個展によせて

                こたえてください5 2000 S100



毎年の個展のテーマです。

 
07 第41回個展によせてーかぜのおとづれ3−
’06 第39・40回個展によせてーうつろふものー
’05 第37回個展によせてーこたえてくださいー
’05 第36・38回個展によせてー色はにほへと
04 第34・35回個展によせてーかぜのおとづれ
’03 第31・32・33回個展によせてーこしかたのきー
’02 第28・29・30回個展によせて・あそびをせんと
’01 第26・27回個展によせて −みみをすます−
’00 第24・25回個展によせて −どこへいくのか−
’99 第22・23回個展によせて −いまここにいる−
’98 第20・21回個展によせて −たいせつなこと−
’97 第17・18・19回個展によせて−こころのかたち
’96 第16回個展によせて
’94 第13・14回個展によせて
’93 第11・12回個展によせて
’92 第9・10回個展によせて「夏の思い出」
’91 第8回個展によせて
 
  07 個展によせてーかぜのおとづれ3・大阪ー

 この度、大阪で始めての個展をひらくこととなりました。今までの街の小さな画廊というスペースではなく、デパートの開放的な空間になります。 今までと違った空間で、作品たちがどんな表情をみせるのか、新しい人との出会いもたのしみです。どうぞ、見に来てください。お待ちしています。


  06 個展によせてーうつろふものー

 モンスーンは水の中だ。そこに住む我々もまた水の中にいる。

「水」は様々にかたちを変える。どう変わっても水であることは変わらない。それはある意味頑固で、自由自在だ。

周りを海で囲まれた我々は「よきもの」は外からやって来るものだ、と考えて来た。遠い昔で言えば「客人」(まれびと)、「唐物」「ハクライ物」であったし、最近で言えば「アメリカン」だ。我々のどんなものでも取り込んでしまうバイタリティーは水のもつ順応性から来ているのかもしれない。

異なった文化というものは混ざり合って新しいかたちに変わる。我々はいつもそんな混沌の中にいる。我々の文化の真髄は「うつろふもの」にある。

 世界には色んな民族や人種がいて、そこで生まれた風習や文化は、その地方の自然を違う形で表したものだ。

 風のように吹かれ、雲のように流れる。そういった「うつろふもの」のなかに自分自身をみているのかもしれない。

そんなことを考えながら、今年もまた色とかたちと言葉であそびました。一緒に楽しんでもらえると嬉しく思います。


05 個展によせてーこたえてくださいーギャラリー惣 

作品のタイトルや個展のサブタイトルを考えるのは楽しい作業です。特に今年に限ったとではないのだけれど、いま、ここで、わたしが、こう考えているということが、うまい言葉で表現できたら、特に絵を描く必要はないのかもしれません。

 「こたえてください」というタイトルは随分前の作品につけたものです。気に入って、それ以来何点か同じタイトルの絵を描いています。

 いいタイトルとは、ごくごく自然に作品に寄り添っているように思います。例えば目には見えないけれど、あちらの世界には「ことばの海」のようなものがあり、作品が出来上がると自然にそこから降りてくる、そんな感じでしょうか。

 「何故絵を描いているのか」という問いかけは、「何故生きているのか」と同じくらい難しい問いですけれど、そうやって問いつづけることが私の生き方のように思います。「こたえてください」というタイトルは、わたしのこの姿勢をよく表しているような気がします。

 ここ一二年の少し大きい作品を展示します。ご高覧、ご批評いただければ嬉しく思います

  05 個展によせてー色はにほへと
「色は匂えど、散りぬるを」
  おけいこ事の始まりを「・・のいろは」などという。これを「・・のあいう」としてはしまらない。もう一度初心に戻ってということも含めて、今回のテーマを「いろはにほへと」とした。

「我が世誰ぞ、常ならむ」
 たった一つでいいから、これだけを知っていれば「大丈夫だよ」というようなものがないだろうか。大げさにいえば、この宇宙の「おおいなることわり」のようなものが見つからないだろうか。

「有為の奥山、今日越えて」
 しかし、私などがいくら考えてみたところで出てきたものは、たかが知れている。所詮、分かる、理解できるというのは、私の手の内、知恵の及ぶ範囲でしかない。

「浅き夢見じ、酔いもせず」
 見る、聞く、匂う、など人には五感がある。しかし、知りたいのはそういった感覚の外にあるものだ。それを昔の人は「色は匂う」「味を聞く」「音を観る」などと美しい表現をした。
 ほんものは、じわりと何処からか降りてくるもののようだ。

 そんなことを考えながら、今年もまた色とかたちと言葉であそびました。一緒に楽しんでもらえると嬉しく思います。


   04 個展によせてーかぜのおとづれ

 「風の音」と書いて、「おと」とよむのか「ね」とよむのか、時と場合、雰囲気によって日本語は読み方が変わる。あやふやであるけれど、その方が言葉として生きている気がする。

世の中には確かなものの方が少ない。例えば「風」には姿がない。われわれは飛んで行く雲を見たり、木々の梢の音を聞いて、なんとなく「あぁ風が吹いているんだなぁ」と思う。遠い昔、風は鳥が運んだと考えたそうだ大いなる者からのおつげは風に乗って、ホトホトとカタコトと「音連れ」てやってきたそうだ。なるほど「おとづれる」とはそういった意味を含んでいたのか。

 自分というものも確かにここにいるのだけれど、「これが私だ」と確認できないところが実にあやふやでこころもとない。絵とか音楽とか文学というものは、この風のホトホト、カタコトに似ている。直接見えない自分というものを「おとづれた」かたちで見せたり聴かせたりしてくれる。そしてそれは多分見る人の心の中を映したものだろう。

 さて、今年もこんな「かぜのおとづれ」を色やかたちに置き換えました楽しんでもらえたら嬉しく思います。


  03 個展に寄せてーこしかたのきー

 いつの頃からか、骨董的なものが好きになった。真新しくてキラキラと輝いている物よりも、どちらかといえば薄汚れていて、時代を経た物に愛着を感じるようになった。

 ある詩人の「手記」のなかに「一篇の詩の最初の言葉」という一行がある。そこで語られていることは、一篇の詩が生まれるためには、人は様々な出来事を経験しなければならない、そして忘れることで、やがてそれらが発酵して詩になるのだ、というようなことが語られていた。彼の言いたかったことは、詩は感覚ではなく、経験だということをいいたかったのだろう。

 物の「よしあし」は直感的なものだ。しかし、ほんものはなかなかその本質を見せてはくれない。多くの経験が少しずつその目を開かせてくれるようだ。そのことは詩人が一篇の詩を生むこととよく似ている。

 「あそびをせんと」するからには「よきこころの道具」が必要だ。「こしかた」をふりかえることで、ささやかな、けれどこころにひびく一篇の詩がうたえたらと思います。


  02 個展によせてーあそびをせんと

 「スローフード」という言葉を初めて聞いたのはもう45年前になる。世の中が少しスピードダウンしてきて、食べる事もファースト(はやい)に対してスロー(ゆっくり)にしようという話だ。「速い、安い、うまい」ではなく、少しぐらい遅くてもゆっくり手をかけて楽しもう、ということらしい。
 少し前、次は大型のレジャーだというので全国各地いたるところに、豪華なあそびの施設ができた。しかし考えてみればなさけないことに我々は上手な「あそび方」を知らなかった。後には巨大な廃屋と莫大な借金が残った。
 ゆっくり遊ぶためには道具が必要だ。ただそれは一昔前の「遊ばせてもらう」道具ではなく、大切なのは「面白がる感受性」ということだろう。これはすぐには手に入れることができない「こころの道具」なのだ。
 我々の先人はささやかな事に面白さを発見するのを得意とした。四季折々の変化を歌に詠んだり、描いたりしてきた。今、もしゆっくりと楽しく生きることを望むならば、素直に彼らの「こころのあそばせ方」を学ぶ必要があるだろう。
 さて今年も心に浮かんだ色々なイメージを作品にしました。こころあそばせてもらえると嬉しく思います。


'01 個展によせて −みみをすます−
 新米の教師は子供たちに向かって「静かにしなさい!」と声をはりあげる。大声を出せばだすほど、周りの音にかき消されて子供たちには届かない。ところが、ベテランの先生は小さな声でささやくように優しく呼びかける。子供たちは自分のことを言っているのかと一瞬おしゃべりを止め、静かに聞くのだと何処かで聞いた。
 絵画は強い表現手段ではない。刺激の強い現代ではむしろ忘れられようとしている手段のようだ。興味の無い人間には何も面白くないし、聞く耳を持たない者にとっては何も伝わらないかもしれない。
しかし聴こうとした人間には充分に聴こえる歌なのだと思う。耳を澄ますこと、聴こういう意識を持ってもらうこと、そのことが大切なのだと思う。
 大きな声や力の強い者だけが正しいのではなく、本当は小さくて弱いものにも真実あることを伝えたい。私はそんな人のために唄いたい。
 さて、どれだけの人に聴いてもらえるのだろうか。
 
'00 個展によせて −どこへいくのか−
 私は関西で生まれて、しばらく色々な所で道草をしながらも25歳すぎに山梨にたどりついた。その後もまだ落ち着かず、じたばたしながら現在にいたっている。
 人は生まれる時に親を選べないように、時も場所も選べない、唯一どこに住むかは選べるのだが、そのことは好き嫌いを含めて自分の人格と深く関わってくる大切なことだ。 「美」という字は羊が大きいと書く。広く過酷な大陸で生活していた遠い先人たちにとって羊は衣食住すべてに関係し、それ以上に神聖な動物であった。「美」は現在我々が使っている「美しい」という意味以上にもっと高い価値を含んでいたに違いない。
 なにげなく使っている漢字一つにしても、ある種の言葉のDNAとして、先人たちの知恵を受け継いでいる訳で、アジアの片隅に生まれ、住んでいる我々はそのことを抜きに自分を語ることはできないだろう。 私は何者か、今ここにいることを含めて、もう一度自分に深く問いかけることからはじめたい、それにしてもわれわれはいったい何処へ行こうとしているのだろうか。
 今年は個展ができないかと思っていた、まったく個人的事情によるのだが、とにかくここまでできた事に感謝します。さてテーマそのものは昨年と変わりばえしませんが、自分では少しずつ変化しているつもりです。ご高覧、ご批評いただければ嬉しく思います。
 
'99 個展によせて −いまここにいる−
 青くかすんだ遠い山々にうっすらと虹がかかっていた。道は延々と続いていて、 そのむこうに夕陽をあびた小さな街が見えていた。そこに私が立っている。なぜか とてもさびしい気持ちになった。これが私の一番最初の記憶だ。だれもが持っている 一番目の記憶、それはたぶん「いまここにいる」ことを自覚した最初でもある。
 ある生物学者の説によると「あらゆる生物は遺伝子の船にすぎない」そうだ。 ただ人が他の生物と異なるのは、自由な意思を持ち知恵を持ったために、「自己」を 知ったことだ。それゆえに人は常に自分の居場所(ここはどこ)を確認せずにはいられない とても不安定な船になってしまった。どんな民族にも独自の宗教や哲学や芸術があって、 人々の精神生活の奥深く入り込んで迷える小舟の羅針盤となっていたのだが、いつのまにか その神通力も衰えてしまった。
 猫の鈴のように、だれもが持ち歩いているのが、ピッチやケイタイやメールなどの 情報機器だ。いつでも、どこでも。だれとでも気軽に情報交換できる。たった10桁ほどの 文字や番号で瞬時に世界中の相手とつながることができ、直接的に「いまここにいる」こと を教えてくれる。時間と空間がいっきに短縮されて、自分をとりまく情報が限りなく増えて いくが、多くの場合その大量の情報にふりまわされ、未消化のままどんどん捨てられていき、 そして後にはなにも残らない。全力で走る車窓の風景のように全てはながれてれていく。情報の多さに 人はいっけん孤独から開放され心の自由を獲得したかのように錯覚するが、一人になった時、 本質的にはなにも変わらず、かえって道具に使われている自分を発見してがく然とする。周りが 騒がしい分よけいに孤独で不安な気持ちになるだろう。
 結局自分と向かい合うしかその根本的な解決方法はない。あんがい若い人が髪を染めたり、 ピアスの穴をあけたり、タトゥーがはやったりするのも自分の体を直接傷つけることでしか 「いまここにいる」ことを確認できないからかもしれない。
 「いまここ」の命題は「これからどこへ」とつながっていく私のこのところのテーマだ。 本当に大切なことは、私も含めて貴方の問題として考えることだろう。
 今年は「いまここにいる」と題して、私なりの「いまここ」を表現してみました。ご覧いただき ご批評いただければ幸いと存じます。
 
'98 個展によせて −たいせつなこと−
 子供の頃、風邪をひいて微熱でボンヤリした頭で天井をながめていると、天板の節目や 木目、シミや汚れが見たこともない化け物や動物に見えてきて、誰もいないのに家が ミシッと音をたてたりすると「絶対に誰かいる」と確信めいたものがわいてきて、怖くて 布団を頭からかぶり、出ることができなかった。発想の仕方は今になっても同じような もので、適当に置かれた絵の具のシミやザラザラした肌触りから、遠い記憶を探り出しながら イメージを形作っている。忘れていたり、気づかなかったものが隠れていたりしてなかなか 面白い。ただ基本的に自分にないものは出てこないわけで、それも私の世界の一つかなと 思う。
 音楽やイメージから言葉が出てくることも多い。「我にたためる翼あり」 はある新聞のエッセイにあった言葉だ。文章の内容の詳しいことは忘れてしまったのだが、 若い作者が「今はまだ飛べないが、自分にはたたんだ翼がある」と思うことで日々生きていく 勇気がわくという話だった。いざという時、最後の最後で自分の支えとなるもの、こと、拠り所 となるものがある人は幸せだ。私にとってそれが何なのかいまだに分からないでいる。
 「私は何者か、何処へ行くのか」。たいせつなことはいつも隠れていて ハッキリとした姿は見せてくれない。毎日の生活の中で、変化の少ない繰り返しの中で、何が たいせつだったのかさえ考えなくなってしまう。美と醜、善と悪、好きと嫌いなどなど、私を かたちづくっている判断の物差しのもとは何だろうか。
 そんなことを考えながら、今年は「たいせつなこと」と題して、日々の生活の 中で感じた、たいせつなことやたいせつなものを拾い集めてみました。
 
'97 榎並和春個展 −こころのかたち−
 二十歳の頃から、意識して絵を描きはじめた。何がきっかけだったのか、はっきりとは 覚えていない。様々なことからの逃げの一つの方法、かたちだったように思う。
 最近あることを、思い出した。子供の頃は誰でもそうなのだが、特に夜が嫌いだった。 暗くて怖いということ以上に、一人取り残されるという意識が強かった。何かのきっかけ で、どうしょうもない不安に耐えかねて、私は或ることを考えついた。それは小さな人形 を作り、胸のポケットにいつも入れて持ち歩くことで、不安になった時、その存在の感触 に慰められ、勇気づけられたことだ。
 ここ十年ほど「私たちは何者で、何処へ行くのか」というのを、メインテーマとし、そ の時々に「方舟」「理想郷」「聖なる者」「祈りのかたち」などをサブテーマとして描い てきたが、常に考えていたことは、一人の表現者として何ができるかということだ。
 世の中が高度に電脳化して、あらゆる情報が瞬時に何処にでも送ることができる現代で 原始的な絵画という手段を使って、いったい何が出来るのか。はっきりいって絵画の情報 手段としての役割は終わったのだ。時代はマスメディアからマルチメディアとさらに複雑 化し、原始的な一対一のミニコミ的な情報手段は時代遅れとなった。ならば絵画はなくな るかといえば、たぶん人がいる限りなくなりはしないだろう。なぜならバーチャルではな く、現実にそこにある、手に取って触れることができる、存在するという認識は、とりも なおさず自己の存在認識と深くつながってくるからである。それは私が子供の頃、小さな 人形を胸のポケットに入れて、その存在の感触に慰められたのと、どこかで共通 する。
 今日本は大きな曲がり角にきている。たぶんそれは日本だけではなく、もっと大きくい えば、人類がといってもいい。今までの全てを判断してきた物差しが、どこか時代に合わ なくなってきたのだ。震災とオウム事件は、神戸と東京で起きたことだが、それはたまた ま神戸と東京であったにすぎないと思う。けっして他人事ではなく、日本全体が、人類全 体が受けた大きな衝撃ではないだろうか。
 今我々は本気で考えなければならないところにきている。「私たちは何者で、何処に行 くのか」この根源的な問いかけの「存在することの不安」に答えることは私には荷が重す ぎるが、一表現者として少なくとも真剣に問いかけることはできるだろう。
 今回「こころのかたち」として、ここ一、二年の作品を展示いたします。御高覧御批評 いただければ幸いです。
 
'96 第10回個展によせて
 昨年四月から約一年間、イタリアの小さな田舎町(カピトーネ村)に、滞在する機会を 得て、これまでの人生のなかでも忘れることのできない特別な一年となりました。
 カピトーネ村はローマから東へ100kmほどの地図にも載らないような、小さな村で 地理的にいえば、ローマとアッシジの中間点になります。薄緑色の牧草と、オリーブの苔 むした緑と、ブドウ畑が、なだらかに続く丘の起伏の上に、美しい階調をつくって延々と 続き、レンガ色の小さな家々と、かわいらしい対照を、見せていました。
 村の人たちは、陽気でとても親切で、とにかくよくしゃべります。そして声が大きい。 ほとんどの人達が農家で、少なくなったとはいえ、自分の家でパンを焼き、生ハムを作り フドウ酒やオリーブオイルを絞り、半自給自足の生活をして、又そのことに自信と誇りを 持っていました。人の幸せ、本物の豊かな生活とは、こんなものかなと思いました。
 西欧に憧れて、油絵を始めた私でしたが、その地に暮らしてみて、反対に自分が伝統も 文化も違う日本人であると言うことを、強烈に感じ、日本が今日の繁栄の裏で捨てて来て しまったものの大きさに、今更ながら気づかされました。自国の文化、伝統を無視して 本当の豊かさなどあり得ないと思いました。
 私たちの住んでいた村から、車で10分ぐらいの所に、ナルニという少し大きな古い街 があり、イタリアのほとんどの街がそうであるように、小高い丘の上に、城壁をめぐらし その中に石作りの建物や噴水、石畳を作り、未だに中世そのものの雰囲気のなかで多くの 人々が暮らしていました。それは渾身の力で投げるスローボールのように大変な努力が必 要なのだと思いす。
 昨年の暮れ、色々な人達の協力で、その街の劇場で個展をひらくことができました。色 々な事があった一年でしたが、そのことが最大の喜びでした。
 今回はそれらの作品も含めて展示いたします。ご高覧頂その雰囲気を感じて頂ければ幸 いです。
 
'94 個展によせて
 毎年、秋に自作自演の個展を始めて、今年で七年目になります。 なにはともあれ、一応続けてこれたのは応援してくださる人たちが いたからで、改めてここでお礼を、申し上げます。ありがとうござ いました。
 私のメインテーマは「人は何処から来て、何をして、何処へ行く のか。」ということで、その大きなテーマの変化はないのですが それをどう表現するかで、毎年少しずつ変わっていきます。
 昨年までは、「方舟」「牧歌−理想郷」というのがテーマでした が、このところ人は、より幸せを求めて生きる限り、幸せになれな いのではないかと思えてきました。ある意味で何も求めないほうが 本当は幸せなのではないかと言うことで、禅問答じみてきますが、 たとえばホームレスとか聖職者〔大変失礼ですが〕そう言った生き 方も考えられるのかなあと思います。そんなことが今年のテーマです。
 その他、毎日の生活の中で気がついた、すてきな事や物や風景を 日記風に描きためたものを、展示します。ご高覧ご批評頂ければ幸いです。
 
93 個展によせて
 人は何処から来たのだろうか?遠い昔、生き物たちの祖先はビーナスのように海の泡から生まれた。長い年月の間に色々な生物に進化した。だから全ての生き物には共通の「記憶」があるはずだ。もし可能ならそれを今思い出すことができれば、もう少し全ての人が幸せになれそうな気がする。
 そんなことを考えながら、「方舟」「理想郷」など生きるもの達へのメッセージをテーマにしました。ご高覧ご批評いただければ幸いです。

92 個展によせて「夏の思い出」
 毎年この季節に個展を始めて今年で5回目になります。今年は先にテーマを決めました。「夏の思い出」

 それはいつの頃だったろうか、遠い思い出になってしまった。
 くっきり影を落とした庭に、勢い欲放した水の軌跡は美しい放物線を描いた
 夏休み、誰もいない道端で黒猫を見た。眼と眼があってつんとすまして行っ てしまった。
 暗い、ひんやりとしたトンネルを抜けると海の匂いがした。
 ジリジリと焼けたレールの上を薄いゴムぞうりで早足で渡る。
 海は荒れ模様。誰もいなくなった堤防。満天の星、流れ星。

 私の中にある夏の思い出を20点ほどの絵にしました。
 ご高覧、ご批評いただければ幸せです。 

91 個展によせて
 二十一世紀はどんな時代なんだろうか?地球の砂漠化に温暖化、オゾンに核にゴミの山。人はいったい何処へ行こうとしているのか?
 今回は音楽をテーマにしました。ご高覧、ご批評いただければ幸いです。
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