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絵描きのぼやき

8月15日 (水)

はる 6314
 イタリアから帰ってきて考えたことは、今までのような山っ気のある一発当ててやろう、みたいな博打のような仕事に頼っていては自分の絵が段々と貧しくなるような気がして来た。自分が描きたいから描くのではなく、まず誰が審査員か調べてその人たちに受けるような絵を描こうとする。これは本末転倒だな。しかし、コンクールや公募展に出品する限り上位入賞がほしい。だんだんとそんなさもしい心根に傾いてゆく自分を発見してがっかりした。という訳できっぱりとコンクールとは縁を切ることにした。

 ならばどうなりたいのか考えた。確かに聞けばだれでもが知っている画家というのは何となく憧れるよな。けれど、もしそうなったとしてそれで満足かな。そうやって高名な画家になりたいのかと問われるとそうじゃないよなと思う。画家なんか知る人ぞ知るでいいだよな。新聞や雑誌で騒がれる、美術館や有名な画廊で企画される高名な画家もいいけどな。それは私ではない。

 マイナーならマイナーな生き方があるだろう。売れないな歌手とかバンドなど、はたまたドサマワリの演歌歌手、村から村へ移動する旅芸人、大衆芝居、サーカスなどなど、芸術家としてではなく一人の大道芸人としてならぴったりとその役割を果たせそうだ。出来るだけ近場にいる一人の作家としてその生きざまを見てもらう。一年間に創作した作品を携えて、いろんな場所に出かけて展覧会をする。観に来てもらって、今年はこんなことを考えました。こんな絵を持ってきましたといって、気に入ったら身近に置いてもらう。そんなスタイルが出来ないモノかと考えた。

 それには一緒にやってくれる、私の絵を好んで企画してくれる画廊がどうしても欲しいんだよな。絵の専門家である画商さんがこの作家と一緒にやりたいと思わない作家など、一般の人に受けるわけない。昔演劇の蜷川さんが「女(女房)ひとり騙せないような役者が、大衆を騙せるはずがない」そんなことを言ってた。その手でいうなら「画商一人騙せない絵描きが、コレクターを騙せるはずがない」あとは一緒にやってくれる画商さんの出現を乞うだけだけだった。


更新時間 : 21:48:06

8月14日 (火)

はる 6313
 1983年歳は31歳だな。この歳に兎に角初めて個展を開催した。当時はまだ美術館などなくて、大きな展示場といえば県民会館の地下展示場しかなかった。学生時代からの大きな作品をまとめて発表した。自分の中では画期的なことだっただったけれど、世間一般ではほとんど誰も相手にはしてくれなかった。当たり前だけどね。その後3年後の86年にも同じ会場で個展をしている。この時は「四季の丘」と題してテーマを決めて卒業してからの抽象的な大作を発表している。絵を描いてゆくとは決めていたけれど、それが実際にどいう事なのか、自分でもわかっていなかった。その年に結婚している。

 88年に一大決心をして東京の銀座で個展をすることにした。それと並行して色んなコンクールに出品している。この頃はまだほとんど小品は描いていない。兎に角、全国区のコンクールで受賞する事、少しでもこの世界で名前を売ることが世に出るきっかけになると固く信じていた。事実周りの知り合いが画壇の登竜門と言われるコンクールで大賞を取って一躍時代の寵児になって行くのを目の当たりにしていた。時代はバブルの絶頂期で各地で冠のっコンクールが盛んに開催されていた。

 90年から全国公募の美術団体国画会に出品するようになった。大作はこの公募展に合わせて描き、小品とともに地元のギャラリーと銀座のギャラリーで発表するという一年のサイクルが出来てきた。それでも作品はほとんど売れることはなかった。たまたま知り合いがカンパのつもりで買ってくれるだけで、そんなものは生活の足しにはならなかった。でも買ってくれる人が少しでもいるということが凄い慰めにはなったな。

 そうこうしているうちに93年にたて続けに大きな賞をもらった。何となく絵描きとしてやって行けるかのかなと、そんな兆しが感じられたころだ。今ならそこがターニングポイントだと分かるのだけど、その時は分からなかった。そんなことにはかまわず、一切を放棄してイタリアに行くことにした。一年間ほとんど旅して遊んで暮らした。帰ってきて油彩画を止めた。


更新時間 : 23:48:08

8月13日 (月)

はる 6312
 午後から夕立になって凄い土砂降りだった。久しぶりに本格的な雨だけれど、集中的に降っても流れるだけだな。それにしても最近の天候は熱帯のようだ。


更新時間 : 23:18:03

8月12日 (日)

はる 6311
 こんな子供だましのようなものをつくる。実はこんな風習をここに来るまで知らなかった。いや聞いたことはあるけれど、実家の方ではやらなかったな。迎え火も送り火もやらなった。どうしてだろう。他の家ではやっていたのだろうか。よく知らないなぁ。ここにきてどこの家庭もやることに驚いている。特別に先祖に冷たかったわけでもないだろうにな。

 さて、お盆になると終戦記念日を思い出す。事実は敗戦の日なんだけどね。退却を転進と言ったと同じような言い換えが未だになされている。原爆を落とされた。まぁすでにボロボロに負けていた訳だからあらためて皆殺し、これこそ虐殺だと思うのだけれど原爆を落とすことはなかったよな。よく戦争で捕虜の虐殺云々というけれど、広島長崎はそれこそ虐殺だな。ナチスのホロコースト以上だな。まぁそれが戦争だと言えばお互い様かもしれん。日本人も褒められたことはしていない。戦争というのは普通の人も悪魔に変えてしまう、それが恐ろしいのだな。時代の空気。これが怖い。

 戦後何もかも失って、本当に国民全員が裸になってしまったんだな。右も左もない真っ平なただの人になったわけだ。その時に希求したのがもう二度と戦争したくない。そこら辺の善良なおじさんもおっさんも悪魔のような人間に変えてしまう。でなければ人など殺せない。敵は人じゃないと教えられるわけだ。そんなことは二度としたくない。貧しくても食うや食わずでも戦争のない世界がどれだけ幸せだったか肝に銘じたわけだ。その多くの人の願いが新しい憲法の前文に書かれている。これを読むとひしひしと当時の人の気持ちが伝わってくる。

 これが我々の原点なんだな。何百万人の犠牲の元に得られた貴重な宝だとおもうな。日本だけじゃないな人類の宝といっていいかもしれん。理想というのはそういうモノじゃないかな。裸になって、何もかも失って初めて気づいたこと、その理念がここに結集されている。3・11もそれに近いショックだったけれど、敗戦はそれ以上だな。それにもかかわらずこれを変えようとする輩がいることが信じられない。何か意図的に目指すものがあるからなのか。彼らが目指す日本とはどういうものなのか。恐ろしいな。どんどんキナ臭い方向に行っているようで。



更新時間 : 23:36:45

8月11日 (土)

はる 6310
 ぱす

更新時間 : 23:02:36

8月10日 (金)

はる 6309
 今日も暑かった。お盆さんの準備をしなけりゃならんな。面倒だ。結局こういった行事は残こされた人たちのものだな。自分達の墓守などいない訳だし。いずれは無縁仏だ。私自身のことで言えばどこか海にでもまいてもらって、お墓はいらない。ただシンボルとしてのモノあればいいのじゃないかな。小さな仏さんとかマリアさんとか。それも私を知っている人がいる間だけのことでね。いずれは何もかも消えて行くものだ。

 何だか普通にやると決まりごとがあって、やれ新盆だ、お彼岸だ、お花やお菓子やエトセトラ。私のことじゃいらんね。何もいらない。生きている時も自己流だったのだから、死んでまでいろいろ押し付けられたくない。すべて何もかもいらないね。

 このHPが何年あるか。誰かが管理してくれるのか。わからんけどね。10年ぐらいは残しておきたいね。まぁそれも欲か。
 


更新時間 : 23:51:46

8月9日 (木)

はる 6308
 毎日何かを書いていると、よく書くことが有りますね、と言われる。確かにな、こうやって毎日くだらない事を書き連ねていても結構何か浮かんでくるもんなんだな。あぁこれは今日のブログに書いておこうと思っていても、いざその時になると忘れているんだ。そんなのばっかりだよ。もうこれ以上はアイディアなど浮かばないと思っていても何か書いている内に浮かんでくるから不思議だ。

 でも今日は寝るよ。

更新時間 : 22:21:32

8月8日 (水)

はる 6307
 モノクロームを塗りこんだり、上からさらに原色を薄く重ねたりしています。ここらへんもやり方が決まっている訳ではなく、毎回少しづつ変わっていますね。前回上手くいったからとか、失敗したからとか繰り返すことで段々にやり方も決まってくるのかもしれん。ただ機械的にやっても上手くは行かないだろう。いつも手探りで探して行く方がやっていて面白い。下地のけばけばしいプリント模様がだんだん見えなくなってきた。難しいのは面白い色や形にとらわれすぎるといじけた仕事になってしまう。あくまでこれは下地なんだと心を鬼にして潰してしまう。ところが潰しすぎるとこれまただめなんだな。それをどこで止めるか。もう少しやらないと何も見えてこない。

更新時間 : 23:16:25

8月7日 (火)

はる 6306
 24歳の頃、午前中は近くの八百屋さんでアルバイトをしていた。八百屋といっても近くに大きなマンション群があったので、今でいうショッピングモール街のような形で大変お客さんは多かった。アルバイトも常備10人ぐらいいただろうか。私は午前中しか働かないのでもっぱら裏方で、朝早く市場から競り落としてきた野菜や果物を要りょよく古いものと新しいものを入れ替える、袋詰め、パック詰めする、掃除する片づけるそんな仕事をやっていた。

 昼からは京阪三条まで出てそこから自転車に乗って平安神宮近くの関西美術院という美術研究所でデッサンの勉強をするという日課だった。最初の頃はそれでも充分楽しかった。しかし、絵を描いてゆくとは決めていたけれど、それで将来どうなるのか。本当にそれだけでいいのか。漠然とした不安にさいなまれていたことは確かだな。昼間電車に乗っていても、こんな真昼間学生でもない自分がこんなふうにしていていいんだろうか、誰が見ているわけでもないのに肩身の狭い想いをしていたな。人間とは悲しいものだ。皆と同じでない人生を選択したにもかかわらず、同じでないことが不安になるのだ。

 同じことならもう一度大学に入って一から勉強し直すという考えが浮かんだ。デッサンを勉強している仲間が受験を目指していたからかもしれん。俺ももう一回受験してみようか、学生と言う身分になって周りの目を気にしないで堂々と絵の勉強ができるというのは我ながら名案だおもった。

 しかしながら、もうすでに独立して自活していた私がいける学校などあるのだろうか。それが問題だ。経済的なこともある。受験勉強するとしても昼間今のアルバイトしながらだと長くは無理だな。一年くらいならなんとかがんばれそうだ。ということで作戦をたてた。経済的な事を考えると国公立しか無理だ。当時授業料は年間96000円だった。それでも数年前までは12000円だったからかなりの値上がりだ。国公立の美大となると一年浪人したくらいの実力じゃ受からんだろう。というわけで国立の教育学部の美術科を北海道から九州まで調べた。候補に上がったのは北海道教育大、秋田大の教育、京都教育大、と山梨大。教育学部なら今のデッサン力で充分だけれど学力が到底間に合わない。

 6月頃から本格的に受験勉強することにした。数学と理科と国語はラジオ講座で何とかなるだろう。問題は英語と社会だな。これを何とかしなきゃ国公立には受からない。出来ないもんは仕方ない。出来る事だけ的を絞って徹底的にやった。私の人生の中で一番勉強したのはこの時だな。もう後がない、やるしかない。

 山梨大学は当時は国立二期校。三月の終わり頃かな。片道切符ではないけど、ここに受からなきゃ、もう受験は諦める。そんな晴れ晴れした気もちだった。若い高校生に交じってもうすでにおっさんの受験生だ。まぁ面白かったけどな。まぁたまたまラッキーな事に受験生は3人ぐらいしか居なかったからね。これは受かったとおもった。筆記試験の方も数学以外は割とできた。数学は難しくてみんなできなかったようだから助かった。



更新時間 : 00:04:04

8月6日 (月)

はる 6305
 プリント模様の布のコラージュを一通り終えたところ。なにか違う作家の作品の様だな。この段階では出来るだけけばけばしい有りえないような配色のプリントを選ぶ。使う絵の具のヴァリエーションは少ないけれど、こうやって他人の色を借りて色の幅を持たせている。染色された色は本当に美しい。塗った色と染料の色とはかなり違う。それを利用しないてはない。それから自分が意図した物とは違う配色だったり、形が私の気持ちを刺激する。予定調和にならないようにできるだけアバンギャルドにコラージュ自身を楽しむようにしている。この段階では無論何の形も意識していない。

更新時間 : 21:18:43

8月5日 (日)

はる 6304
今更ですが、シャガールいいな。ここまでデタラメに破綻しつくすと、ある一定の秩序ができるという見本かな。普通の美術教育を受けた感覚ではこうはいかない。もちろんシャガールは美術教育を受けていますが、何処かで踏み外したんだと思うな。絵描きになるというのはそういうことだろう。

 絵を描き始めた頃、シャガールがいいという感覚が理解できなかった。今でもたぶん一部の人はそうだろう。ルオーにしてもシャガールにしてもボナールにしても、けっして上手い作家ではない、しかしこれがいいという人たちがいるから今まで残っている。

 「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がある。天のアミはダダ漏れの状態だけれど、大事な事は決して洩らさいよという事らしいが、たぶんどんなに暴れまわっても天の摂理からのがれることはできない。ならば我々の心の片隅にはこんなふうデタラメ(子供の様)でいたいという願望が隠れているんだろうな。

更新時間 : 19:13:13

8月4日 (土)

はる 6303
 今日も暑かったな。日傘が必需品になってきた。思い出してみると親父は夏になると白い麻のスーツに白い皮の靴をはいて日傘をさしていた。あの時代の男にしては洒落者だな。それに似合っていた。あんな伊達男の血筋を誰もひいていないのは不思議だな。

更新時間 : 23:30:18

8月3日 (金)

はる 6302
  今一度この有名な独白を心して聴きたい。哲人政治が理想だと思うんだ。徒党政治は勢力争いと金勘定ばかりでヤクザ集団のようだ。あれが日本の政治家だ、代表だとしたらあまりにも恥ずかしい。

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チャップリン「独裁者」のスピーチ

申し訳ないが、私は皇帝などなりたくない。 それは私には関わりのないことだ。 誰も支配も征服もしたくない。できれることなら皆を助けたい、ユダヤ人も、ユダヤ人以外も、黒人も、白人も。 

私たちは皆、助け合いたいのだ。 人間とはそういうものなんだ。 私たちは皆、他人の不幸ではなく、お互いの幸福と寄り添って生きたいのだ。 私たちは憎み合ったり、見下し合ったりなどしたくないのだ。

この世界には、全人類が暮らせるだけの場所があり、大地は豊かで、皆に恵みを与えてくれる。 人生の生き方は自由で美しい。 しかし、私たちは生き方を見失ってしまったのだ。 欲が人の魂を毒し、憎しみと共に世界を閉鎖し、不幸、惨劇へと私たちを行進させた。

私たちはスピードを開発したが、それによって自分自身を孤立させた。 ゆとりを与えてくれる機械により、貧困を作り上げた。

知識は私たちを皮肉にし、知恵は私たちを冷たく、薄情にした。 私たちは考え過ぎで、感じなく過ぎる。 機械よりも、私たちには人類愛が必要なのだ。 賢さよりも、優しさや思いやりが必要なのだ。 そういう感情なしには、世の中は暴力で満ち、全てが失われてしまう。

飛行機やラジオが私たちの距離を縮めてくれた。 そんな発明の本質は人間の良心に呼びかけ、世界がひとつになることを呼びかける。

今も、私の声は世界中の何百万人もの人々のもとに、絶望した男性達、女性達、子供達、罪のない人達を拷問し、投獄する組織の犠牲者のもとに届いている。

私の声が聞こえる人達に言う、「絶望してはいけない」。 私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。 憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。 決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。

兵士たちよ。 獣たちに身を託してはいけない。 君たちを見下し、奴隷にし、人生を操る者たちは、君たちが何をし、何を考え、何を感じるかを指図し、そして、君たちを仕込み、食べ物を制限する者たちは、君たちを家畜として、単なるコマとして扱うのだ。

そんな自然に反する者たち、機械のマインド、機械の心を持った機械人間たちに、身を託してはいけない。 君たちは機械じゃない。 君たちは家畜じゃない。 君たちは人間だ。 君たちは心に人類愛を持った人間だ。 憎んではいけない。 愛されない者だけが憎むのだ。 愛されず、自然に反する者だけだ。 

兵士よ。 奴隷を作るために闘うな。 自由のために闘え。 『ルカによる福音書』の17章に、「神の国は人間の中にある」と書かれている。 一人の人間ではなく、一部の人間でもなく、全ての人間の中なのだ。 君たちの中になんだ。

君たち、人々は、機械を作り上げる力、幸福を作り上げる力があるんだ。 君たち、人々は人生を自由に、美しいものに、この人生を素晴らしい冒険にする力を持っているんだ。

だから、民主国家の名のもとに、その力を使おうではないか。 皆でひとつになろう。 新しい世界のために、皆が雇用の機会を与えられる、君たちが未来を与えられる、老後に安定を与えてくれる、常識のある世界のために闘おう。

そんな約束をしながら獣たちも権力を伸ばしてきたが、奴らを嘘をつく。 約束を果たさない。 これからも果たしはしないだろう。 独裁者たちは自分たちを自由し、人々を奴隷にする。 
今こそ、約束を実現させるために闘おう。 世界を自由にするために、国境のバリアを失くすために、憎しみと耐え切れない苦しみと一緒に貪欲を失くすために闘おう。 

理性のある世界のために、科学と進歩が全人類の幸福へと導いてくれる世界のために闘おう。 兵士たちよ。 民主国家の名のもとに、皆でひとつになろう。 
 

更新時間 : 23:23:35

8月2日 (木)

はる 6301
 すごく暑い。二年前にアトリエにクーラーを入れたのでまぁそこは快適に過ごせるのだけれどね。それにしても凄い暑さだ。

更新時間 : 20:12:57

8月1日 (水)

はる 6300
 今日は午前中は美術館へ、来年の展覧会の展示場借用の手続き及び抽選に出かける。二年に一回美術館で教室の発表会をする。それを半年に一回抽選で決めるわけだ。2月3月に予定しているグループが毎年八月一日に抽選会をする。一週間単位で10枡あって、団体が9つだから今回は希望さえ言わなければ必ず取れる。

 運命の抽選で私が引いたら9番中8番の使命になってしまった。最後から二番目、第一候補は残る確率は低い。だがしかし、運命は上手い事に第一候補が埋まらずにいてくれた。らーっキー。という事で二月の11日から17日までとなった。TAO展よろしく。

更新時間 : 20:29:13

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