。
 一本の鍼からそんな事を思った。お終い。

更新時間 : 18:36:26

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