21 イギリス旅行の巻 1(9月)

 

 イギリスはヨーロッパの中では入国に厳しい国だとだれからか聞いた。別に悪い事をし

ている訳ではないので恐れることは、何もないのだけれど。事実出入国の際スタンプを押

したのはイギリスだけだった。昔は出入国を繰り返すとパスポートがスタンプだらけにな

ったものだが、楽にはなったが何となく寂しい。

 ダビンチ空港のロビーで千代子さんと待ち合わせる。彼女はもう二週間も前にイタリア

に入り、私たちがサルデニアに行っている間に、すでにイタリア観光は一通り済ませてい

た。これから両手に花の楽しいイギリスの旅が始まるのだ。

 ヒースロー空港に着いたのは夕方の五時頃、あいにくの雨で肌寒かった。空港バスで市

内まで行く、ついている事にバスは我々のホテルの前で止まる、荷物を持って濡れること

なくチェックイン。これでイギリスの印象が三割よくなった。一週間前あの砂漠の様なサ

ルデニアの奥地を旅していた私たちにとって、イギリスのこの湿度を含んだうるんだ様な

風景は妙に懐かしく居心地のいいものだった。とりあえず近くで食事をと言うことで中華

レストランに入る、これがなかなか美味しくて滞在中何回か通った。世界中何処にいって

も、こんな小さな町にと思う様な所まで中華料理店はあるが、ロンドンとパリの中華は美

味いと思った。

 翌日イギリスの中部、湖水地方に行くためホテルを一度チェックアウト、荷物を預けて

ユーストン駅に向かう。日本の駅前通りを想像して探すが、駅前にパチンコ屋などなく道

行く人に聞いてやっと見つける。道路から奥まった所にあり、まるでオフィスビルの様な

建物、聞かなければ絶対分からなかっただろう。イギリスの鉄道料金は以外に高い。

 グラスゴウ行きの特急電車で約三時間オクスンホルムでローカル線に乗換、ここから三

十分ほどで終点ウィンダミアに着く。途中の風景はイタリアともドイツとも違い、空気が

澄んで濃い藍色を一度かけた様な牧草地がなだらかな丘を埋める、鼻の頭と足さきの黒い

見るからに可愛い羊が群れをなす。よく見ると時々うさぎがその牧草地を横切るのが分か

る。駅からバスもあるが民宿のB&Bまで気持ちがいいのでぶらぶらと歩く。黒々とした

針葉樹林の間から湖が時々見える。その湖の近くに我々の今日の宿がある。

 B&Bとはベットとブレックファストの略で文字通り宿と簡単な朝食の付いた民宿でホ

テルのようなサービスは受けられないが、家庭的な雰囲気が味わえその上料金がとても安

いのが魅力だ。イギリスには何処にでもある、いいシステムだと思う。

 ウィンダミアの民家は基本的に木造だと思う。イタリアの様に石作りではない、それ故

古いけれどそのままではなくペイントする事によって修復しているようだ。白い漆喰の壁

と新しく塗られた黒い柱の対比が美しく、灰色のうろこ状の屋根と連続した煙突に大きな

特徴がある。その白と黒と灰色がウィンダミアのイメージカラーだ。       

 

 

         22 イギリス旅行の巻 2(9月)

 

 湖水地方の風景はとても美しい、これをどう表現すればこれを読む人に伝えられるのか

苦労するところだ。例えば絵のような風景と言った場合、人はどんな絵を想像するのだろ

うか、湖のそばにうっそうとした黒い森があり、湖には白い帆船が浮かぶ、空はあくまで

も濃いブルーで所々に刷毛で引っかいた様な雲が浮かぶ、遠くには朽ちた古城が見える、

これは私の貧しいイメージで描いた西欧の絵としての風景だが、まさにそのままの風景が

目の前にある。今イングリッシュガーデンが静かなブームだが、自然に見えるこの風景も

かなりの意思でもって維持、管理しなければこの美しい状態は保てないだろう。

 人の手が入らない自然そのままの美しさ、偉大さみたいな物も当然ある、花一つとって

みてもとても人はこの神秘的な自然の造形物を越える物は作りえない。が人類の歴史を考

えるならば、人は自然に何らかの手を加えることで生きて来た。てあたりしだいに手を加

えて破壊してきたと言ってもいいかもしれない。そうであるなら少なくとも美しく、調和

を考えて手を加えたいと思うのは当然だと思う。何でもあると言うのは何もないのと同じ

だそろそろ自国のことを真剣に考える時かなと、帰りの電車の窓の外を見ながら思った。

 二日ほどロンドン観光にあてる、大英博物館やナショナルギャラリーなど目白押し、一

週間あってもなかなか忙しい。

 次の日は又小旅行にでる、ロンドンから一時間半東の方にあるバースという田舎町にで

かける。ここは骨董の町で有名で町の一角がすべてそのての店だった。彼女たちはボビン

レースが目当てで色々な店を冷やかして歩く、私はレースになど全く興味がないので暇つ

ぶしに、机とかテーブルとかドアとかを見る、見るだけでも結構面白い。さて昼食をすま

せて、ここからが今までと少し違う、レンタカーを借りてコツウォールズを経由オックス

フォードまで行こうと言うのだ。運転は右ハンドルに慣れた千代子さんがやってくれる。

途中のガソリンスタンドで道路地図を買う、右も左も分からない頼りにならないナビゲー

タである。やっとのことで郊外にでるルートナンバーを頼りに国道をひたすら走る。郊外

に出ると交差点に信号がない、ロータリー方式になっていてすべて右回りに廻ることにな

っているらしい、最初そんな事さえ知らなかった。慣れて仕舞えば何でも無いことだった

が。途中一度道に迷ったが親切なおじさんが先導してくれた。感謝。

 バイブリーは「蜂蜜いろの町」と言われる。観光地から外れているため、ひなびた美し

い田舎の村だった。村全体が薄い飴色で背の低い民家は我々日本人には馴染み深いものだ

童謡の「村の鍛冶屋」が聞こえて来そうなそんな暖かな雰囲気のある村だ。夕暮れも近づ

いたので急いでオックスフォードを目指す。運良くレンタカーの看板を発見、そこで車を

乗り捨てたのはいいが、駅までの足がないのに気付く、しかたないのでタクシーで駅まで

行ったのだが、駅で乗り捨てても良かったのだと後で気がついた。   

 

 

         23 収穫の秋の巻 1(10月)

 

 前にも少し書いたがカーサ キムラには広大な土地が有り、今のところブドウとオリー

ブを植えているが、利夫さん一人で管理できるはずもなく、近所のおじさんに手伝っても

らってなんとかやっている。さて楽しみなのはブドウ狩りだ、ここでは単に食べるための

物ではなくワインにするための物だ。

 十月の中頃その日は天気も上々、近所の人達も手伝いに来て総勢十人ぐらいでブドウ狩

りが始まったのだった。この地方ではブドウは日本の様に棚にはしないで、普通の木と同

じ様に縦に延ばす、だから人は歩きながらブドウ狩りができると言う訳だ。てんでにカゴ

とはさみを持ち、手当たり次第狩り取って行く。有るものすべてほとんど実のなくなった

物でもブドウと分かりさえすればみんな狩り取って行く。たちまちの内にカゴは一杯にな

り、それをトラクターの荷台に放り込む。ワイワイとしゃべりながら、それでも段々に荷

台も一杯になっていく。午前中でキムラ家の仕事は大体終了、この後ジュゼッペ爺さんの

家の分をやることになっている。その時は知らなかったのだが、ここからが本番みたいな

もので午後からの仕事は大変な量だった。

 とりあえずキムラ家のフドウを機械にかけてつぶすところから始める。肉のミンチを作

る時のミキサーのお化けみたいな物に、狩り取ったばかりのブドウをなんでもかんでもぶ

ち込むと、ジュースになってそこから太いホースで納屋の中にある樽まで運ばれる。もち

ろんブドウの皮も一緒に、だから仕上がったワインは当然ローゼと言うことになる。いろ

んな物がごった煮状態のそのジュースを見れば、とてもそれがワインになるとは思えない

二三日で発酵し始めてブクブクとガスを出すようになる。以外に簡単にワインなんて出来

るものだと思った。一週間ほどほって置いて不純物を取り除いてジュースだけを専用の樽

に入れる、この搾り取る機械が又年代もので、古い納屋の少ない光のなかでこの手動の機

械をまわしていると錬金術師になった様な妙な気分になる。後はじっくりと発酵させてブ

ドウの糖がアルコールに変わるのを待つ。この発酵を止める時期が難しく、その年によっ

て違うらしい、失敗すると酢になってしまうとか、まあそれもビネガーとしてサラダのド

レッシングとして食べるのだが。

 午後からはジュゼッペ爺さんの畑、みんなトラクターに鈴なりになって高原の丘を駆け

降りて行く。ブドウ狩りは大変だったけれど、こうやって近所の人達と一緒になって汗を

流し、ワイワイとやったのは楽しかった。

 後日談、この自分たちで作ったワインとオリーブオイルを一本づつ持って帰って来た、

ワインはしっかりとビン詰めにしてコルクの栓もした。そこで最後の仕上げとしてオリジ

ナルのラベルが欲しくて、このラベルをゴム版画で作ることにした。仕上がりは上々、こ

のラベルを貼った唯一のワインは人生最高の時に開けることにしよう。  

 

 

         24 ルッカ ピサ サンジミニャーノの旅の巻 1 (10月)

 

 フィレンツェを経由してトスカーナ地方の宝石の様な地方都市、ルッカ、ピサ、サンジ

ミニャーノに行く事にしたのは、ブドウ狩りも一段落した次の日からだった。

 ルッカの町に着いたのは二時少し前。ある観光案内書によるとここの博物館は二時まで

だと書いてあった、実は遅くなったのは、かみさんがフィレンツェで買い物をしていたか

らで、いつもそんなことでバタバタと駆け足になったりする。彼女はだいぶんイタリア時

間になって来たようだ。ルッカの城門が見えて急いで中に入る、タイムマシーンに乗って

一気に五百年ほど逆上った世界がそこに現れる。感動に浸っている場合ではなく博物館を

探さねばと焦る、しかし焦るほどこれが見つからない。通りがかりのおじさんに聞くが「

博物館はここにはないよ」と言う、そんなバカな。イタリア人は「知らない」とは言わな

い親切に知らない事でも教えてくれる、これは嘘つきではないイタリアの名誉のために、

自分の信じていることを言うだけなのだが。当てにならないので自分たちで探す。「博物

館」といった堂々たるものでなく、極普通の建物、最もすべてが年代物だから分からなか

た。やっとのことで見つけた時はもう二時をとうに過ぎていたが、なんのことはない五時

まで開いていた。オープンの時間が簡単に変わる、イタリア時間もたまにはいいものだ

 ルッカの町は、周囲を城壁で囲まれている、面白いことにこの城壁の上が幅十mほどの

マロニエなどが生い茂る散歩道になっていて、サイクリングロードがあったりして市民の

憩いの場になっている、観光地でもなく人も少ないのでゆっくりできる。町の中に出てい

くつかの教会、聖堂建築を見て次の訪問地、斜塔で有名なピサへ向かう。

 ピサは若い人が多いという第一印象だ、大学があるせいかもしれない、もちろん観光客

も多い。駅前のビットリオ・エマヌエル・二世広場に行くと沢山の若者たちがたむろして

いた、繁華街のクリスピ通りを抜けてアルノ川に架かる橋まで行く、どことなくフィレン

ツェに似ている。そこから歩いて十分ほどでドゥーモ広場にでる、ちょうど駅と反対側の

町外れと言うことになる。ここの斜塔には昔登った覚えがあるが今回は修復中とかで登れ

ず、痛々しい鉛の重しを付けられかなり重症の様子。隣にあるお碗を伏せた様な洗礼堂に

行く、中は薄暗く小さな窓からの七色の光が矢のように刺していた。この光は刻々と照ら

す場所を変えて行く、うまく考えられている。

 カンポサント(納骨堂)へ行く、同じ敷地内にあるのに嘘のように静かで人がいない。

目当てはここのフレスコ画(漆喰に描かれた壁画)ほとんどが第二次大戦で破壊されたが

かなり修復されている。「死の勝利」「地獄図」が現存している部分、これだけでもかな

りの大きさで見る者を圧倒する。「死の勝利」とは、いずれ人は死ぬのだと言う戒めを描

いた物、偶然とはいえ、戦争の破壊で残ったのが、これと「地獄図」というのは人の行為

の愚かさを語るためだったのかもしれない。              

 

 

         25 ルッカ ピサ サンジミニャーノの旅の巻 2 (10月)

 

 サンジミニャーノへは一度フィレンツェに戻って、そこからシエナ行きのバスに乗りポ

ッジボンシで乗り換える、トスカーナ特有のなだらかな丘の上を軽快に走って行く。秋の

夕陽を背に遠くの方にサンジミニャーノの幾つかの塔が見える。ここトスカーナ地方の丘

からの眺めは、人の視覚に快感原則があるとするならば、それに最も沿ったものではない

かと思う。緩やかに起伏する丘、点在する家、見通しのいい眺め、調和の取れた色彩、そ

れぞれが絶妙なバランスで統一されている。誰もが文句なしに「美しい」と思うだろう。

 日本人は風景が好きだ、有名な話に「モナリザさん、ちょっと退いてください後ろの風

景が見えません」というのがある、西欧人は人間を好み、日本人は風景を好むと言われる

文化の違いは元をただせば、人と自然とのあり方だと思う。西欧の場合、自然が日本ほど

優しくないということがまずある。キリスト教を考えてみても、元々は砂漠の民の宗教で

ある意味で「戦う宗教」だ、他に対し何もしなければ、それは死を意味する。他とは自然

と言ってもいい。壁に向かって三年もただ座って居れば、干からびてしまうか、侵略され

てしまう。それから前にも少し書いたが、大陸の場合色々な民族が隣あって存在し、まず

人との対話によって意思の確認し、契約を結び、ルールを作ることから始まる、あくまで

も人間中心で自然は協力し克服すべきものとしてある。反対に日本などの場合、自然は友

達だ、ほっておいても木々は緑に茂り、石も苔むしてしまう。自然はあくまでも優しく、

至る所に神がいて、信仰の対象とさえなる。それにしてもここサンジミニャーノの丘から

の眺めは誰がみても美しいと思うだろう。

 サンジミニャーノは不思議な町だ、ここには無意味に塔が十四本も建っている。それも

なんの装飾もない真四角の石作りの塔だ。遠くから見れば丁度新宿の高層ビル郡の様に見

える。中世のたたずまいの中にニョキニョキ生えた様な姿は異様だが、それが何とも言え

ない独特の魅力となっている。町は以外に小さく1Km四方ですっぽりと納まる。町の中

心の広場には大きな井戸があり今はオブジェとしても充分美しい。今日の宿はこの広場に

面した立派なホテルだ、ただ田舎の場合驚くほど安い。観光地として地理的に不便だと言

うこともあって日本人も二三人見かけただけだった。できるならこのまま知る人ぞ知るの

名所にして置きたい所だと思った。

 次の日、町の中を観光、小さいけれど中に有るものは一級品ばかりドゥオーモの中のフ

レスコ画は素晴らしいものだった。町の中に小さな版画工房を見つけて冷やかしに入る、

作家が出てきて色々話をする、なんと彼の奥さんは日本人だった、彼自身も日本で展覧会

をやったことがあるということで、話がはずみ色々な資料を見せてくれる。言葉ももう少

し勉強しなければ。それにしても旅には色々な出会いや失敗があって楽しいものだと改め

て思った。