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絵描きのぼやき

2月20日 (火)

はる 6137
 何か変な文章だけど、そのままアップします。

 学生時代によく思った。例えば花を一生懸命写生するとする。初期の目的は美しいものを出来るだけ忠実に描写しようとする。でもまぁどれだけ頑張っても実際の花よりは劣るのは仕方ない。自分の目を通したある種の美しさを表現するという事になる。絵画には絵画の言語があってそれを学ぶことである程度描写することはできる。デッサン、陰影、色のハーモニーとか形のリズムとかムーブマンとか。画材特有の技術の習得。

 でも今感じている気持ち、不安とか焦燥感とか苛立ちとか幸福感など、今ここで感じていることとはまったく関係のないことだ。今を表現しなくて何が表現なんだ。確かにそりゃ確かに何か感情的なものを描きこむことはできたとしても、ここで花を描写してもあまり意味ないわなぁ。今やっていることと実際に表現したいことの間には凄いギャップがある。

 例えば文学や音楽は直接感情に訴えてストレートに心打つ。いい歌を聴けば実際泣けてくるし、映像なんかもそうだ。いい映画を見ると感動で震える。絵でもそれくらいの感動や共感を見る人に与えたい。それには綺麗な花をそのまま上手に描いただけじゃダメなんだな。ただ綺麗な花がある、お上手ですねで終わってしまう。そんなことのために一生を費やすのじゃつまらない。

 絵を観ることで観た人の人生を振り返ることができなければ、フラッシュバックできなければ共感することはありえない。作家はそれ以上に自分の心の中を覗き込むのだ。そうやって吐露することで観た人の共感を呼ぶのじゃないだろうかな。



更新時間 : 22:39:08

2月19日 (月)

はる 6136
 大阪の学校を卒業して焼き物の絵付けの仕事をしていた。当時考えていたことははっきりとは覚えていないけれど、何をやっても何処にいても生きて行ける自信はあった。でもそれは時限爆弾のようにタイムリミットがあっていつまでもとはいかないのは分かっていた。しかし、日々の忙しさにかまけて、出来るだけ見ないように考えないようにしていたんだな。

 私は職人になりたかった訳じゃない。ただ流されるように髪を切って小奇麗にして就職するという気には到底なれなかった。学校卒業すればどこか適当な就職口を見つけて、どこかで自分と折り合いをつけて満員電車に揺られて会社勤めをする。何の特技もない人間はそうやって他人様の釜の飯を食うしか方法はないじゃないか、そうそれは頭では分かっていたのだけれどどうしても「いやだ」。兵隊のように良く見えない敵に向かってがむしゃらに戦うのはどうしても「いやだ」。その考えはいつごろから有ったのだろう。

 それだったら大型の免許でも取ってダンプの運転手でもなった方がいいと真剣に考えていた。使われることに変わりはないのだけど、何か自由がある気がした。もっと好きなように生きてみたい。学校卒業するまでは親の言いなりでも仕方ないだろう。学費やその他いろいろ世話になっているのだから、そこからは例え野垂れ死にしてもいいから好きに生きて行きたい。何だろうこれは、表面上には表れない心の奥底にある願望だな。

 仕事と収入、自分の生き方、何をしたいのか、何が出来るのか、そこら辺りは本当に良く考えた。二十歳そこらの若造じゃ絶対に結論などやしない。収入を得る方法は何処かで身を売って、時間を売って得るしかないのだからね。結局何もしたいことなどなかったのだ。絵描きになりたかった訳じゃない。たまたま最後に残ったのが絵を描くということだっただけだな。



更新時間 : 22:06:26

2月18日 (日)

はる 6135
 馬鹿をやる体質は変わらんな。関西ではイチビリという。何と言うのかな、お調子者。目立ちたがり。そんなところか。ほとんどホームレスのごとく駅や空屋に忍び込んで野宿のごとく寝ていた訳だから高田渡の「ところ構わず寝たのです」そのままです。そんなのでも生きて行けたのですな。若いという事だ。

 ある意味で放浪者というのか浮浪者というのか、何処でも何をやっても生きて行けるそんな人間になりたいと思っていたな。でもそれって何処から来ていたのかな。ある種時代の傾向だと思うのだけれどね。ビートルズから始まった反体制的なスタイルというのか、そんなものにどっぷりと浸ってしまったようだな。今もあまり変わらんけど、当時はもっとそんな傾向が強かった。就職したくないとも思っていたな。

 何だろうな世捨て人的な生き方が憧れだったな。まだこの頃は絵を描いてなかったからな。模索していた時期だろう。

更新時間 : 22:18:21

2月17日 (土)

はる 6134
「天使の門」 大学ノートに万年筆 ボールペン 2000 4/15

2000年の4/12から約一ヶ月間、生涯で始めての入院生活を経験しました。治療は胃の全摘出。ここでの生活は今まで以上に「いま、このとき」を大切にしなければという思いにかられました。

 この「天使の門」はその時に、ベットの上で落書きしたものです。人様に見せられるようなものでもないのですが、「悲しい人にしか見えない」何かが描かれているようにおもいます。一度ブログで発表したものですが、もう一度載せることにしました。


更新時間 : 19:14:30

2月16日 (金)

はる 6143
 さて何を書くか?そう思って何も浮かばない日もあるな。そういった時は何か目の前にあるものを取り上げる。例えば今目の前にあるのは万年筆だ。でこれについて何か思い出しながら書いてみよう。

 私が小学生の頃はまだ文具は鉛筆と消しゴムだったな。シャープペンが出てきたのは中学生の頃だったか。それでも今のノック式ではなく、ぐるぐるとネジのように巻いてゆくタイプだった。これは故障が多くてね。学生の文具というのはまだ開発途上だったな。高校受験の頃にはノック式のシャープンが出てきたかな。これで一気に鉛筆が筆箱から消えた。

 中学生の最終学年だったか、東京から転入してきた男子H君が万年筆を胸にさしていてカッコいいなぁと思ったことをよく覚えている。夏服になった時にさりげなく見えかくれしてこいつは何てオシャレなんだとおもった。まぁけっこう問題の多い生徒だったけど、私とは割と仲が良かった。今から考えると東京で問題を起こしていられなくなって関西の親戚に預けられたんだな。ギターで「禁じられた遊び」を上手に弾いた。そんなのも他の生徒と違ってたな。高校が違ったので自然に合わなくなったけど、噂ではヤクザになったと聞いたな。

 高校になって日記をつけるようになって筆記用具は万年筆、インクはブルーブラックと決めていた。あの万年筆はそんなに凝ったものではなかっただろう。たぶんスペア―インクが出始めた頃で、パイロットじゃなかったかな。万年筆は他の筆記用具と比べて何か特別感があって好きだな。今でも手紙とかハガキなどを書くときにボールペンより高級感があって使う。貰った場合も万年筆のインクの味は他とは断然違うように思うな。面倒だけれどね。



更新時間 : 23:43:53

2月15日 (木)

はる 6142
 私のネット環境はケーブルテレビのプロバイダーと契約している。最初の頃は電話回線を利用した環境で、まだ常備接続ではなく深夜11過ぎにならないと普通の電話料金を取られるスタイルだった。だから出来るだけ簡単に必要な検索や自分のメールをチェックするくらいだったな。

 この春からこのケーブルもやっと光ファイバーになるそうで、二三日前にその工事の日程やらの相談にきた。料金は変わらないにしても結構っ面倒な工事をやるらしい。どれだけメリットがあるのか分からないのだけど、一応光にしないという選択はないようだからしかたない。

 この際だからという訳ではないが、いままでバラバラだった電話とテレビとネットを一緒にすれば少しは割安になるという説明だったのでそうすることにしたのだけれど、私のところは電話がアナログ回線の黒電話だからどうなんだろうな。

 しかし、音声も画像もテレビ電波も何もかも光で送れるってどういうことだ。デジタルというのは何でもかんでも0と1のパルスに変えてしまう。もう人間の理解できる信号ではない。



更新時間 : 22:35:18

2月14日 (水)

はる 6141
 パス

更新時間 : 22:35:05

2月13日 (火)

はる 6140
2000年の三月に胃を原発とする悪性リンパ腫を告知された。治療方法は胃の全摘しかなく五年生存率が何パーセントとか言われた。告知された一週間は強烈に落ち込んだ。今では治療方法もかなりオープンにされていますが、当時癌の告知は「死の宣告」のように思ったものだ。

 当時読んだ新聞の投稿に「悲しい人しか見えない」というエッセイが載っていた。癌を告知された若いお母さんの話で、満開の桜がはらはら散る様子はこの世のものとは思えないほど美しく感動したという話。これを読んで泣けたなぁ。泣けた。あれほど美しい桜はもう見ることはないだろうな。

 学生時代の友人のお姉さんが癌になった。もう治療方法はなく、これからは緩和ケア―しかないという話だ。後数か月の余命だから、最後に桜の花見をして温泉にでも行きたいと言っていた。あぁ思い出して泣けてきた。

 この絵のタイトルを「悲しい人にしか見えない」にしようかと思ったが止めた。

今は完治して悲しい桜は見えません。

更新時間 : 22:29:08

2月12日 (月)

はる 6139
アフリカのお面
・・・・・・・・・・・・・・
 何年か前、東京の民芸館におじゃました時に古い民芸の雑誌があった。そこの表紙絵に使われているお面の写真が素晴らしかったのでむさぼるように読んだ。アフリカの仮面のようにも見えるし、古い壊れかけのお面のようにも見える。実はこれは静岡県の懐山に伝わる土着のお祭り「おくない」に使われるお面だった。

 普通お面と言えば誰かそれを専門にした職人が技巧的にも技術的にも粋を集めた、例えば舞楽面とかお能のお面を思い浮かべるが、このお面はもっと土俗的な今までお面など作ったことがないようなお百姓さんがその年の豊穣を願う舞のために精魂込めて作ったというようなお面なんだな。この下手臭な無作為さがいい。

更新時間 : 20:48:09

2月11日 (日)

はる 6138
 なぜ仮面を作ったのだろうか?そんなところを探りながら書いてみます。つじつまが合わないところがあるかもしれませんが突っ込まないでください。

 元々お面は好きだった。家にはアフリカの仮面をはじめバリ島のガムランのお面とかその他いろいろコレクションしている。このお面を作ったのはある画廊の個展の企画で何か新しいことをやってみないかという話があったので、それでは前に一度作ったことのあるお面に挑戦してみようと思ったのだな。

 さて、お面が好きだと書いた。この好きというのがどこから来ているのかなんだな。好きに理由はないというかもしれませんが、それで終わってははなしが続きませんな。どこかにその糸口があるはずだ。

 アフリカのお面を始めてみたのは銀座の個展会場の目の前にあるアフリカのいろいろなグッズを展示販売している「かんかん」というお店だった。そこにドゴン族などのアフリカの民族の仮面が所狭しと展示されていた。その後いろんな美術館で同じようなグッズを見ることになるのだが、とにかく一番最初に見た仮面は衝撃的だった。

 アフリカングッズのすごいところはアールブリュットなどと同じように西欧的な美術教育を受けていない生の表現だからだな。専門家でさえない、そこら辺のおっさんが自分たちのお祭りなどのために日常生活の合間に鼻歌でも歌いながら作るわけだ。時間はたっぷりあるわけだから、特に急ぐ必要もない。お金儲けのためでもない。芸術のためでもない、美しいとかきれいだという概念もないわけだ。あるのはなんだろうな、大いなるものへの畏敬の念とか、畏怖とかおののきなどだろうか。そういう無作為な「いのりのかたち」みたいなもの、人間の奥底にある源泉を表現したかったのではないかな。

 この「いい」と感じる何ものかを自分の手で作ってみたかったということになるのかな。


更新時間 : 19:29:53

2月10日 (土)

はる 6137
  すみません、言語化は出来ません。絵画的な感動に修正しました。思ったことをよく吟味もせず垂れ流しているので間違えることも多々あります。それを踏まえて少し書き加えます。仮に一枚の絵を鑑賞したとします。何も考えないで心を無にして只観る。まぁ今までは鑑賞とはそういったものだと教えられていました。でもそれで済ましてしまえば鑑賞した人間にはほとんど何も残らないのですね。そこから始まって、上にも書きましたけれど「何が心に引っ掛かりをおぼえたのか」「何がいいと思ったのか」そこのところをしっかり言葉にすることでより深く心の中を探ることが出来るように思うのですね。表現しようと思った場合も同じですね。どうでしょう。

更新時間 : 23:03:18

2月9日 (金)

はる 6136
「この白い面を言語化していただきたい。どのように言語に置き換え、客観化し他者に伝えられるのか見てみたい」

ちょっと考えたので、載せてみます。やっぱり見た物を直接言語化などできないわけだ。どれだけ言い繕っても見えた物以上は嘘になる。ただ言いたかったことは何が自分にとって引っ掛かりを感じたのか、何がいいと思ったのか、なぜこれを作ろうと思ったのかそんなことを自分の中でもう一度フィードバックすることが相手に対して客観的に説明する手助けになるのではないかと思った。そのことを言っているように思う。どうでしょう。

「それについては概ね賛成です☺絵や彫刻を干渉する側に鑑賞の方向を伝える意味ではそうでしょう。ただ、作者と言えど言葉に出来ぬ思いは伝えられないでしょう。だからこそ絵や彫刻などの芸術があるのだし、文学があるのだと思います。榎並さんの言葉より、榎並さんの作品こそ多弁に語りかけていると思います」

 そこのところなのですが、鑑賞者にとっても同じことが言えると思うのです。「いい」と思った自分がそこにいます。なぜいいと思ったのか、何に魅力を感じたのか、言葉では言い表せないその「何ものか」が自分の「分身」なんでしょうね。そこにところを言語化して確認することは鑑賞者にとって無駄ではないと思います。

「作品に感じる何かとは、自分と言うより自分を含めた人を感じる事だと思っています。人という概念は、今そこにいる生身の人ではなく、そこに至る時間を内在した人・人物だと思います。単純に「白い面」更には「面長の白い肌には焦点を持たぬ二つの闇と、問い掛ける事を恐れるような口元が少し歪んで見える」幾分かは陰影も浮かぶが、この作品に近づけるとは思えない。文章に置き換える事が意識を整理する事にはなるが表層でしかなく心許ない。言葉ではなく、文章に置き換える行為は、自らを掘り下げるという意味で良いことだとは思います」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ネットのやり取りは基本やりません。言葉の掛け合いはきりが有りません。ここだけにします。しかし、最後の文章は内容がない気がします。言葉は多いですが、あまり意味が有りませんな。

更新時間 : 22:24:30

2月8日 (木)

はる 6135
 昨日の記事にこんなコメントがついた。
「意思を込めて描くということは案外容易いように思う。よく稚拙な絵というけどこの稚拙って言うのがよくわかりません」

 コメントをくれた方は退職後趣味で絵を描かれる方の様です。あまり上から目線で答えるのも失礼にあたるので答えるのは難しい。こんなふうに答えた。
「気持ちを込めて描くことは容易ですが、それを人様に伝えることは容易ではありませんね。無意識に出てしまうのが稚拙さで、意識して出すのが表現(技術)だと思います」

更新時間 : 22:13:35

2月7日 (水)

はる 6134
 今日は画像なし。たまにはいいか。

 この間ある人のブログを読んでいてアぁそうだなと思ったことがある。その美術の批評についてだけど、まぁ自分勝手な解釈でかなり飛躍しているようにも思うのだけどまぁ勘弁してくれ。

 我々はある意味で絵画というのは言語化できないものであって、言葉に出来ないから絵にしているんだ、絵にするんだという考え方が根強くある。だからという訳ではないが目の前にあるものを出来るだけ忠実に写生すること、または見えなかったものを見えるように具現化する事が絵画の重要な使命だと考えているふしがある。

 そうではなくて我々が見たり聞いたり考えたりすることは一度客観的に言語化することで、より一層明確に表現として人様に伝えることが出来るのではないか。言葉に出来ない感動というはなかなか人様に伝えることが出来ないのではないか。

 まぁちょっと飛躍するけれど、表現するということをあまり重要に考えていないのではないかな。どうだろう。とにかくむやみに感情表現が不得意で、できるだけしゃべらない説明しないのが男らしいカッコいいと考えられていた社会だからなぁ。むやみに余計な事をだらだらおしゃべりするのは軽薄だなどと思われたようだ。

 絵など言うものは美しいものをただ美しく表現すればいいのであって、それで何かメッセージを表現するなどという事は不可能だとかんがえてはいないかな。そんなふうには教えてもらわなかったな。

 むろん絵画には絵画の言葉があるから、言語のように説明は出来ないのだけど、言語よりダイレクトに伝えることができることもあるように思う。

 とにかく一番大事なのは表現ということであって、何かをメッセージとして伝えるということで、でなければ絵を描く意味は半減するだろうな。海外の人たちのこの自己を表現するという貪欲な姿勢は少しは見習ってもいいかもしれんな。同じ絵画を並べた場合、日本人の作品は小奇麗だけで何も伝わってこない。海外の作家の作品は不器用だけれど何かがガンガンと伝わってくる。これは表現という意味の違いのように思うな。

更新時間 : 23:03:24

2月6日 (火)

はる  6133
 絵を描いて生きて行こうとは決めていたけれど、絵描きという職業に就きたかったのかどうか、大体なりたいと言って成れるものでもないだろうし。昔の徒弟制度のようにどこか親方について修業すればいつかは独立できるというような仕事ではないだろう。

 例えば、風景写生が好きで得意で旅に出て絵になるような場所を探して何枚かスケッチする。それを何枚か集めて展示会をするとする。まぁ場所を変えることで何枚でもバリエーションは描けるわな。そうやって少しずつお客さんを増やして知名度も上がってくればそこそこ仕事として職業としての「絵描き」はやって行けるかもしれん。最初は二束三文でもどこそこの団体で受賞したり、会員になったりすれば知名度も単価も上がってきて裕福ではないが食べては行けるかもしれん。でもそんなことをやりたいのかなぁ、確かにサラリーマンやってるより自由はあるし、気楽には見えるけど、高級だけどそこらの街の似顔絵かきと基本変わらん。これが一生かけてやりたいことかなと思ったわけだ。

 それでも人様に観てくれた人に感動を与えることはできるわな。例えばあぁここに行ったことがあるだとか、絵のように綺麗だねとか、ここを知っているだとか。でもそれだけだな。それ以上は難しい。

 私がやりたかったことは、出来るかどうかは別にして、まず何よりも絵に自分の生き方を乗せたかった。自分の生きざまをそっくりそのまま乗せて、私が人様に伝えたかったこと、感じたこと、人生の儚さや楽しさ面白さを絵の中に乗せてみた人が同じように楽しんでもらいたい。私があーだ、こーだと考えたことを、見た人も同じようにあーだこーだ考えて心の中を旅してもらいたい。絵が仲立ちをして共に時間旅行して欲しい。

 それは何だろな、絵描きというより表現者。かっこつければ詩人とか夢想家とか思索家とかその方が断然に楽しいしやりがいもある。そうやって生きて行ければ本望だな。


更新時間 : 22:19:11

2月5日 (月)

はる 6132
 自分は絵が得意であると自負したのはそれよりずっと前、幼稚園に上がる前の事だったきがするな。ある日外から家に帰ってくると真新しいクレヨンとスケッチブックがちゃぶ台の上に置いてあった。当時の我が家の家庭事情で食べる事以外に子供に小遣いをあてる余裕はなかったはずだ、にもかかわらず新品のクレヨンが私のために買われていたという事が画期的なことだったのだな。後にも先にもこれ以外覚えていない。今の子供たちはある意味かわいそうだな、物があふれているのでどれが自分にとって大切なものか判断ができにくい。

 そこから想いでは飛ぶ。幼稚園の学芸会の話。これは前に書いたので再掲載する。
はる 4221
 あれは幼稚園に通っていたころだ。幼稚園などというところはたぶん当時も今もあまり変らないのじゃないだろうか、お話を聞いたり、お絵かきしたり、お遊戯したり、お歌を唄ったり、そんなことで一日が過ぎてゆく。

 年に一度の学芸会のようなものがあって、秋の虫の音楽会というふうなテーマだった。それぞれが何か虫の被り物をしてカスタネットやタンバリンを叩いてがしゃがしゃやっていたのだ。そのバックに大きな模造紙で色々な虫の絵を描いた。

 女の子だったけれど、カマキリの絵を模造紙いっぱいに大きく描いた。みんなはそれはそれ幼児っぽい何かを描いていたのだろうけれど覚えていない。それを見て私は子供心に度肝を抜かれた。というのか、こんなやり方があったのかと非常にショックを覚えたのを未だに良く覚えている。

更新時間 : 23:01:47

2月4日 (日)

はる 6131
 小学校に美術の専科の先生がいるのは神戸と東京だけだと聞いたことがある。嘘か本当か調べてもいないけれど、確かに私の小学校には美術と音楽の専科の先生がいた。子供ながら芸術は特別なんだという意識が芽生えたのは当然のことだな。どういった訳でそんな採用がされたのかは知らない。あらゆる教育の中で役に立つ、便利だ、是非とも必要だといった即戦力として利用できる学習だけを優先しないという心掛けがうれしい。

 まぁそんなことを書こうとしたわけではない。その時の美術の専科の先生は大西先生といった。そうだな子供から見るとおじさんだったけど、今から考えるちょうど脂ののった40代ぐらいの先生ではなかったか。小学校の低学年では担任が美術を教えていた。高学年の4年生ぐらいから専門の先生がついたように思う。

 なぜそんなことをよく覚えているかというと、大西先生はとにかく私の作品を褒めてくれた。他に私から見てとてもかなわないと思った作品を差し置いて私の作品をとにかく見本に選んでくれた。だからわたしも其れに答えるように精一杯の作品を作った。そうなると美術はほんとうに待ち遠しい授業になる。隣のクラスで今週はこんなことをやったという情報が入ると、家に帰ってそのシュミレーションをして如何に先生を驚かすアイディアを考えるか、そんなふうに待ち構えていた。運動会や何かで授業がつぶれるとほんとうに悔しい思いをした。待って待ってやっとその授業がまわってきた時はワクワクが最高潮で先生の説明など上の空、それもそのはず、何日も前からシュミレーションしていたからね。

 全校写生大会が年一回あった。これは今もやっているのだろうか?全校生徒がスケッチ道具と画板と弁当や水筒をもって近場の公園などに一日掛けで出かける。校外学習、遠足と写生を兼ねたような全校授業だった。これも嬉しかったな。自分では失敗作だと思った作品でも上位入賞した。他の科目はさておいて美術だけは得意だと勘違いしても仕方ないだろう。

 兎にも角にも私の人生の中で私の作品を「いい」と言ってくれた最初の大人は大西先生だった。私から見て上手な他の作品を出し抜いて私の作品を「いい」といってくれた、その理由はいまも分からないのだけど、なんだろう。何かわからないけれど何かあると勘違いしても仕方ないな。そう、そうやって今の私がある。先生の責任は大きい

更新時間 : 19:46:53

2月2日 (金)

はる 6129
 何だかよくわからない熱が最近でます。インフルかなと思ったのですが、次の日には比較的元気になるのでそうでもないみたいです。二か月に一回は定期検診受けているので大それた病気ではないとは思っているのですが、ちょっと気になりますな。新しくした薬が合わないのかもしれませんね。

 今日は確定申告に行きました。毎年の事ですがそこに行くまでが大変です。収支が合いません。どうやって暮らしているのやら。。


更新時間 : 22:40:55

2月1日 (木)

はる 6128
二月です。一日寝ていました。

更新時間 : 20:48:25

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