10月31日 (木)
はる 8732 パス 更新時間 : 21:49:07
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10月30日 (水)
はる 8731 パス 更新時間 : 17:45:57
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10月29日 (火)
はる 8730 期間限定 アトリエの爺様 、、、 世の中はアンチエージングなどといってシワを隠ししたり、ハゲを隠したりするのが大流行りだけれど、老いた姿は格好が悪いかい?芸能人ならいざ知らず、普通に年取って老けていくのは悪くないと思うけどな。若い奴らに意地でもそう言ってやりたい。悔しかったら早くここまで来いよってな。 更新時間 : 22:31:15
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10月28日 (月)
はる 8729 2024/10/27裸婦クロッキー 鉛筆 木炭 コンテ 、、、、 クロッキーはほとんどが5〜10分くらいの速写でじっくり描くデッサンとは描く目的が違う。ゆっくり目鼻など描いていてはとても間に合わない。大きな全体の動き、バランスなどを的確にとらえる必要がある。クロッキーは楽器の演奏や運動神経に似ていて、やらないとどんどん忘れて手が動かなくなる。一度弾けたからといってさぼっているとほとんど初心者に戻ってしまう。 楽器の演奏などもそうだが、やり始めると無我夢中になる。もともとこういった指先を使う訓練みたいなものはそういう性質があるのかな。繰り返すことでフルマラソンのような脳内モルヒネがでるのかもしれん。朝10時から昼をはさんで4時過ぎまで集中して絵だけを描くわけだからすごく疲れる。疲れるけれど面白い。面白いから続けることが出来るのだろうな。これを何かに役立てよう、勉強だなどとは思っていない。鉛筆一本、コンテ一つで遊べるのだから安上がりだ。皆さまもどうぞお試しあれ。 更新時間 : 19:33:27
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10月27日 (日)
はる 8728 裸婦クロッキー 更新時間 : 18:49:05
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10月26日 (土)
はる 8727 パス 更新時間 : 18:08:09
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10月25日 (金)
はる 8726 パス 更新時間 : 09:43:55
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10月24日 (木)
はる 8725 「サーカスの少女」2022 f20 再掲 、、、、 fbは自分にとってあった媒体だと思う。元々雑文を書くことは好きだった。振り返ると中学の半ばから思い付いた事をノートに綴っていた。誰しも覚えがあると思うのだが、自意識の目覚めの頃か。それまで野山の猿のごとく何も考えずに生きて来れたのに、突然「わたし」というものを突きつけられて戸惑ってしまった。 五人兄弟の末っ子という立場上、自己主張は上からの圧力で暗黙のうちに阻まれた。それを跳ねのけるだけの強い自我がなかったのだろうな。内向した自我はモノを書くということで発散したように思う。 高校時代から大学ノートに膨大な雑文を書くことになる。誰に見せる事なく全て処分した。しかし、自分に問いかけるという習慣は私の今の仕事と、密接に繋がっているから面白い。それが無ければ、絵を描く今の仕事も無かっただろう。 fbは自分を売り込む媒体として、新しいキャラを立てて活用すれば、集客装置として利用できると誰かが書いていたけれど、これを仕事としてやっていたとしたら、たまらないだろうな。まぁ、そういう使い方も否定はしないけれど、私はしたくない。相変わらずダラダラとつまらない駄文を書いていたい。それが私だからだ。 更新時間 : 20:37:31
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10月23日 (水)
はる 8724 パス 更新時間 : 21:45:31
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10月22日 (火)
はる 8723 今日は定期検診 まだまだ頑張るしかない。 、、、、 しかし、病院はまたされる。 更新時間 : 19:49:44
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10月21日 (月)
はる 8722 ネウマ譜 紀元10世紀頃から出て来たグレゴリオ聖歌の楽譜。 、、、、 廊下のどんつきに掛けてあるのがこのネウマ譜です。アート作品ではありませんが、イコンのような、名もなき人のある種の祈りのカタチだと思います。 本来のネウマ譜は声楽中心で4線表記です。この楽譜は5線なので、調べてみるとどちらかと言えば器楽演奏が流行って来た15,6世紀の頃のものでないかと書かれていた。当時はまだ紙は高価だったので羊の皮を使った羊皮紙です。まぁそれだけでも面白い。 今から30年ほど前にスペインのマドリードの蚤の市で実際に交渉して大きな製本された一部をカミソリで切り取って手に入れた物です。何処を切ってもいいという事だった。ずいぶん荒っぽい商売がいかにもスペインだなと思った。これも楽しい思い出だな。あとイコンが欲しかったのだが、どうも良いものと巡り合わなかった。 更新時間 : 11:09:09
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10月20日 (日)
はる 8721 廊下から玄関を見たところ。他には物が溢れていても、ここには物を置かないようにしています。一見無駄なスペースですが、何も無いというのは最高の贅沢です。 神聖な場を作るという行為は物を作る人間にとってとても大事な事で、それに似合うような物を作りたいといつも思っています。 築50年以上たっている古い民家なので、壁は竹小舞土壁でした。これを壊して新しい壁を作ったのですが部屋の中が土壁の小山がいくつもできて捨て場に困りました。竹小舞といっても若い人は知らないと思いますが、柱と柱の間の壁は竹を細かく割って網のようにして土を食い込みやすくして作っていたのです。今の新建材が入ってくるまでの昔の日本民家は皆これで壁を作っていたのですな。 住まいというのは基本的にそこの場所で賄うことが出来るもので造るというのが本来の姿だと思うな。西欧の漆喰や大理石で出来た建築は綺麗だからといって選択したわけではなく、そこで一番手に入れやすい建材だっただけのことだな。 何々風の建物が展示場に溢れているけれど、ある意味で今の日本を一番表しているように思うな。何でも有るけど、芯が無い。 更新時間 : 18:30:47
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10月19日 (土)
はる 8720 今日のアトリエ 、、、 毎年11月の月末に地元甲府で個展を開催するというスタイルはもう30年以上続けている。勝っても負けても生きている限りやり続けるしかない。選ばれた者が残るのではなく、やり続けた者が残るのだと思います。勝ち負けでは無い、覚悟の問題なんです。おわかりか? 更新時間 : 19:10:22
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10月18日 (金)
はる 8719 パス 更新時間 : 17:48:43
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10月17日 (木)
はる 8718 甲府の個展のDMです。こちらが本家本元です。 もし、ご希望がありましたら、メッセンジャーにお名前とご住所を書いてお知らせください。11月になりましたら一斉に郵送しようと考えています。よろしくお願いいたします。尚、履歴に残っている方は今少しお待ちください。 更新時間 : 20:23:06
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10月16日 (水)
はる 8717 そうですか、ありがとうございます。しかしながら、写真は嘘つきです。 実はこの格子のガラス戸のイメージは白州正子さんの武相荘からいただきました。無理を言って作ってもらいました。本家にはとても届きませんが格好だけ。 我が家では玄関の正面が畳2枚分の大事な展示スペースになっていて、自作ももちろんですが、私のコレクションや月々の歳時記にあわせて展示がえして楽しんいます。自分の器にあうモノしか作れないし、飾れない。 更新時間 : 19:14:21
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10月15日 (火)
はる 8716 やっと復活かな。 今日は十三夜。散歩のついでにススキを取って来た。なかなか風情がある。 更新時間 : 18:14:29
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10月14日 (月)
はる 8715 パス 更新時間 : 08:06:48
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10月13日 (日)
はる 8714 パス 更新時間 : 22:39:26
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10月12日 (土)
はる 8713 1990「平均律」F130 油彩 県立美術館蔵 既載 、、、、 私の代表作という事になっていますが、今の目で見ると硬さ目立ちます。こんな事になるのであれば、もっと違うものにしたかった。でもまぁ、その時はそれで精一杯だったのでしょうね。35年近く前の作品です。 学生時代から傾倒していた洋画のキュービックな手法と、日本画の原点源氏物語絵巻と、当時多くの作家に影響を与えたミクストメディアの有元利夫とをたして割ったような作風です。テーマは大好きなバッハの「平均律」です。 西欧音楽のバイブルのような「平均律」と比べるのはおこがましいけれど、色と形とリズムのハーモニーみたいなものを目指したように思う。ベースにある考え方は今も変わらなくて、混沌のの中の調和、混沌の中の統一、かな。 90年といえば私が国画会に初出品した年で、同じような傾向のF100「若い音楽家」(山梨英和大学蔵)という作品を出品しています。入選するかどうか不安でしたが、当時あった新人室という部屋に飾ってもらって気を良くしたのを覚えている。我々の頃の作家は団体展とともにあった。それは一年の大半を個展を中心に発表する今も変わらない。 更新時間 : 19:13:15
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10月11日 (金)
はる 8712 今日のアトリエ 、、、、 何に4回以上個展を各地で開催する。だれかが売れっ子ですねと言ってたけれど、実際はそれほど売れていないという証拠でもある。そうでなければ制作が間に合うはずがない。 お金の話は敬遠されるけれど、どうも勘違いされているようだから断っておこう。大体売り上げの半分は画廊とわける。これは企画であれば当然のことだ。それに額は作家持ちの場合が多い。それにデパートであれば、黄ぶくろ差し箱を要求される。作品の梱包送料、作家の滞在費や交通費などなど差し引きすると、良くて売り上げの3分の1くらいが収入かな。それほどぼろい儲けではないな。単純計算で一箇所で50万の収入として何4回やって約200万だな。多いか少ないか、これが私の年間の絵描きとしての収入になる。後は雑多な収入、非常勤講師や絵画教室、年金は掛金を免除したので資格はあるけれど微々たるものだ。いずれにしても低所得者層に違いない。どこまでやれるのか分かりませんが、健康で有りさえすれば最後まで現役でいられるだろうことに満足している。30歳で中学校の先生を辞めて絵をやると決めてから、定職は持たないと決めた。若いうちは大変だったけど、楽しかったな。ここまでこれただけでもありがたい事だ。家族や兄弟、関係したすべての人に感謝しています。 更新時間 : 19:02:27
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10月10日 (木)
はる 8711 今年の甲府の個展のご案内です。 DM画像は変えてあります。 11/16から11/24まで 甲府、ハーパーズ ミル ・・・・・ 抽象絵画は基本的にタイトルはない。ジャズとかクラッシック音楽に似て純粋に色と形のコラボレーションということが出来る。これに何かしらのタイトルを付けるのは後々の人が区別するため、情感に訴えるため、などなど便宜上つけたに過ぎない。抽象絵画が出てきた時にタイトルや文学的な物語性を出来る限り排除することが当然だった。ゆえにタイトルにNO1とか無題とかが普通であった。まぁ今でもそういう作品をメインに描いている人もいる。それはそれでいい。 昨日の話の続きだけれど、どんな形であれ見るものを巻き込みたいといつも考えていた。ただ単に壁の飾りを描いているのじゃ一生かけた意味もない。そう考えた場合、画面の中に持ち込めるものは何でも持ち込む、物語は大事なエレメントだ。タイトルは一篇の詩のようなものだ。これを無にするのはあまりにも勿体ない。まぁこれはある種の通俗性と表裏一体だけれどね。嫌う人はどうぞそのままで。ただし、絵を生業にするにはとても大事な要素だと思う。有元利夫や国吉康雄、山口薫、脇田和、ベンシャーン、須田剋太、松田正平、香月康夫などなどみんなこれがある。 更新時間 : 18:59:12
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10月9日 (水)
はる 8710 2024「瓦礫の聖母」f20 既載 、、、、 現代を生きている我々のつくる作品は大きくいえば「現代美術」ということになる。しかし、まぁ私の作品を現代美術とは言わないだろう。大きな美術史の流れの中で今の美術をどう捉えるか?ということなんだろうれけど、印象派がでてきた時は彼等は最前線にいたことは確かな事だ。ただし美術史を俯瞰的に眺めて言えることで、彼らにその自覚があったかどうか分からんな。渦中にいる人間には分からないような気がするな。ただし、ピカソははっきり自分の美術史的な位置を意識していたかもしれん。 私を見つけてくれた画商のH氏はありがたい人だ。何万もいる絵描きの中から特に外に向けて発信している訳でもない地方の絵描きである私を見つけてくれた。たまたま偶然だったのかもしれないが、求めていれば必ず誰かが見ていると確信する。画商といっても色々あるけれど、彼は絵に限らず工芸やインテリア、椅子やステンドグラスなどデパートという舞台を使って総合的に企画発表するプロデューサー的な仕事を得意とする仕事人だ。 何故そんな話をしたかというと、ある時に私の何があなたの触覚に触れたのか?と聞いてみたことがある。 更新時間 : 22:14:24
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10月8日 (火)
はる 8709 注文で絵を描くことはないけれど、姪っ子にウェルカムボードを頼まれたから仕方ない。こんな物しか描けないがいいのかな。 モノを直接見て描くスケッチやクロッキーやデッサンは上手くはないけれど嫌いではない。考え方として、デッサンは個人の持っている癖を出来るだけ排除して誰がみても納得できるカタチにする事だな。ところが表現ということになると、少し違って個人のもっている癖やこだわりをこれでもかと強調することであるように思う。書画一致というけれど、持って生まれた手の癖は一生なおらんな。そんなに努力しなくてもテストでいい点が取れたり、まるで写真で映し取ったように細部を記憶できる人や習ってもいないのに上手い字が書ける人もいる。絵も同じだな。上手い人は特に努力しなくても上手い。 私の絵はわたしの書く字とよく似ている。どこまで行っても下手くそだ。最近は下手くその癖字だから面白いと居直っているのだが、、。 更新時間 : 20:25:51
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10月7日 (月)
はる 8708 パス 更新時間 : 20:34:09
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10月6日 (日)
はる 8707 仮題「ラプソディ」部分 、、、、 学校の先生になるつもりはなかったけれど、卒業した歳が29だったので他に出来る事もないしなぁ、学校の先生なら絵を描きながら両立できるのではないかと非常に安易に考えたのが間違いだった。ひと昔前の美術の先生のイメージは忌野清志郎の「僕の好きな先生」だけれど、現実の先生業は甘くはない。教師としてそれでメシを食っているわけだから、当然といえば当然だな。何の先生かはあまり関係がない、あくまでもプロの教職員としての仕事を求められる。それ以外の事は趣味の範ちゅうでしかないのだな。絵さえ描いていれば良いわけではない。当たり前のことに、中学2年生の担任として生徒の前に立って初めて気が付いた。 最初にホームルームに入っての第一声は緊張で何も覚えていない。どんな仕事も始めっから上手くいくわけはないのだが、好きな事をやるために人生はあるという持論とのジレンマは避けられないな。三年我慢すればそのまま生涯一教師でいたかもしれん。それもまた一つの人生だったろうな。もんもんと考えて出した結論は一年きっかり最後まで面倒をみて辞めるということだった。あとの事はなにも考えていなかった。 更新時間 : 17:15:12
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10月5日 (土)
はる 8706 2024 仮題「ラプソディ」f130部分 未発表 、、、、 教育系の美術科は絵画だけではなく焼物から金工、木工などの工芸、彫刻などあらゆる分野の実習がある。工作少年だった私にとっては天国のようだった。圧倒的に絵画の実習が少ないので、夜はモデルさんを頼んで皆んなで自主勉強をした。学内はモデルの宝庫だったな。勿論自分で声をかけた訳ではない。 夏休みは二ヶ月もあり学食も休みになるので、前半は農家の住み込みで働いた。宿付きでメシが食えてお金になった。後半は清里に学校の寮があったので画材をバイクに積んで長期滞在の自主合宿をした。寮はベットとメシが付いて何百円単位だったと思うな。50年も前の事で正確なことは忘れた。 お金はなかったけれど、絵さえ描いていればほとんどのことは大目に見てもらえる環境は自分にとってこれ以上幸せなことはなかった。今から考えると、それまでの25年はこれを探すための序章だったのだな。好きな事をやるために人生はあると実感した。 さて、充実した楽しい学生時代はあっという間に過ぎ、また進路を考えなければならない。続きを読みたいてすか? 更新時間 : 17:10:52
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10月4日 (金)
はる 8705 24歳の頃、私は京阪沿線の田舎の農家の離れを借りて一人で暮らしていた。午前中は隣駅のおおきなショッピングモール街にある八百屋さんで下働きしていた。午後からは京都まで出かけて関西美術院でデッサンの真似事をした。夜は受験のためのくそ面白くない勉強をした。今でも覚えているけれど、旺文社のラジオ講座が頼りだったな。始終眠くて仕方なかった。こんな生活は一年しかできないと思った。受験することは誰にも言っていなかったので、援助してもらえるとも思っていなかった。このまま朽ち果ててもいいくらいの覚悟で生きていた。それなので合格の連絡をもらった時はこれでゆっくりと寝られると安堵した。本当はそこからが始まりだったのだけれどね。 人生の中で恩師は3人いるけれど、一番の恩師はこんな出来損ないの私を拾ってくれた大学のH教授だろう。たぶん受験教科の点数は足りていなかったと思う。実技があったのでかろうじて拾われたのだろう。面接があって今の生活など聞かれて可哀そうに思ったのかもしれん。絵の師匠ではないけれど人間的には大きな人だった。転機といえばあの時が一番だな。先生ありがとうございました。 更新時間 : 20:05:41
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10月3日 (木)
はる 8704 2024「アーガイル」sm 未発表 、、、、 学校は地方の教員養成系大学の美術科だった。当時はまだセンター試験はなく、国立は一期校と二期校に別れていた。おおよその区別として有名大学は一期校で地方の駅弁大学は二期校だったな。今と違って国立大学は学費が格段に安かった。調べてみると入学金は6万で授業料は9万だ。うろ覚えだけれど、授業料は初回しか払っていない。ありがたい事に後は全て免除された。故に学費には4年間で15万しか払っていない。一つの理由は歳が25で親父がもういなかったからだ。 学校の教員になるかどうかはまだ未定であったけれど、とにかくじっくり絵を描く時間と自由な環境が欲しかった。この四年間は私にとってかけがえの無い黄金の時間であったな。当時の大学は開放的で夜中でも自由に入る事が出来た。アトリエは使い放題なので、私はほぼ学校に住んでいた。この時間がなかったらいまの私はいない。 学食は朝定が150円で食えた。赤貧洗うが如くの苦学生だったけれど、珈琲だけは豆を買ってミルで挽いて入れていた。これも一つの生き方だな。 更新時間 : 20:57:55
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10月2日 (水)
はる 8703 学校 更新時間 : 22:31:59
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10月1日 (火)
はる 8702 更新時間 : 10:20:02
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