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絵描きのぼやき

10月31日 (木)

はる 548
 1986「My room」F80
 有元利夫が生きていたたらどんな風な仕事に変わっていただろうと想像する。亡くなってからもう20年近くなる今でも、全国の何処かの画廊で毎年回顧展がなされているほど、彼は多くの人の心を捉えた。ちょうど私が絵を描くことで人生を始めたいと思い始めたころだったので、衝撃的に私の心に残っている。
 天は人それぞれにやるべき仕事と量を生まれた時から与えているのだとすれば、彼は若かったけれどもうすでにそこまで到達していたのかもしれない。それでもまだもう少し生きてその後の仕事を見せて欲しかった。
 当時多くの絵描きが西欧の古典的な描画法に興味をもって試行錯誤はじめていた。それらのテンペラ(油彩画になる前の絵の具)と日本画(にかわテンペラといえるか?)とアクリル絵の具の併用を考えたのは彼のアイデアではなかろうか。
 この作品にはどう見ても彼の影響が濃厚で、晒すのをちゅうちょさせるほど恥ずかしい。
 

更新時間 : 17:44:41

10月30日 (水)

はる 547
 人間は非常に情緒的な動物だと思う。考え方ひとつで幸せにもなるし不幸にもなる。
 このところ好天が続く。生徒を連れて先週から近くの小学校の校庭にスケッチにでかけている。古い学校の校庭の脇には、まるでヨーロッパの公園のような大きなケヤキが並木になっていて、毎年春にはもこもこと若葉が萌え出し、この季節になるとまるで紙ふぶきのように枯葉が舞ってくる。
 「美しい、綺麗だ、気持ちいい」たったそれだけのことでいいから、彼らに感じて欲しい。そしてそのことを誰かに伝えることができれば幸せも倍になるのだということを実感して欲しいと思う。まぁなかなか難しいけれどねぇ。どうだろか。


更新時間 : 21:05:07

10月29日 (火)

はる 546
 1983「丘からの眺め」
 こんな風景が実際にあるとは思えないのだけれど、これは実物の風景だ。当時小さな車が手に入ったことで俄然行動半径が広がった。それもそうだけれど、最初はうれしくて、車の屋根にキャリアをつけて現場に持ち運んで描き始めた。しかし当然の事ながら何処か自分の描きたいものとはずれが生じて来るわけで、途中から現場での制作はなくなった。
 スケッチやデッサンをいくら繰り返しても、いざ制作ということになれば私の場合ほとんど役に立たない。完全な下絵をつくってそれを引き延ばすという風な制作手順で作品を作っていた時もあったけれど、最近はほとんどぶっつけ本番で描いていく。描きたいものは心の中にあるもので、それが何なのか私も知りたいと思っている。むしろそれが知りたいがために絵を描いているのであって、わかっているものを、今更描きだしても仕方ないじゃないかなんて思う。
 むしろたくさんの本を読んだり、音楽を聴いたり、することで思索することの方が表現者として大切ではないかと思う。

更新時間 : 19:03:46

10月28日 (月)

はる 545
 1990「彼女の休日」F50
 この頃の一連の作品だ。たぶんどこにも発表されていない。
 作品のその後の行方は色々だ。ほとんどの大きい作品は借りている倉庫の中に眠っている。何かのきっかけで大回顧展でもしない限り、出てくる事はないだろう。こうやって写真撮影されていて、まがりなりにもここで晒されることになった作品は幸せものかもしれないね。
 一番いいのはパブリックな美術館なり施設で持ってもらって時々でも、公に晒してもらうことだけれど、なかなかそういった選ばれたものたちは少ない。コンクールで受賞すると、ご褒美がもらえるのもありがたいけれど、最もありがたいのは公のコレクションになることだ。私がこの世にいなくなってもこの作品たちは残るのだなと少し嬉しくなる。
 私の一番のコレクターは幸か不幸か兄弟たちだ。この作品も兄貴の「闇のコレクション」の中にある。


更新時間 : 11:56:50

10月27日 (日)

はる 544
 相撲の奥義で良く言われるのが「心・技・体」。横綱審議会で「彼は強いけれど、まだ横綱としての心・技・体のこころが出来ていない」などと偉そうなことを言ってるのを新聞で読んだりする。まぁ人は三つの言葉みたいなことがとても好きだな。
 「真・善・美」相撲じゃないけれど、科学、道徳、宗教、芸術、人類が究極的に求めているのは何なのだろうかと考えた時、この三つの言葉が心に浮かんだ。たぶんもっと他のカッコいい言葉があるかもしれないけれど、まぁそいうことにしておきましょう。
 でこの中の二つの文字「善と美」に羊がいる。このことに気付いたときは特にうれしかった。「美」については前に書いたおぼえがあるので、今日は「善」について書きましょう。
 「善」、元々の字は羊の下に言が二つならぶ形の字だ。古来もめごとが起こった時、どうやって解決したかといえば、神聖な羊を前にしてお互いに自分の正しい事を訴えるのだ、其の時に神羊が異常を示した方が「悪」となり訴訟は終わる。ただし大体において其の判断は神に仕えるとされる巫女さんがやるのであるから、結果は事前に決まっていたと思われる。
 面白いのはここからだ。負けた方は大きな人が入るくらいの器に入れられる、そのことを「去」という。負けて去る、というわけだ。「去」という字を分解すると土とム、この土は人がたであり、ムは其の器のかたちだそうだ。さらに其の器は蓋をして川に流される、それを「法」というそうだ。訴訟に負けるとナベにいれられて川に流される、「法」とはそれほど厳しい掟だということだ。
 今日は少し難しかった。ではまた。
 

更新時間 : 20:51:50

10月26日 (土)

はる 543
 1997「聖なる丘」S100
 最後の油彩画になった。実の所もうこの頃は油彩画にほとんど興味を失っていた。しかしいきなり油彩画を離れて人様の鑑賞にたえる作品を作る自信が無かった。それゆえ何とか今までの手法で仕上げたのがこの作品だ。意に反して意外に評判が良かった。

 バックのシルエットで描かれている建物はイタリアのアッシジ、フランチェスコの教会だ。この間NHKの番組で一遍上人の話を哲学者の梅原猛がやっていたけれど、不思議なことにこの二人には多くの共通点がある。東洋と西洋、この二人がお互いを知っていて影響されていたとは全く思えないのだけれど、その生き方や無一物で信仰のために全国行脚したことなどなど、まったく驚くほど似ている。
 そうやって考えてみれば、人はどうやらそういった信仰のために全てを捨てて「漂泊の旅に出る」みたいなことに憧れを感じるのだろうか、なんとなく分かる気がするのは私だけではないだろう。

更新時間 : 21:39:31

10月25日 (金)

はる 542
 久しぶりに東京に出た。花の都はやっぱり面白い。色んなお店がそれぞれに意匠をこらして張り合ってる、他のお店との違いはほんの少しなんだけれど、そこのところのちょっとのセンスがそのお店のオーナーの腕の見せ所、又そういった人たちが集まってそれぞれに競い合ってるから、さらにセンスも磨かれる。
 街をぶらぶら歩いているだけでけっこう楽しめるのは、田舎に住んでいる我々からみればうらやましい。わが町のさびれ具合を見るたびに、何が違うのか、どうすれば良いのか、頼まれもしない事に頭を悩ませる。
 青山の表参道の大きな交差点に「喫茶・大妨」というあの近辺では超有名な珈琲専門店がある。もう20年以上同じところで珈琲だけのお店を経営し続けているのだから、ある意味凄いといえる。オーナーの大妨さんとの付き合いはもう14,5年ぐらいになるのだろうか、銀座で個展を始めた頃にぶらりと寄ってくれたことから始った、とはいってもほとんど一年に一回しかお会いしないのだけれどね。たまたま青山で喫茶店をやっているという事を知って、近くを通った時によってみたら、これがなかなか雰囲気のあるお店でね。それから時々は寄る事にしている。自家焙煎を売りにしているから、午前中はほとんど自分の手で釜をゴロゴロ回している。まぁ変わった人だな。
 そこから歩いてそうだなぁ15分ぐらいの所に、これまたとてもかわった備前焼専門のギャラリー・せい がある。とことこ歩いていてあのあたりのオシャレなお店とは少し赴きが違って、ボロッコイ民家が何でこんな所にと思うつくりなんだ。青山というオシャレな街だからあのボロさがカッコいいのだな。ここのオーナーの生さんとは今年の夏知り合った。たまたま八ヶ岳の近くに別荘を持っていて、夏に山梨の白州でお店を開いていたことから知り合いになったのだけれど、大妨さんとは旧知の仲だった。
 そうやって考えると結構世の中狭いなぁ、どこかでつながっている。面白いです。今日はこんなところで、また。

更新時間 : 21:32:59

10月23日 (水)

はる 541
 今日は一日パートタイムの仕事で疲れました。それゆえこれでおしまいです、あしからず。
それから明日は野暮用のため一日休みです。

更新時間 : 22:38:43

10月22日 (火)

はる 540
 2001「マドンナ」変形20
 子供の頃からものを作るのが飯を食うより好きだった。いったんアイデアが浮かべば、兎に角目鼻がつくまで夢中になってしまった。思えばあのころが一番純粋にものを作ることを楽しんでいたきがするなぁ。
 この絵を描く動機は変形のパネルだ。油彩画を描いている時は、当然絵はキャンバスに描くものだという強迫観念があった。だから学生時代に安いベニヤ板に描いていた時は、何かしら後ろめたかった。「これはどうせ習作だし」と自分に言い訳していたようなところがあった気がするね。油彩画でなくなって一番自由になったのは、意外にこの描く物を選ばないということかもしれないね。
 前にも書いたけれど、我々は外から入ってくるものに弱いところがある。だから油絵とくればキャンバスと結びついてしまうのだが、実際のところ、キャンバスは板の代用品から始まった訳で、本来は板の方が純正だともいえるわけだ。
 もう一つの動機は何年か前に一枚のポスターを手に入れた。それはイタリアのある地方の聖人を絵にした聖画像で、何百年もたったその絵はもうすでに顔の目鼻立ちさえ定かではないのだが、その存在感は気品があって美しい。そんなものを真似したいと思ったことから始まった。
 宗教画を異教徒の我々がみて「美しい、気品がある」と判断するのは大きく言って間違いかもしれないけれど、これは洋の東西を問わず、「いいもの」は「時代を超えた品格」というものがあるきがするなぁ。ものごとの最終的な価値判断は「品格」ではないかと思う。どうだろう?

更新時間 : 15:59:46

10月21日 (月)

はる 539
 さてさて今日も気のせく一日だったなぁ。朝、目が覚めて雨が降ってると、大手を振って散歩がさぼれるのでけっこう嬉しい。それじゃ止めればいいのだけれど、これも日課でね止められない。

 私のHPの左端にメニューのコーナーがありますね、そこのところに面白いサイトを見つけたので貼り付けておきました。「English Here」ってやつ。みなさんはもうとっくにご存知だと思うのですが、私は初めてなもんでびっくらしました。ちなみにこの「絵描きのぼやき」は「A grumble of artist」だそうです。
 ところで英訳したものをもう一度日本語に訳すとほとんど意味不明です。ニアンスだけでも伝える事ができればいいのですがね。どなたか英語の分かる方、試しに読んでみてくださいな、そして其の感想を掲示板にでも書いて下さい。そうそう掲示板のメッセージも翻訳されるんですね。私の名前は「ひっぱる、とか貼り付ける」という意味になってしまって、少々がっかりだなぁ。
 それにしてもこれで海外からもお客さんがくれば楽しいと、取らぬ狸の皮算用です。
 それではまた明日。

更新時間 : 23:23:56

10月20日 (日)

はる 538
 どうもまた掲示板がうまくない。今日のところはそっとしておきましょう、だめなら新しいのを借りる事にします。

 ところで、ここのところ個展の雑用で忙しい。忙しいのはとてもイライラする。私のペースに合ってないということだろうか?
 後少し仕事せねば、100号も仕上げなくては。
 それでは今日はここまで。

更新時間 : 23:01:23

10月19日 (土)

はる 537
 1978「キューピットのある静物」F50
 今時セザンヌがいいなどと言うとけっこう笑われるかもしれないなぁ。
 考えてみると子供の頃、一番最初に描いた風景スケッチはどこかセザンヌの絵に似ていた。「点描風」に描けば色んな色も使えるし、形のとれない曖昧さがカバーできると自然に体得したのかもしれない、なにより先生の受けが良かった。
 西欧の油彩画の歴史はそれこそ中世の錬金術師からの伝統があって、我々がチョコチョコと習ったからといって真似できる物ではない。最近では「舶来物」などという言葉は死語になってしなったけれど、私の子供の頃にはまだ「上等品」というイメージがあった。今でも油絵の具を買いに行けばルフランの絵の具はワンランク上の上等品として信仰を集めている。
 セザンヌやその他の「印象派」と言われる画家たちが、世界中で人気がある、特に日本で好かれるのは一つは「宗教画」ではないということがある。キリスト教の一般的な教義を知らなくても、純粋に「好き嫌い」で絵がかたれるからだ。
 何を言いたいのかわからん文章になってしまった。兎に角この絵の動機はセザンヌと同じモチーフを使っているというところだ。

更新時間 : 13:56:53

10月18日 (金)

はる 536
 きょうは色々個展の準備で忙しく駆けずり回っていた。何だろう自分で企画するということは、そういう雑用を全て自ら引き受けるということだ。という事で今日はお終い。

更新時間 : 22:21:21

10月17日 (木)

はる 535
 人はどうなのか知らないけれど、例えばものを考えるということは、ものを書く又は描くということではないのか?たとえそれがメモやエスキースという状態であったとしても、何らかの足跡を残しながらでなければ、ものは考えられないのでないかと私は思う。否違う私は何のメモもとらず落書きもせず絵空事でものを考えるのだという人もいるかもしれないけれど。本当かな?
 ものを書きながら考えるという癖は、物覚えが悪いということからきているのかもしれないね。そういえば受験勉強で単純な暗記ものはやたらと書く、描く、そして呪文のように唱えながらでないとおぼえられなかった。やたらと矢印や丸、三角、四角が飛び交う抽象画のようでもあった。
 長じて私はものを書くことをいとわなくなった。というのか書きながらでないと一歩も前に進めない人間になってしまったようだ。そういえばおふくろもなかなかのメモ魔だ。未だにこちょこちょと何やらかいているらしい。
 ただし私のこれはけっして何かの役に立つといった類の物ではない。ただ単に癖というだけだ。

更新時間 : 21:20:57

10月16日 (水)

はる 534
 1984「風景の中の人物(六角堂)」F80
 小柴さんがノーベル物理学賞を取った。彼の業績は「ニュートリノの研究」ということで、素人には何のことかチンプンカンプンだが、この間その研究の紹介を彼の一番弟子がやっていた。その中でおもしろいなぁと思ったのは、こういうことだ。
 物理学の分野にも色々あって、よく知られているのがアインシュタインなどの理論物理学で彼らがやっていることは「世界をいかに簡単にそして矛盾なく式で表すか」ということらしい。ご存じのようにニュートンなどの物理学もほとんど全て例外を含んでいる訳で、そういった例外を含まないより統合的な理論を物理学者たちは日々考えているわけだ。
 で小柴さんたちの実験がなぜ認められたのかという話になって、以前まではニュートリノには重さがないと言われていた。そういう前提であらゆる物理の理論が成り立っていたわけだ、ところが彼のカミオカンデの実験でそれには重さがあるということが証明されて、世の理論物理学者たちを大慌てさせたということらしい。
 で興味があるのはそんな物理の法則ではなくて、「世界は美しく簡単な式で表される」といったアインシュタインの言葉だ。我々がやっていることはこういった物理学などとほど遠いところにいると思っているのだが、意外や意外ついそばにいるんだなぁ、これが。私は子供の頃から「これさえ唱えれば、すべて許される こ・と・ば 」を探していた。関係ないか!

 人物なら人物、風景は風景と別々に描いていたものを、今度は一緒にしたいとずっと思っていた。そんなことを考えていて、思い出したのが「風景を静物のように、人物を風景のように描け」というアドバイスだ。言うのは簡単だけれど、なかなかこれが難しい。セザンヌから始まった私の絵の冒険は、ここにきて滞ってしまった。「人物も風景もだだのリンゴのように描け」ばいいのだけれど、アインシュタインじゃないけれど、何処かに「大統一理論の場」がありそうな気がしてきた。 

更新時間 : 21:17:20

10月15日 (火)

はる 533
 甲府展のDMができました。もしご必要ならメールにてご住所・お名前をお知らせ下さい。
 (件名にDM希望と書いて下さい。その他のメールは開かないのであしからず)

更新時間 : 23:06:15

10月14日 (月)

はる 532
 素人考えだとことわって。
 どの民族にも魂の再生みたいな一種のアニミズム的な思想がある。アイヌの「イヨマンテ」のお祭りも熊の魂を見送って又戻っておいでと祈るのだと聞いた。アイヌや隼人は縄文人の末裔らしいけれど、もともとの先住民である縄文人には魂の再生の考え方があったらしい、というのは彼らにとって個人の「遺体」みたいなものはそう大切なものではなく、魂の抜けた身体は「なきがら」として捨ててしまった。抜けた魂は次の世代になって生まれ変わると考えた。「葬」の字は野辺に捨てられた遺体のことを指すらしい。
 弥生人になって個人的な人の復活という考え方がでてきた。亀かんやそういった埋葬の仕方に遺体が腐らないように防腐の考え方が出てきた事から分かるらしい。そういえばエジプトのミイラなんかもそういった個人の復活を願ってつくられたようだ。
 宗教の大事な考え方のひとつに、この魂の復活、再生というのがあるのではないか。もし今の世の中で救いがあるとするなら、そこのところを重点的に啓蒙、あるいは説教するべきではないかと思う。
 ただし私は何の信仰も宗教もないのだけれど。

更新時間 : 23:31:30

10月13日 (日)

はる 531
 1983「冬の丘」F80
 これらの作品も第二回目の個展、「四季の丘」のシリーズものの一つだ。だいたい一つのテーマで10点ぐらい作品を描く。そこだけを見ればほとんど同じように見えるけれど、長いスタンスでみれば、一人の作家でもかなりの振幅があるのがわかってもらえるだろうか。あと「夏の丘」と「春の丘」がある。
 作家によって色々だけれど、若いうちからもう完成されてほとんど作風が変わらない人もいる。反対に私のように始終変わってしまう人もいる。それは作家本人の問題でどちらがいいか悪いかなど決められるものではないだろうな。よくわからない。

 「丘シリーズ」を描くきっかけは、加賀乙彦の「フランドルの冬」という本の中に(なだらかな丘の起伏)という一節が、目に飛び込んで来たことから始った。ほとんど本の内容も何もかも忘れてしまったのだけれど、そこの一文だけが今でも奇妙に残っている。その言葉の何に引っかかったのか今ではまるで分からないのだが、天からの啓示のように一つの言葉が連作のきっかけになることも多いなぁ。それでまた何点か描くうちに、潮が引くように興味を失ってしまうのだ。気まぐれだろうか?

更新時間 : 20:35:59

10月12日 (土)

はる 530
 1996「いのりのかたち 1」F100
 写真に光が入ってなんとも感じの悪い姿になってしまった。もう一度撮りなおせばいいのだけれど、このサイズになると仕舞ってしまった作品を取り出して、もう一度写真をとるなんていう仕事は自分ではやりたくない。
 この作品は二枚がペアになっていて、もう一枚は女性が同じように立っている形になっている。ただ写真が良くないのでもう一枚はたぶん出てこないだろう。この後何点かこういったペアになっている作品を描いたが、厳密に二枚一組というのではなく、一つ一つ独立した形をとっている。
 たぶん「いのりのかたち」のシリーズの最初の作品だ。色々ゴチャゴチャとしてまとまりが悪いのは、久し振りに油彩画の大作を描いたせいかもしれない。この一つ前は「方舟」のシリーズでこれもまた随分と数描いた。何とか絵という媒体で社会にメッセージを送りたいと思い始めた頃で、今に続いているコンセプトでもある。
 この作品を描くきっかけは1995年の阪神大震災で、すぐに駆けつけることもボランティアに参加することもなかったけれど、絵を描く事で何かの気持ちの整理をつけたかった。結局これは何処にも発表せず、自己満足のなぐさめにしかならなかった。
 


更新時間 : 17:11:57

10月11日 (金)

はる 529
 きょうは人の付き合いで朝から病院。ついでに馴染みのお医者さんにあいさつ。この歳になれば色々とあるもんだ。
 病院はほとんど老人の集合場所のようだ、馴染みの顔もちらほら。それにしてもいつも考えてしまう、「人はなぜ他人に迷惑をかけてまで長生きするのだろうか」「病・老・死」はなんびとも避けることができない現実だとしても、自分の最後の締めくくりを自ら選ぶ自由があってもいいのじゃないか、なんて思ってしまう。とてもとても重い現実だ。
 病院で暇だから雑誌を読んでいたらこんな記事があった。この間からバーチャル美術館なんて話をしていたけれど、例えばバーチャル墓地、とかバーチャル仏壇なんてどうだってあった。そうかそういうてもある。これは幾らかのお金を生前に寄付すれば、永久的に供養してくれるってわけだ。それに毎朝仏壇に向かい合う代りにネットにつなげばいいわけで随分らくになる。墓参りも手軽でよろしい、その人のホームページを開いてチ〜ンってなもんだ。草も生えないし、兎に角世界中どこからでも墓参りできる。どうだろうか?

更新時間 : 23:52:28

10月10日 (木)

はる 528
 どうもいつ製作過程を晒そうか気を使う。本末転倒。妙なことを始めてしまったので何だか責任が取れない気がして来た。この過程を晒すのはしばらく止めます。気が向いたらその時にチラリと見せる事にします。あしからず。

更新時間 : 21:08:54

10月9日 (水)

はる 527
 1979「Sさん」F50
 前にもここに書いた覚えがあるのだけれど、我々が学生だった頃アングラ演劇が随分流行っていた。唐十郎の赤テントとか黒テントなんていうのもあったっけ、つかこうへい事務所や少し遅れて野田英樹(字はこうだっけ)のユーミンシャなんていうのもマイナーなんだけれど、そこそこ売れていた。
 恥ずかしながら学生の頃、ほんの少しだけ演劇に興味を持って役者をやったことがある。まぁ学生の素人演劇だけれど、体を使って表現することの楽しさというのだろうか、乗ってきたときのハイになった気分というものは、素人でも玄人でも同じじゃないだろうか。また緊張と終わった時の解放かんは忘れられない。しかしあれもなかなか体力勝負の肉体労働だね。
 でSさんは同じ演劇部の女優さんで、我が小劇団のマドンナ的な少女だった。例によって我々の人物を描く会「よたかの会」のモデルをお願いしたら快くひきうけてくれた。
 この絵は卒業する時に彼女にあげてしまった。その後一度も会っていないけれど元気に過ごしているのだろうか。

更新時間 : 17:33:09

10月8日 (火)

はる 526
 きょうは定時制の方が中間テストということで、夜の部がお休み、いつも火曜日は一日学校につめているので、何となく間が抜けた感じがする。

 こうやって昔の作品を晒していくようになって少し考え方が変わって来た気がする。少し前まではWEBギャラリーは正直いってあまり重点を置いていなかった。自分の絵は個展が中心でここはその趣味の延長ぐらいいいやと思っていた。そうだなぁ今も基本ラインは変わらないのだけれど、WEBギャラリーという新しい表現手段があってもいいかと思えるところまできた気がする。
 例えば私なんかの場合多分個人の美術館など持てないだろう。個人の画集を出版することもまぁ難しいかなと思う。仮にそれが可能だったとしてもたかだか数百部でればいいほうだ。個人の美術館を持ったとしてもその維持管理はとても大変だと聞いた。本人が存命している間はいざしらず、亡くなってしまえばそれでほとんどが終わってしまうらしい。
 確かにここは仮のギャラリーだ。実際には存在しない幻の美術館かもしれない。けれどだれでもがいつでも入る事ができ、どんな遠くの人でも訪れる事ができる。そして何よりも作家本人の生の声を聞くことができるのだ。それにここがなかなか画期的だと思ったのはプロバイダーとの契約が切れない限り半永久的に開かれているということだ。そのことに気付いて面白いと思った。どう思う?

更新時間 : 21:23:40

10月7日 (月)

はる 525
 1990「平均律」F130
 「花束を持つ人」から続いていた一連の作品の最後の仕上げの作品だ。人の評価というのはどういったものなのか良く分からない。自分がいいと思った作品は案外評価されず、そうでもないなぁとおもった作品が案外評価が高かったりする。
 今観るとそれなりにまとまってはいるけれど、言いたい事が何も伝わってこない、まさに会場画の典型のような作品だ。もっともその頃は表現ということにそれほど重きを置いていなかった。それでは何のために絵をかいていたか?といえばコンクールのため、展覧会のために、人と張り合うために絵を描いていた。そういった意味ではそれなりに結果を出せた絵かもしれないね。
 その後また自分の絵を壊してしまう。新たな模索が始る。

更新時間 : 19:37:34

10月6日 (日)

はる 524
 昨日の夜はレイトショーに出掛けた。映画はほとんど映画館で観る。近くのコンビニでおにぎりとお茶でも買って、いそいそと出掛けると、同じような連中と一緒になることも多い。昨日は知り合いの夫婦とばったり会って、まぁ変な映画でなくて良かった。
 トム・ハンクスとポール・ニューマンの「ロード・ツー・パディション」これはおすすめ。なかなか思い入れたっぷりの役者・トム・ハンクスがいいねぇ。もともと私はやりすぎるぐらいの役者がすきだ。アル・パチーノとかも好きだね。いつものように内容は触れないけれど、いい映画だった。*****

 2000「こたえてください 5」S100
 一年の長い旅を終えて帰ってきたのが96年の春。一年間ほとんど油絵を描くことも無く、遊んで暮らしていた私は、さて何か描かねばと思ったところで何も浮かぶはずもなかった。まずごそごそ固まった絵の具の掃除してとやってみたけれど、なんとなく私の中では油絵は終わってしまっていた。かわりに帰ったらやってみたいと思ったのは、あのタピエスやイタリアのアルテ・ポーベラなどの作家たちがやっている「廃物のコラージュ」作品だった。
 「考えるよりやってみろ」って訳で、やってみた作品の第一号がギャラリーの右の方にある「こたえてください」だ。これはまたそのうちにコメントを書こうとおもっているけれど、ほとんど何の準備も無くダンボールや布切れを貼り込んで下地にしたものから始め、偶然この形が出てきたものだ。自分考えて出てくる形ではない。そういった意味で自分でも好きな作品の一つだ。
 この成功に気を良くして何枚もその手の作品を作ったけれど、未だこの作品を越えるものができない。二匹目のどじょうはそこにはいないのね。そういった作品でも意外に上手く行った一つがこの「こたえてください 5」だろう。
 

更新時間 : 20:13:51

10月5日 (土)

はる 523
 このところ寝る前に村上春樹の書き下ろし「海辺のカフカ」を少しずつ読んでいる。もともと私は文学青年ではなかった、それ故に読むのがすこぶる遅い。厚い本なら一週間はゆうに楽しめる。
 それにしても私には「物語」の面白さというのがよくわからない、本来文学はそういった「お話」を楽しむものなんだろうけれど、かなしいかな私にはあまりにも荒唐無稽な「お話」は付いていけないところがある。どこまでも私には良く言えば「理性的」な、悪く言えば「現実的」な「あきんど」の血筋が流れているようだ。
 で「・・カフカ」だけれど、昔の村上春樹の著作は最初の何ページかを読むだけで、かなり苦痛だったけれどこの作品はけっこうすらすらと読んでしまった。面白いのかと聞かれると良くはわからないけれど、現実にはありえないことも「ひょっとしたらありえるかもしれない」と思わせるところが、この人の上手さかもしれない。
 預言者のような「ナカタ」さんというおじさんが出てくるけれど、読んでいて「まれびと」のイメージと重なってなかなか興味深かった。

 「こたえてください」の話はまた明日でも、楽しみに。

 

更新時間 : 19:45:30

10月4日 (金)

はる 522
 どうも今日は何も書きたくない。

更新時間 : 20:30:47

10月3日 (木)

はる 521
 1983「窓辺」F80
 実際にものを見て描いた、最後の大作かもしれない。当時私が住んでいたアパートは、人は何と言うか知らないけれど、ちょっと最近ではないクラッシックな建物だった。
 家賃も格安だったけれど、何よりもその建物全体から漂う雰囲気が好きだった。良く言い過ぎだということは分かっているのだけれど、あえて言えば古い神戸の異人館に似ていた。
 その異様な異人館の売りは(冬の隙間風や雨漏りを差し引いて)なんといっても、その洒落た出窓にある。今でこそ多くのシャレタ建物には取ってつけたような出窓が付いているけれど、昭和初期か中ごろにはとても珍しい造作だったと思う。大家さんの話だと何処かの学校を譲り受けてこしらえたものだったということだった。
 部屋の中からその出窓に置かれた、いつの間にやらオブジェと化した切花や、そこらへんに転がっているガラス瓶などを、ほとんど構成などなど考えずにそのまま描写した。逆光に置かれたそれらのオブジェは、自然に自分たちの領域を主張しあって、美しい空間となってそこに存在する。
 何年か前に大家さんから電話があって、取り壊されたそうだ。

更新時間 : 20:56:36

10月2日 (水)

はる 520
 「葡萄畑と立葵」1987
 今こういった絵をみると、なんとも批評のしようがないなぁ。特に私は絵に関しては浮気者なのかもしれないけれど、どうにもこうにもいいと思ったものは節操なく真似してしまうようだ。

 この頃洋画の方では古典の描画方法が注目され、テンペラ(油絵になる前の洋画の手法)やフレスコ(漆喰に顔料でかく壁画)が一躍注目され、いろいろな作家がそういった描き方を取り入れた。
 洋画が日本に入ってきて百年ぐらいしか経っていないのだけれど、その当時西欧で流行っていた描き方が(印象派風の描き方)だったので、日本の洋画のアカデミックな描き方というのが(印象派風の描き方)という誤った伝統ができてしまった。未だにまだ印象派が人気なのもそういったことも一因だと思う。
 しかしその事に気づいた作家たちはこぞってもっと古い西欧の伝統的な描き方を探っていったのだけれど、フレスコやテンペラの古典的な描画方法の流行は、そういったことが背景になっていると思う。そういった流れの中で反対に、私は日本画の手法に惹かれたのだと思う。

 とても成功しているとはいえないね、なんだか照れくさいような恥ずかしいような妙な気分だ。

更新時間 : 12:31:59

10月1日 (火)

はる 519
 神無月です。ではまた後ほど。

今日はにわかに嵐。一日立ち仕事ゆえ疲れました。ではでは。

更新時間 : 22:38:00

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