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絵描きのぼやき

12月28日 (日)

はる 9149
美術、音楽は私の人生を随分彩ってくれた。しかし、文学の方の目覚めは遅かったな。特に読むというのが苦手だった。小学校の通信表にはいつももっと本を読むようにと書かれていた。反対に書くことは好きで、かなり早い段階で日記をつけていた。
神戸の小学校には芸術の専科の先生がいらして、音楽と図画工作だけは専科の先生が教えてもらった。これは結構大きな事だな。人生の中で初めて芸術家に出会った気がしたものな。山野先生と大西先生だ。他の先生は全て忘れてしまったが、この先生だけは忘れない。
音楽も随分好きな教科だったけれど、先生の受けは良くなかったな。基本的に音痴なんだと思う。反対に図工の先生の受けは良かった。授業でもよく参考作として取り上げてもらっり、校内写生大会で描いた絵が金賞もらったりした。そうなると、夢中になる。この先生は私のことを分かっている。一週間に一度の授業が待ち遠しくて仕方なかった。
 中学校はブラスバンド部に入った。勉強も大してできる方ではなかったし、スポーツはまるでダメだった。そうなると自分がはっきり出来るのは芸事しかなかったのかな。当時はそんな事考えて選んだ訳では無いけれどね。
 楽器はベースのチューバだった。管楽器なら花形のトランペットがやりたかったのだが、ここでも選ばれなかったということかな。ただ、全員が花形をやる訳にはいかない。脇役も大事な役割だ。そうやって一つのチームを作ってゆく楽しさを知った。最後は部長を任された。

更新時間 : 17:13:23

12月27日 (土)

はる 9148

沖浦氏「「悪所」の民俗誌」にこんな一文ありました。(さらに無断転載です)

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 遊芸民・遊女・遊行者−いずれも「さすらい人」であったが、そこに付された〈遊〉には深い意味が内在していた。諸国を漂泊する遊芸民は、古くからの巫覡(ふげき)の末裔として、神事芸能にはなくてはならぬ存在だった。民間信仰の伝播者である念仏聖や山伏などの遊行者も、民衆の神事のおもな担い手であった。
 今日では「あそび」は暇つぶしの娯楽、「遊行」は未見の地への観光旅行のようにみられているが、それはきわめて浅薄な理解である。
 白川静の『字通』でみると、「遊」の原義は、「神霊の宿る旗を押し立てて歩き回る」意である。つまり「遊」は、もともとは漢字文化圏では、シヤーマニズムに発した言葉であった。そこから「遊」には、「移動すること」「造遥して楽しむこと」「自由な境涯を生きること」などの意味が派生したのであった。
大自然に坐す神々や精霊とじかに交信し、その力によって託宣・予言を行い、人々の願いを叶えるのがシャーマンの役目だった。神々と交わる際には、さまざまの衣装や化粧で身をやつし変化した。そしてカタル・マウ・オドル・ウタウなどの所作によって神霊を招き寄せた。その極致が「クルウ」だったが、それは神霊が憑依した瞬間だった。

 この〈遊〉の字が冠せられた人びとは、いずれも神遊びとしてのパフォーマンスを得意とした。定住農耕民と違って、各地の山野河海を漂泊することによって、ある種の呪力というか、俗人にはないパワーを身に帯びていた。先史時代のアニミズムの段階では、「誕生−死=再生」を含めて、人間の命運は、大自然の精霊(アニマ)がつかさどっているとみられていたのであるが、巫女→遊女はそのような流れの中で生きてきたのであった。

更新時間 : 20:45:17

12月26日 (金)

はる 9147
この間大学で自作の前でギャラリートークしたおり、「まれびと」の話しになった。私の絵柄は放浪する人が羊を連れている姿が描かれている。なぜここに羊がいるのですか?と質問された。
 これが正しいかどうかは分からないのだけれど、羊という動物は洋の東西を問わず人間の根底の生活に密着している。漢字の生まれた中国大陸では羊は衣食住全てに羊が重要な位置をしめている。
 羊が大きいと書いて「美」となる。なぜ羊が大きいことが美なのか?これは想像なのだけれど、「美」は「よし」とも読む。要するに美しい物はいい事で「善」でもあったわけだ。だから「善」という字にも羊がいる。
 人間の究極的な目的である「真善美」二つに羊が関係しているわけで、それ故に羊を描いたと答えた。

更新時間 : 16:26:00

12月25日 (木)

はる 9146
この作品を描くのにどのくらい時間がかかったのか?とはよく聞かれる。そうだな、私が絵を描き始めてからだと53年と8ヶ月、絵描きになろうと仕事を辞めてからだと43年と8ヶ月かな。
これは益子焼の人間国宝濱田庄司の言葉でマスコミのインタビューに答えたもので、釉薬の掛け流しに15秒しかかからないのをみたインタビュアに「60年と15秒かかった」とすまして答えたというのを真似たものだ。
焼き物などもそうだけれど、元をただせばただの土塊だな、それを何万もの値段をつけて売るのは詐欺みたいなものだ。まぁ、仕上がった物だけ見ればその通りなんだけれど、そこに至るまでにかけた作家の人生を勘定にいれれば安いものだ。
 青山二郎が「美は観た者の創作である」と名言をはいた。要するに鑑賞者がそれに相当する価値を見出すかどうか、観る者の度量が問われるということかな。
青山二郎は民藝運動を柳宗悦のなどとともに支えた人物ですが、民芸の元になる発想は無作為の美なんだな。古い朝鮮の器などに無作為の美を発見したのは利休などの茶人ですが、この日本独特のの無作為の美を提唱したのが民藝運動だな。

更新時間 : 16:17:29

12月24日 (水)

はる 9145
この阪急の画商Hさんは辣腕プロデューサーのような方でなかなかの有名人だ。この人との邂逅も一つの物語がある。
 私の作品は華やかなデパートで展示するようなものでは無いので、何回かコンタクトがあったのだが固辞していた。デパートの絵といえば「綺麗で細かくて分かりやすい」だけの装飾品と、そう思っていたからだ。
 物故作家の桁違いの作品や、ありきたりな花鳥風月や富士山がうやうやしく展示されて慇懃無礼な店員が揉み手で擦り寄ってくるイメージがあってなかなか近寄り難いものがあった。いや今でもあまり変わらんな。
 私が企画する展示はそういうのではないとHさんは言うのだな。デパートという舞台を使わせてもらって私がいいと思った作家をプロデュースしたい、それが絵画だけではなく、工芸品や生活の中で使う椅子やテーブルでもいい、そういうことをやって来たというのだな。大阪から直接面会に来て売れる売れないはこちらの仕事です、是非一緒にやりましょうと言われて心が動いた。
 たまげたのは、2008年いきなりの銀座松屋7階のどでかい画廊での企画だった。全く無名の絵描きが一周間も借り切って個展が出来る場所では無い。期待に違わず売り上げは大した事はなかったけれど、切られることはなく今だに続いている。これが誰かの紹介であったら一回限りで終了だろうな。

更新時間 : 20:33:44

12月23日 (火)

はる 9144
明日12/24~31
阪急うめだ本店7f美術画廊
恒例の年末のグループ展

更新時間 : 20:19:15

12月22日 (月)

はる 9143
 洋風化された生活様式で失ったものは多い。床の間という神聖な装飾空間もその一つだな。
 昔々親の実家のど田舎の百姓家でさえ、立派な床の間があり、四季折々の花や掛け軸を飾って楽しんでいた。床の間はその家の品格や教養を表す大事なしつらえだった。今は何処へ行ったのだろうか?
 古い文化はその地方の風土と密接に関係している。美しいギリシャのサントリーニの白亜の建物も火山灰を元にした漆喰が豊富に使えたからで、それを雨の多い我が国に持ってきてもチグハグなだけだ。
 木と紙と土で出来た我が国の建物にはそれなりの理由がある。その中で育った文化こそその風土に根ざした本物の文化と言えるだろうな。
 少なくとも住処に床の間のような遊びの空間を持つ余裕を薦めたい。
 遊行画人鉄斎が「万里を旅して万巻を読む」などと余裕で生きていけたのは、全国各地に書画を求める需要があったからで、出来るならそういう需要を掘り起こしたい。ただ一人の絵描きというだけでなく新望遠大な計画の一環ではある。
 すべからく今の世は需要と供給で成り立っているわけで、いくらいい絵を描いても必要とされない世の中ではただのガラクタに過ぎない。故に多くの人に生活の場で芸術を楽しむ空間を持つ事をすすめたい。
 「新床の間のすすめ」拡散歓迎

更新時間 : 17:36:57

12月21日 (日)

はる 9142
表現したいという想いが溢れ出たもので、売ることが目的では無いが、売れないと食ってはいけない。永遠のジレンマだな。

更新時間 : 20:47:36

12月20日 (土)

はる 9141
パス

更新時間 : 19:34:46

12月19日 (金)

はる 9140
私の母も大変なメモ魔だった。その影響もあるのかな、落書き、メモは生きている証しのようなものだ。

更新時間 : 17:04:45

12月18日 (木)

はる 9139
パス

更新時間 : 21:45:07

12月17日 (水)

はる 9138
パス

更新時間 : 21:17:23

12月16日 (火)

はる 9137
作家は生き様を売っているので、今すぐに結果が出るものではない。すくなくとも10年は黙って見ていて欲しい。もうあまり時間は残っていないけれど、それなりの覚悟はある。

更新時間 : 18:39:04

12月15日 (月)

はる 9136
ギャラリートーク

更新時間 : 17:33:09

12月14日 (日)

はる 9135
36の時に銀座で初めて個展をした。関西から親や兄弟、親戚がこぞってやって来た。小さな作品も殆どが売れて勘違いした。そこからが楽しい苦難の始まりだな。

更新時間 : 18:34:22

12月13日 (土)

はる 9134
アイデアというのは汲み続けないと枯れてしまう泉のようなものだ。溜める事も出来ないが、あふれる事もない。

更新時間 : 21:55:01

12月12日 (金)

はる 9133
子供のおもちゃではないので最初は好き嫌いでいいのだけれど、それを身近に置く事によって自分の価値が上がったと思えるものであって欲しい。

更新時間 : 21:46:19

12月11日 (木)

はる 9132
学校

更新時間 : 21:43:43

12月10日 (水)

はる 9131
学校

更新時間 : 21:19:28

12月9日 (火)

はる 9130
買い物、みくに

更新時間 : 17:29:49

12月8日 (月)

はる 9129
礼状書いた。

更新時間 : 17:28:50

12月7日 (日)

はる 9128
裸婦クロッキー

更新時間 : 17:26:37

12月6日 (土)

はる 9127
仁・義・礼・智・信で国を治めろとかつての哲人は我が国に教えた、威嚇して恫喝して抑え込むのは愚の骨頂だ。眠れる獅子よ、今一度世界に向かって仁義礼智信を詠わんか!

更新時間 : 22:06:50

12月5日 (金)

はる 9126
広島3日目

更新時間 : 20:33:16

12月4日 (木)

はる 9125
出雲の旅
2日目

更新時間 : 18:45:17

12月3日 (水)

はる 9124
東京にいます。あすから出雲。

更新時間 : 16:49:54

12月2日 (火)

はる 9123
思索の種を蒔いて、時をおいて果実を収穫する季節労働者、または旅芸人だと思っている。

更新時間 : 17:46:06

12月1日 (月)

はる 9122
十二月です。

更新時間 : 19:56:28

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