[HOME] [MASTER]
絵描きのぼやき

1月31日 (金)

はる 8823
2025「花車」f3 部分 混成技法
、、、、
 就職しないで生きることが出来ないか?20代はそんなことばかり考えていた。自分一人でできることなど多寡がしれている。それでも就職して働かされるのはもっと嫌だった。卒業前には就活して就職するという選択肢しか教えられなかった。誰も疑問に感じなかったのかな。一人で屋台をひいてカフェなど出来ないか、花屋もいいななどと夢想していた。結局は何も実現しなかったけれどね。絵描きなどという仕事が明日から食べて行けるとは思えないものな。

更新時間 : 21:05:24

1月30日 (木)

はる 8822
2025「老いたロバ」f0 混成技法
、、、、
 混成技法というのは、いわゆるミクストメディアを「異なった成分の画材を混合した技法」と意訳した私の造語です。似たような言葉に混合技法というのがありますが、これは西欧のテンペラと油彩の混合したぎほうという意味でミクストメディアを混合技法と訳すのは誤りですね。また、ミックスされたメディア(伝達方法)という意味では映像や音響などを利用した現代アートともとれるので混乱します。
 混成技法そのものはそれほど新しいものではありません。ピカソやブラックが始めたパピエコレやコラージュなども混成技法といえます。タピエスやキーファなどのアーティストが始めた画材として塗料に砂や金属その他のものを使ったのも混成技法です。
 いや、元はといえば例えばアフリカやオーストラリアのアボりジニなど原住民が自分の身体に泥を塗ったり、家の壁に泥絵の具で絵を描いたりする方が先だな。表現というのは技法が先に有るのではなく、その時代に生きて身の回りにある適当な材料で表現するというのが本来の姿であって、何々画法などと名前がつくのはずっと後のことだな。
 そういう意味では画材に何を使うか、というのは今を生きる表現者にとって大事な事のように思う。何故ならそれが今を生きると言う事だからです。

更新時間 : 13:30:14

1月29日 (水)

はる 8821
パス

更新時間 : 19:06:06

1月28日 (火)

はる 8820
パス

更新時間 : 19:49:18

1月27日 (月)

はる 8819
パス

更新時間 : 20:03:47

1月26日 (日)

はる 8818
 これはウチの現役の電話です。ベルはうるさいので鳴らないように外しました。普通に携帯からかける事も携帯にかける事も出来ますが、電話機は2.3kg、受話器は500gあります。足の上に落とすと指は潰れます。しかし、何とも言えない美しいカタチをしてしておりまして、愛着があります。
 喋る音が振動となって伝わる、理屈として分かるのはこういったアナログ機器までで、icが入って携帯が電話以上の機能を持つと、もう何がなんやら理解不能ですね。スマホはもうすでに電話ではなくありとあらゆる機能を有した摩訶不思議なモノになってしまった。あっという間に、もうこれ無くして世の中は存在出来ないところまで進化した。もう誰にも止められない。
 しかし、最初はこの黒でんから始まったというのは信じられんな。エジソンもびっくりた。

更新時間 : 20:59:05

1月25日 (土)

はる 8817
パス

更新時間 : 23:23:14

1月24日 (金)

春 8816
パス


更新時間 : 22:25:25

1月23日 (木)

はる 8815
パス

更新時間 : 22:26:40

1月22日 (水)

はる 8814
散歩道 気持ちのいい天気、日常の再開。
いつものコースは病み上がりには少し辛かった。

更新時間 : 20:33:02

1月21日 (火)

はる 8813
私のページにアップすることさえ躊躇する輩の写真だな。やっていることはゴロツキ、ヤクザそのものだ。それが大手を振って自己主張できるツールとしてsns など最新の武器を待ったものだからやりたい放題、法も秩序も常識もあったもんじゃ無い。民主主義を逆手にとって大衆を煽って味方につける、反対する者を徹底して撲滅するやり方はファシズムの常套手段だ。多数派が正義では無いし、社会とはある意味目に見えないルールで出来ている訳で、法に触れなければ何をやっても許される訳ない。ほとんど子供のイジメみたいな様相を呈して来た。それにしてもこのお方は吉本より面白いけど、死人がでるまで放っておいたお上も悪い。どないすんねん。

更新時間 : 19:17:13

1月20日 (月)

はる 8812
風邪で寝てる

更新時間 : 09:11:42

1月19日 (日)

はる 8811
風邪ひいた。

更新時間 : 11:25:50

1月18日 (土)

はる 8810
パス

更新時間 : 11:24:55

1月17日 (金)

はる 8809
 2025 「グランブルー」sm
、、、、
 ある人が私の作品を子供たちに見えると言ってくれた。そうかもしれないな、作品はある意味遺伝子だ。そう考えると今やっていることも満更意味ないことではないな。
 グランブルーとは大いなる青という意味らしい。元々はフランス映画のタイトルだ。私は見ていない。何処からこれを持って来たかといえば、何年か前にこの映画を撮ったシシリアのタオルミーナに出掛けたからだ。タオルミーナはよく知られたリゾート地で欧米各地から多くの観光客で賑わう。2000年も前のギリシャ演劇場が有名だ。
 断崖絶壁の丘の頂上にあって、そこからの景色はまさにグランブルーだな。

更新時間 : 21:21:35

1月16日 (木)

はる 8808
今日のアトリエ
 、、、、
 正直なところ、自分がいなくなってからの事など考えられないな。子供が居ないせいなのか、何か残したいという気は更々ない。きれいさっぱり何もかも忘れてもらっていい。だから作品を残したいというのもないな。作品はもちろん可愛いのだけれど、言ってみれば生きて来た過程で出て来たもので結果はどうでもいいのだな。今、私が試行錯誤しながら懸命に生きているという事が全てのような気がする。それを後世の人がどう判断するかは知らない。勝手にしてくれ。

更新時間 : 20:36:10

1月15日 (水)

はる 8807
「何処へ」を裏から見たところ。
コーヒーの袋に描いたもの。裏など誰も見ないけれど、キモは見えない所に隠されている。表からではわからないものが裏から見れば納得できるでしょう。
 絵画は支持体と絵の具で出来た造形物である。支持体とは紙だったり板だつたり、壁だったり時代によって変わる。何に描くかはとても大事な絵画の要素だな。絵画はキャンバスや画用紙に描くというのはそんなに古いことではない。
 私が学生だった頃、絵画の素材に着目する大きなムーブメントがあった。それは日本に油彩画が入ってきて150年ほど経って、なぜ油彩画なのかを問うようになったからだ。絵画を根本から問うようになったからだ。何の疑問も持たないで既成品のキャンバスとチューブ入りの絵の具で描いていた平和な時代は終わった。
 まず支持体を作ることから始めた。麻布を買って来て白亜にニカワを混ぜたものを塗っり、塗料をぬったり、ベニア板に地塗りしたりしたものを試した。その時に参考にしたのが絵画の修復家の黒江光彦の「油彩画の技術」だ。驚いた事にその年の夏の集中講義が彼の講義だった。内容はほとんど覚えていないけれど、時の人が田舎の大学に来た事に感動した。当時「油彩画の技術」はバイブルのように言われていた。
 作品の裏に貼るシールに制作年やトータルナンバーはもちろんの事、支持体や絵の具などの素材を明記するようになったのもその頃からだ。

更新時間 : 22:42:56

1月14日 (火)

はる 8806
パス

更新時間 : 18:35:45

1月13日 (月)

はる 8805
F3「子羊を抱いて2」
かたちを探る
・・・・
 何故、羊なのか?と今回の東京の個展でもきかれた。確かに今の生活からは身近に羊など居ないわけだけれど、ある意味寓意であるし謎かけみたいな意味もある。
 絵を描く人なら「神秘の子羊」ファン・エイクを見たことがあるだろう。偉そうなことを書いたが、私は大学に入るまで知らなかった。意識の外にあったのだな。知らないという事は恐ろしいことだ。ご多分にもれず油彩画というのは印象派のことだと思っていた。たぶん今でもそういった認識の人が多いだろう。
 西欧の中世の歴史を知らないで油彩画を論じてもほとんど意味がない。そしてそこには精神的なバックボーンとしてのキリスト教が深く関係している。今のように情報が瞬時に世界中を飛び交う時代ではなく、人々の暮らしは百年経ってもほとんど変わらない、そんな日々を生きていたのだ。
 何故絵を描くのか?という根源的な問いになる。もちろん絵を生業にしているという下世話な理由もあるのだけれど、生きて行くだけなら他の仕事にシフトしたした方が楽だろう。もしそうやっていけるならそちらの生き方を勧める。
 私のやっていることは独白とか問答に近いかもしれな。
・・・
AI による概要
 神秘の子羊とは、ヤン・ファン・エイクによるヘントの祭壇画の一部に描かれている羊で、天使に囲まれて胸から血を流す姿が特徴です。キリスト信仰の礎を象徴しており、救世主キリストが自らを犠牲にして人類を救ったことを意味しています。
キリスト教においては、羊は神やイエス・キリストによって導かれる信者を表すほか、犠牲となりながら復活するイエス・キリストと重ねられてきました。また、旧約聖書では、犠牲として神に捧げられる羊が人類の罪を身代わりとして負う象徴とされています。

更新時間 : 10:59:43

1月12日 (日)

はる 8804
 今日はクロッキーだとおもってでかけたらスカだった。

更新時間 : 19:39:03

1月11日 (土)

はる 8803
「何処へ行くのか」f20 部分
 何者かになろうとして絵を始めたわけでは無い。何者にもなれなくていつの間にかここまで来てしまった。もう後には戻れないし、残された時間はわずかになった。

更新時間 : 19:24:01

1月10日 (金)

はる 8802
朝の雑炊は私が作ります。毎日の定番で料理とは言えませんが、前日の夜の汁が、残っていればそれをベースに適当に野菜やキノコを入れて五穀米を加えて煮込みます。後冬場は根菜類を温野菜で食べます。野菜はただ蒸しただけで見違えるほど美味しくなります。これも料理とは言えませんね。窓辺にあるのは前日の昼間に畑からとった小松菜とルッコラです。朝はこのところマイナスになって凍りついてしまうので、昼間のうちに収穫しておきます。冬場でも新鮮な青物が食べることが出来るのはありがたい。

更新時間 : 19:32:24

1月9日 (木)

はる 8801


更新時間 : 17:36:43

1月8日 (水)

はる 8800


更新時間 : 11:11:59

1月7日 (火)

はる 8799
「舞」

白川静『常用字解』
「会意。無と舛とを組み合わせた形。無は舞う人の形。衣の袖に飾りをつけ、袖をひるがえして舞う人の姿である。無が有無の無(ない)に用いられるようになって、舞うときの足の形である舛を加えて舞とし、“まう、まい、おどる” の意味に用いる」
、、、、
 白川漢字学はイメージの宝庫だな。「闇」「暗」など何故「音」が入っているのか?「訪れる」とは「音をつれてくる」などなど、イメージは膨らむ。
 閑話休題
 今年は三月の京都の個展から始まる。五月は恒例の国展がある。年に一度のお祭り騒ぎで、また楽しい。同時期に千葉の山口画廊で個展を開催します。毎年ですが、六本木と千葉を行ったり来たりしてこれまた楽しみだな。国画では大きい作品を発表して個展では小さい作品を展示販売するというパターンをもう30年も続けている。余裕は全く無いけれど、こうやって生きて来れたのは運が良かったとしかいえない。今年は88年からほぼ毎年開催してる東京の個展が無いので比較的ゆったりしている。少しずつお仕舞いにして行こうかと考えている。最後は十一月恒例の地元の山梨で今年は終わりだ。これからも宜しくお願いします。

更新時間 : 18:59:39

1月6日 (月)

はる 8798
2025「救済」f10 加筆
、、、、
 正月に思う事。一年なんてあっという間に過ぎて行く。まぁ一生も同じようなものだろうな。訳ないな。「胡蝶の夢」ではないけれど、どれが夢か現か幻か訳がわからなくなって来た。あと10年やって何処までいけるやら。極楽を見るか地獄をみるか、行ける所まで行くしか無い。どうか、宜しくお付き合いのほどを!

更新時間 : 18:04:09

1月5日 (日)

はる 8797
 今年は個展は三回しか無い。一つ一つ頑張ろう。

更新時間 : 17:59:30

1月4日 (土)

はる 8796
 正月も四日め

更新時間 : 18:40:23

1月3日 (金)

はる 8795
仕事始め

更新時間 : 14:30:11

1月2日 (木)

はる 9794
正月2日

更新時間 : 19:48:22

1月1日 (水)

はる 8794
2025
あけましておめでとう御座います。

更新時間 : 10:53:55

[BACK] [NEXT]

エース